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<title>コラム『自分学』　～公認会計士試験合格者の物理学的コラム～</title>
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<description>すべての人に共通してワタシほど分からないものはないでしょう。経済学・物理学・心理学・哲学などを通して私・浅路の発信したいことを綴っています。過去のコラムは予告なく修正・更新されることがあります。その上でご意見・ご感想をお待ちしております。</description>
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<title>＃３４４　政治や経済や法律には、基づいている考え方がある</title>
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　私たちの生活を見回すと、私たちを生かすために存在するものがたくさんあることに気づきます。例えば、政治であり経済であり、科学であり医学であり、法律もそうですしエンターテインメントもそうです。　そして政治は、国民の生命と財産を守るのが仕事だと言われます。　また経済は、豊かにして貧困に苦しむ人をなくそうとしています。　科学は、便利なものを世の中に送り出し、快適に生かそうとしています。　医学は、少しでも寿命を延ばそうとしています。　法律は、悪しきを罰して、生活の秩序を正そうとしています。　エンターテイ
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<dc:date>2010-04-07T20:24:55+09:00</dc:date>
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<title>＃３４３　死後はあるのかないのか、冥福は実は祈れないのか</title>
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　死後はあるのか、それともないのか。　確かに私たちの肉体は、死ねばたいてい荼毘（だび）に付しますので、灰とひとつまみの白骨だけになってしまいます。といってもこれはあくまでも日本古来からの風習です。　では、ワタシというものも死ねば無くなってしまうのでしょうか。　実際にアンケート調査結果があるそうです。聞いた話ですが、面白い集計結果とのことです。　アメリカ人への調査結果は、「死後はある」という回答が多数だったそうです。　次に中国人への調査結果は、「死後はない」という回答が多数だったそうです。　では、
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<title>＃３４２　はるか昔から「囚人のジレンマ」ゲームをプレイしている</title>
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　論より証拠、という言葉があります。　「前世なんかがあるものか。だったら証拠を出してみろ」と、前世や過去世の存在をとうてい信じられない人は多いでしょう。　あるいは、「自分は人の前世が見える」と豪語し、自分以外の人の前世をリアルに語る人もいるようです。インチキくさいですが、それらを聞いたから前世があると信じている、という人もあるでしょう。　いずれも、証拠を通して前世や過去世のあるなしを判断していると言えます。　一方、私たちはこの世に生を受けましたが、出生地もバラバラ、両親もバラバラ、容姿もバラバラ
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<dc:date>2010-04-02T22:40:24+09:00</dc:date>
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<title>＃３４１　私たちの誕生の時は肉体の誕生の時なのか、それとも</title>
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　どうしてワタシは、日本に生まれたのだろう。　どうしてワタシは、昭和や平成の時代に生まれたのだろう。　どうしてワタシは、このような体を持って生まれたのだろう。　この疑問を科学的思考に立って「原因」を追究しようとして真っ先に思いつくのが、両親が「原因」だとする考え方です。　ここで忘れてはならないのが、原因が同じならば結果も同じ、原因が異なれば結果も異なる、ということです。もし両親が「原因」だとすると、同じ両親（すなわち同じ「原因」）から生まれてくる子ども（すなわち「結果」）は同じでなければなりませ
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<dc:date>2010-03-31T23:53:11+09:00</dc:date>
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<title>＃３４０　ワタシが生まれたという結果、その原因は両親じゃないの？</title>
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　どうしてワタシは、日本に生まれたのだろう。　どうしてワタシは、昭和や平成の時代に生まれたのだろう。　どうしてワタシは、このような体を持って生まれたのだろう。　私たちがこの世に生を受けたことについて、なぜ、どうして、と疑問に思うことはないでしょうか。　思えば、世間の様々な科学的学問が、なぜ、どうして、という疑問を出発点として、「結果と原因の関係」を徹底的に追究して発展しています。　このことを考えると、私たちがこの世に生を受けたことについても同じように「結果と原因の関係」をとことん突き詰めて考える
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<dc:date>2010-03-29T23:36:17+09:00</dc:date>
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<title>＃３３９　私たちの肉体は有限なのに、「無限繰り返しゲーム」って</title>
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　私たちは、「ウソつきは泥棒の始まり」と言い聞かされて育ったはず。ところが、「正直者はバカを見る」とたしなめる者もあります。いったい私たちはどう行動すればいいのでしょう。　そこで、「囚人のジレンマ」を参考にして、「ウソつきは泥棒の始まり」が正しいのか、「正直者はバカを見る」が正しいのか、それともどちらも１つの考えでしかないのか、何らかの信頼できる結論を導き出そうではありませんか。　今回は、利得にクロースアップします。そうして仮設したマトリックスは次のとおりです。（Ａ社の利得、Ｂ社の利得）Ａは協調
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<dc:date>2010-03-26T21:19:43+09:00</dc:date>
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<title>＃３３８　「無限繰り返しゲーム」の前におさらい、「囚人のジレンマ」</title>
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　無限繰り返しゲームと言われるものをお話したいのです が、その前にどうしてもお話しておかなければならないことがあります。「囚人のジレンマ」です。「もう知っています」という方も、おさらいと思って読んでいただきたいです。　協力して悪さをしたという容疑で取調べを受けている人（囚人）がＡとＢの２人います。　ただし、証拠がそろって十分に起訴できる事案Ｘがある一方、起訴するには証拠不十分な事案Ｙもあります。　黙秘権も与えられていますが、取調官からこんな提案を受けるのです。　「証拠不十分な事案について、もし相
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<dc:date>2010-03-24T22:42:53+09:00</dc:date>
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<title>＃３３７　私たちの運命をもたらす原因は、私たち自身のアクション</title>
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　テストで悪い点数を取ったがために追試を受ける目に遭う。１つの「結果」です。　１人の部員が遅刻したためにクラブ全員が連帯責任で居残り練習をする羽目になる。これもれっきとした１つの「結果」です。　どちらのケースも、科学的・理性的に「結果」に対する「原因」を追究しようとすると、誰かほかの人に「原因」を尋ねてみたところで説明がつかず、自分自身の内に「原因」があると考えなければ説明がつかないことが知られます。　この時点で感情的に受け入れられない方も相当いらっしゃるでしょうが、ここまでは理解できる、という
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<title>＃３３６　みんな同じ運命だったり、みんなバラバラの運命だったり</title>
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　運命というものは、なんとも不可解なものです。　みんながそろって同じ目に遭い、同じ運命を共有することがあります。　例えばクラブ活動で、たった１人の部員が遅刻してしまったその罰で、部員全体が連帯責任という名目で夜遅くまで居残り練習させられることがあります。このような目に遭うと、　「あいつ１人を遅刻させないように、前もって気配りしておけばよかった」と後悔する人は、あっても少ないでしょう。　むしろたいていの人は、「自分は悪くないのに、あいつ１人のせいで苦しんでいる今の自分がいるのだ」と恨んでいることで
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<title>＃３３５　どの学問においても別格の扱い、「結果と原因の関係」</title>
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　関係がある。　一口にこう言っても、その関係が相関関係だったり、全体と一部の関係だったり、主従関係だったり、表裏一体の関係だったり、正反対の関係だったり、といろんな関係がありますが、中でも「結果と原因の関係」は扱いが別格のように感じます。　学問の世界では、２つのもの、時に３つ以上のものがどのような関係にあるか、研究・議論します。　自然科学ならば、冬場の気温と桜の開花時期には相関関係があると言われますので、その相関関係に基づいて桜の開花予想を発表します。　数学ならば、１から１０までの自然数の集合Ａ
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<dc:date>2010-03-15T23:08:33+09:00</dc:date>
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