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<title>iamkur55555のブログ</title>
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<title>診断後の経過、亡くなるまで</title>
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<![CDATA[ <p>私の母は多系統萎縮症でした。<br>起立性低血圧や排尿障害が初発症状だったため、典型的なシャイ・ドレーガー症候群です。<br>この憎い難病が、いつか「完治する病気」になるよう、祈っています。<br>母の病状の経過が、何か皆様の役に立てば嬉しいです。</p><p>&nbsp;</p><p>2025年12月　</p><p>日中は会話なし、夜、ベッドで横になった姿勢だと、たまに会話可能です。とても貴重な時間なのですが、長く会話できるというわけでもなく、、母の笑顔が見たいがための、ふざけた内容です。</p><p>微笑むことは病気の特性で難しいのですが、顔をくしゃくしゃにするほどの笑いの場合、病気を超えていつもの笑顔が出ていました。母の笑顔が本当にありがたくて、救いになっています。</p><p>&nbsp;</p><p>ある日膀胱が痛い、というので病院に連れて行ったところ、膀胱に結石があることがわかりました。</p><p>立ったり歩いたりせずに同じ体勢で日中を過ごしていることと、水分摂取量が少ないことで、膀胱に結石ができやすくなるそうです。通常は破壊したり排出を促す治療することもあるそうなのですが、母の場合、治療してもまたすぐ石ができてしまうだろうということで、特に治療はせず様子見になりました。（痛みも最初だけでした。）</p><p>ただ膀胱に結石ができると菌の拠り所になってしまうそうで、膀胱炎繰り返すようになりました。</p><p>&nbsp;</p><p>母の元気（風呂へのやる気？）が出ないことと、私のメンタル的にも毎日のお風呂が難しくなってきて、</p><p>お風呂は2日に1回になりました。</p><p>&nbsp;</p><p>2026年01月　<br>パーキンソン病の治療薬であるドパコールを3年と半年飲んできましたが、</p><p>薬を飲む能力が衰えてきてしまい（飲み込むのに5〜10分くらい格闘する）、若干のストレスになっているように見えたため、母とも相談し、その件を脳神経内科の先生に話しに行きました。相談したところ、ドパコールの効き目はもう無いだろう、とのことで無しになりました。朝昼晩のドパコールがなくなり、血圧を上げる薬と喉、震えの薬だけになったため、かなりストレスは減ったと思います。</p><p>ドパコールは減っていくドーパミンを補う薬ですが、多系統萎縮症の場合、ドーパミンを受け取る側もダメージを受けていくためいずれ薬が効かなくなることは、先生から最初に説明を受けていました。</p><p>ただ母の場合、かなりドパコールが効いた方だと思います。初期に発生した首下がりもあっという間によくなりましたし、説明が難しいのですが、一緒に暮らしている中で「薬が効いているな」と実感することが多かったです。</p><p>&nbsp;</p><p>この時、1月の寒い時期で母を病院に連れていくのは難しいかな、、と思ったのですが、そろそろ訪問診療に切り替えないと、と思っていたので、最後の挨拶も兼ねて母も一緒に行きました。会話はできませんでしたが、最後にお世話になった先生に会うことができて本当に良かったです。</p><p>&nbsp;</p><p>2026年02月　</p><p>舌の動きが悪くなり（ほとんど動いていないように見える）、食事の時間が伸びた（飲み込みに時間がかかる）。お粥だと30分、通常の食事だと2時間かかることも。<br>声が殆ど出なくて、夜の少しの会話も難しくなった。開け続ける元気がなく一日中殆ど目をつぶってる。返事としてうなずくことも難しい時があり、コミュニケーションが全く取れない時間がある。</p><p>でもくしゃくしゃな笑顔はあり。（会話はできないのですが、私が目の前でダンスしたりちょっとおかしなことをするだけで笑ってくれるので、本当に助かります。）</p><p>&nbsp;</p><p>2026年03月</p><p>舌の動きがさらに悪くなる。食事が厳しい。<br>声を発さなくなった。</p><p>母要望のロールケーキを作る。美味しいと言って完食。</p><p>&nbsp;</p><p>2026年04月</p><p>柔らかい食事も、一度にたくさんは食べられないため、ちょこちょことタイミングをみて食べさせることが必要になりました。</p><p>一度の量が少ないため、母はいつもお腹が空いている状態になってしまいかわいそう、、。ただ私も自宅とはいえ仕事をしているので、なかなかこの辺りは難しかったです。</p><p>うがいができなくなった。飲んでしまう。</p><p>発語ほぼ無し、頷くことも無く寂しい。朝はほとんど、おかゆorおじやorリゾットになったが、飽きてしまうのではと悩ましい。</p><p>いちごがまだスーパーに売っているため、母要望のロールケーキを作る。美味しいと言って完食。</p><p>&nbsp;</p><p>2026年05月</p><p>母の日、母要望のロールケーキを作る。美味しいと言って完食。</p><p>&nbsp;</p><p>中旬、お尻の褥瘡が悪化したように見え、前日夜から微熱もあったため、訪問診療を急遽（初めて）お願いしました。</p><p>土曜にも関わらず運のいいことに電話した当日夕方に来てもらえて診察を受けたところ、褥瘡は大したことなく、それよりも肺炎からくる発熱です、入院するか自宅で治療するかどうしますか。と、急激な体調悪化となってしまいました。この時熱は39度、酸素も低かったです。</p><p>昼にはおかゆをしっかりたべ、くしゃくしゃ笑顔もあったため、まさか肺炎とは、、気づいてあげることができませんでした。</p><p>母に聞いたところ、入院したいとのことなので、その日のうちに行きつけの？救急病院へ、これまた運よく入院できることになりました。最近はあまりに状態が悪く、かつ訪問診療が入っていると入院できないことも多いそうです。母は断られるレベルの状態だったらしく始めは断られましたが、肺炎が初めてで、初めての入院、本人に治療の意志があるとのことで、訪問診療の先生が病院を説得してくださり、入院できることになりました。</p><p>この時、酸素が低いからかなり苦しいと思うよ、と先生に言われたのですが、私から見ると苦しそうに見えず、それどころかいつもは目をつぶっているのに、この時はぱっちりと目をあけ（人が来るとしゃんとすることは多かったですが、、）、じっと私を見つめていました。救急車が来て酸素吸入してもらい、処置を受けている間もじっと目を開けていて返事（頷く）をしっかりしていました。</p><p>&nbsp;</p><p>病院での説明は誤嚥性肺炎で、「ひどい状態ではありませんので、しっかり治していきましょう」とのことでした。</p><p>母の病室にいき、そのことを軽く説明し、また明日来るからねと言って23時頃帰りました。</p><p>翌日見舞いへ行きましたが元気でした。いつもの笑顔を見せてくれましたが、見舞いは30分しか会えません。思ったより寂しいのと（私が）、正直これから起こるであろう母の苦労（食事や水分を数週間とることができない、体力がさらに落ちることになる、、、体力向上のために鼻からの経管栄養※になったらどうしよう、など）を思うと、あまりにかわいそうで眠れず、どうしたらいいのか、不安で怖くて本当につらい時間でした。</p><p>※鼻からの経管栄養は非常に苦しいと言われています。</p><p>&nbsp;</p><p>土曜夜に入院し、月曜にやっと主治医が決まり「しっかり治していきますからね」と電話でお話をいただいたのですが、</p><p>その数時間後、昼すぎに呼吸の状態が悪くなった、すぐ来るように　と連絡があり、その夜亡くなりました。</p><p>&nbsp;</p><p>まさかこんなに早く亡くなるとは思ってもいませんでした。早くてあと1年くらいかなと思っていました。</p><p>ただ人は皆いずれ死ぬし、散々闘病の中でつらい思いをしてきたのに、最後の最後まで苦しいことは絶対にさせたくないと、兄妹４人とも思っていましたので、最後苦しむことなく寝ている様を見守ることができて、お礼を言うこともできて、良かったのかな、、と思っています。</p><p>12時半頃に病院につき、20時に亡くなるまで、兄妹４人もいますので、誰かしらがずっと話しかけており、母にとっては少々うるさかったかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>正直、もっともっと優しくしてあげれば良かった、と後悔はつきませんが、際限はありませんし、母は「ありがとうね」と言っていると思います。やれるだけのことはやった、という自負もあります。</p><p>母の病気は治ることが無いものですので、もしかしたら良くなるかも、と言う悩みもなく、状態が月単位で悪くなっていく中でそれに対応し、最後に向けてどうやって着地すればいいか、、と言うことを考える日々でした。</p><p>母にとって闘病はいろいろなことを諦めたり、もどかしい、本当につらい時間だったと思います。</p><p>でもその中にも笑顔の瞬間が多々あり、そうやって過ごせたことは本当に良かったです。</p><p>&nbsp;</p><p>ブログを読んでくださる方にとって、参考になっているのかは分かりませんが、私のブログは以上です。</p><p>私自身、アメーバブログに助けられた部分が多いので、少しでも恩返しになれたら嬉しいです。</p><p>ありがとうございました。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/iamkur55555/entry-12971899347.html</link>
<pubDate>Mon, 06 Jul 2026 18:25:41 +0900</pubDate>
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<title>診断後の経過その７</title>
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<![CDATA[ <p>私の母は多系統萎縮症でした。<br>起立性低血圧や排尿障害が初発症状だったため、典型的なシャイ・ドレーガー症候群です。<br>この憎い難病が、いつか「完治する病気」になるよう、祈っています。<br>母の病状の経過が、何か皆様の役に立てば嬉しいです。</p><p>&nbsp;</p><p>2025年07月　 さらに進行を感じる</p><p>体幹がさらに保てない感じ、斜めに傾いた姿勢を自分で起こせない。繊維の多いもの固いものは飲み込めず、出すようになった。特に葉っぱ系（小松菜、ほうれん草、レタス、キャベツなど）はうまく食べれず大量に歯に引っかかっている。口内に食べたものがのこったままになってしまう。（舌がほとんど動いていない感じでした。）<br>言葉が音にならない（口パクのような感じ）。口を閉じ続ける筋肉が弱り、口を開けているため、よだれが出るようになった。<br>鼻がまったくかめない。ぬぐうのみ。音の出る会話はできなくなった。</p><p>&nbsp;</p><p>2025年09月　ケアマネ交代</p><p>訪問リハビリを始めると同時にお世話になった優しい雰囲気のケアマネさんでしたが、母が「辛いな、、早く逝きたいな」と小さい声で言うと、急に死生観について自身の考えをイキイキと語りだし「辛いとよね、、だけども、生き・・・切る・・・ことが大事だよ」などとたっぷり悦に入ったトークが15分以上に渡り垂れ流される。（母は返事ができないため、聞く一方です）</p><p>完全に母を自分よりも考えも経験も浅い、弱った不幸な人間、と言う捉え方で（私の感想です）、とても違和感があったが、母はどう思っているかわからず、（感動しているかもしれないため）放っておいたが、あまりに帰らず話が長すぎるため、そろそろいいですか？と聞いて、帰ってもらった。</p><p>&nbsp;</p><p>後ほど母に大丈夫？と聞いたところ、本当に嫌だったとのことで、ケアマネさんを即変えてもらった。</p><p>少しでも力になれたら、の気持ちだったと思いますが、スムーズに会話ができない母に対し、一方的にセンシティブな価値観が分かれるような話はなかなかハードル高いだろう、母で試さないでよ。と思いました。</p><p><br>食事に頻繁に出していた豚バラ炒めは噛めないため、やめた（後日本当に小さく切れば食べれることがわかり、復活しています）。<br>話しかけても、会話どころかなんの反応も無い時があり、それが本当につらい。<br>食事中や歯磨き時も、うなだれた状態で微動だにしない。よだれがゆっくり垂れている。どんどんできないことが増えるため、</p><p>娘としてはやるせない気持ちで悲しくて辛くてさまざまな感情でしたが、母も本っ当に辛かったと思います。（頭は明晰すぎるほど正常なのです）</p><p>笑顔が本当に素敵で、あんなに毎日笑ってたのに、顔の表情が乏しくなった。（病気からくるものです。）</p><p>会話はできるときにする事、笑顔が貴重なことを改めて実感しました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>次回に続きます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/iamkur55555/entry-12971188765.html</link>
<pubDate>Mon, 29 Jun 2026 19:48:17 +0900</pubDate>
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<title>診断後の経過その６</title>
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<![CDATA[ <p>私の母は多系統萎縮症でした。<br>起立性低血圧や排尿障害が初発症状だったため、典型的なシャイ・ドレーガー症候群です。<br>この憎い難病が、いつか「完治する病気」になるよう、祈っています。<br>母の病状の経過が、何か皆様の役に立てば嬉しいです。</p><p>&nbsp;</p><p>2025年2月</p><p>私の誕生日に、何もできない母が寿司の出前を取ってくれる。日頃のお礼にと。</p><p>18時にお願いしたのに、出前が30分遅れてきた。私はつい寿司屋に小言を言ってしまう。寿司が来るまでの間もイライラぶつぶつ。気持ちよく母の恩返しを受ければいいものを。ただ喜べばいいものを。ごめんねお母さん。（自己憐憫ですね、すみません。ただこのブログは通して自己憐憫です。ご了承ください）</p><p>&nbsp;</p><p>2025年3月</p><p>母の、体を支える筋肉が機能していないことを感じる。足を投げ出すようにすわったり、膝を柔軟に曲げられないなど。</p><p>目を開け続けるのがつらいらしく、よく目をつぶっている。鼻がかめなくなった。麺やお茶はすすれなくなった。<br>食べさせてあげることが増えた。<br>血圧は、暖かくなり冬よりも安定している。間食を増やした為、顔がふっくらし、よりかわいらしくなった。</p><p>朝は、起き上がり・着替え、すべてお任せという感じ。</p><p>会話する際、言葉がすぐ出てこない。介護に時間がかかるようになったことを感じる。（説明が難しいのですが、歯を磨く、と言う目標に対し、洗面台の前に立つ、うがいする、ブラシを持つ、歯を磨く、うがいする、などの動作がさらにゆっくりになり、一部分はできなくなり、時間がかかるようになりました。）</p><p>&nbsp;</p><p>2025年4月　喉がゴロゴロするようになったが薬でよくなった。介護ベッド導入した。</p><p>牛乳を飲んだりチョコレートを食べると、喉がゴロゴロ言うようになりました。</p><p>先生に相談し、痰のキレが良くなる薬を処方してもらい、すぐに良くなり症状も出なくなりました。</p><p>朝の低血圧対策で、徐々に角度を上げて調整することが可能な介護ベッドを導入しました。</p><p>少しずつ血圧を慣らすことができ、とても助かりました。</p><p>&nbsp;</p><p>2025年5月　食事を一人で口に運べなくなった。夜間せん妄のような感じが初めて出た。</p><p>食事は７〜８割食べさせてあげる（細かい動作が難しく、自分で掴めない食材は口に運んであげる）形になりました。</p><p>&nbsp;</p><p>夜中、目が覚めて、不安だったりトイレに行きたくなったら、いつでも私を呼び出せるように、以前から色々対策をしていました。</p><p>最初は声で呼んでもらう→スマホで電話してもらう→スマホができなくなり、笛を吹く→肺活量が減ったため笛が吹けなくなり、押すだけの呼び鈴？（母の部屋でボタンを押すと、私の部屋でお知らせの音が出るようなやつ）、のような形をとっていたのですが、</p><p>ある時、小さい赤ちゃんが布団に入ってくる、などの幻覚のようなことを言うようになりました。（小脳の障害でよくあるそうです）</p><p>「あっちに行ったから見てきて、、」と言われ、ネットで検索した通り否定せず、「見てくるね、、赤ちゃんもういなかったよ、安心して寝な」と言うやりとりが、これ以降も何度もありました。出てきた子たちに対し、ネガティブではなく、ポジティプな印象で心配しているような感じでした。</p><p>&nbsp;</p><p>2025年6月　発語がかなり少なくなってきた。　体重35キロ</p><p>日中はスムーズな会話ができなくなり、夜、調子のいい時だけベッドで語らう。</p><p>会話がとっても貴重な時間になりました。</p><p>&nbsp;</p><p>この時期から私のメンタルもさらに不安定になっていった気がします。</p><p>母にできないことが増えるたび、病状が進行していることを実感するたびに、その現実が辛くて、意味もなく母に八つ当たりしてしまう、おかしい状態でした。あとで後悔するのに、母が一番辛いのに、本当に私は最後の最後まで余裕のない人間でした。</p><p>できないことを受け入れ、「じゃあこうしよう」と言う対策を出すには数日かかるのですが、その間、八つ当たりしてはすぐに謝る、と言う、まるでアル中？のような人格でした。母も、つらい時間だったと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>人によると思いますが、私の場合、介護と言う物理的負担よりも、何よりつらく受け入れ難いのは、母の病状が進行したと言うことでした。その時はいつも猛烈な怒りが襲ってきました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>次回に続きます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/iamkur55555/entry-12970594486.html</link>
<pubDate>Tue, 23 Jun 2026 21:29:51 +0900</pubDate>
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<title>診断後の経過その５</title>
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<![CDATA[ <p>私の母は多系統萎縮症でした。<br>起立性低血圧や排尿障害が初発症状だったため、典型的なシャイ・ドレーガー症候群です。<br>この憎い難病が、いつか「完治する病気」になるよう、祈っています。<br>母の病状の経過が、何か皆様の役に立てば嬉しいです。</p><p>&nbsp;</p><p>2024年06月　訪問リハビリスタート</p><p>メモがないので定かでないのですが、この月に新しいケアマネさんになったので、</p><p>おそらく介護度の審査がこの辺りであり、要支援から要介護に変わったと思われます。</p><p>要支援の場合は市区町村の包括支援センターからケアマネさんが来ます。確か要介護２になったような記憶があります。</p><p>訪問リハは週１回40分、歩いたり、筋トレをしたりしていました。</p><p>&nbsp;</p><p>2024年07月　できないことが増える。</p><p>夏なのに低血圧（母は気温が高いと血圧が安定していました、冬の方が低かったです）。食欲が減った。顔を自分で洗えない。歯磨きができない。風呂でからだや頭が洗えない。移動は主に車椅子。声が弱々しい。昼12時位まで寝てること増えた。飲み込みが少し心配。手がふるえてラインが打てない。</p><p>&nbsp;</p><p>2024年08月　できないことが増える。</p><p>毎日入っていた風呂が週5～6になる。家計の管理を代わる。</p><p>&nbsp;</p><p>2024年09月　ひょうきんで可愛らしく、サービス精神旺盛な母</p><p>訪問リハビリの人を会話で笑わせている（母の声はかなり小さい）。ひょうきんで可愛らしい母の性格がまだあることが救いです。</p><p>寝返りができないため、尾骨とくるぶしに褥瘡ができるようになった。食欲が戻る。箸が苦手になった。飲み物を飲む際はストローになった。</p><p>&nbsp;</p><p>2024年10月　褥瘡予防マットレス使用開始</p><p>&nbsp;</p><p>2024年11月　できないことが増える。</p><p>発熱したが、抗菌剤で事なきを得る（すぐに病院に行ける状態でないため、お守りのように処方された抗菌剤を常に持っていました。それを私の独断と母との相談で飲んでいました）。麺類などすする系はひとりで食べれないが、他にも食べれないものがふえてきた。みかんをむけない。足首がかたく背伸びが以前よりもっとできない。滑舌や発声の問題で、母の話している内容を私が聞き取れないことが増えた。<br>試しに母をお姫様抱っこをしたら、できてしまった。母は爆笑してくれて、ホッと幸せなとき。痩せないようにちょこちょこ間食を増やす。</p><p>&nbsp;</p><p>2024年12月　精神的につらそう</p><p>当然とは思いますができないことが目に見えて増え、やはり介護される側の辛さが多々あるようで、朝ベットに行くと毎度弱音を言う。そばにいて、話を聞くことしかできない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>次回に続きます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/iamkur55555/entry-12970177680.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Jun 2026 20:12:21 +0900</pubDate>
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<title>診断後の経過その４</title>
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<![CDATA[ <p>私の母は多系統萎縮症でした。<br>起立性低血圧や排尿障害が初発症状だったため、典型的なシャイ・ドレーガー症候群です。<br>この憎い難病が、いつか「完治する病気」になるよう、祈っています。<br>母の病状の経過が、何か皆様の役に立てば嬉しいです。</p><p>&nbsp;</p><p>2023年10月　外出用の車いす購入</p><p>病院では車椅子の貸出があるので、いつもそれを借りて診察を受けていたのですが、</p><p>ある時、低血圧のため車から降りられなくなり、とっっても困りました。</p><p>苦肉の策として、駅がすぐ近くにあるので、駅で諸々事情を話し、なんとかお願いして車椅子を借りることができました。（通常はもちろん貸していません、駅構内専用です。）本当に助かりました、、。二度とこのようなことが無いよう、外出用の車椅子を購入しました。</p><p>&nbsp;</p><p>2024年01月　ふらつきと低血圧がひどく、今まで以上にしっかりと両手で支えないと歩けない。<br><br>2024年04月　暖かくなり、だいぶ低血圧が良くなる。</p><p>母の場合、寒いと低血圧になり、暖かいと血圧が安定していました。（普通は逆のようです）</p><p>ただもう歩くのはなかなか難しく、しっかりと両手で支えることが必須です。<br>また、手の震えが出てきたため、自分で導尿を行うことが難しくなり、頼まれることが増えました。<br>&nbsp;</p><p>2024年05月　葬式は身内で棺には〇〇を入れて、と言う。</p><p>当時、亡くなった後のことを、母と私は話す機会が多かったのですが、</p><p>母の衣替えをしている最中に、「葬式は身内だけでやってね、棺には〇〇を入れて欲しいな、まぁ入れなくてもいいけど、、」</p><p>のようなことを言われました。</p><p>日中はツムツムをしていることがほとんどでしたが、震えなどでうまくできなくなり、ソファーで寝ていることが増えました。</p><p>歩行器は使えなくなり、寝返り、ベットから起き上がることも難しくなり、声が小さくなり始めました。</p><p>&nbsp;</p><p>同月、難病申請しました。（難病疑いから2年ほど間が開きましたが、私が病気を受け入れたくなく、間が空いてしまいました。）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>次回に続きます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/iamkur55555/entry-12969766147.html</link>
<pubDate>Mon, 15 Jun 2026 17:06:29 +0900</pubDate>
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<title>診断後の経過その３</title>
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<![CDATA[ <p>私の母は多系統萎縮症でした。<br>起立性低血圧や排尿障害が初発症状だったため、典型的なシャイ・ドレーガー症候群です。<br>この憎い難病が、いつか「完治する病気」になるよう、祈っています。<br>母の病状の経過が、何か皆様の役に立てば嬉しいです。</p><p>&nbsp;</p><p>2023年09月　転ぶ。歩行器レンタルスタート</p><p>母が家に一人でいる時に3センチくらいの段差につまずき、転んでしまいました。</p><p>幸いにも転んだ先は畳で、特に怪我もありませんでしたが、精神的にはかなりショックだったと思われます。これ以降ウオーキングなど、歩く運動をやめてしまいました。</p><p>少しでも歩く運動をと思い、歩行器のレンタルを開始しました。</p><p>&nbsp;</p><p>2023年10月　寒くなり再び低血圧症状が出始める。室内車椅子レンタルスタート。<br>夏までは一人で毎日入っていたお風呂ですが、低血圧により湯船から立ち上がれないことがあるのと、関節の可動域が狭まったのか、体を自分で洗えない、ふけない、になったため、お風呂内でのサポートを始めました。</p><p>また夜遅くと朝早くは低血圧でトイレに行けないことも増えたため（トイレに向かって歩いている間に低血圧になり、自己導尿の一連の動きがとても無理な状態になる）、朝晩のみ、姉妹による導尿をスタートしました。</p><p>合わせて移動中の低血圧に備え、車椅子のレンタルをスタートし、血圧を上げる薬も始めました。</p><p>（福祉用具として、すでに室内に手すりも導入していましたが、プラス歩行器と車椅子で、毎月のレンタル料は2,000円しないくらいでした）</p><p>&nbsp;</p><p>※余談ですが母に、導尿は朝晩だけ私たちがベッドでやるよと、と言った時、「あんただけ介護してくれればいい、〇〇（妹）には介護させたくない、、」などと、恐ろしく舐めたことを言っていました。母自身に介護の経験は無く、また、いずれ治るから今だけだし、恥ずかしい、、という気持ちも、あったと思います。が、ここは譲れないと思い、説明して、了承してもらいました。私だけが我慢することは将来的に見て母にも良くないのです。母から見れば、妹は週5で朝から晩まで働き（家族より仕事タイプ）、私は家で何をしてるかわからん、だったのも大きかもですが、全く関係ありません。母に少し我慢してもらい、妹にも少し我慢してもらうことが重要でした。（我慢＝介護　という意味ではありません、気持ちの話です）</p><p>2023年当時すでに、一人で介護をすることがどれほど危険で負担か、は、世間のさまざまなニュースや情報から初心者ながらにイメージできており、できる限り分散せねばならない、という認識でした。さらに言えば、介護を少しでもできた、金銭的にサポートできたなどの記憶は、私たち子供にとっても、いいものになる、とも思っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>私だけが介護する形だったら、さまざまな不満、つらさがあっても誰とも本当の意味で共有できず、大変さをわかってもらえず母に八つ当たりをし、嫌いなわけではないのに一人になりたいという気持ちで辛くなったり、寂しがりやの母に対し早々に施設を検討し、その判断さえ私に一任されるという地獄になっていたことでしょう。</p><p>施設に入れるという決断がどれほど辛いか、、本当に切り裂かれる思いだと思います。決断したとてスッキリもせず、、</p><p>介護していて、さまざまなことを決断する立場にいる人にしかわからない感情や複雑な思いがあります。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そして妹に、導尿をお願いすることになったのですが、第一声は「え！できない！やったことないし！」でした。え！私もだけど！と思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>次回に続きます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/iamkur55555/entry-12969393883.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Jun 2026 11:09:21 +0900</pubDate>
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<title>診断後の経過その２</title>
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<![CDATA[ <p>私の母は多系統萎縮症でした。<br>起立性低血圧や排尿障害が初発症状だったため、典型的なシャイ・ドレーガー症候群です。<br>この憎い難病が、いつか「完治する病気」になるよう、祈っています。<br>母の病状の経過が、何か皆様の役に立てば嬉しいです。</p><p>&nbsp;</p><p>2023年03月　腎盂腎炎になりかける</p><p>この頃の母は、一応一人で歩ける。自己導尿は自分で行える。台所でずっと立っているのは疲れるため、料理は簡単なもののみ（漬物とか）作る。病院前まで送ってあげれば、自分で長い時間待ち、診察を受けることも可能でした。（春になり暖かくなったため、低血圧の症状もだいぶ改善していました）。</p><p>&nbsp;</p><p>ある朝、体が硬直し会話もおかしいため（言葉が出ない？）二度目の救急車を呼びました。</p><p>前日から熱がありましたが、会話も食欲も問題なかったため、そのまま様子見で寝てしまったのです。</p><p>近くの一番大きい救急病院（救急しか受け付けていない病院）へ、およそ2年ぶり、2度目の搬送です。</p><p>結果は膀胱炎からの腎盂腎炎なりかけ　でした。</p><p>膀胱炎で熱は出ないそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>自己導尿は適切に清潔を守って行っていても、どうしてもバイ菌は入ってしまうそうです。</p><p>これ以降も何度となく膀胱炎を繰り返したのですが、毎度泌尿器科の先生には、「こればっかりはどうしようもない、、付き合っていくしかない」と、よく言われました。</p><p>&nbsp;</p><p>2023年07月　要支援２へ</p><p>要介護認定の時期になり、調査する人が来てくれました。</p><p>母は明るい性格で、人を笑わせるのが好きで、負けず嫌いなところもあり、出てくるお題を全力で取り組んでいました。</p><p>調査結果は要支援２でした。</p><p>２になったことで、不安を感じたのかもしれません。日々の運動やウオーキングをコツコツやるタイプではありませんでしたが、意識して取り組んでいるように見えました。</p><p>&nbsp;</p><p>※余談ですが、一緒に暮らしている妹の推し活がひと段落したため、この月から介護や家事に参加してくれることになりました。自発的なものではなく、私がお願いしたからです。正直これまでも、見ていて何も思わないのかな、、とは思っていました。が、黙っていても気付きませんので、じりじりとストレスを溜めるより、さっさとして欲しいことも伝えるが吉です。</p><p>こんなこといちいち書かなくてもいいのですが、それまで母のことや家事を私が一人で行っていたため、当時の私の気持ちを鎮めるために、書きました。今現在一人で全てを背負っている方、助っ人は多いに越したことはないので、早いうちからダメ元でも声をかけて、自分の負担を減らすことに、早め早めに注力して欲しいです。</p><p>また妹について上記のように書きましたが、妹の存在はこの後とても大きくなり、何度も私の心を救ってくれます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>2023年08月　一年ぶり頭部MRIをとる</p><p>主治医からのすすめで、頭部MRIをとりました。「一年前と何も変わっていないよ」と言われ、母娘ともどもホッとしました。</p><p>でも今から思えば、少し進んでいるよ、まぁまぁ進んでいるよ、などと言ってもしようがない病気であるので、、気を遣ってくれたのかもしれません。母の主治医（脳神経内科）は本当に優しくて、でも必要なことはしっかり話してくれるいい先生です。母とも相性良く、安心して任せることができました。</p><p>母自身は未だこの病気をしっかり理解していないため（怖くて話したくない）、この時も、「薬（ドパコール）飲んでもなかなかよくならないよ」と先生に愚痴っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>ちなみにですが、これ以降も、母とこの病気について話すことは一度もありませんでした。聞かれたこともありません。</p><p>泣かれたことも不安だと言われたこともありませんが、当然不安だったと思います。本当にその強さはどこからくるのか。</p><p>私には寄り添うことしかできず、本当にずっと一緒にいました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>次回に続きます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/iamkur55555/entry-12969121638.html</link>
<pubDate>Tue, 09 Jun 2026 17:26:00 +0900</pubDate>
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<title>診断後の経過その１</title>
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<![CDATA[ <p>私の母は多系統萎縮症でした。<br>起立性低血圧や排尿障害が初発症状だったため、典型的なシャイ・ドレーガー症候群です。<br>この憎い難病が、いつか「完治する病気」になるよう、祈っています。<br>母の病状の経過が、何か皆様の役に立てば嬉しいです。</p><p>&nbsp;</p><p>2022年08月　兄妹で緊急会議を行う。介護認定を受ける。</p><p>母は一人お留守番で、兄妹4人でファミレスに集まり、今後の話し合いをしました。</p><p>全員で、「母は多系統萎縮症という病気の可能性がある、概ねそうだろう」ということを共通認識し、キーパーソンは〇〇、母にかかるお金の使い方、施設を利用することの可能性や、延命についてまで、時期尚早ではありますが、今後のことなどを話しました。</p><p>キーパーソンは一緒に暮らしている私なのですが、兄妹みんなで今回の大ごとに対し、共通の認識が持てたこと、そして全員が協力的だったことに、私は一人ではないという安心感がありました。</p><p>&nbsp;</p><p>介護認定する方が自宅にいらっしゃり、片足で立ったり、寝返りしたり、できないことはほぼ無く、</p><p>母の初めての介護認定は要支援１でした。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>2022年11月　低血圧症状が強く出るようになる。　引っ越す。</p><p>寒さのせいか、夏にはほとんど出なかった低血圧の症状が、出るようになりました。</p><p>朝起き上がる時（畳に布団だった）や、歩いてるとき、食事後など、血圧が下がるタイミングあるのですが、</p><p>だいたい上が80切ると手足が震え始めて、てんかんのようになってしまうため、血圧計が手放せなくなりました。</p><p>対策として、メディキュットのような靴下を履き、カフェインをとり、塩分も普通の成人より多めにしました。</p><p>食事後は足を上げて、ゆっくりと過ごしました。</p><p>湯船に浸かっている状態から立ち上がることが難しくなったため、上がるときに「おーい」と、声をかけてもらい、立ち上がる動作だけ手伝うことになりました。同時にお風呂用の椅子（介護用）も導入しました。</p><p>&nbsp;</p><p>この病気がどのような予後を辿るのか、8月の診断後から闘病ブログを読み漁っていたので、私自身としてはイメージできていました。（母はこの時も、全くわかっていません。）</p><p>本当にじわじわと残酷な病気です。</p><p>&nbsp;</p><p>発症が2018年だとすると、そろそろ車椅子になるのかもと思い、診断後、もっと広い部屋を探し始め、この月に引っ越すことができました。また病院の送迎用にペーパードライバー教習を受け、カーセンサーで検索して２番目に安い中古車も買いました。</p><p>まだ母が一人でも歩けているこのタイミングで引っ越せて、本当によかったです。</p><p>&nbsp;</p><p>私は母と妹と三人で暮らしており、父はいません。そして子供もいません。</p><p>それらの環境と、私と妹の収入と母の年金があったから、このような準備ができました、そこは本当にラッキーでした。</p><p>また住んでいる場所がど田舎なため、家賃が安いのも本当に助かりました。</p><p>&nbsp;</p><p>次回に続きます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/iamkur55555/entry-12968833430.html</link>
<pubDate>Sun, 07 Jun 2026 19:45:46 +0900</pubDate>
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<title>念の為の精密検査</title>
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<![CDATA[ <p>私の母は多系統萎縮症でした。<br>起立性低血圧や排尿障害が初発症状だったため、典型的なシャイ・ドレーガー症候群です。<br>この憎い難病が、いつか「完治する病気」になるよう、祈っています。<br>母の病状の経過が、何か皆様の役に立てば嬉しいです。</p><p>&nbsp;</p><p>2022年07月　精密検査を受ける</p><p>ドパコールを飲み始めてから、首下がりの症状は無くなりました。（これ以降、再び首下がりの症状が出ることはなかったです）</p><p>前回の投稿で記載していなかったのですが、母は掌蹠膿疱症という手や足に赤いぷつぷつができる難病も患っていました。命に別状はありませんが、これもなかなか治りづらい病気で、この時すでに十数年の付き合いでした。</p><p>確立された治療法もなく、さまざまな治療法を試しましたが治らず、母はこの病に効くという漢方を自身で調べ1日3回を1年半程度飲んでいました。</p><p>ただ漢方などの薬剤からパーキンソン病のような症状が出ることがあるらしく、一旦やめてね、と脳神経内科の先生から言われ、やめていました。</p><p>&nbsp;</p><p>首下がりは治ったけれど、めまいやふらつきもないし本当にパーキンソン病かな、、</p><p>漢方のせいだったのかな、、など諸々を確認したくて母とも相談し、7月の診察時に精密検査をお願いしました。</p><p>先生の後輩が車で40分程度の大学病院にいるからと、紹介してくださり、すぐに予約して行きました。</p><p>&nbsp;</p><p>初回の診察時に、パーキンソン病かパーキンソン症候群のどちらかだと思う、</p><p>もしかしたらパーキンソン症候群の一つ（レビー小体型認知症）の可能性もある、と言われました。2018年以前からは母は寝ている時に叫んだり、寝言が大きいことがありました。また、なんとなくエピソードが曖昧だったのですが、寝てる時たまに知らないおじさんが見えることもある、とも言っていてそのあたりが、（レビー小体型認知症）疑いになったと思われます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>2022年08月</p><p>私が自宅で仕事をする個人事業主だということもあり、母にさく時間だけはあったので、7月下旬に3回ほど大学病院へ行き、バババッと頭部MRIやDATスキャン検査を行い、8月2日に結果を聞きに行きました。（通常はもっと検査に時間がかかると思います）</p><p>&nbsp;</p><p>私は、どうかパーキンソン病でありますように、と願っていました。</p><p>先生はとても優しい方で、言い方に気を使ってくれているのが、とても伝わってきました。</p><p>まず、レビー小体型認知症ではない。そして諸々の検査反応からパーキンソン病でもない。</p><p>一つ気になるのが、小脳が年相応にも見えるが、ほんの少し縮んでいるかいないかくらいにも見える。多系統萎縮症という病気があり、その可能性が10%くらいある。という診断でした。</p><p>&nbsp;</p><p>雷に打たれたような、覚悟していたような、衝撃が心に到達してからじわじわと、なぜ母が、、という悲しみがきて、泣きたいけど泣いたら母を怖がらせてしまうし（母は怖がりで、パーキンソン症候群のことも一切調べていませんでした。むしろパーキンソン病ではありませんようにと願っていました。）</p><p>とにかく唇を噛み締めて、涙が出ないように顔に力を入れて先生の話を聞いていました。</p><p>なにしろ母は、パーキンソン症候群だ、ということが確定したのでした。</p><p>&nbsp;</p><p>どのタイミングで私が、多系統萎縮症という病気の可能性が母にあることを認識したのか、覚えていないのですが、8月2日の時点でやはりか、、と思ったことは覚えています。</p><p>&nbsp;</p><p>多系統萎縮症は私がもっとも恐れている病気の一つでした。</p><p>2019年6月頃、紺美さんのNHKのドキュメンタリーを見て、その病の恐ろしさに衝撃を受けていたのでした。このドキュメンタリーは完全に私自身の興味で見ただけです。母はこのドキュメンタリーを見ていません。</p><p>独立心が旺盛で、姉妹の中でも場を仕切るなど少し強い立場だったという紺美さんに、何か近いものを感じていて、自分がもし難病になったらどのような判断をするか、、などを考えていました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>次回に続きます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/iamkur55555/entry-12968477015.html</link>
<pubDate>Fri, 05 Jun 2026 12:08:01 +0900</pubDate>
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<title>診断へ</title>
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<![CDATA[ <p>私の母は多系統萎縮症でした。<br>起立性低血圧や排尿障害が初発症状だったため、典型的なシャイ・ドレーガー症候群です。<br>この憎い難病が、いつか「完治する病気」になるよう、祈っています。<br>母の病状の経過が、何か皆様の役に立てば嬉しいです。</p><p>&nbsp;</p><p>2022年05月　首下がりの症状が出る</p><p>徐々にですが背中が丸くなり、首が前に出てきてはいました。</p><p>ただ、ある時首がひょこっと下がり、俯いた姿勢になったのです。</p><p>それはだんだんひどくなり、顎が首につくほどでした。歩いていても目の前が見れないため、人とぶつかりそうになり、</p><p>歩行能力はあっても一人では歩けなくなってしまいました。ただ、フレイルという認識もあったため、歩くことは続けたくて、腕を組んだり手を繋いで、日常の買い物を毎日一緒に行っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>この時もまだ私は、「単なる首下がりの症状」と捉えていました。ネットで検索するとパーキンソン病の初期症状に首下がりがある、と、引っかかって出てくるのですが、なぜか「母は違うしなぁ」と思っていて、神経因性からくるのではない「単なる首が下がってしまう人」の場合の治療法などを読み、過ごしていました。</p><p>ちなみに、排尿障害についても、同じように神経因性の場合もある、と2018年当時の検索で出てきましたが、母の場合は年齢からくるもの、子供を多く産んだから、という認識で、疑いもしませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>（※余談ですが、骨粗鬆症の治療でお世話になっていた整形外科の先生にも、首下がりについて相談しましたが、体が弱ってきているのでは？のみで、脳神経内科を受けてみたらなどの言葉もなかったため、医者は自分の得意なこと以外一切わからないのだな、と思いました。）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>首下りで困ったら脳神経内科で診察を受けましょう、ということも検索で出てきたので、</p><p>すぐに近所の総合病院の脳神経内科へ、母と行きました。</p><p>一目見て先生は「パーキンソン病だね、間違いないと思う」と言いました。</p><p>ただ、2022年当時パーキンソン病はそれほど怖い病気でなく、20〜30年ほどかけて緩やかに進むイメージもあり、私にショックはありません。（母は友達の友達に、若い頃からパーキンソン病に羅漢している人がいて、友人からいかに大変か、を、色々聞いていたため、ショックだったと思われます）</p><p>ドーパミンを補充するドパコールという薬を処方され、1日150mm　1回50ミリ 1日3回という処方を受けました、</p><p>飲み始めると瞬く間に首下がりは治り、よかったよかったという雰囲気でした。</p><p>&nbsp;</p><p>次回に続きます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/iamkur55555/entry-12968215292.html</link>
<pubDate>Wed, 03 Jun 2026 19:25:46 +0900</pubDate>
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