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<title>受け入れ、共に生きる。。。</title>
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<title>次男が産まれてからの長男</title>
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<![CDATA[ 次男が産まれてから、試行錯誤しながら苦戦の日々でした。<div>長男は次男が生まれる直前に、肢体不自由児通園施設から、単独通園できる児童発達支援センターへ変わるこてができました。 母子通園から打って変わって、送迎お願いしていたので、朝ピンポンが鳴り先生へ渡して、夕方ピンポンがなり帰ってくる、なんて夢のよう…。 本当にこんな事してもらっていいんですか！？というくらい楽に！</div><div>センターはグレーゾーンのクラスと、知的クラスと肢体クラスがあり、長男は肢体クラスへ入園しました。 評判の良い施設だったのでより質のいい療育が受けられ、とても幸せでした。</div><div>長男は接触過敏があり、手も繋げず、手首を持って手を繋ぐ、頭も触られるのがダメで帽子は被ったことがない状態でした。同時に聴覚過敏もあり大きい音、サイレン、電話の音がダメで、携帯もずっとマナーモードでした。何よりもダメななのが泣き声です。 &nbsp;泣き声を聞いた時には、私はズタボロ…。叩かれ、噛まれ、引っ掻かれ… 本人もしまいにはひっくり返り頭ゴンゴン…。でも泣き声ってスーパーでも飲食店でもコンビニでもどこでも聞くんで、泣き声が聞こえてくると私の方がヤバっと過敏になっていたように思います。 そんな長男には次男が家に帰ってきて地獄の日々だったと思います。</div><div>次男が泣くと、物投げ、私をボコボコにしにきて、おもちゃが入ってる三段ボックスを投げ飛ばし、リビングは悲惨なことに。 足の踏み場もなくなる程、物投げ飛ばし、私もその行動に疲れきっていました。 主人が夜勤の週は本当に地獄で、赤ちゃんは寝る前グズグズ言いがちだから次男を必死にあやして寝さそうとするけど、泣いてしまう…そうすると長男は寝られず私を殴りに来る。</div><div>私が立って逃げると壁に頭ゴンゴンと物投げるでそれを止める私、床に置いた次男は泣き続ける…</div><div>私は爆発しました…。 泣きながら主人に、私はどうすればいいんよーーーー！！と、電話しました。</div><div>主人は一言。 &nbsp; わかった。 と…</div><div>暴れる長男を押さえつつ、泣く次男をトントンしながら辛くて涙崩壊の私… &nbsp;それから30分、玄関がガチャとあき、なんと主人が！ 仕事してる格好のまま現れました。 ヘルメットして、安全靴履くための足の装着物など、いつも見ない姿で、仕事中なのに飛んで帰ってきてくれた姿がみられました。</div><div>主人はすぐに暴れる長男を別室へ連れていき、寝させてくれました。 その隙に次男にミルク飲ませ、眠らせることができました。 主人は短気ですぐキレるし、ストレス溜まると私へぶつけるし、その度合いが激しく罵声や手が出ることも…。</div><div>なのでなかなか頼れない主人がこの日は、正真正銘の私のヒーローに見えました。本当にヒーローでした。 理解のない嫌味を言う上司の下で働いてたのに、どうやって帰ってきてくれたんだろうと… 感謝しかありません。 私には1人でこの子たちをみれないと思い知らされる日でした。</div><div>それからは、夜勤の週は実家へ帰る生活をしました。 実家は実家で祖母、父母、妹家族が生活しており総勢7人での生活、居候の私たち３人には居心地が悪く、長男に対しての理解も低かったり、三世帯の生活リズムもあったり、全く休まる日がなく、モヤモヤしながらの日々でした。</div><div>でも長男と母が一緒に寝てくれるという好条件だけに感謝し、居候しました。</div><div>そんな中、主人ともっと環境のいい所へ引っ越そうと話になりました。 今までも結婚してから、長男が毎月入院してたので、病院近くに引っ越ししていました。 また引っ越し…。どこにどんな所に行こうかと悩んでいた所、主人が目をつけたのは、アパートからアパートへの引っ越しではなく、マイホームでした。 &nbsp;戸建て購入！？</div><div>私には自信がありませんでした。理由は、うちは一馬力、長男の将来がわからないため何処に拠点を置けばいいのか鮮明でない、喧嘩ばかりで不仲な夫婦だったこと。</div><div>でもいちお、戸建てがどんなものか話聞きに行くだけならと住宅会社に行ってみた。</div><div>するとなぜかスルスルと話が進む。 本当にいいのか！？本当にいいのか！？と思いながらも話をすすめる。 後日、ローンの審査も軽く通ってしまう。 本当に大丈夫なのかな！？ と疑問だらけで私たち29歳の時にマイホームゲットしてしまいました。</div><div>引き渡しの日、信じられない、これが私たちの家！？ 環境もよく嬉しくて、嬉しくて。</div><div>そして引っ越しの日、次男生後2ヵ月。抱っこ紐し、抱っこしたままの引っ越し作業。クラクラでしたが何とか引っ越し完了。</div><div>長男をセンターへ迎え行き、新居へ入ると、全部屋へ入り楽しんでいました。 でも、リビングでふと動きが止まり、小さな声で、おうち帰ろう &nbsp;と言われた時は、涙がでました。 理解できない長男にはただただ慣れて貰うしかない。 長男はホームシックになっているようで、いつも螺旋階段の真ん中あたりにハイハイで登っていき、座っていました。 ピンクのおうちに帰ろう。 とよく言っていました。 住んでいたアパートがピンク色の外壁だったのです。 &nbsp; 少し切なくなる私でしたが、夜寝させる時は苦労はするものの、なんとか二人を寝させれるようになり、実家に行かなくてすむようになり、私はホッとしていました。</div><div>そんなこんなで、ドタバタな育児でしたが、日々頑張りました。 相変わらず泣き声聞くと暴れる長男。 今までは私へ殴る引っ掻くだったのに、ついに弟本人に、手をだすようになってしまいました。 赤ちゃんにはほっぺをギュッと潰すようにつねる。次男のほっぺはいつもだいたい血が流れていました。 &nbsp; 次男を避難させる思いで抱き上げると長男はそれにも怒ります。 じゃぁ長男をと阻止するように抱き上げると反り返り、私を叩き、落としそうになってしまう…。</div><div>引っ掻き傷で痛々しい次男を見ると、いつもゴメンね…と辛くなりました。</div><div>この子たち…どうなっていくのかな〜と想像もできない、願いはただただ、仲良く…。</div><div>これはちゃんと育てて、育てかたを間違っちゃいけないな！と、いつか伝わるからひたすら向き合う！頑張ろう！と決め頑張りました。</div>
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<pubDate>Tue, 25 Jul 2017 14:04:35 +0900</pubDate>
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<title>次男</title>
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<![CDATA[ 長男を産んで4年後に第2子妊娠しました。<div>妊娠発覚した時は長男とリハビリ入院してた時。土日は自宅へ帰っていたので、自宅に帰ってた時に発覚。すでに出血もあったし、長男を25週で産んでしまったから、喜び半分、不安半分で、とにかくすぐにリハビリ入院を終了することにした。</div><div>計算するとまだ5週か6週だけど、もうすでにつわりがあり、かなり体調不良…。</div><div>病院へ行けたのは8週の時、長男を産んだ総合病院へ受診した。 毎週受診し、心音も確認でき嬉しかった。 &nbsp;常に大丈夫なのかな？大丈夫なのかな？と心配していた矢先の事、10週の時に子宮頚管が3cmしかない、10週なのに臨月の長さしかないと言われ、張り止めの薬を一日4回処方され、安静にと、10kg以上のものは持たないようにと指導された。</div><div>でも我が家には歩けない長男が居てすでに12kg…車イスは25kg…</div><div>どうやって出産までやり切ろうか悩んだ。</div><div>長男は丸一日家に居ることができなく、奇声や頭打ち付けたりの自傷や私を叩いてきたりの他傷で荒れるので、必ずどこかへ出かけなければいけません。 こんな、体調悪い中、頚管を気にしないといけないながら、どこへ行くのだ…と思うとこだけど、長男は待った無し。</div><div>その頃通っていた肢体不自由児通園施設は母子通園なため、9時～15時で通えるけど、私もその時間拘束されるため、しんどくても横になれないからなかなか辛い。</div><div>主人は三交替、実家の親や主人側の親は協力的ではないから、なかなか頼れない…</div><div>そんなこんなで、19週の受診の日、頚管が2.6cmになり、先生に</div><div>これはヤバい、入院できる？いや、入院ね！</div><div>子供がいるし、用意もあるから今日は帰らないといけないよね？ 明日、朝には入院手配するから朝、入院準備して来て下さい。</div><div>あれよ、あれよと事は進み、19週で切迫流産で入院になりました。</div><div>長男は私の実家へ。 長男のことは私しかみれないと思っていたので預けた事がなく、離れるのは初めてで、長男が私を探してると思うと涙が溢れ、病室で泣いてばかりいた。</div><div>主治医が病室に来たので、私はいつまで入院ですか？と聞いたら、期限無し、多分出産までかな？と言われて、頭真っ白…。</div><div>38週に帝王切開と決まっていたから、38週まで！？ &nbsp; &nbsp;イヤイヤ、無理無理！</div><div>ため息つきながら入院して三日目、内診して頚管が2.2cmに。</div><div>先生にまたまた、これはヤバい！2cmくらいしかない、2cmきったらいつ破水してもおかしくない、すぐ手術します。ご家族呼んでくれる？と。</div><div>主人が、2時間くらいで来て一緒に説明うけて同意書にサインして、すごいスピードで術前検査が行われ、手術室からの連絡まちすることになった。手術は子宮頚管縫縮手術。１時間半の予定。</div><div>点滴、心電図、レントゲン終わったけど、なかなか呼ばれなくもう夕方…。</div><div>看護師さんに、もう夕方だし、土曜日だし、本当に手術今日するんですか？と聞くと、</div><div>するよ！先生が手術するって言ったら絶対。</div><div>何時になるかわからないけど、今日しますよ。</div><div>と。 &nbsp; じゃぁ、夜になろうが関係ないんだ〜とゆっくりしてたら、ギリギリ夕方手術室から、来て下さいのお呼びがかかった。</div><div>手術室につくとあぁ、またこの扉、またこの台、また海老反り腰椎注射、また両手縛られ血圧測りっぱなし… &nbsp;点滴の薬5個もぶら下がってるよ…針は2個刺してるだけだけど…いちおお腹に胎児いるのにこんな薬漬けになって大丈夫かなぁ？と心配。</div><div>無事終わり、妊婦のICUでPICUベッドが移動になった。</div><div>わぁ〜またここだぁ〜…</div><div>長男の時に破水して運ばれてきた、窓もなく天井見つめて過ごした部屋だった。</div><div>ヤバい早く一般病棟へ移れるよう頑張らなきゃ！入院費もかなり高く１日9万円…</div><div>って考えてる余裕なくなってきた。麻酔が切れてきて、本来の痛みが…。</div><div>めちゃくちゃ痛い… 表面ではない、お腹の中が痛い… さすることさえできない、のたうち回りたいような痛みと同時に陣痛がきてしまった！</div><div>みんながこないでと祈っていた陣痛… 子宮口の回りを触ってると刺激で陣痛が起こる確率が…そうなったら破水のリスクが… &nbsp;って説明だったけど、主治医はこのまま頚管が短くなっていって長男と同じ前期破水になるのをどうしても食い止めたかった！ &nbsp;賭けにでたような手術…</div><div>手術が終わってPICUに入ったのは夜だった、その後、きてくれてた主人も母も帰り、朝まで1人でうなってた。看護師さんが常に部屋へ来てくれて寄り添ってくれた。</div><div>痛くて苦しくて目も開けられず、朝がきた。鈍い痛みはあるけど、やっと陣痛はおさまり痛みも和らいだ。</div><div>当然、トイレ禁止で導尿管で排便もベッド上。</div><div>またこの生活…いつまでかな〜。</div><div>経過はよく１週間で一般病棟へ移れて、２人部屋へ。</div><div>お隣様へ挨拶して、朝から夜まで仲良く話して、一緒にTV見て、お菓子食べて、本当に入院患者？ってくらい楽しかった。</div><div>でも、２人共パジャマだし、点滴ぶら下げてるし、入院患者に間違いない。</div><div>導尿管も抜け、トイレも自分で行けるようになった。でもトイレ以外起きたらダメでベッドの上に座ってたら、看護師さんにダメよと寝さされてました。手術終わってからは、張り止め点滴と3日に一回ホルモン注射。 筋肉注射だから、打った所が硬くなって左右交互だけど、ずっと熱持って腫れた状態。</div><div>しょうがない、子供を無事産むためだ、頑張らなきゃ。</div><div>点滴を内服にして、様子をみることに。まだ針は入れたままだけど、点滴は中止に。</div><div>もしや、退院が近い！？とテンション上がる。</div><div>長男の写メを主人や母や妹が毎日送ってくれる。長男は完全に笑顔がなくなっている。早く帰らなきゃ！と焦る。 &nbsp;でも今帰ってもお腹の子を無事に産めるのだろうかと不安にもなる。</div><div>内服にして安定したので退院が決まった。</div><div>退院指導で、3日に一回のホルモン注射を１週間に一回にして外来で打つ、張り止め１日4回、便秘は早産の大敵だから毎日出るように優しい下剤とゆうのが決まり退院。</div><div>待ちに待った長男との再会！泣きながら抱きしめました。よく頑張ったね、突然ママいなくなって怖かったね。 &nbsp;</div><div>それからは主人や母や妹の協力のもと、38週まで無事安静生活を送り、出産するために前日に入院。 &nbsp;またまた術前検査をし、点滴をし、絶飲食し、翌朝から手術室へ。</div><div>１時間半の手術の予定が遅くなり、待機していた主人たちは心配していたようです。</div><div>前回の帝王切開での癒着がひどく、なかなか子宮に辿りつけなかったみたいです。</div><div>元気な産声とともに絵に描くような産まれたての赤ちゃんをやっと産むことができました。</div><div>感動の涙は出なく、やった…やった…と安堵感でいっぱいでした。出産はゴールではなくスタートだと聞くけど、私にとっては本当にゴールでした。</div><div>でも、この10ヵ月、ずっと薬漬けだった、手術もした。 &nbsp;本当に赤ちゃんに影響ないのか不安だった。先生に聞いても大丈夫としか言わない。</div><div>不安を抱えながらも術後の痛みが襲ってきた。</div><div>ベッド柵を叩きながら、おしぼりを目にあてながら四時間おきに痛み止め飲みながら耐えた。</div><div>術後4日から楽になってきた。痛みのあまり看護師さんに八つ当たりしたことを反省。</div><div>次男は長男と違い寝る、寝る。</div><div>起こして母乳飲ませてと看護師さんが起こしにくるくらい。 &nbsp;</div><div>４年ぶりの赤ちゃんのお世話は新鮮だった。</div><div>可愛く、愛おしい。</div><div>本当に本当に私達の元へ産まれてきてくれてありがとう。</div>
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<pubDate>Mon, 26 Jun 2017 13:35:54 +0900</pubDate>
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<title>マスカットスタジアムへ♪オープン戦</title>
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<![CDATA[ 楽天球団が障害のある人に観戦招待☆というチラシをもらい、応募し観戦しに行けることになり長男と２人で行ってきました！<div><br></div><div>次男は保育園へ預けるつもりが、体調崩しピーンチ…！ 夜勤中の主人が寝ながら子守りしてくれると言ってくれ、無事観戦に行けました！</div><div><br></div><div>長男は野球が大大大好きで、一番初めに喋った言葉が「やゆう」(野球)でした。</div><div>自閉症の特徴なのか？一回通った道も覚えるし、その道にどんな建物があるかも一回で覚えます。</div><div>そのような感じで選手の名前もすぐ覚えてて、かなりテンション上がってました！</div><div>人生(8年)初のプロ野球観戦！</div><div>いつもは車椅子乗ると、押して〜なのに今日は自走発揮！<div id="E37E65C2-6263-492C-B637-67743B6E3573"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20170304/23/ibukou1922/37/50/j/o0480064113882485112.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170304/23/ibukou1922/37/50/j/o0480064113882485112.jpg" border="0" width="400" height="534" alt="{E37E65C2-6263-492C-B637-67743B6E3573}"></a></div><br></div><div>車椅子席へつくと横浜の選手が練習してました。</div><div>めちゃくちゃ喜んでニコニコ（˶ᵔᵕᵔ˶）</div><div><div id="451E4358-9485-4C6D-B43B-262BE5C50E16"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20170304/23/ibukou1922/ab/54/j/o0480064113882485119.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170304/23/ibukou1922/ab/54/j/o0480064113882485119.jpg" border="0" width="400" height="534" alt="{451E4358-9485-4C6D-B43B-262BE5C50E16}"></a></div><br><div id="D5DCDDC1-B0E6-42A2-A2B2-9ED76E4F113C"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20170304/23/ibukou1922/f4/eb/j/o0480036013882485122.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170304/23/ibukou1922/f4/eb/j/o0480036013882485122.jpg" border="0" width="400" height="300" alt="{D5DCDDC1-B0E6-42A2-A2B2-9ED76E4F113C}"></a></div><br><br></div><div>試合始まると〇〇、がんばれー!!</div><div>〇〇、アウトー!!</div><div>〇〇、ファール!!</div><div>と大きい声で言ってるので恥ずかしかったけど、シーっとジェスチャーでしながらそっと見守りました。</div><div><br></div><div>私がトイレに行きたい時でも、ぷっちょ口に入れて食べることにも集中させ、トイレ行ってくるからジーして待っててね、動いちゃダメよっていうとちゃんと言いつけを守れていました。</div><div>一年前では考えられませんでした。</div><div>帰ってきたら姿がないのが普通みたいな感じで、側を離れられなかったのに、小学二年生になるとやっぱり小学生なんだな〜と成長を実感しました。</div><div>帰る時もスタッフの方々にありがとうございました！ありがとうございました！とお礼を言いながら車へ戻りました。</div><div><br></div><div>こっちが言わなくてもできた時、この子、本当に私の子！？ってくらい不思議… だけど感激で、すごく嬉しい。</div><div><br></div><div>親の姿、よく見てるから、私もまた引き締められる思いで、いい姿を見せないとなと思いました。</div><div><br></div>
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<pubDate>Sat, 04 Mar 2017 23:10:49 +0900</pubDate>
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<title>長男 2</title>
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<![CDATA[ NICU通いを半年して、やっと我が子をお家へ連れて帰れる日がきた！<div>我が子退院前日や、その日はワクワク！嬉しくて嬉しくて、待望の日だったのに…。</div><div>壮絶な育児の始まりでした。</div><div>NICUは24時間管理だから、夜中も電気つけてないと寝ないし、ずっとピッピッピッピッ機械音やナースの声がしてたから、静かになるのも苦手で</div><div>、家に帰って夜は電気つけっぱなし、TVつけっぱなしでした。 部屋が変わるとダメでリビングに布団敷いてリビング生活。おまけに23時～5時まで泣きっぱなし…。 退院指導で、あまり泣かさないようにね、呼吸が止まるからと主治医に言われてたので、私も必死に泣きやまそうといろんなことした。</div><div>長男は反り返りが激しかったため抱っこ紐系もダメでとにかくずーっと抱っこで手が固まって泣きそうだった。</div><div>とゆうか、よく一緒に泣いていた…。</div><div>なんで泣き止んでくれないのーって。</div><div>泣いて本当に呼吸が止まり、救急車呼んだ日もあったし、夜中救急に駆け込むこともしょっちゅうで、退院しても毎月入院していた。</div><div>普通の風邪がひけなく、風邪ひくと必ずこじらせて肺炎になり、呼吸困難起こし、入院。</div><div>半月は病院で過ごすから、病院生活と自宅生活とギャップについていけずにいた。</div><div>ていうより、長男がそばにいるという生活についていけずに、でも頑張って頑張って。</div><div>ってしてたら、今度は私に異変が…。</div><div>夜中咳こんでのたうち回るくらい苦しくなる日も… うまく息ができない…</div><div>原因は咳喘息でした。</div><div>私が喘息！？初めてでびっくりしていたら、先生に育児ストレスでしょうと。</div><div>そうしてると、2.３日で私は身体に謎の湿疹が！</div><div>みるみるうちに全身ヒョウ柄のように…。</div><div>これもまた育児ストレスと…。</div><div>私は昔から限界を限界と感じない性格で、私なんてまだまだ！もっと辛い人はいる！と自分に言い聞かせるタイプで弱音をはこうとしないタイプでした。 &nbsp;が!! ついに身体が悲鳴をあげました。</div><div>妹がよく、死んだ魚の目をしてる、と私の顔つきのことを心配してくれてました。</div><div>正直、この頃の自分の感情をよく覚えていません。辛い、楽しい、嬉しい、幸せ、感じなかったはず。</div><div>とにかく大変で、一生懸命頑張っていただけ。</div><div>長男もだいぶ身体が強くなってきて毎月の入院が2.3ヵ月に一回のペースになってきた頃、先生に身体障害手帳の申請をしませんか？と書類を渡されました。 私は何も知らなかったため、未熟児の子がどんな成長を遂げるのか何も知らなかったから、え？私の子が身体障害者…？と頭が真っ白になりました。 また一歳代で申請は早いけど〇〇くんなら通るよと。 はぁ…。とついていけない私。でもハッキリ言われるのが怖くて聞けない私。</div><div>後日、意見書ができて、病院で受け取り１階の受け付けで受け取り、その場であけて見たら…</div><div>原因が低酸素脳症…。 またまた、頭が真っ白で周りの音が遠のいていく… 私の子が脳性麻痺！？</div><div>受診の日が来て先生にこの子は脳性麻痺なんですか？って聞いたら、そうですよ？と当然分かっていたでしょ？みたいな言い方だった。いつから脳性麻痺と分かっていたの？なんで書類で知ることになるの？これが普通なの？と何も分からなくなった。 &nbsp;先生が、早めに手帳申請して、足のほ装具と車椅子を作ってリハビリ頑張りましょうと言った。 &nbsp;え？車椅子！？ 確かにずっとベビーカーに乗せてるけど、歩いてないわ…。泣かしたらいけないから、ずっと抱っこ抱っこでいたし、風邪引いたらアウトだったから、あまり家からも出てないから気づかなかった。 もう普通なら歩ける大きさなんだと。</div><div>一生車椅子なのかな？息子はどうなっていくのかな？ あの何とも言えない感情になるのが怖くて聞けずに帰ってしまった。</div><div>帰って主人に話すと、怒った。受け入れられないらしい。</div><div>私は申請に向かって手続きを進めた。</div><div>と、同時に紹介されていた肢体不自由児通園施設の見学に行った。それも主人に反対されたから、内緒で母に付き添ってもらいながら行った。</div><div>本当なら夫婦であぁだこうだと力合わせながらやっていきたかったけど、主人は長男の話を拒絶し、もう病院での話は俺に言ってくるなと言われ悲しかった…。 誰に話したって分かってくれないだろうから、私の悩み辛さは自分の中で封印するようになっていった。辛さに浸る暇もない程、長男は私を困らせていたから、それはそれで助かったかな。 &nbsp;妹にお姉ちゃんはいつも〇〇(長男)と一緒でセットで可愛いと言われた事があってなんだかよくわからないけどすごーく嬉しくなったの覚えてる。 &nbsp;身体障害者手帳申請して、何ヶ月かして通知がきて、見ると２級だった。 1級から7級まであって詳細見てみると。重度なんだなと落胆はするけど、なんだかショックを受ける免疫がついてきたみたいで、そこまで変な感じにならなかった。 &nbsp;車椅子に乗ればジロジロ見られるし、小さい子には指さされるしで、私は足早にすり抜けて行き隅っこばっかを通って、人と目を合わせない歩き方をマスターしていた。長男は4歳になってもしゃべれず、そのかわり奇声がすごかった。慌てて口おさえるくらいの大声で。車椅子からおりればハイハイだからびっくりされるし、オムツはいてると私の顔をジロっと見てくる人もいて…。</div><div>児童館など行ってても、目を合わせない子供の遊ばせ方をマスターしていた。 聞かれれば答えていたけど、聞かれるのが嫌だった。 話すことは全然嫌じゃなかったけど、話した後の反応がすごく嫌だったから。 哀れんだような顔で聞いてごめんと言う人。それが一番嫌だった。</div><div>でも、ある先生にこの子を守ることは話すこと。と言われ私は変われました。自分から話していって、この子のことを知ってもらうことがこの子を守ることなんだよと言われ、私は真逆なことをしていてこんなんじゃダメだ！と思った。</div><div>人目を避け、知られないよう、何も聞かさないように仕向けてたのも全部、間違いだったことに気付かされた。</div><div>それからの私は強くなり、ハイハイできそうな公園選んで連れて行き、外へ外へ出て行った。</div><div>私がこの子の手となり足となり、普通の子供が体験すること全部、体験させてあげるよ！と心に決め、膝に乗せ遊具乗ってドロドロになったり、母子でスイミング行ったり、奇声あげながらもすいませーんと笑顔でかわし、児童館や公園で他の子に意地悪されれば私が変わりに怒った。やられっぱなしだし、しゃべれないから…。</div><div>母子でリハビリ入院したこともありました。毎日リハビリで長男には辛かったとおもいます。</div><div>そんなこんなで、今は小学二年生の8歳です。</div><div>今ではあのころが嘘のように…会話は難しいけどしゃべれるようになりました。 装具をはいて手を繋いでなら歩けるようになりました。10歩くらい歩くと転けるし、長距離はやっぱり車椅子。</div><div>自閉症、注意欠陥多動性障害、知的障害、脳性麻痺という診断があり支援学校へ行ってるけど、着実に成長しています。</div><div>なんといっても今はゲームが大好きで3DSを使いこなしてるのが奇跡。</div><div>文字、読み書きもできるし、もう望むものはありません。 &nbsp;子供らしく、元気に楽しく生きていってほしいだけです。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<pubDate>Sat, 11 Feb 2017 22:15:47 +0900</pubDate>
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<title>長男 １</title>
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<![CDATA[ 長男坊は、25週で生まれ、630ｇの超低出生体重児で、五ヶ月NICU、一ヶ月GCUで過ごし、産まれてからも半年離れ離れで生活してました。<div><br></div><div>妊娠6ヵ月の最後の週、23週で夜に破水し急いで旦那が夜勤のため母に病院へ連れて行ってもらいました。内診すると羊水がもう全部出てしまった状態で、すぐに大きい病院へ送りますと、先生が手配してくれました。</div><div>受け入れ先が、決まり救急車で運ばれると、夜勤中の旦那が先に駆けつけて、私はストレッチャーで運ばれ、総合病院の産婦人科へ。</div><div>すぐに診察があれこれ始まり、内診台に乗ったままその場で、尿の管入れられ、もう今日明日には切って赤ちゃん出しますと…。 &nbsp;もう私には普通分娩、帝王切開の選択肢はなかったようで、帝王切開で出産するのはその場で決まったみたいです。</div><div>感染の検査結果、感染数値が高く、先生が抗生剤で感染数値が下がらないようならすぐ切って出しますと。</div><div>抗生剤の点滴、張り止めの点滴、手術に備えて絶飲絶食になったのでぶどう糖の点滴開始。</div><div>一時間おきに採血を何時間か繰り返し、なんと抗生剤が効き、感染数値がどんどん下がってき、問題ないまでに下がり、すぐ切って出すのが明日に変わりました。</div><div>NSTはつけっぱなしでずーっと赤ちゃんの心音測っていて、少しでも動けばナースステーションにわかり、ナースがなおしにきました。</div><div>ベッド上絶対安静で、頭も上げたらいけなく、排泄も、ご飯も、歯磨きも、全て寝たままで過ごしました。</div><div>毎朝の採血で感染数値チェック、40分おきのNSTで赤ちゃんの元気具合とにらめっこで、25週までもちました。</div><div>羊水が完全になくなってから、胎児が子宮の中で生きるのは2週間が限度らしく、25週に入ったと同時に手術になりました。</div><div>羊水がなくなったのに、心拍も下がらずよく元気でいてくれたと先生も驚いていました。</div><div>私も顔も動かせない、窓もない部屋で2週間、天井を見つめるしかない、生活に限界を感じていたので、赤ちゃんには申し訳ないけど、やっと終わる、開放されるという気持ちで、手術に対しての不安や恐怖はなく、清々しい気分でした。</div><div><br></div><div>そして、手術室へ。</div><div>頸椎麻酔と、硬膜外麻酔で、局所麻酔での帝王切開だったのですが、若手先生が麻酔が入れれず四回失敗され、麻酔科の部長さんが交代してくれて、1発で入れてくれました。痛くて、汗びっしょり…</div><div>手術が始まったのですが、ん？麻酔があまり効いてない？痛い……</div><div>内蔵の何を触られてるかもわかる…</div><div>私はイタタ… 痛い、痛いとちょいちょい言ってるけど、枕元にいる看護師さん</div><div>もうちょっとですからね〜と流す。</div><div>こんなものなのかと歯くいしばり、我慢する。</div><div>切ってから、15分くらいで赤ちゃん産まれた！</div><div>小さすぎて泣かないよと言われていたけど、足下の方から子猫のような泣き声が３回聞こえた！奇跡！</div><div>産まれて10分以内に集中治療室へ運ぶと言われたのて、チラッと運ばれてく赤ちゃんが見えた。</div><div>感動と痛み我慢の汗と涙でハッキリ赤ちゃんは見えなかった。</div><div>そして、私のお腹を閉じる作業。</div><div>これがまた長い長い…痛いし…</div><div><br></div><div>辛かった手術を終え、病室へ帰ると旦那と母といとこが居てくれた。</div><div>一気に涙が出た。</div><div>何の涙か… &nbsp;わからないけど、いろんな想いが溢れ込み上げてきた。</div><div>赤ちゃんは生きてる？赤ちゃんは生きてる？と旦那に聞いていた。</div><div><br></div><div>その後、術後が大変で大変で、2週間も頭も動かさずにいたからか、身体を起こすと一気にとてつもない頭痛と吐き気が…</div><div>血圧測ると、上70下25…</div><div>危篤状態。</div><div>これが3日続き苦しんだ。</div><div>赤ちゃんも、居ないし飲ませれないのに、お乳パンパンに腫れ、熱が38℃、乳腺炎にもなり、苦しかった…</div><div><br></div><div>やっと4日目で車椅子に乗れて、看護師さんにNICUへ行けた。</div><div><br></div><div>我が子と初対面。</div><div><br></div><div>私は絶句した。これが私の赤ちゃん？というのが本音で、想像していた赤ちゃんとはかけ離れていた。</div><div>推定800ｇと言われていたけど、やっぱり誤差はあり、産まれると630ｇだった。</div><div><br></div><div>赤ちゃんというより、胎児をみているようだった。耳の穴はあるけど、耳がない、乳首もないし、なんせ両手両足に点滴で、人工呼吸器していて、管だらけで、身体も透き通っていて、血管に流れる血液や点滴の薬が流れるのが見えていた。</div><div><br></div><div>無言で赤ちゃんみていたら、またあのかちわれそうな頭痛が… 10分も居れたかな？とゆうような滞在で、急いで病室へ帰ってもらった。</div><div>車椅子からおちそうなくらい座ってもいられない頭痛…</div><div>ベッドによこになると一瞬で、頭痛、吐き気、汗がひく。</div><div>私は起きられるようになるのだろうかと不安になった。</div><div>頭痛がきても、吐いてでも、身体起こし、倒れてを繰り返し、なんとか車椅子生活からも脱出。</div><div>そろそろ〜ふらふら〜だけど、手すりに身をまかせながら、トイレに自力で行けるようになり、トイレから帰った頃には、吐き気、汗、息切れ…バタンとベッドに倒れこむを繰り返し、なんとか退院した。</div><div><br></div><div>赤ちゃんとはNICUでお別れして、私は退院した。</div><div><br></div><div>産んだのに、私には何で赤ちゃんがそばにいないの？と悲しくなり、退院した次の日には、送ってもらい赤ちゃんのそばへ行って居た。</div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/ibukou1922/entry-12197913891.html</link>
<pubDate>Thu, 08 Sep 2016 09:26:29 +0900</pubDate>
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<title>思いを、証を、</title>
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<![CDATA[ 今日からブログにあった出来事や、辛い事、嬉しい事、悲しい事、楽しい事、全て書いていこうと決めました。<div><br></div><div>書くことで少し自分も楽になれる気がして。</div><div><br></div><div>私は昔から、胸の内に秘めるタイプみたいで、人にあまり言わないタイプで、抱え込んでしまうから、この場で全部だしていこうと思いました。</div><div><br></div><div>私は結婚して８年、７歳の長男と３歳の次男がいます。</div><div><br></div><div>長男は障害があり、普通学校ではなく支援学校へ通っています。</div><div>次男は２歳から保育園へ通っています。</div><div><br></div><div>主人は会社員、私は福祉の仕事してます。</div><div><br></div><div>山あり谷ありな我が家の日記スタート<img src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/165.png" alt="ヒヨコ" width="24" height="24"></div>
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<link>https://ameblo.jp/ibukou1922/entry-12197893984.html</link>
<pubDate>Thu, 08 Sep 2016 09:08:40 +0900</pubDate>
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