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<title>ゲームについて考える</title>
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<description>とある社会人が、ゲームについて考えたことを書いていきます。</description>
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<title>おもしろそう　について</title>
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<![CDATA[ ゲームのＰＶなんかを見ていて思ったことを書いていきます。<br>私がこれはおもしろそうだと思うものと、私以外の人がおもしろそうだとコメントなどで言っているものは、人には好みがあるので当然必ず一致するものではないわけです。そこで、自分がおもしろそう（実際に遊んだときどう思うかはともかく）と思うものと、そうでないものはどう区別しているのかを考えてみました。<br>まあ、大したことではないので結論から書きますが、私がおもしろそうだと思うものは、「繰り返し遊んだときに面白そうだ」であるだろうと思えました。逆に、人がおもしろそうだと言っているけれど、私にはおもしろそうに思えないものは「それ一回だけだったら面白いかもしれないけど・・・」と思えるものが多くありました。<br>これは、こういうゲームがやりたい、というような願望をネットでみかけるときも思うことです。よくあるのが、モンハンをオープンワールドでやりたい、みたいな願望です。確かに、一回だけなら面白そうなのですが、はっきりいってリオレウスが広大なフィールドを逃げ回ったら素材を集めるのが面倒でしょうがないと思うんですが、どうなんでしょう。繰り返し遊ぶということを想定しないんでしょうか。それとも一回だけで十分なのでしょうか。それだけとは言いませんが、繰り返し遊べるということはゲームの強みのひとつなわけで、ちょっと勿体無い気がします。<br>ゲームのＰＶは当然プロモーションなので、キャッチーな、派手な映像が使われることが多いです。そういったものは、たいてい、ゲームの中で一回しか出てきません。ゲームは基本システムを繰り返し遊ぶものですから、そういった一回だけのものはスパイスではあるにしろ、本筋ではないわけです。にもかかわらず、そこだけを取り上げてすごい、おもしろそうとか言われてもピンとこないわけです。とはいえ、宣伝効果を考えると、そういった瞬間的な、刺激物のようなもののほうが見栄えがいいんだろうなあとは思いますが。<br>
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<link>https://ameblo.jp/hiroyoshi680/entry-11828145690.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Apr 2014 15:57:42 +0900</pubDate>
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<title>追加コンテンツについて</title>
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<![CDATA[ 今回はゲームの追加コンテンツについて思っていることを書きます。<br>最近はゲーム機がインターネットに繋がっていることもあり、ゲーム発売後に追加コンテンツが配信されることも増えてきました。無料のものもありますが、今回は有料のものについて書きます。<br>あらかじめ言っておくと、私はゲームの追加コンテンツに関しては、基本的に肯定的立場をとっています。何か欲しい物をお金を払って買うのは当然ですし、欲しくなければ買わなくていいからです。というと、ゲーム本体に5000円とか6000円とかをすでに払っているのだから、そこからさらに金をとるのか、という声もあるでしょう。すでに、5000円とか6000円分のゲーム本体を入手しているのですから、それに追加するものが有料なのは当たり前なのですが、ゲームにおいてはなぜか将来的な追加データを最初に全て支払っているんだという考え方がされてしまうようです。追加コンテンツというものが、元からゲームにはなかったからかもしれません。<br>しかしこれは、牛丼買ったんだから卵もサラダも豚丼もついてきて当然、みたいな話です。サービスでつけてくれるお店もあるでしょうが、あくまでサービスや、競合他社と差別化するための手段であって、あって当たり前ということではありません。ここまで書いてきて気づいたのですが、これは要するに、元のゲームに値段分の価値が感じられなかったということではないでしょうか。そういうとき、もっとよこせと言いたくなるのでしょう。前にボリュームについて書いたときの繰り返しになりますが、<br>大盛り牛丼を頼んで、大盛り牛丼の代金を払ったのに、並盛りくらいしか量がなかったら、やはり不満はあるでしょう。大盛りはこれくらいの値段でこれくらいの量があるはず、という期待があるわけです。<br>Ｆ2Ｐと呼ばれるゲームがあります。Free to Playの略で、基本無料で追加コンテンツを買ってもらうタイプのゲームです。私はやらないのでわかりませんが、スマホなどに多いでしょう。この場合、ゲーム本体が無料なわけですから、追加コンテンツに抵抗はほぼ発生しないわけです。元の値段分の価値を値踏みする必要がないからです。<br>しかしながら、当然、追加コンテンツ自体に価値があるかどうかも考えなければいけません。<br>私はダウンロードコンテンツに対して肯定的立場ではありますが、実際にはほとんど買っていません。欲しいと思えるものがあまり無いからです。買ったことがあるのは、シアトリズムファイナルファンタジーの曲くらいでしょうか。それも好きな曲を数曲買った程度です。この場合私は、元のゲームに対して値段相応かそれ以上の価値があると思ったから、追加コンテンツを買おうと思ったことになります。そして、多くのダウンロードコンテンツの中から、自分が値段相応かそれ以上の価値があると思ったいくつかを購入しました。<br>そう思わなかったものは買わないわけですが、追加コンテンツもゲームである以上、遊んでみるまで中身がわからないものが多いのです。追加衣装みたいなものは別ですが、私は基本的にそういったものは購入する気がないので、今回は無視しますが、実際に買って、これはイマイチだなぁとなってしまったものもあります。その場合、その後の追加コンテンツは買わなくなるわけです。シアトリズムの場合、コンテンツの中身にある程度想像がつくのもよかったのかもしれません。実際のところ、追加コンテンツは数百円程度のものです。このくらいの値段ですごく作りこんだものを出すのは不可能でしょうから、結局あまり面白くないものが多く、またそう思えるために買わなかったのです。値段は高くても、ちゃんと面白いものが、私は買いたいのだと思います。<br><br>少しダウンロードコンテンツとは違うかもしれませんが、ゲームの完全版についても書いておきます。ダウンロードコンテンツと違い、パッケージの中に追加要素を追加して再発売するタイプのゲームです。最近でいうとモンハンのＧ級とかですね。私はこれも肯定的で、まあ欲しいときは買います。ただ、ＲＰＧの場合、最初からやるのが面倒くさすぎるので、買わないことが多いです。ペルソナ3,4とも無印は遊びましたが、どちらも完全版は買わずに終わりました。だから損をした、とかは思わないのです。ただ、追加要素がなくてももう一回遊ぶこともあります。最近私はゼノブレイドをプレイしなおしているのですが、やはり面白いのでたぶんクリアまでやると思います。サブクエストも無駄に全部やっています。これはつまり、時間に対して面白さが勝っていると感じているということでしょう。<br>最近私はよく、これ時間の無駄だなぁという理由でゲームをやめることが多くなりました。ゲームは基本的に時間の無駄だとは思うのですが、無駄な時間の中にも価値を感じるものとそうでないものがあります。同じ時間で、これよりもっと面白い無駄な時間を過ごせるものはあるよな、という思ってしまうわけです。時間単位の価値が低いように感じられるものは、すぐやめてしまいます。もっと面白いことは、結構あるのです。<br>昔はどんなクソゲーでも、いずれ面白くなるかもしれないし…とか、せっかく買ったんだから一応最後まで…とか思って続けたりしたものですが、最近は年齢のせいか、どうしても時間を意識してしまうようになりました。見切りが早くなったというか。自分が面白いと思うものについて、結構わかってきましたし、面白いと感じているかどうか遊んでいるときに問いかけられるようになりました。<br>結局のところ、面白ければそれでいいし、そこにお金を払うのは当然で、逆に面白くなかったら何でも無料でもダメというのが私の考え方です。<br>ちょっとくらいお金を払ってでも、楽しい無駄な時間を過ごしたいのです。<br>ゲームって、他の色んな娯楽に比べたらかなりリーズナブルだと思うんですけどね。<br>
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<link>https://ameblo.jp/hiroyoshi680/entry-11814854052.html</link>
<pubDate>Sun, 06 Apr 2014 05:05:01 +0900</pubDate>
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<title>バグへの風当たりについて</title>
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<![CDATA[ 今日はバグについて思っていることを書いていきます。<br>バグとはプログラムの不具合・欠陥のことです。不具合であるわけですから、基本的には無いほうが良いと言えるわけですが、今現在、全くバグの無いゲームは存在しないでしょう。ファミコンの時代ですらあったわけですから、今の複雑なゲームプログラムで不具合ゼロ、というのは有り得ないとすら思います。<br>完全無欠のものは、どんなものであれ、そもそもつくれないでしょう。今も昔も、変わらずゲームにバグはあるわけです。<br>しかし、今と昔ではユーザー側のバグへの風当たりというか、扱いの違いを感じるのです。<br><br>昔のゲームにおいて、バグは裏技、とか呼ばれて、ゲーム雑誌にも頻繁に載りましたし、専門の辞書のようなものまでありましたが、最近ではあまり見る機会がなくなってしまいました。（単に私が知らないだけかもしれませんが）<br>インターネットが普及したことも原因のひとつではあるでしょうが、バグを極端に叩く風潮が出来上がってしまったことも大きな理由であるように思います。<br>裏技には、開発者が意図していれているものもありますが、バグをバグと呼ばず裏技として扱って、ある意味バグですら遊びとして許容しようというような雰囲気が、昔はあったわけです。初代ポケモンのアイテム増殖技なども昔は技と呼ばれていて、知っていることが自慢にすらなったものでしたが、そうした裏技はいつしかただのバグとなり、むしろ使ってはいけない雰囲気が出来ているように思います。<br>もちろん、開発者が意図した遊びではないので、ゲームの面白さを削ぐ可能性はありますが、ゲーム自体がそもそも、遊ぶための道具であるわけですから、そのほうが面白いと思えば私はそういった技を利用してきました。開発者が想定した遊びだけが、ゲームの面白さではないと思っているからです。<br>別にバグまみれにしろとか言いたいわけではなく、むしろユーザー側に対して、そんなに目くじら立てることかな？と思うわけです。もちろん、進行不能になる致命的なバグや、セーブデータなどを破壊する類のバグはあってはいけませんし、インターネットで対戦を行うようなものは公平性を保つ必要もあるでしょう。しかし、細かい、別にどうでもいいクラスのバグや、むしろそれ、面白いんじゃない？というバグすら、今は鬼の首をとったように取り沙汰されているように思えるのです。<br>これは単なる想像ですが、バグに対する風当たりの強さが、開発者をバグに怯えさせ、バグが出ないことだけに時間とお金を費やし、新しいゲームの仕組みをつくりだすことを避けさせる原因になっているのではないでしょうか。<br>事実、デバッグにかなりの時間と費用をかけているのでしょう。ゲームが複雑になったにも関わらず、最近のゲームは目立ったバグというのは減っています。パッチを当てることができるようになったのもひとつの要因でしょう。（たまにひどいのもありますが）しかしそのことで、新しい挑戦的なゲームも減りましたし、ゲームの遊びというか、文化がひとつ減ってしまったように思えるのです。<br>ゲームとは何かと言われれば、それはプログラムを使った遊びだと言えるわけですが、バグによって開発者が想定しなかった遊びを発見するのも、ゲームのひとつの文化であり、ゲームらしさですらあったと思います。<br>ゲームの自由度という言葉がありますが、どんなに自由度の高いゲームであっても、結局は作り手が想定した遊びの種類が多いというだけに過ぎず、遊ばされているだけとも言えます。まあ、ゲームはそういうものであるわけですが、昔はそこにほんの少しの余白があった気がするのです。<br>結論を言うと、面白いならバグだろうがなんだろうが構わないし、そこまでの完璧さを求めていないというのが私の考えです。面白い遊びがしたいのであって、完璧に動作するプログラムを見たいわけではないからです。<br>とはいえ、開発の人が今そんなこと言うと叩かれてしまうんだろうなぁ。いやな風潮だなぁと思います。
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<link>https://ameblo.jp/hiroyoshi680/entry-11808318567.html</link>
<pubDate>Sun, 30 Mar 2014 06:05:00 +0900</pubDate>
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<title>ボリュームについて</title>
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<![CDATA[ 今回は、ゲームのボリュームについて考えてみます。<br>ゲームの評価の基準のひとつに、ボリュームと呼ばれるものがあります。<br>一般に、ボリュームの多いものが良いゲームであるとされていると思います。<br>では、ボリュームとは具体的に何なのでしょうか。<br>辞書的な意味は分量。量。かさ。ですが、ゲームとは体験なので、体験の量ということになります。そのゲームにおける、体験の量が多ければ、良いわけです。<br>前回、グラフィックについて書いたとき、良ければ良い方がいいけど、それは夢であると書きました。ボリュームも、仮に夢だとしても多ければ多いほど、良いのでしょうか。私は、ボリュームに関してはそうではないのではないかと思っています。ゲームごとに適切なボリュームがあるのではないか、ということです。<br><br>ボリュームといった時、指標として上げられるのがゲームのプレイ時間です。<br>昔のゲームはそうではありませんでしたが、最近のゲームは基本的に、何時間プレイしたかが表示されるため、わかりやすく比較できる評価基準のひとつとなっているのでしょう。<br>しかし、ゲームには色々な体験の種類があるので、一概にゲームは何時間プレイできるべき、とは言えません。しかし、細かいジャンルごとには、アクションゲームならこれくらい、ＲＰＧならこれくらいのプレイ時間であるべき、という期待があるように思えます。今ならアクションで10時間程度、ＲＰＧなら50時間程度が期待されているのではないでしょうか。<br>このとき、アクションのボリュームはＲＰＧの五分の一であるとは必ずしも言えない部分があると思うのです。ボリュームには、あらかじめ期待されているサイズがあると思えます。アクションにはアクションの、ＲＰＧにはＲＰＧの期待されるサイズがあります。それを下回る場合、ボリュームが少ないと感じられるわけです。期待されている量が違うので、ジャンルが違うものは比較の意味がないと言えます。<br><br>また、プレイ時間が長ければ長いほど良いゲームである、とは私にはあまり思えません。<br>極論ですが、いつまでたってもクリアできないゲームがあっては困りますし、ただ長引かせるような演出や、面倒くさい遠回りなど、面白いと感じていない時間がいくら長かろうと、それは苦痛でしかないからです。時間当たりの面白さの密度というのも、求めているわけです。前に、ハマる、を考えたときに、リプレイ性のあるゲームはプレイ時間が結果的に伸びる、というようなことを書いたと思います。面白くなければリプレイしないでしょうから、時間当たりの面白さのコストパフォーマンスが高いと評価しているのでしょう。<br>特に時間のかかるＲＰＧでは、50時間のプレイ時間のうち、何時間面白いと感じられるかは非常に重要と考えます。面白いと感じた体験の量、であるわけです。<br>おいしいご飯が大盛りなら並盛りより得であると考えられますが、マズい飯にボリュームがあっても、仕方がないのです。<br>その際、値段も重要な要素であるといえます。並盛りには並盛りの、大盛りには大盛りの値段のイメージがあると思います。<br>ゲームは大体値段が決まっているものなので、期待されるボリュームも大体同じになるのかもしれません。<br><br>昔のゲームに比べて、最近のゲームはボリュームがすごく増したと思います。値段的にはさほど変わらないのに、数倍から数十倍の時間、遊べる内容になっています。そのボリュームの中の面白さの密度はどうでしょうか。同じく増しているといえるでしょうか。そういうものもあるでしょうし、そうでないものもあります。ただボリュームが増えただけで、面白さを水で薄めたようなゲームがあるのも事実ですが、ボリュームも、その中の密度も遥かに濃いゲームも存在します。出来れば、後者を買って遊びたいわけです。<br><br>このゲームはボリュームがある、という言葉が使われているときに、それが量だけをさしているのか、その質も含めてのものなのかは、判断が難しいです。面白いと感じるかどうかは人それぞれでもあります。<br>私が個人的にどのように判断を下しているかを思い出してみると、やはり質重視であると思えます。面白そうだと思ったゲームを買うことにしています。このゲームは長く遊べそうだ、だから買おう、とはほとんど思いません。むしろ、時間がかかりすぎるゲーム（オンラインゲームなど）は敬遠することすらあります。とはいえ、ある程度の量の期待を持っているのは事実で、最低限の量は欲しいところではありますが。並盛であるなら、十分だと思います。もちろん、面白いということは前提となりますが。
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<link>https://ameblo.jp/hiroyoshi680/entry-11802224762.html</link>
<pubDate>Sat, 22 Mar 2014 21:26:42 +0900</pubDate>
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<title>モノリスソフト完全新作に関する覚書</title>
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<![CDATA[ WiiUで今年発売予定のモノリスソフト完全新作に、私はかなり興味を持っているのですが、このゲームは情報の出し方が出し惜しみというか、未だにゼノブレイドの系譜のＲＰＧであること以外、システム面も含めてほとんど公開されていません。タイトルすら未発表です。<br>しかし謎が多いと解きたくなるのが人間というもので、現在公開されているＰＶなどの映像からこうなんじゃないか、と考えられることがあるので、書いてみることにしました。実際発売されたあと、答え合わせのようなことをして、個人的に楽しみたいと思います。単なる予想する遊びなので、情報は正確ではありません。ご了承ください。<br>モノリスソフトについてご存知ない方は、wikipediaなどをご覧になってください。<br><br>参考までに現在までに公開されているＰＶを貼っておきます。<br>出展映像1（2013年1月公開）<br><a href="http://www.youtube.com/watch?v=6GxUMMGyZcM" target="_blank">http://www.youtube.com/watch?v=6GxUMMGyZcM</a><br><a href="http://www.nicovideo.jp/watch/sm19901472" target="_blank">http://www.nicovideo.jp/watch/sm19901472</a><br>出展映像2（2013年6月公開）<br><a href="http://www.youtube.com/watch?v=e5m4iqcl-xw" target="_blank">http://www.youtube.com/watch?v=e5m4iqcl-xw</a><br><a href="http://www.nicovideo.jp/watch/sm21094771" target="_blank">http://www.nicovideo.jp/watch/sm21094771</a><br>バトル映像（2014年2月公開）<br><a href="http://www.youtube.com/watch?v=56PRIKgmh3s" target="_blank">http://www.youtube.com/watch?v=56PRIKgmh3s</a><br><a href="http://www.nicovideo.jp/watch/sm22883711" target="_blank">http://www.nicovideo.jp/watch/sm22883711</a><br><br>このソフトは現在開発中であり、内容も実際発売されたときと異なる部分も多いでしょう。実際、映像1とバトル映像ではインターフェースに大きな違いがあります。なので、今回書くことは、あくまで映像を見た限り、そうとることもできる、という程度のものです。<br><br>その他の資料<br>株式会社モノリスソフトホームページ内「はなしてみてわかること」<br><a href="http://www.monolithsoft.co.jp/special/interview/index.html" target="_blank">http://www.monolithsoft.co.jp/special/interview/index.html</a><br>WiiUタイトルについては7,8,9回あたり<br><br><font color="#FF0000">・タイトルについて<font color="#FF0000"></font></font><br>このゲームはゼノギアスで知られる高橋哲哉さんの最新作です。映像1の最後に大きく赤いＸの文字が表示されることからも、ゼノシリーズであることが伺えます。広大なフィールドをシームレスに冒険しながら、ドールと呼ばれるロボット兵器に搭乗して、戦闘を行ったり、マップを探索したりすることもできるようです。<br>ところが、このゲームはモノリスソフト完全新作、としか呼称されていません。普通、ゲームには仮タイトルがあって、ゼノブレイドもモナド（仮）と呼ばれていました。製作の都合上、仮タイトルがつけられていないとは考えにくい（というか開発者同士で名前がないと呼びづらいでしょう）ので、仮タイトルすらあえて公開されていない、と言えるのです。単に仮タイトルの間は公開しない方が情報が混乱しなくていいだろうと思っているのだと思いますが、もしかしたら、仮タイトルはなく、はじめから決まっているのだけど、何らかの理由で公開できない、とかあるのかもしれません。なんにせよ名前がないのは不便なので、早めに公開していただけるとありがたいです。<br><br><font color="#FF0000">・オンラインについて</font><br>ゼノブレイドはオンラインに非対応だったのですが、このゲームはなんらかのオンライン要素を有しているようです。しかしそれは、いわゆるＭＯ、ＭＭＯと呼ばれるオンラインゲームと同一のものであるようには思えません。<br>映像1にはオンラインチャットと思える枠があるのですが、そこで発言しているユーザーとプレイしているプレイヤーとその仲間キャラクターの名前が一致していません。<br>そのため、リアルタイムチャットとは考えづらいのです。また、キャラクターの上部に名前が表示されていないことからも、いわゆる一般的なオンラインゲームとは異なるシステムであることが伺えます。<br>（キャラクターの上部に名前がないと、コミュニケーションがとりづらいためです）<br>また、チャットと思える枠の最下部にはgathering（集まり、集会）と書かれており、チャットルームのようなものがゲームプレイとは別に用意されているのかもしれません。もしくは、Miiverse（WiiU・3DSのSNS）関連である可能性があります。<br>映像1以降の映像には存在しないため、開発が進む中、無くなった可能性もあります。<br>バトル映像を見ると、Player1.2.3で表現されたキャラクターはＡＩで制御されているように思えます。（戦闘終了後、いっせいにドールに向かっていく行動はＡＩっぽいです）ドラゴンクエストＸの酒場で借りるキャラクターみたいなものかもしれません。<br><br><font color="#FF0000">・キャラクターについて</font><br>ＲＰＧには決まったキャラクターでストーリーを進めていくタイプと、自分で操作キャラクターをいくつかのパーツを組み合わせて作成し、そのキャラクターで進めるタイプがあります。ゼノブレイドは前者でしたが、このゲームは恐らく後者でしょう。映像2ではカットが変わるごとに男女違うキャラクターを操作していますし、バトル映像のキャラクターも固有キャラというには没個性に見えます。<br>バトル映像も、開発中のもので今後変更される可能性はありますが、Testerと表示されているのがプレイヤーが操作するキャラクターのようです。重要なのは名前が表示されている、ということです。ゼノブレイドはキャラクターの顔が大きく表示され、テンションなどによってそのグラフィックが変わっていくスタイルでしたが、名前は表示されていませんでした。これはつまり、表示する必要がある、ということで、あらかじめ名前の決まったキャラクターを操作するのではないということです。<br>しかしながら、固定キャラクターがいない、というわけではないでしょう。わざわざ田中久仁彦さんをキャラクターデザインに起用しているわけで、キャラクターが重要な役割を果たすのは言うまでもありません。敵か味方かわかりませんが、映像1の最後には少年のキャラクターがアップで映っていますし、もしかしたらこのキャラクターが主人公で、別に自分で作ったキャラクターや、他のプレイヤーが作ったキャラクターをインターネットを通じて取得し、操作できるモードがあるのかもしれません。<br><br><font color="#FF0000">・フィールドについて</font><br>任天堂ホームページに、広大な世界をシームレスに冒険するゲームと書かれているように、非常に広大なマップであることがわかっています。実際に、映像2で空を飛ぶドールから眼下に見えるフィールドは、高低差があり、極めて広大に見えます。おそらく、ドールは初めから持っているものではないはずなので、まずは歩きまわり、大体マップを覚えた頃に空からそこを見下ろすことができるのでしょう。昔のゲームで言うと、気球や飛空挺を手に入れるようなものですね。映像1と映像2のマップの遠景は結構殺風景に見えるのですが、近づくとディティールが表現されるタイプなのでしょう。単に開発中で表示していないだけかもしれませんが。<br>最も中心となるのは街のある草原のような地形で、原初の荒野と表示されています。そこには、不自然に浮いた岩礁のような場所も見受けられます。<br>他にも緑のない岩石砂漠地帯のようなマップや、奇妙な生物が浮かぶ異星文明の都市のようなマップが見受けられます。<br>岩石砂漠地帯には空中に浮かぶ奇妙なオブジェがありますが、その上部には触手のように蠢くものがあり、モンスターの一種なのかもしれません。<br><br><br><font color="#FF0000">・ストーリーについて<font color="#FF0000"></font></font><br>操作キャラと見られるキャラクターは、大体黒を基調とした似たような服を着ているので、同一組織に所属するキャラクターたちであると考えられます。映像2の街の場面で、私服の人物も見受けられるので、こういう普段着なのではなく、警察か軍隊の制服か何かでしょう。<br>ストーリーに関わる部分はまったく公開されていませんが、映像2の最後にある巨大な機械っぽいものが、恐らくストーリー上重要な敵のひとつなのでしょう。バトル映像で女性のボイスで「いつかこの星を故郷に思える時がくるのかな」というセリフが（戦闘中に）流れています。また、戦闘中わずかに見える何かの外壁にUnited Statesと読める文字があることから、地球とリンクした世界観で、他惑星に移住したか不時着したという設定であるようです。<br>映像2に出てくる地面に突き刺さった巨大なリングは宇宙船の残骸でしょうか。しかし、ドールを作れるくらいの技術と資源があるなら、惑星を脱出することはできそうなので、事故の線は薄いかもしれません。<br>映像2で都市の中央施設と思しきビルに表示される数字はなんなのでしょうか。減っているところを見ると、都市の残り人口とか残存エネルギーとかそういうものでしょうか。あとは、映像1の最後に出てくる少年くらいしかないので、ストーリーについて現状で予想できることはほぼありません。<br><br><br><font color="#FF0000">・バトルシステムについて</font><br>基本的なバトルシステムはゼノブレイドを踏襲しているようです。通常攻撃はオートで、アーツと呼ばれる（ゼノブレイドでは）攻撃技を状況に応じて選択することで戦闘を進めていくものです。違いは、通常攻撃でＨＰの下にあるＴＰゲージが回復していくことくらいでしょうか。ゼノブレイドは通常攻撃がヒットすると、タレントアーツとよばれるキャラクター固有の必殺技を使うためのゲージが溜まっていきました。それがＴＰという数字で表現されるようになり、青緑っぽいアイコンのアーツ（オーラ系のアーツ）を使用するときにもゲージを使う仕様になったようです。<br>他にもゼノブレイドでは突発キズナという戦闘中特定の状況で発生する、タイミングよくボタンを押すと連携ゲージを上昇させることができるシステムがありました。今回も頻繁に画面中央にＢを押すアイコンが出現しています。これには成功、大成功の判定があるようで、成功すると自キャラの、大成功だと仲間全員のＴＰが回復しています。ＴＰを管理するのがバトルシステムのひとつの要のようです。<br><br>細かいところでは、敵キャラクターの部位に攻撃するという要素が加わったようです。敵キャラクターに緑色のターゲットアイコンが表示され、操作キャラクターと敵キャラクターの位置によって、どこに攻撃するかが決まるようなので、特定の弱点部位をもつ敵と優位に戦うためには、上手くまわりこみ続けなくてはいけない、というような感じでしょうか。<br>映像1を見る限り、部位破壊の要素もあるようです。また、それは味方も同様で、さすがにドール搭乗時のみでしょうが、腕が破壊され、いくつかのアーツが使用不能になっています。ゼノブレイドでは、敵の背面や側面から仕様すると特効を発動するアーツがありましたが、その代わりのシステムでしょう。<br>崩し、転倒、気絶のコンボもあるのでしょうか。崩しという状態異常はあるようです。ゼノブレイドではこのコンボが主力ではあったのですが、強すぎたため、調整に時間がかかった部分があったようです。そのため、何らかの別のシステムに置き換わっている可能性もあります。<br>ゼノブレイドにおいてアーツはキャラクターごとに固有のものでしたが、今回少なくともドールに関しては搭乗するドールの種類と武装によって変わっているようです。<br>以上が概要ですが、ゼノブレイドがそうであったように、それだけのシステムではないはずです。<br>映像1の中心のアイコンには「ゲージを100消費して連携効果を宣言します」と表示されています。これは今年発表されたバトル映像とインターフェースの違いや、ゲージがＴＰという表示になり消費が3000になったという違いはあるものの、同一のものと考えられます。<br>つまり、バトル映像にある「O.C.GEAR」は何らかの連携攻撃を行うシステムであると考えられます。連携攻撃自体はゼノブレイドにも存在し、その時はゲージを消費して仲間キャラクターのアーツを順番に選んでコンボを狙う、というシステムでした。今回バトル映像の最後でO.C.GEARを発動していますが、ゼノブレイドの連携攻撃とは、どうも違うようです。映像1では最大3人だったのが、バトル映像では4人になってるあたり、システムが変わった可能性もあります。見る限り、発動中はアーツのリキャストが早くなり、攻撃アーツによって中央の歯車アイコンの数字が上昇していくようです。いわゆる、ラッシュをかけているような状態でしょうか。<br>しかし、この歯車アイコンが何を表しているのかは不明です。大きな歯車と小さな歯車があり、小さな歯車が10溜まると大きな歯車が1となるようです。おそらくこの歯車に溜まったパワーを使う何らかの行動があると思うのですが、その前に戦闘が終わっているため、結局なんなのかよくわかりません。<br>また、ゼノブレイドにはビジョン（未来視）とよばれる特殊な戦闘システムがありました。未来を予測し、致命的なダメージを受ける可能性のある敵の行動をあらかじめ察知することで、事前に回復したりしてそれを防ぐ（未来を変える）というシステムです。<br>これはＲＰＧの戦闘は、一度ピンチになると立て直しが難しく、そのまま終わってしまう傾向が強いため、ピンチになること自体を未然に防げるようにする、というものです。ドラクエのメガザルと逆の発想であるとも言えるでしょう。今回もそれに類する何らかのシステムがあることが予想できます。それは、このゲームのバトルシステムはゼノブレイドの戦闘の発展系であると説明されているように（任天堂ダイレクトで確か、言っていたはずです）これほど特徴的なシステムを単に除外しただけのシステムだとは思えないからです。しかし、バトル映像においては、そのシステムが見当たらないようです。まあ、ピンチになってないせいもあるでしょうが。戦闘システムは十分に説明されていないので、まだまだ奥がありそうです。<br>さらに言うなら、ＲＰＧのバトルというのはバトルそのもののシステムと同等に、バトルに対してどのような準備が出来るか、というのも重要なのです。わかりやすいところでいうと、レベルを上げたり、装備を整えたりする準備のことです。ゼノブレイドには装備を反映する遊びや、装備に付加効果を与えるジェムクラフト、キャラクター固有のスキル（アーツとは別です）、他のキャラクターのスキルをキズナでリンクするスキルリンクのシステムなど、準備できる項目がたくさんあったのも魅力のひとつだったと思っています。今作も武器・防具は数種類確認できますし、ドールの乗り換えや、セッティングも武装に関しては出来るようです。<br>バトル映像のＨＰ表示の横にレベルの他にRankというものが見えます。Rankの横にあるアイコンがキャラごとに違うので、兵科レベルのようなものがあるのかもしれません。このへんにも注目していきたいです。<br><br>他に少し疑問に思ったのは、戦闘の途中でドールから降りたことです。GEARに相当するシステムはドールにも存在しますし、このドールは戦闘を拡張する要素として、最初は持っておらず、途中から、今まで苦戦した敵を圧倒したり、敵うはずもない敵と渡り合えるようになるというようなものであると思えます。つまり、基本的には乗りっぱなしでいいもののはずだからです。<br>たんにドールに搭載されているH.D.GEARのほうは見せたくなかっただけかもしれませんし、ドールの体力が赤表示になるくらいダメージを受けているので、ドールを破壊されたくなかっただけかもしれません。大きい敵の場合、ドールの方が敵に狙われやすくなる、とかもあるかもしれません。（逆に小さい敵は降りているキャラを狙うのかもしれません）<br><br><font color="#FF0000">・ゲームパッドについて</font><br>WiiUのコントローラーはゲームパッドと呼ばれる、タッチパネル画面のついたコントローラーです。私は個人的にゲームパッドはＲＰＧやシミュレーションと非常に相性がよいのではと思っているのですが、そもそもＲＰＧやシミュレーションが少ないため、（WiiUに限った話ではないですが）今のところ真価を発揮しているように思えません。今のところまったく何の情報もないので予想・分析のしようがないのですが、このゲームでどのようにゲームパッドが使われるかにも注目したいところです。<br><br><br>このページは順次追加していく予定です。
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<pubDate>Sun, 16 Mar 2014 06:25:48 +0900</pubDate>
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<title>グラフィックについて</title>
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<![CDATA[ 前回、コントローラー（入力）に対応するものとして、グラフィック（出力）の話を少ししたので、今回はグラフィックについて考えていること、思っていることを書いていきたいと思います。といっても、私はコンピューターグラフィック技術については、まったく知識を持ち合わせていませんので、技術的な話はできません。あくまで私が、ゲームにおけるグラフィックについて、いちユーザーとしてこう思っている、ということを書いていきます。<br><br>昨今、ゲームを評価するうえで、グラフィックの出来、不出来というのは最重要であると思えるくらい、重要視されています。少なくとも、<font color="#FF1493">ゲームの発売前</font>はそうであるように見えます。ゲームは体験なのですが、遊んでみるまでわからないので、発売日前にはグラフィックについて以外、特に言うこともない、言うことが出来ない、というのもあるでしょう。実際、発売されたゲームに関してグラフィックのここがこうなんだ、みたいな話はあまりしないように思います。このキャラが好きなんだとか、このステージがいいんだとか、ここが難しかったとか、具体的な体験の話になり、グラフィック評論は鳴りをひそめるわけです。発売後もしきりにグラフィックのことが言われる場合、単にそこしか褒めるところがないのでしょう。それが悪いわけではありませんが。<br><br>この点をもって、ゲームはグラフィックだけではないとは言えると思いますが、グラフィックに重要な価値があるのも、また事実であると思います。<br>特に、コンピューターグラフィックをつくることが得意な会社が、その技術を売りにするのは当然ですし、また、グラフィックが綺麗であったり、最新の技術を使っていることに興味があり、ゲーム評価の優先順位の上位としているゲーマーもいるのです。<br>もちろん、そうでないゲーマーもいるわけです。人の価値観は人それぞれなので。<br><br>では、私個人がどう思っているかというと、良いなら良いほうがいい、ただし、他の条件が全て同じなら。つまり、グラフィックに価値は感じますが、優先順位は比較的低いほうであるとは言えます。というか、他の全てが同じなら良い方が良いというのは当たり前すぎますね。同じ値段で同じ量なら、よりよい肉を使った牛丼の方がいい、みたいな話です。<br>しかし実際には、良い肉を使ったせいで、肉の量が少なくなったり、値段を上げなければいけない、というのも商売としては当たり前のことです。消費者は（私も含めて）わがままですから、そういう夢みたいなことを一応言ってみたりするわけですが、その夢が叶うことはありません。叶わなかったからといって、特に落ち込むこともありません。<br><br>ただ、ここで重要なのは、良いグラフィックとは何か、ということです。<br>良い肉＝高い肉、とは限らないでしょう。牛丼に適した肉もあれば、ステーキに適した肉もあるでしょう。料理の仕方によっては、質の低い肉もおいしく食べることができるかもしれません。というか、料理というのはまずいものをおいしく食べる方法であるわけですから、料理人の腕次第、ということもあると思います。<br><br>よくゲームのグラフィックの良し悪しを語るときに引き合いにだされるのが、画面解像度・テクスチャー解像度などの、数字です。最近でいうと720pとか1080pとかのことです。数字が大きいほうが、より細かい絵であるといえます。これは先ほどの例えでいうなら、皿の大きさのようなもので、並盛りと大盛りの違いみたいなものでしょうか。確かに、同じ値段で同じ美味しさなら大盛りのほうが得であるといえるわけですが、それは夢です。実際には大盛りの場合、他の何かが犠牲になってしまいます（普通は、値段が高くなります）。<br>私個人の考えでいえば、これはどちらでも構わない、という感じです。<br>画面の解像度はファミコンの時代から考えると数十倍とか数百倍に右肩上がりに上がっているのだと思いますが、それにともなってゲームの価値が右肩上がりに上がったとは思いません。ゲームの売上も右肩上がりになっていないところを見ると、そこに価値を感じる人はさほど多くはないのでしょう。（ゼロだとは思いませんが）<br>ファミコン時代からゲームをやってきて思うことは、解像度に関わらず、グラフィックの使い方が上手いゲームと下手なゲームがあるということです。<br><br>下手な例を今パっと思いついたので書きますが、トランスフォーマーコンボイの謎というファミコンのゲームがあります。このゲームはかなり難しいというか理不尽なのですが、そうならしめているもののひとつに、敵が発射する弾の見づらさがあります。1ドットの白で描画される敵弾が、背景に溶け込んでほとんど見えないのです。しかも、自機に一発当たるだけでやられてしまうため、極めてゲームを遊びづらくしています。ここで重要なのは、同じ解像度で描画されるファミコンのソフト全てがそうではないということです。つまり、敵弾のグラフィック描写に上手下手がある、ということです。<br>これは解像度が上がった今も同じ事で、意味なく見づらかったり、何を表現しているのかわからないものが結構あります。これは、自キャラ、敵キャラの動き（モーション）の明快さやデザイン、画面上に表示される大きさや、ゲーム上のルールの表現（これは当たり判定がある、とか）に上手下手があるということです。私の価値観では、グラフィックの使い方が上手いゲームが、良いグラフィックであるということです。ゲームというのは経験上、慣れれば慣れるほど、必要なもの意外は目に入らなくなっていきます。細かいちょっとした背景、装飾の違いなんて、どうでもよいのです。<br><br>もうひとつ最近よく言われている（と私には見える）ものがフォトリアルなゲームグラフィックが至高である、というような考え方です。つまり、ゲームグラフィックはよりリアルであるほうが望ましい、という考え方です。<br>これはつまり、ゲームはリアルであるべきという思想であるわけですが、私はそうは思いません。リアルであるべきでない、ということでなく、リアルであるかどうかは作風のひとつだと思っています。漫画でいうなら、劇画調の漫画であるということです。<br>これは日本の一般的な漫画とアメコミとの関係に近いのではないでしょうか。もちろん、アメコミの方が好き、という人がいるのは当然なのですが、アメコミの作風の方が優れているとは思いません。しかしながら、現実にはリアルなグラフィックのほうが、高い技術が使われており、より優れているのだという評論が後を絶ちません。それはつまり、デフォルメには技術が必要ないといっているようなもので、その考え方には賛同できかねます。技術の良し悪しをいうなら、先ほど述べたようにリアルであろうが、デフォルメされていようが、上手下手があるというだけだと思うからです。<br>また、コントローラーの話とかぶるのですが、グラフィックがどんなにリアルになったとしても、プレイヤーはボタンを押すことしか出来ないので、リアルなキャラクターはラジコンのようにボタンに対応した動きをするだけで、リアルな思考にもとづいて動いてくれるわけではありません。そのため、最近のゲームはよほど動きをよく作っていない限り、静止画ではリアルだけど、動いたとたんリアルでなくなってしまうのではないでしょうか。というか、だからこそ単にリアル、ではなくフォトリアルなのかもしれません。<br>また、リアルな動きというのは意外と地味なので、ゲーム上ではわかりづらくなってしまいます。どのみち、ある程度のデフォルメはしなければならないわけです。<br><br>最後に、ゲームのグラフィックについてあともうひとつ、言っておきたいことを言って終わりにしたいと思います。最初に、ゲームがグラフィックで評価されるのは発売前が多い、ということを書きましたが、最近その傾向を逆手にとって、発売前は非常に美麗なグラフィックであると見せかけておいて、実際に発売されるゲームのグラフィックはダウングレードしている、という詐欺のようなことが平気で行われています。私は、グラフィックでゲームを買うかどうか判断することがあまりないので、それほど被害者意識があるわけではないのですが、グラフィックに価値を感じている人にとっては残念なことでしょうし、単純に、ウソをついているメーカーに対して良い印象は持ちません。<br>もちろん、ＰＣ版とコンシューマ版ではグラフィック描画性能の違いによってグラフィックの質に違いがでることはあります。しかし、本来その点は明確にするべきなのに、なんとなく実機映像（何の、とは言わない）という言葉で誤魔化されているのが現状でしょう。<br>この傾向はＨＤグラフィックというものが出てきてからのものだと思っています。ＨＤグラフィックに対する期待の大きさや、ＳＤグラフィックとの差別化のために誇張されていたのでしょう。<br>発売前の評判で、ゲームの初動は変わるでしょうから、より良い見栄えのものを見せたい気持ちはわからないわけではありません。ですが、そういうことを続けていると、ゲームが好きで、情報を多く集めている人ほどゲームに失望し、離れていってしまうのではないかと危惧するわけです。そして、現実にそうなりつつあるのではないでしょうか。そういう人ほど、ウソをつかれた、と思うだろうからです。というか、私はそう思います。またか、という感じもありますが。<br><br>私がプレイステーション3や4ではなく、WiiUを選んだのはこのへんに理由があるのかもしれません。少なくとも任天堂のゲームは実際に遊べるグラフィックで発表しているからです。（さらに磨かれる場合すらあります）<br>実際にはプレイステーションで描画されるグラフィックの方が綺麗だったとしても、期待値を下回るためガッカリしてしまうのです。マクドナルドのハンバーガーが広告よりしょぼくて、なんか思ってたのと違う、というあの感覚です。<br><br>私は、スーパーファミコン時代、聖剣伝説3のドット絵をＶジャンプの紙面ではじめて見たとき、ドキドキしたのを覚えています。グラフィックの進化そのものよりも、それによって描画される世界、デザインの素晴らしさに興奮したのです。そしてゲームを遊ぶ中でも、それは続きました。今のグラフィックにそういった感動は少なくなっているように思います。私は、グラフィックの数字上の凄さが知りたいのではなく、感動したいのです。ゲームのデザイナーさんやグラフィッカ－さんは是非、こういった感覚を現代に甦らせるため、グラフィックを上手く使ってほしいと願っています。
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<link>https://ameblo.jp/hiroyoshi680/entry-11797123256.html</link>
<pubDate>Sun, 16 Mar 2014 00:55:52 +0900</pubDate>
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<title>コントローラーについて</title>
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<![CDATA[ 今回はゲームをプレイするときに実際に手にするものでありながら、あまり日の目を見ているように見えないアイツについて考えてみたいと思います。<br>つまり、コントローラーなのですが、その名のとおり、ゲームを操作するときに、プレイヤーが持つ、ゲーム機の一部です。ゲーム機の進化を語るときには、ゲーム機そのもののスペックが議論になる（といっても、単純に高いとか低いとかですが）ことが多いのですが、私はゲーム機において最も重要なのはコントローラーであるとすら考えています。<br><br>そもそも、コントローラーとは何か、というところから考えていきます。<br>たしか以前、元カプコンのデザイナーである、あきまんさんがコントローラーはグラフィックの逆、（正確ではないかもしれません）ということをおっしゃっていました。そのときに私は、なるほど確かにと思っていたのですが、ん？どういうこと？と思った方も多かったようで、そのことについて色々と考えていたわけです。<br>あくまで私の個人的な解釈で、あきまんさんがおっしゃったものと違うかもしれませんが、つまり、入力装置と出力装置（出力結果）でプレイヤーはゲーム機とコミュニケーションしている、逆にいえば、それがなければゲーム機とのコミュニケーション（ゲーム）は成立しない、ということではないでしょうか。<br>人間は、ゲーム機（コンピューター）の中で何が起きているのか、基本的に理解できません。ゲームはコンピュータープログラムで動いていますが、それはあくまで電子回路上で行われるやりとりであって、人間がその動作を知覚するのはたぶん、不可能です。その計算結果をなんらかのグラフィックに抽象化することで、人間にも理解できるようにしているわけです。というより、意味をもたせているのです。もちろんゲーム機自体はその意味を理解していません。<br>また、ゲーム機も人間を知覚する機能を基本的にはもっていません。だからこそ、入力装置でなんらかの操作を行うことで、その操作は電気信号に変換され、コンピューターはそれに従い、動作するわけです。なんらかのセンサーなどを使って、感知することもできるでしょうが、その場合はそのセンサーが入力装置の役割をはたしているわけです。<br>ゲームはプレイヤーとゲーム機のやりとりではなく、正確にはコントローラーとグラフィック（出力結果）という通訳を介して行われるコミュニケーションであるということです。<br><br>ゲームの進化において、ゲーム機やその翻訳者であるグラフィックの進化というのももちろんあるのですが、コントローラーの進化というのも見逃すことはできません。<br>わかりやすいところでいうと、ボタンが増えてきました。これはつまり、入力できる情報が多くなったということで、ゲーム機はより多くの情報を（グラフィックという形で）返せるということになります。つまり、コントローラの進化によってゲームで出来ることが増えた、といえます。<br>では、ゲームの進化に則して、コントローラーのボタンは今後も無限に増えていくのかというと、そうではないでしょう。コンピューターは進化して能力が向上していきますが、人間の基本的機能は劇的に向上することはありません。人間の処理能力や、記憶力には限界があります。腕や指の数を増やすこともできません。つまり、人間が扱える限界を超えた機能を持たせても、意味がないのです。通訳とコミュニケーションをとれなくなってしまうと、結局、ゲーム機ともコミュニケーション不全に陥いるため、ゲームが成立しなくなってしまいます。<br>ボタンを増やせなくなったコントローラーは、様々なセンサーなどを取り込んだり、出力装置そのものを取り込んだりしてきたわけです。<br>他にも無線になった、とかもありますが、これは便利になったということで入力情報に影響を与えるわけではないので、今回は触れません。<br><br>なぜ、コントローラーは進化する必要があったのでしょうか。なぜ、入力できる情報を増やしていく必要があったのでしょうか。今後もその必要があるのでしょうか。<br>ゲームに慣れている人の中には、もうこれ以上コントローラーの形を変えないでくれ、と思っている人もいるでしょう。手になじんだコントローラーで、ずっとゲームをやっていきたいんだと。コントローラーは人間が扱える限界まで多機能になったじゃないかと。<br>ゲーム機の性能とグラフィックが進化していけば、それでいいじゃないかと。<br>もう進化する必要はないんだと。<br><br>本当にそうでしょうか。<br><br>ゲームの進化によって、グラフィックもリアルになり、なんだかすごいことが色々できるようになった気になりますが、プレイヤーがゲーム中やっていることは究極的にはボタンを押すこと（入力する）だけでした。ボタンの数と同じ数のことしか出来ません。それでは出来ることが少なくなってしまうので、組み合わせることで出来ることを増やしてきましたが、それにも限界がありますし、ゲームは複雑になってしまいました。また、できることのバリエーションもやりつくされ、同じようなことしか出来ないゲームが増えていきました。最近のゲーム機は難しいとかも、ゲームをあまりしない人たちからよく聞く言葉です。ボタンを押すということと、実際にゲーム上で起こることが直感的にリンクしない、とかもあるかもしれません。<br><br>そこにモーションセンサーや、タッチパネルが登場し、ゲームそのものも変化してきました。複雑になったゲームを簡単に（直感的に）操作するために、そうする必要があったのでしょう。<br>ゲームの楽しさ、本質的な部分に、複雑なコントローラーを上手く操作するという要素は必要かどうか、という話でもあるかもしれません。チェスを楽しむのに、チェスのコマを華麗に動かす技術は必要ないでしょう。<br>もちろんそういう楽しみはあるでしょうが、そうでなければ遊べないのでは敷居が上がっていくだけです。複雑なゲームシステムで遊ぶため、曲芸のような操作をしなければならないのなら、そこまでして遊びたくない、と考える人が増えても仕方がありません。これは、ゲームを簡単にしろ、といっているのではなく、ゲームの本質的な部分を楽しむための負担を減らしたほうがいい、ということです。<br><br>モーションセンサーやタッチパネルは、ゲームのための技術ではなく、他の技術をとりこんだものです。<br>そのため、コントローラーがどう進化していくのか、ということを予想するのは難しいですが、ゲームの入力装置は今後もっと直感的になっていくのでしょう。というか、そうあるべきだと私は考えます。<br><br>…なんか最初に思っていたのと違う結論になってしまいましたが、ま、よしとしましょう。また別の機会に考えます。それでは。<br>
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<link>https://ameblo.jp/hiroyoshi680/entry-11791625508.html</link>
<pubDate>Sun, 09 Mar 2014 12:33:56 +0900</pubDate>
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<title>ゲームの宣伝について</title>
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<![CDATA[ 今回はゲームの宣伝についてです。といっても、広告、マーケティング論をぶちあげたいわけではなく、実際にゲームの広告を見ていた時に感じたこと、考えたことを書いていきたいと思います。<br><br>最近のゲームは面白そうに感じられなくなった、という人がいるのではないでしょうか。私も、これはなんか面白くなさそう、と敬遠するものも多いです。これは、実際にプレイしてみて、ということではなく、それ以前の問題としてです。<br>逆にプレイしてみて、こんなに面白かったのに、全然宣伝では伝わってこなかったな、と思うこともありました。これは、何が原因なのでしょうか。なぜ、こんなことになってしまうのでしょうか。<br><br>最近とくに、開発費の問題からかわかりませんが、ゲームは続編もの、シリーズものが多くなっています。”あの”人気シリーズの○○がついに、とか。<br>当然、まったく同じものを出すわけにはいかないので、なんらかの追加要素があるわけです。そして、追加要素を折角いれたわけですから、それを前面に押し出して宣伝が行われるわけです。今度の○○はこれだ、というふうに。もちろん全てがそうだとは思いませんが、傾向としては確かにあると思います。まず、こういった方法に疑問を持ったわけです。<br>これはつまり、前作を知っていることを前提とした宣伝なわけですが、そもそも、その人気シリーズはどのくらいの人に認知されているのでしょうか。仮に100万本前作が売れたとしても、日本人全体の1％に満たないわけですが、そこに向けた宣伝は果たしてどれくらい効果があるのでしょうか。元々のゲームの面白さが100だったとしましょう。そこに20の追加要素を足して、120のゲームになったとします。そのとき、20の要素を1％未満の人たちに対して宣伝して、どうなるというのでしょうか。もちろん、ゲームを作っている人たちは、前作の要素を全て知っているわけですから、新しい要素を宣伝したいキモチは強いでしょう。しかし、そこを強調されても、伝わりきらないことのほうが多いのではないでしょうか。<br>少なくとも、私は知らないシリーズの新要素を強調されても、どう変わったのかわからないので、何の興味も湧きません。<br>そもそも、どんなシリーズも、はじめはシリーズものではなかったはずです。ということは、100の部分を宣伝していたことがあったはずです。<br>しかしその場合においても、実は他のゲームを前提として違う部分だけを10とか20宣伝しているに過ぎないことが多いように思いました。つまり、このＲＰＧはこうだ、とかこのＦＰＳ（シューティング）はこうだ、とか、こういうアクションゲームだ、とか。ＲＰＧやＦＰＳ、アクションゲームをある程度知っていることを前提に宣伝が行われているわけです。<br>最近のゲームは難しそう、とか言われるゲームはこういう宣伝の仕方をしているのではないでしょうか。<br>こういった宣伝はつまり、需要に合わせている、ということなのだと思います。つまり、最初からある程度その方向性に興味のある人に向けて宣伝が行われているわけです。そこに需要があるという前提で。ＲＰＧを欲しがる人、シューティングを欲しがる人、アクションを欲しがる人、そのシリーズものを欲しがる人が、一定層いるとされているわけです。そして、その層の人たちは、宣伝者が想定したゲームに関する知識を一律で持っているとされます。確かにゼロではないでしょうし、宣伝にはコストがかかりますから、あらかじめいるとされる需要に向けて、小さく確実に宣伝しよう、というのが主流になるのもわからない話ではありません。<br>現実問題としてそれで上手くいっているのであればいいと思うのですが、どうなのでしょうか。<br>需要は、はじめから、あらかじめあるものではないでしょう。車が存在しないときに車を欲しがる人がいないように、コンピューターゲームがなかった時、コンピューターゲームを欲しがった人はいなかったはずです。ＲＰＧやアクションゲームの需要もどこかで生まれたわけです。自然発生的に生まれたのでしょうか。そんなはずはありません。なぜなら、それらが発明されたとしても、そのことを知らなければ欲しがりようがないからです。つまり、誰かが宣伝し、0から100の部分を伝えたから、そりゃよさそうだ、と需要が生まれたわけです。<br>さらに言えば、需要にあわせているといっても、100％想定した需要のとおりに売れることはないはずです。想定されていなかった人たちはいったいなぜ、そのゲームに興味を持ったのでしょうか。<br>私はゲーム業界の人たちに、このことをもっと重要視して欲しいのです。つまり、あらかじめあるとされている需要の外をもっと見て欲しい。そこにゲームの魅力を伝えて欲しいと思うのです。少なくとも、ゲーム業界というものが出来上がった当時は、そうだったはずです。私の両親もゲームを全くやったことがなかったのに、私がねだったわけでもないのに、ファミコンを買ってきたわけですから。そして、私はゲームに出会うことになりました。<br>0から100の部分とは、<strong><font color="#FF1493">そもそも何が、なぜ面白いの？</font></strong>ということです。<br>ひとつひとつの細かい要素だけでなく、もっと大枠で、ＲＰＧとは、シューティングとは、アクションとは、そもそも何が、なぜ面白いのか。<br>このシリーズはそもそも何が、なぜ面白いのか。そのことがもっと伝われば、もっとゲームを楽しめるようになるのでは、と思いました。<br><br>何を伝えるべきかがわかっても、どうやって伝えるのか、という問題もあるでしょう。というのも、面白かろうが、そうでなかろうが、そもそもそんなゲームがあるの全然知らなかった、ということも多いからです。ゲームの情報に比較的興味のある私ですらそうなのですから、世の中にはゲームの情報がほとんど伝わっていない、というのが現実なのではないでしょうか。<br>詳しくは知らないのですが、海外の大手ゲーム会社は、宣伝広告費に莫大なコストをかけるそうです。つまり、大手のゲーム会社であっても、情報を多くの人々に伝えるのはそれだけ難しいということでしょう。<br>ゲームの宣伝方法というと、テレビＣＭ、ゲーム雑誌、ゲームの情報サイト、ゲームのホームページ、動画サイト、バナー広告などが上げられるでしょうか。テレビＣＭを除けば、ゲームに興味のある人以外はあまり見ないものです。<br>かつては、多くの人がテレビから情報を得ていました。私も印象に残っているゲームのＣＭがたくさんあります。しかし、今はあまりテレビを見なくなりました。つまり、ＣＭから情報を伝えられることは減ったわけです。じゃあどこから情報を得ているのかと言うと、インターネットからが多いわけですが、インターネットのどこからか、と問われれば、その時々、バラバラだったりします。インターネットのぐちゃぐちゃな情報の渦の中でなんとか、自分が興味のある情報だけをちょっとだけ引き出しているわけです。効果的な宣伝方法など、もうないのかもしれません。<br><br>ひとつ私が思ったのは、モンスターハンターの宣伝方法についてです。モンハンはいまや、非常に有名なゲームですが、有名だというだけで今も売れ続けているものなのでしょうか。私は違う、と考えています。というのも、モンスターハンターはゲームが好きな人からしてみれば首をかしげるような、非常に様々なモノや、場所とコラボしたり、ご当地ＣＭのようなものをつくったり、他のゲームとは明らかに宣伝方法が違うように思えるからです。もちろん、それだけのコストをかけれる、ということもあると思いますが、ゲームの枠を飛び出して、ゲームの意味を広げようとしているようにすら思えるのです。それらの全てが上手くいったわけではないでしょうが、モンスターハンターというのがこれほど広まったのにはそういったゲームの枠を飛び出した部分から、新たに人が入ってきたことが大きいのではないでしょうか。<br>思い出してみると、ファミコンの時代、ゲームはもっと、ゲームの外に飛び出していました。テレビ番組もありましたし、ファミコンキャラバンなどもありました。モンスターハンターはそういうことを、現在の世でやっているのかもしれません。<br>ポケットモンスターに関してもそうです。アニメやグッズなど、ゲームの枠を飛び越えて、文化と呼べるくらいまで生活に浸透したからこそ、今も大きな存在としてあり続けられるのではないでしょうか。これらに比べると、他のゲームは、<font color="#9370DB">ゲームに引きこもっている</font>、という印象すら受けます。もちろん、全てのゲームがそういったことにコストをかけられるわけではないでしょう。ホームページをつくるだけで精一杯、かもしれません。しかし、伝わらないと思い込んで、伝えないのでは、伝わるわけがありません。伝えたいことがある、のであれば、様々な伝える方法を考えなければいけないでしょう。モンハンやポケモンから得られるヒントとしては、やはりユニークであるということでしょう。ゲームの枠を飛び出す、ということは、他のゲームの宣伝ではやらないことをやる、という意味だからです。ユニークというと、ちょっと面白い、くらいの意味で使う人もいますが、唯一の、たった1つの、という意味です。他と同じ宣伝方法では、多くの情報に埋もれること必至です。効果的な宣伝方法とやらを探すこと自体が、間違いなのではないでしょうか。<br><br>最後に、これは愚痴みたいなものなのですが、ゲームソフトのホームページについて書きたいと思います。<br>ゲームのホームページは大抵、お金がかかってるいいデザインのものが多いし、情報量も多いし、ＦＬＡＳＨか何かで動くし、豪華で、そして、とんでもなく見づらいです。画面をにぎやかにしたい、ホームページを楽しめるようにしたい、というキモチはわからなくもないのですが、ページを開いた瞬間、Now Loading…を見た時点で閉じたくなります。見たいのはゲームの情報であり、アイコンやインターフェースがアニメーションする様子ではないからです。動かさなければいけないという脅迫観念にかられているのでしょうか、ほとんどのゲームのホームページが、このようなテンプレ的フォーマットになっています。ホームページは基本的に、既にそのゲームの情報に、ある程度興味のある人が見るものです。そういった、見た目の派手さではなく、中身のコンテンツのユニークさで勝負してもらいたいものです。もちろん、ユニークさだけにこだわって、最低限必要な情報が書かれていない、とかは困りますが。<br><br>今回はこんな感じで終わろうと思います。このブログは今後、多分ですが土日らへんに週一更新していくことになると思います。<br>毎回長すぎてうんざりするでしょうが、土日を使って読んでいただけたら嬉しいです。それでは。
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<pubDate>Sat, 01 Mar 2014 23:04:04 +0900</pubDate>
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<title>レビューについて</title>
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<![CDATA[ 今回はレビューについて考えて見ます。<br>前回まで、自分がゲームをどのようにとらえているか、評価しているかを大まかに振り返ってきましたが、ここで世の一般的評価と関連付けていきたいと思います。<br><br>レビューとは評論、評価などのことで、<br>ゲームの場合、発売前にゲーム雑誌の行うレビューなどが取り沙汰されることも多くあります。<br>とりあえずレビューを見てから買う、という人も多いでしょう。<br>ゲームに限ったことではないかもしれませんが、ゲームソフトは単価が高いですし、<br>遊んでみるまで中身がわからないので、特に重要視されているのではないでしょうか。<br><br>ここで疑問なのは、前提としてレビューがあてにされているということです。<br>つまり、信用があるということです。これは何故なのでしょうか。<br>普通に考えれば、レビューをした人が、面白い、いいものだと言ったところで、自分にとってそれが同様に面白い、いいものだと感じられるかはわからないはずです。<br>人には好みがありますから、その人の面白いと思うものと、自分が面白いと思うものが一致するとは限らないからです。<br>また、現在一般的に行われているレビューは点数制ですが、これには非常に大きな問題があります。<br>その最たるものは、採点基準が公開されていないということです。<br>つまり、何の要素が何点になったのかがわからないということです。<br>学校のテストに例えると、各設問の正否は一切わからずに、点数だけが書き込まれている状態です。<br>これでわかるのは、点数の数字としての大小だけで、何が、どこが面白いのかがわからないわけです。<br>レビューとは、点数がわかりさえすればそれでいい、というものなのでしょうか。<br>例えば、あるレビュワーが80点をつけたゲームに別のレビュワーが50点とつけたとします。<br>この場合、同じ設問に同じ答えを書いたのに、点数が違うということが起きているわけです。<br>どちらの点数がより信頼できるか、どうやって判断すればよいのでしょうか。<br><br>採点基準は公開されていないだけとも考えられますが、もし、採点基準がないとすれば、この点数はそもそもどうやってつけたのでしょうか。<br>これで全てが説明できる、かはわかりませんが、私の私見を述べます。<br>これらの点数は<font color="#FF0000">感想点</font>であると考えられます。つまり、その時のキモチを数字で表現したものです。<br>何か食べ物を食べたとき、そのおいしさに点数をつけることはできるでしょう。<br>自分の気持ちの表現であって、どんな点数をつけても間違いではありません。<br>そのときの気分で点数が上下しても、間違いではないのです。気分は変わるからです。<br>その食べ物が好きであれば、高得点でしょうし、嫌いであれば低くなるでしょう。<br>機嫌がよければ高い点数をつけやすいかもしれません。<br>レビューには感想点の元になった、つまりキモチに影響を与えた内容について書くのが普通です。<br>（どこが何点だったのかはわかりませんが）<br>しかしそれは、あくまでレビュワー自身のキモチの表現であって、他者のキモチには何の関係もありません。<br>みんながどんなにおいしいといっても、自分の嫌いなものをおいしいと思ったりしないですよね。<br><br>つまり、レビューを見てわかることは、レビュワーのキモチだけなのですが、その極めてあやふやなものを複数集めて、平均して信頼性を高めようとしていることが多いです。<br>これは、統計的な考え方なのかもしれませんが、みんなの気持ちの平均値を知ったところでなにがわかるのでしょうか。<br>レビューは多くの場合、定性的に評価するべきものを定量的に評価しています。<br>そもそも、数字で表現できないものを数字化しているわけです。<br>なぜこのようなものが信じられているのか、評価の基準として受け入れられているのか私は不思議でしょうがないのですが、もしかしたらそれは、多くの人は<strong>自分の好きなものがよくわかっていない</strong>から、かもしれません。<br>これはブランド品を買い求めるようなものでしょうか。何がいいものか、よくわからないから、他の多くの人がいいといっているのだから、自分にとってもいいはずだ、と思い込もうとしているのです。<br>（ブランド品の場合は、それを持っていることが社会的ステータスになり得る場合もあるでしょうが）<br>しかし、自分にとって何がいいものかは自分にしかわかりません。<br><br>最近、まわりでちらほらと、最近のゲームに飽きちゃった、という声を聞きます。<br>最近の、ということは昔は面白いと思っていたわけですが、最近のゲームは質が下がってしまったのでしょうか。<br>そういうものもあるかもしれませんが、それ以上に、自分にとって何が面白いのかを理解せずに、他人が面白いと思ったものばかりを選んで遊んでいるから、というほうが納得できる気がします。<br><br>私はブログの最初のほうで、自分のゲーム遍歴を思い出し、その中で自分はこういうものが好きだったんだと、あらためて気づいたことが多くありました。<br>もし、最近のゲームはつまらない、と感じている方がいたら、一度今までを振り返って、自分の好きなもの、面白いと思ったものはなんだったのか、探ってみるのもいいかもしれません。<br><br>とはいえ、何の指標もないのでは右も左もわからない、という人もいるかもしれません。ゲームに必要なのは、もしかしたらレビューではなく解説なのかな、とオリンピックを見ていて思ったのでした。
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<link>https://ameblo.jp/hiroyoshi680/entry-11778418878.html</link>
<pubDate>Fri, 21 Feb 2014 22:39:48 +0900</pubDate>
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<title>ハマる　について（2）</title>
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<![CDATA[ 前回に続いて、ハマるについて考えていきたいと思います。ハマる、の定義については前回をご参照ください。<br><br>スコアを競う、クリアまでの時間を競う、武器防具やアイテムを集める、レベルを最大まで上げる、最大難度でクリアする、特定の条件を設定してクリアする（縛りプレイ）、クエストを全てクリアする…<br>これはあくまで私の例ですが、ハマった内容というか、要素です。共通する人もいるでしょうし、まったく違うところにハマる人もいるでしょう。同じ要素のある全てのゲームにハマったわけではありませんし、同じジャンルのゲームでも全然違うハマり方をすることもあります。単純にゲームの出来の良し悪しもあるでしょう。ハマりやすく、作ってあるゲームもあると思います。ツボを押さえている、といいますか。<br>一方で、ハマる要素には自分独自の面白さ・目標を見つけられるかどうか、というのが大きく関わっているのではないでしょうか。これは目標を自分で設定しているわけですから、以前書いた自発的ゲーマーのハマり方だといえます。初めて遊ぶジャンルやシリーズであっても、どこかに自分の目標、目的を設定して、ある意味製作者の意図と関係なく、勝手にハマる、といってもいいかもしれません。シリーズ作品であれば、過去にハマれた要素を含む場合が多いので、よりハマる確率は上がりますが、ハマる要素がゲームの本筋と関係ない場合、削られることも多々あります。ゲームそのものの本質が変化していくこともあります。もしかしたら、過去ハマっていたはずのゲームの最新作に興味をもてなくなったのは、こういった要素が過去作と変化したように感じられたからかもしれません。<br>私はいわゆるやりこみ系ゲームも、やりこませゲームに感じられるものはあまりやる気がおきません。ゲームの側で目標が設定されているもの（トロフィーや、実績のようなもの）はあまり埋めようというモチベーションがおきないのです。<br>逆に、そういった穴埋め作業を好む人もいるでしょう。ゲームの側が設定した目標をこなしていく、という目標を設定しているのかもしれませんが、そうでない人もいるのです。以前、ピクミン3を遊んでいた時に、ミーバースというゲーム内コミュニティ掲示板で「<font color="#9370DB">ストーリーをクリアしたら、次なにをしていいかわからない</font>」という人がいました。ピクミン3は、ピクミンという手駒を増やしながら、いかに効率よく短い日数で目的を達成するか（フルーツを集めたり、ボスを倒したり）、繰り返し遊ぶことで、マップや敵の配置や攻略法を覚え、それを正確に実行できるようにするというゲーム、だと私は思いました。ミッションモードというおまけマップでも同様の遊び方ができます。しかしこれは、ゲームの側が明確に設定した目標ではなく、そういう遊び方が出来るように出来ているだけです。そのため、ゲーム側が設定した目標しか遊ぶ目的のない人には、一度クリアしたらそれで終わってしまうゲームに映ったのかもしれません。<br>これは、性格の問題なのかもしれませんし、自発的ゲーマーと受動的ゲーマーのハマり方の違いなのかもしれません。ハマる、こと自体が自発的ゲーマーへの入り口なのかもしれません。<br>自分が何にハマるのかを把握しておくことは、他のことにも応用できるのではないでしょうか。ゲームにハマる、ということは、仕事や勉強で自発的に目標をつくっていく練習になったりするかもしれません。ならないかもしれませんけど。<br><br>ひととおりハマったあと、ハマり終わることになります。つまり、飽きるわけです。<br>なぜ、飽きるのでしょうか。ハマるというのが、自発的にしろ受動的にしろ目標を達成することにあるのなら、その目標を達成したと感じたとき、満足したとき、飽きることになります。<br>そのため、永遠に自分で新しい目標を設定し続けない限り、ゲームは必ず飽きるわけです。日課として遊ぶ、とかいう目標を設定したら、もしかしたら飽きないのかもしれませんが。<br>飽きたゲームは押入れに仕舞われるか、売られるかしてしまうかもしれません。しかし、飽きたからといって、そのゲームの価値がゼロになるわけではないと思います。目標を達成したことで、そのゲームへの興味が、別の何かの目標への興味を一時的に下回ったということです。というのも、一度興味を失ったあと、もう一度ハマることもあるからです。ハマりなおす、という感じです。ハマるための目標を再現するモチベーションがある場合や、新たな面白さ・目標に気づいたりした場合、ハマった内容について忘れてしまっている場合などが考えられるでしょうか。<br>私は今、3ＤＳの新・光神話パルテナの鏡を再プレイして、ハマっているといえます。これは以前クリアしており、それなりにハマっていたので、一度飽きて、ハマなおしたことになります。<br>ストーリーはクリアしましたが、難易度を上げたりなど、もう少しハマれそうな予感がしています。このほかにも、時間があったらやりなおそうと思っている一度ハマったゲームがいくつかあります。<br>そういったゲームは、ハマっていた時間を肯定的に捉えているゲームでしょう。逆に、ハマったけどあまりいい思い出のないゲームは、ハマりなおすこともない気がします。<br>いま、自分がハマっているゲームを後々肯定的にとらえてハマりなおせるかどうか、というのは、いいハマり方をするために参考になるかもしれません。どうせやるなら、良い思いでとして残したいものです。<br><br>ハマった時間をどうとらえるか、ということに関連していると思うので、次回は、ゲームの評価（レビュー）などについて、考えてみたいと思います。<br><br><br>追記：ハマりすぎることなどについて<br>自分が目標を設定するにしろ、ゲームが設定した目標をこなすにしろ、それに<font color="#FF1493">達成感を感じるか</font>どうか、というのがハマるポイントである気がしたので、追記します。自分で設定した目標のほうが、達成感を感じやすい、とも言えると思います。基本的には、このことは肯定的に受け止めてよいと思うのですが、ゲームは娯楽なので、ハマりすぎるのは生活に支障をきたしかねません。ゲームがある程度の達成感を与え続けてくれる場合、オンラインゲームなどでしばしば取り沙汰されるように、ハマりすぎた状態になりうると思えるからです。結局のところ、それを人生において、どう使うか、ということになってしまうのでしょう。ゲームとどう付き合うか、といった感じです。ですが、ハマりすぎることが一概に悪い、と言いたいわけではないのです。<br>たとえ話ですが、1万円をどう使うか、みたいなもので、一万円分本を買った人と、一万円分焼肉を食べるのに使った人とでどちらが有意義にお金を使えたか、と問われた場合、一見、本を買った人の方が有意義に思えるのですが、その本は読まないかもしれませんし何の本かにもよるでしょう。一方で、焼肉は食べたらそれっきりですが、ストレス発散し、次の日の仕事が捗ったのなら、十分有意義であったと言えるわけです。<br>つまり、物の価値は人と時それぞれで、使い方によるわけです。重要なのは自分にとって今、それがどういう意味を持っているのか考えるということかも知れません。<br>私も、明日の仕事を考えずに徹夜でゲームすることも、たまにですがあります。確かに次の日は眠いのですが、そのゲームの内容が今後10年心に残るのなら、一晩くらいは安いものとも言えるのです。やらなきゃよかったと思うこともあります。そうならないために、今後ももう少し、ゲームについて考えていきたいと思います。<br>
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<pubDate>Sun, 26 Jan 2014 16:48:14 +0900</pubDate>
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