<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>団塊世代のシニアが今描く夢とは</title>
<link>https://ameblo.jp/hukugyo88/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/hukugyo88/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>年金生活者になった団塊世代が描く、ささやかな夢を届けるブログ</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>野菜づくりとパソコン</title>
<description>
<![CDATA[ 国境線を越えての逃避行のように、定年ラインを何とかやっと越えて夢の「年金生活の国」に逃げ込むように転がり込んだのは私だけでないはずです。そこは密かに頭を低くしておとなしく過ごしていれば、ささやかですが夫婦で年に1～2回くらいの小旅行や、そんなに金のかからない趣味なら、週に1回程度は楽しめる生活が待っているはずでした。<br>そんな甘い考えが吹っ飛んでしまい、悩み苦しむ毎日を送らざるを得なくなった私は、落ち着いて考えることを自分に言い聞かせながら、自分が今できることの「棚卸し」をやってみました。<br>その結果、「やっていて苦痛を感じない、又は楽しいもの」と考えた時、たった2つしか思いつきませんでした。本当に他にはなかったのです。それは「野菜つくり」と「パソコン」でした。<br><br>この中で「パソコン」は、会社勤めをしていた50歳になった頃、ある日突然会社が事務や営業関係の社員全員にひとり1台のIBMのノートパソコンを配布しました。配布された者は全員パソコンを習得することが義務付けられ、本社で週3回ほどパソコンの講習会をはじめました。仕事が終わってから講習会に参加させられ、その時は確か、インターネットとメールとワードとエクセルを2ヵ月で全員マスターするよう、社長命令がでました。遅れると怒られるのでみんな必死に勉強していました。<br>この時のおかげで、私は定年後もインターネットやメール等は人に聞かないでも出来るようになっていました。<br><br>ある夕方、近くにできた大衆浴場の露天風呂につかりながら、”「野菜つくり」と「パソコン」だけか、これでは年金以外に他から収入を得ることはできないなぁ”ボケーッとして天を仰ぎながら”何かないかなぁ、できれば10万円くらい入れば良いんだがなぁ”と考えていました。<br>その時、フッと昔のことが頭をよぎりました。それはある日、会社で同僚のパソコンが故障して、どうしてもインターネットにつながらなくなったため、専門業者に来てもらった時の話です。業者が忙しくて予定に日に来られず、1日遅れて修理に来た時のことです。<br><br>業者は「遅れてしまってスミマセン、スミマセン」と頭を下げまくって謝るのです、しかし同僚は別にそんなに謝ってもらわなくても、インタネット急いで今やってることもないので「いいですよ、1日や2日くらい遅れたって何も差し障りはないのですから・・」と言った時、その業者の人は「本当に申し訳ありません。これが個人でインターネットでお金を稼いでいる人だったら、大変なことになっていました・・・。」と言ったのです。<br>風呂につかりながら、その時の場面とその言葉が思い出されたのです。・・・（続く）
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/hukugyo88/entry-12064271562.html</link>
<pubDate>Fri, 21 Aug 2015 19:10:21 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ささやかな夢の実現のために</title>
<description>
<![CDATA[ 逃げ込むように定年を迎え、密かに抱いていたシニアの夢を計画に載せる時が来ました。<br>年金額を調べ、貯金を調べ、妻の年金額を調べ、生命保険の詳細を調べて、新しくこれからの人生設計を立てる段階になり、思ってたよりも意外に年金が少ないことに気づきました。<br>定年を迎えるまでは、年金のことなど考えたこともありませんでした。たまに同僚が居酒屋などで退職後の話をしたときに出てくる程度で、いくらくらいもらえるのかなど一切知りませんでしたので、厚生省から初めて年金支給額の通知が来た時は、「本当にこれで合ってるのか？　また65歳でアップするのだろう」くらいしか考えていませんでした。<br><br>年月が過ぎ、新聞を見たりテレビを見たりする機会が増えてくると、年金の話もよく出てきます。<br>何度も聞いているうちに自分のおかれた状況や今後の支給額の増減予定などが少しづつ分かってくると急速に不安が襲ってきました。<br>密かに考えていた「ささやかな夢の実現」など、遠い夢の夢。生きて行くだけでもお金はまだまだ足りないことが判明してきました。しかもこれからは病気になることは一切できない、という現実です。大変なことになりました。まだこれから最低10年は働かなければならない、という計算結果がでたのです。<br><br>「働くって何をしたらいいんだ！」「何ができるんだ！」「この歳で働くところなどあるわけない」<br>こんなことばかりが頭を駆け巡る毎日でした。<br>とりあえず次の日曜日から新聞の折込みの「求人広告」をながめる毎日が続きました。日曜日を待つようになり、広告を見続けましたが応募できそうなものはごく一部で、「夜勤専門の警備員」、「道路工事の旗振り員」、「介護施設の介護補助」、「ビルやホテルの清掃員」。いくら探しても何か資格があれば別ですが、なければこんな仕事しかありません。<br>そうこうしているうちに、3ヵ月が過ぎていました。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/hukugyo88/entry-12063889955.html</link>
<pubDate>Thu, 20 Aug 2015 18:03:15 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ささやかな夢と楽しみ</title>
<description>
<![CDATA[ 昭和23,4年前頃の人口増大の時代に生まれた人たちは「団塊世代」と呼ばれました。<br>第二次世界大戦が終結したのが昭和20年8月。それから約3年後に生まれた我々のことです。人口が急増し、戦後最大の出生数を誇る時代でありました。<br>我々は、人数が多かったことが原因して、苦しい時代を生きぬかねばならなかったと思います。中でも食糧や就労などに関しては他の時代の人たちと分けて考えられることも少なくありません。<br><br>その団塊の世代の我々が定年を迎えることになった時には、年金問題でも何度となく話題になりました。団塊の世代の人間が定年を迎え、年金を受給するようになったら、人数があまりに多いので年金が枯渇するため支給額が減るなどと、まるで厄介者のように言われたりもしたものです。<br>確かに、年金の受給額は減る一方ですが、団塊の世代の人間が多いことだけが原因しているのではなく、年金機構が運用する年金の運用益が落ちていることも原因しているのです。<br><br>我々は、我々なりに人数が多い中、長い年月いろいろな面で競争にさらされてきました。会社生活の中でも激しい競争を強いなくされてきました。上に行くほど淘汰されるピラミッドを上にのぼる努力は並大抵ではなかった気がします。<br><br>そんな我々がやっとたどり着いたのが定年であり、年金生活であります。年金生活になれば、ほんのささやかな年金をあてに、趣味を覚え、小旅行を楽しむ生活を自分なりに悠々とやってみたいと思ってここまでやっとたどり着きました。<br>「これからが第二の人生」とは本当に良く言った言葉だと思います。第二の人生では、気持ちの中に花を抱いて生きて行きたいと思います。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150820/15/hukugyo88/0d/33/j/o0168012613401481116.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150820/15/hukugyo88/0d/33/j/t01680126_0168012613401481116.jpg" alt="団塊の世代" width="168" height="126" border="0"></a><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/hukugyo88/entry-12063836253.html</link>
<pubDate>Thu, 20 Aug 2015 14:59:23 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
