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<title>nerveux06のブログ</title>
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<title>2013/10/08</title>
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<![CDATA[ やばい。<br>ブログ続かん。（笑）<br><br>気まぐれ更新していけばいっか。
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<pubDate>Tue, 08 Oct 2013 22:26:36 +0900</pubDate>
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<title>2013/09/22</title>
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<![CDATA[ いまさらだが、あの花走破した。<br>途中で見なくなったことをいまさらながら後悔してる。<br>ただ、あれを1週間待ちながらというのは、精神的に結構苦しいかも。<br><br>1日、存分に旅してきますか。
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<link>https://ameblo.jp/hidica06/entry-11618811711.html</link>
<pubDate>Sun, 22 Sep 2013 00:25:55 +0900</pubDate>
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<title>2013/09/19</title>
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<![CDATA[ しかし、「祭り」というワードはどうにも憂欝になる。<br>普通であれば、盛り上がるワードなのだろうが、<br>かなしきことかな、祭りが楽しかった経験がいままでに一度もない。<br><br>まず、あの人ごみ。<br>どうにも大量の人を見ると、気分が下がる。<br><br>そして、雰囲気から受ける疎外感。<br>自分が勝手に感じているだけなのかもしれないが。<br><br>そして、無駄な金のロスト。<br>自分、世知辛い。（笑）<br><br>せめて、一緒に行く人がいれば、話は別なのかもしれないが、<br>仮にいたとしても、静かなところでメシでも食いにいくほうが<br>よほど有意義なものだと感じるのは、愚かなことなのだろうか？<br>いまの自分には到底、わからない話である。<br><br>某作品に出てくる名言にもあるが、<br>人間、「知っているのは知っていることだけ」なのである。<br>「知らないことは知らない」のだ。<br><br>かっこよく言ったけど、内容はかっこわるい。<br><br><br>話は変わり、<br>どうにも、多人数がいる場での会話というのは、うまくできない。<br>だれに気を使うべきか、よくわからなくなる。<br>ましてや、あまり話さない人がとなりになると、<br>共通の話題を把握していないがゆえに、<br>何を話していいのか、まったくわからなくなる。<br>そして、何か話そうとすればするほど、<br>自分の中での話題のハードルが上がり、余計にしゃべれなくなるのである。<br>まさに、負のスパイラルである。<br>どうにも、自分は意識するとうまくいかないタチらしい。<br><br>みんな、ラーメン好きですよね。<br>とくに男というのは、なぜ、あんなにラーメンを食べに行きたくなる人が多いのだろうか？<br>いや、もちろん、自分も好きではあるのだが、<br>どうにも自分の中のケチケチ脳が働くのか、<br>もったいない気がしてならない感じがするのである。<br>付き合いなんで、行きますが・・・<br><br><br>さらに、さらに話は変わり、<br>今日、いや昨日か、<br>教育実習に行ったという先輩の話を聞く機会があった。<br>なんとなく、この人が先生になったら、生徒から好かれるのではないか<br>そんなことを感じた。<br>あのユーモアさというべきか、面白いトークができるというのは、<br>教師には必要だろう。<br>そういう点で非常に優れている人であると感じた。<br>教え方がどうか、ということはさすがに授業を受けたわけではないが、<br>教師というのは、教えるということももちろんだが、<br>生徒の心を掴めなければ、非常に苦しい職業だろう。<br>一口に心を掴むといっても、さまざまなタイプがあるだろう。<br>接しやすい、誠実、信頼できる、気配りができる、<br>などなど。<br>少なくとも、自分が仮に教師になることがあったとして、<br>接しやすい教師になることはないだろう。<br>自分が教師という職業はどうだろう、というのは何回か考えたことがある。<br>実のところ、「人に教える」ということに関しては、<br>自分自身嫌いではないし、ある程度慣れれば、それなりに教えられるのではないか<br>と思ったりもしている。<br>しかし、教師というのは、「勉強を教える」ことだけが仕事ではない。<br>クラスの状況を逐一、把握していかなくてはいけないし、<br>何か問題が生じれば、対応しなければならない。<br>また、部活の顧問やらなんやら、抱えなければいけない。<br>さらに、相談を受けるということもあるのだろう。<br>そう考えると、自分にそれができるのか？<br>正直、やれる気がしない。<br>あまりにもやることが多すぎて、自分の性格を考慮すると、<br>すべてを効率よく、万遍なくこなせる自信はない。<br>ましてや、自分が教師になるとしたら、<br>相手にするのは、精神的にも不安定な部分が大きい、高校生なのだ。<br>自分の何気ない言葉が、ある生徒のその後の人生を左右することだってある。<br>それはいい意味でも悪い意味でも。<br>いい意味で達成できたのであれば、それは自分の自信につながるかもしれないが、<br>悪い意味になれば、自責の念というのが生まれ、蓄積していくのは必然だ。<br>そうなると、なかなか切り替えがうまくできない性格であることは、わかっている。<br>そんなことを考えると、教師という職業はあまりに荷が重いように思う。<br>経験してもいないのに、こんなことを考えるのは杞憂であり、<br>また、愚かなことなのかもしれないが、<br>それでも、そう考えてしまうのである。<br><br>こうやって、先々のことを想定し、<br>主に悪い事例を想定しては、自分の利益と不利益を自分の中で決定し、<br>リスクリターンを考えてしまうのは、なんとも悪い癖なのかもしれない。<br>この癖も、うまく使えれば、自分の長所になり得る気もするが、<br>いまのところ、うまく使えた記憶がない。<br>恐らく、人間が感情に身を任せると、その結果は総じて悲劇に直結する<br>という風に、自分自身の感覚に植え付けられている部分が大きいのではないかと思う。<br>これは過去の経験から来たものだろう。<br>だから、周りからは「消極的」だと言われるのだろう。<br>たぶん、「優柔不断」もここから起因しているのだろう。<br>性格というのは、変えようとしたところでなかなか変わるものじゃない。<br>(よほど、精神的に大きなショックを与えられる経験をすれば別だが、)<br>だったら、「性格を変える」ことを目指すより、<br>自分の性格を正確に把握し、「性格をうまく利用する」ことを目指すほうが<br>よほど、効率的で、なおかつ個性が発揮できる方法だと思う。<br>その方法の模索中、というのが今の自分だろう。<br>自分も難しいし、相手も難しい、社会も難しい。<br>世の中って、なかなかハードル高いなあ・・・<br>
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<link>https://ameblo.jp/hidica06/entry-11616820711.html</link>
<pubDate>Thu, 19 Sep 2013 02:52:01 +0900</pubDate>
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<title>2013/09/18</title>
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<![CDATA[ レミニセンスを始めた。<br>なかなかにおもしろい。<br>よくよく考えると、こういう政治系のことが絡んだタイトルは今までに一度もしていない。<br>(もしかすると、G線はそういう類いも含まれるのかもしれないが、<br>あいにくと全然進められていないがゆえに、わからない。)<br>自分の性格的にある程度勢いをもってやらないと、できないものなのだ。<br>非現実的な部分もあるが、実際の官僚というのは、こういう駆け引きの毎日なのだろうと思う。<br>しかも、世の中の流れや他人の状況というものを理解していなければ到底優位に立つことなど<br>できはしない。<br>おそらく、こういう世界は、自分が想像している以上に、過酷なんだろう。<br>自分には一生知り得ない世界であるだろう。<br><br>これは自分も感じることだが、やはり世の中というものは綺麗事ばかりでうまくいくはずがない。<br>どこかで、自分を騙し、相手を騙し、あるいはそれ以上の何かすら騙していかなくては<br>いけないのかもしれない。<br>謙虚さ、真面目さが美徳とされる日本というのは、<br>たしかに、それはそれで間違ってはいないだろう。<br>しかし、世界を相手にするのなら、なおさらのこと、ずる賢さというものが必要になるだろう。<br><br>この作品をやっていて感じたのは、<br>集団において、その集団を活性化させるのは、反乱分子やあきらかに違った価値観・考え方を<br>もった人間が介入することじゃないか、ということだ。<br>集団というのは、完成された組織であればあるほど、その規律・風潮に呑まれていき、<br>一方向からしか物事を見えなくなる。<br>しかし、明らかに異端な者が介入すると、「敵対心」と「別視点」というものが生まれる。<br>(ただし、その異端者が集団を構成する人間に対抗できるだけの力があれば、ということになるとは思うが)<br>人間というのは、愛情や称賛といった正の感情から得られるエネルギーよりも、<br>嫉妬や憎しみ、悔しさといった負の感情から得られるエネルギーの方がずっと強く、<br>長持ちする。<br>実に不思議なことである。<br><br>みんな一緒がいい。<br>これはおそらく、誰しもが思うことだが、<br>みんな一緒という状態は、怠惰や欺瞞を生むと個人的には思う。<br><br>「争いこそが技術を発展させる」<br>これも良く聴くことだろうが、<br>間違いではないのだろう。<br>ただ、「争い」というものの種類というか中身というか<br>そこは適切な「争い」であるのが、一番であることも間違いないと思う。<br><br>まだまだ、始めたばかりであるがゆえ、これからどうなるかはわからないが、<br>なにをもっての「レミニセンス」なのか？<br>そこに注目している。<br>なにを思い出すのか？<br>どれだけの時間をかけ、どのような想いを抱えて、思いだすのか？<br>そんなところに注目したい。<br>さらに、(これはどの作品でも常に注目しているが、)<br>シナリオライターが「この作品で何を伝えようとしているのか？」<br>つまり、メッセージだ。<br>個人的に、メッセージのはっきりしない作品というのは、ほぼ駄作だと思っている。<br>もちろん、一口に「メッセージ」といっても、大小あると思う。<br>しかし、その両方を含め、全体として、メッセージに注目したい。<br>
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<pubDate>Wed, 18 Sep 2013 02:55:58 +0900</pubDate>
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<title>己(物)語</title>
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<![CDATA[ 某人気作品みたいなタイトルだな。（笑）<br>それはともかく、かなり恥ずかしいのだが、<br>自分というものについて、語るというか考察というか、<br>そんなことをしてみようと思う。<br><br>突然だが、自分が他人からの評価を聞くと、<br>(というか、友達が自分に対して言ってくれる言葉であるが、)<br>((みんな、ありがとう。本当にこんなひねくれ者に付き合ってくれていることに感謝します。))<br>「優しい」とか「自己評価が低い」みたいなことを言われたことがあります。<br>あと、「将来、ハゲるよ」とも・・・<br>おい！　こえーからやめろよ・・・（笑）<br>これは置いておいて、<br>この二つの評価について、自分なりに思うところを<br>語りたいなと思う。<br><br>まず、「優しい」。<br>これね。<br>とくに仲良くなった女の子(と、自分では思っているんだけど実際どうなのやら（笑）)<br>から言われます。<br>正直な自分の感想。<br>「嬉しい」半分、「そんなわけないじゃん」半分。<br>まず、「嬉しい」というのは、自分の行動がうんぬんというよりも<br>自分がある程度「受け入れられている」ことを裏付けるであろう言葉である<br>という解釈から来るもの。<br>少なくとも、「嫌いな相手にこんなこと言わないでしょ。」<br>という感覚から来てる。<br>そして、こちらが肝なのだが、「そんなわけないじゃん」という気持ち。<br>正直言って、自分は「優しくしているという感覚」がまるでない。<br>ただの人間恐怖もとい、女の子に対する恐怖からくる「自己保身」でしかない。<br>どのように行動し、会話すれば嫌われないか。<br>ただただ、その一点に基づいて、言動を選択しているのが、今の自分。<br>とにかく、人間関係というのは、波風を立てるとロクなことがない。<br>その経験から生まれた行動である。<br>だからこそ、できるだけ会話では自分はしゃべらないというスタンスを取っているし、<br>(単純に一対一ならばともかく、複数を相手にする会話が苦手というのもあるが、)<br>基本的に聞き手である。<br>ついでに言うと、第三者的視点で物事の様子を見るのが好き<br>ということもあるのだが。（笑）<br>このスタンスが、一部の女子にはウケがいいのか？・・・<br>よくわからんが、<br>実際、評価というものは他人が下すものであって、自分自身が下すものではないのだから、<br>他人が「優しい」と感じるのであれば優しいといえるのかもしれないが、<br>少なくとも、自分では認めていない。<br>それに、「優しさ」は「嘘」だと個人的には思っている。<br>言い換えるなら、「優しさ」というのは、必ず裏になにかしらの真意がある、<br>と思うべきであると、<br>そう思うのだ。<br>実際に自分がそうだから。<br>もちろん、人によって、その「真意」というものが異なることも事実だろうけれども。<br>そして、もうひとつ思うところがある。<br>女の子が発する「優しい」という言葉を<br>いまいち信用しきれないところがある。<br>発した人の人間性の問題ではなく、<br>女の子の「優しい人」という評価は<br>決して高い評価ではないような気持ちになるのだ。<br>「優しい」だけではモテないというのは、よくある話であるし、<br>悲しいことか、自分にもそういう実感があるせいか、<br>そういう感覚になるのだ。<br>実に自分がひねくれ者であるところの真骨頂を発揮していると自分でも思う。<br>つまり、若干の「上っ面」が含まれている気分になるのだ。<br>そのせいか、「優しい」と言ってくれる女の子は、<br>いい性格だとは思うが、「好き」にはなれないのではないかと<br>自分について考察している。<br>おそらく、自分が好きになれる女の子というのは、<br>「優しい」以外の違った、好意的な評価をしてくれる人ではないかと感じている。<br>ただ、ここまで「優しさ」を批判しておきながら、<br>「優しい女の子」は嫌いではない。<br>でも、「優しい女の子」は苦手だ。<br>それも事実。<br><br>さて、つぎに、「自己評価が低い」(みたいなこと)という評価。<br>これは、ある男友達に言われたことがある。<br>丁度、このときは研究室に配属されていたこともあり、<br>一緒の研究室にひとり、(配属前までは同じクラスでありながらあまり関わりがなかった)女の子<br>がいて、その子と当然、関わる機会が増えたことで、<br>ある程度の親密度が得られていた(であろう)時期のことである。<br>男子にはよくあることだが、<br>夜に語り合うということがある。<br>そこで、<br>「○○ちゃんから、結構信頼されてるよね。」　＊○○ちゃん=女の子<br>というようなことをその男友達に言われた。<br>そのとき、自分はとっさに<br>「そうかなぁ？・・・」という風に答えた。<br>(と記憶しているが、なにぶん記憶力が悪いので・・・)<br>そんな自分に対して、その男友達が、<br>「●●って、自己評価低すぎだろ。」　＊●●=自分(著者)<br>というようなことを言われた。(と記憶しているが、口調とかは若干あやしい・・・)<br>このときの自分の気持ちとしては、ふたつあった。<br>ひとつは、「まあ、(研究室配属)前よりは、仲良くなったかなあ・・・」<br>というのと、<br>もうひとつは、「でも、イマイチ、いまだに接し方とかわからんしなあ・・・」<br>「話するときも必ず向こうからだし・・・」<br>などと思っていた。<br>ちなみにいまでもこの感覚は変わらない。<br>むしろ、向こう(=女の子)からある程度近づいてきてくれてたのに<br>自分から壁をつくってしまったために、少し気持ち的に離れてしまった。という感覚がある。<br>実際、向こうが自分をどう思っているのかは知らない。というか色んな意味で聞けない。（笑）<br>いまになって思うのは、その原因のひとつとして、<br>自分がその子に対してかなり懐疑的になってしまった部分にある<br>と思っている。<br>上の話にも通ずるが、典型的「優しい女の子」には、<br>どうにも裏を読みたくなってしまっていたがゆえに、<br>心の壁を無意識的につくりだしていたのだと思っている。<br>とにかく、話を戻すと、自分の視点から見る「自分とある人との親密度」と<br>第三者から見る「自分とある人との親密度」には大きな差異があるらしい。<br>そして、総じて、自分の視点の方が評価が低い。<br>原因を探し出せば、性格、過去の経験など、いろいろ思い当たる節があるが、<br>自己評価低いんだろうな、というのは、自分でもなんとなく感じている。<br><br>ここまでで一応、考察終了。<br>自分の性格が災いして、一人のひとと仲良くするチャンスをみすみす逃したわけだ。<br>正直、今は、なにか申し訳ないというか、謝りたい気持ちがあったりする。<br>実は、今年のお盆ぐらいに会う機会があったのだが、一言交わしただけであり、<br>いうなれば、お互いの無事確認程度のことしかしていない。<br>いや、正確には出来なかった、というべきか。<br>めんどくさい性格してるよね、ホント。<br>
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<link>https://ameblo.jp/hidica06/entry-11613966728.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 01:04:34 +0900</pubDate>
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<title>2013/09/14</title>
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<![CDATA[ さて、さっきふと思い浮かんだことについて、<br>少しばかり自論を展開してみようかと思う。<br><br>「(ある人を)知っている」とは、どのラインから、どんな基準から言えるだろうか？<br><br>これを考えだすとなかなか難しいものだと思う。<br>まず、その人の名前、外見を知っていないのであれば、<br>当然「知らない」といえる。<br>これには間違いはないだろう。<br>では、その人の名前と外見を知っていれば、<br>その人を「知っている」と言っていいのか。<br>世間一般でいう「知っている」、いわゆる「認知している」ということであれば、<br>それだけで充分「知っている人」に該当するだろう。<br>しかし、ここで言っている「知っている」とは、<br>言い換えれば、「(ある程度)理解している」ということであるだろうし、<br>そう考えると、名前、外見、あるいは所属といったところがわかっていたところで<br>到底、その人を「知っている」とは呼べない。<br>個人的にはそう思う。<br>じゃあ、その人と「会話したことがある」というのは、どうか？<br>これも違うだろう。<br>会話なんていうのは、種類がさまざまであり、<br>ビジネス的なものから、個人個人の内面に関わることまで<br>本当にいろんなものがある。<br>だから、会話をいっぱいしたことがあるから、その人のことを「知っている」<br>というのは、おかしな話であると、個人的には思う。<br>ただ、「会話」というツールが、人を「知る」ための手がかりにはなる。<br>それは、疑いようのないことであるとは思う。<br>それならば、その人と「一緒に(なんらかの)作業をしたことがある」というのはどうか？<br>これも、正直あやしいと思う。<br>ただ、このことで言えるであろうことは、<br>ひとつは、その人の行動を「観察」できること、<br>もうひとつは、単純な「接触時間」が増えることだろう。<br>観察によって、会話からは見えてこない「性格・クセ」といったものが<br>わかるようになることもあるし、(普通は会話と観察は並行して行うものだが、)<br>接触が多くなれば、必然的に知る機会・時間が長くなる、<br>すなわち得られる情報量が増えるといえる。<br><br>ここで、少し視点を変えて「友達」であれば、「知っている」といえるのか？<br>個人的には、必ずしもそうではないと思う。<br>もっと、厳密に言うのであれば、まずは「友達」というものを定義しなくてはならないが、<br>それはそれで難しい問題なので、<br>とりあえず、「自分が友達だと思っている人」を、ここでいう「友達」として考える。<br>話を元に戻すと、<br>友達というのは、プラベートでも会う機会がある他人と考えたとき、<br>やはり、接触は増える。<br>そういう意味では、「知る」ための情報量は増える。<br>しかし、接触時間と「知る」ことが比例するか？というと、<br>そうではないと思う。<br>まず、その人について知ろうとする意志が自らに無ければ、<br>いくら接触したとしても、得られた情報を見もせず、考察もせず、<br>ゴミ箱に放っているのと同じである。<br>そういう意味では、「自らの意志」というのは、<br>ひとつの大きなファクターということになると思う。<br>では、「意志」さえあれば「知る」ことができるのか？<br>そういうわけでもないだろう。<br>そもそも、その人が内面を外に出しやすいタイプか、<br>ほとんど出さないタイプか、ということも影響すると思うからだ。<br><br>いろいろとつらつらと長いこと書いて<br>自分も飽きてきちゃったので、(笑)<br>結論を書いちゃうと、<br>まず、他人を「100 %知る」ことはできない。と個人的に思っている。<br>(たぶん、「自分自身」すらも無理なんじゃないかな？なんて思ったり)<br>その人が今までの人生でしてきた「経験」を、自分が、まったく同じ視点で「経験」するのは<br>無理だからだ。<br>でも、こういう風にも考えている。<br>その人の「人となり」(外見、性格、考え方など)を一通り「自分の中で結論づけられる」<br>ようになったなら、「知っている」と言ってもいいように思う。<br>もちろん、これは「当たっている」という保証も無ければ、<br>「100 %知っている」というわけでもない。<br>ただの予測だ。<br>しかし、「予測」で充分だと思う。<br>ある程度、その人に関する情報を得て、それを自分の中で組み立てるという作業を<br>しなければ、その「予測」すらできないのである。<br>自分の中に、その人の「虚像」をつくりあげることができたのなら、<br>「知っている」といってもいいように思う。<br>ただし、注意しなければならないのは、あくまでも「虚像」であり、<br>「実像」ではないのだと言うこと。<br>だから、あいつは「～な人間なんだ。」などと断定してはいけない。<br>あくまでも、「～な人間なんだと(個人的には)思う。」にとどめなきゃいけない。<br>つまり、「知っている」というのは、一種の人間のエゴなんだと<br>そんな風に思う。<br>そういう意味では、「学問」というのも、<br>人間が「自然(現象)」という他人に対して、<br>自分たちなりに論理というものを組み立て、<br>歴史の中で築き上げてきた「虚像」であり、「エゴ」なのではないか？<br>そんなことを思ったりする。<br>「物事に例外はつきものだ」というのは、よく聞く話だが、<br>これが、あくまで「学問」というのが、「法則」というものが、<br>本物(の自然)に対して、人間が、自分たちのためにつくった「虚像」である<br>何よりの証明なのではないか、そう思うのだ。<br>もし、「実像」であったのなら、「例外」なんていうのは存在しないはずだ。<br>つまり、「例外」というのは、「実像」と「虚像」の違いから生じるものである。<br>そんな風に思う。<br><br>話のスケールがでかくなってしまったが、<br>自論展開終了。<br><br>つまり、まとめると、<br>他人を100 %知ることなんて出来ないし、<br>まるで、100 %知っているかのように、他人を語るのはお門違いだ<br>といったところだろうか。<br>なんか・・・<br>いまさらだけど、本題からずれてね？（笑）<br>「ライン」や「基準」の話とすると、<br>その人の「虚像」を自分の中でつくり上げらているか、いないか、<br>といったところかな？<br>でも、これも人によってまちまちだよな。正直。<br><br>すげーな。<br>いままでで一番まじめに語っているような・・・（笑）<br>あくまで個人的な意見だし。<br><br>ちなみに、俺ガイルの中(原作で言うと6巻、アニメでいうと12話)で<br>ゆきのんが最後の方に、部室で八幡に言うセリフが大好きでして、<br>そこからの今回の考察でした。
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<pubDate>Sat, 14 Sep 2013 23:42:48 +0900</pubDate>
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<title>訂正(自分の)</title>
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<![CDATA[ さすがに日記を毎日というのは、<br>ちょっと厳しい。<br>というよりも、そんな頻繁に書くことが浮かぶわけではないらしい。<br>ということで、日記は1日おきくらいを目安にやっていくことにする。<br>そのほかについては毎日だが・・・<br><br>さて、チケット　キター！<br>楽しみである。<br>一人旅は目的がないとね。<br>前回行った名古屋は正直、<br>目的がはっきりしていなかった、というか<br>峰さんに言われたから、っていう言い分が<br>強かったせいもあったし、<br>今回は本当に純粋な旅である。<br>でも、プランが決まらない・・・<br>聖地巡礼したいもんだ。<br>できれば人が少ない時期に行きたかったのだけれど、<br>もともとはライブがメインなのでね。(笑)<br>我も大好き、愛してるラブライブ！<br>というわけではないが、(笑)<br>雰囲気とか、いろいろ体感できることは楽しみである。<br><br>そんなわけで<br>ノルマこなしますか
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<pubDate>Sat, 14 Sep 2013 21:50:15 +0900</pubDate>
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<title>2013/09/11</title>
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<![CDATA[ 前日は何もせず。<br>散々である。<br>自分に言い訳を植え付け、怠惰を極める。<br>本当に自分に嫌気がさしてくる。<br>何かを継続する癖がまるでついてないのだ。<br>人間、嬉しいとき、喜んでいるときほど無防備とは<br>ある意味このことかもしれない。<br>そんな風にも思う。<br><br>さて、日記である。<br>今日はそれなりにノルマをこなした、と思う。<br><br>ラーメンを食べてきた。<br>やっぱりとんこつ系というのはあまり好きじゃない。<br>やはり、味噌が至高。<br>かなり量も多くて、気持ち悪くなった。<br>コスパは素晴らしいと思う。<br>あれで経営が成り立つのかちょっと疑問にも感じたが・・・<br>とにかく、結論として、<br>ラーメンというのは、<br>うまい上品なラーメンをある程度、というのが一番ベストであるように感じる。<br><br>話は変わって、<br>ハクアかわいい。<br>はやみんの声は、本当、素晴らしいの一言だ。<br>どうやら、地声が普通～高めの人が出す「低めの声」というのが<br>自分の一番の好みらしい。<br><br>とりあえず、<br>いままでを振り返ると、<br>もっと１日１日を大切に過ごす、ということを意識しなければならないだろう。<br>時間は有限なのだから。<br>そんなところだろう。
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<link>https://ameblo.jp/hidica06/entry-11611907899.html</link>
<pubDate>Thu, 12 Sep 2013 05:45:49 +0900</pubDate>
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<title>2013/09/09(10?)</title>
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<![CDATA[ これから、毎日日記的なものをこのブログで綴ろうかと思う。<br>それと同時に「読書ノート」と「勉強ノート」をつくり、毎日の進捗状況などを記すことにした。<br>当面の目標は、この飽きっぽい、何かを続けることがへたくそな情けない根性を<br>少しでも直したいと思っている。<br>とりあえず、3日坊主というのはあまりにも情けないし、これは避けなくては。<br>まずは一か月といったところが無難だろう。<br>あとはTOEIC 600点以上かな。<br><br>正直、今自分が置かれているこの状況は芳しくはない。<br>それどころか、現実的に見ても、自分の精神的な観点から見ても、<br>かなり危機的状況なのではないかと思っている。<br>こっちに来てから、なんとなく予感していたことではあったが、<br>ようやく現実味を帯びてきた、といったところか。<br><br>これをしたからといって、成果が必ずしも出るというわけではないことは<br>十分にわかっているつもりだ。<br>でも、いままで一度も「日々の努力」というものを行ってこなかった自分が<br>その「日々の努力」というものを実行できたのなら、どんな自分が見えてくるのだろうと<br>そんな風にも思う。<br>もちろん、やるからにはできる限りのことをしたいとは思っているし、<br>成功させなければ意味がない。<br>悲観的に見れば、今までテキトーに生きてきたツケが<br>ようやくごまかしきれないレベルに到達した<br>ということなのだろう。<br>でも、少し見方を変えれば、自分を成長させるためのいい機会だと感じている。<br>あくまでも自分を変えるのではなく、<br>自分というベースに実力と知識と経験を上積みしたいと思っている。<br>これこそが人間の「成長」の本来あるべき姿だと思っている。<br>自分が変わることが成長だという人もいるのだろうが、<br>個人的にはむしろ、自分が変わるのではなく、<br>いろんな意味で自分に「厚み」をもたせることが「成長」だと思うのだ。<br>まあ、こういうことはいろんな意見があるのだろうけど。<br><br>ちなみに、日記をつけようと思ったのは、<br>そのとき自分が何を考え、どういう気持ちでいたか<br>ということをいつか振り返りたいと思ったからである。<br>もちろん、twitterという手もあるが、<br>もはや、半分コミュニケーションツールになってしまっていることもあって、<br>本当にボヤキだけをあっちに委ねようと思う。<br>twitterもなかなかひどいのだけれど。(笑)<br>とりあえず、そのときにはわからなかったとしても、<br>いつか自分を客観視して振り返ることができるのではないか、<br>という想いからである。<br><br>さて、昨日を振り返ろう。<br>正直、残った印象は、「メンタリズム」が面白い。<br>これに尽きる。<br>なぜだかわからないが、「心理学」というものは非常に心が揺さぶられる学問だ。<br>知識が浅いということもあるのかもしれないが、<br>自分や周囲の人間をより理解していく感覚がある、というのが一番大きいように感じる。<br>しかし、なぜスプーン曲げが上手くいかないのか？<br>なぞだ・・・<br>うーん<br>なぞ。<br>それはともかくとして、<br>「こういうときに人間はこういう行動をとる。」という心理学もすばらしいとは思うが、<br>それと同時に<br>「心理学や他学問に基づいたトリック」を発想・実現するメンタリズムもまた、<br>素晴らしいと思う。<br><br>話は変わり、<br>いまのBGMがまさに、はやみんなのだが、<br>やはり素晴らしいvoiceだ。<br>うん。<br>こういう透明感がある声というのは個人的にかなり魅力的だ。<br>身近な人にこういう声の人がいると癒されるのだろうな、とそんなことをふと思ったりする。<br><br>さて、眠くなってきたし、寝よう。<br>おやすみ。<br>
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<link>https://ameblo.jp/hidica06/entry-11610771878.html</link>
<pubDate>Tue, 10 Sep 2013 16:24:31 +0900</pubDate>
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<title>ひたすら・・・俺ガイル</title>
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<![CDATA[ 何書けばいいのか。<br>いまいち浮かばないので、今回は自分の趣味について、ありったけの想いを語ろうかと思う。<br><br>「俺ガイル」<br>最近、個人的にハマりにハマっているラノベである。<br>正式名称は、「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」という<br>渡　航先生のラノベだ。<br>アニメを見て以来、原作も買い、BDも買ってしまうという<br>個人的前代未聞のハマりっぷりである、と自負している。(笑)<br>アニメも十分に面白かったが、個人的には原作のほうが好きだったりする。<br><br>俺ガイルの良さは、どういうところにあるのだろうと<br>ふと考えてみると、<br>やっぱり、先生が提唱する「人間哲学」的な部分。1番はこれに尽きると思う。<br>細かいところでいえば、キャラの掛け合いやパロネタ等あるとは思うが。<br>主人公の八幡がぼっちであることももちろん関係しているだろうが、<br>人間や集団に対する悲観的な意見が数多くちりばめられており、<br>これがものすごく強烈だ。<br>自分自身も無駄な人付き合いを好まないタイプであるせいか、<br>かなり共感できてしまう部分が多い。<br>ちなみに、八幡のトラウマというのもよく登場するが、<br>その度に自分の心も抉られる。(笑)<br>具体例なんかを示せればいいのだろうが、<br>著作権うんぬんかんぬんに巻き込まれるのは勘弁なのでやめておこう。<br><br>俺ガイルを読んでからは<br>自分自身や周りの人について、よく考えるようになった。<br>考えれば考えるほど、深みにはまっていくのと同時に<br>今までの自分がいかに「考えてこなかったか」ということを痛感させられた。<br>今、現在も考えたつもりでいるだけで、<br>ホントは大して考えているとは言えない状況なのかもしれないが。<br>その一方で、自分と似たような考えを持っている人もいたのだと<br>そんな風にも感じた。<br>周囲は「ポジティブ」な思考がいいものであり、<br>「ネガティブ」な思考が悪であるかのような言い方をしており、<br>そんな中で自分も必死に「ポジティブ」になろうとしていた時期もあった。<br>でも、俺ガイルに出逢ってからは、<br>ネガティブにはネガティブなりの良さがあるのではないかと<br>そんな自分を好きになれなかったとしても<br>認めてやるくらいのことはしてもいいんじゃないかと<br>そんな風に思えるようになった。<br>あとは、いつか自分自身を好きになれたらいいなーと<br>まるで他人事のようだが、そんなことを思っていたりもする。<br>それに、せめて自分を認めてあげなきゃ、<br>自分を大切に想ってくれている人たちに対して、失礼なんじゃないかと<br>そんなことを考えていたりする。<br><br>とにかく、何を言いたいのかといえば、<br>ただただ素直に<br>俺ガイルという作品と<br>渡　航先生に<br>感謝。<br>これからも応援する所存であります。<br><br>小町かわいいよね。<br>大好きです。<br>小町を除いて、キャラの好みをいうなら、<br>二次元という観点から見れば<br>ゆきのんが好き。<br>ただ、リアルを考えると<br>結衣が好き。<br>結局、どっちよって話だよね。(笑)<br>どっちにもそれなりの良さがあって<br>悪いところもあって<br>でも、そういうところがいいのであって<br>本当に完璧な人間がいたりしたら正直怖いよね。<br>ちなみに八幡のひねくれっぷりは素晴らしいと思います。<br><br>P.S<br>俺ガイルのおかげで千葉知識が増えました。(笑)<br>麦芽ゼリー食べてみたいな・・・<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hidica06/entry-11609001461.html</link>
<pubDate>Sat, 07 Sep 2013 23:50:34 +0900</pubDate>
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