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<title>hellboyのブログ</title>
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<title>慰安婦と僕のトラウマの話</title>
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<![CDATA[ 僕は小学校の時にNYに住んでいた。<br><br>最初はマンハッタンのイーストビレッジの5thストリートの大きな警察署の目の前に住んでいた。<br><br>父が治安の事を考え、警察署の前の物件を選んだらしい。<br><br>でもその時、NYは市長ジュリアーニの功績によりよりかなり治安が良い時代だった。<br><br>そのアパートは基本的にアメリカの物件は日本よりも大きい事が多いと思うけど<br><br>なんか極端に広い部屋と、すごい狭い部屋、あとそんなに広くないリビング、キッチン<br><br>母と父はその極端に広い部屋、僕と兄には極端に狭い部屋が割り当てられ、僕は兄と2段ベッドで寝ていた。2つの机とベッドでその狭い部屋は寝そべるようなスペースもなく、僕も兄もあんまり整理整頓が得意ではないので足の踏み場もないような状態だった。<br><br>しばらくしてブルックリンのウィリアムズバーグと呼ばれているブルックリンでも非常に安全な地域のグラハムという駅の近くでそんなに広くないけど一軒家で安い物件を父が見つけ、僕たち家族はブルックリンに引っ越した。<br><br>本当に小さい家だったけど、庭もあって、その庭には小さな小屋とかあって僕はすごく嬉しかった。<br><br><br>僕は中国人の葉っていう親友がいて、彼はブルックリンの中心部、Jay St.というところにすんでいた。<br><br>ブルックリンの中心部はあまり治安がよくない。<br><br>僕はたまに葉の家に遊びに行っていた。<br><br>Jay.stは結構栄えていて、大きぼな商店街がある。<br><br>葉の家はその商店街を抜けて、ちょっと歩いたところにあった。<br><br>僕は葉の家に遊びに行き、帰り道に商店街をうろうろしていた。<br><br>僕は時計が好きなんだけど、その商店街には時計屋さんが沢山あって、つい長居してしまった。<br><br>でもそんなに遅い時間じゃなかった。5時位だと思う。<br><br>その商店街は裏道に入った所とかにもお店があったので僕は結構裏道の方まで入って行ってしまった。<br><br>この事はすごく怖かったせいか、記憶がすごくとびとびなんだけど<br><br>僕は（多分）ラティーノの2人組の男に車種とか詳しくないからわからないけどバンみたいな車の中に連れ込まれてしまった。<br><br>どうやって連れ込まれたかっていう記憶がない。<br><br>僕はすごくひどい事をされた。<br>すごく痛かった。怖かった。大泣きした。<br>とにかく今起きている事が怖すぎて、その後の事とかまで想像する余裕がなかったけど<br>この後殺すぞみたいな事を言われて、さらに怖くなった。<br>ちなみにこの時大泣きしたせいかどうかはわからないけど<br>その後ちょっとしてから僕は顎を動かすたびにカッチって音がするようになった。<br>すごく屈辱的な事をされたし、暴力も振るわれた。<br><br>実際僕はその人達の顔をあまり覚えていない。<br>でも本当に辛くて、本当にやめてほしくて、本当に痛くて大泣きしてる僕を嬉しそうに見てる目がすごい怖くて、その表情というか、まあ顔とかはっきり覚えていないから表情って表現は適切じゃないかもしれないけど<br>なんだろう、その人達から感じた悪意のようなものは今でも忘れられない。<br><br>駅からだいぶ離れたところで僕は車からおろされた。<br><br>道もわかんなくて、でも人に道を聞くような余裕とかなくて、パニック的な感じだったので、とりあえず人の声が聞こえる所を求めながら歩いていたら駅に着いた。<br><br>家族や兄には言えないと思ったし、隠そうと思った。<br><br>でも、家に帰って家族に会った途端号泣してしまい結局説明するはめになり、父と母と警察に通報した。<br><br>でも僕は車のナンバーとかを見る余裕とかなかったし<br>逆に両親は警察の人に無事に帰してもらえて幸運ですよ、みたいな事を言われたらしく、父も母も憤慨していた。<br><br><br>僕はそれ以来、人が信用できなくなるとかではなく<br>とにかく自分が嫌いになってしまった。<br>自分に自信がもてなくなってしまった。<br><br>僕はこのトラウマから10年位解放されなかった。<br><br>今は大丈夫だけど、当時はもちろん毎日のように思い出すし<br>たまに鮮明に思い出してしまう時とか<br>過呼吸みたいな症状が出るようになってしまい<br>母親と病院へ行った。<br><br>薬を処方された。<br>本当に恥ずかしいのだけど<br>その薬を飲むと、おねしょをしてしまう事がよくあり、<br>一度など、夕方に冷蔵庫になにか食べるものないかな？って探しているときに気づいたら放尿していて母親にすごくびっくりされた。<br><br>それで退行催眠という治療をすすめられ<br>何度か試したのだけれど<br>全く効果がなかった。<br><br><br>慰安婦問題の事をテレビやネットで見ると<br>やはりその時の事を思い出してしまう。<br><br>慰安婦問題は韓国の言いがかりだという主張をする人が多い。<br><br>被害者女性の数をねつ造しているという人もいる。<br><br>僕は、確かにその被害者女性の人数とかの問題とかは詳しくは知らないけど<br>被害者女性が0だったわけではないと思う。<br><br>人の苦しみや悲しみ、受けた屈辱、それによって受けた心の傷<br><br>それは被害者の人数の「量」で判断できるものなのだろうか？<br><br>と僕は思う。<br><br>例えば自分、もしくは自分の大切な人がもしもひどい目にあったとき<br><br>その被害にあったのが自分だけだった場合と<br><br>同じ被害を受けた人がほかにも沢山いた場合で<br><br>その受けた傷やトラウマが軽減したり増幅したりするだろうか<br><br>もちろん裁かれる場合に、加害者が被害を負わせた人数で刑が重くなるのは当然だと思う。<br><br>被害者人数を水増ししてる、という事を理由にして<br>その犯罪行為自体をまるで言いがかりのように捉え、反省するどころか批判するような立ち位置の人は、もしも自分の大切な人が1人だけひどいめにあい、でもその加害者が実際犯した犯罪件数より多い犯罪件数に問われたから、自分の大切な人が受けた被害はなかった事にしましょう、って考えなのだろうか。<br>
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<link>https://ameblo.jp/hell--boy/entry-12179023225.html</link>
<pubDate>Sun, 10 Jul 2016 01:31:45 +0900</pubDate>
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<title>戦争があった　僕の曽祖母の事</title>
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<![CDATA[ 僕は子供の頃、日本に帰国したときに<br>家族で広島の原爆資料館へ行った。<br><br>展示されている資料は、僕にとって信じられないもので恐ろしすぎて直視できなかった。<br><br>僕は曽祖母になんでアメリカはあんなひどい事をしたの？僕は絶対に許せないというような事を伝えたら<br><br>曽祖母は「でもね、あの時日本は完全に我を見失っていて、原爆が落とされなかったら勝つ見込みのない戦争をいつまでも続けて、日本はベトナムのような悲惨な事になっていたと思う」というような事を僕に言った。<br><br>僕はそのとき理解できなくて、でもひどすぎる、みたいなことをずっと訴えていた記憶がある。<br><br>僕はそれから毎晩、寝る前に「世の中から戦争がなくなりますように」って神様に祈るようになった。<br><br>僕は子供だったし、神様ってたぶんすごく遠くにいるから、あともう一回祈れば、あともう一回祈ればひょっとしたらこのメッセージが届くかもしれない、とか思って<br>とにかく何度も何度も祈った。<br><br><br>僕の曽祖父は軍人で、曽祖母は第二次世界大戦中、当時日本の統治下だった満州の大使館地区に住んでいた。<br><br>曽祖母は津田塾大学出身で英語が得意だった為、枢軸国側の軍人の通訳ではないがアテンド的な事をよくやっていたらしい。<br><br>第二次世界大戦中の日本がとても貧しかった事はよく知っているが、満州の大使館地区はとても景気がよく、曽祖母は地域復興の為、毎日ピアノを買っていたらしい。<br><br>祖母によると、毎日午前中、ピアノの回収の業者が訪れ、昼過ぎに新しいピアノが届く。そしてそのピアノは次の日の午前中に回収される。それが日常だったらしい。<br><br>どんな生活なのか全く想像つかない(笑)<br><br>敗戦後、財産はすべて没収されたらしい。、<br>曽祖母はおしゃれな人で宝石を沢山持っていた。<br><br>でもその没収する政府の役人の方がご慈悲をかけてくださり、そのアクセサリーの中で一番大切なものをひとつだけ日本に持って帰ってもいいですよ、とおっしゃったらしい。<br><br>曽祖母は宝石も何もついてないただの細い金の指輪　結婚指輪を選んだ。<br><br>そして何度も何度もその役人の方にありがとうございます。と頭をさげて感謝したらしい。<br><br>もちろん僕はその現場を見てないけど、すごく目に浮かぶ。<br><br>子供のころ、親戚で集まったりすると、曽祖母に対して大叔父たちはもっと大きな宝石のついたアクセサリーはいっぱいあったのにお母さんは本当に馬鹿だと冗談めかして言うことがたまにあった。<br><br>でも、祖母や大叔母はそこで結婚指輪を選ぶお母さんが好きだとよく反論していた。<br><br>男と女の違いなのだろうか。<br><br>全財産を失い、帰国した曽祖母や<br>曽祖母の親戚たちは、父親が軍人だったため、就職してもすぐにGHQによる公職追放の対象となり働くことができず、長い間とても貧しい暮らしをおくったらしい。<br><br>曽祖母は豊かだった満州と、日本とのギャップ、そして戦争により夫を亡くし、母子家庭となってしまった方々の多さに非常にショックを受けたらしい。そして遠い親戚を頼って九州へと引っ越した。<br><br>貧困から人々を救うのは教育しかないと考えた曽祖母は、無償で英語塾をはじめ、子供たちに英語を教えるという事をはじめた。<br><br>ある日を境に生活がガラリと変わるってどんな心境だったのだろう。<br><br><br>これは母から聞いたエピソードだが<br>曽祖母は九州へ引っ越した際、ある農家の方に夕食をごちそうになったらしい。<br><br>ご飯は白米ではなく、麦飯だったらしい。<br>曽祖母は麦飯を見たことがなかった為、自分たちをもてなす為に、その農家の方が装飾の為に白米の一粒、一粒に線を描いて下さったと勘違いし、涙を流してその農家の方に芸術的センスとそのもてなしへの感謝の言葉を伝え、その招いて下さった方々を困惑させたらしい。<br><br>祖母は祖母で田んぼを芝生の庭園だと勘違いし<br>その農家の方にお庭がとても美しいみたいな事を伝え、さらにその方々を困惑させたらしい。<br><br>こういう話をきくと、僕のこの予想に関する具体的な話は聞いたことがないし、あくまで僕の予想だけど、曽祖母達はその地域の方々から反感を抱かれたのではないかな、って思ってしまう。<br><br><br>曽祖母は僕は16歳の時に他界した。<br><br>僕は、子供の頃、誕生日に曽祖母からプレゼントと一緒に手紙をもらった。今でも大事にしている。<br><br>そこには僕が生まれた日の事が書いてあった。<br><br>今手元にあるのでちょっと省略するけど、すごくかわいい曽祖母らしさがあるので原文を書きます。<br><br><br>ゆうちゃん、誕生日おめでとう。<br>今日はあなたが生まれた日の話をしましょう。<br>ひいおばあちゃまは電話であなたが生まれたと聞いて病院に駆けつけました。<br>ゆうちゃんはガラスケースに入っていました。<br>まあ、なんてかわいい男の子だろうと思いました。<br>でも、ごめんなさい、隣にまるで王子さまのようなかわいらしい男の子の赤ちゃんがいて<br>かわいいゆうちゃんを見つめていても<br>気づくと、どうしてもその王子様のようにかわいい男の子に目がいってしまうの。<br><br>そしてひいおばあちゃまは、本当にゆうちゃんには申し訳ないのだけれど<br>ゆうちゃんもかわいいけど、もし、この隣の王子様のようにかわいい男の子が私のひ孫だったら、それはどんなに素敵なんて事だろう、なんて事を思ってしまいました。<br><br>そしたら看護婦さんが来て、あら、間違えてるといってゆうちゃんとその王子様のようにかわいい男の子の名札をひょいってかえたの。<br><br>そう、その王子様はゆうちゃんだったのよ。<br><br>この後は省略します。<br><br>曽祖母は今の日本の現状をどう思うだろう。
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<link>https://ameblo.jp/hell--boy/entry-12179000106.html</link>
<pubDate>Sat, 09 Jul 2016 23:49:35 +0900</pubDate>
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<title>「自由の女神」そして「戦争」の事</title>
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<![CDATA[ 受験勉強の合間の気分転換になればとブログをはじめてみる事にした。<br><br><br>この前、Podcastを聞きながら勉強していたら、LOST BOYZの「GHETTO JIGGY」が流れた。<br>フックの「ニガ、どこから来た?」「ニューヨークシティー！」の掛け合いが有名なヒップホップ・クラシックだ。<br><br>僕はこの曲を聞くと、小学校のクラス行事でスタテンアイランドの動物園へ行った事を思い出す。<br><br>スタテン・アイランドへ向かうフェリーは、自由の女神の真裏を横切る。<br>僕達は甲板に出て自由の女神を見ていた。<br>その時、友達のレオが<br>「ニガ、どこから来た?」「ニューヨークシティー！」って歌いだしたのだ。<br>自由の女神に向かって「ニガ、どこから来た?」って叫んだのが面白くて僕達が真似すると<br>みんなも面白がって真似をした。<br>僕達は自由の女神に向かって「ニガ、どこから来た?」って叫びつづけた。<br><br>ワールドトレードセンターに飛行機が2機突っ込んで<br>戦争がはじまってすぐの頃だ。<br><br>僕は子供だったし、戦争がはじまった事が怖くて仕方なかった。<br><br>自由の女神に向かって「ニガ、どこから来た?」って叫びながら<br>僕は、祖母の弟が亡くなったという「戦争」の事を考えていた。<br><br>祖母の弟が所属していた海軍兵達は<br>爆撃で船が沈むまで、甲板で機関銃を発射していたらしい。<br><br>もしかしたら僕は、戦争に行かなくてはいけないかもしれない。<br>そしたら、僕は人を殺さなくてはいけない。<br><br>僕は自由の女神の後ろ姿を見ながら、<br>僕が何で人を殺さなくてはいけないのか考えていた。<br><br>あの頃、僕は怖くて仕方なかったけど<br>今だって怖くてしょうがない。<br><br>あと1年で、僕は20歳だ。<br>僕は20歳になった時に<br>アメリカ国籍か、日本国籍か<br>どちらか1つを選ばなくてはいけない。<br><br>受験も怖いけど、その事の方がもっと怖い。<br><br>どちらかを選んだせいで<br>僕は人を殺さなくてはいけなくなったり<br>殺されてしまったりするのかもしれない。<br><br><br>殺したり、殺されるんだったら<br>アメリカ人にも<br>日本人にも<br>日系アメリカ人にも<br>在日アメリカ人にも<br>僕はなりたくない。<br><br><a href="http://www.youtube.com/watch?v=J3G_yBR5dMQ" target="_blank">LOST BOYZ "GHETTO JIGGY"</a><br>MVにはワールドトレードセンターも出てくる
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<link>https://ameblo.jp/hell--boy/entry-11658720043.html</link>
<pubDate>Wed, 30 Oct 2013 06:00:17 +0900</pubDate>
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