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<title>明日出来ることは今日はしないゾウ</title>
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<description>　とある理由で、煩悩に惑わされつつ生きる団塊男のその日暮らしの記。そして、伝えおきたいこと。</description>
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<title>義理の叔母　その１</title>
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<![CDATA[ <p>私の母の弟、すなわち叔父は接骨院を営んでいた。<br>叔父は既になく、現在は従弟が後を継いでいる。<br>昨春、その従弟の元を訪ねた。従弟の母、叔父の奥さん、すなわち叔母に会いたいがためだった。<br>叔父が接骨院を開くに当たり、私には祖父になる彼の父親は、彼に嫁さんが必要だと考えた。そこで祖父は私を連れて、隣県の山奥へ嫁探しに出掛けることになった。<br>その頃、私は小学２年生の８歳。何の当てがあって、あの遠い道のりを列車やバスを乗り継いで行ったのか、６０年間分からなかった。しかし、結果的に嫁探しは成功している。<br>今になって、その疑問が少しばかり氷解した。『縁者からの助言があって、何がしかの目星を付けて訪ねたのだ』、と分かった。<br>一昨年から我が家のルーツを明らかにしたいと、弟と手分けして３ケ所の区役所に出向き、先祖の戸籍謄本をいくつか入手した。その中に、それらしき記載を見つけたからである。<br>私が初めて会った折の叔母は高校を卒業したくらい、私と１０歳違いだったろうか。<br>叔母は眩く輝いていて、明るく快活な女性だった。<br>私の思春期を早め、私の胸をときめかした存在だった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/hitera/entry-12597970108.html</link>
<pubDate>Mon, 18 May 2020 21:00:00 +0900</pubDate>
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<title>幼稚園</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">　１年間、省営（国鉄）バスで通った幼稚園は、お寺さんが運営していた。境内が園庭だったのである。</font></p><p><font size="3">　現在は市立の幼稚園として存続している。　</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　幼稚園での思い出は、ほとんどない。</font></p><p><font size="3">　他の園児と遊んだことも、教室で教えて貰ったであろうことも、具体的な情景を思い描くことが出来ない。</font></p><p><font size="3">　男の子には、本堂の下の土間が遊び場だったようだ。他では、女の先生と向かい合わせで座り込み、何かをした様子が薄ぼんやりと脳裏に巣くっている程度だ。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　卒園時のものと思われる集合写真が、長く残っていた。園児と先生だけが写った写真だから、間違っているようにも思われるが。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　本堂の前の階段に多くの園児が、行儀良く並んで座った状態を撮ったものだった。</font></p><p><font size="3">　その写真、中段より上位の位置で、私１人が、両手に顎を乗せて写っていた。写真屋さんが注意してくれなかったようだ。変わり者がいて、返って良かったのだろうか。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　私用のアルバムにちゃんと貼ってあったから、今も、実家にあるかも知れない。</font></p><p><font size="3">　私が幼稚園に通っていたことを証明する物は、その１枚の写真だけである。</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/hitera/entry-10285118658.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Jun 2009 23:00:00 +0900</pubDate>
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<title>入園式</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">　小学校に上がる前、私は幼稚園に通った。</font></p><p><font size="3">　それも、４㎞も山間に入ったところの幼稚園で、私は乗合バスで通園した。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　昭和の大合併により、昭和３０年３月末に５ヶ村が一緒になって町制が布かれた。翌４月から、隣村にあった幼稚園の園児になった訳である。</font></p><p><font size="3">　近所にも同い年の子がいたが、その幼稚園に通ったのは私１人だった。どうして、そういうことになったのかについては、分からないままだ。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　鮮明な記憶がある。</font></p><p><font size="3">　入園式には、母が連れて行ってくれたのだ。</font></p><p><font size="3">　これも理由が不明なのだが、その</font><font size="3">４㎞の道を一緒に歩いて帰った。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　入園式で貰った学習道具が嬉しくて、帰りの道すがら、取り出して見ていたらしい。</font></p><p><font size="3">　あるところで、クレヨンを落とした。今以て、その場所を特定出来るから不思議だ。</font></p><p><font size="3">　クレヨンを箱ごと落としたのか、何本かを落としたのかは定かではないが、</font><font size="3">１本のクレヨンが折れてしまった。</font></p><p><font size="3">　それがショックだった。大変情けないという思いをしたことを覚えている。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　入園式だということで、母は、わざわざ遠方から来てくれたのだ。</font></p><p><font size="3">　この５年後から、母と一緒に暮らすことになるのだが、その５年間に母と会ったという明確な記憶がない。</font></p><p><font size="3">　母は百姓仕事の手伝いに、度々、祖父母のところへ来ていたと言っていたから、私が覚えていないだけなのだろうと思う。</font></p><p><font size="3">　早乙女姿の母がしゃがみ、幼い私を抱くような恰好で撮った写真があったが、それも何時のことか分からない。私に覚えがないのだ。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　この入園式のクレヨン事件は、それだけ強烈な思いを残したということである。</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/hitera/entry-10284521944.html</link>
<pubDate>Thu, 18 Jun 2009 23:00:00 +0900</pubDate>
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<title>還　　暦</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">　もう少し、もう何年か後にして欲しかったのに、節目の誕生日がやって来てしまった。</font></p><p><font size="3">　還暦を迎えたのである。避けることなど、出来なかった。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　６０年掛かって、今、手元には何もない。実感出来るものが何もないのだ。ただ、虚しい時が過ぎただけである。</font></p><p><font size="3">　己自身が蒔いた種の結果であるから、何処にも言って行くところはない。黙って受け入れるしかない。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　しかも、よりによって、尿管結石が発覚した。結石を壊すには入院の必要があると言うのだ。思わぬ出費を強いらされそうである。</font></p><p><font size="3">　これこそ、不可抗力以外の何ものでもないのだが、何という頭の痛い問題を抱えてしまったことか。我が身の不運を嘆くばかりである。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　先日から、このブログを再開した。しばらくの間、越し方を見詰め直してみたいと思ったからだ。</font></p><p><font size="3">　これを読んで貰いたい者が存在するが、果たして意のあるところが通じるだろうか。とにかく、書くしかない。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　スーパーに行って、自分の誕生日に気付き、寿司と惣菜を買った。せめてもの祝いの積りであった。美味しかった。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/hitera/entry-10284476152.html</link>
<pubDate>Wed, 17 Jun 2009 22:00:00 +0900</pubDate>
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<title>幕ノ内トンネル開通</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">　私が５歳半の折、町を通り抜ける国道に“幕ノ内トンネル有料道路”が開通した。</font><font size="3">曲がりくねった峠道を迂回するための道路である。</font></p><p><font size="3">　１９５４年１２月１日、全国で４番目の有料道路であった。その１ヶ月前には、日光の“いろは坂”が開通している。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　開通式には私も加わっていた。トラックの荷台に乗って、道路を颯爽と走った記憶が鮮明だ。天気の良い日だった。トンネルを通った記憶がないのが不思議ではあるが・・・</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　前年の８月、お盆の帰省客を乗せたバスが峠道から転落した。皮肉にも、工事中の道路に落ちて、２０数人が亡くなった。近くの救護所で寝かされている負傷者の様子が薄ぼんやりと思い出される。</font><font size="3">上空を取材のヘリコプターが回っていたのも、大惨事を印象付けた。</font></p><p><font size="3">　４歳になったばかりではあったが、幼い子にとっても強烈な出来事だったのだろう。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　その後も、その峠道では、度々、車が転落した。お金を渋ったが故の事故だったのだろうが、よく見に行ったものだ。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　開通と言えば、一度、橋の開通式に行ったことが思い出される。家から２㎞余りの太田川に架けられた『壬辰橋』である。干支の“壬辰”から命名されたとすれば、１９５２年のことになる。祖父に連れられて行った記憶がある。３歳だった私には、行ったということしか、思い出すことが出来ない。</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/hitera/entry-10283434699.html</link>
<pubDate>Tue, 16 Jun 2009 15:00:00 +0900</pubDate>
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<title>最初の記憶</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">　この世に生を得て、記憶している最初の出来事とは、一体、何だったろうか？</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　『暗い部屋で、誰かに抱かれて泣いている』、これが私の最初の記憶である。小さい時から、この情景を思い出しつつ大きくなった。</font></p><p><font size="3">　１０歳位の頃から、段々とその経緯が分かって来た。誰に尋ねた訳でもない。私が勝手に想像したことではあるが・・・</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　ある夜、３歳位の私を祖父母に預けて、母が家を出て行った。私にとっては義父になる人を追って、出て行かざるを得なかったのだ。当然、事情も分からず、分別もない私は、ただ母との別れが悲しくて泣きじゃくったのではなかったか、祖母に抱かれて・・・</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　私の実父は、俗に“５反百姓”と呼ばれるような小さな農家に、婿としてやって来た。家には、祖父母、母、母の弟がいた。</font></p><p><font size="3">　祖父母は、弟に百姓をやらせる積りはなかったようである。後に整骨医となった。今で言う鍼灸マッサージ師である。歳を取ったりで体の弱かった祖父は、百姓仕事をさせるために、母に婿を取ったのである。</font></p><p><font size="3">　婿は取ったが、実の息子は可愛い。財産は息子に継がせたい。修業や開業の資金が必要なのだ。</font></p><p><font size="3">　私の父はその板挟みになったのではないか？　当初の話とどうも違う。結局、父は母と別れ、私を置いて出て行った。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　その後、最初の失敗にも懲りず、祖父母は、またしても婿を入れた。義父が来たのだ。</font></p><p><font size="3">　弟になる子も生まれたが、諸々の事情は変わるべくもなかった。それに、私と弟に対する祖父母の差別的扱いが目に余ったらしい。後年、義父から聞いた話である。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　義父も出て行くことにした。家に留まっていた母も、２度目は辛抱しきれず、後を追うことに心を決めた。義父の手前、私を置いて出なければならなかったのか、祖父母が手放さなかったのか、どちらの理由だったのだろうか？</font></p><p><font size="3">　これが、私の最初の記憶に残る出来事である。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　多くの部分が想像の域を出ない。しかし、今となっては、確かめる術は全くない。</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/hitera/entry-10280934978.html</link>
<pubDate>Mon, 15 Jun 2009 13:45:59 +0900</pubDate>
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<title>尿管結石</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">　市民病院では、４時間を掛けて検査をして貰った。</font></p><p><font size="3">　尿・血液検査、腎臓のエコー検査、レントゲン撮影、造影剤を注入してのＣＴスキャン。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　検査の結果、左の尿管に６×１２㎜程度の結石が発見された。写真では、腎臓から膀胱に至る尿管が、途中までしか明確に表れていない。そこに結石が詰まっていると言うのだ。医者がマウスで計測して大きさを割り出してくれた。</font></p><p><font size="3">　この結石が細菌の発生源なのだろう。</font></p><p><font size="3">　体が弱れば膀胱炎に、悪くすると腎盂腎炎になるのだと理解した。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　おまけに、右側の腎臓内にも小さな結石が見付かった。このまま大きくなって、また尿管にまで降りてくるのかと思うと憂鬱である。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　市民病院には、この結石を機械的に取り除く装置がないということだった。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　紹介状を書いて貰った医者が、もう１通の紹介状を書いてくれた。結石を処置する病院へのものだ。</font></p><p><font size="3">　１週間後、その病院を訪ねて行かねばならないが、少し気が引ける。ネットで調べたところによると、３割負担の保険診療でも８万円程度の出費になるらしい。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　とにかく、紹介状を持参して行くことにはしよう。</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/hitera/entry-10283483753.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Jun 2009 15:00:00 +0900</pubDate>
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<title>腎盂腎炎</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">　時の流れに、体は従順である。無理強いには、直に反動が起こるのだ。</font></p><p><font size="3">　ゴールデンウィークの折、２週間に亘り、野外で長時間の立ち仕事に携わった。必要に迫られてやむを得ない選択だった。そういう後ろ向きの気分の持ちようも、結果的に良くなかったようだ。</font></p><p><font size="3">　医者によれば、無理が祟って膀胱炎から腎盂腎炎になったのだそうだ。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　月初めのことだった。</font></p><p><font size="3">　腰が重たく感じた。しばらくすると悪寒がして来た。体の震えが止まらない。</font></p><p><font size="3">　１日中、寝ていたが熱が下がらない。風邪かと思い、薬箱にあったリココデを飲んでみたが、変化はない。症状が重くなっては効くわけもないか。</font></p><p><font size="3">　しかし、咳も鼻水も出ないのだから、風邪ではないようだ。</font></p><p><font size="3">　夜になって、薬屋に行く。解熱剤としてはパブロンしか知らない。それにリココデ。風邪なら、これで何とかなるはずなのに・・・</font></p><p><font size="3">　丸１日中、食欲がなくて何も食べていない。その薬屋に果物ゼリーが置いてあったので、２つ買った。</font></p><p><font size="3">　隣のスーパーで氷一袋を買った。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　パブロンを飲み、氷を頭に当てても、熱は下がらない。それに、依然として食欲が湧かない。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　翌日、いつもの医院を訪ねた。</font></p><p><font size="3">　腎盂腎炎の診断が下った。膀胱炎を通り越したのだ。</font></p><p><font size="3">　尿に細菌がある。白血球の数値が異常に高い。栄養不良の兆候もある。</font></p><p><font size="3">　早速、点滴のためにベッドに横になった。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　それから１０日余り、毎日、通院した。その都度、点滴である。尿と血液の検査も欠かさず行われた。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　尿の検査結果は、ずっと思わしくなかった。診断の３、４日後には市民病院での検査を勧められた。</font></p><p><font size="3">　紹介状を書いて下さった。いよいよ、私は本当の病人になるのだろうか。</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/hitera/entry-10283459843.html</link>
<pubDate>Thu, 11 Jun 2009 15:00:00 +0900</pubDate>
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<title>猛暑の中でゴルフ</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">　昨日は、この酷暑の中を、高校同期生とゴルフに行った。</font></p><p><font size="3">　覚悟を決めてのゴルフとは言え、無事に回れるのかと不安感一杯だった。一応、スポーツ飲料を２リットル用意した。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　スタートが７時と早くて、少しは気分的に楽な思い</font><font size="3">がした。</font></p><p><font size="3">　インから２番目の組になった。少し待って、私がオナーでティショット。音は良かったのだが、朝日に邪魔されて球筋が全く見えないし、誰も見ていない。</font></p><p><font size="3">　セカンド地点まで、とにかく行ってみることにする。ウェアウェイではなく左の山裾にあった。何となく、後のことを暗示しているようだった。</font></p><p><font size="3">　ドライバーはまずまず、アイアンはダフりが多かった。特に悪かったのがパター、左に外してばかりいた。分かっていて直らなかった。無駄な大叩きもあった。</font></p><p><font size="3">　そんな調子だったが、８０日振りのゴルフだったことを考慮すれば、まあまあというところ。前々日の打ち放しで、手の皮を擦り剥いていたことも影響したし･･･</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　後の組が同年輩位の４人の女性陣だった。これが早い。絶えず待たせているという状態だった。</font></p><p><font size="3">　ということは、私たちの組が遅いということになる。確かにショットの前の素振りが多かったり、グリーン上で慎重になる連れもいた。本人の癖だから仕方ないし、“マッチプレー”で賞金が掛かっていることも関係している。ショットが定まらなければ、球が遠くへ散らばってしまうのは、男の特権みたいなものだ。</font></p><p><font size="3">　後半は各ホールが待ち待ちになって、お互い様という状況だった。</font></p><p><font size="3">　私にように、素振りは１回、クラブは何本でも持って歩く、違う番手でもショットする、というように平素から気配りしている者には、結構な重圧である。ゴルフを始めた頃、年上の口喧しい連中に鍛えられた結果ではあるが。</font></p><br><p><font size="3">　まあ、何とか無事回れて良かった。何しろ、ロッカールームでダウンしていた年配者もいた位の猛暑の中のゴルフだったのだから。</font></p><p><font size="3">　帰ってから疲れがどっと出た。のた打ち回ったと言って良い。</font></p><p><font size="3">　夏場のゴルフは、出来ることなら避けるべきだ。</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/hitera/entry-10043786730.html</link>
<pubDate>Fri, 17 Aug 2007 10:22:08 +0900</pubDate>
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<title>墓参り</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3"><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/da/74/10028796192.jpg" target="_blank"></a><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20/b2/10028796664.jpg" target="_blank"><img height="165" alt="墓参り" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20/b2/10028796664_s.jpg" width="220" border="0"></a> <br> <br>　昨日、お墓参りに行った。</font></p><p><font size="3">　墓は３箇所である。弟の墓、義父の墓、我が祖先の墓。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　それぞれの墓用に盆灯篭を３本と供花を３組、これは前日に買って来たものだ。数珠に蝋燭と線香、それに２リットル入りのペットボトル３本に水を入れて準備は整った。</font></p><p><font size="3">　車で７時前には出発。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　まず、一番近い弟の墓へ向かう。１８㎞を２０分余りで到着した。大きな墓苑の中にある。朝早いせいか、人もまばらだった。</font></p><p><font size="3">　墓の目印は石の車。車の仕事に関係していたので、義妹が置いた物だ。目標物になっていて、いつも探すのに助かっている。</font></p><p><font size="3">　既に義妹たちは参っていた。花が新しいし、卒塔婆が４本、石台に載せてあった。</font></p><p><font size="3">　持参した灯篭１本を建て、花を添える。数珠を手に、無沙汰を詫びた。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　墓苑を出て、狭い旧道を実家の方へ、車を走らせる。途中、コンビ二に寄ってデジカメ用の乾電池、飲料とアイスキャンディを買った。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　残る墓２箇所は同じところにある。</font></p><p><font size="3">　太田川に沿って遡り、しばらくして左折し橋を渡る。ついで支流沿いをまた遡る。道路工事中のため、２箇所で片側交互通行規制に引っかかった。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　３０㎞弱で墓地に到着。</font></p><p><font size="3">　先に義父の墓に向かう。母の死後、建替えた墓なので、まだ新しい。義父たちはまだ来ていなかった。</font></p><p><font size="3">　次に２００ｍ離れた私の墓に参った。母も分骨の上、納骨されている。特別に百合の花を供えた。</font></p><p><font size="3">　以前は母の従姉妹が参ってくれていたが、その従姉妹も亡くなり、墓守も寂しくなった。</font></p><p><font size="3">　</font></p><p><font size="3">　３時間後、９０㎞の墓参りドライブも無事で帰って来た。</font><font size="3">これで、今年の墓参りも終了したことになった。</font></p><p><font size="3">　母の命日に参るとすれば、１１月のことになる。</font></p><p><font size="3">　弟の命日は２月だ。また、訪ねてやろうと思う。</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/hitera/entry-10033591362.html</link>
<pubDate>Tue, 14 Aug 2007 17:36:00 +0900</pubDate>
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