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<title>昼寝堂</title>
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<title>スイッチ</title>
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<![CDATA[ <blockquote style="border:1px dotted #7070a0; background-color:#dfdfff; padding:12pt;">人としゃべっていると，その話に割りこんでくる人がいる。<br>割り込んでくると言うよりも<br>今まで話をしていた内容と全く違う話をはじめて<br>その上その話は止まらない。<br>これまで友人関係だった会話に支配者が生まれる。<br>とにかく言いたいことをダダダダダッと話し続ける。<br>これまでしゃべっていたことが中断されるので<br>なんだかもやもや。<br>これまでの話を続けようとしても至難の技。<br>こんなときは結局，自分も話していた相手もだまって<br>割りこんできた人の話を止まるまで聞くことになる。<br>結構長い。<br>最後までしゃべりたい。<br>最後まで聞きたい。<br>こんなときってどうしたらいいのだろう。<br><br>（<a href="http://www2.synapse.ne.jp/angel/nikki/2001_4.htm">会話の支配者 ／ かのんの日記　2001年4月17日</a>）<br></blockquote><br>　これ、私自身にも時々当てはまる事があるので、ちょいと耳の痛い話です。さすがに他人の会話にいきなり割り込むことはない（……はず）ですが、話している最中に変なスイッチが入って、「とにかくここまでは伝え切らないといけない」みたいな変な強迫観念に駆られてしまうことが、時々あります。特に職場での上下関係に基づいた会話でこれが出てしまうと、後で「あぁ俺はいったい何を喋っていたんだ」と頭を抱えて落ち込んでしまうことに。きっと私に喋られた側は後で唖然としていたでしょうが、喋ってしまう側の私も「こんなときってどうしたらいいのだろう」と思ってしまいます。<br>
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<pubDate>Sun, 03 May 2015 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>一期一会</title>
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<![CDATA[ <blockquote style="border:1px dotted #7070a0; background-color:#dfdfff; padding:12pt;">西荻窪駅前。夕焼けがきれいでした。<br><br>（<a href="http://arata.page.ne.jp/photodiary/2002/09/post_33.html">「夕焼けこやけで...」 ／ 増田新の写真日記　2002年9月22日</a>）<br></blockquote><br>　夕焼けに限らず、美しい自然現象はその時々の気象条件等に従って都度現れるだけで、似たような景色が現れることはあっても、まったく同じ現象が再現されることは二度とありません。すべての景色は一期一会。自然現象に限った話ではありませんが。<br><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20141013/15/hirunedo/41/93/j/o0320024013096650863.jpg" alt="" border="0" style="float:left;">だいぶ前に私が撮ったこの夕暮れも、まったく同じ光景が見られることは二度とありません。
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<pubDate>Thu, 30 Apr 2015 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>急がば回れ</title>
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<![CDATA[ <blockquote style="border:1px dotted #7070a0; background-color:#dfdfff; padding:12pt;">２年位前、<br>私も『真夜中のペンキ塗り』をしたことがあるのです。<br>実家に居る頃から使っていたタンス、<br>なんとなく和ダンスみたいな風合で、<br>部屋ではどうしても浮いた存在でした。<br>捨てちゃおうかな、と引越しのたびに思いながらも、なかなか捨てられなくて、<br>「そうだ、捨てる前にいっそ塗り替えちゃおう！」と思いついたのです。<br>（略）<br><br>ある夜、どうしても眠れなくて<br>深夜１時を過ぎた頃、<br>ふとペンキの事を思い出し<br>ベッドを抜け出してついにペンキ塗りを決行！<br>（略）<br><br>翌日。<br>朝、引出しをあけようとして重大なミスに気付きました。<br>ずぼらをして<br>引出しを閉めた状態で塗ったので<br>ペンキがくっついて引出しが開かない！！<br>どうしよう、洋服が取り出せない、と<br>出勤時間を気にしながらあせる私。<br>ついに、マイナスドライバーを持ち出して、<br>てこの原理でこじ開け、<br>せっかく塗り上げたタンスは<br>わずか数時間後に無残にも傷だらけとなってしまったのです。<br><br>【急がば回れ】<br>私はペンキ塗りという作業を通じて<br>このことわざの意味を身を持って感じたのでした。<br>ちなみに<br>今でもそのタンスの開け閉めは困難です。<br><br>（<a href="http://www.kbc.co.jp/an-room/diary/kato/diary.html?slt_year=2002&amp;slt_month=4&amp;slt_day=00">大事な事はペンキ塗りで教わった ／ かときょんのさらさら日記（KBCアナウンサールーム）　2002年4月16日</a>）<br></blockquote><br>　その時の勢いで何かやってしまうと、後で大きく後悔してしまうこともしばしばあります。とはいえ、その勢いが無いと前に進まないこともあったりするもので……。<br>
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<link>https://ameblo.jp/hirunedo/entry-11938425142.html</link>
<pubDate>Sat, 25 Apr 2015 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>乾巧って奴の仕業なんだ</title>
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<![CDATA[ <blockquote style="border:1px dotted #7070a0; background-color:#dfdfff; padding:12pt;">今日は、ユーマとカズと一緒に家のお片づけ。２人とも、なかなか、片付けるのが上手になりました。片付け終わった後は、仮面ライダー５５５ごっこをして、遊んでおりましたが、ユーマと２人でカイザーとかいうんでしょうか？仮面ライダーの強い方らしいですが、それをどっちがなるかでもめておりました。結局は、強情なカズがそれになって戦っていました。<br>戦ってはいるのですが、お兄ちゃんが勝つのは当たり前。でも、カズは真剣にカイザーになってる、こっちの方が強いんやと主張し続けております。子どもと言うものは本当に面白いものですね。でも、大人も肩書きや所属している組織によって、自分が大きな存在だなどと思い上がっている人もいるので、人間と言うものは結局そういうものなのかもしれません。<br>年齢や先輩後輩、民族、人種、自分が所属している場所に優越感を持つ。悪いことではないのですが、そういう人に限って、困った人が多いもの。これからの時代は、組織に頼らず個人の力量を磨くことが大切だと思うのですが・・・<br><br>（<a href="http://www.eonet.ne.jp/~m-hirose/nikki/2003nikki/2003_05nikki.htm">新米パパのでたらめ日記　2003年5月11日</a>）<br></blockquote><br>　子供の仮面ライダーごっこ遊び程度なら可愛いものですが、何か外から借りてきた属性を背負って、自分の方が優れた属性を持っているから自分のほうが優先されるべきだと主張する光景は、大人の世界でも時折り見かけます。あるいはその属性を盾にとって、自分のほうが優遇されて然るべきなのにそうなっていないのは乾巧って奴の仕業……もとい他の誰それのせいだ、と言うような光景。とはいえ、異なる立場的主張が複雑に入り組んだ形でぶつかることのある社会生活の中では、何でもいいからとにかく自分が優位に立つための材料をどこからでもかき集めて「戦わなければ生き残れない」（これは555ではなく前作のキャッチフレーズですが）、という切羽詰まった発想に陥りがちになることもあります。<br>
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<link>https://ameblo.jp/hirunedo/entry-11938418858.html</link>
<pubDate>Mon, 20 Apr 2015 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>ロボット</title>
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<![CDATA[ <blockquote style="border:1px dotted #7070a0; background-color:#dfdfff; padding:12pt;">昨日は産学連携の件で伊丹へ．企業の人といろいろとお話をする． 「汎用ロボットというのはいつごろ実用になるもんでしょうか？」 との質問．これは予測できんのです．なにせ物性やら工作やらの場合 は物理法則という基本方程式がわかっている（原理的にはという意味． ミクロにはわかっていてもマクロにみたときにどのような記述になるか というはまた別問題なので研究の余地があるわけだ）ので，だいたい 実用化の時期というのが予測できるものもある．しかし人工知能の世界 となると基本方程式はない．見つかることに悲観的な見方も多い． 決められたsymbolの世界はきれいなのだが，現実の世界（パターンの世界） ははるかに汚い（というかバリエーションが数えきれない．基本的に 同じものはひとつとしてない）．これをどううまくあつかうかについて 狭い世界に限ってのアプローチは山ほどあれど，人間の住む世界まで ひろげられる一般性のあるアプローチは見つかっていない．ある日突然 見つかるかも知れないし，地道にちまちまとひろげていくしかないの かもしれない．これでは「いつごろ？」といわれても予測不可能なのだ．<br><br>（<a href="http://www.i.ci.ritsumei.ac.jp/~shimada/diary/2002-2.html">Nobutaka SHIMADA's Homepage　2002年2月7日</a>）<br></blockquote><br>　家電製品のように、比較的単純な動作の機械を作ってそれを人間社会に持ち込んで使用する場合、具体的な動作については人間の手で操作することになるのでそれほど問題にはなりませんが、動作そのものを機械に自律的に判断させるとなると、現実世界のありようの複雑さに関する認識と判断が直接機械にかかってくるため、認識・判断対象が多様すぎて理論的に単純化できないのでしょう。最近では「ルンバ」等のロボット掃除機のように、部分的には現実の世界そのものをロボットに直接取り扱わせる技術も実用化・商品化されていますが、これも室内の掃除という「狭い世界に限ってのアプローチ」であり、汎用人工知能への道のりはまだまだ遠いのかもしれません。<br>
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<pubDate>Wed, 15 Apr 2015 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>まあいいか</title>
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<![CDATA[ <blockquote style="border:1px dotted #7070a0; background-color:#dfdfff; padding:12pt;">　昨日の夜に来てもらったが、車検で車が代車だったが、道の駅いながわに野菜の買出しに行く。昼食は道の駅にある「そばの館」に入る。そこからＫ－ズ電気に妻のデジカメを修理に出しに行く。修理から１週間くらいでまた修理なので、係りの人が申し訳なさそうに「クレームを付けておきますか？」と聞いてきたが、「何かあったら連絡して下さいとのことだったので、不安だったのでしょう」クレームはつけなかった。<br>　私は自分に非がなくてもクレームを付けるのが苦手である。だから甘く見られる、たとえば席を案内されるのでも、トイレのそばとか、後回しにされるとか、実際にそうなのだ。まあいいかとなってしまう。要するに文句を言って何かを強制的にやってもらっても、ちっともうれしくないのだ。むしろ、自分がクレームを付けられている立場に変身？して、気の毒に思ったりする。<br><br>（<a href="http://morinobu27.blog.so-net.ne.jp/2007-10-29-1">風邪気味 ／ 森信雄の日々あれこれ日記　2007年10月29日</a>）<br></blockquote><br>　私もたいがいの不都合は「まあいいか」で済ませてしまうほうでしょうね。あまり波風を立てたがらない性格に由来するところもあるのですが、しょせん人間のやる事なんだから何もかも完璧に行くわけなんてないし、その失敗がたまたま今回は自分に当たってしまっただけだと思えば、よほど深刻な被害等でもない限り、「まあそういうこともあるさ」と水に流してしまう方が世の中もほどほど穏やかに回るんじゃないかなぁ、などと思って頭を切り替えます。たぶん他のところでは私自身がたまさかの失敗の尻拭いを、知らず知らずのうちに他の誰かに押し付けている可能性だってあるでしょうし。<br>　それに、企業の製品やサービスにおける不都合なんかであれば、仮に私がクレームをつけたところで、私に対応する人はだいたい不都合の原因とは何の関係も無いコールセンター（しかもほとんどは当の企業からコールセンター業務委託を受けた全然別会社の人）の人であることがほとんどでしょうし、そんな人に当たり散らしてウップンを晴らすのはあんまり美しい光景ではないよなぁ、などとも思います。<br>
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<link>https://ameblo.jp/hirunedo/entry-11913220359.html</link>
<pubDate>Fri, 10 Apr 2015 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>風土</title>
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<![CDATA[ <blockquote style="border:1px dotted #7070a0; background-color:#dfdfff; padding:12pt;">通勤途中、いかにもステロタイプな広告を見た。<br>……<br>この広告はPolarbro:dというパン屋のものだが、この会社が作っているパンは、まるで大きな煎餅のように丸くて平べったい。味も、普通のパンとはちょっと違う。実は、これもスウェーデンの風土を反映した食べ物なのである。昔、スウェーデン北部では、大麦しか作れなかったため、パンを焼くのにも大麦粉を使ったのだそうだ。この大麦粉から作るパンはイーストを入れても小麦粉で作るパンのように膨らまないので、イーストを入れずに平べったく焼くようになったということである。実際、食べた感じは、インド料理のナンを少し甘くしたような感じである。この北部の丸くて薄いパンには、直径１０センチ・厚さ１センチ弱のものと、直径２０センチ・厚さ数ミリのものと２種類あって、後者はTunbro:d（薄パン）と呼ばれていて、サンドイッチの具をつめてくるくる巻いて食べることが多い。ちなみにもう一つのスウェーデンの特徴的なパンであるクナッカブレッド（硬パン）は、クラッカーみたいな感じのもので、場合によってはライ麦も入っているのだが、これもスウェーデンの気候を背景に生まれた食べ物なのだそうである。なんでも、昔、小麦粉を引くのに水車を使っていた地域では、水量が豊富な春から初夏にかけて一気に製粉する必要があったのだが、その当時は小麦粉の状態で長期間保存するのが難しかったので、硬く焼いて長期の保存に耐えれるようにしたものなのだそうである。クナッカブレッドの基本形は、５円玉のように真ん中に穴があいた形をしているのだが、これはその穴に棒を通して台所の高いところにぶらさげておくためだったのだそうである。……<br><br>（<a href="http://www.geocities.co.jp/MotorCity-Pit/6768/2002_04.html">北限日記　2002年4月19日</a>）<br></blockquote><br>　一言でパンといっても、作られる風土によって異なる製法、異なる味がいろいろあるんですね。衣食住のありかたは、置かれた環境に人間がいかに適応して生活するかを如実に反映するため、環境の違いに応じて思いがけない生活スタイルが世界のあちこちで日常的に営まれています。<br>
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<pubDate>Mon, 06 Apr 2015 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>因果性</title>
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<![CDATA[ <blockquote style="border:1px dotted #7070a0; background-color:#dfdfff; padding:12pt;">非科学的な事には否定的な態度を取るのが俺の基本姿勢なのだが、<br>実はひとつだけ態度を決めかねている体験がある。 <br>ある日の仕事中、急に首の筋が痛くなったんだ。そりゃもう痛いのなんの。<br>ただでさえ貧乏で首が回らなかったのに、今度はホントに首が回らなく<br>なってしまった。　朝は何とも無かったので、寝違えたのではないハズ。<br>少し動くだけでも痛みが走り、その度にビククッと身体が硬直した。<br>さっさと病院にでも行けば良かったのだが、忙しさにかまけて行かず<br>じまい。　なんとか騙し騙し仕事を続けていた。<br>翌日の朝なんだ。母親の訃報を聞いたのは。<br>虫の報せ・・・。 <br>いやいや解っている、単なる偶然だ。　何の関係も無い。<br>しかしそれでも・・・・・・ひょっとしたら・・・と今でも考えてしまうのは、自分<br>が当事者だからこそだろう。<br>バタバタとした時間が過ぎ、納骨が終わって何だか気が抜けた時、ふと<br>気付くと首の痛みは嘘のように消えていたんだ。<br>　<br>（<a href="http://www.geocities.co.jp/SiliconValley/5796/0240_200105_2_diary.html">Ｔｗｉｌｉｇｈｔ．．．  ／ POINT BLANK な日々の記録　2001年5月30日</a>）<br></blockquote><br>　頭では偶然に生じた確率的な事象だと分かっていても、それが自分自身の主観的な衝迫性を伴う体験となると、そこについ因果性なり必然性を読み込んでしまいたくなります。ましてや物事の認識に対する批判的な姿勢を維持するような習慣を持っていない人ならなおさらのこと。<br>
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<link>https://ameblo.jp/hirunedo/entry-11914706243.html</link>
<pubDate>Tue, 31 Mar 2015 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>暮らしの色</title>
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<![CDATA[ <blockquote style="border:1px dotted #7070a0; background-color:#dfdfff; padding:12pt;">深夜のテレビドキュメンタリーでは、アフガニスタンの現地の現況を映し出していた。 <br>例えば、父を戦禍で失った上に、空爆で屋根が吹き飛ばされ壁だけになってしまった家、極寒の地で暖房もなく、食べる物もほとんどなく、先のあてもなく、NGOからのわずかな援助物資によって、その日その日を過ごす母子。あまりに苛酷な立場で、私にはそれにどうこうと言えるだけのつりあう言葉も見つからないほどだ。 <br>ただ、私はその中に見た、絨毯の織物の色の美しさというものが印象的だった。女の人が頭にかぶっている布も、いろんな色柄でおしゃれでいい感じだった。そう、戦災や貧しさの中にも、アフガンの伝統文化のほんの一端が美しく光って見えた。 <br>それがまた、いろんな意味で、(多次元に、)私の心に作用する。 <br>まずは、今までその国に対してステレオタイプなイメージ(政治的な面での)しか持っていなかったことへの反省。その地域の本来の魅力を私なりにひとつ見いだせた感動。新鮮な好奇心。新しい評価。そしてそこから、本当だったらごくあたりまえだったはずの-家族で共に楽しく暮らす光景-も、自ずと想像されて、その光景と実情とを重ねれば、そのコントラストに余計やり切れなくもなる。 <br>けれどいつかまた、たくさんの美しい布を染め、織り、敷き、飾り、身に纏い、幸せに暮らす日々。そんな日がきっと戻ってくるはず。(早くそうなって欲しいです。) <br><br>（<a href="http://www.hir-net.com/satomi/chopit/c-0112b.html">アフガンの布  ／ ちょぴ日記　2001年12月23日</a>）<br></blockquote><br>　昔の風景を撮った白黒の映像写真を見ると、当時だって世界に色が無かったわけではないと頭では理解していても、ついモノクロで彩りの無い暮らしのイメージが頭にこびりついてしまいますが、もちろん当時の人々だって様々な色彩の中で暮らしを営んでいました。現在の世界でもまた、ニュースから私たちが受けるイメージと、現実にそれぞれの人が営んでいる生活の自己イメージは異なっているのかもしれません。<br>
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<link>https://ameblo.jp/hirunedo/entry-11914687025.html</link>
<pubDate>Fri, 27 Mar 2015 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>言葉のイメージ</title>
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<![CDATA[ <blockquote style="border:1px dotted #7070a0; background-color:#dfdfff; padding:12pt;">わし、子供の頃「エレベーター」と「エスカレーター」って区別できなかったんだよね。<br>しっかり区別して言葉にできるようになったのは結構最近だったりするｑ（￣3￣）ｐ。<br><br>でもわしの周りでもこの二つを未だにしっかり区別できてない人いるよねー。<br>というか区別はできてるのかも知れないけど、とっさに言葉にすると迷う人が多いのはなんでだろー？(◎o◎;) <br><br>大体、これ、言葉が似てるのがそもそも間違いの元だよね。<br>どちらも最初が「エ」で最後が「ター」でしょ。<br><br>そりゃ間違えるっちゅーの(￣△￣)。<br><br>結局、「エレベーター」も「エスカレーター」もその「ことば」からイメージするものがないんだよね。<br><br>英語圏の人は「elevate」が上げるという意味、「escalete」が昇る、という意味がわかっているからすんなり頭に入るわけで、わしら日本人には「エレベーター」と「エスカレーター」なんてせいぜい「こしあん」と「つぶあん」ぐらいの差ぐらいにしか感じないっちゅーわけだ┐(´～｀;)┌。<br><br>これがもしエレベーターが「箱型垂直昇降機」、エスカレーターが「階段状昇降機」という名前だったら絶対間違えないよね。<br>「箱」と「階段」という言葉からイメージできるものがわしら日本人にはちゃんとあるんだから。<br><br>（<a href="http://mayutsuba.exblog.jp/855989/">「エレベーター」と「エスカレーター」 ／ まゆつば日記　2005年2月25日</a>）<br></blockquote><br>　私も「エレベーター」と「エスカレーター」は時々言い間違えます。ある単語から思い浮かぶイメージは、その単語単独だけでなく、その単語から派生したり逆に単語の語源だったりする諸々の関連語の群から浮かび上がる、様々な周辺的イメージのぼんやり広がる背景によっても形づくられるのかもしれません。外来語はそういう背景を持たずに単独で孤立しがちなのが、こういう場合不利に働くのでしょう。<br>
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<link>https://ameblo.jp/hirunedo/entry-11914679157.html</link>
<pubDate>Mon, 23 Mar 2015 00:00:00 +0900</pubDate>
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