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<title>Hidefumi Otsukaのブログ</title>
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<description>最近読んだ本や経験した様々なことについて書いていこうと思います。</description>
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<title>街場のアメリカ論　内田樹　21冊目</title>
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<![CDATA[ 内田樹氏の本については、以前ブログにて「日本辺境論」のところでも紹介した。<br><br>http://ameblo.jp/hiotsuka117/entry-10543056250.html<br><br>日本文化についての着眼点が面白いし、うなずく点があったので、彼の別の作品についても読みたくなった。そこで、何冊か購入、そのうちの「街場のアメリカ論」について紹介したいと思う。<br><br>私はアメリカに7年住んだ経験があるが、それなりにアメリカについて<br><br>この本でも「そうだったのか！」という気づきの連続だった。例えば、各々疑問に対して面白い回答を示している。<br><br>１）なぜアメリカには肥満が多いのか？とくに低所得層に？<br>低所得層は、豊かな文化資本を享受できない。そして、その怒りを表現するため、何らかのステレオタイプ的な振る舞いを演じなければならない。そのため、ジャンクフードを食べ、ビールを飲むことで、200キロの体重を誇示する。彼は、これを「階級的異議申し立てとしての肥満」と表現。また、食事についてはヴェジタリアンにせよ、スローフード派にせよ、すべてが政治に結びついていることにも言及。食べ物はそれを実践すると他のものがごみに見える可能性があるため、注意を要するということも指摘。非常に面白いと思った。<br><br>２）アメリカで臓器移植や美容整形が盛んなのは？<br>アメリカという国がそもそも理念先行型の国のため、身体加工に対してもそもそも抵抗が希薄。身体を乗り物として考える。そのため、できるだけ高性能の、ピカピカしたものの方がいいと考える。そこから、臓器移植、美容整形、身体加工の技術が発達。これから、ワークアウトを含め、筋肉増強剤、ステロイドなどへと手が回る。中絶問題やジェンダーの問題についてのアメリカのとらえ方もこの観点から考えると分かりやすいと思った。<br><br>３）上が変でも大丈夫？<br>アメリカは理念によって成り立った国である。つまりすでに理想的な国家である。そこから、いかにして悪くしないか？そういった視点から、国家としてどう改善するかではなく、どう悪化を防ぐのか？という考えのもとで設計されている。だからこそ、凡庸な人間を選んでしまうというアメリカの独特なシステムが機能するとのこと。例えば、ブッシュ大統領は、文法の間違った発言やイラク戦争、経済政策の失敗があるにも関わらず、アメリカ人の好感を読んだのは、この国の独特な政治システムにあると。<br><br>この三つを取り上げても、非常に面白く、アメリカは他の国に比べて非常に独特であることに気づかされる。内田氏はこの本で、何度もフランス人の学者トグヴィルを紹介しているが、その人がみたアメリカ観は非常にするどく、興味深い。<br><br>いずれトグヴィルの本はチェックしてみるにしても、アメリカについて、ヨーロッパとも、アジアとも違う独特な国であることを気づかされる一冊である。<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=10209983" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">街場のアメリカ論 (文春文庫)/内田 樹<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F41TfRRxMUzL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥620<br>Amazon.co.jp<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hiotsuka117/entry-10555496851.html</link>
<pubDate>Fri, 11 Jun 2010 16:11:39 +0900</pubDate>
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<title>考えるヒント　小林秀雄　20冊目</title>
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<![CDATA[ 小林秀雄氏の本といえば、大学受験でよく出る文章又は難解というのが第一に思い浮かぶ。そのため、今日の今まで読む気が起こらず、手に取ることが全くなかった。きっかけは、小林秀雄氏と岡潔氏の「人間の建設」を手にしたとき。この本については、以前ブログに書評を書いた。<br><br>http://ameblo.jp/hiotsuka117/entry-10542607978.html<br><br>この本は非常に面白く、数学のプロと批評家のプロの目から感性（情緒）がすごく大切なのだということをいろいろな事例をあげて語っていた。<br><br>せっかくなので、考えるヒントにチャレンジしてみよう！という気になり手にとって見た。確かに、難解な文章であるので、なかなか進まなかったが、ところどころなるほど！とうなるところもあった。例えば、歴史については、<br><br>近代の美術の歴史を読んていると、人為的な技巧や理論が行き詰まる毎に、自然に還るという考えが、優秀な画家に生じたことが分かる。<br>歴史を客観的にみるというような事は、実際には、誰の経験のうちにも存じない空言である。<br><br>そして福沢諭吉の箇所では、<br><br>西洋の学者は、すでに体をなした文明のうちにあって、他国の有様を憶測推量することしか出来ないが、我が学者は、そのような曖昧なことではなく、異常な過渡期に生きているお陰で、自己がなした旧文明の経験によって学びとった新文明を照らす事ができる。<br><br>それぞれが考えさせられる言葉であり、著者が題名に付けた考えるヒントにもなる。<br><br>さまざまな発した言葉の中でも一番興味を引いたのは、小林氏の本業である人に対する批評についてであった。<br><br>批評文としてよく書かれているものは、皆他人への賛辞であって、他人への悪口で文をなしたものではない事に、はっきりと気付く。そこから素直に発言してみると、批評とは人をほめる特殊の技術だ、と言えそうだ。<br><br>そして、小林氏は、人をけなすというのは、批評家の持つ一技術ですらなく、批評精神に全く反する態度であると断言する。そういえば、辛口に人物批評をする伝記作家の小島直記氏は、人の伝記をうまく書くコツの一つははその人がすごく好きかどうかであるといっている。<br><br>私自身、「人をほめること」は、その人に対して愛情をもつこと。そしてこちらの心がある程度澄んでいないと出来ないことだと思う。なんといっても、人間は悪いところの方が、良いところより目立つわけだから。<br><br>そのためには、如何に自分の心の中の余計な考え方をそぎ落として、シンプルに物事を考えるか？ということが最も大切ではないか。この3年間はヨガを実践しているが、あまり人間の悪いところに目が行かなくなり、心が落ち着いてきている。それは、ヨガにより余計な考え方がそぎ落とされているためだと思う。<br><br>余計な考え方をそぎ落とすことについては、仏教の考え方が非常に面白いので、ブログにていずれ紹介していきたい。<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=10208885" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">考えるヒント (文春文庫)/小林 秀雄<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51SERF7MQRL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥590<br>Amazon.co.jp<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hiotsuka117/entry-10555425966.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Jun 2010 20:51:58 +0900</pubDate>
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<title>ちょっとお抹茶しませんか　ゆるゆるほっこり茶道生活　渋谷陽子　19冊目</title>
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<![CDATA[ 前回コラムで、茶道や書道を始めるきっかけを書いたと思う。その茶道の先生からの紹介で出会った一冊の本を紹介する。<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=10208623" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">ちょっとお抹茶しませんか―ゆるゆるほっこり茶道生活/渋谷 陽子<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F41NWCM53Z1L._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥1,365<br>Amazon.co.jp<br><br>　この本は、茶道のもっとも基本的な、道具、作法、稽古の仕方、言葉使い、お茶室、お軸、お菓子、着物、小物などについてわかりやすく説明しており、茶道を知る人にとって非常に心強い本である。<br><br>　私自身、この本の中で印象に残ったのは、掛け軸の説明の箇所。私自身、掛け軸のところが、非常に謎でよく分からなかった。茶道の歴史背景については、今後いろいろな本を読んでいこうと思うが、この本によると、茶道は禅宗と一緒に入ってきたとのこと。つまり禅語で掛け軸は書かれることが多い。ほかにも、詩、和歌、俳句、または絵画などによる表現もある。<br><br>　この本では以下の三つの禅語を紹介している。<br><br>喫茶去（きっさこ）　<br>意味は、（くだらない議論はさておき）お茶を飲もうという意味で、日常の中に真理あり<br><br>薫風自南来（くんぷうみなみよりきたる）<br>対句に殿閣生微涼（でんかくびりょうをしょうず）。初夏、さわやかな風が南より吹いて、宮殿の部屋が微かに涼しさを感じる。ちょっとした季節の変化に気がつく気もちの余裕を持つ<br><br>地獄非遠佛又目前（じこくとおからずほとけまたもくぜん）<br>地獄も極楽もすぐ目の前にあり。それは隣り合っているの意味<br><br>それぞれが言葉として奥深さを感じるのと同時に、言葉で説明するというよりも心を大事にせよというように言われている気がする。茶道についてはこれから少しずつ学んでいこうと思うが、禅や佛教などの背景を知りながら、入っていくというのも面白いと感じた。<br><br>
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<pubDate>Mon, 07 Jun 2010 18:20:40 +0900</pubDate>
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<title>【コラム】　日本文化と体感すること</title>
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<![CDATA[ 　最近様々な出会いがあり、現在、書道と茶道の先生を通じて日本文化について触れる体験を多くしている。私自身、日本文化というものに興味を持ったのは、アメリカはロサンゼルスにすんだ頃から。ロサンゼルス滞在が7年で、小、中学校のほとんどを海外で過ごした私は、その時々で日本という国はどういう国だ？ということを聞かれた。そのたんびに、日本という私のルーツを考えることになったが、なかなか回答に苦慮した。<br><br>　日本に戻り、本格的に読書を始めたのが、大学受験を失敗した後。高校時代の友人を通じて紹介があった「竜馬がゆく」という本との出会いにより、まずは日本の文化を知るには、歴史を知るべしということで、司馬遼太郎、渡部昇一、池波正太郎、井沢元彦などの著作を中心に様々な本を読んだ。<br><br>　本を通じて読んで、知識の足しにすることで、満足していたし、それなりに日本文化を説明できたかと思う。しかし、最近、それに対して考え方が変わってきている。<br><br>　そのきっかけとなったのは、何人かの友人によって強い勧められ始めたダイビング。ダイビングを始めるまでは、いろいろな挫折経験を味わい、自分の仕事における、そして能力における限界というものを感じていた。このままでよいのだろうか？果たして、自分はどう生きたいのか？自分にはどういった個性があるのか？など。<br><br>　もうすでにダイビングを始めてから5年がたつ。ダイビングというのは、いわば魚や地形をただ単にじっくりと見ることだけのもの。普通ならば言葉で書けばこの程度。しかし、水中の世界は書物では説明できない世界であり、非常に心が動かされる世界である。しかも、毎回のダイビングの場所も違う。物やことに対して、「心が動かされる」というのはどういったものなのか？というのがはじめてわかった気がした。<br><br>　それがきっかけとなり、体感する、心を動かすといったことを大切にするようにし、コーチング、NLPなどをつうじてコーチングを体感したり、それがきっかけとして出会った、書道、茶道へ趣味の範囲を広げるようになってきた。<br><br>　話が前後してしまったが、現在は、日本文化についても、心から動かされる体験を通じて、学びたいと思っている。書道や茶道は、体験的に学んでいるにすぎないが、毎回毎回、学ぶことが多く、しかも心から動かされる体験として学んでいる気がする。<br><br>　私自身、主にこのブログでは、書物の書評や実際自分が体感していたものを書いていくつもりだが、実際体験を通じてどう自分の中で心が動かされたのか？それに注目してい書いていこうと思っている。
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<link>https://ameblo.jp/hiotsuka117/entry-10555397115.html</link>
<pubDate>Sun, 06 Jun 2010 11:18:07 +0900</pubDate>
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<title>時代を見抜く「統計思考力」　神永正博　18冊目</title>
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<![CDATA[ 　未来を考える上で、そして未来を予測していくうえで何が大切なのか？<br><br>　私自身、統計の考え方が非常に重要だと思っている。様々なデータをとってきたうえで、一般化していくうえで統計学の考え方ほど便利なものはないから。そこで、絶えず統計に関する本はチェックし、実際何冊か読んでいるが、統計については、考え方を述べた本と具体的にどのような道具があるのかといった二種類の本があると思う。今回神永正博氏の本、「時代を見抜く「統計思考力」」は考え方を述べた本で、非常に分かりやすかった。<br><br>　なぜわかりやすかったかといえば、まず、データ分析力＝統計思考というものに対してその必要性について非常に簡単に書いている点である。<br><br>　データ分析が、自力でものを考える際に強力な武器になる。<br><br>　そして、その武器を身につけることによって<br><br>　他の人が気付いていない問題を見つけ出し、自分で考えて結論を出すことです。<br>　だれかが書いたデータの解釈を読まされている状態から、<br>　自分でデータが読めるようになれば、見える世界が変わってきます。<br><br>　と。そこで、この著作では、データを三つの切り口から述べている。<br><br>１）データを見ること<br>データを情報源（元データはどこにあるのか）を調べること。<br>必ずしもデータが正しいとは限らないことを知ること。<br><br>２）データを読む<br>統計学の基本をまず知る。<br>そこから正しく読むこと。<br><br>３）データを利用する<br>未来を予測すること<br>思考を練磨すること<br><br>　いずれも非常に面白い切り口で、こういったフレームワークを理解しておくと、市場調査や薬の効き具合などもよくわかるので、今後自分の仕事にも役立ちそう。中でも、一番おもしろかったのは、１）のデータを見ることで、著者が「若者の読書離れは本当か」について検証してみた部分。<br><br>著者は本の売り上げが、1997年をピークに売り上げが落ちていることと、インターネットの閲覧者が増えてきているのでそれが関連しているのではないかと話を進めた後、1か月の平均読者冊数の推移をみたデータを紹介。それによると、小学生がなんと、1978年の4.5冊に比べ2008年は11.4冊へ、中学生は、2.0冊→3.9冊、高校生は1.4冊→1.5冊になっている。<br><br>また、図書館の貸し出し数は、直線的に増加、2006年の貸し出し数は、6億5500万冊と86年の4億1800万冊に比べるとなんと、2.5倍以上。また、書籍、雑誌の流通をみると、2006年の出回り冊数は、12億8324万冊だったという。<br><br>ということは、若者の読書離れだとか、本離れということが嘘となり、実際は、本は読まれていることになる。<br><br>こういった着眼点がいたるところに、この本ではちりばめられており面白い。<br><br>私自身は、活字離れはそれほど進んでいるわけではなく、どちらかということ質の高い本が少なくなってきているためというのもあるし、本の買え控えが起きており、図書館に行く人たちが増えているのではないかと思われる。現在、図書館やマンガ喫茶、そして現在の電子書籍などで、あえて本を購入しなくても活字を読めるようになって現代。どう発想していくのか？この本はそういった意味で非常に興味深い。<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=10208082" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">不透明な時代を見抜く「統計思考力」/神永 正博<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F419vMGbnvyL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥1,680<br>Amazon.co.jp<br><br>
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<pubDate>Sun, 06 Jun 2010 10:52:16 +0900</pubDate>
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<title>情緒と日本人　岡潔　17冊目</title>
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<![CDATA[ 　以前、小林秀雄氏と岡潔氏の対談、「人間の建設」を読んだが、小林氏と岡氏の言葉一つ一つに奥深さ、強さを感じたために、それぞれの本を読みたくなった。小林秀雄氏については「考えるヒント」を、そして岡潔氏の「情緒と日本人」。そのうち岡潔氏の「情緒と日本人」を紹介する。<br><br>　私自身、いい本とは、その人の個性が強く出てかつ、その人が強く心から動かされた出来事を書いた本だと思っている。岡潔氏は文化勲章を受章するぐらい、超一流の数学者。数学者といえばロジックを組み立てて、答えを出すというのが一般的なイメージだと思う。だが、岡氏に関しては、数学において重要なのは情緒だという。<br><br>　考えてみれば、数学というのはいかに美しい法則や式を見つけ出すか？といった側面がある、いやこれの方が重要ではないかと思う。これは、論理ではなく、いかにそれに対して美しく感じるかである。それは、物理学や化学そして生物にも美しい法則みたいなものもある。実際私が研究者として、生物学に携わって来た経験から、DNAの二重らせん構造、細胞、そしてそれらの謎を一つ一つ紐解いていくことに非常に美というものを強く感じた。<br><br>　研究者は一般的に好奇心というものによって突き動かされる面があるので、そう考えてみると情緒は学問をやっていくうえで情緒が重要だるという炯眼には驚かされる。<br><br>　この本は、名言集であり、岡氏が出版した本の中でとりわけ、一貫して主張してきた箴言であり、一言一言が非常に力強く感じる。ここでは、が印象に残った言葉を紹介する。<br><br>＃日本人と情緒について<br><br>　人と人との間にはよく情が通じ、人と自然の間にもよく情が通じます。これが日本人です。<br><br>　例えば、すみれの花を見るとき、あれはすみれの花だと見るのは理性的、知的な見方です。むらさき色だと見るのは、理性の世界での感覚的な見方です。そして、それはじっさいにあると見るのは実在感としてみる見方です。<br>　これらに対して、すみれの花はいいなあとみるのが情緒です。これが情緒とみる見方です。情緒とみた場合すみれの花はいいなあと思います。芭蕉もほめています。漱石もほめています。<br><br>　典型的な日本人は真の自分は死なないし、自分と一人とは心が通じ合い、自分と自然とも心が通い会うと思っているらしい。これは芭蕉の俳句を見ればよくわかる。仏教の言葉でいえば、真我的なひとである。<br>　芭蕉の<br>　秋深き隣は何をする人ぞ<br>　を芥川龍之介は、人は一人一人個々別々である人の世の底知れぬ淋しさ、ととったらしいが、本当はこうだったのである。<br>　秋も深まると隣人は何をしているのだろうと懐かしくなる。わからないという淋しさもあるが、それは表面だけであって底は懐かしいという温かさである。それが人の世の「あわれ」である。これが芭蕉の俳諧の心である。<br><br>＃情緒と人間について<br><br>　情緒を形に表現することは大自然がしてくれるのであるから、大自然に任せておいて、人は自分の分をつとめるべきである。情緒を清く、豊に、深くしていくのが人の本分であろう。これが人類の向上ではなかろうか。<br><br>　命令は大脳新皮質の「情」から出て、それが側頭葉に届き、はっきり意識せられて感情となり、これが意欲の方向を決定し、前頭葉の命令となるのが唯一の正しい大脳の働かせ方である。<br><br>＃日本文化について<br><br>　日本語は物を詳細に述べようとすると不便だが、関係に言いきろうとすると、世界でこれほどいい言葉はない。簡潔ということは、水の流れるような勢いをもっているということだ。<br><br>　日本はこれまで有形の文明に接したことが三回あります。シナの文化、もうちょっと遅れてインドの文化。それから欧米文化。日本の文化は無形の文化です。三度とも、初めて接した有形の文化をいともやすやすととりいれている。これは各人がきわめて的確にその中核を把握することができるからです。これが情操判断です。日本人は情操判断がよくできるから、とりいれるときはよいですが、その文化の中にいるうちに、すっかりだらしなくなって真似のためのまねしかしなくなる。これはなぜかと言いますと、西洋の文明は内容は感情です。その感情におぼれてしまう。そうしたらもう情操は働かないのです。感情の色どりというのは、必ずなにがしかの意味で自分で自分というものを入れるから、強い彩りになる。だから、それに惹かれるのです。しかし、純粋な情操は自分というものの入れられないものです。だから、感情の水の中では情操判断が働かないのです。理性と言っていますが、感情のはいらんような理性をやって御覧なさい。できません。これも広義の感情判断です。<br><br>＃教育について<br><br>　人の子を育てるのは大自然なのであって、人はその手助けをするにすぎない。「人づくり」などというのは思いあがりもはなはだしいと思う。<br><br>　教育というのは、ものの良さが本当にわかるようにするのが第一義ではなかろうか。<br><br>　いいことをしましょうといったってできはしません。悪いことをするなです。<br><br>　世界の始まりというのは、赤ん坊が母親に抱かれている、親子の情は分かるが、自他の別は感じていない。時間という概念はまだその人の心にできていない。そういう状態ではないかと思う。そののち人の心の中には時というものが生まれ、自他の区別ができていき、森羅万象ができていく。それが一個の世界が出来上がることだとおもいます。そうすると、のどかというものは、これが平和の内容だと思いますが、自他の区別がなく、時間の概念がない状態でしょう。それが情緒なのです。だから時間、空間が最初にあるというキリスト教などの説明の仕方ではわかりませんが、情緒が最初に育つのです。自他の別もないのに、親子の情というのはありうる。それが情緒の理想なんです。矛盾ではなく、初めにちゃんとあるのです。そういうのを情緒と言っている。わたしの世界観は最初に情緒ができるということです。<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=10189089" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">情緒と日本人/岡 潔<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F41WKDs6QERL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥1,050<br>Amazon.co.jp<br><br>
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<pubDate>Fri, 04 Jun 2010 23:39:00 +0900</pubDate>
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<title>美しき日本の残像　アレックス・カー　１６冊目</title>
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<![CDATA[ 　書道や茶道など最近日本の文化についてじかに触れる機会が多い。アレックスカーの本について、以前司馬遼太郎氏の本を読んでいたころに名前を聞いたことがあった。しかし、著作をしることなく、今まで読んだことがなかったが、読書家の友人からの勧めで手に取ってみた。<br><br>　日本に実際に在住し、日本について文化の側面や本人の経験から語った一冊で、非常に興味深いことが書かれていたが、とくに面白かった中国と日本の違いについて触れたいと思う。<br><br>　著者は、エール大学で日本学を専攻、大学院のオクスフォード大学では中国学を専攻と日本と中国に対して造詣が深い。著者の言葉を借りると、<br><br>　日本と中国は大きく違います。中国の場合、孔子、孟子をはじめ、哲学者と文人が高貴な思想を巧みに文章にして後世に残しました。一方、日本文化の歴史の中に哲学者と、はっきりした「思想」を探しても、おどろくぐらい見当たらない国です。極論を言えば、日本は思想のない国です。<br><br>　という。しかし、一方で<br><br>　日本では文化のエッセンスは言葉として本には書かれてはいませんが、目に見えないところに日本の思想がやはりあったのです。伝統芸術に流れていたのです。だから日本には孔子、孟子、朱熹はいませんでしたが、定家、世阿弥、利休などいました。彼らは日本の真の哲学者だったのです。<br><br>　と、伝統芸術に目を向ける。<br><br>　例えば、<br><br>　日本ほど精密に洗練された伝統芸術は世界に類がないと思います。抹茶、煎茶、お能、仕舞、武道、香道、書道、日本舞踊、生け花、楽器、俳句、連歌、詩吟・・・　きりがありません。それぞれの分野でもまたおびただしい数の流派に分けられ、日本の伝統芸術の規模を考えると気が遠くなるのです。<br><br>　このように伝統芸術がしっかりと決められた国だとどうしても個々の個性は消えていってしまうように気がしてならない。例えば、アメリカの文化や他の国の文化をみると、いかに他人と違う個性を見つけ出すかという観点でとらえるわけだし、手順の多さのものに触れると、僻々するのではないかと思う。<br><br>　そうはいうものの私自身、最近、書道や茶道の奥深さに興味を持っている。一見無駄な作業をしているように見えて、そうではない。それは、物よりも心を大切にする考え方を学べるからだと思う。そういえば、私の趣味のダイビング、ヨガも心を大切にすることを教えてくれている。そういった意味では、今の日本の文化を発信していくのは、時代にマッチしている。<br><br>　しかしながら、日本の文化は表現が不足して、内に閉じこもってしまう傾向が強いのがいまだ見上けられる。せっかくインターネットにより表現手段が多様になったことからどんどんこれから発信していくべきし、よさはどんどん伝えていくべき。<br><br>　日本で生まれたことへの感謝とともに、この素晴らしい国については今後ともいろいろ触れて行きたいし、発信もしていきたい。<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=10146280" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">美しき日本の残像 (朝日文庫)/アレックス・カー<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F510QJA43QAL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥714<br>Amazon.co.jp<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hiotsuka117/entry-10549041641.html</link>
<pubDate>Wed, 02 Jun 2010 12:21:45 +0900</pubDate>
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<title>簡単に、単純に考える　羽生善治　1５冊目</title>
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<![CDATA[ 　将棋のトップ棋士と活躍している羽生善治氏はどのように物事を考えているのだろうか。その一点に興味があり、「簡単に、単純に考える」を手に取ってみた。タイトル通り、頭の良い人は、物事を単純化することが非常に優れていることが良く分かる。<br><br>　以下、興味のあった個所を書く。<br><br>＃本質を見抜く<br><br>　年を重ねていくと、ただ読むのではなく、思考の過程をできるだけ省略していく方法が身につく。修羅場に強くなるというか、経験をうまく生かしていくのである。<br><br>　思考の過程を省略する方法とは、本質を見抜く目だと考えている。<br><br>　最近よく考えるのですが、体系化というのは、言葉を換えると単純化ということだと思うんです。物事をどんどん単純化していく作業です。（略）将棋の歴史は長いんですが、システム化（体系化）という部分に関しては、まだ始まったばかりなのです。例えば、学問や科学のように何千年という歴史がある世界に比べると、まだまだレベルが低いし、未知の領域が広いと私は思います。<br><br>＃頭の使い方<br><br>　タイトル戦などの二日間にわたる対局では、私はいかに集中するかじゃなくて、いかにうまく休むかということを考えていきます。長時間、例えば一時間まるまる集中するというのは相当難しいことなんですね。<br><br>　対局中に考えるときには、論理的に考えてはいないんです。つまり、こうやって、こうやって、こっちがいいから、元に戻って、今度はこの手を考えていくにはこう、こう、こうなって、こっちがいい・・・とか、あるいは、今度は俯瞰してみて、どういう方向でさせばいいか、というように整理整頓された考え方というのはしていないんです。その局面の10手先のことをパッと考えてみたり、ふっと休んでみたり、すごくバラバラに考えているという感じですね。最後に、指し手を決断する時になって、バラバラに考えたものをまとめるという感じです。<br><br>＃大局観<br><br>　将棋には「読む」プロセスと「大局観」で判断する局面がある。「読む」作業は、余計なことを考えずに、ただ指し手を次から次へと頭の中で進めていき、その結果どういう場面になるかを想定することである。一方、大局観は、ぱっとその局面を見て、今の状況はどうで、どうするべきかを直観で判断することである。当然、若い時には体力もあり、集中力も高いからたくさん読める。（略）しかし、大局観が身についていないので、読みに頼り、自分が読んだことでしか決断できないという状況に陥りやすい。<br><br>　将棋の場合には洞察力といっていいのかどうかわからないんですが、大局観とか、第一感というのが大事になってくるんです。ここが勝負の山、勝負の分かれ目みたいな局面が、一局のうち二、三回出てきて、その局面での実力が問われることもありますが、ここが勝負どころだと感じるかどうかも実力のうちなんです。勝負所かどうか感じて、なおかつそこで判断し、さした手がいいか悪いか、その両方を見ないと本当の実力は分からない。基本的にプロの棋士の場合ですと、実力的にはそれほど差がないので、大局観の微妙な差がついていることが多いですね。<br><br>＃知識と直観<br><br>　直観力を養うには、現場に出かけて、進行形の勝負を肌で感じて考えることが一つの方法である。<br><br>　将棋の研究は、いわゆる知識を増やすための研究と、感を育てるための研究と二通りあるんです。将棋は知識もすごく大事で、今指摘されている最新の形を理解していくことには私もある程度時間をかけます。感を磨いていくためには盤上で考えるのではなく、たとえば、ラグビーを身に行くとか、音楽を聞くとか、（略）別に将棋に関係なくてもいいのです。そういう、経験が積み重なって感性が磨かれていくんじゃないかと思います。どの部分がプラスに働いたというよりも、いろいろなことから受ける刺激が総合的に感性を研ぎ澄ませていくんじゃないかと思います。このバランスを取るのはかなり難しく、知識に偏ってしまうと、感性が鈍ってしまうし、感性に頼りすぎると将棋が雑になってしまう。どちらもいい感じで合わさったときに、勘も冴えるし知識も役に立つんでしょうね<br><br>＃情報を捨てることの重要性<br><br>　棋譜にしても、毎月増えていきますから、とても全部見ていくわけにはいきませんから、どれを見るかが大事になる。さらにいうならば、山ほどある情報から自分に必要な情報を得るには、「選ぶ」より「いかに捨てるか」の方が重要なことだろうと思います。実際の大局でも、この局面でどの手をさすかは、いくつかの手の中から選んでいるのではなく、この手はありえない、この駒を動かすこともあり得ないと、瞬間的に消していっているようなところがありますよね。ですから、手は浮かぶものではなく、どんどん消して行ったあとに残ったものなんですね、きっと。<br><br>　将棋の場合には一つの判断を積み重ねていくことで、ある程度のレベルに達するとは思います。ただ、創造力というのは、そういったものの全てを省略して生まれてくるんじゃないかと思うのです。<br><br>　将棋は、一つの局面でだいたい１００通りぐらいの可能性があるのですが、その局面で二、三通りの手を直観によって選ぶんです。残りの９０％以上は読まないで捨ててしまうわけです。思考を省略するわけです。<br><br>　自分の力で必死に考えることが大事なのです。対局中はデータとかを捨ててしまえば、自分で考えるしかないじゃないですか。そういう方が、自由に発想できて、いろいろ思いつくことが多いのです。<br><br>　経験を積むと、「こうすべき」ということが染みつきますね<br>　<br>　<a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=10102312" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">簡単に、単純に考える (PHP文庫)/羽生 善治<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51R3BK59SNL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥560<br>Amazon.co.jp<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hiotsuka117/entry-10549017568.html</link>
<pubDate>Tue, 01 Jun 2010 10:27:34 +0900</pubDate>
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<title>科学との正しい付き合い方　内田麻理香　14冊目</title>
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<![CDATA[ 　私は、かつて研究者を目指して、大学院に入って学位もとった。しかしながら、興味が発散しがち、深く一つのテーマを追求できないという自分の考え方及び研究者としての限界に気付き、7年前に研究者をあきらめた経歴を持っている。お陰で、社会に出るのが遅くなったが、その分、新鮮味を持って仕事に取り組んでいる。<br><br>　かつて、サイエンスを伝える仕事に就きたいなぁ、と漠然と思い、それを目指していたが、いろいろな人との出会いがあり、現在の製薬会社でマーケティングの仕事にたどり着いた。人の運命というのは分からないものだ。<br><br>　さて、同じように研究を目指し、大学院に入ったが、途中で研究者を辞め、サイエンスライターの道に入った内田麻理香氏の本「科学との正しい付き合い方」を今週末読んだ。<br><br>　経歴が私に似ているところのみならず、サイエンスを伝える人はどのようにして伝えているのだろうか？という点にすごく興味を持った。<br><br> 内田氏によるとサイエンスを伝えていく際には、「見える科学技術」として伝える方法と、「見えない科学技術」として伝える方法の二つがあるとのこと。<br><br>　見える科学技術の表現法としては、いわゆる、正統的な科学技術を伝えるスタイル、すなわち「正確に」「わかりやすく」伝えることになる。例えば、<br><br>　川の浅瀬の流れが早い。その急流は岩にせき止められたのち、流れは二つに分かれる。<br><br>　これに対して、指摘されないと分からないような、暗示的に伝える方法、すなわち「見えない科学技術」で同じように上記の文章を伝える場合には、<br><br>　瀬を早み　岩にせかるる　滝川の　われても末に　あはむとぞ思ふ　崇徳院　（小倉百人一首）<br><br>　となる。<br><br>　サイエンスを伝える場合には、科学論文からはじまり、ブルーバックスなどの本が有名だが、どうしても「見える科学技術」の本が多くなりがち。そのため社会と結びつきが希薄になる傾向がある。やはり社会との結びつきがあるからこそ、面白いわけだから。実際、ノーベル文学賞を見ているとサイエンスをやる人からは出ていないという例も興味深い。<br><br>　もっともっと、「見えない科学技術」による表現方法に注目されるべきだとのこと。そうすることで、より科学に対する興味を増すということを伝えたいと思った。<br><br>　考えてみれば、科学については、ミステリーと結びついた、ダン・ブラウンの本や東野圭吾の「ガリレオ」がある。社会とサイエンスがもっと結びつくような伝え方ができるとおそらく、科学に対する興味を増し、いまのようなサイエンス離れは食い止められるのではないかと思う。<br><br>　サイエンスの経験があるので、自分自身、もっとサイエンスについても社会との関係で今後、発信してきたいと思う。<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=10101821" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">科学との正しい付き合い方 (DIS+COVERサイエンス)/内田 麻理香<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F513vGQVwSVL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥1,260<br>Amazon.co.jp<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hiotsuka117/entry-10548982439.html</link>
<pubDate>Mon, 31 May 2010 13:41:18 +0900</pubDate>
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<title>生き残る技術　小西浩文　13冊目</title>
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<![CDATA[ 　昨年とある講演会で、登山家の小西浩文氏についてのエピソードが出てきた。<br><br>　いわく小西氏がもっとも重視するのは、人に対する見る目。なぜならば、登山は一人で登るだけではなく、周りの助けをもらわないとできないこと。それができないと、命にもかかわってくる。だから人に対する見る目が重要なんだと。<br>　<br>　へぇ、これって面白い。もし、小西氏の本が出たら読もう！と思っていたら、今年の1月に新書で、「生き残る技術」を発見。そこで、この本に人間に対する見る目が書かれているかどうかを見ながら読んでみた。<br><br>　実は、この本を通じてわかったことだが、彼自身のチームを作る際には、人選を最も重視するとのこと。登山をするということは、ある意味で、「限界を超える」ための組織を作ること。使えない人間を一人前に教育する組織ではないと彼はいう。以下、彼の言葉を引用すると<br><br>「人選を誤って、そのような組織に「素人」を入れてしまうと、その人にも組織にとっても不幸である。この「素人」にすると、自分には分不相応な目標に対して、能力的にも、精神的にも追い詰められる。つまり、「悪い困難」になってしまう。ほかのメンバーも、この「素人」の面倒を見たり、フォローをしたりしなくてはならず、結局、チーム全体が本来の力を発揮できなくなってしまう。みんなが不幸になるのだ。」<br><br>　と述べ、実際に、そういった人を背負いこんで、失敗した事例を紹介している。では、小西氏の人選はどのように行っているのか？<br><br>　彼が重視しているのは、ずばり「顔つき」。<br><br>　実際に、登山のパートナーを選ぶとき、あらかじめ顔写真を送ってもらい、顔面の筋肉に注目するのだ。実は、意外と知られていないが、顔は筋肉の塊である。そして、<br><br>「筋肉という器官は、脳の影響を色濃く受ける。筋トレをしたことのある人ならばおわかりかもしれないが、ただ腕たて伏せや腹筋運動をするのではなく、筋肉がついた状態をイメージして鍛えると、数倍のトレーニングの効果がある。太い腕になりたいと思って、集中してトレーニングすれば、やはり腕は太くなる。<br>（略）<br>　そもそも、ものをとる、つかむ、歩くなど、脳の指令をダイレクトに受けて、その通りに動くのが筋肉の役割である。脳と筋肉は繋がっているのだ」<br><br>　という。つまり、顔とは「脳が作った形」だということ。つまり、顔にはその人の心が現れるのだ。そして、小西氏の経験から<br><br>１）人生に対して前向きな人は、やはり口角がきゅっと上がっている<br>２）後ろ向きな人は、口が下がっている<br>３）人生という勝負を攻めている人間は、目の周りの筋肉が発達している。<br><br>　と述べ、顔つきは、その人の生きてきた履歴であり、歴史と表現している。<br><br>　その後、直接会って、プライベートなこと、実際に五感を使って、最終的に人間としてチームに加えるか判断するとのこと。<br><br>　なるほど、顔つきにはこのように深い意味があるのだと、この本を読んで改めて、人に対する見る目の奥深さを実感した。よく自分自身も人間観察をし、目を見て、まっすぐ先を見る人はまず間違いなく、前向きな人間で、自分自身を高めてくれる人だということが判断できる。<br><br>　人間関係はいわば鏡。自分自身が成長していい人間になっていくためには、いい人間が周りにいることが必須。そのためにも、人間に対する見る目は私自身は大切だと思う。今後、もっとこの顔つきというものに注目し、人間に対する見る目を養っていきたい。<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=10093239" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">生き残る技術 -無酸素登頂トップクライマーの限界を超える極意- (講談社プラスアルファ新書)/小西 浩文<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F41D%252B5bG5YGL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥880<br>Amazon.co.jp<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hiotsuka117/entry-10548371470.html</link>
<pubDate>Sat, 29 May 2010 20:30:32 +0900</pubDate>
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