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<title>憲法と人権、子どもと未来について考えませんか？</title>
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<description>憲法って何か遠いことのようだけど、実は私たちの毎日の生活の土台。よくわからないまま変えられてしまう前に、いっしょに考えましょう。</description>
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<title>平和を願う市民の集い</title>
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<![CDATA[ 8月9日（日）１３：４５～１６：３０、JR千葉駅近くの京葉銀行文化プラザ音楽ホールで、「平和を願う市民の集い」が開かれます。<br>この日は、広島に引き続いて長崎に原爆が投下された日で、全国でさまざまな集会が開かれることと思いますが、千葉市平和都市宣言20周年記念事業として、ここ千葉市で、日頃から平和・憲法・子ども・女性・環境とさまざまなテーマに取り組んでいる市民が集まって実行委員会をつくり、今準備を進めています。<br>凶弾に倒れた伊藤一長元長崎市長の平和都市宣言を基に作られた合唱曲「あきらめないで」「初心生涯」の千葉合唱団による合唱、渥美雅子さんの講演「未来へ平和を残すために」、私が関わっている「ちば・戦争体験を伝える会」の千葉空襲体験者の手記を基に作った紙芝居「炎に焼かれたお不動さま」「お地蔵さまに祈る」、千葉空襲の体験者等の取材をしてNHK放送コンテストに応募した高校生の皆さんへのインタビュー、千葉市作成のDVD「千葉空襲　戦争体験談　平和への道しるべ」など、千葉市民による「平和を願う市民の集い」です。ぜひ、お出かけください。<br><br>
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<pubDate>Sun, 12 Jul 2009 11:14:12 +0900</pubDate>
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<title>子どもの笑顔が見たいから</title>
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<![CDATA[ <span style="color: rgb(0, 0, 255);"><font size="3">　昨日、｢児童自立支援施設の感化教育」という、とても硬い名前の勉強会が、千葉市でありました。児童福祉の現場にこれから入ろうとしている２０代の若者から、実際に、日々子どもや若者たちに向き合って悪戦苦闘している児童福祉施設や児童相談所の職員の皆さん、そして、地域の中で子どもに関わっている人々と、幅広い参加者で、梅酒の援護を受けつつ、熱く、あくまでも真剣に、ふしぎなユーモアをかもし出しつつ語る発言者と相方の投げかける「感化とは？」｢自立支援とは？」の問いかけに、時に押し黙り、熱く議論し、あっという間の３時間でした。<br>　｢感化教育は指導ではなく、子どもと共に生きること」「自分をさらけ出し、受け止める」、でも、「子どもは社会に出て行くのだから、厳しさも必要」・・・と、指導方法や子どもとの向き合い方は違っても、｢子どもの笑顔が見たいから」という、心の底の思いは共通なのではーと感じ取れる、とてもうれしい議論でした。<br>　現在の「教育」に対しても、｢感化教育｣の視点から発信していきたいという発言もありました。現在の教育が捨て去った？大切なものを提示していただいたと思います。<br>　子どもたちの置かれている状況は、日々厳しさを増していますが、何か、希望が持てる勉強会でした。<br></font></span>
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<link>https://ameblo.jp/hotspace55/entry-10136371723.html</link>
<pubDate>Sun, 07 Sep 2008 10:59:26 +0900</pubDate>
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<title>なぜ幸せになれないか</title>
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<![CDATA[ 昨日、雨模様の中、大田切公園のフリーマーケットで、青空(曇天？)シンポジウムをしました。<br>フリマに立ち寄った大人や子どもにも声をかけ、「地域の子どもたちに地域の大人たちがもっと向き合っていこう、大人たちもつながっていこう」というテーマで、｢子どもの権利って何？｣というスケッチブックの手づくり紙芝居でスタート、実際に地域の中で大人たちがいっしょになって子どもたちと遊び、いろいろなことに取り組んでいる活動紹介、次に、子どもと大人それぞれに向けた○×クイズ（早くしなさい！と毎日言われる・もっと遊ぶ時間がほしい・努力すれば何か良いことがある・子どもや大人が悪いことをすれば注意する・・）で盛り上がりました。<br>タバコをすっていたりしても、怖くて注意はできないと言う声が圧倒的でしたが、小さい時から顔なじみの子どもにだったら注意できるのではないか、そのためにも地域の子どもと大人が知り合いになっていくことが大切、また、いきなりいけないと注意するのではなく、その子との関係作りがまず大切など、話を深めることができました。<br>ネパールの子どもたち、パキスタンの子どもたち、貧しくて働かなければならなかったり、学校へも行けないなど、豊かな日本の恵まれた環境とは違って、厳しい環境の中で生きる子どもたちの現状報告もあり、なぜ、悪いことは悪いと注意できないのか、ひどいテレビ番組の垂れ流しなど、日本の社会や大人たちの現状に対する厳しい意見もありました。<br>この豊かな日本で、もっと子どもたちは幸せになっていていいはずなのに、もっといきいきと輝いていていいはずなのに、そうではないのか？ネパール･パキスタン･多くの国の人々と、子どもたちのこと、社会のこと、一緒に考えていきたいと呼びかけました。<br>そして、自宅にもどって耳にしたニュースが、秋葉原の通り魔事件。なぜ、そこまで絶望するのか？<br><br><br>
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<pubDate>Mon, 09 Jun 2008 19:00:11 +0900</pubDate>
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<title>誰のための国か</title>
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<![CDATA[ 　先日、思いがけず大変なテレビ番組を見てしまいました。<br>振替休日の9月24日午後、ＮＨＫを前の番組の続きで見ていると、「被爆者・空白の十年」とタイトルが映し出され、それは始まりました。<br>原爆投下後、広島の病院も医師も被害を受け、負傷者の十分な治療・看護もできない中、火傷だけでなく、皮膚から血が吹き出るなど見たことも無い症状に、何が起きていて、どうしたら良いのかも分からないまま、必死の救護が行われた現場。<br>　それに対し、数日後には、それが原爆投下による放射線の被害だということを、国の医学会の中枢の医師は察知し、治療方法としてビタミン剤の投与や十分な栄養補給が必要なことなどが報告されたとのこと。しかし、その情報は現場には届かず、各地区に臨時に置かれた診療所は法律に基づいて2ヵ月後には閉鎖され、多くの人々が満足な治療を受けられずに亡くなったこと。何とか助かった方も十分な治療は受けられず、体の痛みや残った障害、更に原爆被害者であることによって受けた差別、生活苦など、現在に至るまで何重にもわたる苦しみを体験されたとのこと。<br>　１９５７年に原爆医療法が成立するまで医療費も個人負担で、被災者に対する特別な支援は行われず、治療では無く、日本人の医師によって（やがてアメリカ軍からも加わり）原爆の人体に与えた影響に関する調査研究のみが行われ、写真撮影・細胞摂取・人体各部位の標本づくり・精子採取なども実施。原爆被害の分析・治療方法の研究等、多額の国家予算を使って行われた調査研究の成果が、極秘事項として実際の被災者の治療には一切生かされず、すべて将来の核戦争に向けた研究としてアメリカに引き渡されていたとのこと。<br>　敗戦後で、アメリカの言うなりだったとしても、国民一人一人の惨状を見ず、たとえ見ても研究材料としか扱わなかった医師、アメリカにへつらい、自己の保身や立身出世に利用した医学会と中央政府は、戦争中一銭五厘と言われた命の重さ、その感覚でしか国民のことを考えていなかったのではないでしょうか。<br>　そして、昨年、教育基本法を改正し、今年、国民投票法を成立させた後で崩壊した安倍内閣も、国民の求める課題には何ら応えず、アメリカの要求する憲法改正への道筋をつけることだけは忠実に果たしたということでしょうか。<br>
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<pubDate>Fri, 28 Sep 2007 19:57:40 +0900</pubDate>
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<title>真夏の紙芝居</title>
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<![CDATA[ 12日（日）、あの暑さの中、千葉中央公園で紙芝居をやりました。<br>アムネスティインターナショナル千葉TAFUの会主催のチャリティライブコンサートinちば　子どもの人権２００７というイベントで、去年は紙芝居やとして参加したのですが、今年は欲張って、私が活動している3つの団体「千葉こどもサポートネット」「千葉県子ども人権条例を実現する会」「ちば・戦争体験を伝える会」としてブースも出し、紙芝居もやりました。<br>ちば・戦争体験を伝える会は、一昨年、80歳になる元教員だった方の、ご自分が戦後勤めた千葉市の本町小学校で、終戦間際に空襲があり、学校の地下壕に逃げ込んだ子どもたちが大勢蒸し焼きになって亡くなったという事実を知り、二度とあの歴史を繰り返させないために、戦争の悲惨さを子どもたち・次の世代に伝えたいという熱い思いを受け、スタートしました。<br>身近な方への呼びかけから始まり、千葉空襲などの体験談を伺い、そのお話しを元に、４つの紙芝が完成しました。<br>4歳になる直前にお母さんに負ぶわれて空襲の中を逃げた記憶を、ご自分で絵と文にした紙芝居「ふみちゃんがちいさかったとき」は、ご本人にやっていただきました。暑い中、防空頭巾をかぶり、大きな声で読み上げられた紙芝居は、多い人数ではありませんでしたが、公園の観衆に何かを伝えたと思います。<br>私は、子どもの人権2007というイベントの趣旨を受け、<a href="http://www.roy.hi-ho.ne.jp/h-ichikawa/kodomonokennri.htm">新作紙芝居「子どもの権利ってなに？」</a>その他の紙芝居をやりました。今回は桜塚やっくん風にスケッチブックにしてみました。<br>絵はうまくなくていい！伝えたいことを紙芝居にしよう！といつの頃からか居直って、紙芝居作りを続けています。<br>
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<pubDate>Fri, 17 Aug 2007 11:31:37 +0900</pubDate>
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<title>子どもの味方になるということ</title>
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<![CDATA[ しばらくお休みしていました。<br>すべって転んで手首を骨折したということもありますが、気持ちが少しめげていました。応援していた子が遠い施設に送られました。もう地域の仲間と悪さをすることはやめていたのに、夜中に家を抜け出すのは止められませんでした。学校で大人しく授業を受けることもできませんでした。校則を守るように求める先生の指導に素直に従うこともできませんでした。<br>何が納得いかないのか、きちんと説明することはできず、ただ親や先生の言葉や態度の一つ一つにいらだち、あばれ、友だちの家に入り浸って、ただそこで時間をつぶしていたと言います。<br>学校も家庭も自分自身の置かれている状況も、すべて気に入らないのに、どう変えたいのか、何をしたいのか、つかめないまま、あがいていました。<br>学校と同じ指導方針で関わってほしいと言われても、心配するご両親の気持ちもわかってあげなさい、あれだけの人数がいる学校で、校則に厳しくなる先生の気持ちもや立場も理解してあげなさい。反発にエネルギーを使わないで、バカなことはやめて、自分が何をしたいか考えなさい･･･というのが精一杯でした。無力な味方でした。<br>中学校を卒業し、入った高校もすぐにやめ、付いた仕事もいつの間にか行かなくなり、宙ぶらりんの子ども･若者たちがいます。<br>中学校に来ては下級生を呼び出し、バイクで学校の周りを走り回り、先生から怒鳴られるのを待っているような子もいます。中学を卒業して、その後所属するところがなければ、他にどこにも行くところはないのです。<br>オイルを入れたビニール袋を、公園のベンチで寝る人の体の上に置いて火をつけた子どもたちがいます。「ホームレスはごみ。犬や猫と一緒。生きていようが、死んでいようが気にしない」という言葉に衝撃を受けますが、実は本音ではそう考えている大人は結構いるのではないでしょうか？<br>人を、特に若者や女性を安く便利に使える労働力としか見ない企業･財界人。危険な問題を起こしそうな子どもや若者は、どこかよそに行ってくれとパトロールを強化する地域住民。自分自身のこと・勉強･進路・友だち関係・家庭や学校のさまざまなことで思い悩んだり、悩むこともできずにあがく、思春期真っ只中の子どもたちに、校則を守り、勉強と部活に励み、健全な中学･高校生活を送るよう求める学校。そして、親の期待に応える子どもだけがかわいい親。<br>ジコチューの子どもを生み出しているのは、ジコチューの大人たちと大人社会？<br>庭にウンチをしに来る猫は脅して追い払う私も偉そうなことは言えませんが、どんな命も一つ一つ大切な命だということ、たとえ学校の勉強はできなくても、運動は得意でなくても、人を笑わすことが苦手でも、かわいくなくても、どんな子も一人ひとり大切な存在だということを、まず、身近な大人が子どもに伝えなくてはいけないのではないでしょうか。<br>自分自身が誰かに大切だと思われることが、人を大切だと思う気持ちを育てます。どんな子どもでも子どもの味方になること、その覚悟が求められています。<br>
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<link>https://ameblo.jp/hotspace55/entry-10042725234.html</link>
<pubDate>Thu, 09 Aug 2007 11:17:04 +0900</pubDate>
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<title>出会いが人を変える！</title>
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<![CDATA[ 宮本延春著「オール1の落ちこぼれ教師になる」「未来の君が待つ場所へ」を読んだ。家庭環境の問題やいじめで、家でも学校でも「勉強どころじゃなかった」子どもが、中学1年で通知表がオール１で、中学を卒業する時、掛け算九九が2の段までしか言えったその子が、多くの人との出会いや「物理・宇宙の真理」との出会いを経て、猛勉強し、国立大学・大学院を卒業して、高校の教師になった・・という、その経緯を本人が語りながら、いじめから子どもを救えず、勉強が分からない子をそのまま放置し、死にたいとまで思わせた家庭と学校・教育の惨状が展開されています。<br>出会いが人を変える、そのすばらしさに感動しながら、出会いに恵まれず、人や学校・社会のマイナス面ばかりに押しつぶされ、生きる喜び・学ぶ喜びを知らずに、無気力に自分の人生を投げてしまっていたり、人や社会に敵意を抱いたりしている子どもや若者の無惨さを思います。<br>少年法が改正され、更生保護法が制定される中で、生まれ変わり、やり直すための出会いが本当に保障されるのか？やってしまたこの責任は本人が取らなくてはならないとしても、そのような子ども・若者になるまで誰も助けなかった責任を、本人に対して、本人の周囲のおとなたちと社会が取らなくてはいけないのではないか。<br><br>
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<pubDate>Sat, 09 Jun 2007 11:00:12 +0900</pubDate>
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<title>声に出して言うということ</title>
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<![CDATA[ 現職の大臣が自殺した。生きて言うべきことがあったのではないのか？生きていると言わなければならなくなるから死を選んだのか？それを言うことは死ぬ以上につらいことだったのか？決して声に出して言ってはならないことだったのか？<br>先日、高校3年生の子どもたちの話を聴く機会があった。先生に対して、親に対して、世間のおとなたちに対して、かなり鋭い批判があり、こんなことを思いながら日頃生活していたのかと改めて考えさせられた。そして、おとなに改めて欲しいその思いを身近なおとなに訴えても、何も変わらない、そして、授業中分からないことがあっても、授業を中断させてしまっては悪いと思い質問ができない、両親双方が親同士の問題を子どもにぶつけてきて重たすぎる・・・など、子どもたちが、声に出して言ってもムダ、言ったら悪いと、身近なおとなに自分の思いを伝えることをあきらめている様子がうかがわれた。<br>声に出して言ってごらんと言うには、本当のことを言っていいんだよ、言ったらちゃんと受け止めるよ、という合図を、日頃からおとなたちが子どもたちに向かって送っていなければならない。それは、おとなに対しても同じなのかも知れない。死ぬくらいなら、思い切って言ってごらん、死ぬことなんてないんだよ・・・と。
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<pubDate>Tue, 29 May 2007 23:08:17 +0900</pubDate>
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<title>今、子どもたちは？</title>
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<![CDATA[ 一昨日は、週1回の「ほっとすぺーす」の日。もと私の実家だった一軒家を開放して、朝10時から夕方6時まで開いています。寄付していただいた絵本やおもちゃがいっぱいです。<br>午前中は１～２歳の子とお母さんがやってきて、いっしょに子どもを遊ばせ、親同士おしゃべりして、お弁当を食べたり、、私も子どもと親、両方の仲間に入れてもらって遊んでいます。<br>たまたま小中学生の帰りが早くて、３時には６年生のAチャン、続いて中２のTちゃん・・・と、急に部屋が狭くなった感じでした。<br>その頃には、おちびちゃんたちはおねむで、ほとんど入れ替わりに引き上げて行ってしまいました。<br>いつもは、もう少しゆっくりする親子がいて、面倒見の良いお姉さんたちが、おちびちゃんたちと遊んでくれて、お母さんたちもゆっくりできて、良い感じのことが多いのですが。<br>同じくらいの年頃の子ばかりになると、どうして穏やかに仲良く遊べないのでしょう？誰かが泣き出したかと思うと、誰かが怒って２段ベッドの上によじ登って上からティッシュをばら撒いたり、しまいにはとうとう帰っちゃった・・・。<br>子ども同士の無邪気な喧嘩のようでもあるけど、何かそれぞれ発散できない鬱屈したものを抱えてるように感じます。
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<pubDate>Fri, 25 May 2007 18:37:41 +0900</pubDate>
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<title>子どもが人を殺すのは？</title>
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<![CDATA[ 子どもが親を殺す、という事実には、親に対する激しい怒りやそこに至るまでの愛憎の積み重なりが想像されるが、「だれでもよかった」といわれると、そこでこちらの理解の糸が断ち切られてしまう。<br>自分をその親に重ね合わせる時、「何で？」という声にならなかった声が聞こえてくる。<br>子が親を殺したのではなく、人が人を殺した。しかも、人の体を、花をむしり、枝を折るように扱ったというのでは、あまりに自分と相手双方の「人」を軽んじてはいないか？軽んじたのではなく、人の存在自体が本人の中で軽くなってしまったのか？<br>自分自身に対する愛着、日々の暮らしの充実感、親兄弟や友人との間の感情的交流など、そこに怒りや不満はあっても、今生きている確かな実感があり、もう一人の人の存在に対する豊かな想像力があれば、こんなことはできなかったのではないか？<br>子どもが生まれ、さまざまな環境の中でさまざまな体験をしながら一人の人として育っていく、その当たり前な育ちが、今大きく阻害されているように感じる。<br>ここ数十年の間に地域の中でなくなってしまった草原･小川・蛇がいた山道・かえるが鳴く田んぼ・・・と、無くなってしまったものは取り返せなくても、子どもたちが大声を上げて自由に遊べる空間と自分で自由に使えるたっぷりな時間、親や地域の人々･子どもたちとのいきいきとした交流が、一人の人として育っていくには何よりも必要ではないのか。<br>子どもから大事な空間や時間を取り上げ、子どもを小さいころから競わせ、評価し、価値を決め、その先にあったのが、人の存在に対する「無価値」という子どもからの回答なのかも知れない。
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<link>https://ameblo.jp/hotspace55/entry-10034553646.html</link>
<pubDate>Thu, 24 May 2007 15:07:30 +0900</pubDate>
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