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<title>shige1953のブログ</title>
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<title>正法眼蔵随聞記第一（一七）</title>
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<![CDATA[ 　一七　雑話の次でに云く、世間の男女老少、多く交会婬色等の事を談ず。是を以《もって》心を慰むるとし興言《きょうげん》とすることあり。一旦意をも遊戯し徒然も慰むるに似たりと云ふとも、僧はもつとも禁断すべきことなり。俗猶よき人、まことしき人の、礼儀をも存じげにげにしき談の時、出来《いできた》らざることなり。只乱酔放逸なる時の談なり。況や僧は専ら仏道を思ふべし。雑語《ざふご》は希有《けう》異体《いてい》の乱僧の云ふことなり。宋土の寺院なんどには都《すべ》て雑談《ざふたん》をせざれば、其やうなることをも云はざるなり。吾が国も近ごろ建仁寺の僧正存生の時は、一向あからさまにも此の如きの言語出来らず。滅後にも在世の時の門弟子等少々残りとゞまりたりし時は、一切に云はざりき。近ごろ此の七八年より以来、今ま出《で》の若き人たち時々談ずるなり。存外の次第なり。聖教の中にも、麁強悪業《そがうのあくごふ》令人覚悟｜無利言説《むりごんぜつ》能障正道とありて、只うち出して云処の言《こと》ばすら、無利の言説は障道の因縁なり。況やかくの如きの言語はことばに引れて即ち心も起りつべし。最も用心すべきなり。故《こと》さらにかくなん云はじとせずとも、悪きことゝ知りなば漸々に対治すべきなり。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hiroshima1971/entry-11894367490.html</link>
<pubDate>Tue, 15 Jul 2014 06:54:00 +0900</pubDate>
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<title>正法眼蔵随聞記第一（一六）</title>
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<![CDATA[ 　一六　示して云く、学道の人衣糧を煩ふこと莫れ。只仏制を守て、世事を営むこと莫れ。仏の言く、衣服に糞掃衣《ふんざうえ》あり、食《じき》に常乞食《じやうこつじき》あり。いづれの世にか此の二事の尽ること有ん。無常迅速なるを忘れて徒らに世事に煩ふこと莫れ。露命の且《しばら》く存ぜるあひだ、仏道を思て余事をことゝすること莫れ。<br>　有人問て云く、名利の二道は捨離《しやり》し難しと云へども、行道の大なる礙《さは》りなれば捨てずんばあるべからず。故へに是を捨つ。衣糧の二事は小縁なりと云へども行者の大事なり。糞掃衣常乞食は是れ上根の所行、亦是れ西天の風流なり。神丹の叢林には常住物等あり。故に其煩ひ無し。我が国の寺院には常住物なし。乞食の儀も即ち絶て伝はらず。下根不堪《げこんふかん》の身、いかゞせん。然あらば予が如きは、檀信の信施《しんせ》を貪らんとするも、虚受《こじゆ》の罪随ひ来る。田商士工を営むは是れ邪命食《じやみやうじき》なり。只天運に任せんとすれば果報亦貧道なり。飢寒来らん時、是を愁ひとして行道を礙《さ》へつべし。或人諫めて云く、※［＃「にんべん＋爾」、第3水準1-14-45］《なんじ》が行儀はなはだし、時を知らず機をかへり見ざるに似たり。下根なり、末世なり。かくの如く修行せば亦退転の因縁となりぬべし。或は一檀那をも相かたらひ、若は一｜外護《げご》をもちぎりて、閑居静処にして一身をたすけて、衣糧に煩ふこと無く静に仏道を行ずべし。是れ便ち財物等を貪るに非ず。暫時の活計を具して修行すべしと。此の詞を聞くと云へどもいまだ信用せず。かくの如きの用心いかん。<br>　答て云く、但夫れ衲子《のつす》の行履《あんり》、仏祖の家風を学ぶべし。三国ことなりといへども真実学道の者いまだ此の如きの事あらず。只心を世事に執着すること莫れ。一向に道を学すべきなり。仏の言く、衣鉢の外は寸分も貯へざれ、乞食の余分は飢たる衆生に施せ、設《たと》ひ受け来るとも寸分も貯ふべからず。況や馳走あらんや。外典《げてん》に云く、朝《あした》に道を聞いて夕べに死すとも可なりと。設ひ飢へ死に寒《こご》へ死すとも、一日一時なりとも仏教に随ふべし。万劫千生《まんごふせんしやう》、幾回か生じ幾度か死せん。皆な是れ世縁妄執《せえんまうしふ》の故へなり。今生一度仏制に随て餓死せん、是れ永劫の安楽なるべし。いかに況や未だ一大蔵教の中にも三国伝来の仏祖、一人も飢へ死にし寒へ死にしたる人ありときかず。世間衣糧の資具は生得の命分ありて求に依ても来らず、求ざれども来らざるにも非ず。只｜任運《にんぬん》にして心に挾むこと莫れ。末法なりと謂ふて今生に道心発さずば、何れの生にか得道せん。設ひ空生迦葉の如くにあらずとも、只随分に学道すべきなり。外典に云く、西施毛※［＃「女＋嗇」、第3水準1-15-92］《せいしまうしやう》にあらざれども色を好む者は色を好む、飛兎緑耳に非ざれども馬を好む者は馬を好む、竜肝鳳髄にあらざれども味を好む者は味を好む。只随分の賢を用るのみなり。俗なを此の儀あり。仏家亦かくの如くなるべし。況や亦仏二十年の福分を以て末法の我らに施す。是に依て天下の叢林、人天の供養絶へず。如来神通の福徳自在なるも、馬麦を食して夏を過しましましき。末法の弟子、豈に是を慕はざらんや。<br>　問て云く、破戒にして虚く人天の供養を受け、無道心にして徒に如来の福分を費やさんより、在家人に随ふて在家の事をなして、命ながらへて能く修道せんこと如何ん。<br>　答て云く、誰か云ひし破戒無道心なれと。只強て道心を発し仏法を行ずべきなり。いかに況や持戒破戒を論ぜず、初心後心を分かたず、斉しく如来の福分を与ふとは見へたれども、破戒ならば還俗すべし、無道心ならば修行せざれとは見へず。誰人か初めより道心ある。只かくの如く発し難きを発し、行じがたきを行ずれば、自然に増進するなり。人々皆な仏性あり。徒づらに卑下すること莫れ。亦文選に云、一国［＃（ハ）］為［＃（ニ）］［＃二］一人［＃（ノ）］［＃一］興［＃（ル）］、先賢［＃（ハ）］為［＃（ニ）］［＃二］後愚［＃（ノ）］［＃一］廃［＃（ル）］と。言ふこゝろは、国に賢者一人出来れば其の国興る、愚人ひとり出来れば先賢のあと廃《すた》るゝなり。是を思ふべし。
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<link>https://ameblo.jp/hiroshima1971/entry-11893833268.html</link>
<pubDate>Mon, 14 Jul 2014 06:09:50 +0900</pubDate>
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<title>正法眼蔵随聞記第一（一五）</title>
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<![CDATA[ 　一五　示して云く、人は思ひ切て命をも棄て、身肉手足をも截《きる》ことは、中々せらるゝなり。然あれば世間の事を思ふに、名利執心の為にも多くかくの如く思ひ切なり。只依り来る時に事に触れ物に随て心品《しんぽん》を調《ととの》ふること難きなり。学者身命を捨ると思ふて且《しばら》くおしゝづめて、云ふべきことをも修すべきことをも、道理に順ずるか順ぜざるかと案じて、道理に順ぜば云ひ若《もしく》は行じもすべきなり。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hiroshima1971/entry-11893317259.html</link>
<pubDate>Sun, 13 Jul 2014 06:53:54 +0900</pubDate>
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<title>正法眼蔵随聞記第一（一四）</title>
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<![CDATA[ 　一四　夜話に云く、世間の人も衆事《しゆじ》を兼学していづれも能くせざらんよりは、只一事を能くして人前にしてもしつべきほどに学すべきなり。況や出世の仏法は、無始より以来修習せざる法なり。故に今もうとし。我性も拙《つた》なし。高広なる仏法にことの多般を兼ぬれば、一事をも成すべからず。一事を専にせんすら、本性昧劣の根器、今生に窮め難し。努力学人一事を専らにすべし。<br>　奘問て云く、若し然らば何ごといかなる行か、仏法に専ら好み修すべき。師云く、機に随ひ根に順ふべしと云へども、今祖席に相伝して専らする処ろは坐禅なり。此の行、能く衆機を兼ね上中下根ひとしく修し得べき法なり。我れ大宋天童先師の会下にして此道理を聞て後ち、昼夜に定坐して極熱極寒には発病しつべしとて、諸僧しばらく放下しき。我れ其の時自ら思はく、設《たと》ひ発病して死すべくとも、猶只是れを修すべし。病ひ無ふして修せず、此の身をいたはり用ひてなんの用ぞ。病ひして死せば本意なり。大宋国の善知識の会下にて修し死に死してよき僧にさばくられたらんは、先づ勝縁なり。日本にて死せば、是れほどの人に如法仏家の儀式にて沙汰すべからず。修行していまだ契悟《かいご》せざらん先に死せば、結縁として生を仏家に受くべし。修行せずして身を久く持《たもち》ても詮無きなり。なんの用ぞ。況や身を全ふし病ひ起らじと思はんほどに、知らず亦海にも入り横死にもあはん時は、後悔いかん。此の如く案じつゞけて、思ひ切て昼夜端坐せしに、一切に病ひ発らず。今各も一向に思ひきりて修して見よ。十人は十人ながら得道すべきなり。先師天童の勧めかくの如し。
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<link>https://ameblo.jp/hiroshima1971/entry-11892820504.html</link>
<pubDate>Sat, 12 Jul 2014 08:18:03 +0900</pubDate>
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<title>正法眼蔵随聞記第一（一三）</title>
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<![CDATA[ 　一三　夜話に云く、祖席に禅話をこゝろへる故実は、我が本より知り思ふ心、次第次第に知識の詞ばに随ひて改めもて行《ゆく》なり。仮令仏と云は、我が本より知たりつるやうは、相好光明具足し説法利生の徳ありし釈迦弥陀等を仏と知たりとも、知識若し仏と云は蝦蟆蚯蚓ぞと云はゞ、蝦蟆蚯蚓を是ぞ仏と信じて日比《ひごろ》の知解《ちげ》を捨つべきなり。此の蚯蚓の上に仏の相好光明、種種の仏の所具の徳を求むるも猶｜情見《じやうけん》あらたまらざるなり。只当時の見ゆる処を仏と知なり。若し此の如く詞に随て情見本執をあらためもて行かば自ら契《かな》ふ処ろあるべきなり。然あるに近代の学者、自らの情見を執し己見《こけん》を本として仏とはかふこそあるべけれと思ひ、亦吾が存ずるやうに差《たが》へば、さはあるまじいなんどゝ云て、自らが情量に似たることやあらんと迷ひありくほどに、大方仏道の精進なきなり。亦身を惜まずして百尺の竿頭に上りて、手足を放て一歩を進めよと云ふ時は、命ちありてこそ仏道も学すべけれと云て、真実に知識に随順せざるなり。能能思量すべきなり。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hiroshima1971/entry-11892264730.html</link>
<pubDate>Fri, 11 Jul 2014 06:18:36 +0900</pubDate>
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<title>正法眼蔵随聞記第一（一二）</title>
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<![CDATA[ 　一二　示して云く、昔し智覚禅師と云し人の発心出家のこと。此の師は初は官人なり。才幹に富み正直の賢人なり。国司たりし時官銭をぬすみて施行す。傍人是を帝に奏す。帝聞て大に驚怪す。諸臣も皆あやしむ。罪過すでに軽からず、死罪におこなはるべしと定まりぬ。爰に帝議して云く、此臣は才人なり、賢者なり。今ことさらに此罪を犯す、若し深き心あるか。頸を截《きら》んとき、悲み愁へたる気色あらば速かに截べし。若し其の気色なくんば定めて深き心あらん、截べからずと。勅使引去て截んとする時少も愁る気色なし、還て喜ぶ気色あり。自ら云く、今生の命は一切衆生に施すと。勅使驚き怪て帝に奏聞す。帝云く、然り、定て深き心有ん、此事あるべしと兼て是を知と。依て其志を問。師云く、官を辞して命を捨て施を行じて衆生に縁を結び、生を仏家に受て一向に仏道を行ぜんと思ふと。帝是を感じて許して出家せしむ。故に延寿と名を賜ふ。殺すべきをとゞむる故なり。今の衲子《のつす》も是らほどの心を一度発すべきなり。命を軽じ衆生を憐む心深くして身を仏制に任せんと思ふ心を発すべし。若し先きより此の心一念も有らば失なはじと保つべし。是れほどの心、一度おこさずして仏法を悟ることは有べからざるなり。
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<link>https://ameblo.jp/hiroshima1971/entry-11891748871.html</link>
<pubDate>Thu, 10 Jul 2014 06:45:34 +0900</pubDate>
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<title>正法眼蔵随聞記第一（一一）</title>
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<![CDATA[ 　一一　示して云く、無常迅速なり。生死事大なり。且《しばら》く存命の際《あひ》だ、業を修し学を好まば、只仏道を行じ仏法を学すべきなり。文筆詩歌等其の詮なき事なれば捨べき道理なり。仏法を学し仏道を修するにも、猶を多般を兼学すべからず。況や教家の顕密の聖教、一向にさしおくべきなり。仏祖の言語すら多般を好み学すべからず。一事を専らにせんすら、鈍根劣器の者はかなふべからず。況や多事を兼て心操をとゝのへざらんは不可なり。<br><br><br>
]]>
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<link>https://ameblo.jp/hiroshima1971/entry-11891215267.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Jul 2014 06:13:07 +0900</pubDate>
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<title>正法眼蔵随聞記第一（一〇）</title>
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<![CDATA[ 　一〇　法談の次に示して云く、設使《たとひ》我れは道理を以て云ふに、人はひがみて僻事を云を、理を攻て云ひ勝はあしきなり。亦我は現に道理と思へども、吾が非にこそと云てはやくまけてのくもあしばやなり。只人をも云ひ折らず、我が僻ことにも謂はず、無為にして止みぬるが好きなり。耳に聴入れぬやうにして忘るれば、人も忘れて瞋《いか》らざるなり。第一の用心なり。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hiroshima1971/entry-11890679764.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Jul 2014 06:14:00 +0900</pubDate>
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<title>正法眼蔵随聞記第一（九）</title>
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<![CDATA[ 　九　夜話に云く、昔｜魯仲連《ろちゆうれん》と云ふ将軍ありき。平原君《へいげんくん》が国に在て能く朝敵をたひらぐ。平原君賞して数多の金銀等を与へしかば、魯仲｜連辞《れんじ》して云く、只だ将軍のみちなれば敵を能く討のみなり、賞を得て物をとらん為に非ずと云て、敢て取らずと云ふ。魯仲連が廉直とて名誉のことなり。俗猶を賢なるは我れ其の人として其の道の能《のう》をなすばかりなり。かはりを得んと思はず。学人の用心もかくの如くなるべし。仏道に入り仏法の為に諸事を行じて代に所得あらんと思ふべからず。内外の諸教に皆｜無所得《むしょとく》なれとのみ勧むるなり。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hiroshima1971/entry-11890118645.html</link>
<pubDate>Mon, 07 Jul 2014 06:56:54 +0900</pubDate>
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<title>正法眼蔵随聞記第一（八）</title>
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<![CDATA[ 　八　亦物語に云く、故鎌倉の右大将、始め兵衛佐にて有し時、内裡の辺に一日はれの会に出仕の時、一人の不当人ありき。其時の大納言おほせて云く、是を制すべしと。大将の云く、六波羅に仰せらるべし、平家の将軍なりと。大納言の云く、近か近かなればなりと。大将の云く、其の人に非ずと。是れ美言なり。此の心にて後には世をも治められしなり。今の学人も其心あるべし。其人にあらずして人を呵すること莫れ。
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<link>https://ameblo.jp/hiroshima1971/entry-11889567713.html</link>
<pubDate>Sun, 06 Jul 2014 06:10:47 +0900</pubDate>
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