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<title>透花のブログ</title>
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<description>癒しと覚醒、気づき、悟り</description>
<language>ja</language>
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<title>古い思考習慣を解体すること</title>
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<![CDATA[ <p>悟りという理解を矛盾なく実践し、定着、恒常化するためには、それまでの二元的で習慣的な思考をしっかりと解体する必要がある。</p><p>&nbsp;</p><p>習慣的な古い思考は、自らを二元性の迷路に迷い込ませ、本質を忘れさせる。</p><p>&nbsp;</p><p>たかが思考となめてかかってはいけない。</p><p>&nbsp;</p><p>思考を放っておくと、いつの間にか絡めとられることになるだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>一瞥体験を何度繰り返すことができたとしても、いつの間にかそれは過ぎ去り、習慣的な反応が戻って苦しみが戻ってくる。</p><p>&nbsp;</p><p>わかった！と思った直後に矛盾した行為や思考をして、それに気づきもしないということが起こる。</p><p>&nbsp;</p><p>気づきの体験の最中に起きた洞察を習慣的な思考が利用して行為を正当化することも。</p><p>&nbsp;</p><p>思考がしっかり体験を通して理解を深め、古い思考が解体されない限り何度でも見失うことを繰り返す。</p><p>&nbsp;</p><p>思考の迷路を気づきの高みから眺め、思考によって十分に解体され、完全な納得によって自ら気づきへと溶け去っていくまで注意を怠らないことである。</p>
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<pubDate>Thu, 31 Jan 2019 22:55:47 +0900</pubDate>
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<title>気づきに在る</title>
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<![CDATA[ <p>気づきとは、ただ気づいていること</p><p>&nbsp;</p><p>その気づきが私だと思って、そこに佇み、くつろいでみる</p><p>&nbsp;</p><p>何も信じる必要はない</p><p>&nbsp;</p><p>ただそこに在ることを試してみる</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/healisenlight/entry-12418941339.html</link>
<pubDate>Wed, 14 Nov 2018 22:40:18 +0900</pubDate>
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<title>自己肯定感</title>
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<![CDATA[ <p>自己肯定とは自分が素晴らしいということを認めることを指しているのではない。</p><p>&nbsp;</p><p>自分が好きとか嫌いとか、関係ないのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>自分と一致している時こそ、自己肯定がおきているのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>それは自信とも言う。</p><p>&nbsp;</p><p>感じていることを、そのまま、そうだと受け入れている状態のことだ。</p><p>&nbsp;</p><p>等身大とも表現される。</p><p>&nbsp;</p><p>屈託無く、それが私だって気楽に思え、表現できる。</p><p>&nbsp;</p><p>そこにはわかってもらいたいとか、他に対する主張や押し付けは全くない。</p><p>&nbsp;</p><p>その時の感覚は平安で気楽でスッキリし、リラックスしている。</p><p>&nbsp;</p><p>これが自己肯定感だ。</p>
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<pubDate>Tue, 13 Nov 2018 23:12:10 +0900</pubDate>
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<title>社会の構造</title>
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<![CDATA[ <p>社会の目指しているものを考えた時に、社会は基本的に嘘で成り立っているものだと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>どういうことかと言えば、社会のルール、法律、倫理や道徳を見てみると、平和や</p><p>人を傷つけないこと、安心、安全、便利さを目指している。</p><p>&nbsp;</p><p>それは裏を返せば、痛みや怖れを避け、苦しみを感じないで済むことを目指しているといえる。</p><p>&nbsp;</p><p>つまりそれは、分離の社会だ。</p><p>&nbsp;</p><p>善と悪のレッテルを貼り、悪を排除して、善だけにしようとしている。</p><p>&nbsp;</p><p>悪とは、不快感を与えるものに通常与えられるだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>善悪の価値判断による分離は、結局苦しみを生み、再び苦しみを排除しようとするというきりのないゲームになっている。</p><p>&nbsp;</p><p>それで真の平和がやってくるはずもないだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>街を歩いていると、やさしい世の中を創ろうとして生み出されたルールや考えによって、本来なら自発的な親切をできるはずのチャンスが減っていると思う。</p><p>&nbsp;</p><p>代わりにそのくらい当たり前という考えから、従わない人をけしからん人として扱う人たちをよく見かける。</p><p>&nbsp;</p><p>例えば、電車のシルバーシートでもめるのを見たことがある方も多いだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>痛みや怖れを避けるという本質が社会にある限り、平和はやってこないだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>痛みに向き合うことを通して初めて、やさしさや思いやりを、愛を知ることができるのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>今の社会は正直さを出したり求めると、バッシングにあうだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>それこそが今の社会でのルール違反なのだ！</p><p>&nbsp;</p><p>自分に嘘がつけない人が生きづらいのは、嘘が社会の基本構造だからなのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>それが理解できれば、今の社会を批判する必要がない。</p><p>&nbsp;</p><p>なぜならそういうものだから。</p><p>&nbsp;</p><p>だから、社会に求めるのではなく自分自身が正直さやオープンさを選び、そこから繋がっていく縁を求めることだ。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/healisenlight/entry-12418541611.html</link>
<pubDate>Mon, 12 Nov 2018 22:54:28 +0900</pubDate>
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<title>気づいている</title>
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<![CDATA[ <p>私たちは、見ているのではない。</p><p>&nbsp;</p><p>聞いているのでもなく、感じているのでもない。</p><p>&nbsp;</p><p>気づいているだけだ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/healisenlight/entry-12418236512.html</link>
<pubDate>Sun, 11 Nov 2018 23:02:41 +0900</pubDate>
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<title>犠牲者意識と責任</title>
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<![CDATA[ <p>自分が感じていることや、経験したことを他人や出来事、運命や時代のせいにする考えを犠牲者意識という。</p><p>&nbsp;</p><p>それは、感じている辛さや不安、苦しみから逃げる思考であり、人生に責任を取らない態度である。</p><p>&nbsp;</p><p>それは、自分の力を自ら明け渡し、無力感と惨めさに苛まれる。</p><p>&nbsp;</p><p>責任をとることは、ありのままを受け入れることだ。</p><p>&nbsp;</p><p>誰のせいでもなく、もちろん自分のせいでもない。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、そうだったということを認め、そして、今この現状でどうしたいのか、どうすればそうなるのかを考えベストを尽くすことだ。</p><p>&nbsp;</p><p>そして何よりも、感じていることを誤魔化したり正当化せずに、ありのままを感じ尽くすことだ。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/healisenlight/entry-12414895597.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Oct 2018 22:30:02 +0900</pubDate>
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<title>気づき</title>
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<![CDATA[ <p>気づきとは、気づいていることそのもの、</p><p>&nbsp;</p><p>気づいているという質、状態</p><p>&nbsp;</p><p>体験しているという時、必ず存在しているあり様である。</p><p>&nbsp;</p><p>今まで経験したと思っている全てにおいて、唯一不変の、人生をずっと目撃し続けている存在である。</p><p>&nbsp;</p><p>存在といってもどこかに誰かがいるわけではない。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ気づいているという事実のみである。</p><p>&nbsp;</p><p>気づきには気づくこと以外の属性はない。</p><p>&nbsp;</p><p>気づきが考えたり、選んだりすることは決してない。</p><p>&nbsp;</p><p>もしそう思えたなら、理解の精密さに欠けている。</p><p>&nbsp;</p><p>精密に気づきに在ることの直接体験を通して理解を深める必要がある。</p><p>&nbsp;</p><p>信じる必要はない。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ体験し、確かめるのみである。</p>
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<link>https://ameblo.jp/healisenlight/entry-12414144195.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Oct 2018 23:03:54 +0900</pubDate>
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<title>信頼と期待</title>
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<![CDATA[ <p>信頼していたのに裏切られた！という表現を時々耳にする。</p><p>&nbsp;</p><p>これは信頼していたのではなく、期待していたのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>こうあって欲しいという期待が裏切られたのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>期待とは一方的で勝手な思いなので、しばしば裏切られるものだ。</p><p>&nbsp;</p><p>では信頼とは何だろう？</p><p>&nbsp;</p><p>信頼とは、なにが起きても受け入れるという態度である。</p><p>&nbsp;</p><p>例えば誰かに対して信頼するということは、その人がどのような態度を自分にしても、この先自分から離れていっても、受け入れるという在りかた、つまりはサレンダーだ。</p><p>&nbsp;</p><p>それは、運命に対するオープンさだ。</p><p>&nbsp;</p><p>期待は依存的であり、みじめさや不安を伴いやすい。</p><p>&nbsp;</p><p>対して信頼は無防備であり、愛として存在している。</p>
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<link>https://ameblo.jp/healisenlight/entry-12413741676.html</link>
<pubDate>Mon, 22 Oct 2018 22:47:43 +0900</pubDate>
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<title>何を癒すのか</title>
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<![CDATA[ <p>ヒーリング、つまり癒すこととは何なのか？</p><p>&nbsp;</p><p>それは価値判断を手放すことであり、それが全てだと言える。</p><p>&nbsp;</p><p>苦しみは価値判断つまり分離によって引き起こされる葛藤である。</p><p>&nbsp;</p><p>心の傷とは、感情を止めること、つまりそれを嫌っている。</p><p>&nbsp;</p><p>本当に傷が付くのではなく、自身によって止めているのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>嫌うというのはつまり価値判断だ。</p><p>&nbsp;</p><p>もし嫌わなければ止めるだろうか？</p><p>&nbsp;</p><p>そのまま感じ続けることになるだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>すると、それは自然に流れ過ぎ去り、体験が起きただけである。</p><p>&nbsp;</p><p>感じることを邪魔するのは価値判断なのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>価値判断がなければ傷つかず、苦しまず、葛藤しない。</p><p>&nbsp;</p><p>あるがままをただ体験するのみである。</p><p>&nbsp;</p><p>そこには今この瞬間という、愛と美の体験があるのみである。</p><p>&nbsp;</p><p>価値判断の習慣を止めよう。</p><p>&nbsp;</p><p>それに気づいたら、ただストップと言って感じていることを感じよう。</p><p>&nbsp;</p><p>いい悪いはもちろん、好き嫌い、そして、体験に付けられた名前、全て脇に置いて、名前のないそれを体験する。</p><p>&nbsp;</p><p>念のために言っておくが、価値判断したことを価値判断しないようにしよう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/healisenlight/entry-12413007874.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Oct 2018 23:02:34 +0900</pubDate>
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<title>価値判断(名前)からの自由</title>
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<![CDATA[ <p>価値判断とは名前を付けることだ。</p><p>&nbsp;</p><p>それは分離し、相対的に見ている。</p><p>&nbsp;</p><p>良いとか悪いというのはもちろん、名前そのものも過去を参照し、比較している。</p><p>&nbsp;</p><p>今この瞬間の体験には一切の名前はないのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>そこにはひとつな体験だけがあり、行為者も目撃者も対象もない。</p><p>&nbsp;</p><p>価値判断とは思考であり、相対的に見ること、つまり二元性である。</p><p>&nbsp;</p><p>世界とは二元性によって維持されており、名前によって現れて見える。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、それを長らく信じていることで、真理が見えなくなる。</p><p>&nbsp;</p><p>体験そのものには名前が最初からあるわけではないにも関わらず、かなりの人は名前がまるで体験そのものかのように捉えている。</p><p>&nbsp;</p><p>名前だけならまだ平和なのだが、さらに好き嫌い、良い悪いと言った装飾までつくことで執着や苦しみが増している。</p><p>&nbsp;</p><p>名前を信じる状態は過去を常に参照し、イメージを重ねている。</p><p>&nbsp;</p><p>つまり、過去を生きている。</p><p>&nbsp;</p><p>今を生きるためには名前(価値判断)から解放される必要がある。</p><p>&nbsp;</p><p>何も知らないと思って生きることだ。</p><p>&nbsp;</p><p>実際、今この瞬間の最新の体験について私たちは何も知らない。</p><p>&nbsp;</p><p>そこには広大な自由がある。</p>
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<link>https://ameblo.jp/healisenlight/entry-12410098981.html</link>
<pubDate>Sat, 06 Oct 2018 23:00:59 +0900</pubDate>
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