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<title>ドクシン男の言いたい放題</title>
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<title>和と洋の世界</title>
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<![CDATA[ <p>今週の土曜日もお休みだったので、またもや自転車での山寺アタックに挑戦しました。</p><p>今回も散歩を行い、体を慣らしてから目的地へと向かったのですが、前回とは違ったコースを走ってみようと思い、以前から気になっていた「サイクリングロード」を走ってみました。<br>とは言え、私の体力で全工程はとてもではありませんが不可能なので、途中から約２ｋｍ程走りました。<br>私が走った道路は随分古かったらしく、アスファルトが荒れ、熊でも出てきそうな雰囲気だったのですが、暫くすると景色が開け、気持ちよく走ることができました。<br>時間としては、ここ最近の仕事の疲れもあってか、先週よりもちょっとだけ掛かったのですが、途中で乳母車の中にいる男の子から手を振ってもらったり、バリバリ本気のツーリング中のサイクリストさんに挨拶されたりして、どうにかめげずに目的地へ到着できました。<br>苦しい時の声援って本当に元気がでますね（＾～＾）</p><p><a href="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20170322_4zc7.html" target="_blank">キャッシングには凄くお世話になっています</a></p>
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<pubDate>Tue, 28 Mar 2017 16:17:06 +0900</pubDate>
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<title>大人しくは出来ないけど</title>
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<![CDATA[ <p>久しぶりに自分の為だけに出かけた。<br>でも、なんでだろうなあ・・・<br>思うようになくて<br>いろんな街を歩き回っちゃったよ。<br>最後にここならってとこでどうだと思ったんだけど<br>それでもダメだったなあ・・・。</p><p>どんな意味だか分からないけど<br>「しばらく冒険はしない方がいいですよ」と<br>職場のチーフがメールで言ってくれたのは<br>こういうことなのかもしれない。<br>別に冒険してたつもりはないんだけどね。<br>でもしばらくは買い物でも何でも知ってる所の方が<br>いいのかもしれない。</p>
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<pubDate>Sun, 04 Dec 2016 02:00:00 +0900</pubDate>
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<title>顔面相似形、似ている選手</title>
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<![CDATA[ サッカー日本代表センターバック、吉田麻也選手と歌舞伎俳優中村勘九郎さんがそっくりだと思っています。<br><br>もちろん体格は違うのですが、瓜二つの気がしています。<br><br>確か週刊文芸春秋で以前、『顔面相似形』というグラビア特集をしていました。<br><br>今もあれば、この特集に入るのは間違いないはずです。<br><br>大したことでもありませんが、以前から気になっていました。<br><br>強いて違いを上げると勘九郎さんのほうが少し顔が濃いくらいでしょう。<br><br>本当にそっくりです。<br><br>お2人に同時にテレビ出演してもらい、ぜひ見比べてみたいと思っています。
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<pubDate>Mon, 30 May 2016 14:48:14 +0900</pubDate>
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<title>太った</title>
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<![CDATA[ 昨日体重計に乗ったら、６８．５キロになっていた。<br><br>６６キロのはずだったんだけどな。<br><br>年をとると代謝が悪くなるせいか、わずかな食事で十分身になるみたい。<br><br>そういえば今年からあごの下に汗かくようになったし。。。<br><br>色々努力しないと！
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<pubDate>Sun, 05 Jul 2015 22:12:09 +0900</pubDate>
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<title>便利になったクオカード</title>
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<![CDATA[ 最近、お礼などで<a href="http://www.quickrflickr.com/" target="_blank">クオカード</a>を頻繁にいただくようになりました。少額のお礼をするのにクオカードは大変、スマートで使いやすいものです。以前はクオカードを使える場所が限られていたので、コンビニをあまり利用しない人には不便と思えたのですが、現在は使える場所がとても増えました。コンビニはもちろん、ファミレス、書店、ドラッグストアなど生活に身近なお店で使えるようになって、とても便利になりました。<br><br>お子さん向けに図書カードを差し上げていたような場合も、クオカードを使うようになりました。クオカードなら本ももちろん買えますし、親御さんの判断で他のものも買えるので汎用性が高いと思ったからです。クオカードは一番低額なものは３００円から買えるんです。ちょっとしたお礼にお菓子など差し上げるより、相手の方の負担にもならず、スマートな贈り物だと思います。<br><br>沢山の方に贈る場合には、オリジナルのカードを作ることも選べます。ちょっとしたお礼から、心をこめた記念品まで幅広いプレゼントとして最適なクオカードは大変便利なカードです。
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<pubDate>Mon, 20 Jan 2014 15:04:29 +0900</pubDate>
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<title>ルソー「エミール」、心理学と生きがい</title>
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<![CDATA[ 　ある心理学者から聞いたところによると、日本で初めて「生きがい」という意味合いの言葉が使われたのは、万葉集の中だそうである。時代は7～8世紀の頃のようだ。ある女性が男性に、「あなたを待っていたけど、あなたは帰ってこなかった。待っていた甲斐（かい）がなかった」という意味の歌を残している。この「甲斐」という言葉が、「生きがい」という意味で使われた記録として残る最古のものだというのである。ちなみに、竹取物語の中にも、同じように甲斐という言葉が使われているそうである。<br><br>　こうしてみると、如何に古くから人間は「生きがい」という概念をもっていたかということが分かる。「生きがい」とは、心にはりあいを与えてくれるものであり、自分の存在意味や価値を教えてくれるものである。意識しようが、しまいが、人間は生きがいなしには生きることができない。私には生きがいなんかないという人間は、ウソである。生きがいに気づいていないだけだ。生きがいを極度に失った人間は鬱（うつ）になり、鬱が自殺と深いかかわりがあることを考えれば、容易に理解できることである。<br><br>　家族でも、金儲けでも、旅行でも、ゲームでも、食べることでも、愚痴を言うことでも良い。何でもいいが、人には生きがいが要る。そして、無数にある生きがいの中で、不確かな地位や他人に寄りかかるようなものを生きがいにするのは、個人的にゴメンだと書いたことがある。「愛だの恋だの家族だの仕事だの、そういったものを心の支えにするからこそ、人間は人間らしく生きられるのかもしれない。脆さにすがり、人間臭さまるだしで、卑しく生きてこそ人間なのかもしれない。でも、私はそうはなりたくない」と書いた。これが、私が抱える闇であることも、私自身が充分理解している。<br><br>　J.J.ルソーの「エミール」という作品の中にこういう場面がある。幸福いっぱいの人がいた。そこに一通の手紙が届いた。それを見たとたん、幸福男の顔色は青くなり失神し目覚めても嘆き苦しむ。そこでルソーは言う。<br>　「愚かな人よ、その紙きれがきみにどんな苦痛をあたえたというのだ。（略）いま見られるような状態にきみを追い込むことになったのは、きみ自身のなにをその紙きれが変えてしまったためなのか。<br>　（略）かれの不幸は現実のものだ、とあなたがたは言うだろう。よろしい。だが、かれはそれを感じていなかったのだ。では、どういう状態にいたのか。彼の幸福は架空のものだったのだ。なるほど。健康、快活な気分、快適な生活、満足感、それらはもはや幻想にすぎない。わたしたちはわたしたちがいるところにはもはや存在せず、わたしたちがいないところにだけ存在する。（略）<br>　ああ、人間よ、きみの存在をきみの内部にとじこめるのだ。そうすればきみは不幸ではなくなるだろう。…」<br><br>　生きがいとは脆いものである。しかし唯一、絶対的な強さをもつ生きがい（＝心の支え）がある。それが「思い出」であり「記憶」であるということは、もう既に書いた。「ああ、人間よ、きみの存在をきみの内部にとじこめるのだ」というルソーの言葉は、冷たく乾いた私の心に響く。<br>　自分の果たせなかった夢を子どもに託すだとか、跡取りとして同じ職につかすために子を育てるだとか、そういったチンケな生きがいをもつような低レベルの人間に成り下がって生きるのは、私はゴメンだ。また「思い出」にすがって生きるほど年をとっていない。だから私の中で思想や哲学が大きくなりつつあるのだろうと、私は冷ややかに考えている。<br><br>【引用文献】J.J.ルソー「エミール（上）」（今野一雄訳）<br><br><a href="http://ameblo.jp/hatarakuhoudai/entry-11754055795.html" target="_self">便利になったクオカード</a>
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<pubDate>Wed, 04 Dec 2013 15:02:28 +0900</pubDate>
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<title>モディリアーニ</title>
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<![CDATA[ 今日は新幹線に乗る前に少し時間があったので、<br>国立新美術館に行ってきた。<br><br>あのうねった大きな真新しい美術館。建築物としてみるのもいい。<br><br>今回はモネがすごい人だったので、「異邦人たちのパリ」の方をみた。<br><br>ピカソやシャガールや有名どころが数点あったけど、一番印象に残ったのは、<br>モディリアーニの首をかしげた女性の肖像の絵だ。（ﾀｲﾄﾙ忘れてしまった私…汗）<br><br>中学生のとき、美術のスケッチブックの表紙が、モディリアーニの絵だった<br>ことを、今でも覚えている。それほど好きだとか、理解できるとかいうわけじゃ<br>ないけど、今回のこの目玉？の一点は、やはり惹かれるものがあった。<br><br>昔、美術の成績はずっと５段階評価で、ずっと５だったけど…、そんなの意味ないん<br>だよな～ってつくづく思う。私は見たまましか描けない。記録写真の機能と<br>なんらかわらないような、なにもそこから伝えようとするものを描けない。<br>といっても、ぜんぜん真面目にFine Artをやろうとしているわけではないから、<br>それで仕方がないんだけど。　作家もそうなんだけど、プロの画家って、<br>やっぱり正常と異常の間、プラスアルファ変人気質がある程度あった方が<br>すごい作品を残せるんだろうな、たぶん。　・・・<br><br><a href="http://ameblo.jp/hatarakuhoudai/entry-11754055795.html" target="_self">便利になったクオカード</a>
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<pubDate>Mon, 18 Nov 2013 21:10:48 +0900</pubDate>
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<title>心理学の視点と哲学の視点</title>
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<![CDATA[ 　心の探求は何も心理学だけではないようだ。フッサールなどによる哲学の本来の課題も、人間の心（ヌース）の秩序の探求にあるという。<br>　竹田青嗣氏は、「はじめての現象学」という書物の中でこう書いている。<br>「フロイトは、たとえて言えば、人間の心的な存在を一つの加工物（作られたもの）として捉えている。つまり、ある人間がある特定の性格や心のありようを持つことは、やはりある特定の“構造”や“要因”によって説明できる、という。無意識の中でこういう構造や要因があるから、今この人はこういう心や性格を持って存在している、といった説明」を精神分析はする、と。<br>　確かにその通りである。深層心理学では、そういった構造や要因があると考えているからこそ、無意識の中にあるその要因をさぐろうと精神分析を行うのである。<br><br>　しかし竹田氏はこう続ける。<br>「人間が“作られたもの”、加工物であるならば、たとえばひとつの機械のようなものであれば、そういう説明は合理的だ。けれども、人間の心という存在は加工物であるよりもむしろ、いわば芸術作品（表現）に似た本質をもっている。（略）ひとつの芸術作品は、それをどんなに多くの要素に還元し、分析しても、決してそういう諸要素に還元できない何かが残る。むしろこの諸要素に還元されえない何かが、作品の表現性の最も重要な核だ。」<br>　「（深層心理学や実証心理学は）人間の心理を心の諸要素や構造に還元することで、ある因果の体系に人間を還元する。しかし、この体系をどれほど精緻に記述しても、生活する人間存在の本質を決して捉えられない。」<br><br>　なかなか鋭い指摘だなと思う。心理学も哲学も、探求しているのは心であるが、探求方法もその方法を支える考え方もアプローチも、大きく違う。どっちが優れているとかではなく、どちらも素直に興味深い。<br><br>　ハイデガーの思考の出発点は次のようなものである。<br>「人間はいろいろな“気分”を持っているが、それらの中で、“不安”という“気分”が最も根本的な“情状性”である。（略）この不安はどこから来ているかを追いつめると、それが“死の不安”から来ていることが分かる。人間は誰でも“死の不安”を持っている。その意味でこの“不安の気分”は人間にとって普遍的なものでもある。」<br><br>　親しくしている人間に毒をもられ苦しむという夢を繰り返し見る友人。心理学では、彼の無意識にある抑圧された欲望や過去の出来事に注目するであろう。しかし哲学では、むしろ“死の不安”を題材にした夢を見るほうが自然だと解釈してもいいのかもしれない。“不安”“死の不安”というものは、人間にとってごく当たり前のものなのだ、と。<br><br>　同じものでも、見方を変えることで捉え方が全く変わってしまう。ここに多くの分野を広く知ることの重要性があるということなのだろう。<br><br>【引用文献】竹田青嗣「はじめての現象学」<br><br><a href="http://ameblo.jp/hatarakuhoudai/entry-11754055795.html" target="_self">便利になったクオカード</a>
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<link>https://ameblo.jp/hatarakuhoudai/entry-11717555124.html</link>
<pubDate>Mon, 18 Nov 2013 05:06:00 +0900</pubDate>
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<title>小松洋吉批判</title>
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<![CDATA[ 昨日から不快でしかたがない。不愉快でたまらない。<br>その原因が何なのか、よくわかっているし、それを感情論だけで書いてはならないし、（今は休憩中だから）ゆっくり丁寧に書く時間もないから、今は大枠だけを書き記しておきたいと思う。<br><br>小松というエコノミストだと自称する爺さんの話を聞いていて、常に感じるのが「ちゃらけた感じ」なのだ。「俺、はやく退職して～よ」「とっとと（大学教授を）辞めたい。やめても食うに困らねえよ」「俺にとってはもらっても、もらわなくても同じような微々たる金しか（授業したことでは）入ってこないしな」「俺、癌で入院したんだけど、病院の偉いさん、俺の知り合いだからさ、個室用意されて、すげーVIP待遇でさ、驚いちゃったよ。やっぱ金もってると、違うんだわな」<br><br>これは誇張でもなんでもなくて、本当に昨日から今日にかけて、小松が言い放った言葉のほんの一部だ。今、日本の社会はサブカルチャー的な流れができていて、それが一層ネット社会で強化されているのは周知のとおり。つまり話す内容が「ネタ化」していて、言葉が非常に軽く、批判をあびれば「冗談だよ、そんなことにイチイチ反応（マジレス）すんなよ」という態度を発言者は臭わせる。<br><br>こうした傾向が、いまや大学教授が行う授業にまで蔓延し、若者だけでなく60代の爺さんまでが、そうした態度をとるようになってしまったのかという、虚しさと怒りが、私の中で処理しきれないかたちでずっと残っているのだ。本当にこんなんでいいのか？これからの日本社会、人間社会を考えるうえで、こんなんでいいのか？<br><br>経済って、人間社会のためにあるんだよね？今の国民経済は、分配のあり方がやっぱりどう考えたっておかしくて、容認できないような格差が生じてるんだよね？（派遣法等）その格差のせいで、人が不当に扱われてる側面があるんだよね？そこをどうやって是正していくか考えるのが、福祉の経済学なんじゃないのか？<br>その福祉の経済を教える立場の人間が、<br>（一方で奇麗事の理念を教え）また一方で「俺、金もってるから、VIP待遇だったさ」と、現状に”乗っかか”て、そうした待遇の差を不思議とも思わないでいることに、私は怒りを感じざるをえない。<br><br>そりゃ、お金もってりゃ、強いよ。今の世は、経済と法律やってる人間が結果的に強いことなんか（私だって）わかってるよ。でも、それだけじゃ、人間ダメなんだよね。だから福祉を本気でやる人間がいるんじゃないのか？福祉の視点から社会を真剣に考える人間がいるんじゃないのか？そういう人材育成に、現状に”乗っかか”かって、甘んじて調子にのってるエコノミストが、偉そうに大学に30数年、君臨してるってことが、驚きで仕方がない。<br><br>情けない。こういった人間は、とっとと経済学者としても、福祉に携わる人間としても、退場してくれ。２ちゃん風に言わせてもらえれば、「お前、逝ってよし」だよ。<br>60歳すぎて、こんな人間が社会的地位も金も権力ももって、日本をどんどんつぶしていくんだ。笑えるよ。とっとと棺おけに全身突っ込むか、でなけりゃ幼稚園から出直してこいよと、私は言いたい。<br><br><a href="http://ameblo.jp/hatarakuhoudai/entry-11754055795.html" target="_self">便利になったクオカード</a>
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<pubDate>Mon, 16 Sep 2013 18:09:31 +0900</pubDate>
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<title>海をみた</title>
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<![CDATA[ 昨夜、海がみたくなって、海を見にいった。誰もいない、暗闇がひろがる寂しげな場所で、月あたりだけを頼りに、太平洋のゴ～と押し寄せる低音の波音に耳を傾けた。静かに一人ああいう場所でぼうっとするのは悪くない。もう5月だけど、肌寒いぐらいだった。<br><br>今、香山リカのナショナリズム関連の本に目をとおしていて、いろいろ思うことがある。数年前、日本語を声に出して読む本が売れたことを例に、これは日本人の精神面、アイデンティティだとか、精神の誇りを高めようという動きなのか？ひいてはナショナリズムへの流れに繋がっていくものではないのかと危惧する香山。<br><br>言いたいことはわからないでもない。しかし、ん・・・と首をかしげてしまう。<br>私は行き過ぎた左派の自虐史観が好きではない。（私は、天皇なんかいらないとはっきり主張しているし、核武装もしてはならないと言い切っているし、どっからどうみても反右翼の論調なんだけれども）　日本人が日本語や文化を誇りにして、何が悪い？と思う。まぁ、日本語を声に出して読もうというような本を、わざわざお金を払って買うようなバカ日本人を擁護する気はサラサラないが。<br><br>そんなことを言うと、香山なら、私みたいな人間を「切り離し」とかって、精神分析用語でレッテル貼っていきそう。（笑）でも、私は自分を大事にするし、日本の文化も（天皇とかそういうのと「切り離し」て、着物とか「和」の文化）好きだし、肯定する。それを「ぷちナショナリスト」って言われたんじゃ～たまらない、と私は思う。<br>本当は・・・香山は批判するな（しなくていい）わけで、こんなこと書かなきゃいいんだろうけど、これは私の匿名のサイトであり、自分の影の部分を素直に吐き出させてもらう場所だから、こんなこと書いている私・・・。ブログは基本的にオープンサイトだから、「公」への発信と捉えるべきなんだろうけど・・・、「個」の感情日記として使ってしまっている。あんまりよくないよなぁ、と自ら反省。笑
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<pubDate>Fri, 17 May 2013 10:06:36 +0900</pubDate>
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