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<title>Miokuru　〜嫁にいった一人娘が見送った父〜</title>
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<description>一人娘なのに嫁に行ってしまった私。２０１４年の８月半ばに父が亡くなりました。父が末期ガンの診断をされてからは、看護・看取り・葬儀・お墓と考えなくてはならないことだらけ。私なりに考えた父ががんの診断を受けてからの日々を綴っていきたいと思います。</description>
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<title>思わぬ事が・・・</title>
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<![CDATA[ <p>相続のことで、思わぬ事態が発生しました。</p><br><p>まだ具体的に書くことができませんが、書類をそろえたり、弁護士さんのところに行ったりして</p><br><p>なかなか更新ができません。</p><br><p>この件が一段落するまで、更新はスローペースとなります・・・</p><br><br>
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<pubDate>Thu, 30 Oct 2014 11:05:24 +0900</pubDate>
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<title>お墓のこと・・・その２</title>
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<![CDATA[ <p>父のお墓を作るか、作らないか・・・　という最初の大きな選択に迫られています。</p><br><p>もちろんお墓は作ってあげたいと思います。</p><br><p>それでも、一人っ子で嫁にでてしまった私が父と母のお墓を作ったとしても</p><br><p>私が逝った後のお墓のお守りは誰がしてくれるのでしょう？</p><br><p>息子や娘が元気なうちは大丈夫だと思いますが、息子や娘がいなくなった後は・・・</p><br><p>やはり無縁仏とならざるを得ないでしょう。</p><br><p>無縁仏にすることだけは避けたいと強く思っています。</p><br><p>息子くんは自分が私の実家の姓を継いででも</p><br><p>おじいちゃんのお墓を作ってあげたいと言います。</p><br><p>でも、息子くんは主人の家にとっても跡取り息子です。</p><br><p>主人の母を始め、親族の反対は目に見えています。</p><br><p>では、娘に私の実家の姓を継いでもらいだらどうか・・・と</p><br><p>言うことも考えましたが、「婿養子」で女性の家の姓にはいることに抵抗のある男性は</p><br><p>あると思います。</p><br><p>その上、今までなじみのない姓になると言うことになると、娘の結婚に負担をかけてしまうでしょう。</p><br><p>それでは父も喜ばないと思います。</p><br><p>主人はというと・・・</p><br><p>「ぼくは、どちらの家とかあまり気にしないよ。</p><br><p>両方の家の墓を守っていく方法はないか考えてみようよ。」と言ってくれます。</p><br><p>両家の墓を守っていく方法・・・</p><br><p>なかなか難しいのですが、</p><br><p>お墓を作る際に、大きめの区画を用意して、その一つの区画の中に</p><br><p>両家のお墓を並べて作り、ずっと供養していく・・・という方法もあるようです。</p><br><p>いろいろな方法を書き出して、母に相談したところ</p><br><p>「じいちゃんは生前、墓は作らなくていいと言っていたよ。</p><br><p>あなたや孫達に負担がかかるからって。</p><br><p>きっとあなたが頭を悩まして、いろんな事を考えてくれるだろうけれど</p><br><p>お墓を持つとなると経済的にも精神的にもかなりの負担となるだろうから</p><br><p>墓は作らなくていいと言ってやってくれと言ってたから、</p><br><p>あなた達の気持ちはうれしいけれど、お墓は作らない方向で考えていいよ。」と言っています。</p><br><p>「自分でもいろいろ考えて、自分と私のお墓を作ることも考えていたのも事実だよ。</p><br><p>でもね、お墓を持つとなるとお寺さんの檀家にならなくちゃいけないんだよ。</p><br><p>お寺さんとのおつきあいってなかなか経済的にも負担が大きいんだよ。</p><br><p>自分がこんなに早く逝くとは思ってなかっただろうから、間に合わなかったけど</p><br><p>大分ではなくて、こちらに自分で両家のお墓が作れるぐらいのお墓の土地を用意して、</p><br><p>生前にちゃんと墓碑も用意できるなら、墓を作って墓守を頼もうかとも言ってたけれど</p><br><p>用意する前に逝っちゃったからね。</p><br><p>お墓は作らなくていいよ。</p><br><p>私がいなくなった後も、じいちゃんと一緒に入れる納骨堂に納めてちょうだい。」</p><br><p>「でも息子が・・・」と私が言うと</p><br><p>「私が話すからいいよ。」と言います。</p><br><p>母がどうやって話したかは分かりませんが、</p><br><p>「俺たちもしょっちゅういけるところの納骨堂ってところに</p><br><p>おじいちゃんを入れてあげて。</p><br><p>納骨堂ってところがお墓の代わりになるってばあちゃんがそう言ったから。」と</p><br><p>息子くんも納得したようなので、お墓は作らず、納骨堂に父のお骨を納めることに決めました。</p><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hitorimusumes39/entry-11943626362.html</link>
<pubDate>Sat, 25 Oct 2014 07:35:36 +0900</pubDate>
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<title>お墓のこと・・・その１</title>
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<![CDATA[ <p>役所関係の手続き、年金の手続き、葬儀費用の支払いを終えて</p><br><p>一段落した後は、お墓と仏壇について考えなくてはなりません。</p><br><p>主人と私は一人っ子同士の結婚です。</p><br><p>結婚するときには、「家のこと」「跡取りのこと」は気にはなりましたが</p><br><p>それほど重要視することができず</p><br><p>とにかく一緒になりたいという想いだけでした。</p><br><p>今になって振り返ると、私の両親は老後のことや、自分達が亡くなった後のことを考えると</p><br><p>決して嫁に出すことに諸手を挙げて賛成できなかったでしょう。</p><br><p>それでも私の幸せを一番に考えてくれて、主人と結婚させてくれたことに</p><br><p>本当に感謝しています。</p><br><p>さて本題です。</p><br><p>お墓については、選択肢は大きく分けて二つ</p><br><p><font color="#ff0000" size="5">お墓を作るか　作らないか</font>　　　　です。</p><br><p>どちらを選択するにしても考えることが多すぎて、頭の中がごちゃごちゃです。</p><br><p>整理するために、マインドマップのような図を書いてみました。</p><br><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20141022/09/hitorimusumes39/7d/13/j/o0515033613105672601.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20141022/09/hitorimusumes39/7d/13/j/o0515033613105672601.jpg"></a> <br></p><br><p>まずお墓を作るとすると何が問題なのかを考えました。</p><br><p>父は次男ですが、故郷の大分県に長男さんと一緒にH家のお墓を作ってあります。</p><br><p>父はそのお墓にはいることができます。</p><br><p>でも、そのお墓に父のお骨を納めるとすると、なかなかお参りには行けません。</p><br><p>そして、母がそのお墓にはいるためには、父の親族の了解が必要です。</p><br><p>了解は得られるとは思いますが、母はそのお墓にはいることは望んでいないようです。</p><br><p>そうなると、母が亡くなった後のことも今の時点で考えなくてはなりません。</p><br><p>父のお骨の一部を手元にとっておいて、</p><br><p>母が亡くなったときに一緒に永代供養の納骨堂に納める・・・ということになると思います。</p><br><p>大分のお墓に父のお骨を納めずに近くの真宗大谷派のお寺に父と母のお墓を作るとします。</p><br><p>私が生きているうちは、お墓のおもりができますが、</p><br><p>私が亡くなった後はいずれかは無縁仏となってしまうでしょう。</p><br><p>父と母を無縁仏にすることだけは絶対に避けたいと思います。</p><br><p>私が実家の姓に戻って供養をするとしても、子供達のどちらかが私の実家の姓をついでくれるなら</p><br><p>無縁仏になることは避けられるでしょうが、</p><br><p>子供達にその選択を迫るには、彼らの精神的な負担が大きくなります。</p><br><p>また、私が実家の姓に戻るとすると、</p><br><p>実際に離婚をするか、書類上で籍を抜いただけの事実婚という形になるでしょう。</p><br><p>そうなると、自分は主人と一緒には眠ることができなくなる可能性が大きくなります。</p><br><p>できれば、主人とは一緒に眠りたいと思っているので、私自身がこの選択には躊躇してしまいます。</p><br><p>ありがたいことに、おじいちゃんが大好きだった息子くんが</p><br><p>「おれがじいちゃんの姓に変わればいいじゃん。</p><br><p>それならおじいちゃんのお墓も作れるし、ずっと供養してあげられる。</p><br><p>おばあちゃんもちゃんと同じお墓に入れるし、無縁仏にはならないじゃん。</p><br><p>おれが大学にはいるときに姓を変えればいいじゃん。」</p><br><p>と言い、おじいちゃんのお墓を作ることを強く希望しています。</p><br><p>本当にありがたいし、息子のおじいちゃんに対する愛情と深い想いには感服します。</p><br><p>でも・・・　主人の家にとっても、息子は跡取りです。</p><br><p>主人はともかく、主人の母や親戚は猛反対するでしょう。</p><br><p>トラブルは必須です。</p><br><p>息子くんには</p><br><p>「キミの気持ちは、お母さんは本当にうれしいし、じいちゃんもばあちゃんも喜んでいると思う。</p><br><p>でも、お父さんの家にとっても、キミは跡取りさんだから、</p><br><p>簡単にお母さんの実家の姓になることを皆が認めるとは思わないし</p><br><p>このことを言い出せば、トラブルになるのは目に見えてるよね。</p><br><p>もう少しいろんな事を考えてから、このことを具体化できるかどうかを考えてみるね。</p><br><p>キミがこういう風に言ってくれたこと、</p><br><p>そういう考えを持って成長してくれたこと、本当にうれしいよ。</p><br><p>ありがとう。」</p><br><p>と伝えました。</p><br><p>息子くんは</p><br><p>「わかった。　でも、おじいちゃんのお墓を作ってあげたいんだよ。</p><br><p>おれはおじいちゃんのためなら、おれにできることは何でもしてあげたいんだ。</p><br><p>おれはそれだけおじいちゃんに大事にしてもらったから。</p><br><p>何も、おじいちゃんのためにしてあげられないうちにお別れしちゃったから。</p><br><p>ホントは、大学の合格を一番に知らせたかったし、</p><br><p>スーツも一緒に買いに行きたかったし</p><br><p>ちゃんとスーツを着こなして大人になった姿を見てほしかったし</p><br><p>成人式の日には、じいちゃんに成人できたことのお礼を言いたかった。</p><br><p>就職したら、初任給でじいちゃんとばあちゃんに旅行券をプレゼントして</p><br><p>温泉に旅行してほしかった。</p><br><p>なんにもできないうちに、おじいちゃん逝っちゃったから・・・」</p><br><p>「ねーちゃんはいいよ。</p><br><p>がーさん達と同じ大学に受かって、おじいちゃんを喜ばせてあげたし</p><br><p>入学式のスーツも買ってもらえたし</p><br><p>成人式の日だって、すっげー綺麗になって、着物姿でお礼が言えたし</p><br><p>初任給で一緒にご飯に行ったもん。</p><br><p>おれは、おれは・・・」とまた涙ぐんでしまいました。</p><br><p>「手塩にかけて育てる」ってこういう事なんだなって、息子を見ていて思いました。</p><br><p>そんな息子くんの、想いもくみながら、</p><br><p>まだまだいろんな事を調べ、考えなくてはならないな・・・と思いました。</p><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hitorimusumes39/entry-11942361132.html</link>
<pubDate>Wed, 22 Oct 2014 09:40:35 +0900</pubDate>
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<title>葬儀の費用</title>
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<![CDATA[ <p>お墓と仏壇のお話をする前に・・・</p><br><p>葬儀の費用についてお話ししたいと思います。</p><br><p>正直に言って、葬儀にこれほど費用がかかるとは思っても見ませんでした。</p><br><p>葬儀の費用って・・・</p><br><p>●葬祭場の会館利用料・・・通夜と葬儀　二日間で１０万円前後</p><p>●亡くなった人を病院に迎えに行き自宅に連れて行き、</p><p>　　自宅から会館まで連れて行ってくれる送迎料・・・５万円前後</p><p>●納棺儀式費用・・・４万円前後</p><p>●通夜・葬儀祭壇・・・・８０万円前後</p><p>●通夜・葬儀お礼状・・・２万円前後</p><p>●通夜・葬儀・初七日引き出物・・・４５円万前後</p><p>●通夜・葬儀お昼事・初七日会食・・・１８万円前後</p><p>●その他雑費・・・５万円前後</p><br><p>ここまでが葬儀社に支払う費用です。</p><br><p>そしてお寺様へのお布施が２５万円から３０万円</p><br><p>ざっと計算して２００万円はかかります。</p><p>（父の通夜・葬儀に参列してくださった方は１２０名前後でした。）</p><br><p>８月に入って主治医の先生から「今月いっぱいかもしれません」と言われてから</p><br><p>父の今までの人生の最後の舞台としての葬儀に、</p><br><p>粗相があってはいけないと、事前に葬儀社に相談することにしました。</p><br><p>我が家から徒歩５分ほどのところに、７月末に葬祭場ができました。</p><br><p>地元では古くからある葬儀社の経営する葬祭場だったので</p><br><p>ここなら家からも近いし、信頼できるのではないかと思い、</p><br><p>連絡を取り「事前相談」という形で、担当の方からいろいろな話を聞き</p><br><p>必要な費用の概算を出してもらいました。</p><br><p>最初見積書を見たときには、本当にびっくりしちゃいました。</p><br><p>祭壇もスタンダードなものだし、引き出物も会食も真ん中ぐらいの値段のものなのに</p><br><p>それでもこれだけかかるのねって・・・</p><p>（TVで見る、著名人の立派な祭壇は数百万円は必要なんですね・・・）</p><br><p>見積書を見たあと、その葬儀社の会員に申し込んだため、</p><br><p>請求額は２割ほど割り引かれていましたが、葬式を出すのは大変です。</p><p>（他社の見積もりはとりませんでした。立地条件から、ここが一番良いと思ったし、以前友人から親御さんの葬儀をしたときにやはり２００万円はいるよ、といわれてたので）</p><br><p>そして葬儀の後も、忌明け法要の準備、香典をたくさんいただいた方への後返しなどで</p><p>（葬儀の引き出物は半返しから三分の一返しが基本だそうです。ですからお香典に１万円いただいた方にまで対応できる金額の引き出物を用意します。それ以上いただいた方には後返しといって、いただいた金額の三分の一ほどの額の引き出物を選んでいただけるようなカタログを後返しとして送ります）</p><br><p>さらに２０万円前後必要です。</p><br><p>本当に、本当に驚いてしまいました。</p><br><p>人は生まれてくるときも本人と迎える人が大変ですが、</p><br><p>亡くなる時も、本人も、見送る人も大変なんだと改めて感じました・・・</p><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hitorimusumes39/entry-11941434532.html</link>
<pubDate>Mon, 20 Oct 2014 07:35:38 +0900</pubDate>
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<title>葬儀の後は・・・することが山積み</title>
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<![CDATA[ <p>葬儀を滞りなく済ま競ることができました。</p><br><p>父が旅立ってから、葬儀を終えるまで、私の頭の中には</p><br><p>「粗相のないように、滞りのないように式を終えなくては！</p><br><p>Ｈさんらしい式だった、と言ってもらえるような式にしなくては！」</p><br><p>という事だけでした。</p><br><p>40年間電気工事点を営み、西三河の電気工事組合の組合長まで務めた父は</p><br><p>体面を重んじる人だったので、父が今まで築いてきたものを、</p><br><p>私が崩すようなことだけはしてはいけないとその思いだけでした。</p><br><p>何とか無事に葬儀を済ませることができたと思います。</p><br><p>主人と子供達はそれぞれ学校と職場に戻っていきました。</p><br><p>家には母と私の二人。</p><br><p>ここで悲しみと虚脱感に襲われるのではないかと思っていたのですが</p><br><p>そうはいきませんでした。</p><br><p>主人達を送り出し、家事を一通りこなした後、一息ついたときに、ふと涙が出てきてしまいましたが</p><br><p>しなくてはいけないことを整理して、書き出してみると・・・</p><br><p>●葬儀の後始末（支払い、忌明け法要、後返しについて決める）</p><br><p>●役所関係の手続き</p><br><p>●保険の手続き</p><br><p>●お墓をどうするか</p><br><p>●仏壇をどうするか</p><br><p>パッと思いついただけでもすべきことはこれだけあります。</p><br><p>母とまず、何をどう進めていくかを話し合いました。</p><br><p>まずは役所関係の手続きについて聞きに行こうということになり、</p><br><p>町内にある市役所の支所に行きました。</p><br><p>死亡届はなくなった日に出してありますので、</p><br><p>窓口で父の名前を言うと、対応してくださった方が手続きの一覧表を出してくれました。</p><br><p>そして、除籍された戸籍ができるまで１週間ほどかかるので、</p><br><p>来週の火曜日以降にもう一度きてほしいと言われました。</p><br><p>除籍された戸籍ができないと様々な手続きができないそうです。</p><br><p>そのときに手続きがスムーズに行くようにと、</p><br><p>担当の方が交代でつきっきりで教えてくださり、</p><br><p>その日は窓口で書類の記入できるところに記入しました。</p><br><p>それでも午前中いっぱいかかりました。</p><br><p>そして午後からは父がかけていた保険の証書を全て出して</p><br><p>保険がおりるものは請求しなくてはならないので、</p><br><p>保険会社に電話して、必要な書類を送ってもらうように手配しました。</p><br><p>保険会社から書類が届くと、必要事項を記入し、必要な書類を書き出して</p><br><p>翌週　父の戸籍ができたときにまとめてとれるようにしておきました。</p><br><p>私の教室は８月中はお休みをいただきましたので、</p><br><p>私が自由に動ける８月中に、できるだけのことはしておきたいと思い</p><br><p>やれることは思いついた時点ですぐに取りかかるようにしました。</p><br><p>翌週、父の戸籍ができた後、後期高齢者保険、介護保険、葬祭費用の補助等の手続きを市役所で行い、</p><br><p>国民年金の手続きも、市役所で行われる相談会にて滞りなく終えることができました。</p><br><p>この間、とても多くの書類に記入し、押印しました。</p><br><p>自分達だけではとても処理しきれません。</p><br><p>市役所の方や、保険会社の方、年金事務所の方がとても親切に丁寧に教えてくださったので</p><br><p>スムーズに手続きを終えることができました。</p><br><p>役所の手続きを終えると、まずはほっとしました。</p><br><p>次は・・・　お墓と仏壇です。</p><br><p>これがなかなか大変なのです。</p><br><p>続きは・・・後日・・・</p><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hitorimusumes39/entry-11940547704.html</link>
<pubDate>Sat, 18 Oct 2014 07:42:04 +0900</pubDate>
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<title>通夜・葬儀・・・その３　葬儀</title>
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<![CDATA[ <p>通夜も滞りなく終え、翌日は葬儀です。</p><br><p>葬儀を終えた後は、父の棺は葬祭場の控え室に運ばれました。</p><br><p>父の兄弟や甥・姪が名古屋・東京から駆けつけてくれましたが、</p><br><p>通夜の後の会食を終えてからも、しばらくは控え室で父を囲みながら</p><br><p>その方達と、生前の様子、闘病の様子、臨終の様子などを話していました。</p><br><p>父は面倒見の良い人で、家族・親族を大事にする人だったので、</p><br><p>父の兄弟姉妹ばかりでなく、その息子さん・娘さん達、私のいとこ達ですよね、も</p><br><p>仕事をやりくりし、駆けつけてくれました。</p><br><p>いとこ達とは、３０年ぶりぐらいの再会でした。</p><br><p>父が懐かしい人たちにあわせてくれたのだと思うと、</p><br><p>父のおおらかな人柄と懐の大きさに感服しました。</p><br><br><br><p>夜９時近くになって、皆さん近くの宿に戻っていかれ</p><br><p>その晩は私と娘が控え室に泊まり、父のそばについていることになりました。</p><br><p>父の肉体があるのは明日の午後２時までです。</p><br><p>できるだけ父の顔を見て話しかけていたいと思い、なかなか床につくことができませんでした。</p><br><p>翌日、葬祭場からいったん家に戻り、朝食をとり身なりを整えてから</p><br><p>再び葬祭場に向かいました。</p><br><p>その日の会場にはルイ・アームストロングの"what a wonderful world"や</p><br><p>グレン・ミラーオーケストラの"Moonlight Serenade"など父のお気に入りの曲を流してもらいました。</p><br><p>開式前にお寺様にお会いし、その日お世話になる事へのお礼を言いました。</p><br><p>お寺様は、父の法名を披露してくださいました。</p><br><p>「釈正観」という法名をいただきました。</p><br><p>正は父の名前から、観はいつまでも家族を見守っているという意味でつけてくださったそうです。</p><br><p>父らしい法名をいただき、とてもうれしかったです。</p><br><p>式が始まり、その日もたくさんの方が父にお別れにきてくださいましたが、</p><br><p>焼香してくださる皆さんに喪主としてご挨拶をし、</p><br><p>最後のお別れに棺を開けてもらい、父の周りに花を入れてあげました。</p><br><p>もうじき父の肉体はなくなってしまうので、顔をさすり、手足をさすり、手を握りしめました。</p><br><p>父の体はとても冷たくて、また涙があふれてきました。</p><br><p>娘も、息子も顔はなみだでくしゃくしゃです。</p><br><p>最後に家族との写真、仕事の時の写真などがスライドショーで映し出されましたが</p><br><p>どの父も、良い笑顔で、一生懸命、楽しく、人生を謳歌している様子が映し出され</p><br><p>私たちはもちろん、会場の皆さんも、父をしのんで涙しておられました。</p><br><p>無事に式を終え、出棺です。</p><br><p>主人と息子を中心に、親族の男性達で父の棺を、車に乗せます。</p><br><p>息子が歯を食いしばって涙をこらえています。</p><br><p>父を車に乗せ、喪主である私が遺影を抱いて同乗しました。</p><br><p>皆さんに見送られて、火葬場に向かいます。</p><br><p>父の肉体も、あと少しの時間でなくなってしまいます。</p><br><p>火葬場に着き、しばらく皆さんを待った後、</p><br><p>最後のお別れのお経を上げていただき、火葬炉の方に移動します。</p><br><p>炉の扉が閉まる前に、もう一度父の顔をさすりました。</p><br><p>「私たちを愛してくれてありがとう。」の思いを込めて・・・</p><br><p>父が炉の中に入り、炉の扉が閉まるとき、立っていられなくなり</p><br><p>主人の腕の中に倒れ込んでしまいました。</p><br><p>２時間後、お骨となった父を前に、再び涙があふれました。</p><br><p>それでも、痛みが少なかったため、強い薬を使わなかったので</p><br><p>お骨はとてもしっかりとしていました。</p><br><p>皆で涙しながらお骨を拾い、白木の箱に収めました。</p><br><p>とうとう父の肉体もなくなってしまいました。</p><br><p>母と息子が、大事に大事に父のお骨を抱いて、再び葬祭場に戻り</p><br><p>初七日の法要をしました。</p><br><p>初七日の法要を終え、会食を終えて、親族の皆さんにお礼をして</p><br><p>葬儀も滞りなく終えることができました。</p><br><p>父と共に家に帰り、葬儀社の方が用意してくださった後祭壇にお骨と遺影を置き</p><br><p>皆でその前に座り込んでしまいました。</p><br><p>しばらく皆言葉もなく、座っていましたが</p><br><p>「みんな、そんな風にしてたら、じいちゃん喜ばないよ。</p><br><p>はやくいつもの生活に戻らなきゃ。　さぁ着替えておいで。」</p><br><p>という母の言葉にやっとの事で腰を上げて、着替えに行きました。</p><br><p>一連の行事を滞りなく終えて、安堵の気持ちと、虚脱感に襲われて</p><br><p>私はいつものように、さっ、さっと行動することができなくなっていました。</p><br><p>座ったらしばらくそのままたてないし、</p><br><p>台所に行っても、コップを持ったまましばらく立ちつくしていたり・・・</p><br><p>そんな私に、家族はかける言葉もないようでした・・・・</p><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hitorimusumes39/entry-11940141875.html</link>
<pubDate>Fri, 17 Oct 2014 08:45:00 +0900</pubDate>
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<title>葬儀・通夜・・・　その２　　通夜</title>
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<![CDATA[ <p>翌朝、皆で父を囲んで朝食をとりました。</p><br><p>子供達は</p><p>「じいちゃん　本当に眠ってるみただよ。</p><br><p>本当に死んじゃったなんて、まだ信じられない。</p><br><p>あ～　よく寝たなぁって起きてきそうだよ。」と言っていました。</p><br><p>本当にその通りで、亡くなっても穏やかな顔でいるため、今にも起き出してきそうです。</p><br><p>午前中は、喪服の用意をしたり、連絡に手落ちがないか確認したりで</p><br><p>私は結構忙しく動いていたのですが、子供達はずっとおじいちゃんのそばで過ごしていました。</p><br><p>午後　納棺師の方がきてくださり、父をベッドから棺に移すことになりました。</p><br><p>納棺師の方が、顔色を整えてくださり、父を着替えさせてくれました。</p><br><p>真宗大谷派では、旅立ちの時に必ずしも帷子を着せる必要がないと言うことでしたので</p><br><p>ゴルフに行くときの勝負服とも言えるDAKSのポロシャツと、</p><br><p>Edwinのジーンズに着替えさせてもらいました。</p><br><p>娘と息子の希望でした。</p><br><p>「じいちゃん　天国でゴルフを楽しんでね。」と・・・</p><br><p>いよいよベッドから棺に移すときがきました。</p><br><p>棺に横たわる父を見ると、</p><br><p>「本当に亡くなってしまったんだな。」とまた涙があふれてきました。</p><br><p>顔の周りをお花で飾り、棺のふたをする前に子供達はいつ書いたのか、</p><br><p>おじいちゃんへの手紙を懐（ポロシャツの胸ポケット）に入れていました。</p><br><p>娘は</p><p>「大事にしてくれてありがとう」と</p><br><p>息子は</p><p>「おいしいものをたくさん食べさせてくれてありがとう。</p><br><p>おじいちゃんに教えられたように生きて、立派な大人になります。」と</p><br><p>書いたそうです。</p><br><p>納棺が終わると、葬儀社の方が迎えにきてくださり、</p><br><p>通夜の会場に父を連れて行ってくれました。</p><br><p>私たちは身なりを整えた後、葬祭場に向かいました。</p><br><p>葬祭場にはいると、大きな父の遺影が目に飛び込んできました。</p><br><p>娘が選んだ、満面の笑顔のおじいちゃんの写真でした。</p><br><p>あまりに父らしいお顔の大きな遺影に、皆　また涙が出てきてしまいました。</p><br><p>息子はまたしゃくり上げて泣いていました。</p><br><p>葬儀社の方との打ち合わせが始まり、会場には父が好きだったグレン・ミラーオーケストラの曲を</p><br><p>流してもらうことにしました。</p><br><p>主人の学校の先生が受付を担当してくださることになり、</p><br><p>主人と一緒にその方達にお礼を言いに行きました。</p><br><p>父は大分県出身なので、こちらには同じ宗派の懇意にしているお寺様がありません。</p><br><p>葬儀社の方に紹介していただいたお寺様に通夜とお葬式のお経をお願いしました。</p><br><p>初めてお会いするお寺様は、とても穏やかでお優しい方で、</p><br><p>父の人柄や生前の話を丁寧に聞いてくださり</p><br><p>「お父さんらしい法名をつけさせていただきます。」と言ってくださいました。</p><br><p>６時に通夜が始まりました。</p><br><p>父の仕事関係の方がたくさんきてくださいました。</p><br><p>仕事を引退して１０年以上たちますが、皆さん父を慕ってくださり</p><br><p>私たちには温かい言葉をかけてくださいました。</p><br><p>母の友人、父と母の共通の近所の友人の方達もきてくださり、</p><br><p>皆さん母を気遣い、言葉をかけてくださいました。</p><br><p>主人の学校の先生方も、たくさんきてくださり</p><br><p>息子に励ましの言葉をかけてくださいました。</p><br><p>娘の病院の院長先生もきてくださいました。</p><br><p>近所に住む息子の友達も、おじいちゃんにはよく遊んでもらったからと</p><br><p>制服姿で会いに来てくれました。</p><br><p>そして甲子園にじいちゃんと一緒に応援に行ったKくんも、お母さんと一緒に来てくれました。</p><p>（Kくんのお母さんは私と同級生、幼なじみです）</p><br><p>そして私の教室の生徒さんと保護者の方もたくさんきてくださいました。</p><br><p>喪主という重責に押しつぶされそうだった私は、</p><br><p>生徒さんや、保護者の方がお顔を見せ、声をかけてくださったことで</p><br><p>どれだけ心強かったことか・・・</p><br><p>本当にありがたかったです。</p><br><p>「人と人との縁は何よりも大事にする」</p><br><p>「あいさつに始まり、あいさつで終わる。そういった礼儀は絶対に欠かしてはならない。」</p><br><p>「人の痛みを自分の痛みとして感じ、温かな心を持ちなさい。」</p><br><p>こういった父の教えの通りに生きてきた私たち。</p><br><p>そのおかげで本当にたくさんの人たちが父の通夜にきてくださり、</p><br><p>私たちに温かい言葉をかけ、支えてくださいました。</p><br><p>本当に私たちは父に守られて生きてきたのだなと言うことを、家族皆が実感した通夜でした。</p><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hitorimusumes39/entry-11938850741.html</link>
<pubDate>Tue, 14 Oct 2014 10:24:52 +0900</pubDate>
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<title>通夜・葬儀　・・・その1</title>
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<![CDATA[ <p>父が旅立ってから、皆しばらくは父のそばから動けず、</p><br><p>父の手を握りながら、足をさすりながら、顔をなでながら、父を見守っていました。</p><br><p>しばらくすると</p><br><p>「最後の処置をさせていただきますので、デイルームでお待ちいただけますか？」</p><br><p>と、看護師さんに言われ、皆デイルームに移動しました。</p><br><p>伯父と叔母には最後まで父を見守ってくれたことにお礼を言い</p><br><p>いったん家に連れて帰るので、後程家に来てもらえるとありがたいと伝え</p><br><p>帰ってもらいました。</p><br><p>しばらく放心状態で、デイルームの椅子に座りこんでしまいましたが</p><br><p>ハッと我に返り</p><br><p>「そうだ、しなきゃいけないことがあったんだ。」と気が付きました。</p><br><p>実は主治医の先生に、8月いっぱいで父とはお別れになりそうだと聞いてから</p><br><p>母と一緒に葬儀社に事前相談をしていました。</p><br><p>当然　葬儀を出すのは初めての経験なので、何をしたらいいのかわかりません。</p><br><p>父は生前電気工事店を営んでおり、電気工事組合の西三河支部の支部長を務めた人で</p><br><p>社会的にも地位があり、仕事を引退して10年以上たっていたとはいえ</p><br><p>若い電気工事店の社長さんたちが、父に相談に訪れていました。</p><br><p>そういう父なので、亡くなった後のことも適当に済ますことはできないと</p><br><p>母も私も思っていました。</p><br><p>何をどうしたら粗相のないように葬儀ができるか、事前に葬儀社に相談したのです。</p><br><p>事前に相談をしてよかったと思います。</p><br><p>葬儀社の担当者の方は、とてもお若い方でしたが、</p><br><p>学生の時にお父様をなくされたそうで、身内を亡くした者の気持ちに、</p><br><p>とてもよく寄り添ってくださいました。</p><br><p>亡くなってからすべきことの流れや、大まかな費用も事前に相談したことで把握できました。</p><br><p>その時に葬儀までの流れを書いたガイドブックをもらいました。</p><br><p>そこには、亡くなったら連絡する方たちのリスト、その方たちの連絡先</p><br><p>葬儀に来てくれる予定の親族のリストと人数をあらかじめ書いておくようになっていました。</p><br><p>このリストが、とても役に立ちました。</p><br><p>まずは葬儀社に連絡です。</p><br><p>「おつらかったですね。</p><br><p>1時間ほどしたら病院にお父様をお迎えにいき、お家にお連れします。</p><br><p>霊安室の前でお待ちします。」</p><br><p>と言われ、看護師さんが最後の処置をしてくださる間に</p><br><p>デイルームで待ちながら、事前相談の際にもらったガイドブックに従って</p><br><p>父が亡くなったことを連絡すべき方々に連絡しました。</p><br><p>父の６０年来の大分の親友の伯父様、父の姉、妹二人、兄の息子さん（お兄さんは１０年前に他界）</p><br><p>仕事を引退しても父のところに月に一度は来てくださっていた、電気工事店の社長</p><br><p>父の関係の連絡はそれぐらい。</p><br><p>息子の学校関係は、父親が同じ学校にいるので、自分の連絡と共に学校に連絡を入れてくれました。</p><br><p>そして父も娘同様に可愛がっていた私の３０年来の親友</p><br><p>教室をしばらく休まなくてはならないので、教室の生徒さんたちにもメールで連絡しました。</p><br><p>娘は病院に勤務していますので、勤務先の病院の院長先生にしばらくお休みするとの連絡を入れました。</p><br><p>ガイドブックのリストを作っておいたため、手際よく、あわてて連絡先を探すことなく</p><br><p>皆さんに連絡できたと思います。</p><br><p>連絡が終わり、霊安室に行くと、主治医のI先生も来てくださっていました。</p><br><p>I先生によくお礼を言って病院を後にして、父は母と一緒に葬儀社の車に乗って家に向かいました。</p><br><p>I先生と看護師さんは車が見えなくなるまで頭を下げて見送ってくださいました。</p><br><p>先生を信頼して治療ができたこと、看護師さんたちが本当によく面倒を見てくださったことで、</p><br><p>どれだけ父の闘病が精神的に楽になったことでしょう。</p><br><p>本当にI先生と看護師さんには感謝しています。</p><br><p>私たちも病院を後にして家に向かいました。</p><br><p>事前に相談してあったように、寝室でも仏間でもなく、リビングのソファーの横に</p><br><p>父が最後の日々を過ごした電動ベッドを置き、そこに父を寝かせてもらいました。</p><br><p>眠るように旅立っていったので、とても穏やかな顔をしています。</p><br><p>葬儀社の方が、すべて整えてくださり、父は家で安心して眠ることができたようです。</p><br><p>本当に眠っているようです。</p><br><p>通夜・葬儀の打ち合わせにはいりました。</p><br><p>まず喪主を決めなくてはなりません。</p><br><p>母は精神的にも弱っていますし、耳も遠くてほかの方との対応は無理だと判断し</p><br><p>主人か私のどちらかが務めることになりました。</p><br><p>主人が</p><p>「喪主はきみが務めたほうがいいと思う。</p><br><p>じいちゃんの仕事上の付き合いの方をぼくはあまりよく知らない。</p><br><p>じいちゃんの立場上、通夜・葬儀でその方たちに粗相があってはいけないと思う。</p><br><p>きみならその方たちのことが良くわかるだろうし</p><br><p>その方たちも、君のほうに声がかけやすいと思うから。</p><br><p>世間的にどうかってことよりも、おじいちゃんにとってどうするのが一番いいかってことを</p><br><p>考えるべきだよ。」</p><br><p>と言いましたので、喪主は私が務めることにしました。</p><br><p>主人は葬儀の受付を学校の先生に頼んでくれたり</p><br><p>実際の細かい指示を滞りなく出してくれて</p><br><p>私は喪主として言われたことをこなしていれば、あとは主人がフォローしてくれました。</p><br><p>本当に主人には感謝しています。</p><br><p>通夜・葬儀の細かいことも決まって、一息つくと、夕食の時間でした。</p><br><p>子どたちがお弁当を買ってきてくれたので、おじいちゃんを囲んで夕食を食べました。</p><br><p>翌日の午後、納棺師さんがきて、納棺してくださることになっています。</p><br><p>家で過ごす最後の夜は、皆おじいちゃんのそばを去りがたい想いでした・・・</p><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hitorimusumes39/entry-11938473350.html</link>
<pubDate>Mon, 13 Oct 2014 15:11:51 +0900</pubDate>
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<title>とうとう・・・　別れの日</title>
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<![CDATA[ <p>８月１７日・・・</p><br><p>前の晩　一晩付き添って、私自身も、今日か明日が別れの日になると思いましたので</p><br><p>朝８時過ぎ、父が看護師さんに手伝ってもらってポータブルトイレで用を足している間に</p><br><p>主人に電話して家族を病院に連れてきて欲しいと伝えました。</p><br><p>「今日なのか？」と聞かれ</p><br><p>「たぶん・・・」と答えると</p><br><p>「わかった。ばあちゃんが朝ごはんの片づけが終わったらすぐに行く。」と・・・</p><br><p>あとは母の妹さんと弟さんに連絡しました。</p><br><p>父は大分県出身の九州男児ですが</p><br><p>母と結婚し、母の故郷で居を構え、母の兄弟たちと電気工事店を起こし、</p><br><p>４０年近く経営者として仕事に励んでいました。</p><br><p>別れの日の朝　呼んだのは、親戚というより家族のような付き合いをしてきた伯父夫婦と、叔母家族でした。</p><br><p>母と主人と子供たちは９時少し前に、伯父・叔母は１０時近くに病室に来ました。</p><br><p>病室には父が好きな、ルイ・アーム・ストロングのCDを流しておきました。</p><br><p>母たちが来たときは、意識もはっきりしており</p><br><p>皆の顔を見ると、敬礼ポーズをして、笑顔を見せました。</p><br><p>皆　父の様子を見て、別れの時が近いことを感じたようです。</p><br><p>息子も娘も目が真っ赤でした。</p><br><p>しばらく取り留めのない話をみんなでしていましたが、</p><br><p>子供たちが今にも泣きだしそうだったので、主人が彼らをデイルームに連れ出しました。</p><br><p>母と二人で父を見守っていると、伯父と叔母が病室に来ました。</p><br><p>彼らが来た時も意識はしっかりしており</p><br><p>力を振り絞って</p><br><p>「あ、り、が、と、な」と言い、笑顔を見せていました。</p><br><p>伯父は「兄貴、しっかり」と声をかけ、叔母は言葉もなく手を握っていました。</p><br><p>皆が集まって、やはり取り留めのない話をしていると</p><br><p>父が私の手を引っ張り、窓のほうを指さして、手を振ります。</p><br><p>「窓を開けるの？」というと頷きます。</p><br><p>「窓開けたら暑いんじゃないの？」といったのですが</p><br><p>ずっと手を振って、窓を開けよとしぐさで訴えます。</p><br><p>窓を開けると生暖かい風が入ってきます。</p><br><p>しばらく開けておくと病室が暑くなるので、窓を閉めると</p><br><p>またすぐに窓を開けるよとしぐさで訴えます。</p><br><p>皆で「外の空気がいいのかな。」と言っていたのですが</p><br><p>今考えると、父には「お迎え」の姿が見えていたのかもしれません。</p><br><p>近しい人の姿で「お迎え」の姿を見る人がいると聞いたことがあります。</p><br><p>何度か窓の開け閉めを繰り返すと、もう窓を開けるようにとしぐさで訴えることはなくなりました。</p><br><p>そしてそのしぐさをしなくなってしばらくすると、意識が混濁してきたのか</p><br><p>話しかけてもあまり反応しなくなりました。</p><br><p>皆で父を見守っていると、モニターの心電図が不規則になり始めました。</p><br><p>いよいよかな・・・と思い、デイルームにいた子供たちを呼びに行きました。</p><br><p>子供たちが来ると、じきに、モニターの数値が０を示しました。</p><br><p>皆　驚きで声も出ずにいると、看護師さんが来て</p><br><p>「今　心臓が止まりました。　主治医の先生が外来にいらっしゃるのでお呼びします。」と・・・</p><br><p>皆　一斉に</p><br><p>「じいちゃん！」と呼びかけます。</p><br><p>すると、０だったモニターがまた動き出しました。</p><br><p>子供たちは、おじいちゃんの手を握りながら、もう涙があふれて止まりません。</p><br><p>そして数分後、再びモニターが０になり、</p><br><p>今度はいくら呼びかけてもモニターは動きませんでした。</p><br><p>静かな、静かな、最後でした。</p><br><p>「苦しい」と苦悶の表情を浮かべることもなく</p><br><p>家族みんなが見守る中、家族の穏やかな話し声の中で、最後を迎えました。</p><br><p>その時　病室に流れていたのは、ルイ・アームストロングの「What a wonderful world」でした。</p><br><p>子供たちはモニターが０になってもしばらくモニターを見つめていましたが</p><br><p>モニターが動かないことを確認すると</p><br><p>まず娘がタオルで顔を覆い、しゃがみ込んでしまいました。</p><br><p>そして息子は、人目をはばからずに、大声を出して泣きました。</p><br><p>悲しみの慟哭・・・でした。</p><br><p>私は人がこんなふうに声をあげて泣く姿を初めて見ました。</p><br><p>私はしばらくは茫然としてしまいましたが、やはり涙が後から、後からあふれてきました。</p><br><p>しばらくすると主治医の先生が来てくださり、全身状態を見て</p><br><p>「残念ですが・・・１１時２分　ご臨終です。」と言い</p><br><p>深く、深く父に向かって頭を下げてくださいました。</p><br><p>まるで「ご苦労様でした」と言ってくださっているようでした。</p><br><p>先生の声と同時に、また　息子が声を上げて泣き出しました。</p><br><p>おじいちゃんとの別れが悲しくてたまらないようでした。</p><br><p>母は</p><p>「苦しくなかった？　みんながいてくれてよかったね。</p><br><p>さみしくなかったでしょ？　ごくろうさんだったね。」と声をかけて手を握り締めていました。</p><br><p>主人は</p><p>「お疲れ様でした。」と深く深く頭を下げてくれました。</p><br><p>私は</p><p>「私たちを愛してくれてありがとう。」と声をかけました。</p><br><p>８月１７日　午前１１時２分</p><br><p>厳しくも深い愛情で　家族に会いを惜しまなかった　昭和の九州男児の父は、</p><br><p>家族に見守られて静かに旅立っていきました・・・</p><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hitorimusumes39/entry-11937031794.html</link>
<pubDate>Fri, 10 Oct 2014 10:27:26 +0900</pubDate>
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<title>とうとう・・・　危篤</title>
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<![CDATA[ <p>一時帰宅を終えて、朝　８時半ごろ病院に戻りました。</p><br><p>ナースステーションで帰ってきたと声をかけると</p><br><p>看護師さんたちが皆</p><br><p>「Hさん　お帰り、良かったね　お盆にお家に帰れて。</p><br><p>お家でゆっくりできた？」</p><br><p>と声をかけてくれました。</p><br><p>陽気で、会話が上手で、ハイカラな父は、</p><br><p>看護師さんたちにもとてもよくしていただいたようです。</p><br><p>本当に感謝しています。</p><br><p>病室に戻ると、体調のチェックをして、点滴を入れました。</p><br><p>腹水を抜くためのチューブは、数日前に抜けてしまったため、つけていませんでした。</p><br><p>病室のベッドに落ち着くと</p><br><p>「本当に家に帰れたよかった。」と何度も言っていました。</p><br><p>落ち着いたので、お昼に母と交代しました。</p><br><p>そういえば・・・とふと気が付いたのですが</p><br><p>TVを見るのが好きな父が、９日に入院してからは</p><br><p>ほとんどTVを見ていません。</p><br><p>一時間ごとのNHKのニュースや天気予報は必ず見ていましたし</p><br><p>水戸黄門や暴れん坊将軍のような時代劇が好きで</p><br><p>昼間の再放送も欠かさず見ていましたし</p><br><p>米倉良子さんのドラマや娘の影響かTOKIOのダッシュ村などは</p><br><p>本当によく見ていました。</p><p>（だから、孫たちとも共通の話題があり、話が弾んでいたのです）</p><br><p>でも今回の入院ではTVカードがほとんど減っていません。</p><br><p>TVを見る気力もなかったのだと思うと、本当に悲しくなりました。</p><br><p>何とか木の紛れる方法はないかと考えた末・・・</p><br><p>CDを流しておくのがいいのではないかと思い</p><br><p>大好きなグレン・ミラーオーケストラ、ルイ・アームストロング、石原裕次郎などのCDとCDデッキを病室に持ち込みました。</p><p>（個室でしたので問題はありませんでした。）</p><br><p>CDを流すと</p><p>「いいなぁ」と嬉しそうでした。</p><br><p>そして８月１６日、いつも通り病院に行き、父と取り留めのない話をし手帰宅しました。</p><br><p>特に変わった様子はなかったのですが・・・</p><br><p>午後４時１５分過ぎ、病院から電話がありました。</p><br><p>「Hさん　苦しそうですので、どなたかお家の方に来ていただきたいのですが・・・」</p><br><p>とても驚きましたが、すぐに私が病院に向かいました。</p><br><p>病室に行く前にナースステーションに寄って、詳しいことを聞きました。</p><br><p>「午後お母様が来ていらしたときも、それほど苦しそうな様子はなかったのですが</p><br><p>お母様に、もう帰るようにと言って、お母様が帰ってしばらくすると</p><br><p>『息苦しい』とおっしゃるので、様子を見ていたら</p><br><p>かなりしんどそうなので、お家の方にそばにいていただいたほうがいいと思ってお呼びしました。</p><br><p>主治医の先生にも連絡を取っています。</p><br><p>先生の指示で、少し眠ってもらうように点滴をすることにしました。」とのことでした。</p><br><p>病状の急変に驚きましたが、薬の入った点滴をしてもらうと</p><br><p>うとうとと眠り始めました。</p><br><p>それでも１時間半ほどで目が覚めてしまいました。</p><br><p>目が覚めた時、お盆休みで出かけていた娘が帰宅する前に病室に来ているのを見つけ</p><br><p>嬉しそうにトレードマークの敬礼ポーズをしました。</p><br><p>「じいちゃん、熱いって言ってお布団きてないでしょ？</p><br><p>おなかにかけるようにキャプテンサンタのバスタオル買ってきよ。」</p><br><p>と言ってじいちゃんのおなかにかけてあげると</p><br><p>嬉しそうに何度もうなづいていました。</p><br><p>もうほとんど言葉も出ませんでした。</p><br><p>娘は涙を必死でこらえて、しばらくじいちゃんに取り留めのない話をしていると、</p><br><p>主人が母と息子を連れてきてくれました。</p><br><p>３人とも父の衰弱ぶりに驚いているようでしたが</p><br><p>みなそれぞれ父の手を握り、息子は</p><br><p>「じいちゃん　おれ推薦で大学早く決めるようにするから</p><br><p>スーツ一緒に買いに行こうね。」</p><br><p>と目を真っ赤にしてじいちゃんに話しかけていました。</p><br><p>じいちゃんは、息子の顔を見てやはり何度もうなづいていました。</p><br><p>母だけ残り、主人と娘と息子は帰宅しました。</p><br><p>そして７時半ごろ、主治医の先生が病室に来てくださいました。</p><br><p>「Hさん、胸にも水がたまっているみたいだから、またおなかから少し水を抜きましょうか。</p><br><p>そしたら少し楽になりますよ。」と先生が声をかけてくださると</p><br><p>父は安堵したように先生に</p><br><p>「おねがいします。」というように頭を下げていました。</p><br><p>実は私が病院に行く前に、メモ帳に力のない文字で</p><br><p>「I先生（主治医の先生）が苦しくなったら水を抜いてくださると言っていました・・・」と書いて</p><br><p>看護師さんに見せていたそうです。</p><br><p>やはり主治医の先生に全幅の信頼を置いていたようです。</p><br><p>それにこたえるかのように、土曜日で県外に出ていたのに、夜病室に来てくださった先生には感謝の言葉もありません。</p><br><p>お水を抜く処置をする間、私たちはデイルームで待つことにしました。</p><br><p>処置が終わった先生がデイルームまで来て下さり</p><br><p>「実は水を抜く処置は、賭けのようなもので、今までは水を抜けば楽になっていましたが</p><br><p>体力が落ちた今では、病状が急変し、危ない状態になるかもしれません。</p><br><p>それでも、ご本人は水を抜くと楽になるからと、ずっとおっしゃっていましたので、</p><br><p>そのような処置をさせてもらいました。</p><br><p>病状が急変する場合も十分考えられますので、今晩は付き添っていただいたほうがいいと思います。</p><br><p>今晩か明日がお別れの日になると思います。」とおっしゃいました。</p><br><p>母も私もすぐには言葉が出ませんでしたが</p><br><p>母が</p><p>「本人の望む処置をしてください。</p><br><p>できるだけ苦しまずに逝けるようにしてください。」と毅然と先生に言いました。</p><br><p>母は私よりもちゃんと覚悟ができていたのだなと思いました。</p><br><p>私が一晩病院に泊まることにして、娘に母を迎えに来てもらい家に連れて帰ってもらいました。</p><br><br><p>病室に戻ると、おなかにチューブがつけられ、</p><br><p>血圧と心拍を管理する機器が指先につけられていました。</p><br><p>ゆっくりとお水がチューブを通って体外に取り付けたパックに流れていきます。</p><br><p>酸素の量も少し増やしてもらい、父は少し安心し、楽になったようです。</p><br><p>病室のソファーに横になりながら、様子を見ていました。</p><br><p>３０分おきぐらいに、ベッドの足を上げたり、頭を上げたりと体制を変えて欲しいと言います。</p><br><p>おそらく体の置き所がないほど、だるい・・・というのかしんどいのでしょう。</p><br><p>息も苦しいようですし、腰が痛いと言います。</p><br><p>それでも癌性の疼痛を訴えることはありません。</p><br><p>「痛みは？」と聞くと、</p><br><p>「腰が痛い。」と言いますが、苦悶の表情は見えませんでした。</p><br><p>１２時過ぎに腹水を抜くのをストップした後、</p><br><p>看護師さんが全身のチェックをしてくださり</p><br><p>「Hさん、体がしんどいから、眠れる薬を点滴に入れますね。」というと</p><br><p>「そ、う、し、て、く、だ、さ、い。　あ、り、が、と、う」と</p><br><p>かすれた声で一生懸命看護師さんに返事をしていました。</p><br><p>点滴が始まってから病室を出て看護師さんに病状を聞くと</p><br><p>「今のところ急変の様子はありません。</p><br><p>眠れるときに眠ってください。」と言ってくださいました。</p><br><p>病室に戻り横になってしばらく眠って、２時間ほどで目を覚ますと</p><br><p>父は起きていて</p><br><p>「ベッドの頭を上げてくれ」と言い、また３０分おきぐらいに大勢を変え続けて</p><br><p>朝になりました。</p><br><p>大学のオープンキャンパスに行く予定だった息子は予定を取りやめて</p><br><p>主人が母と子供たちを病院に連れてきてくれました。</p><br><p>まだ意識がはっきりとしていた父は</p><br><p>家族の顔を見て、何度もうなづき、微笑んでいました。</p><br><p>これほど体がしんどいのに、やはりトイレには自分で行くといい、</p><br><p>夜中に１回、車いすで看護師さんに連れて行ってもらい、</p><br><p>明け方と家族が来る直前に、病室にポータブルトイレを持ってきてもらって、自分で用を足しました。</p><br><p>最後まで凛としていたいという父の「生きる姿勢」をしっかりと目に焼き付けました。</p><br><p>そして・・・　　別れの時はすぐそこまできていました。</p><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hitorimusumes39/entry-11936077297.html</link>
<pubDate>Wed, 08 Oct 2014 07:33:14 +0900</pubDate>
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