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<title>ひとり言の本棚</title>
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<description>浮かんでは消えずに空気に揺蕩う思ったことを、なんとか文章にして綴じたものの墓場</description>
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<title>遺言5</title>
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<![CDATA[ <p>あなたたちのこの先、時には、自分自身のことを恨めしく思う日も来るでしょう。周囲の人や、環境や、時代のせいにしないと、自分を殺してしまいたくなるほどの夜もあるでしょう。<br></p><p><br></p><p>それでも、生きていかなくてはいけません。私たちには、生きていくしかありません。どんなに自分の不器用を呪っても、劣等感に苛まれても、惨めでも、失敗しても、失格しても、失墜しても、雨ざらしの中で日々を生き抜くことが、生きるということだと思います。</p><p><br></p><p>人生の価値とか、勝ち負けとか、意義とか、意味とか、そんなのは後付けです。求めてはいけません。生きるということは、ただ生き抜くということです。</p><p><br></p><p>誰しもみな、そうして生きています。私もそうして生きてきました。恥の多い人生を、惨めな等身大の自分を生きてきました。何が是で、何が非であるか判らず、人との関わり方も判らず、何に対しても自信など持てず、自分の良さや、他人に勝るものなど自負できず、それでも、私は今日まで生きてきました。</p><p><br></p><p>そうして生きることがもたらすものがあります。命を繋ぐということです。</p><p><br></p><p>私が死のうとも、消えゆくことになっても、私は満足です。あなたたちに出逢えて、同じ時を同じ場所で過ごせて、私はたくさんの想いを伝えることができました。その想いはきっと、何年経ってもあなたたちに残り続けます。思い出さなくても、残り続けます。そう思える生き方ができたと、自信を持って言えます。</p><p><br></p><p>きっと将来、あなたたちにも、生きて出逢って、生きてきて良かったと、そう思える日が来ます。人は、出逢いと別れを同じ数だけ繰り返すけれど、かけがえのない人との別れは、割り切れないかも知れないけれど、命の繋がりは途絶えることはありません。生きて繋がる、これが私たちなのです。</p><p><br></p><p>だから、あなたたちは、今を精一杯生きてください。これが私の最後の願いです。</p>
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<pubDate>Thu, 20 Feb 2025 16:53:34 +0900</pubDate>
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<title>枕の電子</title>
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<![CDATA[ <p>作法・躾</p><p><br></p><p>所作や振る舞いは、人を褒めるために使いたい。</p><p><br></p><p>美しい姿勢や佇まい、仕草は、その人の大切にしている心を感じられる。「あなたは綺麗」と言うために使いたい。</p><p><br></p><p>決して、「躾がなっていない。お里が知れる。育ちが悪い」などというための使い方をしたくはない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ichioreight/entry-12872940570.html</link>
<pubDate>Mon, 28 Oct 2024 17:12:26 +0900</pubDate>
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<title>遺言4</title>
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<![CDATA[ <p>子どもたちは、きっと悲しむのでしょう。自惚れた勘違いでないのなら、私のことを親しく想ってくれていたはずですから。</p><p><br></p><p>この度の急報を、みなさんはどう受けたでしょうか。くだらない嘘を吐くのが好きな私の、本当の別れを、どう感じたでしょうか。恐らく、これまで私との決別を、頭の片隅にも置くことはなかったはずです。しかし、急な報せでしたが、どうやらこれが嘘ではないという状況で、逃れられない現実をみなさんに突きつけることができたなら、それはそれで、私らしくもあると思うのです。</p><p><br></p><p>私はよく、凡そ週に一度のペースで、文書をみなさんに出していました。毎度長々と講釈を垂れていましたが、話したかったのです。伝えたいことがあったのです。いろんなことを語ってきました。もしかすると、意図せず騙ったことがあったかも知れません。私には、人としての自信がありません。子どもたちの成長に際して、何と声をかけるのが相応しいのか、何と説教を論じるのが似つかわしいのか、自信と呼べるような知識も経験もなかったのです。もしかすると、みなさんに接するには力不足だったかも知れませんから、申し訳なく思っています。</p><p><br></p><p>しかし、是か非かを、あるいは真か偽かを、容易には語らないことは、人間の最も素晴らしい美学だと思うのです。最もらしく、持論を語ることほど危険なことはないと思いますし、そういう人に絆される人にはなりたくないと思っています。</p><p><br></p><p>話をもとに戻しましょう。</p><p><br></p><p>みなさんのことを想うと、ただ寂しいです。成長した姿を見たかったです。変声期を過ぎ低くなった声を見上げ、そこに幼さの面影を探したかったです。濃色のスカートを纏い、お化粧が馴染んでしまったことに、物懐かしさを得たかったです。</p><p><br></p><p>この最期に、私からのお願いを、ひょっとすると筋違いで勘違いな、最後の想いを伝えたいと思います。この遺言をしたためようとしたきっかけは、やはりそこなのですから。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ichioreight/entry-12869019425.html</link>
<pubDate>Thu, 26 Sep 2024 19:24:49 +0900</pubDate>
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<title>遺言3</title>
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<![CDATA[ <p>渡り鳥などと言うには、滞在が長すぎました。渡り鳥失格です。そもそも、越冬の為に秋に南へ飛ぶ渡り鳥とは、全くの反対です。しばれる冬に十年も在住していた訳ですから。</p><p><br></p><p>さらに言うと、鳥としての適性も備えてはおりません。この地を立つ鳥にして、遺言などと称して跡を濁して仕舞おうとしているのですから。</p><p><br></p><p>兄弟方には、後ろ脚で砂をかけることになってしまいました。私は鳥ではなく、馬です。</p><p><br></p><p>どうか私をお許しください。恨まないでください。受けた恩を返し切らない私を憎まないでください。この地を嫌いになった訳ではありません。決して、見捨ててしまおうなどと考えた訳ではありません。もし私に人生が二度与えられたなら、一度目はこの地を選んだでしょう。私の身体が二つあるのなら、両方の地に分かれ、それぞれ日々を送ったでしょう。しかし、よしんばそうであっても、魂が一つである限り、二者択一を迫られたならば、不肖の私はこの地を離れるしかないのだと思います。私にとって魂の還る場所は、ここではないと感じたのです。</p><p><br></p><p>勝手なことを正直に申し上げると、残念で、心残りばかりです。この地の十年後、二十年後を、ともにあなた方と見たかったです。自分で選んでおいて、やはり身勝手ですが、後ろめたさを感じるばかりです。</p><p><br></p><p>残念で、心残りな私が遺すのは、この地の行く末への不安と期待、願いです。発展途上のこの地を、少しでも子どもらの生きやすいように、と願っています。そして、諸兄らの優しさ、偉大な愛情にして慈愛の心で、きっと良くなることを祈っています。わがままですが、どうか、どうにかと願うばかりです。</p><p><br></p><p>後ろめたさばかりを語ってきましたが、旅立ちを濁す渡り鳥、もとい砂をかける馬、そんな私という馬の鼻向けに、せめて、また逢う日をどうか望んでください。私も、いずれまた逢える日を、夢に見ます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ichioreight/entry-12867897072.html</link>
<pubDate>Wed, 18 Sep 2024 15:09:33 +0900</pubDate>
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<title>遺言2</title>
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<![CDATA[ <p>私がこの地を去るのは、海を見て、思わず、目を細めてしまったからだとお考えください。生命の起源である海に、どうしても惹かれてしまうのと同じように、恋焦がれてしまうように、故郷への想いが、ついにグラス一杯になってしまったのです。そういう意味では、目を細めていたことに気が付いたからという方が正確なのかも知れません。</p><p><br></p><p>こうなる前の私は、故郷とか生まれとか国とか、そこにあるスピリチュアルな類に、辟易する人間でした。しかし、一度そのスピリチュアル性に触れて、まさに霊的に憑かれてしまうと、その想いを払拭することが、払うことが、そう、祓うことが、できなくなってしまったのです。</p><p><br></p><p>月並みな言葉で表されてしまうのなら、それは運命とも言うのでしょう。もちろん、私は運命に従って生きてきたつもりは毛頭ありません。ただ、思うに、歩む道を定められているのが運命などというものなのではなく、分岐点で、いや、それに限らず道のど真ん中でも、「あぁ、こっちに進んでみよう」と、何気ない気の迷いで、つま先を変えてしまう瞬間に、運命というものが働いていると思わざるを得ません。</p><p><br></p><p>話を本筋に戻しますと、理由やこれといったきっかけを聞かれると困ってしまうのですが、一言で言ってしまうのなら、郷愁です。</p><p><br></p><p>私も所詮は、ただの渡り鳥だったということです。</p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/ichioreight/entry-12867851414.html</link>
<pubDate>Tue, 17 Sep 2024 06:23:25 +0900</pubDate>
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<title>遺言1</title>
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<![CDATA[ <p>はじめに断っておきますが、これは遺言という題名であっても、世間の言うところの、言わば辞書的な意味での遺言ではありません。死を迎え、自身の遺産の相続先を示す遺書とは、前提が違うのです。そう、私は生物的に死を迎える訳ではないのだから。</p><p><br></p><p>しかし、これもまた、世間で言うところの死が、つまり辞書的な死の本質が、もう会えない、逢えない、という点にあるのなら、この度の別れは、私にとって、この地での死と呼べるものなのかとも思い、それならば、これは遺言状として差支えないという認識に至ったのであります。</p><p><br></p><p>大袈裟かつ空々しいと思われてしまうでしょうが、この地を離れることが決まってから、いや、決まって数日が経ったある日の昼前やにわに、半年後に予定立てられた、敬愛する兄弟たちと、親愛なる子どもたちとの別れを想起し、悲しく、そして虚しくなったのだということをお知りおきください。まるで、かつての親類の死没によるもののように、私は喪失感を抱いたのです。</p><p><br></p><p>念の為ここでも断りを入れさせて貰いますが、嘘の多い人生でしたが、私に似つかわしくないその感情は嘘ではありません。(まぁ、嘘が嘘であるかどうかは、受け取った人の裁量で決まると言っても過言ではありませんから、信じて貰えなくても仕方のないことなのですが。)</p><p><br></p><p>ここまで書いてきてふと私の言葉に矛盾というか、齟齬があることに気が付いたのですが、喪失感を私が抱くのは、本来であれば相反的、つまりあべこべであります。なぜなら、私が死ぬのであって、私という存在を失うのはあなた方なのだから。</p><p><br></p><p>と、書いてまた、私自身がここでの私を失うという一点では、そして私的に前述の兄弟と子どもから離れる、私の手から放れるという二点目を踏まえて言えば、喪失感とも言えるのではないかとも思います。とにかく、私は寂しいのです。</p><p><br></p><p>そんな寂しくて、淋しい私の胸中を、そして、どうせ面と向かってはまともに別れの言葉を言えずにいるであろう半年後の代わりに、別れの言葉を遺しておきたい、そう考えた故の、そういう意味での、これは遺言なのです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ichioreight/entry-12867756743.html</link>
<pubDate>Mon, 16 Sep 2024 12:18:56 +0900</pubDate>
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<title>ガチョウのとびお(前編)</title>
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<![CDATA[ <div>序.</div>ガチョウのとびおがこの世に生を受けたとき、彼が初めて目にしたものは一匹の野良猫でした。黒と<span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">ちゃ色の混じった毛の、長さも不均等なそれは、宛らボロボロの歯ブラシのような猫でした。</span><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">だけどとびおは、産まれる前からずぅっと決まっていた通り、そう神さまの言うとおり「あぁ、おかあさん！」と、たった一言の鳴き声を上げました。(実際には、とびおはガチョウなので、ガァ！と短く鳴いただけなのですよ)</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">こうしてとびおの一生は始まったのです。</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">１.</span></div><div>京都市内にある目玉焼き小学校では、むかーしむかしからガチョウの飼育がされており、夏の猛暑が鴨川の水を消し去ってしまうほどだったその年もまた、一羽のガチョウの誕生を、子どもたちは今か今かと待ちわびていました。まりこちゃんもその中の一人でした。</div><div>オムライスが大好きな8歳のまりこちゃんは、髪の毛をいつも耳の少し後ろで三つ編みにしている女の子です。お友だちには「うちなぁ、自分で三つ編みに出来るねん！」と、小さな鼻を、これでもかと言うくらいに大きく開けて自慢していますが、実を言うと、毎朝お母さんに結んでもらっているのです。</div><div>学校では男の子にも負けないくらいやんちゃで、気の合うお友だちと、泥団子を作っては投げ、作っては投げ、とキャッキャッと笑っているまりこちゃんですが、お家に帰ると甘えんぼ。特に夜眠る時には、お母さんに絵本を読んでもらわないと眠れません。お気に入りは『白雪姫』です。</div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">まりこちゃんがまだ幼稚園に通っていたころ</span>、お父さんは、突然会社の支社ができるからとインドネシアに一年間の単身赴任、それが決まった数ヶ月後、今度はお母さんが、隣町に住む昔馴染みの友人に、半年でいいから英会話教室のお手伝いをしてほしいとお願いされ、両親共働きでたいへん大忙しの一年があったのです。ですから、まりこちゃんは大好きな二人と遊ぶ時間より、お家にひとりでいる時間の方が多くなっていました。そしてその年のクリスマス。甘えんぼで、ちょっぴりさみしがり屋のまりこちゃんに、サンタさんがくれたのが『白雪姫』の絵本だったのです。</div><div>まりこちゃんはその絵本が大好きでした。綺麗な色使いの絵も、お話に出てくる七人の小人も、そしてなにより、ハッピーエンドなのがいい！</div><div>もちろん、これがまりこちゃんのお母さんが夜に絵本を読むという副業を始めるきっかけになり、以後数年続けることになったのです。</div><div>ある日、まりこちゃんのお母さんは新しい絵本を買ってきました。カーテンの隙間から延びる夕日が、あっという間に溶けてなくなってしまった、11月のある日の夜のことです。少し寒い部屋の、温かいベッドの中で、新しい絵本を楽しみにしていたまりこちゃんが聞いたお話は、「黄金のたまごを産むガチョウ」のお話でした。(お母さんによると、いつまでも『白雪姫』だと幼すぎるかしら、という意図があったそうです)</div><div>いつもなら、お母さんが読み始めてからまもなくして眠りに着くまりこちゃんも、この日は全く眠くなる気配がありません。それどころか、まりこちゃんの目はくっきりと冴え、思わず、口で吸った息を鼻で吐いてしまうほどに、興奮していました。</div><div>「学校のガチョウも、たまごからうまれたら、きんいろのたまごを産むかもしれへん！！」</div><div><br></div><div>２.</div><div>翌日、まりこちゃんは放課後、いつも一緒に帰るお友だちに「うちちょっとひとりで遊んでから帰るから先に帰っといて！」と言い放ち、こっそりガチョウの飼育小屋に来ました。吐く息が白く、いつもよりも忙しなく、まりこちゃんの顔の前を流れていきます。</div><div>準備は万端。お昼休みに、ふだんは喋らない飼育委員の男の子に「わたしも、ガチョウの世話をしてみたい」と言い小屋の掃除を手伝わせてもらった時、ばれないように鍵を開けたままにしておいたのです！！</div><div>周りに人がいないことを確認し、そうっと息を殺し、小屋に入ると、まるで絵本で見た忍者のようや…なんて思いながら、まりこちゃんは持っていた体操服袋に、さっと、ガチョウのたまごを突っ込み、誰かに見つかる前に急いで小屋を出ました。</div><div>「やった！やった！これで金色のたまごを産むガチョウはうちのもんや！！」と猛ダッシュで学校を飛び出し、家の近くの公園のそばを通りかかった時、ふと、あまりの興奮で自分がたまごの入った体操服袋を振り回していることに気付き、たまごが割れていないか不安になりました。</div><div>そこで、いつもお友だちと泥団子を作る(壊す)砂場の横にあるベンチに一人で座り、体操服袋の紐を緩め中を確認してみることにしました。</div><div>まりこちゃんが袋の中を恐る恐る覗いてみると、裏っ返しで脱いだままの体操服の上に、ちょこん、とたまごが乗っかっていました。</div><div>「よかったぁ…うちの大事なたまご…」</div><div>そう独り言をつぶやいたとき。</div><div>「大事な…たまご…」</div><div>「学校のみんなが…楽しみにしてた…」</div><div>まりこちゃんは、まだ8歳ですから当時そんな言葉は知りませんでしたが、後々そのときの気持ちをこう思い返します。</div><div>「あれは血の気が引く思いがしたわ…」</div><div><br></div><div>３.</div><div>急に怖くなってきました。さっきまでは、極秘任務をこなした自分を褒めるように、心地よく頬を撫でていた風が、今となっては、冷たくただ初冬の寒さを感じさせるものになっていました。</div><div>「どうしよう…」</div><div>まりこちゃんは泣き出しそうでした。たまごを盗んだ、悪いことをした、ということよりも、自分が悪い人になってしまったような気がして、そのことが、何より怖かったのです。</div><div>そして混乱して、何が何だか分からなくなってしまったまりこちゃんは、たまごを体操服袋から取り出し、そっと公園の植え込みに隠し、家に帰ることにしました。</div><div>息も絶え絶えに走り続け、なんとかお家に帰りました。今にも泣き出しそうなまりこちゃんを心配するお母さんに、「なんでもない！」と、初めて嘘を吐き、そして二度とこんな思いはしたくないと、心に誓ったのです。</div><div>(ちなみにまりこちゃんは、自分の中にいる、悪い自分と闘うかのように、あるいは目を背けるかのように、正しいことをする大人になりたいと思い続け、将来警察官になりますが、それはまた別のお話)</div><div>これが、後の世にも名高い「目玉焼き小、たまご隠し事件」です。</div><div><br></div><div>(続く)</div>
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<link>https://ameblo.jp/ichioreight/entry-12547513682.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Nov 2019 21:56:56 +0900</pubDate>
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<title>一流</title>
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<![CDATA[ 夕方、いつものようにイヤホンで音楽を聞きながらアパートの玄関を出て歩道を歩き始めたとき、ふと目の前を行く人の歩き方がどこかぎこちないと感じた。<div>「ああ、そうか。雪道か」</div><div>と独り言る。<div><br></div><div>久しぶりに文章を書いているが、これまで全く投稿していなかったのは、すっかり存在を忘れていたからではない。携帯を変えたときアプリにログインするのが少し億劫で、面倒だっただけ。</div><div>再び始めようと思ったのは、また自分の気持ちが散らかったように思えたから。妙に居心地の良かった空間も、たまに部屋の掃除をしなければ息苦しくなってしまうから。まあそんなところです。</div><div><br></div><div>今年の四月に、少し前にお世話になった人と食事に行った際言われたことで、印象に残っている言葉がある。</div><div>「どの道の人でも、一流と呼ばれる人は自分のことを客観的に見てるよね」</div><div>なるほどなあと最初に思ったものの、すぐに</div><div>(でもそれは自分に自信があるからできるんだよな)</div><div>と思い直し、何ひとつとして自分のいい所など無いと思っている、ザ・ネガティブ人間の僕にとってはただただ残酷な話だった。</div></div><div>自分のことを他人の視点で見ても、ろくな人間には到底思えず、また自己嫌悪に苛まれるだけだ。</div><div><br></div><div>近ごろは街ゆく人を見て、</div><div>(この人にも自分の人生があって、いろんな出来事や登場人物があるんだよなあ。一体どんなことを考えてるんだろう)</div><div>などと思ったりする。</div><div><br></div><div>(羨ましい…)</div><div><br></div><div>こんなにくたびれた顔をした人でも、家に帰ればきっと愛する家族がいて、そのために生きているんだろうなあと思ってしまう。</div><div><br></div><div>現代の日本で、あるいは世界中で活躍するいわゆるエリートと呼ばれる人たちが、テレビなどのインタビューで「自分の夢」なんかについて語っている場面をよく見る。まるで「あなた達は私のこういう話を聞きたいんでしょ」と言わんばかりに。</div><div><br></div><div>やってられるか！と叫びたくなる。自分のために頑張れるほど、僕の性格は真っ直ぐじゃないし、僕がいる世の中は甘くない。所詮成功者は元より成功するように成功し、そうあるべく上手く物事が進んできた人たちじゃないのか！</div><div><br></div><div>そうして僕が選んだ生き方<span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">(というと大袈裟だが)</span>は、他人のために頑張ることだった。自分のために汗水垂らして働くなんて、全く持って意味がわからない。だって本当に自分が好きなようにしていいなら、朝から晩までずっと家に引きこもっていたいのだから。</div><div>根暗な僕にとって、ただたった一人の存在が僕の原動力だった。つらくたって、投げ出したくたって、逃げたくたって、「ちゃんと仕事しないと…」等の言葉の後ろには(相手にされなくなるよな)があった。</div><div><br></div><div>初めは嬉しかった。こんな自分でも生きがいが見つかったんだ！生きる理由があるんだ！と思った。</div><div><br></div><div>ただそれも最近は自分の中で壊れそうになる。心の中のネガティブな自分が僕を打ちのめそうとしてくる。<br></div><div>「相手は別にお前のことそんなに思ってないよ」</div><div>「お前じゃなくていいんだよ」</div><div>「お前じゃないんだよ」</div><div>勝手に、誰かの人生で生きてみたいと思ってしまった。でもそれはただの幻想に過ぎないのかも知れない。現に、あの人のためにと思っていたそれは、一方通行じゃないか。</div><div>(もうやめてしまおうかな…)</div><div><br></div><div>ああだから自分を客観的に見るなんて嫌だと言ったのにな。</div><div><br></div><div>どうやら僕はネガティブの一流らしい。</div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/ichioreight/entry-12546309055.html</link>
<pubDate>Sun, 17 Nov 2019 19:17:29 +0900</pubDate>
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<title>整理する</title>
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<![CDATA[ 昨今のインターネットを通したコミュニケーションのやり取りの構図はSNS社会と言われるまでに確立し、TwitterやFacebook、Instagramが幅広い世代に利用されている。<div>個人のことを何処の誰かも分からない人に向けて、あるいは世界に向けて発信することを、馬鹿馬鹿しいと揶揄される時代は終わったと言ってもいいだろう。</div><div>僕だってかつては｢なんで自分のことをわざわざインターネットで言わなきゃならないんだよ｣と思っていた側の人間だ。ましてや、他人のことなんでどうでもいい、今日何を食べたとか一々報告するなよ、とさえ。</div><div>しかし、今年でTwitterをやり始めて6年目になる。今日の朝呟いた内容は｢眠い｣の二文字。Twitterをやる前の僕が見たら、どんな批難をされるか分からない。たまったもんじゃない。</div><div><br></div><div>ふと何故人は自分の思ったことや考えをインターネットに書くのだろうと思った。</div><div>スマートフォンの普及？それは確かにもっともらしい。だがスマートフォンを忘れて外出した時、SNSに何か言いたくて言いたくて仕方ないことがある。それはまさしく、スマートフォンがあるからSNSを利用するのではなく、SNSのためにスマートフォンがあるかの様である。そんな訳はない、と言い切れない程に。</div><div><br></div><div>自己承認欲求という言葉をどこかで見た。自分自身のことを認めたいというものだとか。これそこが現代を生きる者たちがSNSに求めるものだ！と豪語する人がいる。みんなこの生きにくい世の中で自分を肯定したいのだ、と。</div><div>そうだなぁと思う反面、そうかなぁと思う僕がいる。自分を認めるなんて、電子を以てSNSにたかが一言二言気紛れに書いただけでできる程簡単なことだろうか。</div><div>もちろん、分かってはいるのだろう。ただの小言にしか過ぎないことくらい。それでも気を紛らわすことには丁度いいし、いつだって精神的な不安や葛藤を、世間の荒波から救ってくれるのは藁と相場が決まっている。</div><div><br></div><div>そうして小言のメモを壁にペタペタと貼るかの如くして暮らす。すると心の中にあったものを表に出すことで、ふっと気分が軽くなった気になる。</div><div>アルコールやタバコ(僕は吸わないが)と同じである。中毒。SNSはまさに娯楽の域を超え中毒と化している。壁一面に貼られた楽しかったことや面白かったことイヤなことが、何故かある時、自分を責めているような錯覚に陥る。</div><div>自分を認めたい、認めて欲しいと始めたはずなのに、それは自分のいい所だけではなくイヤな所まで知らしめてくる。</div><div><br></div><div>それならいっそメモを部屋の壁に貼るのではなく、紙に書いて本棚にしまえばいい、というのが僕がブログを書こうと思ったきっかけである。</div><div>小さなメモに殴り書き、元々は綺麗だった壁を自分のことでいっぱいに埋めてしまうのは、きっと良くない。丁寧に丁寧に、自分のことを綴じてあげよう。一度表に出して、そしてまた大切に仕舞い込む。そのつもりで自分なりの文章を書いてみたい。</div><div><br></div><div>今後どの程度ここを更新するか分からない。もしかすると、寝て起きた明日の朝には、昨日は何考えてたんだろうと冷静になって二度と更新されないかも知れない。さらには、本棚に仕舞うどころか風船に括りつけて、窓から投げ飛ばしてしまうかも知れない。</div><div><br></div><div>それでもいいかなとも思う。</div>
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<link>https://ameblo.jp/ichioreight/entry-12434988059.html</link>
<pubDate>Wed, 23 Jan 2019 14:57:49 +0900</pubDate>
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