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<title>hitonemuのブログ</title>
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<description>膵癌と戦う彼とともに</description>
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<title>スーパーで…</title>
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<![CDATA[ <p>彼の病気がわかってから　彼の食生活ががらっと変わりました。。。</p><p>元々　口のきれいな人で　嫌いなもの　苦手なもの　あまりなく　食事の支度に苦労したことはあまりありませんでした。</p><br><p>具合が悪いと　どうしても食欲も落ちて　「食べて痛くなったらどうしよう」という思いが先に立ち　それは見ていて辛かったです。。。</p><br><p>私には「食べろ　食べろ」と言います。。。</p><p>けど　そんな彼を目の前にして　一人　バクバク食べるわけにはいかなかった。。。</p><br><p>抗がん剤の副作用が始まって　ますます　食欲が落ちます</p><p>彼が　一番好んだのが　コンビニにある　海苔がパリパリの納豆巻でした</p><br><p>家にいる時は　自分で食べられるものを探していました。。。</p><p>「受け身」の食事は　ドクターからも「いけないよ」と言われていたので…</p><p>食べられる時に　食べられるものを探す…</p><p>ドクターは私にも　協力して　自分で「食べる」気持ちを起こさせるようにして…と。。。</p><br><p>人は口から食べ物を摂らないと　どんどん衰弱します。</p><p>彼も理解していました。。。</p><br><p>スーパーが好きな人だったので　それは苦にならなかった様子でした。。。</p><p>それでも　食べられるものは限られてしまう…</p><br><p>食欲がなくなった時　彼が良く口にしていた　クゥのゼリー…納豆…バナナ…つぼ漬け…白桃の缶詰…</p><br><p>未だに　スーパーで買うことはもちろん　前を通るのも　辛いです。。。</p><br><br><p>もうすぐ　新盆の迎え火…</p><p>迷うことなく　彼はここに帰って来れるのかな？？？</p>
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<link>https://ameblo.jp/hitonemu/entry-11565266921.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Jul 2013 22:26:09 +0900</pubDate>
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<title>あれから５か月が経ちました</title>
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<![CDATA[ 時間が経つの…本当に早く感じます…<br><br>あの日から　５か月の時間が過ぎていきました<br>半ば　ヤケになって　墓地を決め　誰にも頼らず　建立しました<br><br>四十九日の法要はお寺さんから「やりましょうよ」と声をかけていただけた<br>墓地も「使用許可」が下りる前に　永代使用料を勝手に送金した<br><br>１０日　彼の兄弟親戚　彼の会社の社長や同僚　彼の友人　私の友人<br>総勢３８名で　彼を見送った・・・納骨の法要<br><br>本堂から墓地まで　一番上の姉に彼を抱いてもらった・・・<br>年老いた母の代わりに…彼を抱いてほしかった<br>永遠の眠りにつくために　どうしても母なるぬくもりを感じてほしかった<br><br>大きな　とても大きな　仕事をやり終えた安堵感と　堪らない寂しさが入り混じっています<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hitonemu/entry-11493091663.html</link>
<pubDate>Mon, 18 Mar 2013 17:54:47 +0900</pubDate>
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<title>富永さんのこと</title>
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<![CDATA[ <p>2011年11月11日</p><p>入院のため　支度をして一緒に病院に向かいました。。。</p><p>入院受付で　必要書類とネームバンドを受け取り　B館５階の「消化器病センター」の病棟に…</p><p>祖父母や両親の入院でたくさん経験はありましたが　やはり彼の入院は特別な何かを感じました</p><p>彼は彼で　一生懸命　さりげなくしようとしていることが　痛いほど伝わって来る…</p><br><p>「今夜から　一人で大丈夫か？」</p><br><p>ひとり　家にいる私のことを心配している</p><br><p>「あなたもココでひとりになるから　あなたのことを考えながら　過ごすね」</p><p>精一杯　強がっていた</p><p>これから　過酷な治療に臨む彼にこれ以上心配はかけられない…</p><br><p>この時　「決して泣かない」と自分に誓いました</p><br><p>決められた病室に荷物を入れ　談話室で担当の看護師さんが来るのを待っていました</p><p>そこにひょいと現れたのが　富永さんでした</p><p>ベッドサイドに書かれていた「受持ナース」の名前とは違ったので</p><p>何かな？？？と思っていたら「じゃぁ　お部屋に行きましょう」と。。。私たちを上手に促してくれました</p><br><p>「今日からお世話をさせていただきます　富永と申します…仲良くしてくださいね」</p><br><p>彼女の自己紹介はこうやって始まりました</p><br><p>無駄な動きが一切ない…そして何よりも的確は看護で　さらっと何でも熟す</p><p>笑顔がとても素敵</p><p>話をしながら　いつも笑顔がある…白い歯が本当にきれいでした</p><p>ドクターから　治療計画＆方針を聞いている時も　患者さんサイドに立って発言をしてくれる</p><p>本当に頼り甲斐のある　女性でした。。。</p><br><p>その日から　彼の命は彼女の手の中に入りました</p><br><p>彼と同じように　私も安心してお任せすることが出来た日でした。。。</p><br><p>どれだけ彼女に支えられ　助けられたか…</p><br><p>思えば最期の時　彼女の勤務を彼は解っていたんじゃないか？？？とさえ思えます</p><p>３連休の　土・日・月と日勤で　火曜日は夜勤</p><p>土曜日の午後から容体が悪くなり</p><p>火曜日の夜から水曜日にかけて彼は急変したので　いつも彼女の目がありました</p><br><p>的確な判断で　お部屋が個室に変わり　絶妙なタイミングで私に電話をかけ　彼の最期をやさしい眼差しで看取ってくれた</p><br><p>感謝しきれません</p><br><p>私より年下ですが　「こんな女性になりたいなぁ」と心からそう思いました</p>
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<link>https://ameblo.jp/hitonemu/entry-11456754406.html</link>
<pubDate>Fri, 25 Jan 2013 21:31:44 +0900</pubDate>
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<title>限られた時間の中で</title>
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<![CDATA[ <p>１０月１０日の夜は　初めてひとりで眠る夜…</p><p>なかなか寝付けませんでしたが　翌日はどうしても仕事に行かなければならなかったので　遅くまで本を読み続け　明け方近くに眠りました</p><br><p>11日</p><p>いつもの時間に起きて　お弁当を作り　身支度をして　母屋で母が用意してくれた朝食をいただきました</p><br><br><p>からっぽの和室を見ながら…「昨日はここにいたのに…」と</p><br><br><p>会社に着いて　制服に着替え　事務所に入って行った時のスタッフの顔が忘れられません・・・</p><br><br><p>「どうして？？？　会社なんかに来てていいの？？？」</p><br><p>「連結の締切が明日だから　今日中にやっつけないと…」と返事をしました。。。</p><br><p>本社からも電話がかかり　まさか私が電話に出るとは誰も想像していなく…</p><p>翌日から忌引きに入るから　どうしてもやり終えて行かなきゃ・・・ファイルを添付してメールを送信したのは２０時を過ぎていました</p><br><p>とうとう斎場にいる彼に会いに行けませんでした。。。</p><br><br><br><p>翌日の１２日</p><p>この日から一週間　休暇に入りました</p><br><p>朝一番で銀行に。。。</p><p>取敢えずの現金を用意し　一度部屋に戻り　葬儀の連絡をし　１５時　美容院へ</p><p>翌日からの葬儀のため　和装用に髪を結ってもらいました</p><br><p>そのまま　斎場に向かい　彼に会わせてもらう</p><p>纏会の人たちが　本番前に彼に会いに来てくれました…</p><p>若手に　彼の袢纏を託し　一緒に山へ連れて行ってもらいました</p><p>きっと　彼の魂は　例年通り　山に向かっていたと。。。</p><br><p>みんなを送り出し　泣きながら　家路につきました…</p><br><p>翌日は葬儀が始まります。。。</p><p>どうか取り乱しませんように…泣き崩れませんように…</p><br><p>去年新調した喪服を和箪笥から出して　仕付糸を外しました</p><br><p>年老いた両親や彼の母のことを考え　喪服を新調しましたが　まさか…彼の葬儀で最初に袖を通すとは想像もしていませんでした</p><br><p>この夜は　姉が泊ってくれました…</p><br><p>この限られた２日間の時間は　瞬く間に過ぎて行きました</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hitonemu/entry-11422479397.html</link>
<pubDate>Sat, 08 Dec 2012 00:53:56 +0900</pubDate>
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<title>別れの時…２</title>
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<![CDATA[ <p>家に帰って来て　和室に安置された彼をただ　見つめていた・・・</p><p>出来ることなら　ずっとそうしていたかった・・・</p><br><p>けど　やらなければいけないこと　決めなくてはいけないことが目の前にドンと積み上がった</p><br><p>葬儀は「絶対にここから送り出したい」と思っていた場所が取れた。。。</p><p>次に僧侶はどうする？？？と　なった・・・</p><br><br><p>彼が危篤になった時　駆けつけてくれた向島の叔母が</p><p>「その時が来たら　病院もすぐに追い出されるから　ちゃんと考えておかないとだめよ。</p><p>　どこに預かってもらうのか　葬儀社はどこに頼むのか・・・」と言ってくれた</p><br><p>なので　私は　慌てることなく　葬儀社に電話をすることが出来ました</p><p>僧侶については　「本家の宗派は何？」と聞いたところ</p><br><p>「あなたたちは分家なんだから　本家と同じである必要はないのよ。慣れ親しんだ宗派があるでしょ!?」と</p><br><br><p>彼は彼これ３０年以上　１０月１２日のお会式で　日蓮上人の命日に因んで万灯行列の中で纏を振っていた。。。</p><p>実家の菩提寺が　たまたま日蓮宗で　父に菩提寺に電話をかけてもらった</p><p>最初は渋々といった感じだったけど　俗名で葬儀を執り行うことも了承してくれた</p><br><p>物事を決める時　あれこれ迷わない私は　</p><p>「祭壇はコレ　通夜の振舞はコレ・・・」などなど　決めなくてはいけないことを　さっさと決めて　簡単にみんなでお昼ご飯をいただき　菩提寺から　枕経をあげにくる僧侶を待った</p><br><p>義兄は何一つ口を挟むことをせず　全部私に委ねてくれた</p><br><p>葬儀は</p><p>通夜　平成２４年１０月１３日　土曜日　１８時</p><p>葬儀　平成２４年１０月１４日　日曜日　１０時３０分</p><br><p>会場は　彼の会社も　纏会も近い　何より　私たちが知り合った時　彼が住んでいた　大田区西蒲田に決まった</p><br><p>その日の夕方　葬儀社に彼を託すことにしました。</p><p>きれいなままで　微笑みを浮かべたままの彼と一緒に会場へ向かいました</p><br><p>星が綺麗な　夜でした</p>
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<link>https://ameblo.jp/hitonemu/entry-11419355928.html</link>
<pubDate>Mon, 03 Dec 2012 22:04:10 +0900</pubDate>
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<title>別れの時…１</title>
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<![CDATA[ <p>息を引き取ってから　看護師さんたちが　エンジェルケアをしてくれた</p><p>着替えは　彼が好きだった　紺の作務衣</p><p>鎖骨下の中心静脈のカテを抜いた跡は　大きな絆創膏が貼られていた</p><br><br><p>ゆっくりとストレッチャーが廊下を進む</p><p>今西さんが一緒に歩いてくれた。。。</p><p>富永さんと同じくらい　私は彼女を信頼し　頼ってばかりだった</p><br><p>エレベーターが地下まで進み　ドアが開いた先は　まるでプライベイトエリアのようだった</p><p>リネン類が山のように積み上げられ　車椅子やストレッチャーも　たくさんあった</p><br><p>いちばん奥に　これから私たちが時間を過ごす…霊安室の文字が見える</p><p>病院には「お迎えは何時頃でしょうか？」と尋ねられた</p><br><p>エンジェルケアをしてもらっている時　私は誰にも気付かれないように　葬儀屋さんに電話をかけた</p><br><p>彼を宙ぶらりんにするわけにはいかなかったから</p><br><br><p>寝台車でのお迎えを１０：３０でお願いしました。。。</p><br><p>実は一足先に姉が実家に戻り　彼が亡くなったことを両親に伝えてくれた</p><p>姉はどうしても家に一度　彼を帰してあげたかったと…</p><br><p>私たちは父が所有するアパートの一室を借りて生活をしていました</p><p>それは２階だったので　家には帰せない・・・けど実家なら・・・</p><br><p>姉には「あの家はお父さんの家だから　お父さんが渋ったら　決してごり押しはしないでね」と念を押しておいた</p><p>父は　当然のように　「何時になったら　帰って来れるんだ？」と聞いてくれたそうです</p><p>それから　２階から布団をおろし　実家の和室に彼を迎い入れる準備をしてくれた</p><br><p>新幹線で東京へ向かっている義兄にも連絡し　「病院ではなく　実家に直行してください」とお願いした</p><br><p>予定通り　寝台車が病院に着いたのは１０時を少し回った時だった</p><p>手慣れたスタッフの計らいで　難なく　寝台車に乗り込んだ彼</p><br><p>思えば・・・</p><p>一年前の１０月１８日　初めてこの病院を訪れてから　たくさんの時間を過ごして来た</p><p>まさか・・・</p><p>裏口から帰ることになろうとは・・・それを考えると　どうしても涙があふれてくる</p><br><p>富永さんと今西さん　そして退院支援課の軽部看護師が見送ってくれた。。。</p><p>「この病院で本当によかった・・・彼はいつも富永さんに支えられていたよ」と最後に感謝の言葉を・・・</p><br><p>寝台車には一番下の弟が同乗してくれた</p><br><p>彼が家に戻った時　すでに着いていた義兄が出迎えてくれた</p><br><p>１０月１０日　午前６：０９　永眠　享年６０歳</p><br><p>自身の６０歳のお誕生日の２ヵ月前のことでした</p><br><br><br>
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<pubDate>Mon, 03 Dec 2012 21:37:34 +0900</pubDate>
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<title>伝えられなかった「ありがとう」</title>
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<![CDATA[ <p>彼の身体は　暖かった・・・</p><p>息を引き取った時　自分でも驚くほど　冷静でいられた</p><p>ずっと　手を握り　髪を撫で　話しかけ　目があいたとき　笑顔でいられるように・・・</p><br><p>心電図の波形がフラットになり　富永さんが頸動脈の動きを確認して</p><p>「先生に連絡して来ますね・・・」と静かに言った時　怒涛のように言いたいことがこみ上げてきました・・・</p><br><p>「ありがとう・・・」と・・・</p><br><p>「もう届かない・・・」と・・・</p><br><br><p>泣きたい気持ちを抑えると　心のバランスが崩れるから・・・彼に怒られないように泣きました</p><p>私が泣くと　彼は安らかな眠りにつけないから・・・</p><br><p>やっと出てきた言葉は　「これでもう痛くないね・・・苦しくないね・・・」でした</p><br><p>どうしても　私を一人にすることが嫌だった彼・・・</p><p>その想いは　ひしひしと伝わって来ていました・・・</p><p>だから　私はがんが憎いです。。。今でも死ぬほどがんが憎いです</p><br><p>せめて手術が出来る場所だったら・・・すい臓がんじゃなければ　</p><br><br><br><br><br><br><p>彼と私の毎日も違っていたかもしれません・・・</p><br>
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<pubDate>Sun, 18 Nov 2012 22:29:09 +0900</pubDate>
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<title>神の元へ</title>
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<![CDATA[ <p>８月３０日　午後の新幹線で　東京へ戻って来ました。</p><p>田舎も暑かったと思いますが　東京の暑さは半端ではなかったと思います。</p><br><p>エアコンをかけて　ゆっくりしていてほしいと　メールを打って　仕事の続きをしていました。</p><br><p>月が変わって　３日の月曜日</p><p>痛みが我慢できなくて　病院に行くと言い出しました。</p><p>外来の予約はなくとも　「２４時間　いつでも受け入れる」と言われていたので　二人で出掛けました。</p><br><p>担当医は外来にはいなく　代診の先生から　麻薬（オキノーム）の服用について　アドバイスをもらう。</p><p>ちょっと少なすぎ・・・もっと使って　問題ないから・・・と言われて　ひとまずは安心。</p><br><p>祈るように火曜日をやり過ごし　５日　水曜日　主治医の診察。。。</p><p>相当　痛みが強いと思われるので　その痛みを軽減しない限り　抗がん剤の投与は出来ないと言われて　貼る麻薬（フェントステープ）がそれまでの５０％増しの投与が始まった。</p><br><br><p>この日の夜</p><br><p>強靭な痛みに襲われ　夜中に２度　嘔吐</p><p>さすがに　救命センターに電話しました・・・が・・・</p><p>「ご本人は　どう言っていますか？」と　看護師の返答。。。</p><br><p>ご本人は　朝まで我慢すると言う・・・</p><br><p>明け方　４時過ぎ　やっと痛み疲れて　寝息が聞こえ始める。。。</p><br><p>いつもの時間に起きだして　自分の身支度をし　いつもと　変わらない朝の時間を過ごす。</p><p>いつもと違ったのは　彼が起きて来なかったこと・・・</p><br><p>８：３０　会社に行く時間だったけど・・・心を鬼にして　彼を起こす。。。</p><br><p>「病院行くよ」と。</p><br><br><p>起き上ったものの　着替えが出来ない。。。</p><p>私が与えるものに　文句も言わず　従う姿に　何とも心細さがつのっていく。</p><br><p>病院に着いたところで　警備の方に「痛みがあって　歩けないので　車椅子を貸してほしい」と願い出た。</p><p>警備員さんは　いやな顔一つせず　彼を車椅子に移動させてくれた。。。</p><br><p>受付を済ませたところで　２階の外来へ。。。</p><br><p>ちょうど　主治医と偶然にもすれ違った。。。</p><p>彼の姿を一目見るなり　「入院して　痛みを取らないとだめだね」と言われた。</p><br><p>痛みで苦しいのに　入院するに当たって　一通りの検査を受けて来なければならなく・・・</p><br><p>腹部単純CT　血液検査　レントゲン・・・「まだ　ベット決まらないの？？？」と彼がつぶやく。。。</p><br><p>１２：３０　ようやく　ベットが決まって　A館５階西病棟に入る。</p><p>ベットに入ったのを確認して　着替えを取りに　私は一旦自宅へ戻った。</p><p>１５：００　面会時間になり　着替えを持っていくと　彼は時注でモルヒネの投与が始まっていた。。。</p><br><br><p>「あぁ　これでもう家には帰って来れないかもしれない」と　そう思ってしまった。。。</p><br><br><p>それまでは　そんなことは微塵にも思ったことはありませんでした。。。</p><p>それほど　モルヒネという文字に打ちひしがれた私がそこにいました。</p><br><p>入院計画書も　入院期間の欄は「未定」と書かれていた。</p><br><br><p>B館５階の　消化器専門の病棟に移る話が持ち上がったのは　９月１１日のこと。</p><p>初めての入院から　ずっと見守ってくれていた看護師さんがいるところが　彼には一番安心出来る場所だったのだろう。</p><br><p>B館に移ったのはそれから３日後の９月１４日。</p><p>居住スペースが広い　２人部屋の廊下側に決まった。。。</p><p>B5病棟に移って間もなく　放射線の照射が始まった。</p><p>これは少しでも　主病巣を小さくし　神経の圧迫を軽減させる目的でのこと。</p><p>彼の腹部には　黒いマジックで　照射の位置がくっきりと記されていた。</p><br><p>６日に入院してから　まったく歩けない状況で　これには彼も相当困惑していた。</p><p>１階のコンビニに行くのも　容易ではないから。。。</p><p>看護師さんは「言ってくれれば　いつでも連れて行くからネ」と言ってくれていたが　彼はどうしてもお願いすることが出来なかったみたい。</p><br><p>一度だけ　私が車椅子を押して　アイスクリームやらヨーグルトを買いに行った。。。この日が彼の最後の買い物になった。</p><br><br><p>日に日に　状態は悪くなり　モルヒネの副作用で　ほとんど眠っている時間ばかりを過ごしていた。</p><p>夕方　仕事を終えて　私が行った時だけ　起こして　話をする・・・そんな毎日だった。</p><br><p>指折り数えて　放射線の照射を受けていました。。。</p><br><br><p>１０月６日土曜日</p><p>いつもの時間に行った私の目に入ってきた彼の姿は一変していました。</p><p>ベットを起こし　鼻から酸素の投与・・・腕から点滴の針が無くなっている。。。</p><p>担当看護師の富永さんがナースセンターにいたので　詳細をうかがう。</p><br><p>１４時くらいに　血圧が下がり始め　３８度くらいの熱が出て　さっきまで解熱剤を点滴で落としていたと。</p><p>点滴も血圧が下がった関係で　腕には出来なくなり　鎖骨下の中心静脈に急遽変えたとの説明をうけた。</p><br><p>一通りの話を聞いて　彼のところに行くと　目を覚ました彼は　息苦しさから言葉を発することが出来ず</p><p>鎖骨に施された点滴カテーテルを私に教えた。。。</p><br><p>腕に何度も失敗をされていたから「よかったネ・・・もう何度も刺されることはなくなったじゃない？」</p><p>精一杯の慰めだった。。。</p><p>その時　なんとなく　彼も納得したような感じがしました。</p><br><p>ちょうど三連休の初日。。。私はすべての予定をキャンセルし　出来る限り　時間の許される限り　彼のそばにいようと思った。</p><p>残された時間は　もしかして　少なくなっているのかもしれない・・・どこかで否定しながらも　そう思い続けていた。</p><br><p>２０：００　面会時間が終了するアナウンスが病棟に響く・・・すぐに夜勤のドクターに呼ばれた。</p><br><p>「延命処置は　どうしましょうか？」と。。。</p><br><p>「彼の命の期限を　私が決めるのですか？？？」</p><br><p>精一杯　さりげなく　ドクターに聞いてみた・・・</p><br><p>「あのような状態なので　ご本人に確認することは不可能なので　あなたに伺っています」と。。。</p><br><p>延命処置をして　歩いて家に帰れるのならば　全部やってほしい・・・でもほんの数時間のことなら　何もしないでください・・・</p><p>そう言うしか　なかった。</p><p>ドクターの隣で　一生懸命　ドクターと私の会話をメモしている今西さん。</p><p>病院を出たのは２１：００</p><br><p>２２：３０　病院から電話がかかる。。。心臓の鼓動を耳元で感じる。。。</p><p>出てみると　夜勤の看護師　今西さんからだった。</p><br><p>「主治医がお話をしたいと言っています。明日の朝　病院に来れますか？」</p><p>急いで　姉に電話をし　翌日　一緒に病院へ行ってもらった。</p><br><p>２０分待たされ　カンファレンスルームで　主治医と受持医　担当看護師さん　姉と私</p><p>５名での話が始まった。</p><br><p>「がん性　悪液質」</p><br><p>がんが全身に回ってしまっている状態。</p><p>余命　週単位・・・もう残された時間は　たったの７日間。。。</p><p>会わせたいと思う方がいるのなら　なるべく早めに　意識がまだあるうちに・・・ドクターは小さな声でそう私に言った。。。</p><br><p>面会時間まで　まだまだ時間がある。。。</p><p>この時間に彼のところにいたら　きっと不審に思うだろう・・・</p><p>それだけは　どうしても避けたかった。。。いつもと変わらないように　時間を過ごしたかった。。。</p><br><p>お昼近く　自宅に戻り　可能な限り　連絡の取れる限り　彼が危篤であることを受話器を通して相手に伝えた。</p><p>有難いことに　みんな駆けつけてくれた・・・</p><br><p>一番最初に飛び込んで来たのは　一番下の弟。。。弟にとって彼は東京での父親代わりだったと。</p><p>彼の横たわる姿を見るや否や　涙が止まらない。。。</p><p>田舎の姉・兄・妹も月曜日に上京し　彼を見舞ってくれた。。。</p><br><p>９日の火曜日は　血中酸素濃度の数値が下がり　酸素吸入もマスクに変えられたが　どうしても外してしまうらしく　担当の富永さんも困っていた。。。</p><p>でも　彼女は「嫌なことは　したくないので・・・」と言って　鼻から４リットルの酸素を送っていた。。。</p><p>相当　鼻の粘膜が痛かったに違いない・・・</p><br><p>２０時　面会時間終了のアナウンスが　この日も変わらずに流れる。。。</p><p>後ろ髪をひかれながら「明日　また　来るからね・・・待っててね・・・」と彼に告げた。。。</p><br><p>「・・・」　言葉はなかったけど　強くうなずいてくれた。</p><br><p>眠れない時間だけが過ぎて行く・・・明日は姉のマンションに泊まりに行こうか・・・車は近くのコインパークに入れればいいし・・・いつ　携帯が鳴るのか・・・気になって入浴も出来ないでは　到底　一人では過ごせないと私も観念した・・・</p><br><p>最後に時計を見たのが３：００</p><p>この後　私は眠った</p><br><br><p>４：１７　病院から電話・・・出ると　富永さんからだった。。。</p><br><p>大分　血圧も下がってきているので　なるべく早く　来てほしい・・・と。</p><p>武者震いを堪えて　車のエンジンをかけたのが　４：３８</p><p>姉に電話　二人の弟に電話</p><br><p>病棟に着いたのが　５：０５</p><p>お部屋は二人部屋から　個室に変わっていた。。。</p><p>冷たい　彼の手を握り　さする・・・姉が飛び込んでくる。。。一番下の弟が飛び込んできたのが　５：５５</p><p>弟が来たことを告げ　彼の手を握ったとたん　心電図の波形がフラットになる・・・</p><br><p>すぐに富永さんが来てくれて　「深呼吸して！」と彼に言う・・・すぐ下の弟を待っていなきゃだめよと言わんばかりに。。。</p><p>この時　瞳孔も開き始めていたそう。</p><br><br><p>姉が来た時　テレビをつけた。　見たかったのではなく　画面に記される　時間の表示がほしかった・・・</p><br><p>６：０９</p><p>富永さん・姉・一番下の弟・その奥さん・そして私に看取られ　彼は眠るように神の元へ　永遠の旅に出た</p><br><p>すぐ下の弟が来たのは　６：１１だった</p>
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<link>https://ameblo.jp/hitonemu/entry-11404656649.html</link>
<pubDate>Wed, 14 Nov 2012 22:50:17 +0900</pubDate>
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<title>その後</title>
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<![CDATA[ <p>およそ　９か月ぶりの投稿です。</p><br><p>それはそれは　いろんなことがありました。</p><p>すい臓がんの告知をうけて　１１か月です。</p><p>「何もしなければ　一年」とドクターは言った。。。もうすぐその一年がめぐってくる。</p><p>何もしなかったわけではなく・・・過酷な治療を続けてきました。</p><p>ジェムザールの点滴を受け　ＰｅｔＣＴを適宜受けて　造影ＣＴも。。。です。。。</p><br><p>５月</p><p>肺に転移が疑われ　北横浜にあるゆうあいクリニックでＰｅｔＣＴを受けて</p><p>骨に転移が見つかった。。。</p><p>肝臓も限りなくグレイな影があり　もはや全身に飛んでしまってる。</p><br><p>骨に効果がみられるという「ゾメタ」という薬の投与が始まった。</p><p>これは抗がん剤の部類には入らないようで　副作用は感じないまま月に一度の点滴。。。</p><br><p>夏になり</p><p>これが最後の帰省になるやもしれない・・・８月１３日　新幹線のチケットを取ってくる。</p><p>その前の週　８日の水曜日　いつもの外来</p><p>血液検査の結果　重度の黄疸　肝機能低下を指摘され　そのまま入院</p><p>腹腔鏡でステントを入れる</p><p>がん細胞によって血管が固くなっていると　ステントを入れるとき　破れる可能性があるとドクターから言われていたが　これは上手く入った。。。</p><p>相当な麻酔の量（時間がかかったので）で夜半まで眠り続けていたらしい。。。</p><p>個室での療養は相当ストレスが溜まったらしく　しきりに「早く帰りたい」と言う。</p><p>やっと８泊９日で自宅に戻り　週明けの２１日　実家へ帰省に向けて自宅を出た</p><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hitonemu/entry-11369383134.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Oct 2012 14:18:04 +0900</pubDate>
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<title>治療　そして　退院</title>
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<![CDATA[ <p>１１月１１日</p><p>「１」がたくさん並んだ　この日　初めての入院生活が始まった</p><p>６人部屋も４人部屋も満床で　入院したのは　２人部屋の手前（廊下側）でした</p><br><p>入院した日は　採血のみで　他は何もなし。。。それなら急いで入院することもなかった</p><p>その血液検査の結果　月曜日　ジェムザールの点滴投与が決まった</p><br><p>月曜日の夕方　「点滴　終わった？　気持ち悪くなっていない？」とメールを打つ</p><p>思った通り　返信はなし</p><br><p>業務終了後　急いで病院へ</p><br><p>元気そうで　夕飯もちゃんと食べられたと。。。</p><br><p>安心したのもつかの間　次の日の夕方「気持ち悪いから　簡単に食べられるのり巻きみたいなものがほしい」と電話がある</p><p>急いで　探したけど　結局用意できたのは　おにぎりだけ。。。</p><br><p>水曜日は　血管造影検査</p><p>大腿部の太い動脈から　膵臓までカテーテルを進め　血流を見ること　そして癌細胞に侵されている部位にコイリング</p><p>要は膵臓の血流を変えるという治療だった</p><br><p>この日　吐き気Maxで　薬も戻してしまうほど。。。</p><p>私はその日の受持看護師に詰め寄る</p><p>「吐き気があって　薬も戻してしまってるから　せめて　吐き気がおさまるまで　パッチを処方してほしい」</p><br><p>気持ちが悪くて　その上　痛みがあっては　まったく眠ることができない</p><br><p>家にいた方が穏やかって　ちょっと違うよね。。。</p><p>その日の夕方から　麻薬パッチが処方され　眠れるようになったことは素直に喜べた</p><br><p>この１回目の抗がん剤で　アレルギー反応が出てしまった彼</p><p>痛みがおさまったら　今度は　強烈な痒み</p><p>もちろん　考えられる副作用については　全部主治医から聞いている。。。</p><br><p>遅々として進まない治療。。。それでも入院しているとすべてが「受け身」になってしまうので　何とか退院に焦点を合わせて　と　ドクターと彼の努力が始まる。。。</p><br><p>１１月１１日に入院して　１２月１３日　やっと家に帰って来れた。。。</p><br><p>１７日の誕生日は自宅で迎えることが出来た。。。</p><p>食欲なし　ケーキなしの　簡単なBirthdayだった。。。</p><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hitonemu/entry-11148871778.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Jan 2012 23:12:01 +0900</pubDate>
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