<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>honn-to-coffeeのブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/honn-to-coffee/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/honn-to-coffee/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ひっそり生きる人のひっそりブログ</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>あけましておめでとうございます</title>
<description>
<![CDATA[ <p>ぼんやりとしている間に新年がすぎて、もうはじめの月が終わろうとしている。早いものだ。いつもと変わりない良い正月だった。</p><p>&nbsp;</p><p>物価高で外食をひかえるようになった。ひたすら自炊、弁当、たまに惣菜。あんなにしょっちゅう外食していたのが夢のようだ。ごく普通のファミレスですら平気で２０００円を超えてくるから、人と会うだとか弁当を用意できなかった日だとかにしか利用していない。喫茶店のナポリタンセットも１５００円は普通になってしまった。</p><p>&nbsp;</p><p>先日、アニメ『野原ひろし昼飯の流儀』を見ていたら、マグロ丼は５００円で定食は７００円くらいだった。思えばちょっと前まではこの値段だった。原作の発表からアニメ化までにそんなに時間は経っていないはずなので、それだけ早く物価が上昇したということだ。これで収入が増えていればデフレ経済脱却めでたし思えるけれども税金しか増えない。だんだん干からびてゆく陸上のタコのような気持ちだ。</p><p>&nbsp;</p><p>あまりにも当たり前になんでも高くなるので、小売店にうらみが向かってしまう。庶民に優しくない店など売り上げが落ちてしまえばいいのだとすら思う日もある。ただし、一斉に値上げをしているのは大企業だ。わかっている。円安に原材料・燃料費の高騰、値上げをしないと無理なのもなんとかわかる。それでも心はつらい。とにかく米価がさがることだけを希望に生きているという感じである。</p><p>&nbsp;</p><p>資産運用などをしている人たちは円安で株価が上がり続けているから楽しいのだろうが、資産のしの字もない身分なので、当然財布には円しかないからぜんぜん楽しくない。貧富の差が広がってゆくのをひしひしと感じる２０２６年の新年だ。外では選挙カーが走り回っているが、与党も野党もカルトの息がかかったうさんくさいものなので未来が暗い。</p><p>&nbsp;</p><p>せいぜい不摂生をせず、健康維持を優先して、本が読める間に好きなだけ本を読んで、心癒される植物などを観察するしよう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/honn-to-coffee/entry-12954839741.html</link>
<pubDate>Wed, 28 Jan 2026 09:14:06 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>スピリチュアリズム</title>
<description>
<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251220/10/honn-to-coffee/54/6a/j/o1600120015731920367.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="465" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251220/10/honn-to-coffee/54/6a/j/o1600120015731920367.jpg" width="620"></a></p><p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:0.83em;">（浜にうちあげられたクラゲ：撮影日時不明）</span></b></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1em;">また書くことがなくなってしまったのでクラゲの写真などアップしてみる。</span></p><p>ここ１週間ばかり腹からくる風邪を引いていた。やれることはやったので、念の為にお守りも首からさげてみる。</p><p>&nbsp;</p><p>スピリチュアルが大流行した時期に面白がってあれこれ手をだしたこともあるが、今はごく普通に寺社仏閣でお参りするだけだ。やはり神仏習合先祖崇拝が日本人に馴染み深い宗教観だ。</p><p>&nbsp;</p><p>当時流行していた西欧型スピリチュアリズムというのは、コナンドイルが生きていた頃にイギリスのブラヴァツキー夫人なる人物が作ったものからの派生でしかないということにある時気づいて、どう考えても日本人の宗教観とは相容れないため盛り下がってしまった。風土と無関係なスピリチュアリズムなんてのはファスト・ファッションのようなもので、気分が盛り下がったらそこで終了だ。ちょうど世の中もスピリチュアルブームから手をひきはじめた時期だった。</p><p>&nbsp;</p><p>しかしいまだにインド人のクリシュナムルティの本だけは数冊所持している。翻訳者による後書きに、クリシュナムルティは２０世紀を生きた盤珪禅師だと書いてあり、なるほど確かに彼のいうことは不生禅だったと納得した。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/honn-to-coffee/entry-12950663962.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Dec 2025 11:43:54 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>きれいなものを集めて心を洗濯する</title>
<description>
<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251219/09/honn-to-coffee/22/73/j/o2048153615731582854.jpg"><img alt="" height="465" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251219/09/honn-to-coffee/22/73/j/o2048153615731582854.jpg" width="620"></a></p><p>レモンもこの青いタイルも、下手したら１０年前くらいの写真だった。他の写真をみていたらそれくらいのものだった。忘れていても当たり前だ。</p><p>&nbsp;</p><p>デジカメの出始め頃から写真を撮っている。しかしながら技術的にはつたないままだ。特に研究などしていないから仕方ない。何十年撮っていても、いまだにカメラで撮れるようにスナップ撮影をするだけだ。</p><p>&nbsp;</p><p>自然・風景・静物・植物を中心に撮っている。ただ、あまり見返さない。せっかくきれいなものを集めているのに忘れている。ただなんとなく集めているのだが、見返すとホッとしている。いつもネットや新聞で不穏な情報ばかり集めて心を苦しめている分、こうしたものが沁みてくる。「本物の世界」にはこうした美しい物が満ちているのだと思い出す。</p><p>&nbsp;</p><p>美しい物の価値はお金や賞賛や欲望にあるのではなくて、苦しい心をさっぱりと洗濯してくれるところにあるのではないかと思う。自分にとって好ましく美しいものは理屈を超えて心に作用する。現実から離れてたくましくなりがちな妄想、つまり恐怖や苦悩をもたらすネガティヴな「現実」は頭でこしらえた構築物だから理屈を超えたパワーに弱い。サウンドオブミュージックの名曲、『フェイバリット・シングス』にもあるように、好きな物を思い出せば気が軽くなるものだ。多くの宗教表現が美しいのも理にかなっている。美しさは心を助ける。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、貴金属系には怪しさを感じる。個人的な感想だが、ゴールドにしろ宝石にしろ見ていると心が吸い込まれて虚になる。特にゴールドはだめだ。宗教芸術でも当たり前のように多様されるゴールドではあるが、凡俗の精神には逆効果ではないか。三島由紀夫の小説で金閣寺が燃やされたのもわかる気がする。魔を呼び込む美と心を洗濯してくれる美の差はどこにあるのか。希少性ではなかろうか。少なくとも自分には青いタイルやオオイヌノフグリのように、誰にも欲されず、世界の片隅にただ潔く存在しているような物の方がいい。優しく目を覚ましてくれるし、そういうものは無数に存在しているから、孤独とは真逆の世界でもある。希少性などという、経済学の入門書の1ページ目に出てくる単語はひとまず忘れて、市場価値ではなくて自分にとってのきれいなものを集めるほうが余程健全ではないかと思う。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/honn-to-coffee/entry-12950554750.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Dec 2025 10:37:26 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>記憶が定かでない</title>
<description>
<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251218/08/honn-to-coffee/79/04/j/o2048153615731244544.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="465" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251218/08/honn-to-coffee/79/04/j/o2048153615731244544.jpg" width="620"></a></p><p>なんでしょうかこの写真は。自分でもさっぱり覚えていないのである。場所はわかる。いつもの散歩コースだ。ただ撮影した日のことが思い出せない。おそらく２、３年前に撮ったものだと思うのだが、特別な日ではないので何も残っていない。写真だけが白日夢のようにここにある。なんで散歩中にレモンなんぞを持ち歩いていたんだろうか……？梶井基次郎か？たしかに写真に残しておきたいくらい綺麗なレモンではある。</p><p>&nbsp;</p><p>こんな調子でとにかく物忘れがひどい。3日前の晩飯なんか当然覚えていないし、映画やドラマの内容はみた先から忘れてゆくし、家族や友達とした会話の内容も忘れている。下手すると相手の存在そのものまで消えている。数年前のことはほとんど覚えていないから、旅先などの一期一会の人からもらった手紙をみても本当に何も思い出せない。</p><p>&nbsp;</p><p>とりあえず日常生活に支障はないが、あまりにいろいろ忘れてつまらないのでメモを残すようになった。それでもこの写真のように、数年も放置すると思い出せなくなる。定期的に見直していれば定着するから、オンライン上に記録してスマホで確認してようやく普通に覚えている状態だ。</p><p>&nbsp;</p><p>海馬に異常があるのだろうか。一番考えられるのはスマホ健忘症だ。受け取る情報量が多すぎると年齢に関わりなく健忘症のような症状がでるらしい。あとは加齢か。それと記憶を共有してくれる人の存在か。記憶というのは思い出すたびに頭の中で作り直されるという。人と会い、繰り返し思い出す事で定着するのかもしれない。孤独すぎるというのも健忘症を引き起こす要因になる。</p><p>&nbsp;</p><p>まあどうでもいい。どうせ思い出もあの世までは持ってゆけない。忘れるものは忘れるままにしておくべきかもしれない。この写真のように機械が自分の代わりに覚えていてくれるだろう。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/honn-to-coffee/entry-12950445917.html</link>
<pubDate>Thu, 18 Dec 2025 09:33:13 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>低賃金長時間労働</title>
<description>
<![CDATA[ <p>駅前やショッピングモールはピカピカしているのに、なぜか日本全体に元気がない。不景気な話ばかりとどく。というのも、圧倒的多数の人たちに金がないからだ。私生活を犠牲にしてまで働いても懐は冷えてゆく。いつの間にかそんな国になってしまった。</p><p>&nbsp;</p><p>「日本を賃金の安い国にした根元をたどると、1995年、当時の日経連（日本経営者団体連盟。2002年に経団連と統合し、現在の日本経団連に改組）が提起した「新時代の『日本的経営』ーー挑戦すべき方向とその具体策（5月17日）という文書に行き着く。終身雇用とも言われた日本の安定した雇用スタイルを大胆に見直すとした提言だ。その中身は、雇用のあり方を３つに分け、「長期蓄積能力活用型（正社員）」「高度専門能力活用型（専門社員）」「雇用柔軟型（非正規）」とし、このいずれかの枠に労働者を配置する、というものだ。」</p><p>（東海林智『ルポ低賃金』地平社、2024年、P.18）</p><p>&nbsp;</p><div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://chiheisha.co.jp/2024/03/07/9784911256022/" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">ルポ 低賃金 | 地平社</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">なぜ普通に働いても普通に暮らせないのか。 働く人々の現場から低賃金の国・ニッポンのありように迫り、非正規労働を急増させた財界の戦略を検証する。</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img alt="リンク" class="ogpCard_icon" height="20" loading="lazy" src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20"></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">chiheisha.co.jp</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img alt="" class="ogpCard_image" data-ogp-card-image="" height="120" loading="lazy" src="https://chiheisha.co.jp/wp-content/uploads/2024/03/2024_04_toukairin2.png" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120"></span></a></article></div><p>&nbsp;</p><p>バブルの崩壊とリーマンショック以降、経営者は生き残ることしか考えなくなった、とはじめの方に書いてあった。ホワイト正社員になれるのはピラミッドの上だけ、あとは非正規の低賃金長時間労働だ。人を使い捨てる社会になったその結果がこの本に凝縮していた。だいたい感じていた通りのことが並べられていたが、おそらくヤクルトのおばさんだと思われる人が食うにも困るくらい追い詰められていたのは地味にショックだった。</p><p>&nbsp;</p><p>ロスジェネ世代は運が悪すぎたと思う。社会に出る時点で「新時代の日本的経営」とやらで大多数が底辺労働者に振り分けられた。おまけに課税率もどんどん上がっていった。ボーナスに浮かれてみても明細をみればごっそり税金を取られていて泣いたものだ。賃金は安く、税金はじわじわあげられる、おまけにサービス残業にブラック企業が蔓延している。そんな閉塞感の中、ただ職場と家を往復する生活では結婚もできやしない。生きるので精一杯である。</p><p>&nbsp;</p><p>こうして団塊ジュニアが子を作れなかったため、某２世政治家が言っていたように、日本人口は「元気な７０００万人」へと向けて「めでたく」急激に減少している。この「元気」とは体のことではない。お金があるということだ。比較的富裕な７０００万人と安く使役されて死ぬだけの低賃金労働者の国になりつつある。</p><p>&nbsp;</p><p>少子化対策の成果が上がっていないのも本気ではないからだろう。自国で再生産（子作り）がストップしても、労働が流動化すれば、非正規労働者は海外から無限に呼び込める。世界規模でみれば環境を食い潰す勢いで人が増えて困っているくらいだ。経団連的には少子高齢化は痛くも痒くもない。そもそも新自由主義者は国単位で物を考えない。むしろ国からの規制をできるかぎり撤廃し、貿易を自由化し、企業利益の最大化のみを目的として動くから、利益に無関係な文化継承問題などどうでもいいし、利益の邪魔になる人権なんかもなるべく無視したいのだろう。悲しいことである。</p><p>&nbsp;</p><p>残酷なのは、ロスジェネ世代でもうまく７０００万人コースに乗れた人たちがそこそこいる点で、子供の頃には同じ階級だったのに、ここではっきり分かれてしまったところだ。生まれつきであればそんなものかと納得できても、そうでないから辛いものがある。自己責任論を叩き込まれた世代でもあるからなおさらだ。こうなってはただ日々生きるだけが戦いのようなものだ。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、飢饉で亡くなった江戸時代人よりかは、遥かに衣食住や教育その他すべてにおいて、ものすごくめぐまれた時代にうまれた幸運だけは忘れないでいたい。グローバル視点で考えても、日本のロスジェネ世代くらい恵まれた環境で生活できた人は多く無い。いまだにバスの窓が割れたまま吹きっさらしで運転している国もざらなのだ。なんといっても先進国の優遇は受けてきた。まあ、そうやって相対化して、なんとか前向きになるしかない。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/honn-to-coffee/entry-12950350074.html</link>
<pubDate>Wed, 17 Dec 2025 11:08:18 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>姿勢を良くしたいのだが</title>
<description>
<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251126/13/honn-to-coffee/14/e8/j/o0834084615723442566.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="223" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251126/13/honn-to-coffee/14/e8/j/o0834084615723442566.jpg" width="220"></a></p><p>このオランウータンほどではないにしろ姿勢が悪い。姿勢矯正に関する実用書を数冊読んで、あれこれ実践してはいるものの、朝起きて歩く姿はオランウータンだ。IT猫背と呼んでいる本もあった。顎が前にでて、背中が湾曲して、内臓を圧迫し、呼吸も浅い。体には悪いだろうがパソコンを使う時にはそれが一番楽なので気を抜くといつもその姿勢になる。</p><p>&nbsp;</p><p>一応、気づいたら顎を引いて骨盤を立ててストレッチし、筋トレをするように心がけている。ストレッチ自体は気持ちがいいから続きやすい。ただ筋トレは続かない。加齢で筋力が落ちればますます姿勢の維持ができなくなるのだから、中年の今のうちに少しでも姿勢を稼いでおくべきなのになかなか習慣化できない。</p><p>&nbsp;</p><p>姿勢を維持するためには体幹筋の筋トレはもちろんのこと、反り腰予防に腹筋のトレーニングも必須だ。肉体労働をしていない以上、意識的に運動や筋トレをしないと全身の筋肉が衰えるばかりだ。</p><p>&nbsp;</p><p>夏休みのラジオ体操式にスケジュール帳にシールを貼ったり、筋トレアプリを入れたりもしたが、続いて１ヶ月だ。1日空き、3日空き、気づいたら１ヶ月やっていなかった、なんてことがしょっちゅうだ。パーソナルトレーナーをやとってジムにお金をかけられたら続くのかもしれない。ひとりでやるというのは瞑想にしろ筋トレにしろ難しい。</p><p>&nbsp;</p><p>今の所、安価で継続しやすいのはバランスボールだろう。これならただ座っているだけでいい。椅子のかわりにしてからは、外出先でも背もたれのない椅子でも平気で長く座っていられるようになった。IT猫背も心なしか改善したような気がする。１０分間くらい弾めば血行も良くなるし、背中を乗せればストレッチもできるし、かさばる点をのぞけば貧乏人にうってつけの健康器具だと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>長寿の秘訣を特集したテレビ番組を見ていたら、毎日ちょこちょこ動くのがフレイル予防になると言っていた。老年期の健康維持なので姿勢改善とはすこし違うが、全身筋肉のトレーニングという観点からみれば参考になる。要はジムで筋トレに励まずとも、買い物や掃除や皿洗い草むしりなど家事全般、散歩や自転車移動など、ただの日常生活を送るだけで実は相当の筋肉を使っているという話だ。</p><p>&nbsp;</p><p>パソコン猫背になるのは、1日の間でとりわけ長くIT猫背姿勢でいるから、というのもあるのではないか。なんでもいいから色々な事で体を使うだけで猫背改善につながるのではと思った。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/honn-to-coffee/entry-12950138804.html</link>
<pubDate>Mon, 15 Dec 2025 11:01:39 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ただコーヒーを飲む、というのは案外難しい</title>
<description>
<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251213/17/honn-to-coffee/9b/70/j/o1600120015729676478.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="465" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251213/17/honn-to-coffee/9b/70/j/o1600120015729676478.jpg" width="620"></a></p><p>カフェは楽しい。人のいれてくれたコーヒーというのがいい。自分で豆を挽いて、自分好みにいれるコーヒーとは違うおいしさがある。丁寧にコーヒーをいれてくれる喫茶店だけでなく、大手チェーン店ですらどこかホッとするような無言のホスピタリティを感じる。一杯のコーヒーが湯気をたてるひととき、どこの誰でもないまま、何もする必要もなしに、ただそこに座っていられるこの幸福。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなわけでよくカフェにゆくのだが、気づくと何かしら作業的なことをしている。用事を済ませ、スマホをチェックし、予定表などを見ている。何もせずにただぼんやりコーヒーの香りをかぐというような、贅沢な時間はもしかしたら数秒かもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>昔コーヒーを飲むことしか許されない喫茶店に行ったことがある。読書禁止、会話禁止、メモすら禁止。だまってコーヒーを飲むだけの数十分間は意外と新鮮で楽しかった。いまだに話のネタにするし、こうしてブログにも書いている。たぶん痴呆症になっても繰り返すだろう。それくらい楽しかった。その時は、これまで何もしないでただ目の前のコーヒーに集中するという、それだけのことが意外とできていなかったのだなと思ったものだ。以来ひとりでもやってみるのだが、あの喫茶店で経験したような濃厚な時間はなかなか訪れない。</p><p>&nbsp;</p><p>もしかしたら、茶道などがそうした時間を追求しているのかもしれない。ただ、茶道には縁がない。権威と金と欲望まみれの世界という、火サスが作ったイメージしかない。</p><p>&nbsp;</p><p>むしろ、マインドフルネスの方がわかりやすく、近いような気がする。有名なベトナムの禅僧の本を読んでいたら、蜜柑を食べる瞑想というのが紹介してあった。小袋ひとつひとつをおろそかにせず、実ひとつをぜんぶ食べるだけの瞑想なんだそうだ。食べている間は、明日の予定など考えず、余計な口もきかず、ひたすら味わい、香り、咀嚼音に耳をすます。コーヒーしか経験できない喫茶店と似ている。</p><p>&nbsp;</p><p>何度かやってみてはいるが、だいたい３口目からもう別のことを考えているから、コーヒーにしろ蜜柑にしろ、ひとりでただ堪能するのは意外と難しい。やはり場所の力、あるいは、他人の力というのが大きいのだろう。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/honn-to-coffee/entry-12949958830.html</link>
<pubDate>Sat, 13 Dec 2025 18:29:54 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>断捨離と百均について</title>
<description>
<![CDATA[ <p>断捨離は思い出すたびやっている。家中をやるのではなく、洋服だけとか、物置だとか、特定箇所を順繰りにやるので負担は少ない。はじめこそゴミ袋が大量に出たが、最近はひとつ出れば良い方だ。</p><p>&nbsp;</p><p>断捨離がいいのは、浪費が減るのと、所持品管理が楽しくなることだろう。購入時に多少考えるようになるし、何を持っているのか自覚しておけば、そもそも余計な出費が抑えられる。物置の奥に眠っていた物と再会すれば、あれをしよう、これをしようと思考が働き出して楽しくなれる。持ち物の棚卸しをするたび前向きな経験があるから、自然と断捨離が習慣づいてくる。</p><p>&nbsp;</p><p>とはいえ、生活していれば持ち物は増える。とりわけ現代は百円ショップやショッピングモールがどこにでもあるから誘惑ばかりだ。とくに百均はいけない。ギャンブル依存症にとってのパチンコ屋のようなものだと思う。また、通信販売もネットとクレジットカードのおかげで非常に手軽になった。買い物自体がドーパミンの出る行動なので気を抜くと物だらだ。この社会システムに生きていている以上、断捨離は一度で終わらない。定期的に「たなおろし」をやってトントンだ。いまだに家はものだらけだ。戸棚というやつは押し込めば押し込むほど収まってしまう。ブラックホールのよう。戸棚の隙間に買ったものをつめながら、人と人とのつながりが薄くなった分だけ物が押し寄せているのではと思う時がある。自分もまた、心の隙間をうめるように買い物をしているような気がする。</p><p>&nbsp;</p><p>しかも、断捨離のたびに未使用品を捨ててしまう。もったいないのに何回やっても無くならない。その時は必要な気がしていた、としか言えない。そうした失敗は百均が多い。お金を払ってゴミを集めているので、レベルの差こそあれ、やってることはゴミ屋敷の住人同じである。</p><p>&nbsp;</p><p>せっせと商品を購入しては断捨離で捨てる。こんなに都合のいい消費者っているだろうか。我ながら大企業の思う壺だ。それでもゴミに埋もれ続けるよりは活力がでるので断捨離もやめられない。買っては捨て、捨てては買う。色即是空空即是色。</p><p>&nbsp;</p><p>ほんとうは百均やファストファッションをさけて、デパートで良いものだけを吟味して、少なく所有物し、おしゃれに生活すべきなのだろうが、お金がない生活者には無理な話だ。きたない身なりでデパートなど行けない。経済格差というものは意志の力でどうにかなるものではない。ただ、走り車で走り続けるハムスターのようなこの行動パターンは、いいかえれば社会の一部として機能している証拠でもあるから悲しむことはない、ともいえる。要するに自分だけではないのだと。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/honn-to-coffee/entry-12949743019.html</link>
<pubDate>Thu, 11 Dec 2025 17:21:15 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>和胡桃と超加工食品について</title>
<description>
<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251210/08/honn-to-coffee/fe/20/j/o1600120015728503323.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251210/08/honn-to-coffee/fe/20/j/o1600120015728503323.jpg" width="420"></a></p><p>世の中物価高とはいえ、道の駅には野菜がどっさり届く。山ほど野菜を買ってきた。スーパーの２分の１くらいの値段だから助かる。冷凍保存したり、煮物にしたり、道の駅にいった日の夜は心楽しく、にぎやかだ。</p><p>&nbsp;</p><p>先日道の駅をのぞいたら、和胡桃が７００グラムくらいネットに入って３００円だった。あまりに殻が硬いのでクマすら食べない鬼胡桃ともいわれる。これ専用のくるみ割りでないと、一晩水につけてから乾煎りする必要がある手間のかかる食品。ただオイルが多く、渋みがなく、ほんのり甘くてクリーミーで、西洋胡桃にはない味わいがある。さっそくインターネットで専用くるみ割りを注文した。届いた瞬間からパチパチ割って食べているが、これがとてもうまい。７００グラムなんてあっという間になくなりそうだったので通販で探したがぜんぜんなかった。熊の出没により農家さんも山へ入れず収穫が減っているというし、そもそも同じくらいの分量で１０倍くらい高い。これなら剥き身の西洋胡桃の方がはるかに安い。</p><p>&nbsp;</p><p>山菜のようにネット通販やスーパーでは買えない素朴な食べ物のようだ。その辺に胡桃の木があればなと思わないではいられない。山にゆけばあるらしいが、今はクマが恐ろしい。</p><p>&nbsp;</p><p>それ以来、和胡桃めあてに足繁く道の駅へ通っているため、家は山の幸・里の幸でいっぱいになった。食卓には飯、白菜の味噌汁、カボチャの煮物、カボチャのタネ、柿などがならんでおり、静かに幸せな気持ちだ。カボチャの種も殻をむいてオーブンで火を入れるとほくほくして美味しい。暇なのでカボチャの種すら剥いている。</p><p>&nbsp;</p><p>ところで、イギリス人男性が書いた『食べすぎる世界――なぜ私たちは不健康と環境破壊のサイクルから抜け出せないのか』という本をぱらぱらめくったら、加工食品の分類みたいなものがあり面白かった。バターや味噌などは加工食品（プロセス・フード：PF）で、カップラーメンやソーセージ、清涼飲料水やスナック菓子など、通常の調理過程では使わない化学薬品などで加工されたものはそれより一段上の超加工食品（ウルトラ・プロセス・フード：UPF）というのだそうだ。そしてこれが必要以上に食欲を刺激するので食べすぎの要因になっているとのことで、それならなるべく食べないに越したことはないのだなと単純に思った。</p><p>&nbsp;</p><p>確かに、飯・味噌汁・煮物などの食事を続けていると、シンプルに食事が終わればそれで終わる。一方、スナック菓子やインスタントラーメン、甘い菓子などは食べた後に欲望というようなものが残り、自制心がなければ自動的に毎食でも食べようとするのではないかと感じる。とはいえ、スーパーに並んでいるのはほとんどUPFだ。棚をみながら「PF、これはUPF、UPF、これもUPF・・・」と頭の中で分類しながら歩くとわかる。しかも手軽に食べられて、価格も安い。意識的にさけようとしなければ、企業の意図通り、刺激されるままに食べてしまうだろう。先日もカゴにカップラーメンばかり山のように入れている人がいた。他人事ながら心配になった。</p><p>&nbsp;</p><p>縄文時代から人が食べてきた和胡桃は手間がかかるし滅多に手に入らない。一方で１００年前には誰も食べていなかったUPFはそこらにあふれんばかり、対照的な食べ物だ。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ縄文時代の平均寿命は今と比べるとはるかに短くて、現在は日本人の歴史のなかでも最長寿を誇る時代でもある。現代社会は食べ物だけみると不健全なようでいて、医療その他栄養衛生状態が格段に良い。どっちが良いという話でもないのかもしれない。まあ、食べすぎると単純に食費が増え、体重も増加し、内臓系の疾患や関節炎になりやすくなり、結果的にお金がかかるので、物価高と全面戦争中の貧乏人こそUPFはさけるべきとは思う。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/honn-to-coffee/entry-12949593409.html</link>
<pubDate>Wed, 10 Dec 2025 09:24:51 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>洋書は音読が良い</title>
<description>
<![CDATA[ <p>十年くらい前、ほしい翻訳本が絶版となり、中古がプレミア価格になってしまった。だいぶ昔のマイナーな専門書だからもう再販はない。中学生から数年間勉強した英語なんだし、がんばれば読めるだろうと原書を購入した。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、なんせ英語である。普段まったく使わない。読まない。書かない。まず中学生英文法からさらう必要があった。さらってから短編小説に挑戦してみたら、ものの見事に挫折した。外国語はそんなに容易いもんじゃない。だいたい教科書と文章量が違うのである。いちいち翻訳してたら１０年くらいかかる。英語を英語のままで理解しなければ無理だと気づき、英語脳を育てるべく洋書の多読と動画の視聴という方法に路線を変えた。</p><p>&nbsp;</p><p>絵本からはじめて、どうにかJr.ハイスクール・レベルまで読めるようになったものの、そこでストップしてしまった。多読だけでは限界がある。圧倒的に単語力がたりていなかったし、読めると言っても母国語とくらべれば時間がかかるから自然と避けて母国語読書に戻ってしまう。動画の視聴にしても、1日数時間程度では触れられる文章量は微々たるものだ。結局読みたかった原書はいまだに積読だ。翻訳を続けていたらいまごろ読了していたのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>もうその本には興味がなくなった今、暇つぶしに英語の小説を読んでいる。もちろん、村上春樹が翻訳するような海外文学ではなくて、ペーパーバックで、キオスクに売っているような、文章レベルでいえば、あっちの小中学生でも読めるような軽い読み物である。上がったレベルはそれ以上いかない分、落ちもしなかった。それなりに英語脳というのは残った。</p><p>&nbsp;</p><p>しかしながらやはりアルファベットというのはなんというか、ぱっと見がみな同じで読みずらい。漢字が混じっている日本語と違って読み飛ばしができない。母国語ではないから発音が分からず、せっかく文脈から意味が類推できる単語でも、ぼんやりして頭に残らない。</p><p>&nbsp;</p><p>この問題を解消してくれたのがスマホの読み上げ機能であった。iPhoneの機能で声まで好みに設定できる。自分は落ち着いたアルトの女声が好きなのでそれにしている。日本語読み上げ音声は２種類くらいだが、英語声の種類は数十種類あるのではなかろうか。中にはただずっと笑っている声だとか、ロボット音声なんてのにもできて、なかなか暇つぶしに面白い。</p><p>&nbsp;</p><p>この読み上げも、オーディブルのような音声だけでもだめで、音と文章を同時に１倍速で摂取するのが肝要。文章があれば聞き飛ばさないし、不明単語の発音も本格派の発音でしてくれるので記憶に残りやすい。言語のリズムというのも大事で、これがだんだん耳に慣れてくると、言語の構造なんてのも同時に慣れてくる。また、１倍速にすると非英語話者にはやや早く、母国語への迂回なしで理解しないと置いてゆかれるため、英語脳を使わざるをえないのも良い。</p><p>&nbsp;</p><p>これが不思議なくらい頭に入るのだ。相乗効果でリスニング力もアップした。読書以外でも英語が英語のまま頭に入ってくる。受験生の皆さんにもぜひ試して欲しい方法だ。ホメロスもかつては文字ではなく語りで楽しむ物だったらしいし、やはり言葉は音が基本であるし、読書も音読が基本なのだと再認識した。</p><p>&nbsp;</p><p>日本語で読む場合には、文体やらニュアンスやら、やたらと細かい部分が気になるのに、不慣れな英語なら全然気にならない、というのも良い。母国語にはない距離感が心地よい。スマホのロボットくさい読み上げ音声も、日本語なら気持ち悪くなるだろうが、英語なら明瞭に発音されていればどうでもいいという余裕がある。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな訳で、翻訳イヤホンなどが発売されるこの時代に、わざわざばかばかしい読み物を英語で読んでいる。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/honn-to-coffee/entry-12949377644.html</link>
<pubDate>Mon, 08 Dec 2025 09:44:29 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
