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<title>ひろりんの日々～心の対話を求めて～</title>
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<description>精神対話士をめざして日々学ぶなかで思わされたこと、気が付いたことなどを徒然と語っています。</description>
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<title>「受容」「共感」ばかりではなく</title>
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<![CDATA[ 人様と対話させて頂くとき大切だと言われる「受容」と「共感」。<br>「ええ、そうですね」<br>「うんうん、わかります」<br><br>私自身も、誰かに相談に乗ってもらうとき、そんな言葉をかけてもらうと、「理解してもらえた」と、心強さや安心感を覚えることができます。<br><br>けれど、この頃思うことなのですが、この「理解してもらえた」感。ひとつ間違えてしまうと、恐ろしい勘違いが生まれてしまうような気がします。<br><br>「この人なら自分を分かってくれる」<br>「いつも味方だから(何を言っても)大丈夫」<br><br>というような「依存心」や「過剰な期待」。言ってみるなら「甘え」など。そんな気持ちの温床になってしまうこともあるのでは……そんな風に思います。<br><br>精神対話士をめざして日々学ばされているなかで思うことは、「私たちはお相手の機嫌を好くするために存在するのではない」ということ。<br>「お相手にとってただ居心地の好い関係である」ことだけが目標ではないということ。<br>対話士とクライアントだけの世界で完結するのではなく、私たちを通じて、お相手が外の世界とつながるきっかけとなること。それが大事なのでは、と思わされているこの頃です。<br><br>そのためには、私たち精神対話士(アマチュアとはいえ)の一人ひとりが、開いた世界に向けて心を持っていることができたら、私たちにつながる誰かの心の橋渡しのような役目を、時として担うこともできるのでは、なんてことを考えています。
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<pubDate>Wed, 11 Dec 2013 16:07:00 +0900</pubDate>
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<title>徒然とはじめます</title>
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<![CDATA[ 初めまして。<br><br>精神対話士をめざして勉強中のひろりんです。<br><br>ここでは、生きていくなかで、特に人間関係のなかで、私ひろりんが日々感じたことや学ばされたことなどについて徒然と語っていけたら、と思っています。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hirorin0121/entry-11726935563.html</link>
<pubDate>Tue, 10 Dec 2013 21:00:00 +0900</pubDate>
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