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<title>今日もだれかの一言に傷ついているHSPさんのための多言語脳インストール法</title>
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<description>心を乱されるのは日本語が原因だった？多言語脳をインストールすれば、3秒でマイナス言葉をプラス言葉に脳が自動変換してくれます</description>
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<title>私の世界観#104　アルゼンチンの朝ごはん</title>
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<![CDATA[ <p>アルゼンチンでは、食事の内容も感覚も日本とはぜんぜんちがいました</p><p><br></p><p><b>朝ごはん</b></p><p>朝が弱い私は、バナナを一本と紅茶くらいしか食べられませんでしたが、私より早く朝一番に出かけていく、ホストファーザーのパパ・アルベルト(スペイン語ではパ<b>パ👨</b>と、二つ目のパにアクセントを置いて発音します)はちゃんと食べていっていたようです。</p><p><br></p><p>7時少し過ぎに赤いピックアップトラックに乗ってパパが仕事に出かけた後、私がのろのろと階下に行くと、パパが食べた後のお皿がテーブルに置いてありました。</p><p><br></p><p>まずコーヒー(インスタント)をブラックで。それから、ビスコチートと呼ばれる少し甘くてけっこう固いパンのかけらがお皿に残っていました。</p><p><br></p><p>ビスコチートは固くてカラカラなので、横に割って、そこに、はちみつやバター、そしてドゥルセ・デ・レーチェをつけて食べます。</p><p><br></p><p>ドゥルセ・デ・レーチェとは、一言でいうと、キャラメルソースです。</p><p><br></p><p>パンだけではなく、バナナにも何にでもつけて食べ、食後に必ずデザートを食べるアルゼンチン人の食卓に欠かせないモノです。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p>見ているだけで唾液が出そうなほど甘ったるいのが分かるそれを、おいしいから食べてみろと何度勧められたことでしょう。</p><p><br></p><p>最初に辞書で引いた言葉は「お腹いっぱいです」だったかもしれません。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p>そして、ついにドゥルセ・デ・レーチェを口にした時の衝撃は、超激辛のソースやドリアンを食べた時以上でした。</p><p><br></p><p>とにかく甘ったるくて、日本はおろか、一年半住んでいたイギリスでも、ほかのヨーロッパの国々でも口にしたことがないほどの糖度でした。</p><p><br></p><p>これを、すでに甘いケーキや果物につけて、そして朝っぱらから食べるとは…！</p><p><br></p><p>おそるべし、アルゼンチン人🇦🇷！</p><p><br></p><p>そして、こんな所で一年もやっていけるのか、日本人高校生🇯🇵？！</p><p><br></p><p><br></p><div><br></div><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<pubDate>Fri, 21 Mar 2025 08:00:38 +0900</pubDate>
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<title>私の世界観#103　アルゼンチンでのサバイバル開始</title>
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<![CDATA[ <p>日本から10000キロ以上離れたアルゼンチンの、さらに首都から遠く離れた北部の小さな町にたどり着いたのは、日本を出て２日目の夜でした。</p><p><br></p><p>日本とアルゼンチンの時差は12時間。</p><p><br></p><p>旅の疲れと、途中越えてきたいくつもの時間帯によって、体内時計はめちゃめちゃになっており、アルゼンチン２日目のは何時に目が覚めたのか…。隣のホストシスターのベッドはすでに空でした。</p><p><br></p><p>到着した２月は、南半球では真夏。</p><p><br></p><p>学校は夏休みなのは知っていたので焦ることなく、夏服に着替えてから階下に行くと、そこにホストファミリーは見当たらず、知らない女性がダイニングテーブルの辺りを掃除していました。</p><p><br></p><p>"&amp;¥@?/%#€€£?"</p><p><br></p><p>と話しかけてくれましたが、もちろん、薄く笑うしかできなかった私。すると、その人は台所の方に引っ込み、食べ物を持って出てきてくれました。</p><p><br></p><p>"&amp;¥~{[€*~"</p><p><br></p><p>と言ってほほえみ、ナプキンとナイフ・フォークも持ってきてくれました。</p><p><br></p><p>そして、そこに真っ黒犬のブラッキーが寄ってきて、クーンと情けない声で鳴き始めました。</p><p><br></p><p>"¥@|$&lt;%#!!!!"</p><p><br></p><p>とブラッキーを怒鳴りつけるその女性。</p><p><br></p><p>ブラッキーはその時はすごすごと引き下がりましたが、私が座って食べ始めると、テーブルの下に潜って私の膝の上にアゴを載せました。</p><p><br></p><p>昨日は近づいただけでいきなり唸って威嚇してきたあの態度からなんという豹変ぶり！</p><p><br></p><p>でも、犬と仲良くしたいと思った私は、パンのかけらを床に落としてやったのです。</p><p><br></p><p>すると、ブラッキーはそれをすぐに食べてまたアゴ攻撃。</p><p><br></p><p>しばらく無視していると、またクーンクーンと鳴き始めます。</p><p><br></p><p>"¥%|]£+€$_="!!!!!</p><p><br></p><p>台所から戻ってきた女性は、犬に一喝すると、それだけではダメだと思ったのか、今度は首輪を掴んで向こうのほうへ犬を引っ張っていってしまいました。</p><p><br></p><p><br></p><p>多分、私が餌をやったのがバレたのだと思うと、私も怒られるかもとちょっと緊張しました。</p><p><br></p><p>でも、その女性は、戻って来ると、私が言葉がわからないことは意にも介さず、どんどん話しかけてくるのでした。</p><p><br></p><p><br></p><p>後に、この女性はイルダと言って、通いのお手伝いさんであることが判明します。</p><p><br></p><p>道理で、事前に受け取っていた家族の説明や写真には載っていなかったはずです。</p><p><br></p><p>彼女は、毎朝家にやって来ては、掃除・洗濯・アイロンがけ、ベッドメーキングなどをしてくれるとのことでした。</p><p><br></p><p>こうして、外科のお医者さんのお父さんと専業主婦のお母さん、男兄弟4人、ひとつ年下の妹、食いしん坊の犬、そしてお手伝いさんという大家族との生活が始まりました。</p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/hasegawa-nancy/entry-12888249040.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Mar 2025 08:00:58 +0900</pubDate>
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<title>私の世界観＃102　アルゼンチン到着！✈️とコワイ犬</title>
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<![CDATA[ <p>アルゼンチンに行く日本からの直行便はありません。アルゼンチンだけではなく、南米に行くには、どこかで飛行機を乗り換えなければいけません。</p><p>&nbsp;</p><p>私たち日本からの5人の高校生は、アメリカのヒューストン経由でした。ヒューストンまで十数時間、そして乗り継ぎ便まで何時間か待って、さらに十数時間、計３０時間を超える、人生でいちばん長い旅でした。</p><p>&nbsp;</p><p>ブエノスアイレスの空港に着いた時には気持ちは悪いわ、疲労困憊で、もう一生飛行機に乗りたくないと思ったのも束の間、最終目的地の北の果ての州までもう一度国内線に乗ることになりました。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、日本からいっしょに来たほかの4人はブエノスアイレスからバスで１０時間以上かけて別々の最終目的地に向かったので、実は私はいちばん楽をしたようです…。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>空港には、これから一年をいっしょに過ごすことになるホストファミリーが迎えに来てくれていました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>事前に受け取っていた書類で、家族構成、名前や年齢、職業などは知っていましたが、いっしょに入っていた写真２枚だけではどんな人たちなのか全然分からず、初対面はやはり緊張するものでした。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>初めて着いた家は、靴を履いて入ることに「外国に来た」と感じました。床もタイルで固く冷たく、ちょっと寒々しい感じがしました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>家に着くと、ブラッキーという名前の黒くて大きい犬がいて、近づこうとすると唸りました。「危ないよ！近づかないで！」と言われたと思います。言葉が分からなくても、警告されたことは分かりました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>その夜はなにせ疲れ果てていたので、早く横になりたかったです。向こうもそれは分かっていたので、すぐに寝室に案内してくれました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>それは、５人兄妹で唯一の女の子、ホストシスターのエレナの部屋でした。部屋には私用のベッドが置かれていて、以来彼女と毎晩並んで寝ることになりました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ついに、日本からいちばん遠い国に来てしまった。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>なんて感傷に浸るまもなく、その夜は一瞬で眠りに落ちたのでした。</p>
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<link>https://ameblo.jp/hasegawa-nancy/entry-12887702377.html</link>
<pubDate>Tue, 25 Feb 2025 08:00:00 +0900</pubDate>
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<title>私の世界観#101　アルゼンチン留学</title>
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<![CDATA[ <p>中学校の時の先生にAFSという高校生のための海外留学プログラムを教えていただいた私は、すぐ両親に「行かせてほしい」とお願いしました。</p><p><br></p><p>自分が海外好きの父は二つ返事。</p><p><br></p><p><br></p><p>書類審査、面接を経て、ついに決まった渡航先はヨーロッパでもアメリカでもないアルゼンチンでした。</p><p><br></p><p>かろうじてどこにあるか知っていた程度の、日本からは地球の反対側にある国。南半球にあって、たしかタンゴが有名？</p><p><br></p><p>もしも行きたくなければ辞退することもできましたが、そうすればどこにも行けなくなります。</p><p><br></p><p>少し考えた私は、「アルゼンチンはスペイン語」ということを思い出し、かつてスペインで聞いて感動した、日本語にその音体系が激似のあの言葉か！と思い、アルゼンチンに一年行くことを決めました。</p><p><br></p><p><br></p><p>そもそも、イギリスから帰国して一年足らずでまた海外に行きたいと思ったのは、英語のほかにもう一つ言語を身につけたいと思ったからです。</p><p><br></p><p><br></p><p>日本ではあまり話題にならないアルゼンチンと聞いて少し驚いた両親も、私が行きたいのであれば、と言ってくれました。</p><p><br></p><p><br></p><p>数週間して、母方の祖父から私宛に分厚い封筒が届きました。</p><p><br></p><p>そこには、アルゼンチンについて調べてくれた情報を手書きで写した手紙が入っていました。</p><p><br></p><p>普段は近寄りがたい感じがした祖父でしたが、やはり海外にはとても興味があり、遠い異国に旅立つ孫にエールを送ってくれました。</p><p><br></p><p><br></p><p>何回かの渡航前のオリエンテーションの後、高校一年生を終えることなく、私はほかの4人の日本人高校生とともにアルゼンチンに旅立ちました。</p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/hasegawa-nancy/entry-12887557058.html</link>
<pubDate>Mon, 24 Feb 2025 08:00:40 +0900</pubDate>
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<title>私の世界観#100　三つ子の魂　〜女子校時代の友人に乾杯〜</title>
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<![CDATA[ <p>数ヶ月前から、地域の公民館で「世界の料理を作って食べる」というイベントを始めました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そのイベントは今日で５回目。メキシコ料理、中華料理、フランス料理、フィリピン料理と、会を重ねるごとにリピーターも現れ、顔見知りも増えてきましたが、毎回色々な失敗やハプニングが満載でした。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>最初のイベントの日、高校時代の友人が２人参加してくれたのですが、ふたを開けてみればその2人はスタッフとしてイベント中ずっと私を手伝ってくれていました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>受付、材料・道具・お皿配り、野菜切り、買い忘れた材料の買い出し…。</p><p>&nbsp;</p><p>私一人ですべてできると思っていたのでしょうか？？</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>イベントが終わって彼女たちに言われたのは、「本当に昔と変わらないね」という言葉。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>昔から、やらなければいけないことがあるのにギリギリまで何もせず、しめきり直前になって人に助けてもらってやっと帳尻を合わせるということを、確かに私はしてきていました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>高校の家庭科で浴衣を縫った時。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>縫い方を教わったあと、縫うペースは自分たちに任されていたため、友だちとのおしゃべりに夢中になっていた私。</p><p>&nbsp;</p><p>締め切りが間近に迫ったのにまだ何段階も遅れていたことに気づき慌てた私を、もう縫い終わった友だちが静かに助けてくれました…。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>その浴衣は現在the yukata of friendshipと名付けられ、今でも大事に取ってあります。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>大学の卒論の時。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>締め切りの１週間前に必要な資料が遠く離れた別の大学の図書館にあることが分かり、そこに通っていた友だちに頼んで借りてもらった思い出…。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>それでもなんとか今まで生きてこられたのは、そんなテキトーな私を支えて助けてくれた友人たちだったことに改めて気づいてびっくりしています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>今日も途中でたまねぎを買いに走ってくれてありがとう❤️</p>
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<link>https://ameblo.jp/hasegawa-nancy/entry-12887459137.html</link>
<pubDate>Sun, 23 Feb 2025 08:00:00 +0900</pubDate>
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<title>私の世界観#99　恩師の訃報</title>
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<![CDATA[ <p>最近昔の恩師との再会でいろいろと考えることが多くなっていた中、アメリカで日本語教師をしていた時の恩師のT先生の訃報が飛び込んできました。</p><p><br></p><p><br></p><p>７０年代からアメリカに渡って日本語を教えられ、アメリカの中等教育における日本語教育の礎を築かれたT先生。地域の日本語教師会の重鎮として、長年教鞭を取るのと同じくらいの活動を学外でもこなし、一体いつ寝ているのか分からないような、常にエネルギーに満ちた方でした。</p><p><br></p><p><br></p><p>教師会のイベントの打ち合わせでお会いするたびに何か新しい企画をみんなに楽しそうにお話しされて、またそれを行動に移しておられました。</p><p><br></p><p><br></p><p>見かけはドラえもんのような先生は、だれにでも気さくに、そして敬語で話されました。</p><p><br></p><p><br></p><p>先生がすごいと思ったことはたくさんありますが、一番真似できないと思ったのは決してNOと言わなかったこと。</p><p><br></p><p>「こんなアイデアどうでしょう」とか、「これをお願いできますか」という問いには、必ず「いいですよー」という答えが間髪入れずに返ってきました。</p><p><br></p><p>あんなに忙しかったはずなのに、なんでも引き受けてくださったばかりか、後進に対しては指導やアドバイスをするのではなく、自発的に考えて動くことをご自分の背中で見せてくださり、やりたいことはすべて無条件に応援してくださいました。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p>T先生に最後にお会いしたのは、私がアメリカを去ろうというひと月ほど前。夫と食事をした後、付近を歩いていた時に偶然ばったりお会いしました。</p><p><br></p><p>コロナ禍が明け始めた頃のことで、メールでお別れのごあいさつをしようと思っていたので、思いがけず直接ごあいさつができてうれしかったです。</p><p><br></p><p>退職後は、日本に増えている移民の方たちの日本語教育にも関わりたいとおっしゃっていました。</p><p><br></p><p>退職とは名ばかりで、またやりたいことを見つけてバリバリ活動するなんて先生らしいなと思ってお別れしました。</p><p><br></p><p>今思えば、あのタイミングで偶然にお会いできたのは、神さまのプレゼントだったような気がします。</p><p><br></p><p>やり残したことはたくさんあると思いますが、「もう十分すぎるくらい使命を果たしたから、もうこっちに来て休みなさい」と向こうに召されたのだと思います。</p><p><br></p><p>T先生、ゆっくりお休みください。</p>
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<pubDate>Fri, 21 Feb 2025 08:00:35 +0900</pubDate>
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<title>私の世界観#98　30年以上ぶりに会った高校の先生</title>
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<![CDATA[ <p>最近、友人2人と共に、高校時代の恩師にお会いする機会がありました。</p><p>&nbsp;</p><p>私が通っていた私立高校は進学校ではなく、毎日の礼拝で、神さまが私たちひとりひとりを大事に思って見守ってくださっていることを滔々と説く学校でしたので、のびのびと自由に学校生活を送ることができました。</p><p><br></p><p>クラスの中でも、もちろんなかよしグループはありましたが、ちょっと個性的でも、群れるのが合わなくても、同じ空間にいて程よい距離感でお互い好きなことをしていていいと思えるような雰囲気があり、私にはとても合っていました。</p><p><br></p><p><br></p><p>卒業から30年以上経つ中で、自分も高校教師を経験し、教師という職業の内情を知った後ということもあり、自分の先生に当時のお話を聞くのを楽しみにしていました。</p><p><br></p><p>&nbsp;</p><p>お会いした恩師は現代社会の先生で、女子校には珍しい男性。小柄な体に正義感がみなぎる熱い先生でした。韓国の歴史に造詣が深く、キリスト教信者なので韓国のキリスト信者の方々の強い関係を築いてこられました。</p><p><br></p><p><br></p><p>現代社会という、総合的な社会知識の詰まった教科を偏りなく教えてくださる一方、近代・現代日本社会が抱えるさまざまな問題についても教えてくださり、私たち高校生の若くてピュアな理想主義に大きな刺激を与えてくださいました。私がのちに大学の専攻を決めるきっかけになった授業のひとつです。&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><br></p><p>引退された後も、別の小さな私立高校の理事や、私の母校関係の仕事を精力的にされていて、見かけはちょっと白毛が増えていても、話し出すと止まらないそのエネルギーは昔と変わりませんでした。</p><p><br></p><p><br></p><p>韓国に留学された後、日本に帰って教職の傍ら試験と論文をこなされたこと。</p><div><br></div><div>校長が替わったことで教員の採用方法が変わり、その結果卒業生の割合が少なくなって、求心力と学校の特色が弱まったこと。</div><div><br></div><p>一年間休職することになり、その間授業を任せることにした心理学専攻の卒業生が、教科書の心理学の箇所について教えていたら止まらなくなり、一学期全部心理学を教えることになって一部の生徒から苦情が出たこと。そのせいでその学年は大学で心理学を専攻する人が異常に多く、その中には現在大学で教えている人もいること。</p><p><br></p><p><br></p><p>そんな裏話を聞いていたら、３時間はあっという間に過ぎてしまいました。</p><p><br></p><p><br></p><p>３年ごとに生徒がすべて入れ替わってしまう環境で３０年以上高校教師をしてきた先生。卒業生と会って話すのは楽しいとおっしゃいます。</p><p><br></p><p>「自分の教えたことがその後の教え子の人生にどう影響をあたえたのかは、その人が卒業して５年、１０年経たないと分からないから」だそうです。</p><p><br></p><p>自分は教え子本人の人生だけではなく、将来の日本を少しでもよくするための人材を育ててるのだという自覚と誇り。</p><p><br></p><p>そして、その礎となる知識と考え方を築く授業をするために、ご自分の勉強と準備も毎日怠ることなくされていた先生。</p><p><br></p><p><br></p><p>あなたたちにとって、あの学校に通った意味はなんだったのか知りたい、と言われて実現したこの再会。</p><p><br></p><p>昔を振り返り、自分の世界観の源を言語化する作業をしているこのタイミングで先生とお話しする機会がもてたことに不思議な縁を感じました。</p>
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<pubDate>Thu, 20 Feb 2025 08:00:43 +0900</pubDate>
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<title>私の世界観#97　外部入学生がいる私立一貫女子高校の交友事情</title>
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<![CDATA[ <p>新しく入った高等部では、内部進学生が８割くらいだったので、５人に１人は外部からの入学生でした。</p><p>&nbsp;</p><p>内部の生徒は、当然すでに友人関係が固定化しているので新しく入った生徒たちには冷淡になります。</p><p>&nbsp;</p><p>私はいちおう内部進学者でしたが、中学校の半分をイギリスで過ごしたため、気分的には新しく高校から入ってきた外部入学生のようなものだったかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>クラスに中学校でとくに仲がよかった子がいなかったので、外部から入ってきた子に声をかけることにしました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>外部入学の子は、まだ緊張していて固くなっていて、休み時間も自分の席で過ごしているのですぐに分かりました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>声をかけた子は、たまたま、小学生時代をインドネシアで過ごしたという、いわゆる「帰国子女」でした。私は、似たような境遇の子に会えてうれしくなり、それ以来その子とは親しくなりました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>その後、中学校からの内部進学生なのにそのクラスにはあまり馴染めていない子もいたので、その子とも仲良くなり、なんとなく友達のグループができてきました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そのうちに、ほかのクラスになった中学校からの友達が私のクラスに遊びに来るようになり、また友達の輪が広がりました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>卒業してから聞くと、外部入学の生徒たちは、内部進学生とはどこかちがって、一線があるという意識を強く感じていたようです。</p><p>&nbsp;</p><p>新しい環境で高校生活を始めた彼女たちの中は、交友関係もさることながら、学校の宗教色や女子校特有の雰囲気に馴染めない人もいたことでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>なんとなく順調に始まった高校生活ですが、一年足らずでまたもや外に出ることになります。</p>
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<pubDate>Sun, 16 Feb 2025 08:00:00 +0900</pubDate>
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<title>私の世界観#95　遠くの学校に通い続けることで出来上がったマインドセット</title>
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<![CDATA[ <p>私が通っていた私立校は、中学校と高校が同じ敷地内にあり、したがって、高校生になっても通学にかかる時間は以前と変わりませんでした。</p><p><br></p><p><br></p><p>片道１時間半の通学は、しかし、高校１年の時に東京の片隅に引越したことによって少し改善されました。</p><p><br></p><p><br></p><p>もっと都心にある私の学校のすぐ近くに移ってはどうかと両親が話しているのを聞いた時、私はそれに大反対。</p><p><br></p><p><br></p><p>理由は、先生やクラスメイトに近所で会いたくないからというものでした。</p><p><br></p><p><br></p><p>今考えると、自分がそんなに強い意見を持っていたことに少し驚きを感じます。</p><p><br></p><p>でも、あまり仲がよい人がいないどころか、幼稚でときに残酷に見えた同級生たちを積極的にイヤがっていたので、引っ越したあとも１時間以上通学にかかることは仕方ないと思っていたようです。</p><p><br></p><p><br></p><p>高校に進学し、外部受験組として、学年全体の20%ほどが新しい同級生として加わりました。</p><p><br></p><p>その中でも、通学に１時間以上かけて通っている生徒はあまりいず、それを話すと驚かれることが多かったです。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p>今でも、友人と会う時は、自分の家のある方まで来てもらうのが心苦しく、自分の方が時間をかけて「都心の方に」行かなければならないのだと自然に思ってしまうのは、常に人より時間をかけて目的地に行くのが当然だというマインドセットが子供のときに培われたからだと思います。</p>
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<pubDate>Sat, 15 Feb 2025 08:00:03 +0900</pubDate>
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<title>私の世界観#94　強烈で謎だった中3の担任</title>
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<![CDATA[ <p>たった3ヶ月でしたが、中3の最後を元いた私立中学で過ごしました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>その時の同級生たちよりもずっと記憶に残っているのは、いずれも個性的な先生方です。</p><p>&nbsp;</p><p>中でも、担任のS先生は群を抜いて変わっていました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>社会科の先生で、一年生の時に地理も教わったのですが、お店に並んでいるバナナはどこから来るか考えたことあるか、で始まり、それからしばらくは東南アジアのバナナプランテーション、そこでの搾取的経営形態、環境汚染など、リアルタイムでも、「この先生、こんなことばっかり教えてて、ほかのことは教えなくていいの？」と心配になるほど振り切った授業をされる方でした。</p><p>&nbsp;</p><p>物静かな話し方とは裏腹の熱さに、クラスメイトの中には「偏ってる」「アジってる」と評する人も結構いましたが、私はその人間臭さがけっこう好きでした。</p><p>&nbsp;</p><p>何より、学校がそういう先生を雇い続けていたのですから、かなり懐の深い学校です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そんなS先生のクラスで中学生を締めくくることになり、社会科の担当も当然S先生でした。</p><p>&nbsp;</p><p>山谷について教わったのがこの時だったと思います。とにかく、世の中の闇の部分に敏感で、強い正義感を持って若い私たちにも啓蒙活動をし、ご自分でも何らかの活動をされている方でした。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、S先生の正義感はどこから来ていたのかというと、信仰と関係していたと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>キリスト教の学校だったので、クリスチャンの先生は何人もいましたが、S先生の信仰はただ聖書を読んだりお祈りしたりするだけではなく、ご自分が正しいと思うことを実行することでご自分の信仰の証とされていたように思います。</p><p>&nbsp;</p><p>皇室と血縁関係があるとも噂されていたS先生。</p><p>&nbsp;</p><p>とにかく謎の人でした。</p>
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<link>https://ameblo.jp/hasegawa-nancy/entry-12886271743.html</link>
<pubDate>Fri, 14 Feb 2025 08:00:00 +0900</pubDate>
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