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<title>独り言のブログ</title>
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<title>いじめは無くせるのか？</title>
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<![CDATA[ <p>　子供のいじめが問題となって久しい。実に痛ましいニュースが飛び込んでくる。同時にいじめの問題で必ず目を向けられるのが、また責任を問われるのは学校である。確かに、多くの時間を多種多様な仲間と過ごす学校において、日々の人間関係に目を配り、不適切な言動に対しては即自的な指導を行ったり、社会性や道徳観・倫理観をしっかり育てたりするのは学校の責務である。しかしながら・・・「いじめ問題」を学校教育の枠の中だけでとらえ、その克服のために学校現場だけに課題を突き付けていて果たしていじめはなくなるのだろうか？？？　疑問である。</p><p>　いじめは今の社会風土が子供たち（大人社会でもあることだが）の世界に反映したものであり、人間関係の希薄さが生み出したものであると感じる。<br>　<br>　かつて、山間地の学校に勤めた事がある。その学校は山深い自然豊かなところであり、少し前はへき地校として指定されていた。小中併設校であり、児童生徒数は20人に満たない状況にあったと思う。冬ともなると時として２ｍを超えるような積雪があり、交通の便が悪く、市街地に通じる道も１本あるのみである。<br>　ところがその集落（いくつかの小集落に分かれている。）の方々は私の知るところではその土地に愛着を持ち、学校を大切にしており、地域の人のつながりは実に密接であった。密接さは時として都会の人間にとっては息苦しさを感じるかもしれないが、そうした声を聞くことは無かった。地域の方々は子供たちを全て知っており、子供たちもまた地域の方の殆どを知っているという状況であった。小中併設校で人数も少ないことにより子供たち同士のつながりも深いものがあった。確かに上下関係の固定感や子供同士の刺激の与えあいや切磋琢磨という点ではデメリットはあると思うが、私にはこうした環境が子供達の育ちに与えるメリットの方が大きいと感じていた。</p><p>　こうした社会では（閉鎖的と言われてしまえば元も子もないが・・）、子供たちは多くの大人や仲間から見つめられており、自然と自己コントロールする力が生まれてくる。多くの大人や多様な世代との関りは、学校では教えられないような道徳観や倫理観、家族観を子供たちに感化させてゆく。</p><p>　学校もまた、職員室にいても子供の息遣いが感じられるような環境にあり、学校環境としても日々の子供たちの心や体、集団の状況を的確に把握でき、そうした深い児童生徒理解が指導に大きな成果を生み出す。<br>　こうした環境の中では子供たちの中に深刻な「いじめ」という問題は生じ難い。学力も結構身についていく。</p><p>　学校が行う教育指導や育ちに影響を与える素因としてのハード、ソフト両面から環境を考えるだけでは「いじめ」を克服する事は難しい事ではないだろうか。家庭教育、社会教育、家庭・社会環境等々、子供たちと取り巻く事象を全て見直す必要がある。大きなことを言えば、子供たちを取り巻く全ての環境を総体的とらえるスタンスが必要である。今のように学校の責務・責任だけを追及していては（確かに学校にいじめの問題を正面から取り組むことを求めることは当然ではあるが）<br>いじめは無くならない。一見、そうした取り組みが功を奏したと思える学校においても社会全体の問題と地域が社会が考えなければ根本的な解決に近づ行けないような気がする。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/ihs1954/entry-12102691654.html</link>
<pubDate>Fri, 04 Dec 2015 17:42:10 +0900</pubDate>
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<title>教員の資質低下は本当だろうか？</title>
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<![CDATA[ 　この４月目めでたく教職を退いた。現役最後の数年の中で、よく言われていたのが「教員の資質低下」という言葉である。しかし・・・本当に今の先生の資質は本当に低下しているのだろうか？<br><br>　私にはそうは思えない。確かに様々な教育現場を経験する中で教員に相応しくないと思われる先生に遭遇したのも事実である。<br><br>　敢えて一般的に「教員の資質が低下した。」という事を肯定するならば、それは相対的なものであり、絶対的なものではないと思う。<br><br>　自分の小学校や中学校時代の事を振り返ると、学校の先生方は正に「教科・領域指導」に熱を入れる時間があり、本来、家庭教育や社会教育が担うべき事を学校が指導することは少なかったように思う。また、今のように「エイズ教育、情報教育、金銭教育、郷土教育・・・・等々」のような教育指導を数多く学校に求められる事は無かった。確か教育には時代の変化や社会の問題に対応できるだけの能力を身につけさえる事は責務であるが、それは学校教育の場だけではなく、家庭教育や社会教育にも求めるべき事である。しかし、現実、学校教育にその多くの部分が求められ、現場の先生方は教科・領域指導のみならずそうした教育への対応をせざるを得なくなり、そのために費やす時間はかなりのもになっている。だったら、教科・領域の中にそれを取り込むような工夫をせよ！　という声もあるだろう。それにしてもめまぐるしい社会の変化の中で、多様な各種教育に対応していく事は実に困難である。<br><br>　加えて、今の学校の先生方には「ゆとり」が無い。「ゆとり」というと時間的な事を思い浮か、べるが「時間」ではなく、心の「ゆとり」である。ゆとりの無さが児童生徒を十分見る目を失わせいじめ等子供個々や集団に潜む問題を見落としたり、心の疲弊が様々な問題や精神的な苦しみを生み出したりする。本来、健康な子供を育てるためには教えるべき先生が「健康」でなければならないのに、実際のところは先生はあまりにも忙しすぎて先生の肉体的・精神的健康は損なわれていると言っても過言ではない。考えるべき事が多すぎ、増加する事務処理対応、児童生徒の生活行動記録の点検や学級経営簿への記録、、決して疎かにできない日々の授業研究と準備、加えて中学校では部活指導、時には難しい保護者対応や生徒指導対応・・・一般的な現代中学校の先生は１２時間以上の勤務や仕事を行っているのが現実である。つまり時間的ゆとりなさだけでなく、こうした多くの事や、時には心悩ませる事に対応することで心の「ゆとり」が無くなっていくわけである。<br><br>　こうした背景から「相対的」な資質低下（低下という言葉は本当に適切かどうかは疑問だが）はあっても、かつての教員（少なくとも自分が教員になった当時）の資質と比べて劣っているは言い難い。その意味で「一般的教員において絶対的な資質低下は認めらえない」と私は感じている。<br><br>　教員免許更新制度（私は立場的にも年齢的に幸い講習を受ける機会はなかったが・・）は本当に教員の「資質向上」につながっているかはこれまで述べてきた見解において甚だ疑問である。
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<link>https://ameblo.jp/ihs1954/entry-12100006351.html</link>
<pubDate>Fri, 27 Nov 2015 03:01:35 +0900</pubDate>
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