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<title>hayabusa8823-0121さんのﾌﾞﾛｸﾞ</title>
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<title>旅立ちの日にて</title>
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<![CDATA[ hayabusaの娘です。<br><br>2015年7月4日<br>脳出血にて父は息を引き取りました。<br><br>四季の移り変わりを大切にし、なるようになるさが口癖な頼もしい父でした。<br><br><br>旅立ちにあたり、佐藤佐太郎さん、長塚節さん、<br>そして、、、<br>山崎方代さんの手作りバイブルをと一緒に水曜日に旅立ちます。<br><br>長年の日記に徐々に来訪者やコメントが増えることは父の生きがいの一つでした。<br>父に代わり皆様へ感謝と今後のご活躍を祈り、代理で書かせていただきます。<br>皆様ありがとうございました。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150706/00/hayabusa8823-0121/ba/3b/j/o0800106713357675407.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150706/00/hayabusa8823-0121/ba/3b/j/t02200293_0800106713357675407.jpg" alt="20150706001742.jpg" width="220" height="293"></a>
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<pubDate>Mon, 06 Jul 2015 00:24:00 +0900</pubDate>
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<title>方代さん 泥の会</title>
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<![CDATA[ 仕末のつかぬ俺の行業にてこずって身をけずる姉が浅間町にあり<br>山崎方代<br><br><br>もう姉も遠い三途の河あたり小さな寺のおみくじを引く<br><br><br>このころであろうか、方代さんは方代さんは横浜詩人会に参加しています。<br>みんなが背広姿の中、一人だけワイシャツで端の方に写っています。<br>方代さんは姉の関歯科に住んでいましたが、｢波止場がらす｣と自称しているようにルンペンのような生活をしていました。<br>しかし、文学への情熱は熱く、岡部桂一郎達と行動を共にし、また、文人達が集まる横浜の｢ホースネック｣に出入りしていました。<br>どんな生活をしていたんだろうか、わかりません。<br>荷揚げ人夫達が集まり焚火で暖をとる中に、方代さんもいました。<br>ある人は馬車道で、ダンボールをかぶり共に寝たと語りました。<br>この馬車道は赤木圭一郎の映画にはよく出てきます。<br>絵になる場所です。<br>このころ、ホースネックに集まる人達は、俳人の古澤太穂、秋元不死男。<br>詩人の扇谷義男、尾上篤次郎､歌人の飯岡幸吉、作曲家の高木東六などがいました。<br>みんな後に方代さんと関わってくるのです。
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<pubDate>Sat, 04 Jul 2015 03:28:31 +0900</pubDate>
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<title>近況</title>
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<![CDATA[ 私は春から司馬遼太郎の｢龍馬が行く｣と｢坂の上の雲｣を読んでいます。<br>私は読解力がないので何ヶ月もかかります。<br>以前にも読んでいたのですが、これで何回目だろうか。<br>文庫本で全八冊あります。<br>｢龍馬が行く｣は幕末から明治維新の話です。<br>｢坂の上の雲｣は明治維新以後の日清戦争、日露戦争の話です。<br>話が複雑すぎて私には、理解できません。<br>坂本龍馬は明治維新よりも世界を舞台に貿易を考えていました。<br>私が痛快に思ったのは高杉晋作の活躍です。<br>私は明治維新は榊原謙吉が好きです。<br>最後の兜割りを御前試合で見せました。<br>おそらく、彼がいなければ武士道は残らなかったと思います。<br>西洋文化が取り入れられる時代、日本の伝統は否定されました。<br>その時代に謙吉は武士道を守りました。<br>生活は貧窮して奥さんは腰巻だけになり、襖の影から応対しました。<br>謙吉は見せ物の試合をし続けました。<br>あの明治という時代、武士は真剣に生きて、農家の次男坊、三男坊が戦場にゆきました。<br>日本の戦争はこの人達が主役でした。<br>歴史に名を残さなかった人達、あなた達が日本をつくったのですよ。
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<pubDate>Thu, 02 Jul 2015 19:56:06 +0900</pubDate>
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<title>方代さんと金子一秋 その三</title>
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<![CDATA[ 復員した方代さんは山下に報告にゆくと｢山崎君、苦労したんだね｣と泣いてくれました。<br>父を逝くした方代さんは時間があると山下を父のように慕い訪ねては庭の草抜きをしました。<br>時には姪を連れていったこともあります。<br>山下の訪問者の記録には方代さんの名が記されています。<br>それほど慕っていた山下ですが、なぜ、退会したのだろう。<br><br><br>方代はいつも人恋しく、人が好きで女が好きだった。<br>金子一秋<br><br><br>方代さんは若い一路の仲間が大好きでした。<br>岡部達に見捨てられることは世の中から見捨てられることに等しかった。<br>後ろ髪を引かれつつ共に退会しました。<br>この仲間は｢工人｣｢黄｣を発行するのですが、個性が強いのでみんな独立してゆくのです。<br>結婚して、一家を持ち、社会に認められてゆきますが、方代さんだけはそうはゆきませんでした。<br><br><br>彼は議論が苦手で、しかも方代の奇行は計算づくのとこがあった。<br>金子一秋<br><br><br>このころ方代さんは歌集｢方代｣を出します。<br>金は姉が出してくれました。<br>視力のない方代さんの歌集は岡部が選歌をして、編集しました。<br>そして、岡部の第一歌集｢緑の墓｣と体裁が一緒でした。<br>｢あとがきだけは君が書くんだぞ｣といいました。
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<pubDate>Thu, 02 Jul 2015 09:24:47 +0900</pubDate>
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<title>方代さんと金子一秋 その二</title>
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<![CDATA[ 宮柊二、吉野秀雄、佐藤佐太郎が飲んだ時、佐太郎が｢茂吉が一番だ｣と言うんだ。すると｢何を言うんだ、やっぱり白秋だ｣と宮柊二が言い返す。折り重なるように倒れてしまった二人の上に吉野秀雄がでんと腰をかけて｢会津八一が一番だ｣と言う。<br>加藤克巳<br><br><br>あのころの歌人達は熱かった。<br>岡部桂一郎達が集まり批評会を開くと殴り合いの喧嘩になりました。<br>｢最初からこれでは困る、会が終わるまで酒を飲むな｣と岡部は怒鳴りました。<br>方代さんは岡部と行動を共にしていました。<br>しかし、喧嘩になると方代さんはテーブルを部屋の片隅に片付けて｢怖い、怖い｣と酒を飲んでいました。<br>すると高校教師をしている竹花忍が側にきて、喧嘩をしている仲間を見ながら方代さんと酒を飲みました。<br>ほんの少しの意見の違いから取っ組み合いの喧嘩になるのです。<br>それは場所を選びませんでした。<br>そのころの方代さんは山下陸奥の｢一路｣に投稿していましたが、｢一路｣の若手が山下の宗匠主義に反感を抱いて、退会するのです。<br>山形義雄、岡部桂一郎、長倉智恵雄などが退会しました。<br>方代さんは山下を嫌いではありませんでした。
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<pubDate>Thu, 02 Jul 2015 08:55:30 +0900</pubDate>
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<title>方代さんと金子一秋</title>
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<![CDATA[ 泥の会が発足した前後の若き歌人達は、個性豊かな歌人達は大戦のあとの溢れるようなエネルギーに満ちていて、時には取っ組み合いの喧嘩をするほど燃えていた。<br>金子一秋(いっしゅう)<br><br><br>金子は北原白秋が亡くなる時、まだ旧制中学の学生でした。<br>宮柊二は白秋に師事していて、葬儀には仙台から参列しました。<br>金子より２歳年上でした。<br>お互いにまだ顔を合わせていませんでした。<br>金子は白秋の後継者になろうと、｢一秋｣と歌人名を名乗りました。<br>白秋の弟子の筏井嘉一の｢定型律｣で短歌を始めました。<br>筏井の紹介で宮を訪ねました。<br>宮は年の近い金子に｢友達になろう｣と話しました。<br>宮は日本製鉄に勤めていて、金子は日新商事に勤めていて横浜にすんでいました。<br>金子は仕事がおわると毎晩、宮を訪ねて語り合いました。<br>宮が｢コスモス｣を創刊すると参加しました。<br>金子はどこか、一本気のところがあり、歌壇というものを好みませんでした。<br>まだまだ、方代さんとの出会いはありません。<br>しかし、方代さんと金子は同じ町内に住んでいたのです。<br>それが金子の不幸でした。
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<pubDate>Thu, 02 Jul 2015 08:19:43 +0900</pubDate>
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<title>美味しいものを食べたい</title>
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<![CDATA[ 昨夜は稲敷市のラーメン店にゆきました。<br>近くにはラーメン店がが４店ある激戦区です。<br>私は他の４店には入りましたが、勧められるのは｢雅｣くらいでしょうか。<br>ここの公魚定食、刺身定食はお勧めものです。<br>ラーメンはどさん子系です。<br>他の店は、回りましたがそれほどのことはありませんでした。<br>今回ゆきましたのは宝龍分店です。<br>友人は醤油ラーメンと野菜炒め、私は味噌ラーメンを頼みました。<br>友人は美味しい、美味しいと食べていました。<br>店名をあげてしまいましたので批判はできません。<br>店内は清掃が行き届き、飾りもあっさりしていて居心地が良かったです。<br>胡椒やラー油も特別な容器でした。<br>ここに岩塩が加われば最高です。<br>私の頼んだ味噌ラーメンは、予想に反しました。<br>細麺に野菜炒めをのせたものでした。<br>ピーマン、白菜、人参、モヤシ、ニラ、コーンがのっていました。<br>私はラー油をかけました。<br>なんだか、味噌ラーメンとは違うなと思いました。<br>私の理想とする味噌ラーメンは太麺で、モヤシ、ニラの炒めに紅ショウガが理想です。<br>創作ラーメンと思えば、なんでもないか、いや思えない。<br>スープは味噌味が薄く、粉ぽっかたです。
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<link>https://ameblo.jp/hayabusa8823-0121/entry-12044836974.html</link>
<pubDate>Tue, 30 Jun 2015 09:59:51 +0900</pubDate>
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<title>方代さん あれこれ</title>
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<![CDATA[ 歌墨展の少し前のことでしたが､不思議な案内状が方代さんの友人に舞い込みました。<br>｢かまくら方代会｣の案内状です。<br>そういう会があったか、どうかはわかりません。<br>差出人は方代さんですが、書いたのは泥の会の会長・金子一秋です。<br>案内状には、必ず夫婦で参加されたし、会費なしと書かれていました。<br>泥の会は金子の呼びかけで始まりました。<br>金子は横浜市の生まれで、日新商事に勤めていました。<br>当時、朝鮮戦争の最中で、日新商事は燃料の補給仕事を担当していて職場は戦場のようでした。<br>方代さんは横浜の姉の家に居候をしていたが、あまりたちよらず｢波止場ガラス｣を自称していて、浮浪者のような生活をしていました。<br>金子のいる事務所に顔をだし、椅子に座り働く人をみているのです。<br>昼にはちゃっかり仕事仲間に配られる弁当を食べていました。<br>たまりかねた金子がどなると、顔を出さなくなりました。<br>金子は若い時から短歌を作っていました。<br>既成の歌壇にはあわず、新しい道を探っていました。<br>北原白秋門の宮柊二が新人として名をあげてきました。<br>金子の近くの社宅に宮は住んでいました。<br>訪ねてゆくと、話があい宮から｢友達になろう｣と誘われました。
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<pubDate>Tue, 30 Jun 2015 08:08:06 +0900</pubDate>
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<title>山崎方代自画像歌墨展</title>
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<![CDATA[ 鎌倉手広に住んでいた私は、近所に変わった人があるというので、写真に撮ろうかと思うようになりました。方代さんのスタイルといえば、麦わら帽子をかぶって、ランニングシャツを着て、下はトレーナーをはいて歩き回っている。それが、方代さんの生活スタイルだったのです。毎日、だいだいこういうスタイルでいる。<br>湯川晃敏<br><br><br>春から秋にかけて方代さんを追いかけて撮った写真は評判がよく、かまくら春秋社の｢かまくら春秋｣に連載していた方代酔想録に使われました。<br>｢もっとみたい｣という仲間の声で、湯川の撮した写真と方代さんの色紙掛け軸の展示即売会をすることにきまりました。<br>昭和５３年９月１２日から一週間です。<br>鎌倉駅前の書店の二階にある鎌倉松林堂ギャラリーです。<br>店主も鎌倉飯店の一員で、方代さんのファンでした。<br>方代さんはすごく乗り気で、歌墨展のポスターもつくりました。<br>方代 酒 酒 酒 泪と展示会のテーマも決まりました。<br>このポスターは市内に貼られて、朝日新聞の神奈川版に掲載されました。<br>色紙や短冊は人気があり、完売されました。<br>掛け軸もけっこう高めに設定されていましたが、予約は好調でした。
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<link>https://ameblo.jp/hayabusa8823-0121/entry-12044796800.html</link>
<pubDate>Tue, 30 Jun 2015 07:36:02 +0900</pubDate>
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<title>美味しいものを食べたい</title>
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<![CDATA[ 久しぶりにラーメンを食べました。<br>仙台味噌ラーメンのネギ味噌ラーメンです。<br>いつもなら、食べきれるのですが、昨日は残しました。<br>味噌あじは濃く、いつもスープは飲みません。<br>ネギは大盛りではなく、山盛りなのです。<br>ラー油が絡めてあり、ネギの下にはモヤシがしいてあります。<br>挽き肉とメンマが入っています。<br>私はネギをかき回して食べるのが好きです｡<br>ネギの辛さと味噌の濃さがマッチしています。<br>麺はストレートの細麺です。<br>この店では麺は一種類です。<br>食べている時は幸せでした。<br>しかし、ふっと塩分を気にしだすと箸が止まりました。<br>ここには大盛り野菜味噌ラーメンがあります。<br>野菜だけでお腹が一杯になります。<br>今はたくさんの種類のラーメンがあり、目移りしてしまいますが、私は味噌ラーメンオンリーです。<br>家では鶏ガラでダシをとり、醤油ラーメンを作ります。<br>なぜなら、ポン太君がこの鶏ガラを待っているのです。<br>私も茹でた鶏ガラに醤油と胡椒をかけて、ついている肉を食べるのが好きです。<br>私には時間がたくさんあるので、いろいろな食べ方をします。<br>毎日、ラーメンでも飽きることありません。
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<pubDate>Mon, 29 Jun 2015 03:47:19 +0900</pubDate>
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