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<title>大江戸散策徒然噺</title>
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<description>大都市の中のお江戸の名残りを紹介します。江戸時代２６０年にまつわる日本全国の歴史散策をお楽しみください。</description>
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<title>潮風香る景勝の地・大磯宿から相模の神々が坐する二宮そして国府津へ（其の参）～大磯名物の松並木～</title>
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<![CDATA[ <p>統監道（とうかんみち）を辿ると、大磯中学校前信号の先にある横断歩道橋の袂にでてきます。そのまま国道一号線に沿って右側を進んでいいのですが、大磯名物の松並木の風情を間近に感じるためには左側を進むべきでしょう。というのは旧東海道の本来の道筋は西へ向かう下り車線側なのです。</p><br><p>若干の足の疲れを感じながら歩道橋の階段を上り橋上にでると、下り車線側に沿って見事な松並木が目に飛び込んできます。</p><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/16/hmazda/b3/f7/j/o0342022712346241737.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/16/hmazda/b3/f7/j/t02200146_0342022712346241737.jpg"></a> 歩道橋上から見る松並木<br></p><br><p>橋上からは松並木が延々と続いているようにみえるのですが、およそ300ｍに渡って街道らしさを味わえる道筋のようです。</p><br><p>松並木が始まる場所の左側には大磯中学校の長い塀が続いています。この大磯中学校の敷地はかつて第3代・9代の内閣総理大臣を務めた山県有朋の別荘「小淘庵 ( おゆるぎあん )」があった場所です。</p><br><p>中学校の塀が始まる辺りからこれまでの街道巡りの中で初めて見るような大きな幹回りの松ノ木が現れます。樹齢300年以上と言われる大木で、幹の直径がなんと１ｍ超えという古木です。</p><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/16/hmazda/1a/97/j/o0342022712346245567.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/16/hmazda/1a/97/j/t02200146_0342022712346245567.jpg"></a> 東海道の歴史を物語る松の年輪</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/16/hmazda/22/b4/j/o0342022712346241739.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/16/hmazda/22/b4/j/t02200146_0342022712346241739.jpg"></a> 松並木<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/16/hmazda/72/d3/j/o0342022712346241738.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/16/hmazda/72/d3/j/t02200146_0342022712346241738.jpg"></a> 街道の松<br><br>その昔、街道を旅する人たちは相模湾の潮風を袂に、キラキラと輝く海原と遥か彼方に見える島影を眺めながら小田原への旅路を急いでいたと思うと感慨深いものがあります。</p><br><p>そして海風で幹が傾き、さらに幹がグニュ～と曲がった「そなれの松（磯馴松)」が1本立っています。</p><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/16/hmazda/84/a6/j/o0342022712346245568.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/16/hmazda/84/a6/j/t02200146_0342022712346245568.jpg"></a> そなれの松（磯馴松)<br><br>この「そなれの松」は江戸時代の文久2年（1862）に市村座で初演された『白浪五人男』の一人である南郷力丸（なんごうりきまる）の「渡り科白」の中で鎌倉から大磯に至る湘南の地名の一つとして出てきます。<br>その一説は「さてどんじりに控えしは、潮風荒き小ゆるぎの磯馴(そなれ)の松の曲りなり……」です。</p><br><p>さらにこの科白の中の「小ゆるぎ」の「ゆるぎ」とは波の動揺を表す言葉ですが、かつて現在の大磯町と二宮町は相模国余綾郡（ゆるぎぐん）と呼ばれていました。そして今でも大磯から国府津あたりまでの海浜一帯を「こゆるぎの浜」と呼んでいます。</p><br><p>「こゆるぎ」とは何とも響きのいい名前です。広々とした相模湾のゆったりとした波間と波頭を照らす陽射しがキラキラと揺れるさまは「こゆるぎ」の名にふさわしいものです。</p><br><p>大磯中学校が途切れると次のブロックには古河電工の大磯荘の入口が現れます。ここはかつて旧陸奥宗光邸と旧大隈重信邸を併せた敷地で、二人の邸宅を旧古河財閥の古河市兵衛が買い取ったものです。</p><br><p>古河電工の大磯荘の長い塀沿いの松並木を歩くと、次に大磯プレイスと呼ばれるリゾートマンションが現れます。ここは旧佐賀藩主である鍋島直大（なおひろ）の邸宅があった場所です。</p><p>そして大磯プレイスを過ぎると左手に大きく開けたスペースが現れ、今は何も使われていない建物がど～んと構えています。<br></p><p>ここが大磯で最も有名な邸宅である伊藤博文公の滄浪閣があった場所です。歩道に面して「滄浪閣跡」の石柱が置かれていますが、かつての建物は今はなく、この場所は昭和26年（1951）に西武鉄道に売却され、1954年には大磯プリンスホテルの別館となり、2007年まで西武グループとして営業を続けてきました。その後、当施設は売却されることが決定され、大手建設会社が交渉権を得ることになりました。</p><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/13/hmazda/36/33/j/o0342022712346018815.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/13/hmazda/36/33/j/t02200146_0342022712346018815.jpg"></a> 滄浪閣跡碑</p><p><br>しかし歴史的建造物として大磯町が25億円で買収計画を立てましたが、建設会社の提示価格と大きな開きがあることから大磯町は買収を断念しています。今後は新たな所有者に保存を要望することとなりますが、荒れ果てた滄浪閣は何も語らず寂しそうに佇んでいます。</p><br><p>旧滄浪閣の次のブロックにはなにやら由緒ありそうではあるのですが、誰にも使われず廃墟のような雰囲気を漂わす洋館が一つ建っています。この場所がかつて西園寺公望の別邸があった場所です。</p><br><p>さきほどの旧滄浪閣と旧西園寺公望の別邸の境目に細い路地が海岸へ向かって180ｍほど伸びています。舗装もされない海岸へと延びる道なのですが、路地からは滄浪閣と西園寺公望邸の荒れ果てた敷地を垣間見ることができます。</p><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/16/hmazda/05/37/j/o0342022712346251217.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/16/hmazda/05/37/j/t02200146_0342022712346251217.jpg"></a> 大磯こゆるぎ緑地<br><br>路地を進むうちに、ふいに前方が開け美しい相模湾が目の前に現れます。これまでの道中で初めて出会う海原です。実は路地を進むと現れるのが「大磯こゆるぎ緑地」と呼ばれる海岸を見下ろす高台の遊歩道だったのです。</p><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/16/hmazda/e5/3b/j/o0342022712346251218.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/16/hmazda/e5/3b/j/t02200146_0342022712346251218.jpg"></a> 大磯こゆるぎ緑地</p><br><p>緑地といっても松の木がたくさん植えられているわけではないのですが、晴れているときはなだらかに湾曲する湘南の浜と沖合には大島をはじめ伊豆七島の島影、そして右へ目を移すと伊豆半島のシルエットがまるで絵葉書を見ているような美しさで眼前に展開します。</p><br><p>わずか120ｍほどの遊歩道ですが、後ろ髪を引かれる思いで本来の旧街道へと戻ることにしました。</p><p>旧街道に戻るとあの美しい松並木も途切れてしまいました。</p><br><p>其の四へつづく</p><br><p><a href="http://www12.plala.or.jp/OEDO/"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/06/5e/j/t01560042_0156004212335565430.jpg" target="_blank"></a> </p>
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<pubDate>Tue, 25 Dec 2012 16:07:20 +0900</pubDate>
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<title>潮風香る景勝の地・大磯宿から相模の神々が坐する二宮そして国府津へ（其の弐）</title>
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<![CDATA[ <p>ご存知のようにここ大磯は明治政界の奥座敷と呼ばれるほど多くの名だたる政治家が本宅や別荘を建てて移り住んだ場所なのです。</p><br><p>そもそも大磯が注目されるきっかけとなるのは、明治18年(1885)に松本順が大磯海水浴場を開設したことに始まります。そして松本順の人脈から風光明媚な大磯に別荘を持つことがトレンドとなり、当時華族に列せられた旧公家や旧大名、財閥そして明治政府高級官僚の間に大磯に別荘を持つことが一つのステータスとなっていたようです。この明治18年を機に第一次の別荘建設時期が始まります。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/13/hmazda/36/33/j/o0342022712346018815.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/13/hmazda/36/33/j/t02200146_0342022712346018815.jpg"></a> 伊藤博文邸「滄浪閣」跡<br></p><br><p>その先駆けとして明治20年には第3代・9代の内閣総理大臣を務めた山県有朋が別荘「小淘庵 ( おゆるぎあん )」を建設、その後、林 董 ( 外務大臣、松本順実弟 )、 後藤象二郎 ( 逓信大臣、農商務大臣 )、浅野総一郎 ( 浅野財閥 )、大倉喜八郎 ( 大倉財閥 )、樺山資紀 ( 海軍大将、白洲正子の祖父 )、岩崎弥之助 ( 三菱財閥 2 代目 )、山内豊景 ( 旧土佐藩主家当主 )、徳川義禮 ( 旧尾張藩主家当主 )、ジョサイア・コンドル ( 建築家 ) といった錚々たる人物たちがここ大磯に別荘を建設していったのです。</p><br><p>さらに別荘建設ラッシュは明治27年から30年代にかけてつづきますが、この期間に明治の政界を彩った政治家たちの別荘建設が集中します。</p><br><p>ちなみに明治27年 陸奥宗光 ( 外務大臣 ) 、明治29年 伊藤博文：滄浪閣(初代、第5・7・10代内閣総理大臣)、原敬 ( 第19代内閣総理大臣 )、鍋島直弘 ( 旧佐賀藩主家当主 )、明治30年 大隈重信(第8・17代内閣総理大臣) 、明治31年 三井高棟 ( 三井財閥 ) の城山荘 、明治32年 西園寺公望（第12・14代内閣総理大臣）の隣荘(伊藤博文の滄浪閣の隣に建築されたことより「隣荘」)、尾上菊五郎 ( 歌舞伎役者 )、明治34年 古河市兵衛 ( 古河財閥 ) 、明治35年 加藤高明 ( 第24代内閣総理大臣 ) 、明治39年 三井守之助 ( 三井財閥 )、真田幸正 ( 旧松代藩主家当主 )とまさに当時の日本の政治、経済がここ大磯で決定されていたのではないかと思われるような様相を呈しています。</p><br><p>そして明治後期から大正以降になるとさらに別荘の数は増えていくのですが、以前に別荘を構えていた著名人の中には大磯から転出していく人たちも増えたといいます。その代りに転入する者は実業家を中心とした中産階級が目立ち始めるのがこの時期の特徴のようです。</p><br><p>別荘銀座と言っても過言ではない大磯も大正12年の大震災で多くの別荘が被害を受け、その数は半減したといいます。そして戦後は公職追放、財閥解体、財産税徴収により上流階級の別荘は売却され、それまでのような華やかさは失われていきます。…が戦後、あのワンマン宰相と謳われた吉田茂がここ大磯の邸宅に住んでいたことはあまりにも有名な話です。</p><br><p>そんな大磯をこよなく愛した一人の文化人がいます。それが島崎藤村です。<br><br>四季の移り変わりが楽しめ、温暖であること。そして簡素であるものの凝った造りの建物を求めて大磯にやってきた藤村は大磯市内で和菓子屋を経営する「新杵」所有の貸家に移り住んできたのが昭和16年のことです。</p><br><p>その家が東海道からおよそ90mほど奥まった場所に今でも当時の姿のままで残されています。ちょうど江戸時代の京口にあたる場所の手前50mほどのところにある大磯町消防団第三分団の建物の角の狭い路地を入っていくと、竹垣に囲まれた民家が現れます。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/13/hmazda/cd/4e/j/o0342022712346018817.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/13/hmazda/cd/4e/j/t02200146_0342022712346018817.jpg"></a> 島崎藤村邸の竹垣<br></p><br><p>竹垣越しにちょうど季節に似合うようにたわわに実がついたミカンの木を見ることができました。邸への入口は可愛らしい門構えですが、門屋根にはなにやら草らしきものがびっしりと生えています。よく見ると「シダ」の種類ではないでしょうか。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/13/hmazda/fb/dc/j/o0342022712346018816.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/13/hmazda/fb/dc/j/t02200146_0342022712346018816.jpg"></a> 竹垣越しのミカンの木<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/13/hmazda/57/cb/j/o0342022712346022513.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/13/hmazda/57/cb/j/t02200146_0342022712346022513.jpg"></a> 島崎藤村邸の門構え<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/13/hmazda/2c/46/j/o0342022712346023816.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/13/hmazda/2c/46/j/t02200146_0342022712346023816.jpg"></a> 門屋根の草<br><br>鴨居の低い門をくぐり小さな庭へと入っていきます。その庭に面して四畳半程度の小さな部屋があり、茶室と見まがうほどのつつましやかな床の間が備えつけられています。実はこの部屋が藤村が執筆を行っていた書斎とのことです。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/13/hmazda/34/d3/j/o0342022712346022514.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/13/hmazda/34/d3/j/t02200146_0342022712346022514.jpg"></a> 藤村邸<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/13/hmazda/e1/05/j/o0342022712346022515.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/13/hmazda/e1/05/j/t02200146_0342022712346022515.jpg"></a> 藤村邸の佇まい<br><br>邸の管理者に聞くと、震災にも戦災にもそれほど大きな被害を受けていないとのこと。縁側に嵌められているガラス戸のガラスはなんと当時のもので、当時の製造技術のせいでしょうか、若干の「歪み」とガラス表面にはところどころ「窪み」すら窺うことができます。</p><br><p>見たところわずか三室しかない小さな家なのですが、あの文豪が住んだ家としてはあまりにも質素という印象です。この家からは相模湾の大海原も見えないし、おそらく浜に打ち寄せる波音も聞こえない。ちょうど邸の裏手にJR線路が走っているので、当時は機関車の汽笛と車輪の音が文筆の友だったのかもしれません。</p><br><p>それでは藤村邸をあとに東海道の旅をつづけることにしますが、東海道筋に戻る道筋はかつて伊藤博文が滄浪閣（別荘）から大磯駅へと通じる専用道路として使われていた「統監道（とうかんみち）」を辿ることにしました。<br><br><a href="http://www12.plala.or.jp/OEDO/"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/06/5e/j/t01560042_0156004212335565430.jpg" target="_blank"></a> </p>
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<pubDate>Tue, 25 Dec 2012 13:15:25 +0900</pubDate>
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<title>潮風香る景勝の地・大磯宿から相模の神々が坐する二宮そして国府津へ（其の一）</title>
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<![CDATA[ <p>冬晴れのもと、北西の寒風が肌をさすこの日お江戸から数えて8番目の宿場町である大磯宿を起点に二宮（梅沢）を経由して国府津までの10㌔の街道めぐりを下見を兼ねて楽しみました。</p><br><p>私たちの東海道中は今年の4月に始まり、今月12月でお江戸日本橋から16里27町（65.8㌔）に位置する大磯宿まで踏破しました。いよいよ道中最大の難所である箱根越えまであとわずかと迫ってきました。</p><br><p>本来の東海道中の宿場間の旅であれば、大磯宿の次の宿場町は小田原なのですが、その宿間の距離はなんと4里（15.7㌔）と長く、私たちの年齢そして体力的な問題から1日で踏破するのはかなり至難の業。ということで、今回は小田原からはかなり手前の国府津までのおよそ10㌔を歩くことにしました。</p><br><p>瀟洒な雰囲気を醸し出しているJR大磯駅から旧街道へと通じる坂道を下ると大磯駅前交差点にさしかかります。この交差点はあの箱根駅伝が再び国道一号線に合流する場所で、ここから国道一号線を辿り二宮、国府津、鴨宮、小田原そして箱根へと至ることになります。</p><br><p>私たちはこの大磯駅前交差点を左折していよいよ国府津までの東海道中を歩むことにします。</p><p>電信柱や電線が地中化されているためか、旧街道の町並みはすっきりとし、高層の建物がないため空が広く感じられます。交差点から東海道中を進むこと120mで、街道の左側に穐葉神社の小さな祠が現れます。その祠の左側には延台寺の参道と奥に山門が立っています。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/a9/a0/j/o0342022712345968073.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/a9/a0/j/t02200146_0342022712345968073.jpg"></a> 延台寺山門<br></p><br><p>延台寺はここ大磯を代表する歴史的な人物である「虎御前」ゆかりの古刹です。開基は関ヶ原の戦いの前年の慶長4年（1599）に遡ります。山門から境内に入ると正面に曽我堂、左手には石段の上にご本堂が置かれています。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/bb/29/j/o0342022712345968074.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/bb/29/j/t02200146_0342022712345968074.jpg"></a> 延台寺ご本堂</p><br><p>当寺が開基される遥か昔、ここは曾我兄弟の仇討にゆかりが深く、鎌倉時代の舞の名手であった伝説の美女虎御前（虎女）が兄弟を偲んで庵を結んだ場所と伝えられています。そんな延台寺には曾我兄弟の兄、十郎佑成の「身代り石」と伝えられる御霊石「虎御石」をはじめ虎池弁財天（平安時代）、曽我兄弟座像、虎御前１９歳剃髪之像などが法虎庵曽我堂に納められています。</p><p>曽我堂の扉は固く閉ざされ、ガラス戸の奥には「身代わり石」と伝えられる「虎御石」が布に覆われて鎮座しています。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/b3/fb/j/o0342022712345968075.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/b3/fb/j/t02200146_0342022712345968075.jpg"></a> 法虎庵曽我堂<br></p><br><p>また境内には虎御前供養塔や大磯宿遊女の墓が置かれています。</p><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/c1/f6/j/o0342022712345972682.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/c1/f6/j/t02200146_0342022712345972682.jpg"></a> 虎御前供養塔</p><br><p>延台寺をあとにして再び東海道筋へ戻り、進行方向右側を進んで行きます。大磯宿内の家並みは長さ１１町５２間（１・３㎞）と比較的小さな宿場町で、江戸後期の人口は３０５６人、家数は６７６軒、三つの本陣と６６軒の旅龍が街道の両側に並んでいました。江戸方見付は化粧坂（けわいざか）と山王町の間、上方見付は鴫立庵（しぎたつあん）を過ぎてしばらく行った地点にあったとされていますが、現在、その跡はまったく残っていません。</p><br><p>そんな宿場町にまず現れるのが北組問屋場跡です。つぎに蕎麦屋の前に「本陣」の解説板が立っていて、大磯宿小島本陣絵図などが載っています。この辺りに小島本陣があったのだそうですが、大磯宿にはこの他にも尾上本陣と石井本陣があったようです。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/45/f8/j/o0342022712345972683.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/45/f8/j/t02200146_0342022712345972683.jpg"></a> 小島本陣跡<br><br>大磯消防署前交差点まで来ると、角に「明治のまちコース」の標柱が立っています。そして右手の道は「地福寺0.1km」となっています。それでは地福寺へ行ってみることにしましょう。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/94/bd/j/o0342022712345975912.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/94/bd/j/t02200146_0342022712345975912.jpg"></a> 地福寺ご本堂</p><p><br>地福寺は真言宗のお寺で、承和四年（８３７）の創建と伝えられています。境内には大磯町指定文化財に指定されている「木造弘法大師座像」が在ります。</p><p><br>そして当寺の名を知らしめているのが「破戒」「夜明け前」など多くの名作を残した文豪「島崎藤村の墓」があることです。山門をくぐった左手に梅の老木に囲まれたように藤村の墓が置かれています。</p><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/9a/fa/j/o0342022712345975914.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/9a/fa/j/t02200146_0342022712345975914.jpg"></a> 島崎藤村之墓<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/b0/5b/j/o0342022712345975913.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/b0/5b/j/t02200146_0342022712345975913.jpg"></a> 梅の古木に囲まれた藤村之墓<br><br>島崎藤村は代々中山道馬籠宿の本陣、庄屋を務めた家に生まれ、のちに郷里において牢死した国学者の父をモデルに『夜明け前』を執筆しました。大磯町には最晩年に疎開のため移転し、地福寺の墓所近くにある白梅の古木を愛したといいます。</p><br><p>地福寺をあとにして国道1号を進んでいくと、大磯町消防本部の道路向い（右側）の中南信用金庫の前に「大磯小学校発祥之地・尾上本陣跡」と刻まれた石標が立っています。</p><br><p>尾上本陣跡を過ぎて照ヶ崎海岸入口交差点の手前に明治24年創業の老舗の菓子店「新杵（しんきね）」が店を構えています。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/a9/47/j/o0342022712345979381.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/a9/47/j/t02200146_0342022712345979381.jpg"></a> 和菓子「新杵」</p><br><p>古い商家の佇まいを見せる新杵の名物は藤村や吉田茂にも愛された伝統の虎子饅頭と西行饅頭です。虎子饅頭はこの地の出身の遊女・虎御前に因んだ饅頭で、見返り姿の虎の焼印が押してあります。<br>虎子饅頭（１個110円）、西行饅頭（１個120円）<br>電話： 0463-61-0461<br>定休日： 火曜日、水曜日</p><br><p>照ヶ崎海岸入口交差点までくると、道が分かれていく間に樹木の生える一角があります。<br>植込の中には「新嶋襄先生終焉之地」と刻まれた石碑が立っています。<br>帝国四大私塾のひとつに数えられる同志社を創立し、自身明治六大教育家に数えられた新島襄終焉の地。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/89/76/j/o0342022712345979384.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/89/76/j/t02200146_0342022712345979384.jpg"></a> 新島襄終焉の地碑<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/22/cc/j/o0342022712345979382.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/22/cc/j/t02200146_0342022712345979382.jpg"></a> 徳富蘇峰筆の新島襄終焉の地碑<br><br>大学設立準備中に結核を患った新島襄は、明治22年（1889年）徳富蘇峰の勧めで大磯町の百足屋旅館別館愛松園（現愛宕神社下）に滞在し、療養生活を送りました。</p><p>しかし、翌明治23年（1890年）1月21日、各方面に口述筆記で遺言を託し他界。<br>享年46歳。碑は徳富蘇峰の筆によるもので、旧百足屋旅館の玄関があったといわれる場所に建てられました。百足屋旅館の主人宮代謙吉は大磯町５代目町長を務めた人物で、松本順の支援者でもあり、松本順もこの百足屋に宿泊しています。<br>松本順は日本で初めて大磯を海水浴場に指定した人です。</p><br><p>尚、来年のＮＨＫ大河ドラマでは新島襄の奥様である「八重夫人」を描いた「八重の桜」が予定されています。そんなことで大磯町役場には同志社大学が編集した小冊子を無料で配布していました。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/43/a4/j/o0168024012345983805.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/43/a4/j/t01680240_0168024012345983805.jpg"></a> <br></p><br><p>「新嶋襄先生終焉之地」から100ｍほどのさざれ石交差点の左手に、明治11年創業の老舗「井上蒲鉾店」が店を構えています。そして「井上蒲鉾店」から120ｍほど行った旧街道の左側に「西行法師」ゆかりの「鴫立庵（しぎたつあん）があります。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/dd/38/j/o0342022712345988180.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/dd/38/j/t02200146_0342022712345988180.jpg"></a> 鴫立庵入口<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/7a/4f/j/o0342022712345988183.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/7a/4f/j/t02200146_0342022712345988183.jpg"></a> 鴫立庵<br></p><br><p>西行法師は東国行脚の際に、この場所で「心なき 身にもあはれは知られけり 鴫立沢の秋の夕暮」の句を詠んだと言われています。</p><br><p>鴫立庵はそもそも江戸時代の初期に小田原の外郎（ういろう）の子孫と言われる「崇雪」という俳人が西行を慕って、ここ大磯之鴫立沢（しぎたつさわ）のほとりに草庵を建てたことに始まります。その後「鴫立庵」と呼ばれるようになったのです。<br></p><p>崇雪は鴫立庵の脇に「著盡湘南清絶地(あきらかにしょうなんはせいぜつをつくすのち)」という標柱(寛文4年・1664年建立)を建てたことから、この付近を湘南と呼ぶ様になったとの説もあります。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/d4/08/j/o0342022712345988182.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/d4/08/j/t02200146_0342022712345988182.jpg"></a> 湘南発祥之地碑</p><p><br>湘南という地名は中国湖南省にある洞庭湖のほとり 湘江の南側を湘南といい, 大磯がこの地に似ているところから湘南と呼ばれるようになりました。</p><p>そしてここ鴫立庵は京都の落柿舎（らくししゃ）、滋賀の無名庵（むみょうあん）と並び日本三大俳諧道場の一つとして知られています。庵は瀟洒な味わいの造りで、風情に溢れています。歴代俳諧重鎮が江戸時代より現在に到るまで、この庵に在住してここを守っています。現在の庵主は22世鍵和田氏という方です。　※入庵料：大人100円・子供50円</p><br><p>鴫立庵をあとに左手の大磯町役場を見ながら東海道を進むと、左手に黒門を構えるのが料亭「翠渓荘」です。かつて岩倉使節団に随行した林董（はやしただす）の邸宅だったところです。そしてその先の統監道（とうかんみち）バス停の歩道脇に「上方見附」の解説版が立っています。ここで大磯宿は終わり次の宿場町である小田原へと街道がつづいていきます</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/6a/d4/j/o0342022712345991329.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/6a/d4/j/t02200146_0342022712345991329.jpg"></a> 料亭「翠渓荘」の黒門<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/f0/ee/j/o0342022712345991330.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/12/hmazda/f0/ee/j/t02200146_0342022712345991330.jpg"></a> 料亭「翠渓荘」への道</p><br><p>※統監道（とうかんみち）<br>伊藤博文公は晩年、朝鮮総統を務めましたが、伊藤邸（滄浪閣）と大磯駅との間の道路を住民が整備して造った専用道路の名称です。</p><p><br><a href="http://www12.plala.or.jp/OEDO/"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/06/5e/j/t01560042_0156004212335565430.jpg" target="_blank"></a> <br></p>
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<pubDate>Tue, 25 Dec 2012 12:35:51 +0900</pubDate>
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<title>浅草観音・浅草寺～納めの観音ご縁日・羽子板市～</title>
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<![CDATA[ <p>師走の恒例行事であるお江戸下町の浅草観音（浅草寺）境内の歳の市として知られる羽子板市が昨日１７日から開催されています。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/1e/7a/j/o0342022712335551298.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/1e/7a/j/t02200146_0342022712335551298.jpg"></a> 雷門<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/44/4c/j/o0342022712335551299.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/44/4c/j/t02200146_0342022712335551299.jpg"></a> 雷門から仲見世通り</p><p><br>昨夜来の雨も上がり、寒さも和らいだ今日１８日の中日に早速歳の市へと出かけてみました。縁日にかぎらず多くの人で賑わう浅草は雷門から仲見世通りはいつもながらの老若男女と外国人でごった返しています。</p><br><p>仲見世通りには初春を迎える縁起飾りがすでに取り付けられて、まもなくやってくる新年の準備が着々と進んでいるようです。</p><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/ab/63/j/o0342022712335551300.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/ab/63/j/t02200146_0342022712335551300.jpg"></a> 飾り付け１</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/36/04/j/o0342022712335553836.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/36/04/j/t02200146_0342022712335553836.jpg"></a> 飾り付け２<br></p><br><p>賑やかな仲見世通りを抜けると大きな宝蔵門と美しい姿の五重塔が迎えてくれます。ここも人、人、人で溢れ返っています。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/9e/86/j/o0342022712335553835.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/9e/86/j/t02200146_0342022712335553835.jpg"></a> 宝蔵門<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/6e/0d/j/o0342022712335553834.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/6e/0d/j/t02200146_0342022712335553834.jpg"></a> 宝蔵門と五重塔<br><br>まずはこの一年間つつがなく無病息災で過ごせたお礼に観音様がいらっしゃるご本堂にお参りを済ませ、羽子板市の露店が並ぶ境内の一角へと進んでいきます。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/58/c9/j/o0342022712335557689.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/58/c9/j/t02200146_0342022712335557689.jpg"></a> 浅草寺ご本堂<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/68/07/j/o0342022712335557690.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/68/07/j/t02200146_0342022712335557690.jpg"></a> 羽子板市の露天</p><br><p>いくつもの露店が集中して並ぶ一角は大勢の人たちで溢れかえり、処々で羽子板職人との威勢のいい掛け合いと商談成立の手打ちが聞こえてきます。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/93/b0/j/o0342022712335557691.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/93/b0/j/t02200146_0342022712335557691.jpg"></a> 羽子板市１<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/86/9e/j/o0342022712335559748.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/86/9e/j/t02200146_0342022712335559748.jpg"></a> 羽子板市２<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/b6/37/j/o0342022712335559747.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/b6/37/j/t02200146_0342022712335559747.jpg"></a> 羽子板市３<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/c8/7f/j/o0342022712335559749.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/c8/7f/j/t02200146_0342022712335559749.jpg"></a> 羽子板市４<br></p><br><p>お江戸の風物詩である羽子板市は江戸っ子が好む「縁起物」として愛されてきたのですが、併せて女子が生まれた家に羽子板を贈る風習も江戸後期頃からできたようです。</p><br><p>毎年、羽子板市にはその年に起こった出来事や、活躍した人物などをデザインしたものが並ぶのですが、今年はそれほど目立ったものもなく、オーソドックスなデザインのものが並んでいます。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/6a/f8/j/o0342022712335561592.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/6a/f8/j/t02200146_0342022712335561592.jpg"></a> <br></p><br><p>先日の選挙で政権交代となった大きな出来事をデザインしたものがあるかと思ったのですがありませんでした。おそらく羽子板造りが間に合わなかったのでは……？！</p><br><a href="http://www12.plala.or.jp/OEDO/"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121218/14/hmazda/06/5e/j/t01560042_0156004212335565430.jpg" target="_blank"></a> <br>
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<pubDate>Tue, 18 Dec 2012 14:16:27 +0900</pubDate>
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<title>１００年前の姿に蘇った東京駅丸の内駅舎</title>
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<![CDATA[ <p>平成１９年（２００７）から始まった東京駅丸の内駅舎の保存・復元工事がほぼ終わり、期間中駅舎の周囲に張り巡らされていた目隠しが取り払われ、流麗、華麗な貴婦人のような姿がお披露目されました。</p><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120926/12/hmazda/26/56/j/o0342022712206772365.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120926/12/hmazda/26/56/j/t02200146_0342022712206772365.jpg"></a> </p><br><p>大正３年（１９１４）に創建された旧駅舎は昭和２０年（１９４５）の米軍の空襲で、駅舎のシンボルでもあった南北のドームと駅舎全体の屋根さらには内装すべてが焼失するという不幸に見舞われました。戦後、駅舎の復興が行われたのですが、かつての姿は失われ、創建当時の美しい姿は忘れ去られていました。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120926/12/hmazda/3b/29/j/o0342022712206772367.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120926/12/hmazda/3b/29/j/t02200146_0342022712206772367.jpg"></a> <br></p><br><p>明治ご維新後、都が京都から東京へ遷都され、帝がお住まいになる帝都として「東京」の顔であったかつての赤煉瓦造りの東京駅の姿は陛下がお住まいになる皇居の南を守る神獣「朱雀」のような存在だったのではないでしょうか。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120926/12/hmazda/cc/d8/j/o0342022712206772368.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120926/12/hmazda/cc/d8/j/t02200146_0342022712206772368.jpg"></a> <br></p><br><p>そして戦災で傷ついた朱雀は６０年以上の長きに亘ってその傷を癒し続け、今まさにフェニックス（不死鳥）のごとく蘇ったのです。</p><p><br><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120926/12/hmazda/a7/62/j/t02200146_0342022712206774543.jpg"><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120926/12/hmazda/f0/7e/j/o0342022712206774544.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120926/12/hmazda/f0/7e/j/t02200146_0342022712206774544.jpg"></a> <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120926/12/hmazda/64/ed/j/o0342022712206774545.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120926/12/hmazda/64/ed/j/t02200146_0342022712206774545.jpg"></a> </p><p><br></p><p>東京駅丸の内側の丸ビルや中央郵便局が高層ビルへと変貌し、その景観を大きく変貌しました。近代的な高層ビルに囲まれた丸の内駅舎は古き良き時代を今そして未来へと伝える貴重な歴史的建造物として存在感を増していくのではないでしょうか。<br></p><p>秋・９月、１０月、１１月の歴史散策コースの日程を発表しました！<a href="http://www12.plala.or.jp/OEDO/"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120905/15/hmazda/f0/fa/j/t02200057_0385010012173118625.jpg"></a> </p>
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<pubDate>Wed, 26 Sep 2012 12:04:31 +0900</pubDate>
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<title>渚にて…葛西臨海公園点描</title>
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<![CDATA[ <p>自宅至近に流れる荒川を渡ると隣区の江戸川区です。わが町、江東区と共に都内では湾岸（ベイエリア）と呼ばれる地域が江戸川区なのです。</p><br><p>葛西橋を渡り対岸江戸川区側の荒川河岸のサイクリングロードを約１ｋｍほど走ると、荒川が東京湾に流れ込む河口に到着です。河口からは荒川大橋や江東区側の新砂地区と若洲、さらに今人気の恐竜橋として知られるベイブリッジを望むことができます。</p><br><p>サイクリングロードは荒川河口付近で大きく左へとカーブし、葛西臨海公園の中心へとつづいています。</p><p>サイクリングロード左手には葛西臨海公園のランドマークとも言える「大観覧車」が圧倒的な迫力で聳えたっています。<br></p><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/78/78/j/o0342022712190303278.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/78/78/j/t02200146_0342022712190303278.jpg"></a> 大観覧車</p><br><p>日本最大の観覧車で直径１１１ｍ、高さ１１７ｍを誇っています。その大観覧車の真下から夏の陽射しに照らされ、シルエットとなって浮かび上がる様子が下の画像です。<br>※利用料金は3歳以上の一般の方々は一人700円。所要時間は17分間。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/70/0b/j/o0342022712190303277.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/70/0b/j/t02200146_0342022712190303277.jpg"></a> 大観覧車<br></p><br><p>大観覧車から東京湾に面した「渚」へ向かうことにします。そもそも臨海ということで、公園自体はほぼ海（東京湾）に面しているのですが、渚へとつづく葛西渚橋を渡って「西なぎさ」の波打ち際へと行ってみました。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/15/c9/j/o0342022712190303279.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/15/c9/j/t02200146_0342022712190303279.jpg"></a> 渚橋<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/08/ac/j/o0342022712190306652.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/08/ac/j/t02200146_0342022712190306652.jpg"></a> 渚橋</p><br><p>夏の盛りには多くの人が渚で水遊びをしているのですが、9月の中旬ともなると人影もなく、海鳥だけが渚で戯れている姿しかありません。</p><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/a8/46/j/o0342022712190306653.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/a8/46/j/t02200146_0342022712190306653.jpg"></a> 西なぎさ<br></p><br><p>西なぎさから再び臨海公園へと戻り、臨海水族館方面へと移動し、東側の広大なエリアを占める緑豊かな鳥類園へと向かいます。まるで原生林のようにうっそうとした木々で覆われている鳥類園を一周するように1本の遊歩道がどこまでもつづいています。遊歩道の脇に秋を思わせるススキの穂が海風に揺れています。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/3f/3a/j/o0342022712190306654.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/3f/3a/j/t02200146_0342022712190306654.jpg"></a> 臨海水族館のウォーターウォール</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/d0/ff/j/o0342022712190310322.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/d0/ff/j/t02200146_0342022712190310322.jpg"></a> 臨海水族館外観</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/26/a1/j/o0342022712190310324.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/26/a1/j/t02200146_0342022712190310324.jpg"></a> すすきの穂<br><br>遊歩道にそっていたるところに野鳥を観察できる場所が設置されています。日が高い時間帯のためか、野鳥が餌を啄ばむ光景は見ることができませんでしたが、朝夕には数多くの種類の鳥たちが羽を休めているのではないでしょうか。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/f3/7e/j/o0342022712190310323.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/f3/7e/j/t02200146_0342022712190310323.jpg"></a> 野鳥観察センター<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/48/46/j/o0342022712190314535.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/48/46/j/t02200146_0342022712190314535.jpg"></a> 野鳥観察場所<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/0b/b2/j/o0342022712190314536.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/0b/b2/j/t02200146_0342022712190314536.jpg"></a> 野鳥園俯瞰<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/88/b6/j/o0342022712190314537.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/88/b6/j/t02200146_0342022712190314537.jpg"></a> 野鳥園の湿地帯<br><br>野鳥園の一番東端は千葉の浦安の舞浜に隣接しています。舞浜と言えば東京ディズニーランドです。川を挟んで対岸にはディズニーランドの各施設やホテル群が建ち並んでいます。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/c7/08/j/o0342022712190316943.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/c7/08/j/t02200146_0342022712190316943.jpg"></a> 対岸舞浜の景<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/e3/90/j/o0342022712190316944.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120916/12/hmazda/e3/90/j/t02200146_0342022712190316944.jpg"></a> 舞浜のホテル群<br><br>江東区のお台場とは趣が異なる江戸川区のベイエリアは自然に溢れた東京の一大リゾート地ではないでしょうか。</p><br><p><a href="http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index026.html" target="_blank">http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index026.html</a> </p><br><p>秋・９月、１０月、１１月の歴史散策コースの日程を発表しました！</p><p><a href="http://www12.plala.or.jp/OEDO/"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120905/15/hmazda/f0/fa/j/t02200057_0385010012173118625.jpg"></a> </p>
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<pubDate>Sun, 16 Sep 2012 12:44:41 +0900</pubDate>
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<title>私本東海道中膝栗毛～戸塚宿から藤沢宿之巻～（其の三）</title>
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<![CDATA[ <p>箱根駅伝の３区に含まれる遊行寺坂がいよいよ始まります。両側がまるで切通しのような崖になっていて、だらだらと下り坂がつづきます。遊行寺坂一里塚の案内板を過ぎると、遊行寺はもう目と鼻の先です。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/2a/58/j/o0342022712186921640.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/2a/58/j/t02200146_0342022712186921640.jpg"></a> 遊行寺坂</p><br><p>その遊行寺と敷地を同じくする塔頭寺院でもある長生院への近道が遊行寺坂の途中に細い石段となって現れます。というのも遊行寺坂を下りきって遊行寺の総門へと向かうのもいいのですが、そこまで行ってしまうと長生院に行くために長い坂道を再び登らなければなりません。そうであれば長生院を先に見てしまう方法としてこの細い石段を上ってしまったほうが得策といえます。</p><br><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/61/cd/g/o0437057512186942265.gif"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/61/cd/g/t02200289_0437057512186942265.gif"></a><br></p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/07/4d/j/o0342022712186921641.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/07/4d/j/t02200146_0342022712186921641.jpg"></a> 長生院・小栗堂</p><br><p>石段を上ると長生院の墓地に入ります。墓地の中の道をほんの僅か進むと長生院の小栗堂の正面に出てきます。長生院は浄瑠璃で名高い小栗判官照手姫ゆかりの寺です。応永29年（1422）常陸小栗の城主、判官満重が足利持氏に攻められて落城、その子判官助重が家臣11人と三河に逃げのびる途中、この藤沢で横山太郎に毒殺されかけたことがあります。このとき妓照手が助重らをのがし、一行は遊行上人に助けられました。その後、助重は家名を再興し、照手を妻に迎えました。助重の死後、照手は髪をそり長生尼と名のり、助重と家臣11人の墓を守り、余生を長生院で終わったといいます。</p><br><p>そんな照手姫と小栗判官十勇士の墓が小栗堂の裏手にひっそりと佇んでいます。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/4b/a4/j/o0342022712186921645.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/4b/a4/j/t02200146_0342022712186921645.jpg"></a> 照手姫の墓</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/4f/ef/j/o0342022712186927416.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/4f/ef/j/t02200146_0342022712186927416.jpg"></a> 小栗判官と十勇士の墓<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/99/3d/j/o0342022712186927417.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/99/3d/j/t02200146_0342022712186927417.jpg"></a> 照手姫寄進の厄除地蔵尊<br><br>長生院から石段を下っていくと、右手には時宗・総本山の遊行寺の堂々とした姿の本堂が現れます。本堂の右手前には宗祖の一遍上人の銅像が立っています。</p><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/7d/4b/j/o0342022712186929043.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/7d/4b/j/t02200146_0342022712186929043.jpg"></a> 遊行寺本堂</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/13/71/j/o0342022712186929044.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/13/71/j/t02200146_0342022712186929044.jpg"></a> 一遍上人尊像<br></p><br><p>遊行寺は正式には清浄光寺が寺名ですが、遊行上人の寺ということから広く一般に遊行寺と呼ばれます。宗祖は一遍上人（1239～1289）で南無阿弥陀仏のお札をくばって各地を回り、修行された（遊行といいます）念仏の宗門です。この遊行寺は正中2年（1325）遊行四代呑海上人によって藤沢の地に開かれ、時宗の総本山となっています。</p><br><p>境内を進むと、鐘楼堂そして安政年間（1854～60）に建造された中雀門が現れます。清浄光寺（遊行寺は通称）は創建以来たびたび火災にあっていますが、この中雀門は明治13年（1880）の大火の際にも焼失を免れた、境内で一番古い建物です。大正12年（1923）の関東大震災でも焼失は免れましたが倒壊したものを、そのまま復元して今にいたっています。向唐門づくりで高さ6m、幅は3.7mです。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/26/3b/j/o0342022712186929045.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/26/3b/j/t02200146_0342022712186929045.jpg"></a> 鐘楼堂<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/8b/cc/j/o0342022712186930944.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/8b/cc/j/t02200146_0342022712186930944.jpg"></a> 中雀門<br></p><br><p>中雀門の左手にある門から中へ入って行くと、寺務所、僧堂・受付・書院・遊行会館などがあり、左手には藤嶺記念館（宗務所）があります。遊行会館の前は日本庭園になっており、その中に放生池があります。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/50/19/j/o0342022712186930943.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/50/19/j/t02200146_0342022712186930943.jpg"></a> 書院入口</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/b6/7b/j/o0342022712186930945.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/b6/7b/j/t02200146_0342022712186930945.jpg"></a> 書院入口の「遊行三昧」<br><br>江戸幕府の記録である「徳川実紀」元禄7年10月の日記によれば、 金魚、銀魚等を放生せんと思わば清浄光寺（遊行寺）道場の池へと命され、かつ放生の際は、その員数をしるし目付へ届出づべし」 と記録されています。古来より由緒あるこの池に金魚、鯉等を放生すれば、その功徳により家内の繁栄は勿論のこと長寿を保つとされています。ちなみにいここ遊行寺の放生池は江戸幕府五代将軍徳川綱吉の時代（1680～1709）に、生類憐れみの令によって、江戸中の金魚をあつめて放された所です。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/d5/62/j/o0342022712186932967.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/d5/62/j/t02200146_0342022712186932967.jpg"></a> 放生池<br></p><br><p>階段混じりの石畳の参道を降っていきます。途中の右手には真浄院、左手には真徳院があります。並木が続く坂道を降っていくと、日本三大黒門のひとつにもなっている遊行寺の総門があります。右手の柱には「時宗総本山」、左手の柱には「清浄光寺」と書かれていて、「時宗総本山 遊行寺」と刻まれた大きな石柱も立っています。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/46/e3/j/o0342022712186932966.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/46/e3/j/t02200146_0342022712186932966.jpg"></a> 境内の大銀杏<br></p><br><p>総門から出て正面に続く道を進んでいくと、往時の藤沢宿の絵図と日本三大広小路の解説文が掲示されています。この藤沢宿、すなわち旧街道は遊行寺の先に架かる赤い欄干の橋：大鋸橋（遊行寺橋）を渡り突き当りを右へ延びていきます。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/69/10/j/o0342022712186932968.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/69/10/j/t02200146_0342022712186932968.jpg"></a> 石門</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/4d/28/j/o0342022712186935004.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/4d/28/j/t02200146_0342022712186935004.jpg"></a> いろは坂<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/52/3b/j/o0342022712186935006.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/52/3b/j/t02200146_0342022712186935006.jpg"></a> 総門<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/32/8c/j/o0342022712186935005.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/32/8c/j/t02200146_0342022712186935005.jpg"></a> 総門脇の榜示杭</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/d3/83/j/o0342022712186937026.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/d3/83/j/t02200146_0342022712186937026.jpg"></a> 遊行寺の石柱<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/fe/a9/j/o0342022712186937027.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/fe/a9/j/t02200146_0342022712186937027.jpg"></a> 総門</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/b7/a1/j/o0342022712186937028.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/b7/a1/j/t02200146_0342022712186937028.jpg"></a> 日本三大広小路跡<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/b4/21/j/o0342022712186938440.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/10/hmazda/b4/21/j/t02200146_0342022712186938440.jpg"></a> 赤い欄干の遊行寺橋<br><br>かつての藤沢宿で一番の賑わいを見せたのが前述の遊行寺橋を渡ってから右手へ向かう道筋だったようです。次回の藤沢から平塚への旅でこの藤沢宿の道筋を紹介したいと思います。</p><p><br>秋・９月、１０月、１１月の歴史散策コースの日程を発表しました！<a href="http://www12.plala.or.jp/OEDO/"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120905/15/hmazda/f0/fa/j/t02200057_0385010012173118625.jpg"></a> </p>
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<pubDate>Fri, 14 Sep 2012 10:04:08 +0900</pubDate>
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<title>私本東海道中膝栗毛～戸塚宿から藤沢宿之巻～（其の弐）</title>
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<![CDATA[ <p>八坂神社前交差点を渡ると右角の歩道隅になにやら石柱が置かれています。道標だろうと近づいてみると古めかしい庚申塔が立っています。時折見る古めかしい石塔に街道を旅しているんだなあ、と一人感慨にふける瞬間です。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/b2/91/j/o0342022712186902318.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/b2/91/j/t02200146_0342022712186902318.jpg"></a> 路傍に建つ庚申塔<br></p><br><p>庚申塔をあとに道を進んで行くと、大きくカーブした右手に現れるのが冨塚八幡宮です。国道１号線に面して鳥居が立ち、境内の奥に裏山の上に鎮座する社殿へつうじる長い石段をみることができます。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/d0/ef/j/o0342022712186902319.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/d0/ef/j/t02200146_0342022712186902319.jpg"></a> 冨塚八幡宮鳥居<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/b3/11/j/o0342022712186903791.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/b3/11/j/t02200146_0342022712186903791.jpg"></a> 社殿へつづく石段<br><br>その石段の登り口の左脇に大きな句碑が置かれています。これが芭蕉翁の句碑なのですが、石面には「鎌倉を生きて出でけむ初松魚」と刻まれています。この句意は江戸っ子に珍重された初鰹（はつかつお）は鎌倉で水揚げされて、生きのいいまま戸塚を通り、江戸まで運ばれたようすを詠んだものです。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/21/2b/j/o0342022712186902320.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/21/2b/j/t02200146_0342022712186902320.jpg"></a> 芭蕉句碑<br></p><br><p>冨塚八幡宮は平安時代、前九年の役平定のため源頼義・義家が奥州に下る途中、この地にて応神天皇と富属彦命の御神託を蒙り、其の加護により戦功を立てる事が出来たのに感謝をして、延久4年（1072）社殿を造り両祭神をお祀りしましたことが始まりです。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/ae/31/j/o0342022712186903792.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/ae/31/j/t02200146_0342022712186903792.jpg"></a> 冨塚八幡宮拝殿<br></p><br><p>４４段の石段を登りつめると正面に拝殿が現れます。拝殿の裏手には本殿が境内の木々の木漏れ日を浴びて輝いていました。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/45/2e/j/o0342022712186903793.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/45/2e/j/t02200146_0342022712186903793.jpg"></a> 冨塚八幡宮本殿<br></p><br><p>そろそろＪＲ戸塚駅から１キロ強の距離にさしかかります。予想通り、上方見附跡の案内柱が現れました。この上方見附を過ぎるといよいよ戸塚宿から西へ下る旅人を悩ました「大阪」の登り坂が始まります。</p><br><p>登り坂が始まるとすぐ右側に「第六天宮」の扁額が掲げられている鳥居が現れます。国道一号に面して比較的広い敷地を持つ神社ですが、どうも趣に欠ける雰囲気で敷地には一面に石盤が敷き詰められ陽射しを遮ることができるような木もありません。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/fd/42/j/o0342022712186906030.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/fd/42/j/t02200146_0342022712186906030.jpg"></a> 第六天宮<br></p><br><p>この第六天宮を過ぎると、およそ１ｋｍにわたってつづく標高差約４０ｍの「大坂（おおさか）」の登り坂が始まります。戸塚宿を発って藤沢宿へ向かう旅人が、上方見附を過ぎていきなり出合う難所だったようです。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/70/84/j/o0342022712186906029.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/70/84/j/t02200146_0342022712186906029.jpg"></a> 大坂一番坂<br></p><br><p>かつての東海道は今よりも道幅は狭く、勾配もかなりきつかったのではないでしょうか。このため戸塚宿の馬子や人足が副業で荷物や人を運んで手間賃を稼ぐ格好の場所だったのです。</p><p>登り坂を進んで行くと、路傍に七基の「庚申塔」が整然と並んでいます。ほんのちょっと街道らしさを感じる情景です。</p><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/fa/17/j/o0342022712186906031.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/fa/17/j/t02200146_0342022712186906031.jpg"></a> 七基の庚申塔<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/e8/5e/j/o0342022712186907658.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/e8/5e/j/t02200146_0342022712186907658.jpg"></a> 庚申塔<br><br>一番坂が終わる戸塚警察署下交差点を過ぎると、次に二番坂が始まります。二番坂を登って行くと大坂上信号が現れます。ここで道が二手に分かれます。それでは左手の道を進んでいくことにしましょう。</p><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/13/4a/j/o0342022712186908724.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/13/4a/j/t02200146_0342022712186908724.jpg"></a> 大坂二番坂 </p><p><br>左手の道をしばらく進むと二番坂が終わる戸塚汲沢町歩道橋が見えてきます。この辺りから道路の真ん中に木々が茂る中央分離帯が始まります。以前はこの中央分離帯には街道らしい松並木が植えられていたようですが、現在では松の木はちらほらといった状況です。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/d4/05/j/o0342022712186908723.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/d4/05/j/t02200146_0342022712186908723.jpg"></a> 中央分離帯</p><br><p>汲沢町歩道橋から道は緩やかな下り坂となり汲沢第二歩道橋へと下りていきます。そして汲沢第二歩道橋をすぎると歩道脇に現れるのが「東海道 お軽勘平戸塚山中道行の場」の記念碑です。</p><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/74/7c/j/o0342022712186908725.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/74/7c/j/t02200146_0342022712186908725.jpg"></a> 東海道 お軽勘平戸塚山中道行の場</p><br><p>それほど仰々しい記念碑ではないのですが、道路脇の狭いスペースに無理やり置いたような佇まいです。あまり手入れが行き届いていない様子で、スペース内は雑草で覆われています。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/ce/0b/j/o0342022712186910698.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/ce/0b/j/t02200146_0342022712186910698.jpg"></a> 東海道 お軽勘平戸塚山中道行の場</p><br><p>「東海道 お軽勘平戸塚山中道行の場」の記念碑を過ぎると、やがて道は日本橋から４６ｋｍと表示された原宿第一歩道橋へとさしかかります。この歩道橋の先に吹上信号がありますので、ここで右側の歩道へと移動します。</p><br><p>吹上信号から下り坂の道を進むこと２５０ｍほどで浅間神社の鳥居前に到着です。鳥居をくぐり古木の並木がつづく緩やかな坂道を上って行くと境内へと至ります。その境内の奥に社殿が鎮座しています。浅間神社ということなので、あの浅間造りの社殿かと思いきやごく一般的な社殿だったのでがっかりした次第です。</p><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/de/5b/j/o0342022712186910700.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/de/5b/j/t02200146_0342022712186910700.jpg"></a> 浅間神社石柱<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/1f/93/j/o0342022712186910699.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/1f/93/j/t02200146_0342022712186910699.jpg"></a> 浅間神社鳥居<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/7e/9a/j/o0342022712186912826.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/7e/9a/j/t02200146_0342022712186912826.jpg"></a> 浅間神社参道<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/9e/60/j/o0342022712186912827.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/9e/60/j/t02200146_0342022712186912827.jpg"></a> 浅間神社社殿<br><br>浅間神社をあとに国道１号に沿って進んで行きます。浅間神社からおよそ５００ｍで原宿の交差点です。この交差点を過ぎると道は中央に木々が植わる分離帯がしばらくつづきます。この区間は見るべきものもなく単調そのものです。</p><br><p>原宿信号から８６０ｍほど歩くと影取歩道橋東側の信号に到着します。ここで中央分離帯は終了します。ここから先４２０ｍほど行ったところの影取第二歩道橋までも単調な道程がつづきます。</p><br><p>影取第二歩道橋を過ぎると左手に諏訪神社が現れます。まあ、それほどの神社ではありません。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/64/c6/j/o0342022712186912828.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/64/c6/j/t02200146_0342022712186912828.jpg"></a> 諏訪神社<br></p><br><p>諏訪神社を後にして国道1号をその先へ進んでいきます。左手に広がる畑地を過ぎていくと降り坂になってきます。 藤沢バイパスになっている国道1号は右手へ分かれていきますが、左手へとつづく旧東海道を進むと、藤沢バイパス出口の信号に到着です。</p><br><p>旧東海道は県道３０号と名を変え、遊行寺坂方面へと進んで行きます。藤沢バイパス出口の信号から６２０ｍほど歩いたところに旧東海道松並木記念碑が現れます。江戸時代にはこの辺りは見事な松並木がつづき、広重が描いた東海道にも描かれたほどです。そんな往時を偲ぶようにここに記念碑が建てられています。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/ad/df/j/o0342022712186914751.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/ad/df/j/t02200146_0342022712186914751.jpg"></a> 旧東海道松並木記念碑</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/f0/e0/j/o0342022712186914752.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/f0/e0/j/t02200146_0342022712186914752.jpg"></a> 旧東海道松並木記念碑<br></p><br><p>この旧東海道松並木記念碑を過ぎるとまもなく遊行寺の坂へとさしかかります。</p><br><p>其の三へつづく</p><br><p>秋・９月、１０月、１１月の歴史散策コースの日程を発表しました！</p><p><a href="http://www12.plala.or.jp/OEDO/"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120905/15/hmazda/f0/fa/j/t02200057_0385010012173118625.jpg" width="220" height="57"></a> </p>
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<pubDate>Fri, 14 Sep 2012 09:38:43 +0900</pubDate>
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<title>私本東海道中膝栗毛～戸塚宿から藤沢宿之巻～（其の一）</title>
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<![CDATA[ <p>残暑厳しいこの日、これまでシリーズ化してきた東海道を下る旅を敢行しました。この日も気温３０度超えが予想されていたので、歩き始めを少しでも早い時間にと考え、午前１０時にはＪＲ戸塚駅に到着しました。</p><br><p>午前中とはいえ、暑い陽射しが照り付けアスファルトからの照り返しが容赦なく目に飛び込んできます。覚悟は決めていたのですが藤沢宿までの７．８キロを踏破できるかほんの少し心配になってくるような猛暑です。</p><br><p>藤沢宿の江戸口見附は戸塚寄りにおよそ１キロほど行ったところなので、かつての戸塚宿の京口までは残すところ１キロ強といったところです。ＪＲ駅北口から旧東海道筋まではほんの僅かな距離です。旧道にでて藤沢方面へと足を進めるとすぐにＪＲの大きな踏切が現れます。踏切からは戸塚駅のホームがすぐそばまで迫っています。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/f8/3e/j/o0342022712186884649.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/f8/3e/j/t02200146_0342022712186884649.jpg"></a> 戸塚のＪＲ大踏切<br></p><br><p>踏切を渡ってほんの少し進むと、清源院前信号が現れます。この信号の角を右手へ折れ５０ｍほど歩くと本日の最初の立ち寄り場所である清源院の山門が右手に構えています。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/65/5f/j/o0342022712186884648.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/65/5f/j/t02200146_0342022712186884648.jpg"></a> 清源院山門<br></p><br><p>この清源院は家康公の側女として名高い「お万の方」とたいそう所縁のある寺院です。開基は家康公が亡くなった年である元和２年（１６１６）のことです。</p><p>この年（元和２年）、駿府で病に伏していた家康公を見舞ったお万の方は家康公よりたいへん貴重な阿弥陀像を賜ったと言われています。そして看病の甲斐なく家康公が亡くなると、お万の方は家康公より賜った阿弥陀像を安置するための寺を創建しようと寺地を探し求め、ここ戸塚へとやってきます。そしてお万の方はこの場所に適地を得て当寺を創建し、自らも尼となって開基となったのです。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/d5/49/j/o0342022712186884650.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/d5/49/j/t02200146_0342022712186884650.jpg"></a> 清源院本堂<br></p><br><p>山門から緩やかな坂道をのぼっていくと左手に比較的新しい本堂がそれほど広くない境内の奥に構えています。その境内の隅に芭蕉の句碑「世の人の見つけぬ花や軒のくり」と、その句碑のすぐ隣に、この寺の井戸で心中した戸塚の薬屋大島屋亦四郎（またしろう）の子で１８歳の清三郎と、同じ戸塚の伊勢屋清左衛門抱（かかえ）の飯盛（めしもり）で１６歳のヤマの慰霊のための心中句碑が置かれています。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/c5/97/j/o0342022712186886572.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/c5/97/j/t02200146_0342022712186886572.jpg"></a> 芭蕉句碑<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/56/74/j/o0342022712186886568.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/56/74/j/t02200146_0342022712186886568.jpg"></a> 心中句碑<br><br>※「世の人の見つけぬ花や軒のくり」の句意は<br>世塵を避けてひっそりと暮す主の奥ゆかしさを、その家の軒端の栗の花に託して詠んだ挨拶句です。</p><br><p>芭蕉句碑が置かれた場所の脇から石段が裏手の山へのびています。実はこの山の一番高いところにお万の方の「火葬の地碑」があるというので、石段を上ってみることにしました。のぼるにつれ薄暗く、若干ジメジメとした空気が流れ、それほど人も訪れないためか、石段には蜘蛛の巣がいたるところに張って、顔にまとわりつきます。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/e9/28/j/o0342022712186886569.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/e9/28/j/t02200146_0342022712186886569.jpg"></a> 裏山へつづく石段<br></p><br><p>石段は全部で７３段あります。山の頂は鬱蒼とした木々に覆われて暑い陽射しを遮ってくれるのですが、やたらやぶ蚊が多くちょっと立っているだけで蚊の集中砲火を浴びる状態です。</p><p>先ほどの「お万の方の火葬の地碑」も陽射しに遮られ薄暗い木の陰にひっそりと置かれていました。蚊の攻撃から逃げるように再び石段を駆け下り、ほうほうの体で清源院をあとにすることにしました。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/0a/9f/j/o0342022712186890002.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/0a/9f/j/t02200146_0342022712186890002.jpg"></a> お万の方の火葬の地碑<br></p><br><p>再び旧道（国道１号線）へと戻り、バスセンター前信号、戸塚郵便局前信号を過ぎ、戸塚小学校入口信号に達すると、右手に石垣で囲まれたスペースが現れます。ここがかつての戸塚宿の本陣があったところです。本陣の名は「澤辺本陣」といい、このスペースの裏手の家は「澤辺」の表札がでています。おそらく本陣を営んでいた澤辺家のご子孫の住んでおられるのでしょう。ここ本陣跡には「明治天皇戸塚行在所跡」の石柱もたっています。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/0f/3b/j/o0342022712186890003.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/0f/3b/j/t02200146_0342022712186890003.jpg"></a> 澤辺本陣跡<br></p><br><p>尚、戸塚宿にはここ澤辺本陣の他に内田本陣があり、その他に脇本陣が３軒あったそうです。</p><p>この澤辺本陣跡の左わきから細い路地がつづき、奥に二本の銀杏の木と石製の鳥居が立っています。鳥居の奥に小さな社殿が見えます。この神社が羽黒神社で本陣の澤辺家が家の守り神として建立した私的な神社なのだそうです。まあ、本陣を営むだけあって、宿場の中では名家で金持ちだったのではないでしょうか。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/84/fd/j/o0342022712186890004.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/84/fd/j/t02200146_0342022712186890004.jpg"></a> 羽黒神社鳥居と社殿<br></p><br><p>羽黒神社をあとに次の戸塚消防署信号を過ぎると、それほど目立たないのですが「臨済宗　円覚寺派」と刻まれた銘板がはめ込まれた石柱が歩道脇にたっています。その石柱から奥につづく道を辿ると坂道の上に山門が構えています。銘板には寺名が入っていませんが、これが「海蔵院」です。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/11/81/j/o0342022712186892195.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/11/81/j/t02200146_0342022712186892195.jpg"></a> 海蔵院銘板<br></p><br><p>海蔵院の山門はそれほど立派なものではありませんが、この山門には龍の彫刻が彫られています。一説によるとこの龍の作者があの有名な左甚五郎と言い伝えられています。それほど大きな境内ではないのですが、ご本殿の他に鐘楼堂が備わっています。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/5e/07/j/o0342022712186892197.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/5e/07/j/t02200146_0342022712186892197.jpg"></a> 海蔵院山門<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/8c/cb/j/o0342022712186892196.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/8c/cb/j/t02200146_0342022712186892196.jpg"></a> 左甚五郎作の龍の彫刻<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/5f/aa/j/o0342022712186894296.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/5f/aa/j/t02200146_0342022712186894296.jpg"></a> 海蔵院境内<br></p><br><p>この海蔵院からほんの僅かな距離に、国道一号線に面して有名な神社が社殿を構えています。戸塚近在では「お天王さま」として親しまれている鎮守ですが、その名を八坂神社といいます。当社を有名にしているのは「お札まき」と呼ばれる踊りなのですが、7月14日の八坂神社の夏祭りに行う踊りで、同社の元禄再興とともに始まったと伝えられています。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/c5/bf/j/o0342022712186894297.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/c5/bf/j/t02200146_0342022712186894297.jpg"></a> 八坂神社鳥居<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/63/83/j/o0342022712186894298.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120914/09/hmazda/63/83/j/t02200146_0342022712186894298.jpg"></a> 八坂神社社殿<br><br>この踊りは、江戸時代中期、江戸や大阪で盛んに行われていましたが、やがて消滅し、現在は東海道の戸塚宿にだけ伝え残されています。男子十数人が姉さんかぶりに襷がけの女装をして裾をからげ、渋うちわを持ち、音頭取り一人はボテカズラをかぶります。音頭取りの風流歌に合わせて踊り手が唱和しながら輪になって右回りに踊ります。踊り終わると音頭取りが左手に持った「正一位八坂神社御守護」と刷られた五色の紙札を渋うちわで撒き散らします。人々は争ってこれを拾って帰り、家の戸口や神棚に貼ります。</p><br><p>風流歌の歌詞は「ありがたいお札、さずかったものは、病をよける、コロリも逃げる」というものです。</p><br><p>其の弐へつづく</p><br><p>秋・９月、１０月、１１月の歴史散策コースの日程を発表しました！</p><p><a href="http://www12.plala.or.jp/OEDO/"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120905/15/hmazda/f0/fa/j/t02200057_0385010012173118625.jpg"></a> </p><br><br>
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<pubDate>Fri, 14 Sep 2012 09:17:12 +0900</pubDate>
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<title>東京スカイツリーの麓に築城か？</title>
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<![CDATA[ <p>スカイツリーへは毎度同じ道を辿って行くのですが、今日に限ってこれまで通ったことがない路地をくねくねと進んでいったのです。</p><br><p>スカイツリー直下を走る浅草通りから錦糸町側へほんの少し入った路地を進むうち、前方になにやら奇妙な姿の建造物を発見！</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120910/10/hmazda/28/48/j/o0342022712180871888.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120910/10/hmazda/28/48/j/t02200146_0342022712180871888.jpg"></a> まさしく天守？</p><br><p>遠目からは大きな銭湯か、はたまた新興宗教の本部の建物かと思うような外観です。近づくうちにその外観は銭湯でも、新興宗教の寺院建築でもなく、まさしく住宅街にそそり立つ城郭、すなわち天守そのものではありませんか。</p><br><p>今までスカイツリーには何度となく通っているのですが、まさかこんな場所に「お城」があるだなんて予想もつきませんでした。おそらく知らなかったのは私だけかもしれませんが？こうなるとスカイツリーどころではありません。いったいこの「お城」がなんの目的で建っているのか、を知りたくなりました。</p><br><p>東京にはこの手の風変わりな建物をラブホテルとして使っていることが多いのですが、このお城には「城門」まで備わっています。そして天守にあたる建物には「梲（うだつ）」らしきものが置かれ、それには「お城・森八」と「御菓子司」と書かれているではありませんか。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120910/10/hmazda/ed/6e/j/o0342022712180873377.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120910/10/hmazda/ed/6e/j/t02200146_0342022712180873377.jpg"></a> 梲<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120910/10/hmazda/ee/39/j/o0342022712180873378.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120910/10/hmazda/ee/39/j/t02200146_0342022712180873378.jpg"></a> 商号<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120910/10/hmazda/66/92/j/o0342022712180873379.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120910/10/hmazda/66/92/j/t02200146_0342022712180873379.jpg"></a> お城全景<br></p><br><p>実はこのお城は墨田区業平に店を構える和菓子「森八本舗」の本店の建物だったのです。創業は戦前の昭和８年（１９３３）ですから、今から８０年余り前のことです。この城の築城年は定かではありませんが、スカイツリーもさることながらここ業平のもう一つの名物建物になっているのではないでしょうか。とはいっても森八城の城下はそれほどの賑わいがないのが不思議です。</p><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120910/10/hmazda/5b/04/j/o0342022712180874327.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120910/10/hmazda/5b/04/j/t02200146_0342022712180874327.jpg"></a> 本日の東京スカイツリー</p><br><p>さて森八城の城主が推奨するお菓子はなんといっても「大粒栗入最中」のようです。栗の形をした最中で大きな栗が１個丸ごと入ったもので、こし餡と白餡の二種類の味を楽しめるようです。</p><p>スカイツリーにお越しの際に、立ち寄ってみてはいかがでしょうか？</p><br><p>お城　森八<br>住所：東京都墨田区業平1-3-6<br>電話：03-3622-0006<br>営業時間：9:00～18:00<br>定休日：毎月第3月曜日　※ただし、3月・9月・12月は第3月曜日も営業します。</p><p><a href="http://morihati.co.jp/">http://morihati.co.jp/</a> </p><br><p>秋・９月、１０月、１１月の歴史散策コースの日程を発表しました！<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120905/15/hmazda/f0/fa/j/o0385010012173118625.jpg"><img border="0" alt="大江戸散策徒然噺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120905/15/hmazda/f0/fa/j/t02200057_0385010012173118625.jpg"></a> </p>
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<pubDate>Mon, 10 Sep 2012 10:36:25 +0900</pubDate>
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