<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>ニ児ママの心の内</title>
<link>https://ameblo.jp/hm081600/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/hm081600/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>アダルトチルドレン。2人の子ども。いい母でいたいけど・・いい母って何だ？？</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>母中心から逃れるために。</title>
<description>
<![CDATA[ 私は、子ども達が生まれてから、一瞬一瞬に愛を込めて関わろうとしてきた。<div>でも、大失敗がある。</div><div><br></div><div>私は、夫に依存しまくっていたから、距離を置くためにも単身赴任にOKした。</div><div>でも、到底1人で男の子2人を育てる自信はなく、父や母の協力を得るようになった。</div><div><br></div><div>ずっと母との関係に苦しさを抱えている私は、母の態度に傷ついた頃の自分に戻り、傷付き、それが怒りになって、何度も止められなくなった。</div><div>子ども達にそれを見せ続けてしまってきた。</div><div><br></div><div>私は最近になって、虐待は子ども達心だけでなく、の脳にも傷をつけてしまうことを知った。</div><div>トラウマ、フラッシュバック。私もこれを抱えているのに、自分の子どもに繰り返すなんて、1番したくなかったことだ。</div><div><br></div><div>母と私が話していると、長男はケンカしないで！と走って止めにくるようになってしまった。</div><div><br></div><div>今、彼は５歳。</div><div><br></div><div>取り戻せるだろうか？</div><div>申し訳なくて、仕方ない。</div><div><br></div><div>自分自身がずっと苦しんできたのに、子どもに同じ思いをさせてもそれにも気付けないくらい、母との関係にばかり目がいっていた。</div><div><br></div><div><br></div><div>次に夫が長期の休暇で帰ったとき、まず母と距離を置いてもらうようにしようと思う。</div><div>私は、やっぱり母中心で生きてしまってきたのだ。</div><div>母から、その方法しか教えてもらわなかった。</div><div>強い共依存だ。</div><div>どこかで、母を見捨てられない気持ちがあったし、母なしでは何も出来ないと自分に言い聞かせてきた。</div><div><br></div><div>自分を第一に！と今まで力尽くで意識してきたことは、ただの自己中だった。自分勝手に、私はいい！でもあなたは私の役に立ってもらわなきゃだめ！結局はこのジャイアンみたいな心理で、完璧な他者意識の中にいながら、自分を！自分を！と叫んでいたみたい。</div><div><br></div><div><br></div><div>幼い頃からアンテナを張って、母の感情に耳をすましてきた。母の機嫌を取り続けないと、そうしないと、生きていけない時も私にはあったから。</div><div>だから今、自分の声を聞こうとしても、自分の声が微弱電流に対して、母親の表情や声のトーンは、稲妻級に私のアンテナにキャッチされてしまう。</div><div><br></div><div>そりゃ、母中心から抜け出すのは酷すぎるよな。そう、思えてきた。</div><div>でも、決して母との関係を断ちたいわけではない。</div><div>子ども達もばぁばが大好きだ。</div><div>私も誰よりも大好きだからこそ、ここまできたんだから。</div><div><br></div><div>でも、まずはあたしはあたし。</div><div>そのまんまOKに思えてから、やっと心の距離を取れるんだと思う。</div><div>このまま、密着しっぱなしでは何も変わらない。</div><div><br></div><div>練習に、長期の休暇を利用して少しずつ心の自立を意識していきたい。</div><div><br></div><div>そして、大切な我が子にそのままでオーケーだと感じて欲しい。</div><div>そして、安心してもらいたい。</div><div><br></div><div>生まれてきてくれてありがとう。</div><div><br></div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/hm081600/entry-12629521448.html</link>
<pubDate>Mon, 05 Oct 2020 08:28:46 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>私のことを振り返ってみて。</title>
<description>
<![CDATA[ 結構、思い出したくないこと盛りだくさんだった。<div>親から受けたことって、親を責めてるみたいでずっと根に持つのは惨めさを感じてた。</div><div>私も親になって、子どもって、人を育てるって、本当に難しいって思った。</div><div><br></div><div>最高のパートナーに出会えたから、大成功！ではなかった。</div><div>結局、彼は私の人生を生きれる訳ではなくって、私が感じてきた痛みや今までの経験からきた私のものも感じ方は、私だけのものだった。</div><div><br></div><div><br></div><div>これまでを振り返ってみると、どこかでいつも誰かが、助けてくれることをずっと待ってた。</div><div>誰かの1番になろうとした。</div><div><br></div><div>でも、誰も私だけのためには生きれない。</div><div><br></div><div>私しか私にはいない。</div><div>でも、私には私がいた。</div><div><br></div><div>私は、自分で自分に生まれてきてくれてありがとうって伝えてあげなきゃいけない。</div><div>自分で、自分を大切にしなくちゃいけない。</div><div><br></div><div><br></div><div>最近読んだ本、『苦しい親子関係から抜け出す方法』は、謎解きの答えだった。</div><div><br></div><div>私は、ずっと最近自分を大切にしなきゃ！と思ってきた。</div><div>母にイラつきながらも、手伝ってもらっては、また苦しくなったりしていた。</div><div><br></div><div>そうか！私は他者中心だったのか！！と、衝撃だった。</div><div>自分を大切に！とやってきたことは自己中な行動であって、自分中心ではなかった。自分！自分！と唱えながら、結局周りの反応が一番で、母の反応が何より私の中心だった。</div><div>また、傷ついて、いらだって。</div><div>子ども達に優しくあろうとすればするほど、出来ないこともあった。</div><div>それもこれも、世間一般のいい母を目指してたから、苦しかったんだ。</div><div>私は私。</div><div>あなたはあなた。</div><div><br></div><div>子どももそれぞれオッケー。</div><div>そのままで最高！</div><div><br></div><div>それでよかったんだ。</div><div><br></div><div>母と、ずっと逆のことを学び続けてしまった。</div><div>人に気に入られるためのやり方、世間一般の見られ方、どうみられるか、それが中心だった。</div><div>母もずっとそうやって教えられたから、それしか知らなかった。</div><div><br></div><div><br></div><div>私は、自分中心でありたい。</div><div>そう、心から思った。</div><div><br></div><div><br></div><div>でも・・・</div><div>ずっといつもどこかで自分を冷ややかに評価してるやつがいる。</div><div><br></div><div>1番のアンチが自分。</div><div><br></div><div>このブログ一つだって、自分のために書こう！って思ったはずなのに。</div><div>何？自分振り返って何になるの？</div><div>そんなの書くなら、家事しろよ。</div><div>見てる人なんていねーわ。</div><div>どっかで、人に見られて恥ずかしくない様に書こうとしてること自体、恥ずかしい。</div><div>誰も見んのに。</div><div><br></div><div><br></div><div>こんなん言ってる自分がいる( ；∀；)</div><div><br></div><div>そりゃ、自分嫌いになるよね。</div><div>ずっと、自分が自分をいじめてきたんだからね。</div><div><br></div><div><br></div><div>尊敬してる人が、かけてくれた言葉で、</div><div>『急に自分を好きになるのは無理でも、少しずつ周りに好きなものを増やしたり、体を癒やしてあげるところから始めていけばいいよ。』</div><div>と、教えてくれた。</div><div><br></div><div>すぐに自分を愛する＝自己中と思いがちな私は、まずは小さな身の回りからせめていこうと思う。</div><div>少しずつ、自分に気に入られていきたい。</div><div><br></div><div>そして、自分がオッケーになったら、相手もオッケーになっていけたらいいなと思ってる。</div><div><br></div><div><br></div><div>自分のこと、大切にしたい。</div><div><br></div><div>振り返りながら、私は頑張って生き抜いてきた自分を褒めてあげたい。</div><div>きっと、心が満たされていたのなら、振り返りたくない過去は違ったのではないかと思う。</div><div>だからといって、傷つけてしまった人達には本当に申し訳なかった。</div><div>でも、たくさんの人達がいてくれて、やっと今の気持ちに辿り着けたから、やっぱり過去に戻らずに、感謝して、ここからまた何度も新しいスタートをきりながらやっていこうと思う。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>あーあーあー、たくさん自殺する人がいる今の日本。好きだった人が亡くなるのって悲しい。</div><div>私も何度も死にたいって思った。</div><div>弟は、本当に首を吊った。幸い、木が折れて命をとりとめた。</div><div><br></div><div>誰もその人に生きてとは言えない。</div><div><br></div><div>でも、自分に生まれてきてくれてありがとうって言える。大切な人に、後悔しない様に、今、生きててくれてありがとうって言える。</div><div>それは、とてもかけがえのないことだ。</div><div><br></div><div><br></div><div>今を、今日を、愛しんでいける人になりたい。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>生きててくれてありがとう。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/hm081600/entry-12629048794.html</link>
<pubDate>Fri, 02 Oct 2020 21:14:01 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>振り返ってみよう。私のこと⑧</title>
<description>
<![CDATA[ 私は必死だった。<div><br><div>親から受けた事を絶対に断ち切りたかった。</div><div><br></div><div>上の子が一歳になるまで、この気持ちで乗り切れた。しかし、考えていたよりも子育ては過酷だった。睡眠不足、自分のことは全く出来ず、みるみるボロボロになっていく自分。誰にも会いたくないと思った。でも、家の中で一対一での子育ては、苦しさよりも愛おしさが大きかった。きっと、私は記憶のない生まれたばかりの時、沢山の愛を受けたのだと思う。しっかりと愛情が溢れてくる自分の母性に安心した。しかし、反面大切に思うあまり、心配しすぎる面もあった。すぐに止めてしまっていた。そんな自分が母であることが申し訳なく感じていた。</div><div><br></div><div>市役所から、第一子を持ち、はじめての育児で不安を抱える母親と赤ちゃんの集まりがあると案内が来た。私は行ってみることにした。</div><div>その時、同じような悩みを抱えて頑張っている母親仲間ができた。みんなでLINEグループをつくって、連絡しあった。必死に返信しなきゃ！と思っていたので、育児が忙しい時はかえって負担になることもあったが、病気の時の対応など、少し月齢が上のママからきけるのはが、ありがたかった。すぐに2人目を授かったママ友がおり、羨ましく思えた。いつでも、兄弟はほしかった。</div><div>しばらくして、待望の2人目がきてくれた。</div><div>でも、忘れてしまっていたのだ、ものすごい悪阻を・・・</div><div>ずっと乗り物酔いか、すごい2日酔いそんな感じを繰り返してヘロヘロだった。</div><div>小さな我が子がいるのにそんな状況になり、私は長男の相手をしてやれない事で自分を責めた。</div><div>母の手を借りなくては、夫は残業もあってワンオペ育児だったので、やってられなかった。</div><div>これまで、私しか何でもダメだった長男は、母とならどこでも出かけられるようになった。</div><div>10ヶ月は、私にとって地獄のように辛かった。</div><div>長男の時よりも悪阻がつらかったし、長引いた。でも、長男には辛い思いをさせたくないし、生まれる前の大事な時間という思いもあって、必死で抱っこや添い寝を出来る限り頑張っていた。</div><div>何度か、出血があり、不安な日もあったが、長男と同じ頃に元気に生まれてきてくれた。</div><div>双子の様にそっくりな次男が生まれた。</div><div>以前にも増して安産だった。</div><div>でも、彼は生まれた時から豪快だった。長男は、繊細な所があり、私はどこかで自分の関わり方を責めていたが、この子が生まれてきてくれたことでかなり楽になった。</div><div>全く別の人間なんだ。ちゃんと、持って生まれた性質があるんだ。と知った。</div><div><br></div><div>しかし、その時の私の体調は最悪だった。寝不足、産後の体調不良、鬱傾向があった。</div><div>誰にも会いたくなく、何もしたくなかった。妊娠中、早々と上の子にYouTubeを見せる様になってしまっていた。「登録してね。」というフレーズをリズムに合わせて真似してるのを聞いて、胸が痛んだ。</div><div>ご飯も出来合いのものも出す様になり、必死に作った日に限って食べてくれず、絶望して、作る意欲をなくしていった。</div><div>私は頑なに精神病院に行くのを拒んでいた。</div><div>産後うつだったと思う。誰かの目を見るのも苦しくなっていた。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>時系列が交差するが、叔母が死んだ。</div><div>精神の病を患っていた叔母のことを、母は将来みてほしいと頼まれており、ずっと負担に感じてきていた。いつも母は、この事を考えると憂鬱だった様だ。しかし、叔母は、パンを喉に詰まらせて、階段から転がり落ちて死んでしまった。</div><div>母は、心から悲しんでいた。が、安堵の思いもあったろう。母をこれまで憂鬱に落ち込ませてきた時間は、無駄な心配だった。私はこのことでいろんな事を感じた。</div><div>結局はなる様になった時にしかこたえは出ない。何か起きた時に、その都度精一杯対応して生きていけばいいのではないか、そう考えた。</div><div>そして、DV家庭の犠牲者の叔母は自分だけを傷つけて、（周りに妄想で迷惑はかけたがそれは病気だった。）歳をとって何も理解してくれない両親のもと、世間の恥のように扱われて死んでいった。祖母は、叔母が亡くなってから胸を痛めたが、生前に気付けばよかった。</div><div>彼女がどれだけ祖母にとって大切な人だったか。</div><div>他人に迷惑をかけたかもしれないが、嫁に将来の責任を押し付けたりするよりも、それでも母親だけは彼女に大切だと伝えるべきだった。</div><div>「自分なんて価値がない」そう思って死んでいったのではないかと思う。</div><div><br></div><div>母にしていた嫌がらせや、妄想で電話をかけ続けていたことは幼い頃から不快に感じていた。でも、叔母の優しさを知っていた。</div><div>親に壊されてしまった優しい子だと、私は思っている。人生をかけて親に訴えかけたけれど、悲しい終わり方だった。</div><div>このことから、私は親との完璧な和解を求めることは、不可能だと学んでいた。いちばん、子どもだけが不幸になってしまうと感じたのだ。</div><div><br></div><div><br></div><div>母は、私が2人目育児に追い詰まって、鬱傾向が強くなる中で仕事をしている合間で手伝ってくれていた。しかし、私は1人目の時には出さなかった声で子ども達を怒ってしまったり、感情的になることがあった。私は、自分が嫌だった。怖かった。</div><div><br></div><div>時を同じくして、夫は仕事で追い詰まっていた。</div><div>残業と、飲み会、お酒もあまり飲めないのにこれも仕事だと連れ回される。夫は、仕事を辞めたいと言った。</div><div>私は、仕事前に嗚咽してる姿をみていた。</div><div>何度か一緒に模索しながら、夫の決断に従った。次の職場は、収入を安定させたいと2人で話した。</div><div>県外だと、収入が安定する職が見つかった。</div><div><br></div><div>このことに、私は悩んだが、県外に夫が単身赴任する事を私からはOKだと伝えた。</div><div><br></div><div><br></div><div>それは、根底にあったのだ。仕事だけじゃなく、自分の試し行動が夫を蝕んでしまったのではないか？と。</div><div>私の両親は、私が最高の旦那さんと出会えたと思っていた。でも、私がひどく旦那さんを扱っている様に見えていた様で、実家に行くと◯◯くんは大丈夫か？とか、◯◯くんに優しくしてやれ。とか、◯◯くんの目が死んでる。と言われていた。</div><div>でも、それをのちに夫に伝えると、全力で否定してくれて、仕事が本当に辛かっただけで、私のことはまったく負担じゃないと伝えてくれた。少しだけ安心したのだった。</div><div>でも、私の中で両親の言葉がささり、夫と少し距離をとる意味でも夫が県外で働き、長期の休暇でうちに戻ってくる生活スタイルをとることにした。</div><div>私は、まだ両親の言葉にとても左右されていた。その時は気づかなかった。</div><div>でも、何より大切にしたい我が子に、1人で何もかもしようとして、ひどく接してしまう事が何より怖かったわたしは、母の近くに引っ越して、仕事として、我が子の子育てを助けてもらうことにした。</div><div>そして、母ともう一度むきあうことになった。</div><div>現在へ続く。</div><div><br></div></div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/hm081600/entry-12627268966.html</link>
<pubDate>Wed, 23 Sep 2020 14:30:26 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>振り返ってみよう。私のこと⑦</title>
<description>
<![CDATA[ 大学の卒業を前に、彼から結婚の話が出るようになって、親に会わせたいと言われた。<div>お父さんは早くに亡くなって、女で一つで3人の男の子を育て上げたお母さんということだった。<br><div>この時は大好きな彼のお母さんだから、当然仲良くなりたかった。</div></div><div>この後の義母とのエピソードは、色々とあって長すぎるので割愛して、また別に思う存分書き出したいと思う。</div><div><br></div><div>私は、すごく人当たりだけはいいので彼の母からも好かれたし、（上っ面の自分で、好かれすぎてしまったのだが）とんとん拍子に結婚の話は進んだ。</div><div>大学卒業と同時に籍を入れた。</div><div>私は児童福祉施設で働きたい夢があったが、夏休み中に、先生たちとの関係で上手くいかず、自分の精神力の弱さではやってはいけないのではないかと思っていた。</div><div>どこかで、世間一般のゴールとされている結婚に逃げるような気持ちがあった。卒業時、私は29歳だった。</div><div>彼の仕事は、公務員だった。</div><div>私は、ずっと母方の祖母に公務員と結婚するように言われてきていた。</div><div>私は、知らないうちにどこか意識していたのかもしれない。</div><div>結婚することで、私は母と向き合い続けた時間に終止符を打とうと思っていた。</div><div>毒親育ちの母は、今でも祖母に支配されている。母が、私の気持ちが満たされるくらい寄り添ってくれることは難しいのだとずっと感じてきたからだ。</div><div>籍を入れてから、新婚生活が始まった。</div><div>優しい彼との生活に幸せを感じていた。</div><div><br></div><div>でも、それは依存する対象を母から夫に切り替えただけだった。</div><div>施設で学んだ様に、まさに自分が夫に対して試し行動の嵐。</div><div>家事を頑張って、奥さんしているかと思えば夫の何気ない言葉に反応して、罵ったり、家から飛び出したり。</div><div>やばい奴です。はい。</div><div>でも、それでも泣きながら追いかけてきてくれたり、諦めずにずっとそばにいてくれる彼に、少しずつ私の試し行動は落ち着いてきていた。</div><div>私の中に、子どもが出来たら、絶対に虐待の連鎖を断ち切りたいと思っていた。</div><div>でも、自信がなかった。</div><div>今だにメンヘラな自分を、自分自身がどうしょうもなく嫌いだったし、信頼できていなかったんだと思う。今のままでは、ダメだと感じていた。まだ満たされていない自分を少しでも満たして、子どもに向き合いたいと思っていた。</div><div><br></div><div>父と母と、結婚して距離が出来てから、表面上は上手くいっている様だったが、実際に会うと、言葉の端々に傷ついてしまう自分がいた。</div><div><br></div><div>子どもを産んだら、私は自分の事ばかり訴えるのをやめると心に決めていた。</div><div><br></div><div>結婚式の日取りを決めた矢先、赤ちゃんがお腹にいる事が妊娠検査薬で分かった。</div><div>正直、幸せな思いと、とうとう大人として、子どものために生きる時が来たと肩に力が入った。</div><div>産婦人科でみてもらってすぐ、悪阻が始まった。想像していた以上に辛く、ずっと乗り物酔いをしている気分だった。</div><div>家事が何も出来なくなる自分に、価値がなくなった様に感じた。</div><div>私は、妊娠する以前は夫に対して全力で試し行動をする反面、全力でいい妻を演じていた。</div><div>毎日褒められる料理を出して、見られてもいいように弁当を持たせた。いつも家を綺麗に保った。父親と母親が、汚い家で揉める姿を見て育ったことも大きかった。公務員の社宅で古かったが、少しでも快適に過ごせる様に工夫した。いい妻でなくては、自分の価値がなくなった様に感じたのだった。</div><div>私は、想像以上の具合の悪さ、でも、病気でもなんでもない悪阻というものを、受け入れられなかった。</div><div>どうしても、具合が悪くて動けないことを心のどこかで許せなかった。いつもイライラしていた。</div><div>情緒もすごく不安定だった。</div><div>母親になったら、絶対両親の様にはならない！そんな思いだけが胸の中で渦巻いていた。</div><div>その矢先、パタっと悪阻が楽になった。</div><div>私は、やっと体が楽になった安堵感があったが、念のため産婦人科へ夫と向かった。</div><div>いつもの様に待ち合い室にいた夫を残して、診察台に私だけ上がった。エコーをみていたのだが、いつもの様に小さく真ん中で鼓動を打つ動きが見えない。静まり返った診察台のカーテン越しに、先生が「動いてないね。」と言った。</div><div>胸が苦しくなって、何も言葉が出ない私の元に、看護師さんが夫を連れて来てくれた。</div><div>2人で、動きがないことを確認して、私は呆然としながら、診察台を降りて先生の説明を聞いた。</div><div>ぼーっとする頭で説明されたのは、お腹で赤ちゃんが死んでしまったので、それを取り出す手術を受けなくてはならないことだった。</div><div>とてつもない悲しさが襲った。赤ちゃんが死んでしまって、手術を受けるなんて。出産ならなんだって頑張れるけど、赤ちゃんに会えないのに手術なんて。</div><div>車に戻って、私は大きな声で泣いた。夫に気付いたら謝り続けていた。「ごめんね。私のせいでごめんね。赤ちゃん、ごめんね。産んであげられなくてごめんなさい。」泣き続ける私の横で主人も静かに「◯◯◯のせいなんかじゃないよ。」と言い、涙を流した。</div><div>しばらくは急に涙が出て止まらなくなる事を繰り返した。すれ違う赤ちゃんをみては、涙が込み上げた。</div><div>妊婦さんをみては、羨ましく思う日々だった。</div><div>私は、以前にも増して不安定だった。</div><div>私が取り乱すたびに、夫はそばで慰めてくれていた。</div><div>ある日、私は使うことのなかった母子手帳をしまおうと開いた時、パパノートが出てきた。</div><div>夫の字で、生まれてこられなかったあかちゃんへのメッセージだった。</div><div>「パパとママは君に会えなくてたくさん泣きました。とてもとても辛かった。でも、またいつかパパとママのところへ生まれて来てください。会えるの楽しみにしているよ。」</div><div>と書いてあった。</div><div>私は、自分ばかりが辛いと思っていたけど、こんなに優しい夫が辛くないはずがなかったと、胸が痛んだ。そして、こんな事を書いてくれる夫と結婚して、心から幸せだと思った。</div><div>私は死産から、初めて前を向けた。結婚式、新婚旅行と、人生で1番思い出になる晴れ舞台と楽しみが待ち受けていた事もあり、それからは何も考えずに目の前の事を楽しんでいた。</div><div>しばらくして、赤ちゃんが私達のもとに来てくれた。</div><div>私は心から幸せを噛み締めた。命は当たり前に授かるものじゃなく、奇跡だと教えてくれるために前の子は来てくれたのではないかと、今は思う。</div><div>私は、命の尊さを学んだ。</div><div>だが、以前にも増して悪阻はひどいもんだった。何も出来なくなる自分の事、やっぱり全肯定は出来なかった。でも、自己否定ばかりの妊娠生活にはしたくないし、夫も死産があってから、すごく私の体調に理解を示してくれてなんでもやってくれていた。</div><div>私は命を育むという大仕事をやっているのだと、そんな気持ちになれるようになってきていた。お腹が大きくなっても、以前の経験からずっとどこか不安を抱えていたが、すくすくと育ってくれた。</div><div>夏の暑い日、私は長男を出産した。周りが驚くほどの安産だった。私は、出産前にある本に書いていた事を出産中思い出していた。母親よりも出産時、赤ちゃんは辛い思いをしているということを。ずっと生まれてくる赤ちゃんの名前を呼び、励ましながら産んだ。自分の事だけだと、出てこない子どもを守る気持ちが、気持ちを強く持たせた。やばい痛みだったからこそ、それ以上痛い思いをする我が子に気持ちがいっていた。</div><div><br></div><div>子育て奮闘記へと続く</div><div><br></div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/hm081600/entry-12626629805.html</link>
<pubDate>Mon, 21 Sep 2020 18:34:20 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>振り返ってみよう。私のこと⑥</title>
<description>
<![CDATA[ これまで、恋愛においては触れてこなかった。それに、成人するまでは特定の人と付き合ってはこなかった。しかし、後に「隠れビッチやってました！」というエッセイコミックを読んで、まさに私だった。空っぽの自尊心に、見た目だけは変に褒められて、自信があった私は、告られることをステイタスにしていた。10代の頃は、モテるということだけが、自分を評価してくれるものだった。<div>でも、成人を前にしてB子という友人をなくし、自分がどれだけ空っぽで、自分に自信がないかとことん向き合った。<br><div>だからこそ成人して、やっとお付き合いした人に依存するのが怖かったし、異常なほど心の距離を付き合った人にもとっていた。でもそれは、本当の自分は、愛されているか試そうとしてしまうし、何も考えずに近づくと相手を壊してしまうと、自分を信用出来なかったし、恐れていた。</div></div><div><br></div><div>その反面、私は全力で母にぶつかっていた。遅い、長い反抗期だった。</div><div>その中で、私は父や母の生い立ちを知りたいと思った。</div><div>そこで始めて知るのだ。</div><div>母は、毒親育ちということを。祖母は、いつも自分の意見をはっきり言う人だとは思っていた。でも、それは自分に自信があるわけではなかった。祖母は兄妹が多く、親のために早々と働いていた。なのに、兄達からは学歴がないと馬鹿にされて育っていた。だからこそ、人一倍馬鹿にされる事が嫌いで、母には頭のいい子になれ！と学歴を求め、早く大人になれと願った。ある時は、ごめんなさいの言い方を、もっと伝わるように言葉を考えろと何度も母に強要したという。</div><div>今でも、母のことを支配している祖母の存在に気がついた。祖父は、辛い生い立ちを持った人だったが、冷静であろう、子どもを理解しようとしてくれる人だったという。しかし、私が生まれて間もなく亡くなってしまっていた。</div><div><br></div><div>母は、頼る人がいなかったのだ。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>そして、私の父の生い立ちにおいては、先述したように、祖父はDV野郎だった。酒乱だった祖父が祖母の腰の骨を折るまで殴った事もあるし、血の海を何度も見て育ったという。</div><div>私の父は、最高に恐ろしいと思っていた。でも、父なりに負の連鎖を止めようとあがいていたのだ。母と怒鳴り合いもしたし、たまには突き飛ばしたり、髪をひっぱったのを一度見たことがあったが、父は幼い頃の強烈な思いを我が子にさせたくなかった。幼心に女を殴らないと決めて生きてきていた。全力で母を殴ることはしなかったのだ。</div><div>でも、父は凄まじい怒りを抱えて生きていた。私はそれを常に感じていた。</div><div>父なりに必死だったことを、私は父の口から聞いたのだった。</div><div><br></div><div>それは、母とだけでなく、ずっと恐ろしかった父とも私は向き合おうとしていた。</div><div>何度か殺されるかもしれないと思った。</div><div>でも、それでも、親として期待し始めていた。</div><div><br></div><div>父は今だに飲むことはやめられない。また、酒に酔って、自制心をなくし、弟に絡む事があった。</div><div>私は、成人を迎えてから、それだけは許せなかった。私は酔った父に震えながら怒鳴った事があった。弟を守ろうとして。</div><div>それは、幼い頃に弟を傷つけた償いをしたかったのだ。女を殴らないと決めていたが、弟に対して手をあげる事があった。私は恐ろしくて、守ってやれなかった事がトラウマだった。</div><div>だから、全力でぶつかった。</div><div>その時、父は子どものように涙を流して、生い立ちの話をしてくれたのだ。</div><div>私はDVが、どれだけ子どもの心に闇を与えるのか痛感した。</div><div><br></div><div>父は長い年月をかけて、私に歩み寄ろうとしてくれたが、とてつもない闇がある。私は、父が飲みすぎて1番下の弟にも絡んだ際、私が全力で父を否定したら、父は暴れ出し、壊れそうになった。死のうとした。私は、正直期待していたからこそ言葉を選んだりせずにそのままぶつかっても、受け止めて欲しかった。でも、父の限界を感じた。父は自分自身に、本当は自信がなく、ずっと自分を責めて生きてきたのだ。自分の母親を守れなかった自分を。</div><div>私は、もう、父を責めることはやめた。北風と太陽を思い出し、大人になって、父には言葉を選ぶようになった。父の心の限界を知ったのだ。</div><div><br></div><div>でも、母に対しては、母にだけは限界なんて言ってほしくなかった。私は真っ向からぶつかって、泣き叫んだ。</div><div>母は、すごくプライドが高かった。でも、違った。祖母に、自尊心を粉々にされて、祖母以外の誰かに傷付けられないように、盾と剣を手に入れたのだ。</div><div>でも、その盾と剣を私にも振りかざしてきた。</div><div>私が、母から受けたことは虐待だと伝えた時は、私のことを憎そうに睨んだ。</div><div>私は、たびたび母の麻痺した時の目、蔑む時の声のトーン、私のことを映さない目、何度も辛かった時にフラッシュバックした。</div><div><br></div><div>私は、とことん心に闇を抱えて、病名なんかもらっていれば分かりやすかったとさえ思った。</div><div>私は、なんだか中途半端なのだ。</div><div>でも、父の姉、叔母の精神病を抱えてもなお、報われず、あがいている姿を幼い頃から見ていただけに、精神病院に頼ることだけは人一倍恐れていた。</div><div>幼い頃、よく人格を分けて遊んでいたといったが、多重人格一歩手前だったのでは？と思う。また、成人して、私は高校と大学に行ったのだが、そこで「境界性パーソナル障害」を知った。今思うと、これだったと思う。</div><div>そして、私の持って生まれた性質は巷に今では溢れているHSCで、HSPだった。人一倍敏感だったのだろう。</div><div>母が、心から謝ってくれたのはずいぶん後になってからだった。</div><div>私はずいぶんと長い時間、母と向き合おうとした。それは、ちゃんと母と向き合わないまま、私は自分の夢も叶えられないと思ったし、家庭なんて絶対に持ってはいけないと思った。</div><div>辛い虐待、毒親の連鎖を私で断ち切りたかったのだ。</div><div><br></div><div>私は、人生の中でたくさん逃げた。</div><div>不登校もした。アルバイトをしたが、コロコロ変えた。始めは全力で頑張るのだ。お金をこんな私がもらうんだから！と必要以上に自分の限界を超えて頑張る！そしてばたり。急に辞める事もあり、会えない人も沢山いる。（ご迷惑をかけた方々、ごめんなさい。）</div><div>実はこれ、未だに拭えない。「仕事」となると、こんな私が！が出て来る。120%でやらなきゃと思い込む。トイレもいかない。</div><div>若い頃に比べて、周りに迷惑をかけない辞め方を覚えたし、嘘も上手くなった。</div><div><br></div><div>でも、私は逃げるのは悪いことではないと、親友には言うだろう。</div><div>よく働いて欲しい雇い側の思いを必要以上に汲み取ってしまい、背負おうとしてしまうのだから。</div><div>トイレに行きにくい雰囲気、休憩を取りにくい雰囲気の職場から、自分を守ってあげることは必要だったと。</div><div>ただ、小さな子どもが私は好きだった。幼稚園でのボランティアから始まり、ベビーシッター、託児所のアルバイト、これだけはずっと続ける事ができたのだ。</div><div><br></div><div><br></div><div>話は逸れてしまったが、私は成人してなお全力で母に向き合うことをやり続けた。</div><div>母という人間を、変えることは出来ない。</div><div>でも、母の生い立ちを知り、私との関係を修復してほしいと思った。私たち親子は時間をかけて、自分自身と向き合ってきた。</div><div>その中で、自分の好きな事も見つけた。</div><div>自分を少しずつ発見していったのだ。</div><div>カラオケが大好きだったから、始めたボイストレーニングは、初めて長く続けられた習い事だった。</div><div>そうして、自分が心からの好きを見つけていった。</div><div><br></div><div>私は、やっと自分から学校へ行きたいと思い始めていた。働きながら、23歳の時に夜間高校へ通った。そして、そこで自分より歳下の友人達が家庭での問題を抱えながら必死に生きている姿に出会った。私は、クラスのかーちゃん的存在になっていた。辛い時はとことん、寄り添った。私は、初めて自分が受けた事や逃げてきた事、歩んできた道が強みになった。傷ついている心への寄り添い方を自分が傷ついた分、知っていたからだ。</div><div>そして、私はその中で夢を持った。</div><div>幼稚園のボランティアを10代の頃していた時、私はフィリピンの児童福祉施設に行った事があった。そこで、言葉は通じなくても、心を通わせた体験が以前にもあったのだ。</div><div>この頃、心の中の目標にした人は、マザーテレサだった。<em><b style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。だれからも自分は必要とされていない、と感じることです。</b></em></div><div>この言葉が、10代の私の心にささって、忘れられなかった。</div><div><br></div><div><br></div><div>私は、自分にとっての弱みが強さになる、児童福祉の世界で働きたいと願った。<br></div><div>県内の児童福祉施設に片っ端から、アルバイトを申し出たが、どこも話しも聞いてもらえなかった。</div><div>最低でも保育士が必要といわれた。私は、福祉系の大学に行くことにした。</div><div>ただそれには、全く学力が足りなかった。勉強に力を入れるために定時制に切り替えて、学業に専念しようと思った。が、勉強の仕方すらよく分からなかった。</div><div>でも、ここからは天のお助けとしか思えないエピソードがある。</div><div><br></div><div>学校からの推薦枠を争うため、学力テストがあった。その日、私は日程を間違えてしまったのだ。結局、推薦枠を取れなかった。（きっと、私は全力でやってもとれなかったとおもう。）</div><div>落ち込んでいる矢先、希望の大学の入試方法に社会人枠がある事をみつけた。</div><div>レポートと面接、私はこれにはペーパーテストより、自信があった。</div><div>高校の先生に、すぐに報告して、レポートの書き方を学んだ。</div><div>そして、奇跡的に福祉系大学に社会人枠で入学する事が出来たのだ。また、以前は断られた児童福祉施設でのアルバイトも、大学に入学できたことを伝えると、雇ってもらえることになったのだった。</div><div><br></div><div>学業の傍ら、土日と長い休みには泊まり込みで児童福祉施設へ通った。</div><div><br></div><div>私はそこで、試し行動という言葉を大学で学び、また、体験として子ども達から学んだ。</div><div><br></div><div>私は、必死で子ども達と向き合った。</div><div>虐待を受けてきた子ども達の、この大人を信じられるのか？！のテストはかなり長い間続いた。必死で向き合い続けた時間だった。</div><div><br></div><div>大学4年間をかけて、少しずつ子どもたちが成長して、変化してくれてきたことを私は感じていた。もちろん、私の接した時間なんて生活を共にする先生に比べればちっぽけであった。だが、私は傷ついた体験が強みだったのだ。問題行動のうらに、どんな切ない思いが隠されているかつたわってきたからだ。卒業時、施設の主任の先生が私に言葉にして子ども達の変化と感謝を述べて頂いて、胸がいっぱいになった。</div><div>私は、その子ども達をこれならもみていたいとおもった。主任の先生もすすめてくれた。だが、反面、その4年間すごく辛かったのは先生達との関係だった。優しい先生方もいたが、私より年齢が若く、私が遊んでいた子ども達を担当していた先生にとって、疎ましいこともあったのだと思う。</div><div>その、先生達との関係性を思うと、長い夏休みにはパニック障害を起こしたりしていた。</div><div>私は、やっぱり人一倍繊細で面倒臭い自分を抱えながら生きていた。</div><div><br></div><div>恋愛面ではなかなかやらかしていた。定時制の高校の時付き合った男性にも、あれほど人との距離を保とうと決めていたのに初めて男性に依存してしまっていた。大学1年の時に、相手を思いやれない行動が続き、仕事でいじめを受けていた彼は私にはそれを言い出せず、追い詰まり、別れが来た。その後はしばらくクソビッチをやっていた。</div><div>結婚はもう、しないつもりだった。</div><div>負の連鎖を断ち切りたかったのだ。</div><div>母に変わって欲しいと願い続けていたこの頃は、母との関係も辛いものになっていた。</div><div><br></div><div>きっと、大学で虐待や心理学を学ぶうちに、自分の状態を知り、施設で子ども達と向き合う中で、母に対して、どうして？という気持ちが出てきていたのだと思う。</div><div><br></div><div><br></div><div>そして、私は今の旦那さんと出会う。</div><div><br></div><div><br></div><div>大学の友人が好きな人が、社会人だった。その人にあってほしいと言われ、その友人（先輩）も連れて来るという話だった。友人同士はくっつかなかったが、私たちがくっついた。先輩という話だったが、私の４つ下だった。</div><div>初めて、こんなに人を好きになった。</div><div>私は、たぶんずっと自信も無く、自分もなかった。でも、この数年で私は自分の夢を持ち、自分という存在にとことん向き合ったのだろう。</div><div>私は、自分を少しずつ愛し始めていたのかもしれない。心から人を愛せたのだった。</div><div><br></div><div>でも、そう甘くない。</div><div><br></div><div>私は、彼に対して全力で向き合おうとした。そして、私の依存する所も隠さなかった。全てを話した。今までのことも、今の自分のことも。</div><div>彼は、全て曝け出した私を知っても、全く今までの人とは違った。</div><div>私に、「今まで生きてくれて、ありがとう。」と言った。</div><div>私は涙が止まらなかった。</div><div>私は、母にずっとそう言って欲しかったんだ。</div><div>彼は、私をまるごと受け入れてくれた。</div><div><br></div><div>私ははじめて、自分の最低な部分として隠してきた所も全てが私で、その私丸ごと愛されている感覚を覚えた。</div><div><br></div><div>私は結婚も子どもも、私の人生にはないと思っていた時だった。</div><div><br></div><div>でも、大学を卒業する頃には、私の中で彼との結婚、家庭を持つことが夢になっていた。</div><div><br></div><div>そして現在に続く</div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/hm081600/entry-12626222402.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Sep 2020 06:05:36 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>振り返ってみよう。私のこと⑤</title>
<description>
<![CDATA[ 私はA子と親友と呼び合う仲になっていた。<div>外に出る事が楽しくなっていた。同じ学校の人や友達の親に会う事が、とても怖かったが、それでも外に出たい気持ちがまさった。</div><div>お互いの家に呼び合う仲という表現をしたが、実際は自分の部屋もないボロアパートに呼びたくもなく、父親にも会わせたくなかったので、私の家に泊まりの番の時は、母方の祖母の家を借りてお泊まり会をしていた。</div><div>だが、私は感じとってしまった。祖母や叔母（母の妹）が、私の親友を偏見の目で見ているのを。</div><div>表現が幼いA子を、表面はもてなしてくれたが、押し殺したA子に対する否定的な感情を感じて、すごく恥ずかしいような上手く表せない感じがした。</div><div>その頃の私の自信は、容姿を褒められる事だった。私はどこかA子を見下すようになった。</div><div>失礼な態度を取る反面、どんな時もA子と居たかった。私の中で独占欲がおおきくなっていった。</div><div>しばらくしてA子から、最近私といるのが辛い。もう、一緒に遊びたくないと言われた。</div><div><br></div><div>その時、どれだけ自分がA子を好きか、必要としてたか、依存していたか気付いた。</div><div>出会って2年、もう、A子とは会えないとその時は思った。</div><div><br></div><div>この後、もう友達は出来ないと思っていた。</div><div>が、しばらくして出席日数になる、フリースクールに通い始めてB子と出会った。また、すごく、仲良くなっていた。</div><div>B子はおしゃれが好きで、ビジュアルバンドが好きだった。私もみるみるハマっていき、バイトをしてはライブに行ったり、プリクラを撮ったり、カラオケに行ったりして楽しい時間を過ごした。</div><div>でも、結局また繰り返した。</div><div>相手に依存しているのに、大切に思えなくなった。</div><div>そして、B子も離れていった。B子も優しい子だった。私には、離れたいと言えず、体を壊してしまった。B子の親からもう会えないと連絡がきた。</div><div><br></div><div>私は、小学校の頃の親友に始まり、不登校になって出来た大切な友人を2人もなくしてしまった。</div><div>私は空っぽだった。</div><div>自分らしさが分からなくて、もがいていく中で、私は他人の目ばかりを気にしていた。人からどう見えるか、友達と楽しそうに見える事を意識していた。</div><div>でも、私はA子の事も、B子の事も大切に出来なかった。</div><div>私は、自分の事を大っ嫌いだった。</div><div>もう、死にたかった。</div><div>空っぽの自分が不甲斐なくて、情けなくて、1人になって、どうしていいかわからなかった。</div><div>その時、久しぶりにA子から連絡をもらった。</div><div>私は、もう二度と会ってもらえないと思っていたから、本当に嬉しかった。</div><div>そして、今度は絶対に心の距離を保つ事を自分に誓った。</div><div>同時に、私はもう、誰にも依存したくないと思った。</div><div>そして、私は外に出る事で忘れていた自分自身のトラウマに向き合うことになる。</div><div>母との関係は、親の会に行って学んでくれていることによって、大きく変わっていた。</div><div>でも、私は母はずっと正しいと思っていた。</div><div>私が不登校になってしまって、母を困らせている罪悪感をずっと抱えていた。</div><div>でも、本当は、私は怒っていたのだ。</div><div><br></div><div>私という存在に、そのままである事が悪だと言い続けた事に。</div><div><br></div><div>父は、思春期に入った私と距離を置くようになっていた。だが、酒癖は相変わらずで、酒を飲んで帰っては大きな声を出して、私はまだ怯える夜があった。</div><div><br></div><div>私の中に怒りがあった。</div><div><br></div><div>父への怒りは、死んでほしいと望むほどだった。</div><div><br></div><div><br></div><div>しばらくして、私の後を追うように弟も不登校になった。</div><div><br></div><div><br></div><div>私は、確信した。</div><div>不登校が問題じゃない。</div><div><br></div><div>私の家族はおかしい。</div><div><br></div><div>私は壊れている。誰も大切に出来ないのは、私は私が大っ嫌いだからだと。</div><div><br></div><div>そして、弟を壊したのは、私でもある。</div><div>私は被害者であると同時に、加害者でもあった。</div><div><br></div><div><br></div><div>私はA子を、B子を大切に思えなかった。</div><div>私は自分が全く価値のない人間だと思ってきた。</div><div>自分の事を大切にしてこなかった。</div><div><br></div><div>自分を愛せないと人を愛せないという。詩の一節や、エッセイの中で耳にしていたが、初めて自分で痛感した。</div><div><br></div><div>生きていてごめんなさい。</div><div>こんな価値のない私にありがとう。</div><div>これが私の基本にあった。</div><div><br></div><div><br></div><div>私＝価値がない</div><div>私を好きな人＝価値がない</div><div><br></div><div>人からどう見られるかを人一倍気にしていた。</div><div><br></div><div>私が私をどう見ているか考えたことがなかった。</div><div><br></div><div>私の問題は不登校ではなかった。</div><div>家族の問題を抱えて、基本の自分がないままに友人を作ったり、人間関係を築けるはずがなかったんだ。</div><div><br></div><div><br></div><div>私の人生の転機である、大学教授との出会い。</div><div>この恩師の言葉がこの時、本当に自分に響いてきた。</div><div>先生は、「あなたの気持ちを言ってごらん。」といつも言った。私はよく分からなかった。でも、私が長々と母の気持ちを考えながら話した言葉から、数少ない私の気持ちをみつけだし、「ここがあなたの気持ちなんだね。」と、伝えてくれた。</div><div>そして、母に伝えてくれた。お子さんが自分の気持ちを言ってくれた時、全力で受け止めてください。そして、お父さんとの間に入って、お子さんの気持ちをちゃんと伝えてあげて下さいと言ってくれていたのだ。</div><div>その頃の私の本心は、不登校で悪いのは私なのに、何を言われているか分からなかった。</div><div><br></div><div>でも、数年経った今、やっと私は自分の本当の気持ちを見つけた。</div><div><br></div><div><br></div><div>私は大きな声で泣いた。</div><div>母は、逃げずに聴いてくれた。</div><div>私は、ずっと辛かったことをやっと自覚した。</div><div><br></div><div><br></div><div>私がやっと自分の気持ちに気づいた時には、不登校から数年経ち、成人を迎えようとしていた。</div><div><br></div><div><br></div><div>成人期へと続く</div><div><br></div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/hm081600/entry-12626157336.html</link>
<pubDate>Sat, 19 Sep 2020 14:00:55 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>振り返ってみよう。私のこと④</title>
<description>
<![CDATA[ 私はどんなに母に学校に行くように言われても、もう動けなかった。<div>中学校1年の終わりに、私は完全な不登校になった。</div><div>大きな原因はその時の私には分からなかった。ただ、もう誰とも関われなかったし、自分を完全に見失っていた。</div><div>何をしたいか、何が好きか、全てを周りに合わせて、嫌われないように努力し続ける事が、もう出来なくなっていた。</div><div>父も母も怒りをあらわにしたし、私の人生が終わるかのように思っているのが分かった。</div><div>でも、もう一歩も歩けなかった。</div><div>母は私を近くの牧師のもとに連れて行った。</div><div>そこで私は、学校に行かない事を初めて否定されなかった。牧師さんは、知り合いに不登校と積極的に向き合う大学教授でありカウンセラーをされている先生を紹介してくれた。</div><div>その帰り、久しぶりに否定的ではない母が隣にいてくれた。</div><div><br></div><div>後日、この大学教授との出会いが私の人生の転機になる。</div><div>私は、先生と2人きりになり、何でも話していいと言われた。お母さんと一緒のことじゃなくて、自分がどうしたいか、言っていいと言われた。</div><div>母と違う意見を言っていいなんて思った事もなかったし、母を悪くいう気持ちは微塵もなかった。母はいつも隣にいて、私の意見を代弁しようとしたし、それが当たり前だと思っていた。</div><div>自分の意見と言われた時、なんだか頭が真っ白になって、何とか言葉を伝えなくてはと考えた。しばらく言葉を探りながら、今、どれが本当の自分なのか分からないと先生に拙い言葉で伝えたのだけを覚えている。</div><div>先生が伝えてくれたのは、人は一面だけじゃなくてどのあなたも全部あなたなのだと教えてくれた。</div><div>私は帰り道、なんだかよく分からない安堵感と希望のようなものが心にあることに気付いた。</div><div>それは、隣にいる母も同様だった。母の目に、久しぶりに私がうつっていた。</div><div>それから、父親を取り残したように母だけは不登校の親の会に参加するなどして、私を理解しようとしてくれる様になったのだ。</div><div>私は、フリースクールの様な、出席にはならないが不登校児の居場所と呼ばれる場に出向くことにした。</div><div><br></div><div>繁華街の近くで、なんだかわくわくした。でも、ドアを開けた時、正直な感想は、負け組になってしまった様な感覚だった。</div><div>いつの間にか、偏見だらけの見方をする様になっていた私は、学校だったら見た目やしゃべりかたで、いじめを受けるだろう子達の集まりに思えたからだ。<span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">その頃の私は、人の目を人一倍気にする様になってしまっていた。</span></div><div>（今は、本当に失礼な話だと思う。その中で、生涯友人でありたいA子とも出会えるのだから。）</div><div><br></div><div><br></div><div>当初抵抗があった思いも、毎週、決まった曜日に開けてあるその空間に行くうちに、次第に楽しみになっていった。<br></div><div>A子と頻繁に遊ぶ様になった。近くの繁華街に出て遊んだり、色んな話をして過ごした。何より、学校に行っていない仲間がいる事が心強かった。</div><div>なんだか負け組の集まりの様に感じていた場所が、いつの間にか大切な居場所になっていった。</div><div>そこには、不登校の子を持つ親達がボランティアで何人かいたのだが、大人に対してだけはどうしてもいい子スイッチが入ってしまっていたが、まわりの子どもたちの自然体な接し方を真似する様にしていた。</div><div>なんだか上手く回り出した様に思える日々だった。友人のA子とは、他の曜日も会う様になり、お互いの家にも招くようになった。</div><div><br></div><div>でも、、、私はどこか壊れていたんだ。</div><div>思い出したくない、人間関係。</div><div>逃げてばかりの己と向き合うことになる。</div><div><br></div><div>続く</div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/hm081600/entry-12625936109.html</link>
<pubDate>Fri, 18 Sep 2020 15:07:14 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>振り返ってみよう。私のこと③</title>
<description>
<![CDATA[ 父との関係で遡っておきたいのは、幼少期にお祭りの夜店でみた、おままごとの世界が忘れられなくて、もう一度行きたいと泣いた時、思いっきりお尻を打たれて以降、心の距離が出来ていた。<p></p><div>といっても、やはり父親として好きだった。</div><div>青い階段の家に来るまでは。</div><div><br></div><div><br></div><div>小学校3年で引っ越してきたボロアパートは2階建てで、下には私と同じくらいの子どもを持つ家庭が住んでいた。</div><div><br></div><div>その頃の私には、まだ正義感が健在で、いつも子分のようにされている女の子がクラスにいた。その子を何度もかばううちに、仲良くなり、お互いに親友と呼ぶようになっていた。</div><div><br></div><div>しかし、以前と変わってきていたのは、両親の姿だった。私とは目が合わないようになった母と、仕事で全く家に帰らない父が、たまに酒に酔って帰ってくると、体が強張るようになっていった。</div><div>父の飲み友達も怖かった。</div><div>大きな声で笑い、ガサツに話しかけてくる。時には揉み合いになり、ガラスを割って帰ったりもした。</div><div>なんだか父はいつも殺気だっていた。</div><div>父と母が争う声が毎日少しずつ増えていった。</div><div>ふすま一枚隔てても丸聞こえな大きな怒鳴り合い。</div><div>怯える弟を両手に抱くように耐えたのを覚えている。</div><div>私は、比較的に片付けが得意だ。そのルーツは、この時にある。</div><div>母はてんで片付けが苦手だった。争いの多くは家が汚い事だった。</div><div>父が急に友人を連れてくるとなると、母は決まってヒステリーとパニックを起こした。私は母をなだめるように、すぐに片付けをした。その時の片付けは、そこらじゅうの引き出しに物という物を突っ込みまくるだけだったが、母が安堵の表情を浮かべるのが誇らしかった。</div><div><br></div><div>その頃、私が母に言われ続けていたのは、学歴が何より大事だという事だ。頭のいい高校に行かないと、人生終わりだと言われ続けていた。そして、変わらず大人には気に入られる事が大事だといった。</div><div>私の住む、田舎町からバスで30分程行くと、都心に着いた。そこで私は、英会話を習っていた。学校帰りにそのまま英語教室へ行き、帰りは母が迎えにきてくれていた。</div><div>その迎えの電話をした時、母に「汚い言葉！ママ大っ嫌い！そんな言葉使って！◯◯◯お姉ちゃんみたい！（母が当時大っ嫌いな精神疾患の叔母）」</div><div>私は頭を殴られた様な衝撃を覚えた。そして、ゆっくり悲しみが心を覆っていくのを感じた。</div><div>母がどれだけ叔母を嫌っているか、知っているだけにダメージがでかかった。</div><div>疲れた体で英語の時間を終え、母の声を聞きたかったのに、私はしばらく自分が何を否定されているのか分からなかった。ぐるぐるする頭で必死に出した答えは、私の吐き出す言葉が母を不快にさせた事だ。ごめんなさいと、電話越しに伝えた。</div><div>なんだか、恥ずかしさで一杯になった。</div><div><br></div><div>この頃から、妄想の中に逃げるようになった。大きなお屋敷に住んでいて、優しい両親のもと、幸せな日々を過ごす自分を思い描くたびに幸せになれた。そして、同時に私は嘘をつき始めた。きっかけは、英語教室の友達に、どんな家に住んでいるのか尋ねられた事からだった。今思えば、笑ってしまうが、「私の家、シャワーがついてるの。」と、ドヤ顔で言い放った。当時には珍しい、ガス式のおんぼろ風呂で、シャワーは憧れであったのだ。</div><div>後に、その子が行っている教会に私の小学校の同級生がおり、おんぼろアパートに住んでると嘘が暴かれてしまうのだが、相手の子も、私と同様に話を膨らませていたらしく、お互いに嘘をついていた事がバレたのだった。恥ずかしい話だ。</div><div><br></div><div>私はどんどん自分に自信がなくなっていった。</div><div>ごめんなさいの数が増えていった。</div><div>母に毎日のように怒られるようになった。</div><div>私は、私が悪いんだと必死で謝った。寒空に1人だけ外に出されるのは、とても怖かった。青い階段の上から見下ろす景色を今でも覚えている。暗い道を隔てた雑木林から、何か恐ろしい物がこちらを見ている想像をやめきれず、パニックに陥る事もあった。中に入れて欲しいと懇願し謝り続けた。<span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">暗い寒空に部屋を覗くと、丁度母が火曜サスペンス劇場を見ているのがみえた。私の声など届かないような、私がいない空間がとても心地良さそうにうつった。</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">３つ違いの弟が、たまに私を心配して玄関口の新聞入れから覗きにきた。</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">母が弟を連れ戻しきたが、「なんでねえちゃんばっかり！」と歯向かい、時には一緒に出されてしまった。</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">私にとって弟は、ケンカもするが、心強い味方だったのだ。</span></div><div>当時の私は何故怒られているのか分からなかった。とにかく私は悪い子で、何か母を苛立たせるのだと感じていた。</div><div><br></div><div>私は自分の中で何かが壊れていくのを感じていた。</div><div>私が親友を家に連れていくと、笑顔でむかえてくれたが、裏でこっそりと親友の見た目や癖を罵った。</div><div>私は、まるで自分が言われている様に恥ずかしさを感じた。</div><div>そして、私は気づけば気の弱いその親友を</div><div>自分がいじめるようになっていた・・。</div><div>いじめている実感はなかった。でも、嫌なことをしても離れないか試していたのか、人格が入れ違っている様な演技をして、1人の私が思い付く限りのひどい事をして、もう1人の親友の私が助ける、そんな内容の事を繰り返したのだ。</div><div>それが、その子を追い詰めた事を知ったのが、帰り道、その子の母親がきて、「◯◯ちゃんとは、もう、関わらないで。」と言われた事だ。当時の私は、その時はじめて◯◯ちゃんが私を負担に感じ、嫌っている事を知ったのだ。</div><div>私は、その子の事を大好きだった。だから、必死にもう一度仲良くなろうとしたが、周りの友達からもう、◯◯ちゃんに付き纏わないであげて！と言われた。丁度クラス替えの頃に私は、初めてできた親友をなくした。</div><div>（◯◯ちゃん、謝っても消えないけれど、あの時は本当にごめんなさい。）<br></div><div><br></div><div><br></div><div>そして、私は家でも学校でも追い詰まって行った。次のクラスで居場所を作るのに必死だった。丁度その頃、ギャングエイジと呼ばれる年頃で子どもたちが集団化して、私のクラスは良くない傾向に進んでいった。家庭に問題のある子どもが集まったのか、男子もいじめっこばかりで、集団になって新人の先生を泣かしにかかったりした。</div><div>学校は私にとって、苦痛な場所になっていった。</div><div>そして、その頃の私には色んな話を聞いてほしい母はもういなかった。</div><div><br></div><div>学校も辛かったが、家に帰る青い階段を登る足取りが重く、苦しく感じた。</div><div><br></div><div>毎日のように怒られて、父は帰ったと思えば呑んできて、大きな声で怒鳴ったり、母と言い争った。</div><div>日中、たまに酒の入らない父がいても、イライラしているのが伝わってきた。もとから血の気の多いひとだったし、何かにつけて舌打ちしたり、ため息をつくので、父がいる日はいつ暴れ出すかと、いつもびくびくしていた。</div><div>私はその頃、クラスの中心人物と仲良くなることに必死だった。その子といれば、なんだかちっぽけな自分が良くなった様に感じていたからだ。</div><div>丁度、父がいる日中、電話が鳴った。</div><div>その頃、イタズラ電話が掛かっていた事があり、父がすぐに電話を取った。私はクラスの中心人物の友達と約束があったので、電話を待っていたのだ。</div><div>父が物凄い剣幕で怒鳴り散らした。父は逆上したら、この世のものとは思えない恐ろしさがあった。</div><div>怒鳴り散らした後に、私に受話器を渡してきた。受話器越しに泣きじゃくる友達の声が聞こえた。私は血の気が引いた。電話を切って、軽くパニックを起こして泣いた私に父は、激しく怒り、目の前のチェストを殴り、穴を開けた。</div><div>私はまた凍りつき、押し黙った。</div><div><br></div><div>その頃の父は、今聞くと、祖父から勘当され、タクシーだけでは生活が回らずに、土方と掛け持ちをしてほとんど睡眠もとらず、酒の場も断らずの生活を送っていた。しかし、その頃の私はそんなことは知らなかった。ただただ、父は恐ろしい化け物に思えていた。</div><div>いつも目が据わっていて、怒りのオーラがつたわってくるようだった。</div><div>ある日は、泥酔状態で母に迎えを頼み、その帰り道、どこかの車に因縁をつけた。止める母に今度は怒り、「みんなで死のう！」と運転する母のハンドルを力任せに奪おうとした。車を止めて母の髪を引っ張り、車のキーを奪おうとしたが、母は必死で逃げた。車に残された私は両腕に弟を抱えて、泣いている2人を必死になだめていた。</div><div><br></div><div>その頃には、母は私に手をあげるようになっていた。</div><div>「何？！その目は！！」と、私に馬乗りになり、私の頬を叩いた。私はどの目が分からなかった。</div><div>私は一重だった。</div><div>今まで、自分の顔を嫌になったことはなかったが、この頃から自分の目がすごく嫌いになっていった。</div><div>怒りがハートアップして、ビール瓶を振りあげられた時は、さすがにもう愛されていないのだと悟った。</div><div>ああ、もう、私になんの感情も沸かないのかもしれないと思った。</div><div>母は当時を振り返り、愛していたのにと言うが、きっとあの頃は母の感情は麻痺していたのだろう。自分の中の傷や嫌いな部分を私に重ねたのか、憎悪しか感じていない母の表情に、私は息が詰まった。鬼の形相で追いかけてきて、子ども部屋に私を閉じ込める、この繰り返しだった。</div><div>私は、2階の窓からふと下を覗き、ここから落ちて死んだら、パパとママは泣いてくれるかな？</div><div>自分たちが間違っていたって、ないてくれるだろうか？そんな想像をして、涙した事があった。</div><div><br></div><div>ある日のこと、いつものように母が私を怒っていた。私はとても悲しかった。涙が止まらなくて、大きな声で泣いた。</div><div>母は、いつも泣き叫ぶ私の声など耳に入らないとおもっていたのに、その日は体裁を気にする母モードになっていたのだろう。いや、常に人の目ばかりを気にしていたが、私に怒りをぶつける時は我をなくしていたのかもしれない。</div><div>私の泣き声が気になり始めた母は黙らせそうと私に馬乗りになり、全力で口を塞いだ。私は苦しさと、悲しい気持ちを鬼の形相ででねじ伏せようとする母に、私に対する愛が微塵をないことを感じとった。私の心はこの時、一度死んだ。</div><div>苦しくて、目を閉じながら、私は暗い井戸の底の様な所に方頬をつける映像を思い浮かべた。</div><div>そして私は気付いたら、ここが人生の底。ここが1番辛い所。そう、自分に言い聞かせていた。</div><div>不思議と泣き声がでなくなった。</div><div>その後も、母から叩かれて、もともと鼻血が出やすい体質で、鼻血が止まらなくって、夜間の病院に駆け込んだこともある。どうしてか尋ねられた時、息を吐く様に自然に転んだからと、医者に話している自分がいた。私の鼻血の量に母が驚きを隠せないのを感じていた。鼻の血管が切れていたらしく、レーザーで焼いてもらい帰った。</div><div><br></div><div>この頃、私は大切な弟に対して、当たるようになっていた。</div><div>当たっていると、自覚はなかった。弟が、ひどく生意気に思えて、ケンカのつもりが気がつくと正気をなくしたように追いかけて、泣いている弟を力任せに殴っていた。それを母に言い付けるのだが、私は嘘八百で弟を悪者をしたてあげた。</div><div>そして、最初の親友にしたように、1人の人格で意地悪をして、もう1人の優しい姉が助けるという流れを遊びと称して何度も繰り返したのだ。</div><div>私は人生でこれを1番後悔している。</div><div>後に弟は、幼少期の記憶をすっぽりと無くしてしまうのだ。</div><div><br></div><div>私が弟の記憶喪失の原因の全てではないことは分かっている。</div><div>父親が泥酔して帰り、怯えて押し入れに隠れる弟を引っ張り出して相撲をとろうと叫んだり、辛かっただろうと感じることはたくさんあった。</div><div>でも、外に出された私を笑わせてくれたのは弟だった。そばにいてくれた、優しい弟を壊してしまったという思いは今でも拭えない。</div><div><br></div><div>私の中でこの頃の思い出は、今でも思い出すのが辛い。</div><div>だけど、どうしても思い出してしまう辛い過去だ。</div><div>何度も親を許そうと思ったし、忘れようとしたが、私の根本に私のままでは生きてはいけない。</div><div>私は愛されない。</div><div>生きていてごめんなさい。</div><div>こんな私にありがとう。</div><div>そんな思いのルーツになってしまった。</div><div>余談だが、友達の親に「ありがとうって言い過ぎだよ。」って言われた事があった。</div><div>でも、ありがとうがダメと言われると、今度は何と言えばいいか分からなかった。</div><div>余計、息苦しく感じてしまった。</div><div>遠慮しなくていいんだよ。の優しい気持ちだったのかもしれないが、私には大人に好かれるための自分を必死に作っていたから、不正解と言われた様で戸惑い、辛くなっただけだった。</div><div><br></div><div><br></div><div>学童期から青年期へと入る。</div><div><br></div><div>中学へ進学する際、丁度「花より男子」が流行っていた。</div><div>主人公のつくしが、「目立たない様に」と当初学園生活をスタートさせる。でも、思い通りにいかず、自分色がスパークして困難を乗り越えながら学園生活を送る物語だったが、私はこの「目立たない様に」がすごく自分に響いていた。</div><div>小学校ではクラスも荒れていたが、私の気持ちも荒れていたのだろう。目には目の精神でぶつかりまくっていたら、私を嫌う人がたくさんいた。</div><div>なので、中学校では大人しく、いい人であり、みんなに好かれようと努力したのだ。</div><div>これはかなり効果があり、「◯◯◯ちゃんって、思ってたのと違って、いい人だね！」なんて言われたりした。幸い、新しいクラスは深く付き合った友達は良くも悪くもいなかったのだ。先生からの評判もよく、特に国語の先生には気に入られた。でも反面、私が小学校の頃に不安定にぶつかってきた友人は腑におちておらず、部活に関しては嫌な思いをさせた友人（クラスの中心人物を取りあった子）が、周りに私の悪評を広め、なんだか居心地が悪かった。</div><div><br></div><div>しばらくして私は不登校になった。</div><div>後に、部活の子たちが自分たちのいじめのせいだと言っていたらしいが、陰口レベルだったので、いじめとも思っていなかった。</div><div>それどころではなく、私はもう、なんの気力もなかった。</div><div>学校に行き続けるパワーが単純になくなってしまったのだ。</div><div>誰にも愛されないちっぽけな私は、不登校になった。</div><div><br></div><div>私の長い長い自分探しと反抗期が始まる。</div><div><br></div><div>青年期へ続く。</div><div><br></div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/hm081600/entry-12625514400.html</link>
<pubDate>Thu, 17 Sep 2020 06:50:22 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>振り返ってみよう。私のこと②</title>
<description>
<![CDATA[ 学童期　前編<div><br></div><div>私はずっと、自分を信じれてきていたのに、小学校に入ったら色んな学校から色んな子がきていて、自分の居場所を感じれなくなった。</div><div>母が教えてきた「いい子」が、重くのしかかってきて、大人に好かれようともしたんだろう。低学年の時の先生からの評判はすこぶる良かった。</div><div>でも、なんだか自分はちっぽけだと感じるようになっていた。楽しそうなクラスの女子を、眺めていた記憶がある。</div><div>3年生に上がった時、すこぶる良かったいい子の私は、サバサバ系の先生に戸惑った。「だから、何が言いたいの？」キツめの問いかけに、なんだか苦しくなったし、答えが分からなくなった。ただ子ども心に、大人にもタイプがあって、好かれるいい子像は一つではないということ。とにかく、この頃の私は大人に好かれていなくては不安だった。</div><div>自宅でも大きな変化があった。</div><div>今まで、祖父母の家に同居していたのだが、私の母が限界になり、同居を解消したのだ。</div><div>タクシーをしていた父の収入だけの生活となり、ボロアパートに移り住んだ。父と母、私、弟の4人での生活が始まった。</div><div>そして、生活が始まって間もなくして9歳違いの弟がもう1人生まれた。</div><div><br></div><div>なぜ、母が限界だったかは当時の私は分からなかった。</div><div>でも、同居していた頃に夜中、目が覚めて母のもとに行くと、舅がゴミ箱が汚いだのなんだのネチネチと母を攻めている姿をみた。子どもながらにとても不愉快だったことは覚えている。</div><div>今思えば、幼い頃は両親の争う姿や、祖父母や叔母との大人の問題を何も知らずに、すくすく育っていたんだと思う。</div><div>家を出た後に、母から聞かされた話は子どもの私にとっては衝撃だった。</div><div>祖父は酒乱で、若い時からDVを繰り返してきたという。酒を飲むと、何かにつけて怒鳴ったり、言いがかりをつけてきたりした。</div><div>家を出た、大きなきっかけは、祖父が酒を飲んで仕事から疲れて帰った父と揉み合いになり、力でかなわなくなった祖父から縁を切ると言い出したのだという。</div><div>また、その頃には叔母は精神疾患を患っていたのだが、母に対する執着が強くなり、小姑として嫌味を言ったり、理解できない妄想の話を聞かせては、母を追い詰めたという。</div><div>唯一、温厚な祖母が、父や母を思いやり、別居を支援してくれたという。</div><div><br></div><div>青い階段のボロアパート、後に何度も悪夢に出てくる場所になっていく。</div><div><br></div><div><br></div><div>学童期　後編へ続く</div><div><br></div><div><br></div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/hm081600/entry-12625257643.html</link>
<pubDate>Wed, 16 Sep 2020 07:23:03 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>振り返ってみよう。私のこと。</title>
<description>
<![CDATA[ <p>今年で37歳、思い出したくない事ばかりの私の人生。</p><p>でも、そんなことばっかじゃなかったかもしれない。</p><p>ここらで、振り返ってみようと思う。</p><p><br></p><p><br></p><p>生誕・幼少期</p><p><br></p><p><br></p><p>私は海と山に囲まれたど田舎で生まれた。</p><p>父方の祖父母と、叔母、父と母のもと、オギャーと生まれた（知らんけど）。</p><p>あ、でもへその緒が絡まってて一瞬泣かんかったという話を聞いたような気もする。</p><p><br></p><p>私は、物心ついた時の記憶は可愛い物が大好きだった。鏡の前で色んなポーズをとった、こっぱずかしい記憶が鮮明にある。現に、2、3歳の時にぶりっこポーズで撮った写真もちらほら。</p><p>しっかし、活発な子だったらしい。亥年らしく、お友達をみると、相手がひくくらいアプローチしたり、生命パワーに溢れた子だったらしい。</p><p><br></p><p>母は、こりゃ女の子なのに大変だ！と焦ったという。母は女三姉妹で、めちゃくちゃいい子になれ！と育てられたから、そりゃ私の生命パワーに慌てたらしい。</p><p>◯◯◯ちゃん、◯◯◯ちゃん、と何度も私の名前を呼んで、叱責する様子がホームビデオにも写っている。</p><p>でも、反面、小さい頃の私は母が言うには猫が旅をする映画をみて、号泣したり、母が自分の父親の死に直面した時などは涙を一緒に流したりするなど、感受性が豊かな子であったらしい。</p><p><br></p><p>私は、気付けば「いい子にしてね。」「女の子らしくね。」と言われまくっていた。</p><p>3歳違いの弟が生まれてからは、「お姉ちゃん」という肩書ができた。</p><p>「お姉ちゃんでしょ。」「お姉ちゃんなんだから。」そんな言葉ばかりを聞かされた。</p><p><br></p><p>一生懸命作った、松ぼっくりのネックレスを持って帰ると、母が</p><p>「そんなの家に入れないでよ！」と言われて悲しかった。</p><p>が、そのあとすぐに謝ってくれたから、すぐに機嫌をなおしたのを覚えている。</p><p><br></p><p>その頃の私は、母の言葉に悲しくなることもあったが、全力で母を信じきれていた。</p><p>きっと、私の記憶がない生まれたばかりの頃に愛された記憶が頭が覚えてなくても心が知っていたんだと思う。</p><p><br></p><p>幼稚園に行き始めた。母と離れるのが辛くて、ロッカーの影に隠れて泣いていた。その時、思い出したのは満面の笑顔の母親だった。</p><p>きっと、笑顔を向けてくれていたんだと思う。</p><p><br></p><p>幼稚園での私は、自分のことをすごく信じている子どもだった。</p><p>◯◯ちゃんの方が絵が上手い！と言われようと、私の方が上手だよ。って、心の中で信じていたから、そこまで悲しくなかった。先生にみんな群がってたけど、特別先生と仲良くしようとも思わなかった。</p><p>でも、友達がシールをいじめっ子にとられそうになっているところに、ヒーローっぽく登場したり、無駄に正義感だけは強かった。</p><p><br></p><p>ただ、幼稚園の年長さんになる頃、お気に入りの髪型を母に披露した時、「そんな田舎娘みたいな変な髪型、ママ大っ嫌い！」って言われたことと、好きな子のこと、「◯◯◯ちゃんは、面食いじゃないんだね。かっこいいお顔じゃないね。」って言われた事が、すごく悲しくて今でも残っている。</p><p><br></p><p><br></p><p>幼少期編はこんな感じ。</p><p>学童期編につづく</p><p><br></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/hm081600/entry-12625160299.html</link>
<pubDate>Tue, 15 Sep 2020 20:11:56 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
