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<title>文学ブログ</title>
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<description>活字がすき。</description>
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<title>寺田寅彦くん</title>
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<![CDATA[ <p>寺田寅彦くんの研究上の業績としては、地球物理学関連のもの（潮汐の副振動の観測など）があるいっぽうで、1913年には「X線の結晶透過」（ラウエ斑点の実験）についての発表（結晶解析分野としては非常に初期の研究のひとつ）を行い、その業績により1917年に帝国学士院恩賜賞を受賞している。</p><br><br><p>また、”金平糖の角の研究”や”ひび割れの研究”など、統計力学的な「形の物理学」分野での先駆的な研究も行っていて、これら身辺の物理現象の研究は「寺田物理学」の名を得ている。 </p><p target="_blank"></p><br><br><p>寅彦は自然科学者でありながら文学など自然科学以外の事柄にも造詣が深く、科学と文学を調和させた随筆を多く残している。その中には大陸移動説を先取りするような作品もある。「天災は忘れた頃にやってくる」は寅彦の言葉といわれるが、著書中にその文言はない。</p><br><br><br><p> 今日では、寅彦は自らの随筆を通じて学問領域の融合を試みているという観点からの再評価も高まっている。 漱石の元に集う弟子たちの中でも最古参に位置し、科学や西洋音楽など寅彦が得意とする分野では漱石が教えを請うこともあって、弟子ではなく対等の友人として扱われていたと思われるフシもあり、それは門弟との面会日だった木曜日以外にも夏目邸を訪問していたことなどから推察できる。</p><p>参考文献：<a href="http://anichoi.com/kango/">http://anichoi.com/kango/</a></p><br><br><br><p>そうしたこともあって、内田百間らの随筆で敬意を持って扱われている。 また『吾輩は猫である』の水島寒月や『三四郎』の野々宮宗八のモデルともいわれる。このことは漱石が寒月の扱いについて伺いをたてる手紙を書いていることや、帝大理学部の描写やそこで行われている実験が寅彦の案内で見学した体験に基づいていることからも裏付けられる。 </p>
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<pubDate>Sat, 29 Sep 2012 20:08:05 +0900</pubDate>
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<title>人間のする大概の所業は動物界にもその原型を見出すことが出来る</title>
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<![CDATA[ 　ついでながら、人間のする大概の所業は動物界にもその原型を見出すことが出来るが、ただ「煙」をこしらえてそれを吸うという芸当だけは全く人間だけに限るようである。<br><br>それでこの最も人間的な人間固有の享楽と慰安に資料を供給する専売局の仕事はこの点で最も独自なものであると云われるかもしれない。それでこの機会を利用して専売局に敬意を表すると同時に、当事者がますます煙草に関する科学的芸術的ないし経済的研究を進められて、今よりも一層優良な煙草を一層廉価（れんか）で供給されんことを希望する次第である。<p>この記事の関連ワード<br>プロゴルファ&nbsp;</p>
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<pubDate>Mon, 26 Mar 2012 19:15:31 +0900</pubDate>
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<title>動物の場合にはこれらの球技は直接間接に食うための労役である。</title>
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<![CDATA[ 　動物の場合にはこれらの球技は直接間接に食うための労役である。人間の場合においては、球技を職業とする人は格別、普通にはとにかく不生産的の遊戯であり、日常生活の営みからの臨時転向（アヴオケーション）である。こう思ってしまえば誠に簡単であるが、自分にはどうもそうばかりとは思われない。<br><br>人間が色々な球を弄（もてあそ）ぶことに興味を感じるのには、もっと深い本能的な起源があるのではないかという気がする。例えば人間の文化の曙光時代にわれわれの祖先のまた祖先が生きて行くために必要であったある技術と因果の連鎖でこっそりつながれているのではないかという空想も起されないことはない。<br><br>　もしか、そうであったと仮定すると、昔は腹を張らせるために使用された球が今では腹をへらすために使われている勘定になる。<br>　赤羽のリンク半日の清遊の帰り途に、円タクに揺られているうちにこんな空想が白日の夢のように頭の中をかすめて通ったのであった。<br><p>この記事の関連ワード<br>プロゴルファ&nbsp;</p>
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<pubDate>Fri, 23 Mar 2012 15:41:37 +0900</pubDate>
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<title>人間が球を飛ばせたり転がしたり</title>
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<![CDATA[ 　人間が球を飛ばせたり転がしたりする遊戯の種類が一体どのくらいあるか数え切れないほどあるらしい。近代的のものでもゴルフの外に庭球野球蹴球（しゅうきゅう）籠球（ろうきゅう）排球などがあり、今は流行（はや）らぬクリケット、クロケーから、室内用にはピンポン、ビリアードそれから例のコリントゲームまである。日本の昔でも手鞠（てまり）や打毬（だきゅう）や蹴鞠（けまり）はかなり古いものらしい。<br><br>　人間ばかりかと思うと、猫などが喜んで紙を丸めたボールをころがすのが、なんら直接功利的な目的があってするとは思われないから、やはりスポーツの一種らしく思われる。尤もこれは結果から見ると鼠を捕えたりするときに必要な運動の敏活さを修練するに有効かもしれない。家畜の糞を丸めてボールを作り転がし歩く黄金虫（こがねむし）がある。あれは生活の資料を運搬する労働ではあろうがとにかく人間から見ると一種の球技である。<br><br>　オットセイは鼻の頭で鞠（まり）をつく芸当に堪能である。あれはこの動物にとっては全く飼主の曲馬師から褒美の鮮魚一尾を貰うための労役に過ぎないであろうが、娯楽のために入場券を買ってはいった観客の眼には立派な一つの球技として観賞されるであろう。不思議なのはこの動物にそういう芸を仕込まれ得る素質がどうして備わっているかということである。彼等の自然の生活に何かしらこれに似た所行がありはしないかという疑問が起る。<p>この記事の関連ワード<br>プロゴルファ&nbsp;</p>
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<pubDate>Thu, 15 Mar 2012 06:24:34 +0900</pubDate>
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<title>　このキャディのような環境におかれた少年</title>
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<![CDATA[ 　このキャディのような環境におかれた少年は例えば昔の本郷青木堂の小店員のごとく大概妙に悪ずれがしてくるものであるが、ここの子供達はそんな風が目に立たない。このリンクの御客が概して地味で真面目で威張らない人の多いせいかもしれない。<br><br>　いつか、このキャディのうちの一人がリンクの池で鮒（ふな）を一匹つかまえて、ボールを洗う四角な水桶の中に入れておいて、一廻りした後に取りに来たらもう見えなかったそうである。こんなのんびりした世界でさえも、自分の手でしっかり握っていない限り私有物の所有権は確定しないものと見える。してみるとやっぱり自分の腕以外にたよりになる財産はないかもしれない。<br><br>　ゴルフもだんだん見ているとなかなか六かしい複雑な技術だということが少しは分って来る。少なくも、単に棒の頭で球をなぐって飛ばせると云うだけではないことがわずかに一時間半ばかりの見学でよく分ったような気がした。この日Ｍ君Ｎ君の解説を聞いたことだけから考えても、すべての芸道に共通な要領がゴルフの術にも要求されていることが分る。一番大事なものはやはり心の自由風流であるらしい。<p>この記事の関連ワード<br>プロゴルファ&nbsp;</p>
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<pubDate>Tue, 13 Mar 2012 15:21:53 +0900</pubDate>
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<title>キャディが雲雀（ひばり）の巣を見付けた。</title>
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<![CDATA[ 　キャディが雲雀（ひばり）の巣を見付けた。草原の真唯中に、何一つ被蔽物（ひへいぶつ）もなく全く無限の大空に向って開放された巣の中には可愛い卵子が五つ、その卵形の大きい方の頂点を上向けて頭を並べている。その上端の方が著しく濃い褐色に染まっている。<br>その色が濃くなるとじきに孵化（ふか）するのだとキャディがいう。早くかえらないと、万一誰かの右傾した球が落ちかかって来れば、この可愛い五つ生命の卵子は同時につぶされそうである。巣は小さな笊（ざる）のような形をしていて、思いの外に精巧な細工である。これこそ本能的母性愛の生み出した天然の芸術であろう。<br><br>　荒川が急に逆様（さかさま）に流れ出したと思ったら、コースがいつの間にか百八十度廻転して帰り路になっていた。<br>　キャディが三人、一人はスマートで一人はほがらかな顔をしているがいずれも襟頸（えりくび）の皮膚が渋紙色に見事に染めあげられている。もう一人はなんだか元気がなくて襟頸もあまり焼けていない。どうした訳かと聞いてみるとまだ新米（しんまい）だそうである。まだ新米にさえもならない自分の顔がその日どんなであったかは自分には分らない。疲れはしないかと三人から度々聞かれた。<p>この記事の関連ワード<br>プロゴルファ&nbsp;</p>
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<pubDate>Sun, 11 Mar 2012 19:27:30 +0900</pubDate>
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<title>一体の地面よりは一段高い芝生の上に</title>
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<![CDATA[ 一体の地面よりは一段高い芝生の上に小さな猪口（ちょこ）の底を抜いて俯伏（うつぶ）せにしたような円錐形の台を置いて、その上にあの白い綺麗なボールを載せておいて、それをあのクラブの頭でひっぱたくと一種独特の愉快な音がする。飛んで行った球がもう下り始めるかと思う頃に却（かえ）ってのし上がって行ってそれから落ちることがある。夫人の球が時々途中から右の方へカーヴを描く。球がそれて土手の斜面に落ちると罰金だそうである。<br><br><br>　河畔の蘆（あし）の中でしきりに葭切（よしきり）が鳴いている。草原には矮小（わいしょう）な夾竹桃（きょうちくとう）がただ一輪真赤に咲いている。綺麗に刈りならした芝生の中に立って正に打出されようとする白い球を凝視していると芝生全体が自分をのせて空中に泛（うか）んでいるような気がしてくる。日射病の兆候でもないらしい。全く何も比較の尺度のない一様な緑の視界はわれわれの空間に対する感官を無能にするらしい。<br><br><br>　途中から文科のＮ君が一緒になった。三人のプレイが素人目（しろうとめ）に見てもそれぞれちゃんとはっきりした特徴があって面白い。クラブと球との衝撃によって生ずる音の音色まで人々で違うような気がするのである。科学者のＭ君は積分的効果（インテグラルエフェクト）を狙って着実なる戦法をとっているらしく、フランス文学のＮ君はエスプリとエランの恍惚境を望んでドライブしているらしく、Ｍ夫人の球はその近代的闊達と明朗をもってしてもやはりどこか女性らしいやさしさたおやかさをもっているように見えた。口の悪いＮ君がＭ夫人の球を「どうも右傾だな」と云ったが間もなくＮ君自身の球が右傾して荒川の水にその姿を没した。夫人の胸中も自ずから平らかなるを得たようである。<p>この記事の関連ワード<br>プロゴルファ&nbsp;</p>
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<pubDate>Sat, 10 Mar 2012 05:08:46 +0900</pubDate>
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<title>ずっと前からＭ君にゴルフの仲間入りをすすめられ</title>
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<![CDATA[ ずっと前からＭ君にゴルフの仲間入りをすすめられ、多少の誘惑は感じているが、今日までのところでは頑強に抵抗して云う事を聞かないでいる。しかしとにかく一度ゴルフ場へお伴をして見学だけさせてもらおうということになって、今年の六月末のある水曜日の午前に二人で駒込（こまごめ）から円タクを拾って赤羽（あかばね）のリンクへ出かけた。空梅雨（からつゆ）に代表的な天気で、今にも降り出しそうな空が不得要領に晴れ、太陽が照りつけるというよりはむしろ空気自身が白っぽく光り輝いているような天候であった。<br>　震災前と比べて王子（おうじ）赤羽界隈（かいわい）の変り方のはげしいのに驚いた。近頃の東京近郊の面目を一新させた因子のうちで最も有効なものと云えば、コンクリートの鋪装道路であろうと思われる。道路に土が顔を出している処には近代都市は存在しないということになるらしい。<br>　荒川放水路の水量を調節する近代科学的閘門（こうもん）の上を通って土手を数町川下へさがると右にクラブハウスがあり左にリンクが展開している。<br>　クラブの建物はいつか覗（のぞ）いてみた朝霞（あさか）村のなどに比べるとかなり謙遜な木造平家で、どこかの田舎の学校の運動場にでもありそうなインテリ気分のものである。休憩室の土間の壁面にメンバーの名札がずらりと並んでいる。ハンディキャップの数で等級別に並べてあるそうだが、やはり上手な人の数が少なくて、上手でない人の数が多いから不思議である。黒板に競技の得点表のようなものが書いてある。一等から十等まで賞が出ている。これなら楽しみが多いことであろう。賞品は次の日曜日に渡しますとある。人間いくら年をとっても時には子供時代の喜びを復活させる希望を捨てなくてもいいのである。<br>　Ｍ夫人が到着したのでそろそろ出掛ける。<p>この記事の関連ワード<br>プロゴルファ&nbsp;</p>
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<pubDate>Thu, 08 Mar 2012 15:57:45 +0900</pubDate>
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<title>六月十七日</title>
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<![CDATA[ 　菊水よりパイプの原木送ったという通知あり。ブライヤーの原木だ。手製のパイプをつくることにしたのである。自分の手製を示してボクにも作ることをすすめたのは入江元彦だ。安岡君の奥さんは入江元彦の従妹だそうだ。彼とＦ君は同道して桐生に現れ、Ｆ君は安野君について、入江元彦はその奥さんについて各々一席弁じて去ったのである。こういう変なのがつながって歩いているというのは珍しい現象であろう。<br><br>　キングの斎藤君到着。一しょに映画を見に行く。<br>　何を書いてよいか見当がつかないから、夕食中、斎藤君が大声で新聞の「人生案内」をボクによんできかせはじめた。急に気がついて「人生案内」という戯作を書く気になり、すぐひッこんで書きはじめた。<br><p>この記事の関連ワード<br>プロゴルファ&nbsp;</p><br><a href="http://zla62mw6.blog15.fc2.com/" title="my heart">my heart</a>
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<pubDate>Tue, 06 Mar 2012 01:57:43 +0900</pubDate>
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<title>六月十六日</title>
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<![CDATA[ 久々の晴天。朝九時にゴルフに出発。女房より、本日ヒルすぎに安岡君来訪の由注意があったが、ヒルすぎにもいろいろある。東京から桐生まで三時間かかるのにヒルすぎてまもなく到着ということは考えられない。そのヒルすぎは正午から夕方まで、つまり夕方や夜ではないというだけの意味で、その中間の三時ごろのことだろうと断定。<br><br>一時半に帰る予定で出発した。久々のコースは広さに面くらうばかり、タマを打ってるような気がしない。それでも二百二三十が二度でたが、パターは五ツ七ツころがす有様であった。たいがいのアプローチに七番を使うとなんとなく間に合う。こういうのは良くないのだろう。プロに直してもらいたいと思ったが、この日プロは欠勤であった。予定の一時半に帰宅。<br><br>　安岡君の一行すでに来着。はからざる次第。早朝に文春記者に叩き起された由である。この一週間ほど前に河出書房のＦ君が来て、自分は安岡君の悪友で「悪い仲間」その他のモデルだと名乗り、安岡君について一席弁じていった。むやみに人に絶交したがる男だと云っていた。しかし、安岡君の方がだいぶおとなしい感じ。外面如ボサツというのかも知れん。<br><br>絶交するのはもっぱらＦ君の方ですとは安岡君の説であった。ボクの青年時代にも今は死んだけれどもＦ君のような悪い仲間がいて絶交したりされたりしたのを思いだした。奴は臨終の瞬間においてすら「幽霊になってでてやる」と云ってボクをおどかしたのである。しかし奴のユーレイはでなかった。<p>この記事の関連ワード<br>プロゴルファ&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/i6b1a402867/entry-11179643458.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Mar 2012 11:16:31 +0900</pubDate>
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