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<title>セカイ斜め読み</title>
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<description>このブログでは、日本や世界に関して、私が思ったことを社会現象に即しながらグダグダ書いています。灰色女子の目線から見た社会を少しでも楽しんでいただけたらと思います。</description>
<language>ja</language>
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<title>なぜ、今桐谷さんなのか…。</title>
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<![CDATA[ 1年前からよく見ている番組がある。<br>｢月曜からよふかし｣である。月曜日の深夜枠で放映されているこの番組では、関ジャニ∞の村上信五とマツコ・デラックスが、テレビでも一二を争うようなけだるさで、番組を進行している。<br>そんな中で、これまでさまざまな話題が上ったが、最近大人気なのが桐谷広人さんの話題である。<br><br>株主優待だけで生活している元プロ棋士の桐谷広人さん(63)。<br>棋士業界や将棋界では、それなりに知られた人物だったらしいが、世間的にはほとんど知られていない人であった。その彼を全国で有名にさせたのが、｢月曜からよふかし｣である。<br>株節優待券を使い切るという目的のために日々自転車を立ち漕ぐ彼の姿は、笑いを誘うとともに勇気を与えられた。<br>それにしても不思議だ…。中年っというか、もう後期高齢者に片足ツッコミかけたのおっさんの自転車の疾走シーンをみて、なぜ元気になるのか。<br>自分でも不思議になってくる。しかし、これだけは確かなことだ。彼の立ち漕ぎ姿を見ながら、その立ち漕ぎ姿と同時に流れてくる｢桐谷さんはそんな(ものを選ぶときに時間をかけて悩むなどの)次元で生きているのではない。株主優待を一枚残らず使い切ることが重要なのだ。｣というナレーションと挿入歌、渡辺美里の｢My Revolution｣が絶妙に合っている。<br>桐谷さんの爆走シーンの後ろがスタンハンセンの入場曲だったらここまで受けなかったかったかもしれない。<br>それに、ひたすら何かに夢中になってなりふり構っていられないと公言しているような姿に、自分の悩みなどと言うのは、人生の中でちっぽけなものだと思えてくる。<br><br>こんなおっさんになぜこんなにも勇気づけられるのか分からないが、とりあえず、彼の今後の姿、特に決算期の6月の姿を私は楽しみに頑張りたいと思う今日この頃である。<br><br><br>
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<pubDate>Wed, 22 May 2013 04:18:47 +0900</pubDate>
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<title>谷川俊太郎の｢生きる｣と言う詩で、危うく滂沱の涙を流しそうになった。</title>
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<![CDATA[ 28才の私にとって、最近｢生きるって大変だな…。｣とつくづく感じさせることが多い。<br>周りの子たちも、迷いながら自分の人生歩んでいるけど、「私は、そのスタートラインに立ってさえいないのではないか…?」と不安になることさえある。<br>そんなときに、小学校の時答辞で読んだ谷川俊太郎の｢生きる｣と言う詩を読み、「あぁ、なるほどなぁ。」と感じる。<br>ありふれた日常、今、流れている時間を大切にするってことなのねぇ…。<br><br><br><br><br>生きる　　　<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　谷川俊太郎<br>生きているということ<br><br>いま生きているということ<br><br>それはのどがかわくということ<br><br>木漏れ日がまぶしいということ<br><br>ふっと或るメロディを思い出すということ<br><br>くしゃみをすること<br><br><br>あなたと手をつなぐこと<br><br><br><br>生きているということ<br><br>いま生きているということ<br><br>それはミニスカート<br><br>それはプラネタリウム<br><br>それはヨハン・シュトラウス<br><br>それはピカソ<br><br>それはアルプス<br><br>すべての美しいものに出会うということ<br><br>そして<br>かくされた悪を注意深くこばむこと<br><br><br><br>生きているということ<br><br>いま生きているということ<br><br>泣けるということ<br><br>笑えるということ<br><br>怒れるということ<br><br>自由ということ<br><br><br><br>生きているということ<br><br>いま生きているということ<br><br><br>いま遠くで犬が吠えるということ<br><br>いま地球が廻っているということ<br><br>いまどこかで産声があがるということ<br><br>いまどこかで兵士が傷つくということ<br><br>いまぶらんこがゆれているということ<br><br><br>いまいまがすぎてゆくこと<br><br><br><br>生きているということ<br><br>いま生きてるということ<br><br>鳥ははばたくということ<br><br>海はとどろくということ<br><br>かたつむりははうということ<br><br><br><br>人は愛するということ<br><br><br>あなたの手のぬくみ<br><br>いのちということ<br><br>http://www7.ocn.ne.jp/~mitsue/ikiru.html<br>
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<link>https://ameblo.jp/idlikelivelikeowl/entry-11530995952.html</link>
<pubDate>Wed, 15 May 2013 16:17:02 +0900</pubDate>
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<title>空虚な私</title>
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<![CDATA[ <span style="color: rgb(55, 64, 78); font-family: 'lucida grande', tahoma, verdana, arial, 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 13.333333969116211px; line-height: 17.98611068725586px; background-color: rgb(255, 255, 255);">社会はどんどん変わっていく。<br>先を怖がり何も進められない自分。</span><br style="color: rgb(55, 64, 78); font-family: 'lucida grande', tahoma, verdana, arial, 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 13.333333969116211px; line-height: 17.98611068725586px; background-color: rgb(255, 255, 255);"><span style="background-color: rgb(255, 255, 255);"><font color="#37404e" face="lucida grande, tahoma, verdana, arial, hiragino kaku gothic pro, meiryo, ms pgothic, sans-serif" size="2"><span style="line-height: 17.98611068725586px;">自分の価値を計りかねている。</span></font><br><font color="#37404e" face="lucida grande, tahoma, verdana, arial, hiragino kaku gothic pro, meiryo, ms pgothic, sans-serif" size="2"><span style="line-height: 17.98611068725586px;"><br>「考えるより行動せよ。」と人は言う。</span></font><br><font color="#37404e" face="lucida grande, tahoma, verdana, arial, hiragino kaku gothic pro, meiryo, ms pgothic, sans-serif" size="2"><span style="line-height: 17.98611068725586px;">しかし、考える。</span></font><br><font color="#37404e" face="lucida grande, tahoma, verdana, arial, hiragino kaku gothic pro, meiryo, ms pgothic, sans-serif" size="2"><span style="line-height: 17.98611068725586px;">考えなければ、私は生きられない。</span></font><br><font color="#37404e" face="lucida grande, tahoma, verdana, arial, hiragino kaku gothic pro, meiryo, ms pgothic, sans-serif" size="2"><span style="line-height: 17.98611068725586px;">人間は、「考える葦」なのだ。<br><br>だが、</span></font></span><span style="color: rgb(55, 64, 78); font-family: 'lucida grande', tahoma, verdana, arial, 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 13.333333969116211px; line-height: 17.98611068725586px; background-color: rgb(255, 255, 255);">自分の価値を見いだすために活動してきたはずなのに、空回りし続</span><wbr style="color: rgb(55, 64, 78); font-family: 'lucida grande', tahoma, verdana, arial, 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 13.333333969116211px; line-height: 17.98611068725586px; background-color: rgb(255, 255, 255);"><span class="word_break" style="display: inline-block; color: rgb(55, 64, 78); font-family: 'lucida grande', tahoma, verdana, arial, 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 13.333333969116211px; line-height: 17.98611068725586px; background-color: rgb(255, 255, 255);"></span><span style="color: rgb(55, 64, 78); font-family: 'lucida grande', tahoma, verdana, arial, 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 13.333333969116211px; line-height: 17.98611068725586px; background-color: rgb(255, 255, 255);">ける。</span><br style="color: rgb(55, 64, 78); font-family: 'lucida grande', tahoma, verdana, arial, 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 13.333333969116211px; line-height: 17.98611068725586px; background-color: rgb(255, 255, 255);"><span style="color: rgb(55, 64, 78); font-family: 'lucida grande', tahoma, verdana, arial, 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 13.333333969116211px; line-height: 17.98611068725586px; background-color: rgb(255, 255, 255);">透明な糸が、私の体を起こす。<br>腕に付いた糸が切れるのはいつなのか…。</span><br style="color: rgb(55, 64, 78); font-family: 'lucida grande', tahoma, verdana, arial, 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 13.333333969116211px; line-height: 17.98611068725586px; background-color: rgb(255, 255, 255);"><span style="color: rgb(55, 64, 78); font-family: 'lucida grande', tahoma, verdana, arial, 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 13.333333969116211px; line-height: 17.98611068725586px; background-color: rgb(255, 255, 255);">この糸を本当に切りたいのか…、どうなのか。</span><br style="color: rgb(55, 64, 78); font-family: 'lucida grande', tahoma, verdana, arial, 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 13.333333969116211px; line-height: 17.98611068725586px; background-color: rgb(255, 255, 255);"><span style="color: rgb(55, 64, 78); font-family: 'lucida grande', tahoma, verdana, arial, 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 13.333333969116211px; line-height: 17.98611068725586px; background-color: rgb(255, 255, 255);"><br>「自由」を欲しながら、誰かに縛られ、罰されることを望む。</span><br style="color: rgb(55, 64, 78); font-family: 'lucida grande', tahoma, verdana, arial, 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 13.333333969116211px; line-height: 17.98611068725586px; background-color: rgb(255, 255, 255);"><span style="color: rgb(55, 64, 78); font-family: 'lucida grande', tahoma, verdana, arial, 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 13.333333969116211px; line-height: 17.98611068725586px; background-color: rgb(255, 255, 255);">矮小な自分に対する自己肯定のために…。</span><br>
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<pubDate>Tue, 14 May 2013 08:25:02 +0900</pubDate>
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<title>トイレ事情から見る日本社会</title>
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<![CDATA[ トイレ天国、「日本」。<br><br>日本のトイレの進化は、すさまじい。これは、世界的にも評価をされている。<br>たとえば、韓国や中国の高級ホテルに日本のウォシュレット付きトイレを完備されていたり、アメリカのハリウッド俳優たちが、ウォシュレット付きトイレをエコであるとして、わざわざ買ったり…、と至る所で日本のトイレの普及を見聞きする。<br><br>最近では、トイレのインテリアなどにもお金をかけ、日本人のトイレへの並々ならぬ情熱が感じられる。東京の各駅におけるトイレの多機能化はすさまじく、小さな子どもから足腰の弱い老人まで安全に、そして、清潔に使えるトイレがそこら辺に点在している。<br>日本にとって「トイレ」とは、まさに「汚い場所」や「用を足す場所」なのではなく、人々とのコミュニケーションを図る大事な交流空間なのである。<br><br>それにしても、日本のトイレ空間の合理化、多機能化は目を見張るものがある。<br>ドアを開け、下着を脱ぎ、用を足し、下着をはき直し、ドアを開けて、手を洗い、乾かす。<br>何気ない一連の行動であるものの、ここに一切の手間をかけない。たとえばウォシュレットについても、いわゆる痔持ちの人や女性のためにつけられ、人々の助けになっているのだろう。<br>実際、太っている人々やお年寄り、痔持ちにとってウォシュレットは、なくてはならないものだ。<br><br>しかしながら、こうした「無駄」を極力省いた一連の行動を見たとき、私は『モダン・タイムズ』を連想する。<br>『モダン・タイムズ』。チャップリンの代表作であり、工業化の中で、逆に人間が機械にいいように使われる姿を皮肉った映画であるが、まさに日本のトイレ事情は、この映画そのものだ。<br>そこに、トイレの水を流すボタンを押すとか、手を洗う場合、蛇口をひねるとか言う活動を一切必要としない。すべて、機械に任せっぱなしである。お年寄りや痔持ちの人間にはいいのだろうが、我々までそれが必要なのだろうか?<br>正直、私は、いまだにウォシュレットという存在に理解に苦しんでいるところがある。あんなものが必要なのか…、と。<br><br>それにしても、トイレの合理化、多機能化…。これは、相反する言葉である。「無駄を省きたい」、でも、「いろいろなことをして欲しい」。どっちなんだ。<br>これは、まさに現代日本人の象徴だ。<br>「汚いもの」「人々が触って、手垢がついたもの」への嫌悪感とそれに触ることへの抵抗感は、他人との関係に対して、「自分のよく分からないもの」「見たくないもの」について、自分は直接それを見たくないが、とりあえず、誰かを自分の信頼するガイドにして、その人たちを通して、自分の必要な情報を収集する日本人の姿である。だからこそ、トイレは、「清潔」でなくてはならないし、より「コミュニケーションを図る場所」としての位置を高めなくてはいけない場所なのである。<br><br>しかし、果たして、トイレは、コミュニケーションを行うためのレストルームにする必要性がどこにあるのだろうか?<br>欧米各国では、トイレで待っている時間、たまに女性同士、男性同士、見知らぬ人間でさえ、お互いに暇つぶしとして会話が始まるのはごく普通の光景だ。<br>そこに、レストルームをあつらえる必要性などなく、立ったままでも話くらいできる。<br>しかし、日本では、ただの用を足す空間でさえ、コミュニケーションの場所にしなくては、コミュニケーションができないほど場所に人に飢えている。しかしながら、コミュニケーションに飢えているにもかかわらず、それを面倒だともとらえている。<br>社会が合理化していったことによって、日本社会のコミュニケーションの形態は変化していった。それは、日本社会の随所に見られる。トイレ然り、就職活動然り、スマホ然り。<br>しかし、日本社会の機能が合理化すればするほど、お互いの意思の疎通が困難になってきているのも事実である。<br>今社会が合理化の飢えにあぐらを掻き、「楽に●●するにはどうすればいいか」と言う考えが、起きるようになってきた昨今、自分たちの社会の合理化をもう一度考え直さなくてはならない。<br><br>とりあえず、まず、トイレできちっとおしりを拭いて、手を洗うところから始めよう。<br>
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<link>https://ameblo.jp/idlikelivelikeowl/entry-11529228762.html</link>
<pubDate>Sun, 12 May 2013 19:29:31 +0900</pubDate>
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<title>【自己満足お笑い論①】顔の見えない日本人</title>
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<![CDATA[ 　<br>　お笑い芸人が日本の番組を制覇するようになった昨今、ふと感じるのは、20年前と現在のお笑いの違いだ。私は、テレビ好きで、毎日2時間以上はテレビを見ていたため、多分、他の人よりテレビの趨勢を理解していると思う。そんな私が思うに、お笑いの本拠地が関西から関東(東京)に移って、お笑いの形態が変化していることをとみに感じている。それこそ、まさに20年間かけての「お笑い一極集中化」である。<br>　<br>　関西のお笑いは、観客を巻き込むお笑い。逆に関東は、まさにTVSHOWでありから、そこに観客を巻き込む必要性はなく、観客は、あくまで演劇を見るように舞台を見るただの聴衆に過ぎない。その良い例と言えるのが、関西の素人いじり番組の多さである。<br><br>　関西の場合、「新婚さんいらっしゃい」「ナイトスクープ」「明石家電視台」など素人いじりの番組が多く、番組は、テレビ慣れしていない素人をどうやって活かすかということを意識して作られている。つまり、お笑い芸人が絶えず、どんな風に動いてくるか分からない素人を相手にすることで、彼らの実力が試されているとも言えるだろう。それは、関東の番組より予算がないからこそ、そういう風にせざるを得ないのかもしれないが…。<br>　<br>　関東の場合、関西とは違って、テレビと実社会に一定の格差があり、聴衆の顔が見えない。また、さまざまな規定にがんじがらめになっており、番組制作の面から言えば、どんな番組も似たり寄ったりと言わざるを得ず、素人参加型のお笑い番組を制作する場合、すべて関西の大御所に任せると言う傾向がある(たとえば、タモリさん、明石家さんま、桂文枝など…)。つまり、関東の司会者や芸人に素人を活かすだけの素養は、なかなか保持され得ないものなのである。それは、コミュニケーションの基盤というものとも密接に関わっているかもしれないし、お笑いをどのように受け取っているかにもよってくるのかもしれない。そう言う意味では、関西は、色でたとえると、カラフルであり、どう転ぶか分からない企画外れのおもしろさと追究する。一方、関東は、無色透明でとにかく、企画に沿うように計算され尽くしたお笑いという違いがある。そして、これは、一見関西のお笑いの方が簡単なように見えて、関東の方が圧倒的に簡単なのだ。つまり、そこにアドリブはいらないのだから。逆にアドリブを入れざるを得なくなる素人を放り込むのは、番組制作上害悪でしかない。その成果、関東の番組は、圧倒的に視聴者の顔が見えず、モザイクがかけられている。<br>　<br>　実際、関東で作られている番組の背景や出演者のTシャツへのモザイク度の多さはいかばかりのものなのか。プライバシーへの配慮に他ならないのであろうが、そこまでする必要性がどこにあるのだろうか。まさに、顔を見せないのが当然となってきているのである。<br>それだけでなはく、ツイッターなどで情報が漏れていることを不安視する芸能人たちが、その状況に恐怖している話を聞くと、「有名になりたいから、芸人や芸能人になったんじゃないの?」とつっこみたくなる。顔を売ってなんぼの商売の中で、なにを寝ぼけたことを言っているのだろうか。<br>　<br>　今、コミュニケーションツールが多くなり、どこでもどんなときでも情報がとれる社会になってきた。まさに、電車の中でYOU TUBEが見られるようになったことで、人々の目も肥え、芸能人の情報が簡単に手にはいることでより身近な存在に立ってきた。<br>しかし、顔を出すことをNGとする、自分の意見を言って、その場が凍り付くことをNGとする風潮がお笑い、ひいては芸能界一般に明示されるようになってきた今、日本人も自分たちの気質を理解し直さなくてはならない。なぜなら、テレビ業界やお笑いをただの娯楽としてとらえるのも、一つの目だが、お笑いというのはその国の文化や社会背景を色濃く写す鏡でもある。<br>その国の社会背景を理解せずに、真にその国の社会に自分たちのお笑いを受け入れてはもらえない。その文化をペシミスティックに笑ってこそ、お笑いである。だからこそ、欧米各国では、コメディアンというのは、独自の地位を確保しており、チャップリンなどの歴史になこる名コメディアンが生まれるのである。<br>　「日本のお笑いは特殊だから」と変化を拒むのではなく、そろそろ日本社会もグローバル化の中での変化を遂げる時期に達しているのかもしれない。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/idlikelivelikeowl/entry-11528548560.html</link>
<pubDate>Sat, 11 May 2013 19:45:20 +0900</pubDate>
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