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<title>iced-caffemocha</title>
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<description>日常のことなど</description>
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<title>防衛を考える</title>
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<![CDATA[ <br><p>地球防衛軍2というゲームで地球を守ってました。</p><br><p>やはりいい武器あると守れますね。</p><br><p>簡単な防衛とは、いい武器を持つことだなーと思いました。</p><br>
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<pubDate>Wed, 24 Mar 2010 01:16:16 +0900</pubDate>
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<title>100という数字にみる日本</title>
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<![CDATA[ <p>ここ数年で生誕100年を迎えた（る）方たちの名前を見て驚いてます。</p><br><p>松本清張（1909年12月21日）明治42 生まれ</p><p>太宰治（1909年6月19日）</p><p>田中絹代（1909年11月29日）</p><p>東山魁夷（1908年）明治41生まれ</p><p>黒澤明（1910年3月23日）明治43年生まれ</p><br><p>同じ時代を生きてらしてたんですね。</p><br><p>そして数年後にはタイタニック沈没から100年になるそうです。</p><br><p>昔、昔のお話が、ちょっとだけ昔のお話のように思えてきます。</p><br>
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<pubDate>Sun, 21 Mar 2010 06:30:07 +0900</pubDate>
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<title>芸術家や文士が住んだ、田端　田端文士村</title>
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<![CDATA[ <p>田端の文士村をご存知でしょうか？</p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">明治に東京芸術学校が開校されると、</font></p><p><font size="2">それまで長閑な農村であった田端に若い芸術家が住むようになり、</font></p><p><font size="2">大正になると芥川龍之介が住むようになり、それに続くように色々な文士が住むようになったそうです。</font></p><p><br></p><p>田端には「<a href="http://www.kitabunka.or.jp/data/bunka/bunsimura/index.htm" target="_blank">文士村記念会館</a> 」という施設があるそうです。</p><br><p>こちらには田端に住んでいた、芸術家、文士、著名人が紹介されています。</p><p><a href="http://www.kitabunka.or.jp/data/bunka/bunsimura/sub1.html" target="_blank">田端に移り住んだ芸術家、文士及び著名人たち</a> </p><p>数えたところ、約80名程のお名前があるようです。</p><br><p>若手の方でもお１人1番地あったようですから、戦前は住居に不足がなかったようで、察するに一軒家だったのでしょうか。(大震災の影響はどうだったのでしようね。)</p><p>芸術には騒音やニオイの気兼ねもありましたでしょうけど、田端は気兼ねな製作できる、</p><p>のびのびとした環境だったのではないかと想像します。</p><br><p>せせこましくなった戦後とは違い、</p><p>長閑さにも活気があったのではないかと思うと、</p><p>タイムマシンがあったら、当時の田端をちょっと覗いてみたいですね。</p>
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<pubDate>Sun, 10 Jan 2010 13:28:27 +0900</pubDate>
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<title>戦前のカラー映像  箱根ドライヴ</title>
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<![CDATA[ <p target="_blank"><a href="http://www.youtube.com/watch?v=M0LoGqGUFLM&amp;NR=1">カラーの戦前2箱根ドライヴ</a> </p><br><p>というタイトルの動画がありました。</p><br><p>1937年、昭和12年のニッサンの自動車のプロモーション動画のようなのです。</p><p>ボディにはニッサンの文字が読み取れ、ナンバープレートは1937になっています。</p><p>5人乗り込むシーンがありますことからも、<a href="http://nissan-heritage-collection.com/DETAIL/index.php?id=7" target="_blank">こちらのプロモーション</a> 動画ではないかと思います。</p><br><p>隣の八重ちゃんが1933年(昭和8年)か1934年(昭和9年)ですから、八重ちゃん達5人が映画帰りに乗ったタクシーはこのニッサンではないことがわかります。</p><br><p>前回ご紹介した、1939年(昭和14年)の「東京の女性」では颯爽と車を運転している女性が登場しますが、</p><p>このプロモーション動画も動画の後半は女性２人が箱根までドライブをするという筋になっています。</p><br><p>女性にも簡単に運転できますよということのようでアクセルペダルを踏み込む女性の足のアップもあります。</p><p>箱根ドライヴの理由は箱根の坂もスイスイ登れるという事が宣伝になったのでしょうね。</p><br><p>前半に登場する女性がとてもカッコイイです。</p><p>そして後半の２人の女性のはにかんだ表情も魅力的です。</p><p>風景もすばらしい。</p><p>もちろん綺麗なところを選んで写すのでしょうけれど、箱根の景色が素敵です。</p><p>道路もこの時点でもう舗装されているように見えます。</p><br><p>「スピードアップで行きませう」と英語も出てきてしまうくらい素敵なドライヴなのでしょうと、動画を見て思ってしまいました。</p><p>(この頃はまだまだ英語もOKなんですね)</p><p>当時、私がお金持ちの家庭の子でしたら、両親に買って欲しいとおねだりしたくなる動画ですよ。</p><p>「5人も乗れますからね。家族でドライヴにも行けますよ。」</p><p>なんてね。</p><br>
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<pubDate>Sat, 14 Nov 2009 23:34:41 +0900</pubDate>
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<title>東京の女性(1939年)　から見える日本</title>
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<![CDATA[ <p>久しぶりの私の妄想です。</p><br><p>今日、ご紹介しますのは　1939年(昭和14年)の日本映画　「東京の女性」です。</p><br><p>「隣の八重ちゃん」が昭和8年、あるいは9年の作品ですからこちらはずっと新しい作品と言えます。</p><br><p>監督の伏水修さんがどのような方だったのかがわかりません。</p><p>著作権がどうなっているのかわかりませんが、作品の一部と思われる動画が見れますのでリンクを貼ってみます。</p><br><p target="_blank"><a href="http://www.youtube.com/watch?v=-aJffglBZ4o&amp;feature=PlayList&amp;p=0FE1C95A351A42D7&amp;index=12">東京の女性</a> </p><br><br><p>タイトルの通り、女性が登場します。しかも美しい女性が車を運転してますよ。</p><br><p>八重ちゃんもですが、この当時には女性を主人公とした作品も多く作られているのですね。</p><p>昭和11年の流行歌「うちの女房にゃひげがある」を知ったときにも驚きましたが、</p><p>昭和初期の日本について知っていけばいくほど、男尊女卑で女性は虐げられているものと思い込んでいた私の思い込みは間違えだったことがわかります。</p><br><p>このリンク先の動画の中に戦前の日本の姿が見えるのですが、その町並みのすばらしさがどこの国なのかと思わされます。</p><p>大きな建物がたくさんあります。</p><p>少し前に話題になった、昭和30年代を再現させた映画がありましたが、映画の通りだとしましたら建造物だけ見ましたら昭和30年代の方が見劣りします。</p><br><p>また、鉄道に付きましても橋から線路を見下ろすシーンがあるのですが、レールが５対は確認できました。</p><p>場所はどこだったんでしょうかわかりませんが、東京の鉄道がとても発達していたことが伺えます。</p><br><p>このシーンがとても印象的なのです。。</p><p>車を運転してきた主人公は素敵な洋服と帽子姿。腕時計で時間を確かめならが通過する列車を見ます。</p><p>一方列車内では着物姿の女性が男性と談笑しています。</p><p>新しい女性像と今までの女性像、新旧の対比になっています。</p><br><p>まとめ</p><br><p>主人公、かっこいいです。もしかしてかっこいい女性の元祖？</p>
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<link>https://ameblo.jp/iced-caffemocha/entry-10387904927.html</link>
<pubDate>Sat, 14 Nov 2009 01:47:12 +0900</pubDate>
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<title>23区内に発電所がある</title>
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<![CDATA[ <p>昨日、東京電力のサイトで見つけて驚いたのですが、東京23区内に発電所があるって知ってました？</p><br><p><a href="http://www.tepco.co.jp/ohi-tp/index-j.html" target="_blank">品川区に火力発電所があるんですよ</a> 。</p><p><br></p><p>また、話は変わるのですが、日本の近代史というのでしょうか、<br>発電などの歴史をちょっと調べると、おもしろいですね。</p><br><br><p>今朝のテレビで明治創業のお店を紹介してたのですが、</p><p>「新しい」と思ってしまった自分はちょっとそろそろ感覚がおかしいかも。</p><p>でもね、横にいた母も「うん」とかうなずいてて、おもしろかった。</p><p>つられて相槌うっただけかもしれないのですけどね。</p>
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<link>https://ameblo.jp/iced-caffemocha/entry-10382785860.html</link>
<pubDate>Sat, 07 Nov 2009 13:52:25 +0900</pubDate>
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<title>地球はゴムマリのように変形する</title>
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<![CDATA[ <p><a href="http://www.asahi.com/science/update/1010/OSK200910100063.html" target="_blank">それでも地球は変形する</a> 　(朝日新聞の記事より)</p><br><p>地球って変形するのですね。知りませんでした。</p><br><p>朝日の記事では私にはよくわからないのですが、</p><br><p>今から100年前、</p><p>1909年(明治42年)、志田順助教授が『傾斜計』という装置を使用して地球の変形を観測したということでよいのでしょうか？</p><br><p>この記事によりますと、その時の『傾斜計』がみつかったそうです。</p><br><p>この『傾斜計』はドイツ製。</p><p>大森房吉と長岡半太郎がドイツに留学中だった１８９０年代に発注したもので、</p><p>１９０９年、京都帝国大学理工科大（現・京都大）に助教授として赴任する地球物理学者の志田順（しだ・とし）（１８７６～１９３６）に譲ったとみられる。</p><br><p>とどうやらこういうことだそうです。</p><br><p>私には朝日の記事は読みにくくて難しいです。</p><br><p>特にわからないのが</p><br><p>志田は同年、この傾斜計を使い、地球が上下だけでなく水平方向にも変形していることを突き止め計算した</p><br><p>の部分で、ということは上下方向は知られていて観測もされていたということなんでしょうか？</p><br><p>もう少し説明があってもいいようにも思いますが。</p><br><p>私だったら、もっと違う書き方するな。</p><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/iced-caffemocha/entry-10363947336.html</link>
<pubDate>Tue, 13 Oct 2009 17:33:30 +0900</pubDate>
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<title>日本を明るくした男たち　国立科学博物館(東京・上野公園)</title>
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<![CDATA[ <p>上野にある、国立科学博物館にて</p><p>現在とても面白そうな企画展がおこなわれています</p><br><p><a href="http://www.kahaku.go.jp/event/2009/09engineer/index.html"> 日本の科学者技術者展シリーズ 第8回<br></a></p><p><a href="http://www.kahaku.go.jp/event/2009/09engineer/index.html">　　　日本を明るくした男たち<br></a></p><p><a href="http://www.kahaku.go.jp/event/2009/09engineer/index.html">　-近代化を支えた電気のエンジニア-</a> </p><br><p>開催期間　平成21年9月15日(火)～11月29日(日)</p><br><p>展覧会の概要からわかりますことは、、電気による明りの幕開け(電灯)の幕開けや、</p><p>日本初の電車など鉄道についても触れられるようです。</p><br><p>日本の電灯の幕開けも電車が走るのも、明治時代なのですが、</p><p>この明治という時代は現在の日本を語る上で、</p><p>非常に重大な出来事が多く訪れた時代だと思います。</p><br><p>さて、概要には紹介されていませんが、</p><p>明治時代1907年頃(明治40年)に、私鉄で東京－大阪間を短時間で結ぶ電車の構想があったという事も紹介されているようです。これは私鉄の計画でした。</p><p>約100年前にこのような構想を私鉄が出したということは、「できる」と思ったからなわけです。</p><p>明治時代、国鉄だけでなく私鉄もどんどん出来ており、日本は民間も大いに活気があったのですね。</p><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/iced-caffemocha/entry-10362062243.html</link>
<pubDate>Sun, 11 Oct 2009 04:55:33 +0900</pubDate>
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<title>隣の八重ちゃんから見える日本</title>
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<![CDATA[ <p>今回取り上げる「隣の八重ちゃん」は、島津保次郎監督の映画でこざいます。</p><br><p>発表年は、1933年とあるものがあったり1934年とあったりします。</p><p>昭和8年、あるいは9年の作品。</p><p>前回ご紹介した、ディックミネさんのダイナが大ヒットする前年あるいは同年でございますね。</p><br><p>著作権利がどちらにあるのかわかりませんが、</p><p>島津保次郎監督は1945年に亡くなられており、もしかして著作権的に大丈夫かもしれませんので、</p><br><p>リンクを</p><p>　<a href="http://www.youtube.com/watch?v=SCgEhKCVlH8" target="_blank">「隣の八重ちゃん」</a> 　作品の一部と思われる動画を見ることが出来ます。</p><p>私もこのリンクの部分しか見ていないので、そこから見える日本について書きたいと思います。</p><br><p>若いかわいらしい娘さんが主人公です。</p><br><p>男性を映画に誘うのですが、</p><p>この男性、娘さんの気持ちをしってか知らずか、他の人まで誘います。</p><p>邪魔者が入った事で、娘さんはご機嫌ナナメ</p><br><p>こんな感じの内容です。</p><br><p>なんでしょうね、えーと、見てるとニヤニヤしてしまいます。</p><p>70年以上も前の作品ですよ。昭和一ケタ作品ですよ。</p><br><p>この中で映画を見るシーンがあるのですが、</p><p>アニメのベティさんを見ているんですね。</p><p>これがまた面白い。</p><br><p>館内は大人ばかりで、楽しそうに笑っております。</p><p>映画の演出なのでしょう？　</p><p>いやいや、大人がアニメーションを楽しむことは普通だったのではないかと推測します。</p><br><p>帰りのタクシーの車内のやり取りがこれまた面白い。</p><br><p>飲みすぎて酔っ払ったお姉さんが、男性に寄りかかっております。　</p><p>主人公は、当然不機嫌。</p><p>お姉さんに「恵太郎さんがお気の毒よ」と注意するのですが、</p><p>このお姉さん、</p><p>「今日は私が奢ったんだから、少しぐらいのお気の毒はゆるしてくれるわね？」と返します。</p><p>男性も、お姉さんに、酔っているから楽にしなさい、と優しい優しい。</p><br><p>こんな内容でございます。</p><br><p>えーっと、これ、昭和初期の作品ですよね。</p><p>なんとも、この時代からこういう甘酸っぱさが好まれていたとは。</p><br><p>それと、映画の後、レストラン？かどこかで食事をしてたりします。</p><p>ウエイトレスさんの衣装がこれがまたおしゃれな感じです。</p><br><p>映画見て、ご飯食べて、タクシーで帰る</p><br><p>デート（邪魔者アリ）コースとしては、何か、今と変わんないですね。</p><br><br><p>まとめ</p><br><p>昭和初期、女性の飲酒は普通で、男性が肩を貸すのはわりと当然のようで、</p><p>そして、車内でずっと恵太郎さんの腕を握っている、主人公がかわいいです。</p><br><p>はい。　今回はまとまっていません。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/iced-caffemocha/entry-10341433018.html</link>
<pubDate>Sun, 13 Sep 2009 01:04:39 +0900</pubDate>
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<title>ダイナから見える日本</title>
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<![CDATA[ <p>今日取り上げるのは、昭和9年(1934年)、ディックミネ歌・訳詞のダイナです。</p><br><p>今から　約75年前ですね。</p><p>大正のオペラ、ベアトリ姉ちゃんから、ぐぐっと若くなりましたよ。</p><br><br><br><p>このダイナという曲は、ハリー・アクスト作曲、アメリカでは1925年に発表されました。</p><p>日本では昭和9年(1934年)、ディックミネが訳詞をして歌い、これが大ヒットしました。</p><p>今聞いても洒落たメロディだと私は思います。</p><br><br><p>さて、この詞が驚くほど情熱的です。</p><p>歌の出だしから、</p><br><p>ダイナ　私の恋人</p><br><p>です。　</p><br><p>おもいっきりラブソングです。　</p><p>アメリカの歌ですから、元の詞もこうなのではないかと推測します。</p><br><p>夜毎、君のひとみ　慕わしく　狂わしく</p><br><p>なんて歌詞まであります。</p><br><p>歌詞そのままのせるとあれなので、少しだけ書きますと、</p><br><p>我にささやけ愛の言葉を</p><p>とか、</p><p>許せよくちづけ</p><br><p>みたいな感じの内容がでてきます。</p><p>ラブソングですからね、ロマンチックです。</p><p>そしてとてもとても情熱的です。</p><br><p>このダイナは日本でも、色々な方が色々な歌詞で歌っているようです。</p><br><p>ディックミネさんのダイナがヒットしたのは、</p><p>この情熱的な訳詞のの魅力が当時の日本人の心を掴んだという事もあると思います。</p><br><p>75年も前の曲だとはとても思えない、大人っぽい、素敵な曲です。</p><br><p>オペラがオーストリアから、そしてジャズはアメリカから、</p><p>色々なものがどんどん日本に入ってきて、あるいは積極的に持ち込んで</p><p>それを色々国境も偏見も無く楽しんでたと推測できます。</p><br><p>まとめ</p><br><p>75年前、情熱的な歌詞が好まれた日本って素敵です。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/iced-caffemocha/entry-10340114912.html</link>
<pubDate>Fri, 11 Sep 2009 07:38:28 +0900</pubDate>
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