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<title>青い鳥はもう二度と帰ってこなかった</title>
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<description>メーテルリンクの青い鳥はずっと昔に飛び去ってしまいました。時はその歩みを止めてはくれなかった。</description>
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<title>倭　謎の４・５世紀　七支刀にみる大陸・半島と列島の関係</title>
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<![CDATA[ <p>日本の古代史、とりわけても4世紀、5世紀は謎の世紀と呼ばれている。小学館「日本の歴史」２　大王の世紀　<ruby>石上<rp>(</rp><rt>いそのかみ</rt><rp>)</rp></ruby>神宝　「<ruby>七<rp>(</rp><rt>なな</rt><rp>)</rp></ruby><ruby>支刀<rp>(</rp><rt>しとう</rt><rp>)</rp></ruby>」の謎を紐解くと、知らなかったことが多くある。</p><p>&nbsp;</p><p>・石上神宮には<ruby>天<rp>(</rp><rt>あめ</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby>日<rp>(</rp><rt>ひ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby>槍<rp>(</rp><rt>ぼこ</rt><rp>)</rp></ruby>(新羅からの渡来人または渡来神)の神宝が収納されたり、<ruby>履中<rp>(</rp><rt>りちゅう</rt><rp>)</rp></ruby>天皇の石上入りを<ruby>阿<rp>(</rp><rt>あ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby>知値<rp>(</rp><rt>ちのあたい</rt><rp>)</rp></ruby>が導いたりとしたなど、朝鮮渡来の伝承や氏族とのかかわりが深く、泰和４年(369)に、<ruby>百済<rp>(</rp><rt>くだら</rt><rp>)</rp></ruby>の王が倭王のために作って与えたことを銘文にとどめる有名な七支刀が、この社に古くから所蔵されていた。</p><p>&nbsp;</p><p>・<ruby>神宮<rp>(</rp><rt>じんぐう</rt><rp>)</rp></ruby>は5世紀終わりもしくは６世紀の初めころに新羅において用いられていた。伊勢神宮の称が早くても6世紀後半であると考えられることから新羅の方が早い。石上の社を神宮と呼ぶことになった理由の一つにはその聖域が朝鮮にゆかりの深いところであった故に神宮の称がつけられたのであろう。</p><p>&nbsp;</p><p>・神宝中の神宝は国宝の七支刀だ。全長74.9ｃｍ、刀身約65ｃｍの<ruby>鍛鉄<rp>(</rp><rt>たんてつ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby>両刃<rp>(</rp><rt>もろは</rt><rp>)</rp></ruby>で刀身の左右に3つずつの枝が互い違いに出ており、刀身の表裏に60余字の<ruby>金<rp>(</rp><rt>きん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby>象嵌<rp>(</rp><rt>ぞうがん</rt><rp>)</rp></ruby>の銘文がある。</p><p>・1874(明治6)に宮司となった<ruby>菅<rp>(</rp><rt>かん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby>政友<rp>(</rp><rt>まさとも</rt><rp>)</rp></ruby>は「大和国石上神宮宝庫所蔵七支刀」の字体が「高句麗の好太王の碑によく似たり」としている。彼は神功皇后52年9月の条により、「此時百済王の献れるものなるべし」と百済王献上の太刀とみなした。この献上説はその後今日に及んでいる。</p><p>&nbsp;</p><p>・この日本側のよみ方に朝鮮民主主義共和国の金錫亨は、「百済の臣下の地方王である倭王に与えるもの」であるとした。</p><p>&nbsp;</p><p>・日本書紀の神功皇后伝承をもとに七支刀の銘文を解釈するのは手続きとしても正しくない。<ruby>津田<rp>(</rp><rt>つだ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby>左右<rp>(</rp><rt>そう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby>吉<rp>(</rp><rt>きち</rt><rp>)</rp></ruby>の文献批判で明らかにされているように神功皇后紀の信ぴょう性には問題があり、銘文はまず銘文の解読によるべきもので8世紀初葉に成った「日本書紀」の伝承は参考とすべきである。</p><p>&nbsp;</p><p>・銘文の読みは、諸説あるが、表が「よろしく候王に提供すべし」で裏は「倭王旨のために造る。後世に伝次せよ」であろう。この銘文自体が、上位者が下位者にだす<ruby>下行<rp>(</rp><rt>げぎょう</rt><rp>)</rp></ruby>文書の形式をとっている。百済王が倭王に対して「服属のしるし」として「献上」したと解釈しうるような部分は「少しもない」。銘文に言う限りでは、百済側作刀の意識としては泰和4年（369）の段階にあっては百済王が倭王を「候王」と称していたことがわかる。→七支刀のわることは知っていたが、これが国宝で、金象嵌の文字があり、しかも、百済王が倭王「旨」に送り与えたというような歴史的流れをしるべくもなかった。東洋史の流れの中でみないと分からないことが多い。倭王「旨」とは誰か。応神天皇に該当するとも。この当時、百済が強力な国であったことも知らなくてはならない。<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230116/20/honjo3897413/45/2d/j/o0484040015230789026.jpg"><img alt="" height="347" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230116/20/honjo3897413/45/2d/j/o0484040015230789026.jpg" width="420"></a></p>
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<pubDate>Tue, 31 Jan 2023 21:20:27 +0900</pubDate>
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<title>日本古代史　謎の４・５世紀</title>
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<![CDATA[ <p>　日本の古代史、とりわけても4世紀、5世紀は謎の世紀と呼ばれている。小学館「日本の歴史」２　大王の世紀の月報２で司馬遼太郎とこの第２巻執筆者の上田正昭京都大学教授の対談が掲載されている。</p><p>&nbsp;</p><p>・第２巻では４，５世紀を舞台とした広いエリアから日本の古代史を眺めており、従来の日本古代史と大きく違っているようだ。→私見：これは重要なことだ。日本史は東洋史のほとんどが中国史なのに、日本史はまるで日本国内で完結しているような印象が強かった。しかし、日本の古代にあっては、国境や国家・ナショナリズムというものが確立されない時代であり、人々は縦横無尽に大陸や半島、列島を動き回っていたと考えるべきだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>・「大王は神にしませば」という天皇の神格化は壬申の乱(６７２年)以降というのが通説。</p><p>&nbsp;</p><h3 class="ameba_heading06" data-entrydesign-alignment="left" data-entrydesign-count-input="part" data-entrydesign-part="ameba_heading06" data-entrydesign-tag="h3" data-entrydesign-type="heading" data-entrydesign-ver="1.54.1" style="display:flex;flex-direction:column-reverse;margin:8px 0;color:#333;font-weight:bold"><span class="amp-nodisplay" contenteditable="false" role="presentation" style="display:block;width:100%;height:2px;background-color:#235FB0;border-bottom-left-radius:2px;border-top-right-radius:1px;border-bottom-right-radius:1px">&nbsp;</span><span style="display:flex;align-items:strech;justify-content:flex-start;letter-spacing:0.01em;font-size:20px;line-height:1.6;min-height:32px;line-break:loose;word-break:break-word;text-align:left"><span class="amp-nodisplay" contenteditable="false" role="presentation" style="display:block;margin-right:10px;min-height:40px;width:10px;border-top-left-radius:2px;border-top-right-radius:2px;background-color:#235FB0;flex-shrink:0">&nbsp;</span><span style="flex-grow:1;margin:0.2em 0"><span data-entrydesign-content="" style="display:block">・江上波夫の「騎馬民族征服王朝」説は東アジア史の中で日本古代王朝を考えるというもので、彼は当初４世紀に崇神天皇(ミマキイリヒコ)が畿内で建国し、それが５世紀の応神、仁徳朝へと受け継がれるという持論だったが、のちに崇神王朝は北九州に建国され、次いで北九州から畿内に入って第２次の応神天皇の建国があったとしている。上田も４世紀と５世紀の間に王朝の変化があったと考える。</span></span></span></h3><p>&nbsp;</p><p>・上田：４世紀の、三輪山(奈良県)を中心とした王権を「三輪王朝」あるいは「イリ王朝(諡号にイリの名が入る天皇の王朝)」、５世紀は河内(大阪)を基盤とした「河内王朝」、「継体王朝」へと変わる。５世紀の河内には巨大古墳が出現する、それを築き得る政治権力があり、４世紀の政治構造よりかなり充実したものが５世紀には形作られていただろう。</p><p>&nbsp;</p><p>・河内を基盤として台頭した王朝のもとは何かだが、瀬戸内ルートを媒介にして河内に土着した勢力が成長して、三輪王朝に取って代わった。→私見：要するに王朝が代ったということなのだろう。代わったということは前王朝は滅ぼされ、新しい王朝が取って代わったということだ。万世一系というのが歴史的事実ではないことになる。古代日本にはこの体制の交代が幾度か見られるという。</p><p>&nbsp;</p><p>・騎馬民族征服説の弱点は、日本では４世紀に馬具の出土例が無いこと。５世紀には明らかに出ている。</p><p>&nbsp;</p><p>司馬：犬、猫、猿、ネズミなど、日本語で身辺の動物の名前だけは変わっていないが、馬だけはシナ語。三輪王朝時代には言葉もなかったか。河内王朝で馬が現れ、軍事と農耕の両方に使用した。</p><p>上田：魏志倭人伝の倭人の条には「牛馬なし」とある。馬文化はしかし、その後衰退していく。日本には馬車や戦車の伝統がほとんどない。奈良時代には、馬を飼えるのは中央の官僚や国司などの役人で、一般民衆は徒歩で歩いていた。→私見：確かに、牛車のイメージはあるが、馬車というのは歴史書・教科書でも見たことない。馬はサラブレッドではなく、ラバのようなものだったのだろうか。騎馬民族の馬をまだ調べていないので分からないけれど。</p><p>&nbsp;</p><p>上田：歴史家とは歴史分析の方法と、歴史叙述、そして歴史観の三つを備えた者だろう。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230116/20/honjo3897413/45/2d/j/o0484040015230789026.jpg"><img alt="" height="347" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230116/20/honjo3897413/45/2d/j/o0484040015230789026.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>対談：１９７３(昭和４８)年９月２２日　大阪「吉兆」</p>
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<link>https://ameblo.jp/honjo3897413/entry-12786385975.html</link>
<pubDate>Fri, 27 Jan 2023 21:08:39 +0900</pubDate>
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<title>いやな時代になってきたものだ</title>
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<![CDATA[ <p>　気候変動によって、気温が極端に高くなったり、台風の規模が非常に大きくなってきたと感じることが多い、と思われる方も少なくないだろう。このような時代の２０２０（令和２）年夏は家に閉じこもるほかは、ほとんど何もできない夏であった。しかも、今年は新型コロナウイルス感染症、ＣＯＶＩＤ-１９の世界的蔓延で自粛生活なるものを強いられており、フラストレーションがたまる中、長い梅雨と猛暑続きに誰もが不安を感じながら嫌な時代が到来したと思わざるを得なかったのではないか。</p><p>　コロナ禍は日本では２０２０年初めころから２０２１年の１０月ころまで5つの波を迎えながら続いた。しかも、数々の変異株が登場し、２０１１年はデルタ株が世界を覆っていたのだが、ここ1か月余りに南アからオミクロン株なる変異種がブレイクスルー感染を引き起こして世界中にまん延し始めた。英国、米国、フランスなどと驚くほどの新規感染者が増加している。</p><p>　究極の解決術であるはずのワクチン接種が７０％を超えれば、自然免疫が進んで収まるのではといわれてきたが、接種が進んだイスラエルでは何と４回目の接種が始まるという始末である。With　Coronaなる生活方法がおまじないのように唱えられているが、共存するにはまだまだ遠いようだ。</p><p>　米国のように「コロナは風邪のようなものだ」と、リーゼント前大統領の信奉者は接種を受けずにいるようだし、宗教的にワクチンなどの一切を禁じている信徒もいるという。また、ワクチンの陰謀説は根強く、人類の人口過剰を抑制するために誰かが撒いたのだという。その当事者はイルミナティーなる闇の支配者勢力だという。一笑に付すこともできるが、ある意味では人間の他者への無関心が呼んだことへの罰かもしれないということも気にならないともいえない。21世紀初頭の世はそれほどに混とんとしているのだ。特に、米中（ソ）対立が先鋭化しているときでもあり、こうした不幸なパンデミックは世界中の人々に不安とある種の負の力の存在を覚えさせるものなのだ。人々といってもとどのつまりは先進国の人々であろう。考える余裕のある人々が悩むのだ。</p><p>　弱者や犠牲者への無関心が呼ぶ心の負の連鎖が起こす負の意識の塊がイリュミナティーなる闇の勢力なのである。闇の勢力はあなたの、そして己の心にある。</p><p>&nbsp;</p><p>　2021年12月27日　茂木</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211228/00/honjo3897413/45/20/j/o1920108015052652838.jpg"><img alt="" height="124" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211228/00/honjo3897413/45/20/j/o1920108015052652838.jpg" width="220"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Tue, 28 Dec 2021 00:32:20 +0900</pubDate>
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<title>ケネディ暗殺事件から５７年</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp; <span style="color:#ff0000;"><span style="font-weight:bold;">２０２０年</span></span>５月２日、NHKの未解決事件ファイル８、J.F.ケネディ暗殺事件のプログラムをご覧になりましたか。私の知るこの事件内容からかなり進展があったことを告げる興味ある内容だった。暗殺後50年たった後に事件に関する情報が開示されるはずが、トランプ政権をもってしても核心部分は秘匿処理に付されたことはご存知であろう。なぜかそれは50年がたった今日でも、恐らくはCIA上官が暗殺に関与していたことを公にすることが今でも国家の利益にならない内容であることを物語っている。民主党の大統領を国家機関の情報機関が暗殺したなどということは共和党の現大統領としても開示すべきでないと周りから説得されたのに違いない。</p><p><br>&nbsp;<span style="color:#ff0000;"><span style="font-weight:bold;"> 私</span></span>はこの事件を1963年11月、日米間最初の衛星通信テスト放送でこの事件を知った。当時中学１年生、モノクロ14インチテレビでテスト放送を早朝から家族で楽しみに待っていた。しかし、その放送は思いもかけない内容だった。「皆さんに大変悲しい放送をお届けしなくてはなりません。」と始まった。6頭立ての馬車が彼の遺体の棺を乗せてアーリントン国立墓地へと走っていく場面と弔意の空砲が白煙をたてて鳴らされている場面の画像だけが記憶に残っている。これはどこかの放送局のニュースだったのかもしれない。</p><p><br>　<span style="color:#ff0000;"><span style="font-weight:bold;">NHK</span></span>番組の終わりでCIA本部の壁面に彫られている言葉が出てくる。新約聖書ヨハネによる福音書第8章３２節。「You will know the truth, and the truth will see you free.(また、真理を知るであろう。そして真理はあなた方に自由を得させるであろう。)」。オズワルド単独犯説を仕立て上げ、逮捕した上に殺してしまうシナリオを書き上げ、実行したであろうこの情報機関への皮肉でしかない。</p><p><br>　<span style="color:#ff0000;"><span style="font-weight:bold;">１５年前</span></span>の2005年私は暗殺事件の現地、テキサス州ダラスを訪れる機会を得た。テキサス教科書倉庫は暗殺事件に関する博物館になっていた。１２階のリー・ハービー・オズワルドがライフル銃で銃撃したとされる倉庫の窓側の現場を見た。銃が展示されて説明が掲げられていたが特に感慨は抱くことはなかった。むしろ、入り口付近の壁一面に引き伸ばされたオープンカーで笑顔を浮かべる夫妻の有名な写真が懐かしかった。入り口に戻り銃撃されたエルム通りに向かうと、オープンカーで銃撃された場所には大きくX印が記されていた。もはや４２年の年月はさすがに生々しさを欠いており、ショー化された舞台になってしまっていた。</p><p><br>　<span style="color:#ff0000;"><span style="font-weight:bold;">事件</span></span>はすでに風化し、歴史的事件を売り物にしているという印象が残った。事件から2年後、ジャクリーン夫人と弟ロバートの依頼も受けたウイリアム・マンチェスターによる『ある大統領の死』が日本でも刊行されている。この書物では犯人はオズワルドしか出てこない。この事件を捜査したウオーレン委員会の報告書はオズワルドの単独犯行説を唱えていた。しかしい、当時から複数犯行説が流れていたし、いくつもの捜査での矛盾点が示されていた。銃撃はテキサス教科書倉庫からだけでなく前方の丘の陰からもあったといわれた。保守的と言われる南部ダラスの反ケネディーの雰囲気、それにも拘わらすオープンカーでのパレードの実施など、事件をとりまく背景も複雑であった。CIAの一部の暴発者の犯行を思わせるNHKの放送であったが、これが事実なのかも実はわからない。</p><p><br>　<span style="color:#ff0000;"><span style="font-weight:bold;">キューバ</span></span>のカストロ首相暗殺を狙ったピッグス湾事件の失敗を処断した首謀者ケネディーに対するピッグス湾事件遂行団体のトップと、その知り合いだったCIAダラス支部長による陰謀説だが、それだけで大統領暗殺ができるのかはわからない。背景には米ロの冷戦が横たわっていた。時間はあらゆることを風化させ、移ろいゆく世界の流れのなかで人の心も変わってゆく。</p><p><br>　<span style="color:#ff0000;"><span style="font-weight:bold;">確かに</span></span>今日までJ.F.ケネディー暗殺事件は多くの米国民の心に暗い影を落としてきたであろうが、彼がどのような人物だったのかは私はよく知らない。悲劇の主人公が強調されて負の面は影を潜めるが、愛人のマリリンモンローを弟ロバートが長官を務める司法省が殺したというような話もある。真実は永遠に分からないだろうし、真実といえるものは無いのかも知れない。噂は噂とデマを生む。誰もが事実を知りたいと思うだけなのだが。</p><p><br><span style="font-weight:bold;">　オズワルド</span>は「謀られた。」と言ったようだが、警察署内の衆人監視のなかで逮捕の翌々日にはストリップ劇場支配人のJ・ルビーに銃撃されて死んだ。彼のロシア人の妻と彼こそはその人生において不幸を一身に受けた人間なのかもしれない。暗殺が許されるものではないとして、それを脅して実行させたのがCIAだったとしたら、事件の評価は今後どのようになされるのだろうか。それにしても銃社会アメリカの恐ろしさは今も変わらない。これが自由の国、正義を希求する国、そしてアメリカ・ファーストの国である。<br>&nbsp;</p><p>　<span style="color:#ff0000;"><span style="font-weight:bold;">なお、</span></span>ケネディー大統領はこの事件の翌年に訪日の予定であった。また、事件の年にはフランスのドゴール大統領暗殺未遂事件が起きている。</p>
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<pubDate>Sun, 03 May 2020 20:40:33 +0900</pubDate>
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<title>誤読された万葉集　古橋信孝著　＋　新元号　令和の典拠について</title>
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<![CDATA[ <h4 class="MsoNormal"><span style="font-size:1em;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">&nbsp; 元号が替わった。平成から令和となった。この令和、これまでのように漢書から取られたものではなく、国書から初めて選ばれたという。その評価は、歴史と伝統を破るのか、というものから日本の書物から選ばれたことを良しとするものや命令の令に為政者的強権を感じるものまである。国書から選ぶという背景には中国脅威論とナショナリズムを掻き立てるトップ為政者の存在があることは確かであろう。元号という天皇制の、歴史と伝統を何よりも尊ぶ世界であったのに漢書からではなく国書を典拠とする背景には日本会議などの勢力への忖度が当然あるのだろう。元号の変更は代替わりがあって行われてきたようだが、平成から令和への変更は象徴としての天皇の職務遂行ができなくなったという平成天皇の願いにより法律を作ってまで、一代限りの例外として行われた。前例に縛られた宮内庁としては全く納得のいかないところであったろうことは想像に難くない。しかし、皇位継承順位一位の皇嗣となる秋篠宮は７０才になって引き継いでもそれは（皇位継承）できないだろうと述べており、「伝統」が再び壊れる可能性が予想されている。</span></span></h4><h4 class="MsoNormal"><span style="mso-spacerun:'yes'; font-family:'ＭＳ 明朝'; mso-ascii-font-family:Century; mso-hansi-font-family:Century; font-size:12.0000pt; mso-font-kerning:1.0000pt; "><o:p></o:p></span><br><span style="font-size:1em;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">　さて、新元号令和の出典は万葉集とされている。万葉集、梅花の歌３２首の序文</span><span style="background: rgb(255, 255, 255); font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">、「初春令月、</span><span style="mso-spacerun:'yes'; font-family:'ＭＳ 明朝'; font-size:12.0000pt; mso-font-kerning:0.0000pt; background:rgb(255,255,255); mso-shading:rgb(255,255,255); ">気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」</span><span style="background: rgb(255, 255, 255); font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">。</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は</span><span style="background: rgb(255, 255, 255); font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">珮</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">後の香を薫らす。政府は、人々が美しく、心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ、という意味だとし、また万葉集は、日本最古の歌集であるととともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人や農民まで幅広い階級の人々が詠んだ歌おさめられ、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書、だとしている。</span></span><span style="mso-spacerun:'yes'; font-family:'ＭＳ 明朝'; font-size:12.0000pt; mso-font-kerning:1.0000pt; "><o:p></o:p></span></h4><h4 class="p" style="margin: 5pt 0pt;"><span style="font-size:1em;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">　</span><span style="font-style:italic;"><span style="mso-spacerun:'yes'; font-family:'ＭＳ 明朝'; font-weight:normal; font-size:12.0000pt; mso-font-kerning:1.0000pt; ">こうして新元号が発表される中、早くも出典に対する意見が出</span><span style="mso-spacerun:'yes'; font-family:'ＭＳ 明朝'; font-weight:normal; font-size:12.0000pt; mso-font-kerning:1.0000pt; ">揃って</span><span style="mso-spacerun:'yes'; font-family:'ＭＳ 明朝'; font-weight:normal; font-size:12.0000pt; mso-font-kerning:1.0000pt; ">いる。</span><span style="mso-spacerun:'yes'; font-family:'ＭＳ 明朝'; font-weight:normal; font-size:12.0000pt; mso-font-kerning:1.0000pt; ">　</span><span style="mso-spacerun:'yes'; font-family:'ＭＳ 明朝'; font-weight:normal; font-size:12.0000pt; mso-font-kerning:1.0000pt; ">-</span><span style="mso-spacerun:'yes'; font-family:'ＭＳ 明朝'; font-weight:normal; font-size:12.0000pt; mso-font-kerning:1.0000pt; ">新元号「令和」の出典、万葉集「初春の令月、気淑しく風和らぐ」ですが、『文選』の句を踏まえていることが、新日本古典文学大系『萬葉集（一）』</span><a href="https://t.co/2VXbiq7Iw8"><span class="15" style="mso-spacerun:'yes'; font-family:'ＭＳ 明朝'; color:rgb(16,92,182); font-weight:normal; font-size:12.0000pt; ">iwanami.co.jp/book/b325128.h…</span></a><span style="mso-spacerun:'yes'; font-family:'ＭＳ 明朝'; font-weight:normal; font-size:12.0000pt; mso-font-kerning:1.0000pt; ">&nbsp;の補注に指摘されています。「「令月」は「仲春令月、時和し気清らかなり」（後漢・張衡「帰田賦・文選巻十五）」とある。」</span><span style="mso-spacerun:'yes'; font-family:'ＭＳ 明朝'; font-weight:normal; font-size:12.0000pt; mso-font-kerning:1.0000pt; ">-岩波文庫編集部。</span><span style="mso-spacerun:'yes'; font-family:'ＭＳ 明朝'; font-weight:normal; font-size:12.0000pt; mso-font-kerning:1.0000pt; ">万葉集が帰田賦をオマージュしたと見るのが普通</span><span style="mso-spacerun:'yes'; font-family:'ＭＳ 明朝'; font-weight:normal; font-size:12.0000pt; mso-font-kerning:1.0000pt; ">、なのだそうである。</span></span></span></h4><h4 class="p" style="margin: 5pt 0pt;"><span style="font-size:1em;"><span style="font-style:italic;"><span style="mso-spacerun:'yes'; font-family:'ＭＳ 明朝'; font-weight:normal; font-size:12.0000pt; mso-font-kerning:1.0000pt; ">　</span></span><span style="mso-spacerun:'yes'; font-family:'Times New Roman'; mso-fareast-font-family:'ＭＳ 明朝'; font-size:12.0000pt; mso-font-kerning:1.0000pt; ">張衡は中国古代の地震計として知られる「地動儀」を作り、また円周率の近似値を算出した、中国の切手にも登場する著名な</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">歴史人物</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">なのだそう</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">で</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">ある</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">。</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">令和の典拠は、</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">張衡「帰田賦」（AD78-139）</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">⇒</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">王羲之「蘭亭序」（AD353）</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">⇒</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">昭明太子「文選」（AD501-531）</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">⇒</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">大伴家持「万葉集」（AD759）という流れであることのようなのです。万葉集の歌も漢字だけを並べたものでにわかに意味がわかるものではないのです。</span></span><span style="mso-spacerun:'yes'; font-family:'ＭＳ 明朝'; font-size:12.0000pt; mso-font-kerning:1.0000pt; "><o:p></o:p></span></h4><h4 class="p" style="margin: 5pt 0pt;">&nbsp;</h4><h4 class="p" style="margin: 5pt 0pt;"><span style="font-size:1em;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">　更に、万葉集は天皇や皇族、貴族だけでなく、防人や農民まで幅広い階級の人々が詠んだ歌</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">が</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">おさめられ</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">ているという説明がありましたが、</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">-古橋信孝著「誤読された万葉集」によれば、「</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">実際にはそのほとんどが宮廷や宮廷関係者の歌であり、国民的な和歌集ではないと言える。すなわち</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">-</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">万葉集は日本人の庶民の素朴な生活感情を素直に表現した歌集というのが相場だが、庶民の感情を素直に表現するなら地方で暮らす大多数の人々にとって都の言葉よりも地方の方言のほうが表現しやすいはずなのに、東国地方の歌以外には方言はほとんど見られない。しかも方言使用の歌は東歌（あずまうた）、防人歌（さきもりうた）</span><span style="font-style:italic;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">-</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">巻１４東歌２３０首と巻２０防人の歌１６６首、万葉集全体で４５００首ほどの約９．４％</span></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"><span style="font-style:italic;">-</span>と名付けられ、他の歌とは区別されている。万葉集には天皇、皇族、貴族の歌が多く、詠み人知らずの歌も同じ言葉で読まれている。すなわち、言葉を共通にする、宮廷人やその周辺にいた人々の歌を集めたのが万葉集である。万葉集は全二十巻、巻一、巻二が最初に成立し、続けて巻三が編まれ以後随時増補されたいったと考えられる。最後の歌が７５９年なのでそれ以降に成立したことは確かだが定説がない。編集は巻十七からの４巻が大伴家持の個人歌集的なものなので大友氏関係の人になろう。」</span></span><span style="mso-spacerun:'yes'; font-family:'ＭＳ 明朝'; font-size:12.0000pt; mso-font-kerning:1.0000pt; "><o:p></o:p></span></h4><h4 class="p" style="margin: 5pt 0pt;">&nbsp;</h4><h4 class="p" style="margin: 5pt 0pt;"><span style="font-size:1em;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">　令和という元号が与える影響はそれなりに小さくなく、為政者の思いが色濃く出た説明に従うだけでなく様々な広い意見も説明し皆が納得できるものでありたいと思う。</span></span><span style="mso-spacerun:'yes'; font-family:'ＭＳ 明朝'; font-size:12.0000pt; mso-font-kerning:1.0000pt; "><o:p></o:p></span></h4><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Wed, 12 Jun 2019 15:09:08 +0900</pubDate>
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<title>２０１７年９月１４日</title>
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<![CDATA[ <p class="img"></p><p align="center"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190605/03/honjo3897413/b0/5a/j/o0768102414430120313.jpg" alt="イメージ 1" width="560" border="0"></p><p></p>２０１７年９月１４日<br>　朝から天気が良くて気持ちが良い。巷では北朝鮮の話題やO－１５７での死者が出たこと、豊田真由子議員の釈明会見日の予測、民進党山尾不倫、宮沢りえと森田剛入籍か、SMAPメンバーの退社など話題に事欠かない。<br>　とはいっても、一番切実な問題は何か？それは加計問題、森友問題、安保法制、改憲など安倍政権による強権政治か、福島の原発問題あるいは北朝鮮によるミサイル、原爆問題か。<br>　日本人は熱しやすく冷めやすい。日本が沈没しそうになった未曽有の事故を２０２０年のオリンピック開催とともに忘れようとしている。<br>　福島の原発大事故により多くの人々がいまだに避難を強いられているし、食物等による内部被ばくにより健康被害は間違いなく進んでいるとしか言いようがない。政府と計画停電で市民を脅した東電の隠ぺい体質はこれまでもそうだが、現状さえ積極的に公表していないし、関連自治体も早く終わったことにしたいと躍起だ。危険地帯への早期帰還？安全な福島産品を食べて応援？どこがどう大丈夫なのか全くわからない。２０年、５０年、１００年後の健康被害なんて知らぬ存ぜぬで済まそうとしている。しかも津波を予測できなかったという嘘がまかり通ってとは思えないが今回の原発事故で誰一人責任をとっていない現実がある。<br>　脆弱な地震列島に多くの原発を作ったことの恐怖、しかも危険極まりない数万年単位で続く核廃棄物をどこでどう処理するかも決まっていない。廃棄物の最終処分場なんて作れるはずがない。停止した原発の再開、原発の海外輸出はクレージーとしか言いようがない。ドイツに学べ！<br>　原発政策を推進する自民党や公明党、維新の会やそれらに追随する政党に政治をまかせてはならない。日本中の原発が停止していて日本経済が麻痺しただろう？電力料金が数倍も跳ね上がっただろうか。　
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<pubDate>Thu, 14 Sep 2017 17:13:09 +0900</pubDate>
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<title>魏志倭人伝の解明</title>
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<![CDATA[ <div>魏志倭人伝の解明　－　西尾幹二「国民の歴史」を批判する<br>著者：藤田友治　発行所：論創社　２０００年１０月１０日発行</div><div><br></div><div>日本に文字のなかった古代史では当時の中国側により記録されたものを拠り所とするのは当然であるが、その歴史書の解釈がまた問題となっているのも事実である。<br>邪馬壹国（やまいちこく）が九州にあったのか、はたまた畿内にあったのかというのが長い間日本の歴史学会で論争されてきた。反中央権力の京都大学系が九州説で権力そのものの東大系が畿内説というところでも面白いのだが、著者は文字として記された歴史の意義を鋭く解きつつ、古田武彦氏の説を支持する。昨今は米国大統領選で大統領側から発せられたオールタナティブ・ファクト（別の事実）やフェイ・クニューズ（偽ニュース）が堂々とまかり通る世の中になりつつあるが、この事実はこれからの時代に生きる人々には宇高な事実である。<br>著者は「国民の歴史」は事実でないことを記して歴史を操作していると批判している。「国民の歴史」いわく、日本は単一民族である。アイヌの人々が登場しない。魏志倭人伝は歴史資料に値しない、と。しかし、これらは明らかに事実と異なる。中国の史書は漢書、後漢書、三国志、晋書など２４史全３２４９巻あり、日本に関する部分はそれぞれの編著者がそれぞれの史書を基に積み重ねられたものであり相矛盾しないという。<br>本書では晋の時代に陳寿により書かれた、６５巻からなる「三国志」魏志の３０巻にある東夷伝の２０００字程度のテキストを通じて歴史家の諸説を批判しながら評価を行い、九州説の優位をとっている。</div><div><img alt="「卑弥呼」の画像検索結果" src="https://msp.c.yimg.jp/yjimage?q=zfskspYXyLGMR7bSaBpO_zu.eAWw_0mqYKy9qTvViojDuQhyNwwD5XhRmGr_NhRYKIdCA0qXvUIBykX6tFkifPNsxpteqgyFT.gQ5W1sDAvzVtR._TqYOBJ.Zji7m1xdpi3fRNd1M1IV662png--&amp;sig=13845ll4f&amp;x=225&amp;y=225"><b></b><i></i><u></u><sub></sub><sup></sup><strike></strike><br></div><div>全２２７ページの一部を抜き出そう。<br>━「邪馬壹（いち）国」とあったのを邪馬台国と原文改定をしたのは、「大和」に古代からの政権の基盤があったからであるとする大和朝廷一元史観によっている。また、近畿の大和説だけでなく九州の山門（ヤマト）説においても、卑弥呼を中国皇帝へ従属した王ととらえ、九州の首長ということで、大和朝廷と切り離すため（根底には中国への差別感と皇国史観があります）に、やはり原文改定をしていたのです。（壹ではヤマトにならないということですね。）<br>━物証としては魏から邪馬壹国へ賜与された品と、邪馬壹国から魏へ貢献したした品が記載されているが、特に「同鏡百枚」が、三角縁（ぶち又はえん）神獣鏡なのかどうかという問題があります。この神獣鏡は日本で五百数十面、古墳時代前期（三から四世紀）からのみ出土しており、中国本土からは一面も出土していない。このことから、神獣鏡は魏鏡ではなく国産鏡であり魏の下賜品は後漢式鏡を中心に求めるべきである。そしてその分布は北部九州（１６０枚、山口、岡山、兵庫、滋賀で５枚）が圧倒していることから九州説が優位である、としている。<br>━結びとして、中国側の記した貴重なる資料である三国志・魏志倭人伝を基に歴史教育を展開してきたが、それは歴史資料に値するからであり、古代日本の国家がどのように形成されてきたのか、日本人の風俗や文化の様子が解明される貴重な資料であり、近畿説や九州説の対立を超えて、重要なテキストであると確信できるからである。</div><div><br></div><div>本書に接するまでは畿内説、九州説とどちらが妥当なのか分からなかったが、俄然、九州説が正しいと思えてきた。<hr></div>
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<pubDate>Sat, 11 Mar 2017 17:43:07 +0900</pubDate>
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<title>縮小ニッポンの衝撃</title>
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<![CDATA[ <font color="#00007f" size="3">NHKのこのタイトルの内容には日本の近未来が描かれていた。橋の維持、浄化槽の維持などインフラの維持ができなくなる地方自治体が増加する近未来。町をどう縮小するかが政策になる。<br>夕張市はすでに現時点でその政策を実施している。インフラを縮小することで町の存続を図っている。しかし相手は生身のひとであるり、住居を集中させるということには難しいことが山積する。<br>全国の６割の自治体がすでに行政サービスの維持が難しくなっているとアンケートに答えているという。自治体から住民にサービスを移す自治体が増えている。雲南市。まさにボランティアでの住民による住民のサービスが求められ、実施している。<br>現在の高齢化社会ではこうしたことが現実問題として全国規模で求められている。集落の存続がかかっている。それは私たちにとっての明日の姿でもある。２０６０年、あなたは大都市への移住を強いられているだろう。大都市といっても日本中の殆どの都市は限界に達すると予測される。都内では豊島区が真っ先に直面する問題となる。<br><br>地方移住が限界集落への凋落を少しでも遅らせることができるのだろうか。時間の問題に過ぎないだろう？<br>２０２０年。東京オリンピックに浮かれているとき、ひたひたと縮小日本が現実として押し寄せてくる。すでに減少に転じた資本主義日本が人口減少というナイフを喉元に突きつけられている。打つべき手と守る戦略は？<br>夕張市、アンケートで地元の高校への進学は３割になっている。これまでは８割だった。保育園の老朽化。夕張市３つの全ての保育園は耐震基準を満たしていないという。鈴木市長は悩みに悩む。<br><br>東京への一極集中で拡大してきた日本経済。避けてきた人口縮小の問題は待ったナシとなっている。地球温暖化の脅威の以前に、日本沈没が現実味を帯びてきている。<br></font><div align="center"><font color="#00007f" size="3"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190605/03/honjo3897413/d4/c6/j/o0230021914430120220.jpg" alt="イメージ 1" width="230" height="219" class="popup_img_230_219"></font></div><font color="#00007f" size="3"></font><div></div><font color="#00007f" size="3">さて、あなたはどう考えますか。</font>
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<pubDate>Sun, 25 Sep 2016 21:51:57 +0900</pubDate>
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<title>STAP細胞の光と闇</title>
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<![CDATA[ <div><font color="#0000bf">STAP細胞の問題はそろそろ片付いたと思っていたが、どっこい小保方氏は反撃の本を世に出した。</font></div><div><font color="#0000bf">「あの日」。STAP細胞は存在したのか。小保方氏の当時の立場と研究できる範囲。上司の責任やサイエンス投稿者の責任。この書物の販売に手を貸すように思えるのだが、理化学研究所という組織のあり方や一研究者が失った全てを比較するとき、この問題を探ってみたい気持ちを誰もが抱くだろう。</font></div><div><font color="#0000bf">ビジネスジャーナルの記事を提案したい。</font></div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190605/03/honjo3897413/5b/7e/j/o0300022514430120155.jpg" alt="イメージ 1" class="alignRight popup_img_300_225" width="300" height="225"></div><div align="center"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190605/03/honjo3897413/9d/4f/j/o0204030014430120185.jpg" alt="イメージ 2" class="popup_img_204_300" width="204" height="300"></div><div></div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div><strong><font color="#482c1b" size="4">STAP問題の元凶は若山教授だと判明…恣意的な研究を主導、全責任を小保方氏に背負わせ</font></strong></div><div>&nbsp;</div><div><font size="3">「私は、STAP細胞が正しいと確信したまま、墓場に行くだろう」</font></div><div>&nbsp;</div><div>STAP論文の共著者であるチャールズ・バカンティ博士は、米国誌「ニューヨーカー」（2月22日付電子版）の取材に対して、こう答えた。2015年にもSTAP細胞の研究を続け、万能性を示す遺伝子の働きを確認したという。<br>　<br>　また、「週刊新潮」（新潮社／2月11日号）では、理化学研究所・CDB（発生・再生科学総合研究センター）副センター長だった故・笹井芳樹博士の夫人が、インタビューにおいて次のように発言している。</div><div>「ただ、主人はSTAP現象そのものについては、最後まで『ある』と思っていたと思います。確かに主人の生前から『ES細胞が混入した』という疑惑が指摘され始めていました。しかし、主人はそれこそ山のようにES細胞を見てきていた。その目から見て、『あの細胞はESとは明らかに形が異なる』という話を、家でもよくしていました」</div><div>　ES細胞に関する世界トップクラスの科学者である2人が、ES細胞とは明らかに異なるSTAP細胞の存在を確信していたのだ。</div><div>　一体、あのSTAP騒動とはなんだったのだろうか――。</div><div>●ファクトベースで書かれた手記</div><div>　小保方晴子氏が書いた手記『あの日』（講談社）が1月29日に発刊され、この騒動の原因が明らかになってきた。時系列に出来事が綴られて、その裏には、関係者間でやりとりされた膨大なメールが存在していることがわかる。さらに関係者の重要な発言は、今でもインターネットで確認できるものが多く、ファクトベースで手記が書かれたことが理解できた。いかにも科学者らしいロジカルな構成だと筆者は感じた。</div><div>　しかし、本書に対しては「感情的だ」「手記でなく論文で主張すべき」などの批判的な論調が多い。特にテレビのコメンテーターなどの批判では、「本は読みません。だって言い訳なんでしょ」などと呆れるものが多かった。</div><div>　手記とは、著者が体験したことを著者の目で書いたものである。出来事の記述以外に、著者の心象風景も描かれる。それは当然のことだ。特に小保方氏のように、過剰な偏向報道に晒された人物が書く手記に、感情面が書かれないことはあり得ないだろう。それでも本書では、可能な限りファクトベースで書くことを守ろうとした小保方氏の信念を垣間見ることができる。</div><div>　また、「手記でなく論文で主張すべき」と批判する人は、小保方氏が早稲田大学から博士号を剥奪され、研究する環境も失った現実を知らないのだろうか。小保方氏は騒動の渦中でも自由に発言する権限もなく、わずかな反論さえもマスコミの圧倒的な個人攻撃の波でかき消された過去を忘れたのだろうか。このようないい加減な批判がまかり通るところに、そもそものSTAP騒動の根幹があると筆者はみている。</div><div>●小保方氏が担当した実験は一部</div><div>　STAP騒動を解明するために、基礎的な事実を整理しておこう。</div><div>　小保方氏が「STAP細胞」実験の一部だけを担当していたという事実、さらに論文撤回の理由は小保方氏が「担当していない」実験の部分であったという事実は、しばしば忘れられがちである。いわゆるSTAP細胞をつくる工程は、細胞を酸処理して培養し、細胞塊（スフェア）が多能性（多様な細胞になる可能性）を示すOct4陽性（のちに「STAP現象」と呼ばれる）になるところまでと、その細胞塊を初期胚に注入しキメラマウスをつくるまでの、大きく分けて2つの工程がある。</div><div>　小保方氏が担当していたのは前半部分の細胞塊をつくるまでである。後半のキメラマウスをつくる工程は、当時小保方氏の上司であった若山照彦氏（現山梨大学教授）が行っていた。</div><div>　もう少し厳密にいえば、小保方氏が作製した細胞塊は増殖力が弱いという特徴を持っているが、若山氏は増殖力のないそれから増殖するように変化させ幹細胞株化（後に「STAP幹細胞」と呼ばれる）させるのが仕事だった。つまり、「STAP現象」が小保方氏、「STAP幹細胞」が若山氏、という分担だが、マスコミにより、「STAP現象」も「STAP幹細胞」も「STAP細胞」と呼ばれるという混乱が発生する。</div><div>　本書によれば、若山氏はキメラマウスをつくる技術を小保方氏に教えなかった。小保方氏の要請に対して、「小保方さんが自分でできるようになっちゃったら、もう僕のことを必要としてくれなくなって、どこかに行っちゃうかもしれないから、ヤダ」と答えたという。<br>　<br>　この若山氏の言葉は見逃すことはできない。なぜなら、STAP細胞実験を行っていた当時、小保方氏はCDB内の若山研究室（以下、若山研）の一客員研究員にすぎなかったからである。小保方氏の当時の所属は米ハーバード大学バカンティ研究室（以下、バカンティ研）であり、若山氏は小保方氏の上司であり指導者という立場であった。</div><div>　当時の小保方氏は、博士課程終了後に任期付きで研究員として働くいわゆるポスドク、ポストドクターという身分だった。不安定な身分であることが多く、日本国内には1万人以上いるといわれ、当時の小保方氏もそのひとりであり、所属する研究室の上司に逆らうことはできなかったのだ。</div><div>　この弱い立場が、のちに巻き起こるマスコミのメディアスクラムに対抗できなかった最大の理由である。メディアがつくり上げた虚像によって、まるで小保方氏が若山氏と同じ立場で力を持っていたかのように印象づけられていた。</div><div>●ストーリーありきの実験</div><div>　話を元に戻す。小保方氏は若山研の所属になる以前、留学先のハーバード大学でバカンティ教授からSTAP細胞の初期のアイデアを得ていた。バカンティ教授は、「非常に小さな胞子のようにストレスに強い共通の幹細胞が全身の組織に存在しているのではないか」という仮説を提唱していた。バカンティ教授はそれを「スポアライクステムセル（胞子様幹細胞）」と名付けていた。</div><div>　小保方氏はその仮説を検証するために日夜研究に没頭し、ついにその証拠（Oct4遺伝子発現）を得ることになる。その結果をバカンティ教授の前で発表すると、バカンティ教授は、両手で固くこぶしをつくった後に目を見開き、「過去15年で最高のプレゼンテーションだった」と喜んだという。</div><div>　しかし、細胞が多能性を持つかどうかを証明するには、その細胞からキメラマウスを作製しなければならなかった。現在の生命科学界ではそれが一番厳密な証明とされているからだ。小保方氏はキメラマウスの実験を行うため、他の教授からの推薦もあり「キメラマウス作製の第一人者」である若山氏を紹介され、バカンティ研の所属のまま若山研の客員研究員となったのだ。</div><div>　本書によれば、小保方氏はキメラマウスの作製方法を若山氏から教わることなく、若山研で細胞塊の作製を淡々とこなすようになる。いつしか研究は若山氏の主導のもと、海外の有力科学雑誌への論文投稿が目的化し、論文のストーリーに合わせた実験へと変節していく。「ストーリーに合わない、つじつまの合わないデータは使用しないように」という指導まで小保方氏は受けている。信じがたいことに、実験が正しいかどうかを判定するための「コントロール実験」も行わなかったという。研究メンバーも全員、若山氏の意向に沿うようになり、強引な研究姿勢に異を唱える者もいなかった。</div><div>　そもそもバカンティ教授の仮説から始まり小保方氏の検証から動き出した研究の主導権が、完全に若山氏に渡ってしまい、ついには若山氏が特許配分51％を要求するまでになる。バカンティ研所属でいながら若山研の客員研究員という複雑な立場の小保方氏は、アメリカと日本の大先生の板挟みとなっていく。</div><div>　小保方氏は、細胞で起こる「新たな現象」（STAP現象）の研究を深めていきたいと若山研に移ったが、いつの間にか若山氏しか成功していない「新たな幹細胞株の確立」（STAP幹細胞）の研究と論文作成を部下として手伝う立場になっていた。</div><div>　自ら選んだ研究テーマが、もはや自由に研究できる立場でなくなり、しかも若山氏が主導した論文のストーリーに合わせた研究が続く毎日。「もうアメリカに帰ろうと思っている」と研究メンバーに打ち明けた。その直後、CDBの小さな研究室のユニットリーダーに募集しないかと声をかけられ、自分が望む研究ができるならと面接を受け、紆余曲折を経て小保方氏はCDBのユニットリーダーとなる。</div><div>●若山氏の責任</div><div>　その間、若山研による論文投稿は難航していた。その状況を劇的に変えたのが笹井氏だった。笹井氏はネイチャー誌にいくつもの論文が掲載された実績を持ち、世界的にも有名な科学者だった。笹井氏の指導により、論文は見事に整理され、ネイチャーへの掲載も決まった。</div><div>　そして笹井氏の命名により、小保方氏が検証した細胞の現象を「STAP」（Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency：刺激惹起性多能性獲得）と呼ぶようになった。この名称が示すように、「STAP」とは小保方氏が検証した細胞の現象を示す意味合いが強かったことがわかる。</div><div>　その後、論文に不備が見つかり、のちにこれが不正と判断されることによりマスコミの過剰報道を交えた大混乱が起こったのは周知のことだろう。画像の間違い等によるミスに関しては、小保方氏は会見や本書において何度も謝罪をしている。</div><div>　しかし、ポスドクの立場で部下として研究に携わり、当時の上司であり指導者であった若山氏が主導した論文投稿に協力した小保方氏に、全責任を負わせたのは明らかに間違いだといわざるを得ない。</div><div>　若山氏は、小保方氏と同じ責任を負ったのだろうか。いや指導者という立場であれば、研究員への指導責任によりはるかに重い責任が負わされたとしてもおかしくはないだろう。</div><div>　2月11日付当サイト記事において、東京大学医科学研究所特任教授の上昌広氏は、加藤茂明・東京大学分子細胞生物学研究所教授（当時）が責任著者として発表した複数の論文のなかにグループメンバーの一部による不正あったことに対する監督責任を取って、東大教授を辞職した例を挙げ、「なぜ、加藤氏と若山教授の扱いが、こんなに違ってしまうのだろう」と指摘している。</div><div>　さらに、若山氏が15年に、「絶滅動物の細胞再生および有用遺伝子回収方法の確立」というテーマで、基盤研究（A）として年間975万円の研究費を受け取っていたという事実から、「文科省のガイドラインに準じれば、そもそも彼には科研費に応募する資格がない。なぜ、山梨大も文科省も、このことを議論しなかったのだろう」と指摘している。</div><div>　前述のとおり、STAP論文撤回の理由は小保方氏が「担当していない」実験の部分であったが、世間では小保方氏の画像の間違い等による不正認定が原因だと広く認識されている。</div><div>　次回は、その真相を探っていく。そこには、若山氏が責任を回避したマジックが隠されているのだ。<br>（文＝大宅健一郎／ジャーナリスト）</div><div>&nbsp;</div><div>株式会社サイゾー ビジネスジャーナル　２０１６年２月２６日より</div><div>&nbsp;</div>
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<pubDate>Sat, 27 Feb 2016 07:35:34 +0900</pubDate>
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<title>８０００歩説</title>
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<![CDATA[ 人は二足歩行できなかった時代が長かったからか日本人の私はこたつに座ったり、椅子に腰掛けたり、布団に横になるのが好きだ。<div>これは祖先が類人猿だったことに由来するのかもしれない。</div><div><br></div><div>然しなが進歩のツリーを遡ることはできないらしい。　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190605/03/honjo3897413/a5/32/j/o0267018814430120113.jpg" alt="イメージ 1" class="popup_img_267_188" width="267" height="188"></div><div><br></div><div>木は上に伸びるばかりで縮むことはない。伸びるか枯れるかして時を刻んでゆく。それには歩くしかなかったのだ。歩くのは、前に進むために課せられた人間への罰である。</div><div><br></div><div>子供が最初に歩くのは人類の歴史と重みを経験しながらの試みである。人間に与えられた罰だとは知らない。</div><div><br></div><div>８０００歩。人は老いてもこの数字を守らなければならない。二足歩行を始めたばかりに毎日歩かねばならない。ツリーを先へと伸ばすために。</div><div><br></div><div>８０００歩、歩いて満足し、次の歩行を考える。歩かねばならないと。ああなたもきっと歩いているでしょう。８０００歩を目指して。</div><div><br></div>
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<pubDate>Tue, 16 Feb 2016 21:03:29 +0900</pubDate>
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