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<title>ひでさんの秘宝館</title>
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<description>日々、自分の関心のある事項について、思いついたことを書いております。昔のホームページのタイトルを復活させてみました。</description>
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<title>映画｢バブルにGO!!｣(再録)</title>
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<![CDATA[ 今日深夜、テレビで映画「バブルへGO！！」が放送されていたので、三年前の2007年2月23日、この映画を映画館で観た直後に書いた日記を再録してみました。 <br><br>月日の経つのは早いものですねぇ。気がついたらこの文章を書いてから三年もの月日が流れておりました。 <br><br>映画内で広末涼子演じるヒロインは過去にタイムスリップしておりましたが、私は2007年から2010年の自分の誕生日まで、未来にタイムスリップしてしまったのでしょうか。 <br><br>それはともかく、日記を書いた当時と私的な環境は激変しておりますが、この映画を観て感じたものは今も変わっておりません。 <br><br>良かったら、また読んでみてください。 <br><br>*** <br><br>今日近所の映画館で、「バブルへＧＯ！！タイムマシンはドラム式」なる映画を見てきました。 <br>ストーリーは、バブル景気の絶頂と同時に崩壊が始まった1990年に、広末涼子演じるヒロインが2007年の現在から、現代の日本が抱える経済問題を解決するためにドラム式洗濯機型タイムマシンでタイムスリップすると言う内容です。 <br><br>彼女は1990年にタイムスリップした後、バブル景気の真っ只中の東京の街を彷徨い、ディスコや豪華客船上でのパーティなどを通して当時の風俗を観察します。 <br>17年の歳月の経過が、わずかなようでいながら、無視できない変化を社会にもたらしていることを感じ取ります。 <br>あるシーンでは、ファッション雑誌のスカウトマンが彼女を街頭でスカウトした際に編集部までの足代として当たり前のように万札を渡していたり、タクシー待ちの客は一万円札を何枚も振りながらタクシーを呼びとめていたりして、現在の金銭感覚では異常とも思えるような振る舞いが、当時では当たり前であるかのように描かれています。もちろん、映画のための誇張もあるでしょうが、当時にはそういう風潮が少なからずあったものと思われます。 <br><br>1990年という時代設定は、1945年あるいは1867年と言った年とは異なり、当時18歳の若者として生きていた自分にとって、まったく無関係な時代とは言えません。身近な経験で言うと、その時代の影響といえば、工業高校を卒業して就職する際、大手企業からの求人が今現在の水準では考えられないほど多く、よりどりみどりであったことでしょうか。映画の中に登場するような、ディスコや豪華客船上で連夜の如く浮かれ騒ぐような真似をした訳ではありませんが、知らないうちにその恩恵を受けていたのでしょう。 <br><br>で、バブル景気はなんであったのかという問題になります。 <br>思うに、無限の経済成長という幻想にリアリティがあり、お金の魔力に人々が酔い痴れていた時代であったと思うのです。 <br>ヒロインの広末涼子が、豪華客船上でのパーティで200万円もの大金を手に入れ、高揚した気分でシャンパンを飲み干し、酔い潰れてしまうシーンがあるのですが、まさしくこのシーンがバブル景気を象徴しているように思えてなりません。 <br><br>乱暴な言い方をすれば、バブル景気とは、すなわち酒酔い状態であります。 <br>酔いは日頃の憂さを忘れ、非日常に連れて行ってくれる面があるので、かならずしも悪いものとは言い切れませんが、度を過ぎると人間を中毒にし、潰してしまいます。 <br>そういった意味では、バブル崩壊は良かったことなのでしょう。お金の魔力から目を覚まし、人々がお金の他に本当に価値があるものとは何か考えされられるきっかけになったのに違いありません。 <br><br>映画のラストは、ヒロインと彼女をとりまく人達の活躍で、バブル景気の崩壊を食い止めたが故に、現在の経済問題も解決され、バブル期以上の発展を遂げていると言うオチになっていますが（なんとレインボーブリッジが三本も東京湾に掛かっている有様です）、これには少なからず疑問を感じました。 <br>むしろ、バブル景気は崩壊したが、景気とは無関係な、本当に価値があるものは何かと考えさせられるような、少々ビターな結末の方が良かったような気がします。いわば景気向上や衰退とは無関係な第三の道の模索です。 <br><br>長々と書きましたが、全般的には微妙な懐かしさを感じさせる90年代を描いた、いい映画だと思いました。暇があれば一度映画館に足を運んでみてはどうでしょうか。 <br><br>公式サイト <br>http://www.go-bubble.com/index.html
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<pubDate>Sun, 07 Nov 2010 01:34:16 +0900</pubDate>
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<title>くまのプーさん、街中デビュー</title>
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<![CDATA[ 今日、テレビのニュースを観ていると、北海道の街中にヒグマが出現し、親子二頭で道路を横断している写真が写されておりました。 <br><br>本州のツキノワグマのみならず、遥かにデカいヒグマまで遂に「街中デビュー」したことに軽いショックを覚えてしまいました。 <br><br>今年の猛暑の後、イノシシやニホンザル、ツキノワグマに、今回はヒグマと、ついにボスキャラ(？)とも呼ぶべき国内最大級の猛獣が出現したようです。 <br><br>アニマル界では、「街中デビュー」がブームなのでしょうか。 <br><br>北海道のヒグマは小学校の近くまで接近したようですが、本来クマはぬいぐるみなどで愛すべきキャラクターとして扱われているので、 <br><br>「わーい、くまのプーさんの本物、キターーーー！！」m9（＾Д＾）ﾌﾟｷﾞｬｰ <br><br>とか、 <br><br>「ハニーポットを用意しなきゃ」（ ﾟдﾟ）ﾎﾟｶｰﾝ <br><br>などと、小学生の間でほのぼのとした会話はなかったろうかと、妄想しております。 <br><br>残念ながら、現実には、日本各地の街中デビューしたクマはすべて射殺という、殺伐として身も蓋もない結末になっており、個人的にはかなり胸を痛めております。 <br><br>むしろ、クマを投げ飛ばしちゃったり、屈伏させ服従させたりした金太郎ばりの猛者が日本の何処かに出現したりしたら面白いのになぁ…。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20101019/01/hidesan1/69/a9/j/o0258029610809338557.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20101019/01/hidesan1/69/a9/j/t02200252_0258029610809338557.jpg" alt="$ひでさんの秘宝館" width="220" height="252" border="0"></a><br><br>※画像はイメージです。
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<pubDate>Tue, 19 Oct 2010 00:39:52 +0900</pubDate>
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<title>映画「ノルウェイの森」</title>
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<![CDATA[ 今日見てきたと言っても、予告編と脳内に残っていた原作小説のイメージだけです。 <br><br>本作の公開は今年末の12月11日からなので、話題が先行している感があります。 <br><br>原作の方は、私が高校生時代、出版と同時にベストセラーになって世間を賑わせ、恋愛ものと評される小説にそれまで全く縁のなかったのに、初めて読んでみようという気分にさせてくれました。 <br><br>純愛とそれに伴う「喪失感」を描いた作品という触れ込みなのですが、個人的な印象としては、村上春樹の淡々としていて、独り言めいた文体からは、何かを得て喪失した悲しみというよりも、切実に何かを得ようとしても、決して手に入れることが出来なかった時の、もどかしさが入り交じった悲しみのようなものを感じた記憶があります。 <br><br>なぜなら、主人公が作中で深く恋したヒロイン直子は、主人公の思いに応える前に自死によって永遠に去ってしまったのだから、喪失を手に入れたものを失うことと定義するのであれば、手に入れすらしていないのものを失ったというのは思い違いであって、喪失というのは当たらないと思ってしまいました。むしろ、疎外感とかと表現すべきではないのかと…。 <br><br>主人公はヒロインと肉体関係を結んでおきながら、心を通わせられなかったことに自責と痛切な後悔のような感情を抱いています。ならば、最初から相互の愛など無く、主人公は最初からヒロインの心の深くを掴んでなどいないのです。それを喪失したと表現するのは勘違いも甚だしいのでは…。 <br><br>このような屁理屈のような愚考はともかく、艶やかな赤と緑の表紙に金色の帯で美しく装丁された上下巻の初版本は、今でも実家の本棚を飾っています。<br> <br>この本自体の思い出としては、伯母が入院していた時に無聊を慰めるために貸したことがあって、しばらく自分の手元に無かった時期がありました。 <br><br>その後、伯母が闘病の末亡くなったので、両親が遺品を整理したのですが、遺品の中から見つけ出されて、また私のところに戻ってきました。 <br><br>その出来事の方が、私に喪失感を抱かせました。もう、この本を読んでいた、あるいは読もうとしていた伯母はもういないんだと…。 <br><br>個人的な思い出はともかく、映画の方も原作のイメージを忠実に映像化しようとした意欲作のようです。同名のビートルズの切ない楽曲に乗せて…。 <br><br>もともと、原作の登場人物が、客観的、写実的というよりも、主観的な印象で表現された作風なので、配役については、外見的なものよりも心理的な部分に重点がおかれるべきであり、出演者の風貌がイメージと異なっていても仕方が無いことなのですが、予告編の動画を見る限り、なかなかいい線を突いているのではないかと思った次第です。 <br><br>年末の冬、また観に行きたい映画が出来たようです。 <br><br><object width="480" height="295"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/9ZQH5-YW7Wg?fs=1&amp;hl=ja_JP"><param name="allowFullScreen" value="true"><param name="allowscriptaccess" value="always"><embed src="https://www.youtube.com/v/9ZQH5-YW7Wg?fs=1&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="480" height="295" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></object>
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<pubDate>Sat, 16 Oct 2010 23:32:17 +0900</pubDate>
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<title>映画「ウォール街」</title>
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<![CDATA[ 今日、1987年公開の映画、「ウォール街」を観ました。 <br><br>マイケル・ダグラス演じる悪徳投資家、ゴードン・ゲッコーとチャーリー・シーン演じる若き証券マン、バド・フォックスの間で繰り広げられる、企業買収をテーマにした人間ドラマです。 <br><br>ゴードン・ゲッコーは金の亡者のような強欲さでギラギラとしたキャラクターなのですが、アクの強さもさることながら、不思議と魅力のある人物に感じられました。 <br><br>常に即断即決、頭の回転が恐ろしく速く、目的のためなら手段も選ばぬ冷酷さと実行力を兼ね備えた人物です。生き馬の目を抜くような…。 <br><br>自らに最も欠けている資質をすべて備えているが故に、魅力的に見えるのでしょうか。<br><br>彼は作中で「強欲は善だ」(greed is good)と言い放ちます。 <br><br>来年1月、遂に日本で本作の続編「ウォール・ストリート」が公開されることになりました。 <br><br>本作のラストでインサイダー取引容疑で逮捕されたゴードンが20年もの服役の末、出所する所から、この続編が始まるのですが、「俺はかつて強欲は善だと言った。しかしながら、今や誰もが強欲だ」とつぶやきます。 <br><br>かつて、世界中のマネーが集まるウォール街で鳴らしたゴードン・ゲッコーも、刑務所に収監されて20年以上もの時が流れる間に取り残されて、過去の人物になったのでしょうか。 <br><br>2010年の現在は、彼の個人的なパワーを遥かに凌駕する、サブプライムローンに代表されるような「大量破壊兵器」があふれる時代になっております。 <br><br>街中、強欲があふれる中、かつてのゴードン・ゲッコーがどの様な活躍(?)を見せてくれるのか、今から興味津々です。 <br><br>余談になりますが、この87年公開の「ウォール街」の中では、証券会社のオフィスにブラウン管のうすらデカい電子端末が大量に並べられているのですが、グリーンの文字で、MSFT 24 1/2 という具合に、ティッカーシンボル(日本では証券コードに相当するもの)と株価が表示されているだけなのに、最先端のハイテク機器を扱っているような映像表現になっている事にかなり時代を感じてしまいました。チャートすら表示されておらず、時折、数本の棒グラフを表示させているのを見て、思わず噴いてしまいました。これが時代の流れなんだと…。 <br><br>新作の方でも、ゴードン・ゲッコーが刑務所から出所する時、当時の所持品が返却されるのですが、その中に巨大な携帯電話が出てくるシーンがあり、時間の経過を表現しています。 <br><br><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/3RWFwMUAT2A?fs=1&amp;hl=ja_JP"><param name="allowFullScreen" value="true"><param name="allowscriptaccess" value="always"><embed src="https://www.youtube.com/v/3RWFwMUAT2A?fs=1&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="425" height="344" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></object><br><br><a href="http://movies.foxjapan.com/wallstreet/" target="_blank"></a>
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<pubDate>Wed, 13 Oct 2010 23:37:16 +0900</pubDate>
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<title>クランベリーズのドリームズ</title>
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<![CDATA[ <object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/Yam5uK6e-bQ?fs=1&amp;hl=ja_JP"><param name="allowFullScreen" value="true"><param name="allowscriptaccess" value="always"><embed src="https://www.youtube.com/v/Yam5uK6e-bQ?fs=1&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="425" height="344" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></object><br><br>クランベリーズのヴォーカル、ドロレス・オリオーダンの儚げで、透明感のある歌声に聞き入っている内に、愛すべき人の心が得られなかったことや、夢が潰えたが故の挫折の苦しみなど、浮世の苦悩がいつしか薄らいでいく。 <br><br>浮世には苦しみのタネが尽きぬほど数多くあれど、彼女の歌声で心洗われ、その内の幾許かは昇華されて、苦い思い出の過去が肯定すべき人生の一部に変わっていく。 <br><br>愛すべき過去という自らの血肉となって…。 <br><br>ドロレス・オリオーダンは切々と恋の唄「ドリームズ」を歌い上げる、「ああ、私の人生は毎日変わり続けている。色々な道が開けている」と。<br><br>心ある聴衆は気づくに違いない、己の人生も毎日変わり続けているのだと。 <br><br>願わくば、日々変わる人生が、何度生まれ変わってもまったく同じように辿ることを望むほど、肯定すべきものであることに…。 <br><br>自分がかつて好きだった女性に数十年たった今、再びまた同じ感情を抱いたことも、どの様な結果になりこそすれ、そうなって欲しいものだ。
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<pubDate>Wed, 13 Oct 2010 01:33:07 +0900</pubDate>
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<title>為替介入と含み損600億円</title>
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<![CDATA[ 本日、米ドルのレートが82円を割り込み、81円後半まで円高が進行しました。<br><br>日銀の為替介入やゼロ金利政策などの金融緩和策もなんの効果もなく、遂に95年の高値79円にまで迫ってきました。 <br><br>相場は非情であります。 <br><br>国内の輸出関連産業が断末魔の悲鳴を上げようが、ドルを大量に保有する投資家が絶望しようが、徹底的にドルが売られ、円が買い進められています。 <br><br>一貫性がなく、耳障りだけ良い非現実的な事ばかり言い続けてきた現政権の真価が試されています。<br><br>また焼け石に水のような為替介入を続けるつもりなのでしょうか。 <br><br>前回の為替介入では2兆円もの資金が投入されたと聞きます。 <br><br>為替介入を始めた時の米ドルのレートが83円前後で、85円80銭前後まで円安になるように円を売り進めましたから、米ドルの平均取得単価をその中間値84円40銭と仮定した場合、2兆円÷84円40銭と計算すると、237億ドルもの米ドルを取得したことになります。 <br><br>現在のレートは81円80銭前後ですから、為替介入で取得した237億ドルを円換算すると、1兆9400億円程度になります。2兆円が1兆9400億円に目減りした訳です。 <br><br>つまり、600億円もの大金がなんの効果なかった為替介入で雲散霧消したことになります。 <br><br>政府はドルを塩漬けコッテリにするつもりなので、これはあくまで現時点での含み損であって実現損ではないから損失ではないという、口座の資金を何回も素寒貧にさせるど素人のような強弁をするのでしょうけれども。 <br><br>相場が無限に一方行に進行することはないから、どこかで円安方向に流れが変わると希望的観測をしているのでしょうか。とても、金融政策のプロと称する集団とは思えません。 <br><br>投資家は必ず破産や解雇といったツケを支払わさせられますが、政府関係者はそんな責任は一切取りません。この事が安易な手段に頼る元凶であるように思えてなりません。
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<pubDate>Sat, 09 Oct 2010 00:40:23 +0900</pubDate>
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<title>通貨不安と金価格高騰</title>
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<![CDATA[ 先週は円高に対する為替介入など、為替市場で大きな動きがありましたが、その背後で実物通貨とも言うべき金の価格がひたすら上昇を続けております。 <br><br>海外のNY市場において、6月に1トロイオンス(約31グラム)、1260ドルを突破したのですが、ドルに対する通貨不安による円高進行と共に、金価格も上昇をし続け、先週末の金曜日1280ドルを記録し、1300ドルの大台が目前に迫ってきました。 <br><br>国内価格については、円高が同時進行のため、高値更新には至っておりませんが、今後騰勢を強めてくるのは必至であろうと思われます。 <br><br>著名投資家ジョージ・ソロス氏は、「金相場はバブルの恐れ」があるとのコメント。 <br><br>実に、2001年から2010年までの21世紀の10年間で、金価格は4倍以上にもなりました。 <br><br>一般には金は価格が安定しているイメージがありますが、現実はかくの如しであります。 <br><br>個人的には、高値更新後に価格が下落するなどの調整局面を待って、月々定額で金積立をするのが良いのではないかと考えています。 <br><br>売買のタイミングに神経を使う必要がありませんし、金銭的に負担の少ない少額で始められますので。 <br><br>外貨を含め、超低金利で通貨価値が不安定な今、銀行預金だけが蓄財の手段ではないと思います。<br><br>※画像は月足チャート<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20100920/13/hidesan1/d7/9a/j/o0800058310757491622.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20100920/13/hidesan1/d7/9a/j/t02200160_0800058310757491622.jpg" alt="$ひでさんの秘宝館" width="220" height="160" border="0"></a><br>
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<pubDate>Mon, 20 Sep 2010 13:23:39 +0900</pubDate>
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<title>映画「恐怖」</title>
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<![CDATA[ 映画「恐怖」を観に行ってきました。 <br>上映している映画館が少なく、上映期間も短かったため、ようやく実家に帰った折、京都駅前の映画館で見る事が出来ました。 <br><br>監督、制作も純日本映画である事から、Jホラーと銘打たれたこのシリーズも本作をもって最終作となるそうですが、「恐怖」とそのものズバリのタイトルに興味深々でした。 <br><br>ストーリーは、片平なぎさ演じる狂気の女性脳外科医がマッドサイエンティスト張りの人体実験を行う事で、主人公のヒロインの周辺で怪現象が発生するというものです。 <br><br>女性脳外科医は、被験者の意識があるまま開頭手術を行い、露出した脳に電極を押し当て電気刺激を加える実験を繰り返します。 <br>実験の果てに、遂に電気刺激による幻覚という個人の主観的な枠を超え、被験者の身近なところにいる他者にも幻覚を共有させるという個としての限界を打ち破ることに成功します。 <br><br>結果、被験者であるヒロインの姉の周辺で夢とも幻覚ともつかない怪現象が多発するようになるのですが、怪現象の中で恐怖の源泉として描かれているのが謎の白い光です。 <br><br>この白い光を見た登場人物はことごとく恐怖の極限に達し、絶叫します。 <br><br>この白い光の正体について、最後まで観客には何も明らかにされないまま映画は終わります。 <br><br>ここで、ハタと気付きました。 <br><br>この映画は「恐怖」映画ではなくて、「恐怖」についての映画なのだと。 <br><br>一般的なホラー映画では、観客は映画の登場人物と一体となって、恐怖の対象となる怪物や幽霊、異常人格者、はたまた怪現象といった具体的な対象に恐れおののきます。 <br><br>すなわち、恐怖対象が明快、直接的、具体的で、恐怖対象と観客との心理的な距離が近いほどよいとされています。 <br><br>しかしながら、この映画では、白い光という登場人物にとっての恐怖の対象が、観客には最後まで一体何なのかよくわかりません。白い光はあくまで抽象的かつ観念的あるいは、形而上的といってもいいかもしれませんが、あいまいな存在です。 <br>一見すると、恐怖というより不安心理の根源といった方がいいかもしれません。 <br><br>恐怖と不安の違いは、恐れの対象が明確になっているのか、なっていないかであり、この点ではどちらともとれそうです。 <br><br>思うに、この「恐怖」がホラー映画である所以は、白い光という抽象的かつ観念的な存在に、登場人物が絶叫し、恐れおののく様を通じて、波紋のようにひろがる恐怖感情を観客と共有するという、間接的な構図にあります。 <br><br>こうした事から、恐怖対象よりも、恐怖感情を中心に取り上げたから、「恐怖」映画ではなく、「恐怖」についての映画なのではないのかと上記のように考えた次第です。 <br><br>それはともかく、この映画の中で、被験者の幻覚が、個として体験にとどまらず、周辺の登場人物の間の共有体験として広がっていったように、登場人物の恐怖がこの映画内の出来事にとどまらず、観客まで息を飲む恐怖体験として広がっていったものと思われます。 <br><br>作中では、片平なぎさ演じる狂気の女医が、直接脳髄で見える世界を追求した揚句、「私たちを閉じ込めているこの二つの目から解放されて、どうやったら本当の世界が見えるのか」とのたまいます。 <br><br>目で見える具体的な恐怖対象を超えて、白い光という脳髄でしか感じることのない抽象的な対象で恐怖が広がったのであれば、狂気の女医が渇望した本当の世界、「恐怖」の世界の片鱗を観客も見たのかもしれません。 <br><br>最後にヒロインを演じた藤井美菜や、母親に人体実験される、ヒロインの姉役の中村ゆりの演技も悪くなかったのですが、何をおいても片平なぎさの存在感ある名演技(怪演?)がよかったです。マッドサイエンティストらしい、常に冷やかなセリフ回しについても…。
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<link>https://ameblo.jp/hidesan1/entry-10630800727.html</link>
<pubDate>Thu, 26 Aug 2010 19:49:52 +0900</pubDate>
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<title>日経平均株価9000円割れ</title>
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<![CDATA[ 本日の日本の株式市場は、アメリカ経済の先行き不安と、それに伴う猛烈な円高進行の流れを受けて(対米ドルレート、85円割れ)、株価下落の流れが止まらず、日経平均株価の終値が8995円と、9000円の大台を割る展開となりました。 <br><br>5月21日に、日経平均株価の9000円が一つの節目となる旨の内容を日記に書きましたが、その節目に約三ヶ月後の今日、到達したという訳です。 <br><br>週足チャートで見るに、日経平均株価が9000円を超えて下落すると、2008年末の金融危機後の安値7000円まで、これといった節目が見当たらず、最悪のケースでは、年内にでも7000円をうかがう展開もありえるように思えます。 <br><br>今後、この9000円の節目を越えて下落が続くようであれば、いわゆる「景気二番底」入りしたと見ても間違いなさそうな気がしています。 <br><br>「景気二番底」とは、すなわち、2008年の金融危機後の景気回復過程が、またふりだしに戻るという事です。 <br><br>株価の上下を景気の先行きを占う指標としてみるならば、株価が金融危機直後の水準にまで落ち込んだのであれば、景気の先行き見通しもその時点の水準まで退行したと見ても、悲観的とは言えないでしょう。 <br><br>政府による国内の景気刺激策も、アメリカの景気回復による輸出関連業界の業績向上も期待できない今、国内の企業の底力が試されています。<br><br>余談になりますが、東証の社長が、円高進行の流れが株価下落の一因になっていることを受けて、国家(日銀)が為替介入という「毅然」とした態度をとって円高進行を防げば、市場になめられることもなくなり、円高進行という「根拠」なき熱狂を止められるとの発言をしたそうですが、あきれてしまいました。 <br><br>円高進行が行き過ぎかそうでないかは、最終的には市場が決めることです。 <br><br>「根拠」があったのかなかったのかは、その後の市場での価格推移が評価を下すのです。価格が急激に反転したのであれば、それまでの価格に根拠がなかったことを意味しています。 <br><br>当事者の思惑や利害関係、理想論などではありません。 <br>「べき論」ではありえないのです。 <br><br>仮に日銀が介入したとして、数百から数千億円もの国家レベルの資金を投入して、円売りドル買いを進めれば、一時的に円安方向に持っていくことは可能でしょうが、円高の要因となっている市場環境そのものが改善されない限り為替介入をやめた途端、依然として存在するドル売り圧力に負けて、元の水準にまでレートが戻ることは目に見えています。 <br><br>為替介入で一時的な流れを変えることはできても、大きな流れそのものを変えた事例は歴史上ありません。 <br><br>国民の多額なお金を使って為替介入、いわば相場操縦というインチキまでして、挙句の果てに巨額の含み損を抱えたドルを塩漬けにするつもりなのでしょうか。 <br><br>東証の社長の発言は、無責任というか近視眼的にしか思えません。<br>
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<link>https://ameblo.jp/hidesan1/entry-10628972415.html</link>
<pubDate>Tue, 24 Aug 2010 20:38:45 +0900</pubDate>
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<title>ゼロの焦点</title>
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<![CDATA[ 今日レンタルDVDで犬童一心監督の映画「ゼロの焦点」を見ました。 <br><br>原作は松本清張の社会派推理小説の傑作として名高い作品で、推理小説ファンとして、どのように映画化しているのかが興味があったのですが、期待に違わず原作の淡々と事実を積み重ねていく語り口などを抑制的なトーンの映像で表現しており、映画としての出来栄えもなかなかのものではなかろうかと感じた次第です。 <br><br>以下ネタバレになる恐れがありますので、ご容赦を。 <br><br>舞台は昭和32年、戦後復興も終わり、映画の中でも「もはや戦後ではない」という有名なフレーズの新聞見出しが映し出されていることから、太平洋戦争の敗戦の暗い影を払拭し、経済発展に向けての緒についた時期です。 <br><br>新婚の主人公、広末涼子演じる鵜原禎子は、結婚相手の鵜原憲一が結婚後まもなく失踪し、その理由を探す旅に出るのですが、結婚相手の過去、すなわち生い立ちや経歴、主義、心情など根本的な事柄が何も知らされていなかったことに気付かされてしまいます。 <br><br>結婚相手の過去は映画の進展とともに明かされていくのですが、その過程で関係者が次々に毒殺、刺殺様々な方法で殺されていきます。 <br><br>最終的には主人公の禎子の努力で、犯人や犯行動機、方法などが暴かれていくのですが、最終的に犯人の保身のためなら殺人も厭わない恐るべき執念が明らかになります。 <br>犯人の動機は、暗い過去の事実、自らの過去を知る人物を抹殺することで現在の成功にしがみつくためであり、他者の死の上に自らの虚構の人物像を保とうとするのです。 <br><br>犯人の姿が戦後日本の発展の姿とそのまま重なって見えるような気がしました。 <br><br>太平洋戦争中、軍人、軍属、民間人、外国人様々な立場の人間に死を強いて保身を図った国家が、戦後そうした過去を否定し、民主国家として繁栄を謳歌するという、犯人が目論んだシナリオをそのままなぞらえるかのような構図に…。 <br><br>それはさておき、映画がクライマックスを迎えるにつれて徐々に犯人や禎子など、事件関係者の感情が映画序盤の抑制的な雰囲気から解き放たれ、暗い激情が大きな波となって観る人の心に伝わってきます。 <br><br>物語舞台となった金沢から見える冬の日本海の暗い怒涛のような。 <br><br>終盤の犯人の衣装は、日本海の暗さに抗うような、赤や黒、白といった原色になり、自らの心の状態を表現しています。 <br><br>赤は扇情性や挑発、黒は殺意や企み、白は決意や信念の純化などといった具合に。 <br><br>犯人は最後、自身の犯した殺人の重みに耐えかねて自壊するのですが、最後の白い衣装は上記に加えて抜け殻のようになった自身の心の内を表現していたのでしょうか。 <br><br>物語は最後、鮮やかな色合で21世紀を迎え自由を謳歌する現代東京の姿を映しだして終わります。 <br>映画冒頭の戦中、終戦直後、戦争の重苦しい雰囲気がただようモノクロの記録映像と対を成すかのように。 <br><br>太平洋戦争による混乱と空白が事件の種をまき、経済発展の過程でこの事件が発生して終わり、その経済発展も終えた21世紀の現在、舞台背景となった時代も幕引きとなったことで、二重の意味で終焉を迎えたことを表現したかったのでしょう。 <br><br>見る人の心の中で、様々な解釈が委ねられているかのようです。<br><br><object width="480" height="295"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/kaPUiLyu-N8&amp;hl=ja_JP&amp;fs=1"><param name="allowFullScreen" value="true"><param name="allowscriptaccess" value="always"><embed src="https://www.youtube.com/v/kaPUiLyu-N8&amp;hl=ja_JP&amp;fs=1" type="application/x-shockwave-flash" width="480" height="295" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></object>
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<pubDate>Sun, 11 Jul 2010 22:29:11 +0900</pubDate>
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