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<title>学校嫌い（？！）のスクーリング</title>
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<description>学校の隠蔽体質を前提に、子どもと親と担任と管理職と行政の、信頼関係と距離のとりかたを一人で勝手に考え、試行錯誤してみるブログ。　　　</description>
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<title>だから、学校が一番？</title>
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<![CDATA[ <p>　　　一部の学校が好きな大人の言い分には、ほんとうに・・・・。</p><br><p>　　　学びの方法や制度に、王道とか、そういうものは、</p><p>無いというのが私の今の考えです。</p><br><p>　　　いろんな方法に、どんなに欠陥があろうとも、</p><p>「学校には○○方式には無いものがある」という表現。</p><p>あたりまえです。</p><p>なんでしょうか・・・・。</p><p>「だから学校が一番」って、いいたいんでしょうか？</p><p>どこに居ようと、学びの場に、そこで完結してしまっていい</p><p>場所、完全な場所なんて、無いです。</p><br><p>　　　学校に通わないいろんな子どもたちの悩みのなかには、</p><p>「学校に通っていないことでうける、少数派になってしまった、</p><p>という寂しい気持ちもある。</p><p>「学校が一番」とでもいいたげな大人の言い分には、</p><p>「学校に来ない子どもが悪い。」という、短絡的な、</p><p>弱者イジメのようなものを感じます。</p><br><p>　　　どんな場所でも、学びの場になりうる。</p><p>けれども、情緒が安定しない場所では、子どもはよく学べない。</p><br><p>　　　学校に行っていない子どもが安定するためには、</p><p>学校と、それをあがめている大人たちの価値観を</p><p>相対化する必要があるんです。</p><br><p>　　学校で安定している子はいいんです。</p><p>学校の影があるところでは、安らげない子がいるんです。</p><p>だから、大人がやたらと学校をゆがんだ方法で礼賛しているようでは、</p><p>いかがなんでしょうか、と思います。</p><br><br><p>　　そういう見方をしていないと、自分の子どもが、</p><p>心配になってしかたがないのでしょうか・・・。</p><p>そういう見方をしないと、学校が怖くてしかたが</p><p>なくなるんでしょうか・・・・。</p><br><p>　　　ほかのどんな教育方法をけなしてみたところで、</p><p>学校をどんなにあがめてみたところで、</p><p>学校という制度が絶対ではないという、事実。</p><p>これは、かわらないんですよ・・・・。</p><br><p>　　　学校の悪いところばかり目立ちますが、</p><p>どんなにいい先生がほかの学校にいようと、</p><p>いろんな事件は本当に起きたことだし、</p><p>そういう制度を野放しにしている以上、</p><p>将来、起きる可能性の減らないことなんです。</p><p>そこから目をそらしても、仕方のないことなんです・・・。</p><br><p>　　　少数派の人たちを、多数派が、</p><p>こきおろしたところで、なにも生産されないんですよ・・・。</p><p>学校からすれば、そういう大人は、利用しやすい、理解者では</p><p>あるだろうとは思いますが・・・・・。</p><br><br><p>　　　学校に通っていようと、いまいと、</p><p>子どもたちは頑張っています。</p><p>それは、「あたりまえ」なことなんかじゃ、ないと思います。</p><br><p>　　　学校は、楽しくてあたりまえ、なんかじゃないです。</p><p>無事卒業して、あたりまえ、なんかじゃないです。</p><p>危ういバランスの上に成り立っていて、いつ</p><p>壊れてもおかしくない性質のものなんだと思います。</p><p>やすい税金で、学校が居場所になっていれば、</p><p>ありがたいことなんだということが、実感できないんでしょうね・・・。</p><br><p>　　　私の実感では、校長や教頭と、</p><p>実際に会話をしたことの無い親は、学校を</p><p>好きでいられるようです。</p><p>私も、できれば、学校を好きになりたかったんです・・・・。</p><p>だって、そのほうが、ラクですよ。</p><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ikuji1341/entry-10048355886.html</link>
<pubDate>Mon, 24 Sep 2007 08:06:44 +0900</pubDate>
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<title>ボクには、得意なものが何も無いんだ（泣）・・・</title>
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<![CDATA[ <p>　　　学校が、子どもの居場所になっているのなら、</p><p>学校に行き続けることも苦痛ではないかもしれない。</p><br><p>　　　だが、目の前の子どもは、運動会を境にどうなるか、</p><p>わからないけれども、運動会の練習も、勉強もイヤになってしまっていて、</p><p>友達ともうまくいかないと訴え（どこまでか、様子を見に</p><p>いけていないのが、残念）とうとう、</p><p>学校を前にして、通学途中で涙がポロリ。</p><br><p>　　　ポロリ、ポロリ・・・。</p><br><p>　　お姑さんや、夫は、</p><p>「子どもは、子どものなかに放り込んでおけば、</p><p>勝手に育つ」といっていた。</p><br><p>　　　　ほんとうですか。</p><p>じゃあ、子どものこの涙は、なんですか。</p><br><p>　　　校長先生が、担任の先生を迎えに</p><p>よこしてくれて、子どもはようやく駆けていった・・・・。</p><br><br><br><br><p>　　　<font color="#00ffff">「</font><font color="#00ffff"><font color="#000000"><font color="#00ffff">ボク</font><font color="#00ffff">には</font>、得意<font color="#00ffff">なものが</font>何も無</font><font color="#00ffff">いんだ</font>」</font></p><p>そんなことないよ。工作が大好きで、奇抜なアイディアで</p><p>ママをたくさん喜ばしてくれてるよ。</p><br><br><br><p>　　　学校で、他の子と比べられてばかりいて、</p><p>悲しくなっちゃったんだよね。</p><p>長い間、つまんない教室で座らされて、</p><p>苦しくなっちゃったんだよね。</p><br><p>　　　誰かと比べて、できないと、</p><p>居場所にならないような学校なら、</p><p>テキトーにすればいいよ。</p><p>まじめだから、どこで手をぬいていいか、</p><p>わかんないんだよね。</p><br><p>　　　あなたがゆったりできるように、</p><p>先生と、あなたと、私と、話し合って、</p><p>どんな学校とのつきあいかたがいいか、</p><p>一緒に考えようね。</p><br><br><p>　　　　政治家と、官僚と、お役人の方々。</p><p>子どもは、ゆとりを失えば、伸びるんですか。</p><p>伸びるためのゆとりは、必要なんじゃないですか。</p><br><p>　　　</p><br><br><br><br><p>　　　　あなたが泣けちゃうくらいなら、</p><p>ママは本当は、学校になんか、</p><p>行かせたくないんだよ・・・・・・・・・・・・・・。</p><br><p>　　　小学１年生で、もう、こんなに子どもが</p><p>思いつめてしまう学校、って、一体なんですか？</p><p>先生が良くても、子どもが悪くなくても、</p><p>行きたくなくなる学校、って、なんですか？</p><p>　　</p><p>　　　なんぼのもんですか？</p><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ikuji1341/entry-10047739035.html</link>
<pubDate>Wed, 19 Sep 2007 09:30:30 +0900</pubDate>
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<title>ストレスが子どもを成長させる？</title>
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<![CDATA[ <p>　　　「ストレスが子どもを成長させるんだからさ」っていう人がいました。</p><br><p>　　　ストレスだけが子どもを育てるのなら、「捨て育ち」は、</p><p>まさにピッタリの理想の子育てですね。</p><br><p>　　　家があっても、衣食住が足りていても、</p><p>無視されるようにして、育てられる。</p><p>子どもの身に起きたことはすべて「自分（子ども）のせい」にされる。</p><p>子どものうちから、すべてを自己責任にされる。</p><br><p>　　　そうすると、「成長するから」というのが、</p><p>親の言い分です。</p><br><p>　　　　ストレスにさらし続けることが、子どもを成長</p><p>させるのだとしたら、育児放棄も、成長の糧になります。</p><p>そんなばかな。</p><br><br><br><p>　　　たしかに、親がいなくても、立派な成人になっています。</p><br><p>　　　では、もし最初に「親がいる・いない」を子どもが</p><p>選べるとしたら、成人した親のいなかった子どもたちは、もう一度</p><p>同じ人生を選ぶでしょうか？そうまでしても、</p><p>成長を手に入れたいと願うでしょうか？　　　</p><br><p>　　　親のいない子どもたちは、だれもが、</p><p>情緒の安定した幸せな大人に、育っていますか？</p><p>　　　</p><p>　　　親がいても、捨て育ちなどされて育った多くの子どもが、</p><p>夜の街を居場所を求めてさまよっている、というのが、</p><p>「夜回り先生」の教訓じゃないんですか？</p><br><br><p>　　　ストレス（だけ）が子どもを育てるのではないですよね？</p><br><br><br><p>　　　　　　</p><p>　　　　</p><br><p>　</p><p>　　</p><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ikuji1341/entry-10046086609.html</link>
<pubDate>Thu, 06 Sep 2007 09:30:02 +0900</pubDate>
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<title>目立つところで、何かと戦うことだけが、前向きだろうか？</title>
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<![CDATA[ <p>　　　盲導犬の学習会というのに参加しました。</p><p>夏のアスファルトは、犬の肉球によくないから、</p><p>おそらく車を使ってこられたのではないかと。</p><p>こういうところに来て、普段目の見えない・見えづらい</p><p>世界で不自由されている人の話をあらためて聞く機会が</p><p>できたが、そのときには聞けないでいる質問もありました。</p><br><p>　　　○○さんは、母親になって、</p><p>盲導犬を連れて子どもの学校の行事に参加されるから、</p><p>毎年、盲導犬を連れて行動することへの</p><p>周囲への説明などに煩わされているのではないかと、</p><p>考えました。けれども、なぜか聞けませんでした。</p><br><p>　　あらためて、主催者の方（○○さんじゃありません）に会って、そのことに</p><p>触れてみました。すると、やはり</p><p>「どうして○○さんだけが、障害があるからと、やさしくされるのか」</p><p>というような電話も、もらうようです。</p><br><p>　　　おそらく、自分は優しくしてもらったこともなければ、</p><p>甘えることもできないでいる人の電話だとおもうけれども。</p><br><p>　　　主催の人は、</p><p>「○○さんは、そういうこともひっくるめて、</p><p>自分で選んだことだから、と腹をくくっている」のだといいます。</p><p>そして、盲導犬や、視覚に不自由を感じる人への</p><p>配慮・理解を広める。それをとおして、</p><br><p>　　　</p><p>　　　　　　　　　　　　　だから、「みんな」も「前向き」に「がんばって」</p><br><p>　　　そんなメッセージを送りたい、ということが、</p><p>主催者の側にもあるように感じました。</p><br><br><p>　　　私の感じたことはしかし、</p><p>その主催者の意図とは少し違っていました。</p><br><br><br><br><br><br><p>　　　○○さんは、そういう道をえらんだ。それは、</p><p>大変だけれども、やりがいを本人が感じているんだろうし、</p><p>前向きに生きているのも、すばらしいともおもう。</p><p>　　　けれども、だから、全ての盲人が、</p><p>○○さんのようになれ、ということを考えてはいないとも</p><p>思います。</p><br><p>　　　以前、TVに出演していた、オトタケさんが質問に</p><p>答えました。</p><p>Q・「どうしたら、オトタケさんみたいに、前向きに生きられますか？」</p><p>A・「前向きに生きるのもいいんだけれども、</p><p>後ろ向きに生きてもいいんじゃないかと思っています。」</p><br><p>　　　</p><p>　　　そう。生き方に、前向きと、後ろ向きの、二つのベクトルしか</p><p>存在しないなんてことが、あるでしょうか？</p><p>それは、性格を「明るい・暗い」に二分しようとした、</p><p>バブル期か、昭和の発想（私は昭和生まれですが）にも</p><p>似ているように感じます。</p><br><p>　　　前向きか、後ろ向きか。</p><p>そういうことを本人不在で周囲が決め付けてしまうこと。</p><p>そういうことを私はなるべくすまい、と自分に戒め。</p><br><p>　　　目立つ形で、なにかと戦っている。</p><p>それは、それですばらしい。けれども、</p><p>公衆の面前に、がんばっている姿が見えにくくても、</p><p>公衆との対話を避けることを選んだとしても、</p><p>その人になんの責任があろうか。</p><p>周囲が納得いかなくても、日常を淡々と誠実に、</p><p>本人なりに生き続け、生き残っている。</p><p>そういう人々をも、賞賛したいと思う。</p><br><p>　　　世の中は、←や→だけじゃない。</p><p>↑や↓もあれば、いろんな軸や、座標がある。</p><p>それを誰が、何を中止に、前向きや、後ろ向きと決めるのか。</p><p>そういうことや生き方を周囲が勝手に評価してしまうことのほうが、</p><p>失礼なんじゃなかろうか。</p><br><br><br><br><br><br><p>　　　公衆に対して説明することや、</p><p>公衆と向かい合って、リスクを負うことや、戦うことばかりを</p><p>前向きと考えなくてもいいのではないか。</p><p>目立たなくても、日々、淡々と誠実に生きること。</p><p>考え方を生き方として、実践してみせること。</p><p>それだけで、すばらしいのではないでしょうか。</p><br><br><p>　　①目立って、</p><p>②何かと戦わなければ（そういう形でがんばらなければ）、後ろ向きですか？</p><p>そんなことないと思いますよ。</p><p>　　　</p><p>　　　いつ、どこで、どんながんばりかたをするか。</p><p>がんばる方法を周囲が決めてしまうこと。</p><p>それも、当事者からすれば、余計なお世話かもしれませんよね。</p><br><br><br><br><br><p>　　　　　　　　　「背中で語る」んだって、いいじゃないですか。　　　　</p><br><p>　　　</p><br><p>　　　</p>
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<link>https://ameblo.jp/ikuji1341/entry-10046085126.html</link>
<pubDate>Thu, 06 Sep 2007 08:13:54 +0900</pubDate>
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<title>予算へのクレームは、当事者ではなく、関係部署へ</title>
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<![CDATA[ <p>　　　特殊教育の世界では、親に</p><p>「親御さんも、学校にモノ（予算的なことも）を申してゆきましょう」という</p><p>先生が結構いるように感じる。きっと、いい人なんだとおもう。</p><br><p>　　　なぜか、フツウの健常児の通うような（？）学校には、そういう話を</p><p>してくれる先生って、いないような・・・・。</p><br><p>　　　教員の数を増やすという記事を見かけたから、</p><p>ふーん、ぐらいにおもっていたけれども、</p><p>基本的に少人数学級を実現する方向とは違うような</p><p>ことを小耳にはさんだ。</p><br><p>　　　中間管理職をまた増やすとか、</p><p>特殊教育の世界で人員を増やすとか、</p><p>そういうことのようらしい。</p><br><p>　　　</p><p>　　　学校とは合わない子どもたちにも</p><p>学習を支援していこうという団体が、居場所と</p><p>サービスを提供していくときに、</p><p>教育委員会などから、予算を申請すれば、</p><p>もらえることがある。</p><p>　　　それに対して、</p><p>「どうしてこういう子どもたちに、</p><p>予算をまわすのか」という苦情をわざわざ</p><p>伝えてに来る大人がいるという。</p><br><p>　　　その人はきっと、こういうことは考えていないと思う。</p><p><font color="#0000ff">フツウに教育を受ける子<font color="#0000ff">どもたちの、</font></font></p><p><font color="#0000ff"><font color="#0000ff">直接うける</font></font><font color="#0000ff">サービスの予算だけが、</font></p><p><font color="#0000ff">増やされていない</font><font color="#000000">んじゃないか、ということを。</font></p><br><p>　　　不登校とか、そういうこどもたちだけに</p><p>予算が割かれているのではないのだということです。</p><p>エリートと目される子どもたちだけが、</p><p>集められ、特別な教育を受けている場合も</p><p>あることを。それも、結構な予算をかけて。</p><br><p>　　　フツウの教育を受けている子どもたち。</p><p>そういうところの親は、あまり予算を増やせとか、言わない。</p><p>そういうことは、特別な子どもを持つ親とか、</p><p>モンスターペアレンツがすることだと思って、</p><p>あるいは思わせられているのかもしれない。</p><br><p>　　　私の考えでは、予算がなければ、無いでいい。</p><p>親が子どもの様子を学校に見に来たとき、</p><p>何か起きたときには、隠し事なんかしないでください。</p><p>自分（先生や学校）を身の丈以上に見せようと、</p><p>必要以上の去勢をはったり、</p><p>子どもを人質に親を脅したりしないでください。</p><br><p>　　　脅しや、公務員の世界でだけ通じる営業トークでは、</p><p>親の本気は、ごまかされたり、しないんです。</p><br><p>　　　だって、私たち親も学校で育ったんですよ。</p><p>学校の汚い部分は、昔当事者だった親なんですから、</p><p>十分知っているんです。教育は、</p><p>子どもを脅して育てることだと思っている先生・学校の</p><p>なんと多かったことか・・・。今は、・・・・減ったんでしょうか？</p><br><p>　　　</p><p>　　　それから。いろんな意味で特別と分類された子どもに、</p><p>予算が割かれるのが面白くなくても。</p><p>予算のことで云々するのを、</p><p>当事者に言うのは、スジ違いです。</p><p>しかるべき部署があるはずとおもうので、</p><p>そういう部署にクレームしたらいかがかと思います。</p><p>そのうえで、「フツウ教育にもっと予算を」と</p><p>訴えられたらよいのではないかともおもいます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ikuji1341/entry-10045585720.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Sep 2007 07:34:15 +0900</pubDate>
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<title>「特別支援」→「その子の支援」、「過保護」≠「モンスターペアレンツ」？</title>
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<![CDATA[ <p>　　　先生が、「一人だけ、特別扱いはできません」という。</p><p>まあ、いいでしょう。</p><br><p>　　　でも、「この子」はその家庭にとって、一人しかいない。だから、</p><p>親がその子に自分たちでできると思うことを、</p><p>他に迷惑がかからないように配慮したうえですることを、</p><p>せめてジャマしないでおいて欲しいとは、思う。</p><br><p>　　　学校のいいなりになっていて、</p><p>全てが解決するなら、親にとって、</p><p>そんなラクなことはないです。</p><br><p>　　　特別な支援が必要な子どもの親だけが、</p><p>学校に呼びつけられていいわけもないと思う。</p><p>「特別な支援」は「特別な子」だけに必要だとは思わない。</p><p>その子には、その子の支援が必要だと思うから、</p><p>どんな支援が必要か、まず親が知り、</p><p>学校でできなければ、親ができることをする。</p><p>　　　本当に必要のない支援であれば、</p><p>自分を知っている子なら、自分で親にそう伝えるし、</p><p>大丈夫なら、大丈夫なところを見せてくれる。</p><p>必要であれば、必要だともいうし。</p><p>それでもわからなければ、親が実際に様子を見てみれば済むこと。</p><p>　　　それだけのこと。</p><br><br><br><br><br><br><p>　　　ところで。おそらく今までは「過保護」と呼ばれていた親に。</p><p>これからは、「モンスターペアレンツ」と呼ぶらしい。</p><p>「過保護」よりも、長くて、呼びづらい。</p><p>わざわざ呼称を長くするほどの理由があるのか、</p><p>よく分からない。</p><br><p>　　　昔、「おじさん改造講座」とか言う、</p><p>OLが上司をおちょくった本というか、</p><p>ことばがあった気がする。</p><p>それに対抗してか、その後お粗末なマンガででてきたのが、</p><p>「アホバカOL」だった。それに匹敵する感性。</p><p>きっと、まじめで素直な人が考えたんだと思う。</p><br><p>　　　いずれにしても、わざわざ</p><p>TV番組や新聞でとりあげるほどのことのようには、</p><p>思えない情報が今のところ多いのですが・・・。</p><p>コトバが目新しければ、TVはとりあえずなんにでも</p><p>喰いついてみるんだろうか・・・。</p><p>　　　これは、教育じゃなくて、メディアの問題なのかも・・・。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ikuji1341/entry-10044033152.html</link>
<pubDate>Mon, 20 Aug 2007 12:12:57 +0900</pubDate>
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<title>よくも、わるくも１９９９年と同じ</title>
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<![CDATA[ <p>　　　不登校が増えている、そうです。</p><br><p>　　　２００１年に出版された本がここに、あります。</p><p>そこにある、文部省の１９９９年に発表した</p><p>不登校についての記事では、</p><p>「学校にムリに行かなくてもよいと考える親が増えたこと」を</p><p>原因としてあげているという。</p><p>（そして、不登校の数は、少子化にかかわらず、</p><p>そこからさらに過去７年間で倍増なのだと。）</p><br><p>　　　増え方はともかく、</p><p>今年（２００７）の発表となんら変わらない内容です。</p><br><p>　　　不登校が増えて、いいかわるいか。</p><br><p>　　　学校に何か問題があって、親子が傷ついているままの状態で数字が増加しているなら、</p><p>不登校は、学校にとっても、問題ですね。</p><p>　　　これは、ひきつぎなしで進む現在の学校の人事システムや、</p><p>小手先のマニュアル的対応をして、</p><p>長い学校不信を招いているのかもしれない。</p><p>学校に来ないから、特殊支援学校へ、という対応も、</p><p>学校が差別と不信感を生産していることになりますね。</p><p>　　　</p><p>　　　不登校でも、当事者が楽しくやっているなら、</p><p>おそらくほとんど問題ない気がしますが・・・。</p><p>そういう状態を学校が容認してくれていて、</p><p>信頼関係ができたうえで、</p><p>数字の増加になっているのなら、それはわりと結構なことだと思う。</p><br><p>　　　この手の統計で毎年、面白いな、と思うこと。</p><br><p>１・学校の立場でだけ、統計を出している。</p><p>２・親や子どもに、アンケートをとったりしていないこと。</p><p>３・「毎日通学すること」以外に、</p><p>　　「どの程度、学校の（学校以外の）何を利用しているか、」などという</p><p>　　グレーゾーンなどを問うような記事が無いこと。　　</p><p>　　白か黒か、という二択になっている。</p><p>　　</p><br><p>３なんかについては、ほんとうは、</p><p>学校の関係者は、不登校を知ろう、なんていう気も無くて、</p><p>不登校を問題視しているもっと偉い・怖い人が数字がいて、</p><p>不登校が増えるとうるさいから、なんとか責任逃れできる書類を作ろうと</p><p>思って作成した感じ？</p><p>あるいは、記事を載せる段階で、わざとどこかを</p><p>削除・編集した？</p><p>学校には、「毎日通う」以外の選択肢は無いんだと</p><p>思わせるため？</p><br><p>　　　不登校に対して、きめ細かくサービスされる一方、</p><p>きめ細かく、監視されるのも、どうかという気はするけど・・・。</p><p>この程度の内容で済んでよかったって思うべき？</p><br><br><p>　　　</p><br><br><p>　　</p><br><br><br><p>　　　</p><p>　　　</p>
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<link>https://ameblo.jp/ikuji1341/entry-10044029521.html</link>
<pubDate>Mon, 20 Aug 2007 10:53:43 +0900</pubDate>
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<title>通学してても、学校以外の居場所は必要</title>
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<![CDATA[ <p>　　　放課後の校舎を利用して、子どもの居場所にしよう、という</p><p>動きが以前からあって、「ふ～ん」という気持ちで眺めていました。</p><br><p>　　　「子どもは学校から出るな」というのではないだろうけれども。</p><br><p>　　　放課後の学校を居場所にできるかどうか、っていうのは、</p><p>ふだん学校を居場所にできていない子どもにとっては、</p><p>うっかりすると、親からそこを強制されてしまえば、</p><p>放課後すら自由にならないということになりかねないですね。</p><p>身の置き所が無いところに、一日中、いなければならなくなったら、</p><p>大人でも苦しいですね。</p><br><p>　　　「少子化」を理由に、子どもの居場所を作る必要は、</p><p>我が家では、感じない。</p><br><p>　　　でも、学校では身の置き所の無い子どもや、</p><p>学校以外にも十分居場所の確保できていない子どものために、</p><p>学校ではない場所に、居場所が必要だと思う。</p><p>　　　それを学童に求める人もいるけれども、</p><p>学童は、あたりまえだけど、学校の子ども中心だから。</p><p>学校で居場所の無い子どもに、学童が居場所になりえるか。</p><p>むつかしい部分があると思う。</p><br><p>　　　学校以外の場所の子どもの居場所が、何で必要か。</p><p>学校以外に居場所の無い子ども、というのも私から眺めると、</p><p>かなり危うい状況ではあると思う。</p><p>が、大人は、これを知ってか知らずしてか、</p><p>大体無視、あるいは無知している（？）。</p><br><p>　　　学校以外の居場所がないから、</p><p>学校ではいじめが発生しやすくなっている、ということはないだろうか。</p><p>人間関係が固定化しているから、</p><p>いじめられ役は、ずっと、いじめられっぱなし。</p><p>安定しすぎた人間関係が継続しているから、</p><p>刺激を求めて、いじめを始めていやしないか。</p><p>刺激を求めて、いじめがエスカレートしていやしないか。</p><br><p>　　　学校に通っているから、それでよし。なんて思えない。思ってない。</p><p>学校しか居場所がない。</p><p>学校にも居場所がない。</p><p>それでは、居場所は足りていないということ。</p><br><p>　　　居場所作り。</p><p>それは、安心して、学校とは違う空間で、違う人間関係の中で、</p><p>違う価値観の中で、いろんな自分を発見して、</p><p>いろんな他人の違う面を発見して。</p><br><p>　　　そうやって、学校にいる自分だけを絶対視しないで済むこと。</p><p>学校の価値観だけを絶対視しないで済むこと。</p><p>力の抜き加減、力の入れ加減を学ぶこと。</p><p>いろんな視かたができること。</p><p>それができなくて、なんで学習を効率化なんか、できるだろう。</p><p>それがなくて、なんで、情緒が安定するだろう。</p><p>情緒が安定しなければ、学習の効率は、下がります。</p><br><br><br><p>　　　学校は、無理難題を押し付けられて、</p><p>一日中子どもを押し付けられて、</p><p>それにまた自分でも応えようとしてしまうあたり、</p><p>神経症的というか。理想が高いというか。</p><p>学校でできること・できないこと。</p><p>はっきりさせたほうが、お互いの信頼のため。</p><br><p>　　子どもの幸せよりも、　定年後の仕事に執着するあたり、</p><p>志が低いというか、プライド無いというか。</p><p>自分でも、自分に自信が無いのかな？</p><br><p>　　　全てに自信を持つ必要は無いから。</p><p>先生も学校も、得意分野だけで、</p><p>リーダーシップを発揮してくれれば、</p><p>私はそれで、満足です。</p><br><p>　　　　子どもが学校に通っていても、いなくても、</p><p>居場所を複数確保すること。私の課題です。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ikuji1341/entry-10043306652.html</link>
<pubDate>Tue, 14 Aug 2007 09:17:21 +0900</pubDate>
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<title>みんな対一人in教室</title>
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<![CDATA[ <p>　　　NHKの番組で、障害があって、ほぼ寝たきりで、</p><p>表現もパソコンを使わなければままならないような女の子が、</p><p>フツウの学校のフツウのクラスで、個別支援を受けながら、</p><p>すごす話だった。</p><br><p>　　　号令をかける仕事をその子もやろうということで、</p><p>クラスが動き出した。けれども、</p><p>その子は途中でやる気がなえてしまった様子。</p><p>　　　そこへ、先生は「みんなやってるのに○○ちゃんだけやらない」</p><p>ということで、「クラスのみんなから、○○ちゃんに手紙が来てるよ」</p><p>といいながら、その手紙を読み上げた。</p><br><p>　　　けれども、女の子は、なかなか気持ちがもどらない。</p><br><br><br><p>　　　このシーン。私は、「学校って、こういうことするからなぁ」</p><p>という気持ちがぬぐえなかった。</p><p>わかりづらいかもしれないけれども。</p><p>このクラスメイトの手紙のなかには、</p><p>「あなたの（女の子の）気持ちが分かりません」とか、</p><p>「やるでもやらないでもいいから、はっきりして欲しい」とか、</p><p>「何でみんながやるのに、やらないんだ」とか、</p><p>子どもの手紙ですから、結構キツイのもはいっています。</p><br><p>　　　その手紙を読ませることで、</p><p>先生は、その女の子に対して、</p><p>「みんな対一人」という構図になってしまっていることに、</p><p>気づいていない様子なのがもどかしい。</p><br><p>　　　YESかNOかを、今、いいなさい。</p><br><p>　　　そんなことじゃないような、微妙な表現を</p><p>寝たきりの子どもが、どうやったらできるだろうか。</p><p>また、「先生のそのやり方が、やだ」とか、</p><p>そういう問題かもしれないし、</p><p>そういうことを子どもが表現できればいいけれども、</p><p>後になって自分の気持ちに気づくことだって、</p><p>よくあることだし。それを、どうしても、</p><p>今、表現できない、ということで悪者扱いされてしまう。</p><br><p>　　　「表現できないのは、子どもが悪い」</p><br><p>　　　そういうプレッシャーというか、</p><p>大人の責任放棄と思えるものに、学校では</p><p>たくさん出会う。それができなければ、ヨソへ行け、と。</p><br><p>　　　唯一私が救いだったのは、</p><p>ソレに対して、女の子のお母さんが、</p><p>子どもの気持ちに寄り添った回答を</p><p>先生に伝えていることだった（えらい！）。</p><br><p>　　　私も先生の気持ちは分かる。</p><p>分かるだけに、思う。</p><p>学校に、もっとたくさんの、いろんな立場の、</p><p>直接子どもや学校と利害関係のないような、</p><p>そういう大人や子どもがいたら、と。</p><br><p>　　学校に限らず。大人と子どもに必要なのは、気持ちを切り替えたり、</p><p>表現できるチャンスをもっと与えることだったり、</p><p>時間だったり。他の選択肢だったり。</p><p>そういう余裕と多様性。</p><br><p>　　　余裕の無いこの番組の展開に、</p><p>いじめに発展しかねない微妙なものを感じた。</p><p>あの子はその後、どうなったかな・・・。</p><br><p>　　　</p><br><br><p>　　　</p>
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<link>https://ameblo.jp/ikuji1341/entry-10042594508.html</link>
<pubDate>Wed, 08 Aug 2007 07:36:37 +0900</pubDate>
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<title>民生委員に勉強してもらいたいこと</title>
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<![CDATA[ <p>　　　民生委員というのは、ほとんどがボランティアだしで、</p><p>なり手がなくて困っているとききます。</p><p>たしかに、守秘義務はあるし、まじめなひとほどストレスになり、</p><p>つらい仕事だと思います。</p><br><p>　　　けれども、不登校している家庭で、</p><p>お子さんを守っているシェルターとして、</p><p>家庭としてしっかり機能している家庭を、</p><p>不登校しているからというだけで虐待の疑いを</p><p>安易にかけるのは、あまり関心できたことではないと思います。</p><br><p>　　　たとえば、就学時健診などに現れなかったからと、</p><p>家庭訪問されるのは、かまいません。</p><p>けれども、そのお子さんやご家族が、これまで</p><p>幼稚園や保育園でどのような苦しい状況であったか、</p><p>理解していない段階で、</p><p>学校に行く・行かないという形式上のことだけを</p><p>ことさらにあげつらって大騒ぎしてみせても、</p><p>その家庭は、こころを開かないでしょう。</p><br><p>　　　むしろ、幼稚園や保育園で、そのお子さんに</p><p>障害があったり、職員に虐待されたりして、お子さんも、ご家族も、</p><p>大変悲しい思いをしたうえでの現状であれば、</p><p>それまで苦しい状況を家族で耐えてこられたということの反面、</p><p>民生委員さんがそのことを知らなかったということで、</p><p>むしろそちらのほうが問題ではないかと感じます。</p><br><p>　　　子どもが地域の保育園や幼稚園で、職員によって虐待やいじめを</p><p>うけていたのに、全くきづかず、就学児健診にあらわれないといって、</p><p>数字になって分かった段階で</p><p>行かせろ、行かせろと大騒ぎする姿をみせても、</p><p>むしろその家族からすれば、「何をいまさら」という</p><p>気持ちで眺められてしまうでしょう。</p><br><p>　　　ボランティアですから、勉強する、しないは</p><p>民生委員さんの勝手ではありますが、</p><p>有名フリースクールの名前もしらない、</p><p>自分の地域にたくさんの通信制の学校があることも知らない、</p><p>「就学の義務」を「通学の義務」だと勘違いしている。</p><p>学校だけが子どもの居場所だと思っている方が</p><p>民生委員を続けていらっしゃる、続けてもらわざるを得ない。</p><p>むしろ、苦しい状況にあるその家庭、そのお子さんを、</p><p>民生委員が安易に虐待の嫌疑をかければ、</p><p>一生うらまれることまちがいありません。</p><br><p>　　　何も気づかなかった、何も知らなかったでは、</p><p>済まされないでしょう。</p><br><p>　　　地域に根付いて暮らしていらっしゃる民生委員さんであれば、</p><p>これからもそこで生活されるつもりでいらっしゃることでしょうから、</p><p>なおさら、慎重に慎重を重ねてもらいたいと思います。</p><br><p>　　　その一方で、そういう荷の重い仕事を、</p><p>ムリにひきうけず、専門家と常につながっていたり、</p><p>相手のほうがよく知っているようであれば、</p><p>素人考えで安易な発言をひかえ、</p><p>謙虚な気持ちで教えてもらうこと。</p><p>それが、賢者の態度ではないでしょうか。</p><br><p>　　　　　</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/ikuji1341/entry-10041658789.html</link>
<pubDate>Tue, 31 Jul 2007 09:21:27 +0900</pubDate>
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