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<title>イニスフリーの湖島</title>
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<description>果たして目に見えない世界というのは存在するのでしょうか。</description>
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<title>見えない世界へひらく「窓」</title>
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<![CDATA[ <p>これまでにないくらい元気。</p><br><p>先生のところに駆け込んで、辛い状態を解決してもらってから、ものすごい活動量をこなしている。よく自分がばらばらにならないと思うくらいハード。しかも、仕事だけでなくプライベートでも。</p><br><p>活動量として過去にもこの程度はあったと思うけど、精神的に磨耗していない。すごい。私、元気になった。それだけでなく、人と会っている時に、ふっと力を抜けるときがある。それも新鮮な驚き。</p><br><p>たくさん人に会い、移動をしても、精神が高ぶりすぎて死にそうにならない。自分の頭の働きをちゃんと感じられる。どうしてなんだろう。不思議。</p><br><br><p>さて、前回のブログを読み返しながら、ふと、霊的世界が「ある」として、それが「見える」かどうかが、霊的世界観の受容のために重要なことだろうか？と思った。つまり、見えたり、感じたりする人、それ以外の人は「ねえ、アタシにも憑いてる？」と聞くレベルに留まるしかないのか、という疑問。</p><br><p>「見える人」が霊的世界に窓を開くから、その世界がある訳ではなかろう。ということは大多数には「見えない」のが当たり前。そもそも、それは「目で見ることは叶わない」世界なのだ。それでなぜいけない？</p><br><p>私はブログの最初に「踏み絵を踏んだ」と書いた。でも、霊的世界の存在についてはどこかでとっくに肯定していたはず。であれば・・・多分その肯定した存在を道具にこの世界の事象を測ること、それが私にとっての「踏み絵」だったのではないか。</p><br><p>ある人のことを、「憑いていそうで怖い」と判断すること。それは自分の調子の悪さを霊的な影響で納得するのとは事情が異なる。それこそが、1つの踏み絵なのかもしれない。この踏み絵は簡単に踏んでいいものではなさそうだ。</p><br><p>元気になって、自分の周りが静かになって、少し怖いと思うことがある。とても元気で、どこまででも自分の力を伸ばしていきたい気持ちになる時には特にそう思う。私は、危ないほうに近寄りたがる性質だ。憑かれたりして、抑制が働かなかったら、エネルギーをもてあまして、傍若無人に人を傷つけたりして我儘し放題の人だったかもしれないし、家出とか、冒険に出かけて命を落としたり、そういうこと、したかもしれない。</p><br><p>私が以前、「なぜ、私には憑くのだろう？」という質問をしたとき、先生は「憑かれやすい体質だから」とか「家系的に」とか、そういう説明を先生はしなかった。</p><br><p>うる覚えだけど、私にとって意味のあるブレーキのようなものだ、という内容だった。もし、私が若い頃に霊的な干渉をうけずに自分の力のままに振舞っていたら、短く散っていた、そんなイメージの回答だったと思う。</p><br><p>このところ元気になって、その事を思い出す。現実世界に多くの気力を割くことができるようになって、色んな事が変わった。仕事で少しづつでも成長していると感じることができるし、自分が世界とは異質なものだという感覚が減って、社会に適応していける気がする。（これは身体と精神の乖離がなくなったから？）</p><br><p>話がそれたけど、元気になって、頻繁に憑かれていた時期のこの世ならぬ感覚は薄れてきた。それはネガティブでも慣れ親しんだ感覚が無くなってしまうのだから、ちょっとした感傷を伴う。だから、私には「憑かれる状態」はわかるけれど見えたり、憑いたものを離す力はない、というちょっとした疎外感（？）を感じたりする。</p><br><p>だからこそ、自分の状態を霊的に推測するだけでなく、他人との関係も霊的な推測を当てはめてみたりする。けれど、やっぱり霊的世界は「見えないのが普通」なわけだし、そもそも、自分には自分の中にその世界への「窓」があるはずだ。</p><br><p>私は、先生に何かデカイのを外してもらったときに、戻ってきた人を感じた。それは、私の半身だと思っている。このところ、私はその半身と手をつなぐ。見えないけれど、見えるように、心に思い描くよりも鮮明に、私は誰かと手をつなぐ。（まさに同行二人だ。）この存在こそが、個人が持つ「窓」なのかもしれない。だとすれば、「見えない」ことは、私にとって、霊的世界を受容する妨げにはならない。「見える」人が側にいることは心強いけれど、その人たちだけが窓になるわけではない。</p><br><p>私は、できるだけ誠実に、自分のなかの「窓」から感じる感覚を大事にしたい。現実世界のルールに沿いつつ、自分が感知したことを確かめ、感応していきたい。誰かから感じた悲しみを共感してあげたい。そして、ここが大事だと思うけれど「喜び」を共感することは多分すごく大事だ。悲しみに共感することは、別の何かを引き入れることにつながるから。</p><br><p>見えることに頼ってはいけない。けれど、自分の半身（とりあえず「自分」なので、別に未来をささやいたりはしない。けれど、誰よりも濃いつながりのものだ）と向かい合いつつ感じた世界を、他の人とのコミュニケーションに当てはめてみたい。元気になった今、私がしたいことはそれだ。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/innisfree/entry-10141670194.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Sep 2008 19:22:16 +0900</pubDate>
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<title>良くない日。</title>
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<![CDATA[ <p>急激に、ものすごく辛くなってしまった。また眠れなくなったのでブログでも。</p><br><p>何かあったときに、人のせいにするかどうか。踏み絵がまた目の前にある。この2日ほど考えて、とりあえず踏んでみることにした。違っていたら反省しよう。</p><br><p>めったに昼食を一緒にしない人に誘われた。1対1で食事するのは初めてじゃないか？くらいの相手だ。食べている途中に、「あ。いやだな。」と思った。そして、ものすごく、かなりいやになった。「こっちにこないで欲しいな。」と必死に念じながら食事を終えたのだが、そこからおかしくなった。</p><br><p>肩が痛い。肩甲骨の裏あたりがしびれている。胃の調子が悪くなって、集中できなくなった。なんというか、とにかく落ち着かない。精神的に目が回る感じがする。首と肩はパンパンに張ってしまった。身体が重い。必死で我慢したけれど、その場所に居ることが耐えられなくなって早退した。</p><br><p>夕方美容院の予約をしていたので、しばらく違う場所で落ち着いてから行ったところ、今度は心臓が突然いやな動悸を始めた。美容師さんの些細なことにイライラして、何もかもが気にくわなくなってしまう。凶暴な「怒り」が私の中に巣食ってしまったようだ。</p><br><p>結局、出来上がった髪型が気に入らない、そのことにものすごく凶暴な怒りが湧いてくる。電車が来る音に爆発しそうになる。身体の中の怒りでめまいがしてくる。とにかく辛い。自分の中に湧いてくる何者かを抑えていることで一杯一杯になる。怒りと、多分悲しい気持ち。</p><br><p>久しぶりに、こんな状態になって、本当に辛い。週末、入れていた予定をこなすことはできたけれど、辛い。人と会っていても、不安で、痛くて、気分が重い。左足の関節が痛い。肩は相変わらずしびれたままだ。突然、今までこなしていたことに疑問が生じて、今度は自分に対して怒りと絶望が沸いてくる。</p><br><p>例えば、早退した自分に対して。午前中は機嫌よく仕事してた私が、午後にはおかしくなっていることを誰が分かるだろう？もちろん、仕事しろと言われればできる。その代わり、自分の中の怒りをなだめるために、人格が割れてしまうようだ。普通に仕事している自分と、怒りに耐え、なだめ、抑えている自分と。何の根拠もなく「自分はダメだ」という気持ちになる。昨日と今日、何一つ条件は変わらないのに！頭で分かっていても、どす黒く湧き出るこの感情に・・・耐え難い怒りと悲しい気持ちが私をぐるぐるとまわしているのだ。</p><br><p>そう、こんな気持ちに翻弄されてきたんだ。こういう絶望感に。自分が狂ってしまうのではないかと眠ることができなかったり、叫びだしそうになる自分を抑えながら生活すること。突然耐え難く癇癪を起こしそうな自分を押さえて、そのまま他の生きる気力を殺してしまったり。</p><br><p>これを書きながら、きっと、この人異常、と思う人がいると思う。でも、私は自分を知っている。これを書きながら、今までのいつよりも、自分は「まとも」だと信じたいと思っている。本も読んだし、トレーニングも少しはした。医者にも行ったし、民間療法も試した。これ以上・・・？</p><br><p>けれど、悲しい。この凶暴な怒り。めまいするほど強い怒り。これは、私自身の感情なんだろうか。もしもそうなら、なぜ？家族との関係に問題がある？気質的に欠陥がある？遺伝的に問題が？人間関係の不全？そうやって自分を家族を疑っていくんだろうか？そんなの辛い。それに、今まで十分に私は自分や家族を疑い、傷つけてきたと思う。</p><br><p>もし、これが憑かれている状態なら。なぜそれはこんなにも怒りの感情をもたらすのだろう？別の生き物が身体の中で暴れているような凶暴な怒りを。それは一体誰の感情なのか？生きる気力を吸い取るような、この重さは焦りは、どこから来るの？なぜ、それは彼女から私にもたらされたのか？それとも、たまたまそのタイミングで私が背負い込んだのか？</p><br><p>私は心底彼女と一緒に居たくないと思った。彼女はいかにも「憑けてそう」な人だ、と思ったから。そして、そんな自分がまた「やっぱり、段々おかしい人になってる」と思った。見えもしない、空気のにごり、臭気のようなものは感じるのだけれど、そういうもので、判断し、人を遠ざける自分を、肯定することは難しい。（多分、見えたらもっと深刻に悩むと思うけど）</p><br><p>その時、私は先生のことを考えた。自分が自分でこの状態を解決できたとしたら、私はそれ以上人に関わらないと思う。（実際、彼女から逃げたくて私は次の日欠勤している。次の日は起き上がることができなかった。）1度元気になればなるほど、この状態に戻るのは辛い。それでも、私･･･達をニュートラルな状態に戻してくれる仕事をしてくれる人たちがいる。感謝の気持ちと、その来し方を思いまた少し悲しい気持ちになる。</p><br><p>書いていて、とても悲しくなった。怒りの陰には、やはり悲しみがあるのではないか。怒りに耐え、悲しみを感じ取り、そのもののために泣くこと、それによって、私を翻弄する渦から抜け出ることができるのかもしれない。実際、夜中に訳もなく泣くことが増えた。その分、回復が早くなった気がする。しかし、そのプロセスは時間と、精神力と・・・とにかく日常生活と両立するには厳しすぎる労力が必要な気がする。</p><br><p>私はもっと生きていたい。だから、「先生、辛い！」と駆け込む。そう・・・でも、おそらくheaｌerと呼ばれる人たちも万能ではない。私がこういう状態に「絶対」ならないようにすることは誰にもできないんだと思う。だから、先生はアドバイスとして、「波動を上げること」そして「書くこと」を勧めてくれたのだと思う。</p><br><p>自分のエネルギーの状態を上げること、それでも、落ちたときは、それと向き合うこと。「それ」のことを考えること。怒りに翻弄されず、生きる悲しみや、生きることを奪われる悲しみに対する共感（追体験？何か違うけど上手くいえない。）という通路を作り、通り過ぎてもらうこと。そのためのプロセスとして、書くことは私にとってとても有効だ。</p><br><p>疲れたので眠れそうだ。ついでに、ちょっと孤独だ。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/innisfree/entry-10136284933.html</link>
<pubDate>Sun, 07 Sep 2008 01:31:13 +0900</pubDate>
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<title>セラピーに行った時のこと。</title>
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<![CDATA[ <p>痩せたかった。</p><br><p>かなり単純な動機だ。それから、大きな試験があったので、「楽に机に向かいたい」という注文をした。なんとも、不純な動機だ。</p><br><p>職場で、お菓子が止まらなくなった。同じ時期に職場の異動でストレスが溜まったため、夕方と言わず、昼時からお菓子を片手に仕事するようになった。置き菓子が受け入れられるくらいだから、別段注意されたわけではないが、「これ以上は社会人としてまずい・・・。」ということで催眠療法を試すことにした。</p><br><p>いわゆる「ヒプノセラピー」というところには行かなかった。あまりに現世利益的な動機だったので、心理療法的なところには行っては行けないような気がした。場所は都内。金額は1セッション15,000円くらいだったと思う。マンションの一室がお店（？）で、療法士は男性だったので、「ここで殺されても分からないなあ・・・」と思いつつチャイムを鳴らしたのを覚えている。</p><br><p>先生はもともと心療系の人ではないということで、どちらかというと催眠療法のテキストをなぞるような手順だった。もともと催眠療法にはかかりやすいだろう、という確信があったし、積極的に思い込ませてくれる手伝いをしていただくのだ、と思っていたので十分満足した。</p><br><p>そこで、ジャンクフードを食べると（主にスナック菓子）とてもまずい。そして淡白な豆腐のようなものがとても美味しく感じられます。という催眠をかけてもらった。そして、その結果、本当にしばらくはスナック菓子をやめることができた。</p><br><p>私はこの先生のところに結構通った。自宅の鍵を握ると勉強をする意欲が湧いてくる、という催眠もかけてもらって、その時々に私にはとても効果があった。</p><br><p>ただ、先生も言っていたけれど、催眠療法には賞味期限がある。しばらくすると、効果が薄れるということだ。</p><br><p>食事の習慣のような催眠は、非常に効果があるのではないかと思う。つまり、習慣をつけるために身体を慣らす手伝いをしてもらえるということだ。</p><br><p>私は生鮮食料品が苦手だった。新鮮な肉野菜魚を見ると圧倒されて、食べる気が失せていくのである。好きなものはスナック菓子。ひき肉。煮物。肉もじゅうじゅうと油がはじけているようなものは今ひとつ好きでなく、まさに「死んだ食べ物」とでも言いたいような静かな食糧が好きだった。（炭水化物は私の恋人だ。）</p><br><p>それが、しばらくの間、スナック菓子の油の味が気持ち悪くなり、トマトや豆腐といったものばかり食べるようになった。催眠は、性善説に立って人を信じるもの、藁をもすがる人にはお勧めする。自分を信じるために人の力を借りたい人にも。つまり、自分に自信がない人にはいい選択肢かもしれない。人間関係の中で、人から支えを受けることが難しい人にも。</p><br><p>最終的に、私は何年かの間にこの先生のほかにも、2件の催眠療法を訪ねた。先生に不満があったと言うわけではなく、最初の先生が店じまいをしたからだ。</p><br><p>おしゃれな街にある革張りの椅子があるような「ヒプノセラピー」は私にはあわなかった。「机に座ろうとすると、一反もんめのような消しゴムが座っているので、勉強する気になりません」と訴える人に、ヒプノセラピーの先生は困惑していたに違いない。別に、消しゴムを見たわけではない。勉強したくない気持ちを説明するには、「そんな感じなんです。」と言いたかっただけなんだが。</p><br><p>最後は女性の療法士を訪ねた。過去世療法、未来世療法を勧められた。今思うと、かなり「スピリチュアル」系統の先生だ。（私はスピリチュアルという言葉を揶揄して使っているのではない。念のため。）</p><br><p>中々、タイプの違う療法を受けたものだ。それぞれに良さがあった。催眠療法を受けたい人は自分に向いた人を探すのが一番だと思う。</p><br><p>3件目の先生（固有名詞を出さずに書くのは難しい。）は、額に光が降りてくる、螺旋を描くその光の筋を最初にはっきりとイメージさせてくれた先生だ。</p><br><p>3件目の先生と一緒に試験を乗り切り・・・金銭的に通い続けるほどの余裕がなかったため、それでセッションは終わりにしてしまった。そして、その何ヶ月か後に、私は今のS先生に出会う。</p><br><p>・・・未来世療法では、しばらく後に全く予期していなかった仕事についていることを私は自ら語った。（その録音が残っている）そして、今その仕事に就いているのである。</p><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/innisfree/entry-10134380502.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Sep 2008 00:41:08 +0900</pubDate>
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<title>真意を量る</title>
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<![CDATA[ <p>雷で目が覚めた。眠れなくなったのでブログでも。</p><br><p>仕事の忙しさが一段落ついた。しかし、今回もあまりにハードだったので、仕事が忙しくなる前に何をしていたのかサッパリ思い出せない。それどころか、おそらくハードワークの反動で鬱陶しい気分になりそう。どこか遠くへ行ってしまいたい・・・。</p><br><p>最近、親戚の不祝儀があり、両親が上京した。旅館に泊まっている母と落ち合うと、「面白い本があるのよ」と渡されたのが佐藤愛子の「私の遺言」電車の中で読むために買ったらしい。</p><br><p>佐藤愛子はそれほど好きではなかったので、そう言ったのだが「これはいいから！」と押し付けられて読むことになった。ご存知の方も多いやも。佐藤愛子が北海道に購入した家で起こった一連の出来事の顛末記であり、霊的な世界に関する体験記（？）でもある。今ひとつ、私にこの本を薦めた母の気持ちは分からない。母自身はこういった世界をどのくらい受け入れているんだろう？母の気持ちは分からないが、結局私はハマって、次々とこの人の本を読むことになる。</p><br><p>死の哲学ではないが、人間が死んでいくにはそれなりのプロセスがあったほうが良い、という意見に共感できた。エネルギーを使い果たして、死を受け入れて、大きな流れに参加していくためのプロセス。そして、どうも、私たちが霊的に一人で生きているのではない、という点を、私は積極的に受け入れたいと思った。</p><br><p>親戚の喪の席で、全くの偶然だったのだけど、親族としては両親よりも、亡くなった人に近い親族席に座ることになった。これは、祖母のいるべき席だ。祖母と亡くなった親戚はいとこ同士で、曽祖父にゆかりのお寺の大黒様だったことを考えるとかなり近い肉親だ。老齢で参列できなかった祖母に代わって、並んでいる気がした。そして、私にとってさほど近い親戚とはいえないが、涙が出て止まらなかった。</p><br><p>通夜振る舞いの時、私は初めて父と伯母の子供の頃の話を聞いた。東京のお寺に疎開（？考えてみると妙な話だ。祖父の出征中の話か？）していたとき、焼夷弾が落ちてお寺が焼け落ちた話だ。父は5歳くらいだったらしいが、焼夷弾が落ちてくる様子は本当にきれいなんだ、と言っていた。</p><br><p>そして、焼け落ちたお寺の灰が軒の高さまで積もっていたそうだ。それをじっと見つめていた曽祖父の話も聞いたように思う。私は目の前に、見上げんばかりのまだ熾き火のはぜる灰を見上げている父の姿が目に浮かんだ。瞼に浮かぶ情景そのものがこもった熱を発しているようだった。その頃の話、お寺の井戸が独特の雰囲気があって怖かったことや、得度したばかりの親戚の話、父の子供の頃の話など初めて聞いた。</p><br><p>通常、通夜振る舞いの時は生ものを絶つそうなのだが、曽祖父であった人が（僧侶なんだが）「生きているものがしっかり食べろ」という方針だったらしく、魚も肉もしっかりとある。・・・かえって、「生きるためにいただく」ということを突きつけられるような気もした。そうそう、祖母も父も、こういう合理的？なのか生きるものにバトンタッチしていくことをマナーとしているような人たちである。</p><br><p>「私は後、○○と○○と、何人送らんといかん。」と伯母が指を折る。もう何十年かしたら、私も指を折る立場になるんだろうなあ。それなりに、順番に送られているところが、恵まれた一家というべきなのかも。</p><br><p>最初、母は「東京で催眠療法に行きたい」と言っていたので、やはり「この母にしてこの子あり」だ。私が行ったところを紹介したけれど、今ひとつ乗り切れなかったようだ。「お茶のときに上がるのを直したい」らしい。まあ、私が最初に行ったときは「ジャンクフードをやめたい」だったから、大して高尚な動機でもない。</p><br><p>次は、催眠療法に行った時の頃を書いてみたい。</p><br><p>雷は遠くへ去ったようだ。この夏、かみなりと共に縁ができた人も、遠くに行ってしまった気がしてならない。雷を呼び戻すことは、できないかな。</p><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/innisfree/entry-10132823279.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Aug 2008 04:31:55 +0900</pubDate>
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<title>君は大丈夫か</title>
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<![CDATA[ <p>安野光雅さんの「君は大丈夫か」を読む。</p><br><p>題名に惹かれて購入。今まで安野さんの本を手にはとりつつ、何となく買わずにいることが多かったのだけど、今回はレジまでたどり着いた。安野さんは、文中で言っている通り「皮肉」やさんなんだろう。その皮肉の出方がこれまでしっくりこなかったのが買わなかった原因だと思った。</p><br><p>今回は、斜に構えたものの言い方と、その背後にある安野さんの考え方が一致していたので、気持ちよく読み進められた。</p><br><p>君は大丈夫か？「大丈夫だとは思うが、君の心にあえて聞いておきたい。」と続きを補ってみた。</p><br><p>私は人の悪意が本当に怖い。けれど、悪意は確実に存在するものだ。人の個性を重んじ、人間を中心に世の中を進める方針ならば、悪意の存在も認め、それに抗うことの必要性をもっと声を大にして言ってもいいんじゃないか。</p><br><p>強い水流の中に身をおくと、抗いようのないすごい力が身体を押し流そうとする。水流に意思がないのは十分承知でも、「私を押し流そう」という意思が胸を圧迫するようだ。流れの中にいる私など意にも介さず、流れを継続させることだけが存在意義のような容赦のなさだ。</p><br><p>この容赦がなさこそが私が恐れるものだ。</p><br><p>直接私が「悪意」の標的となったことは、多分ない。けれど世の中にはきっと沢山の「悪意」があって、それに抗っているひとが沢山いる。戦いの最中は、敵から目を離せないかもしれない。だから横で戦っているはずの（もしくは戦って守る対象である）後進に向かって「君は大丈夫か」と声をかけているのでは。そんな気がするタイトルだった。</p><br><p>「好き」の反対は「無関心」で、心が飢えていく。焦点の合わない過剰な愛情もまた飢え。刹那の関係もまた。</p><br><p>背中にあいていた穴は埋まったように思う。最近は、背中を思っても、黒い穴は開いていないように感じる。肩甲骨の下あたり。何かが入り込む隙間。しびれの起点。心のバスタブに栓がなくて、お湯を入れても入れても溜まることなくて、疲れるイメージはもう実感としては浮かばない。私は内から食まれることはなくなってきた。</p><br><p>私は自分自身を取り戻したのだと思う。私が要らないといったから、誰かが持っていっていた半分。心と身体の乖離はかなり埋まった。先生のところで左半分を取り戻したと思ってからしばらくの間、戻ってきた自分自身を抱きしめた。それは女性性だったかもしれないし、感じる主体としての「こころ」だったのかも知れない。</p><br><p>私は何かを感じている実体を「じぶん」と感じられるようになったし、受け止められる感情の幅も広がったように思う。自分と他人の感情の間に境界を引くことが可能になった。</p><br><p>なんとなく「大丈夫なんじゃないか。」と思う。</p>
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<link>https://ameblo.jp/innisfree/entry-10123336946.html</link>
<pubDate>Mon, 04 Aug 2008 00:11:43 +0900</pubDate>
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<title>揺らぐ身体</title>
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<![CDATA[ <p>私はよく揺れるほうだと思う。</p><br><p>先生のところに行くようになって、色々と変わったことはあるけれど、足首の不調が減った。座っていると、足首に巻いてくる感覚があったり、どんなに暑くても、足首をさらしては不安で眠れなかったり、奇妙な疼痛が走ったり。そういう諸々の不快感が軽減した。</p><br><p>大学の頃に「○○は、いつもよろよろしている！」と言われたことがある。どうやらまっすぐに歩いていなかったらしい。「だって。つまづくんだもの。」としか答えようがない。つまづいたり、突然カクンとなってくじいたりする。</p><br><p>左足には負傷が多く、捻挫やころんで膝を打ったり、そんな後遺症で調子が悪いのだと思っていたけれど、最近そういうことが全く無いので、ありがたい。階段を踏み外さなくなったもの幸せのひとつだ。</p><br><p>さて、「揺れる」だが、会社で座っていると、「あ。地震？」と思うことがよくある。確かに、くらんくらんと周囲が揺れている。脳の中心棒がしなっているような、そんな感じだ。貧血などにようたちくらみは、なじみの感覚だが、それではない。世の中に満ちているものがそのまま揺れるような感じだ。でも、揺れていないらしい。Hiｰnetを見ても異常なし。以前は、多分その時点で視界が歪んでいたと思う。今は、精神としての自分・・・五感としての自己？・・・はstableなので、何かと接触したのかな？と想像したりする。</p><br><p>歩いていて、携帯が鳴った！と思って取り出すと着信していない。どうも、地下鉄の振動や、スピーカーの音声で服やカバンが揺れたのを携帯と勘違いしているようだ。そういうことがよくある。これはことさら言わないだけで、他の人も経験のあることなんだろうか。一人で音や振動に不快がっていることも多いので、私は自分のことを「振動に敏感な人」だと思っている。</p><br><p>（ついでに言うと、時々「東京にはもう地震が来たんじゃないだろうか。」と思うことがある。そして、誰かがそれを抑えたに違いない。と密かに思っている。この思い込みには根拠はないけれど。。）</p><br><p>好きな楽器は弦楽器。弦の振動にはいつまででも耳をすましていたい。弦の振動と共に、心が調律されるように感じるから。そして、振動から空間の広がりを感じられるからだ。</p><br><p>ある時から先生が「波動」という言葉を私に対して使い始めたと思う。考えてみると、これまで「波動ってなんですか？」と聞いたことは無いように思う。何となくそういうものなのね、と思ったからか、先生の文脈ではそういう説明がつくのか、まあ説明がつくというのはいいことだ、と流したせいなのか。</p><br><p>多分、説明されても分からないと思った為ではないだろうか。実感（もしくは納得）できるまで温めておけばいいや、と思ったのだと思う。</p><br><p>今、この文章を書くにあたって、自分なりに考えたことはこうだ。</p><br><p>世の中のすべての粒子は振動しているそうだ。高校の教師も、科学館の研究者もそう説明してくれたので本当なんだろう。つまり、私自身ぶるぶると振動しているわけだ。電磁波について説明をしてもらったとき、私は自分の身体が振動して、音をだしているところを想像した。</p><br><p>世の中を満たすものの中で、私の身体は、ラジオのように振動を発しているようだ。それを情報として受け取れるセンサーがあることは大して不思議ではない。波動の高い低いについては実感できないけれど、豆腐やこんにゃくがプルプルしているのと、楽器の共鳴函が振動しているのとではやはり違う。そういうイメージなのかもしれない。いい音だしているかどうか。そういうことなんだろうか？</p><br><p>正直言うと、まだ「波動」がなんであるかを受け入れる素地は私には無い。ただ「調子いい。」で済ませている。最近、「調子がよくなった」（すごい符丁だ。ずばり「pitch」がいいらしい。この場合「tune」ではないだろう）ので、「いい・悪い」のコントラストがはっきりとしてきた。この「調子」を精査することで、私にも「振動」する世界についての知見が深まるに違いない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/innisfree/entry-10122247106.html</link>
<pubDate>Fri, 01 Aug 2008 01:50:02 +0900</pubDate>
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<title>前ばかり見て、後ろを振り返らないと・・・</title>
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<![CDATA[ <p>P先生のこと。</p><br><p>今はもう無いけれど、家の近くに絵本の専門店があった。小さい頃、「お話のろうそく」なんて本を読み聞かせてもらったのをぼんやりと覚えている。</p><br><p>「幸せな子供時代を送った人にとって、大人の時代は余生のようなものだ」と誰かが言っていたけれど、本の世界に没頭した子供時代に比べれば、「現実」を生きる大人の時代はまるで余生のようだ。でも、それを生きることは人として課された仕事なんだろう。ならば、「できるだけより良く」そしてかなうなら「旺盛に」生きてみたいものだと思う。</p><br><p>お店に「はてしない物語」が入荷した時のことを今でも覚えている。カウンター左側の平台に積まれていた分厚い本に、私はたちまち夢中になった。</p><br><p>「モモ」と「はてしない物語」を読んだあと、うっかり「鏡の中の鏡」に手を出した。小学生には全く分からず、半分くらいで投げ出した。その時塾の教師だったP先生に「買ったけれど、わっぱりわからない！」と言ったところ、彼女から手紙をもらった。彼女の感想が書かれた手紙は、やっぱりちょっと難しかったけれど、絵本という具象の世界から、抽象を描く・・・詩のような文章・・・？というものに初めて目を向けることになった。</p><br><p>P先生は「見る」人で、当時流行した「こっくりさん」など大目に見つつ、個人授業の際には、「先生、見える！？」と好奇心むき出しで訪ねる私に、「今、君の足元にいて、手を離そうかどうか考えているよ」なんて言ってくれた。幽体離脱をするのだ、とか、気を回すにはどうすればいいか、など最初に教えてくれたのはこの人だ。</p><br><p>頭とつま先を底辺とするピラミッドをイメージし、まずその中に抜けるのだそうだ。また、両手の間に球体をイメージし、そこに気を注ぐ。次第に両手が反発していき、両手の間隔が開いていく。そんなトレーニングも教えてもらった。</p><br><p>私はP先生と別れた後も、相当長い間この動作を行っていた。後に、自己催眠の本を読んで実践する際にはかなり役に立ったと思う。小学生だった私は「心酔」という言葉以外にはないくらい、この人が好きだった。音楽も、絵画も、本も詩も、すべてにおいて、私の中に種をまいてくれた人である。</p><br><br><p>私はこの人との交流を通じて、精神世界に可能性を探っていく姿勢を身につけたと思う。見えない世界を受け入れ、そのレイヤーにいる人の恐怖や孤独も少し感じ取った。</p><br><p>・・・何かが私を通り過ぎるとき、私は切ないくらい不安になったり悲しくなったりする。「通りもの」という表現は本当にぴったりだと思う。（気持ちが悪くなることも多い。）</p><br><p>そして、世界はマーブル模様のようにごちゃまぜになる。頭の中にスクリーンがあるとすると、フィルターがなくなって、レイヤーを「すべて表示」にした描画ソフトみたいになる。仕方ないので、一点を必死に見つめて歩く。目の焦点をあわせているところ「だけ」を見つめながら歩く。</p><br><p>言い訳するわけじゃないけれど、そういう時は自分自身を「保つ」以外に、他人を受け入れる余力がない。平均台を歩いているときに、横腹をつつかれて話しかけられるようなものだ。結構むつかしい。</p><br><p>今、私が行っているのはレイヤーを分けることだ。前頭葉の未発達でも、刺激過多でも結構。ADHDでもHSPでもうつ病でも芸術家肌でもなんでもいいけれど。ただ、精神世界というレイヤーを設定したことで、私は「人を責める」ことから解放されたように思う。光と理性、私も信奉しているけれど、闇と感覚は、人を責める「根拠」をもあいまいにする。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/innisfree/entry-10121520385.html</link>
<pubDate>Tue, 29 Jul 2008 23:52:48 +0900</pubDate>
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<title>こころのかたち。</title>
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<![CDATA[ <p>2002年に公開された映画「白い船」。君はこの主人公に似ているよ、とDVDを貸してくれた人がいる。確かに、中村麻美さんのいくつかの写真はとっても私に似ていた。けれど、私は主人公の「静香先生」のキャラクターにより親近感をもってしまった。喜怒哀楽が今ひとつはっきりしない人なのである。</p><br><p>インタビュー映像の中で、中村さんが「この主人公は気難しいひとなんです。」という意味のことを言うのを聞いて、ハタと膝を打った。そうそう、私って気難しい人なんです。</p><br><p>上司に「君は感情の幅が狭すぎるんだ！」とキレられた事がある。何故だろう。私の中では、こんなにも激しい嵐が吹き荒れているというのに。</p><br><p>最初にイメージトレーニングのテープを買ったのは中学生のときだ。紀伊国屋で買った「ニューエイジ」系のCDは今でも持っている。（先日、先生のところで昔買ったCDが流れていて無性に懐かしかった。）お気に入りの雑誌は実はMy Birthdayだった！学生のころは、「寮の占い師」と言われ、タロットにはまっていた。催眠療法に言ったこともあるし、心療内科にも行った。ADHDかもしれないと疑ったし（そう言われた事もある。）、食事に気をつけてみたり、先祖にお参りしてみたり、つまり、自分を落ち着かせるためにできることは「何でも」やっているのである。</p><br><p>・・・自分で言うのもなんだが、十分に「ヤバイ」方の人である。自分のことは欠陥商品だと思っていたし、誰かをだまくらかして嫁に行くしかない・・・と思いつめてもいたのである。</p><br><p>反面、「しっかりして、かしこそうね。」とは幼稚園からの私に対する評価である。声を大にして主張したいけれど、「私はしっかりしてるって言われたくない！」</p><br><p>なぜなら、そのために多大な努力をして死にそうだから。しっかりしていると、かまってもらえなくて損な気分がするから。そして、甘えるのが下手だね、という口説き文句にはもはやぐっと来ることはない。そんな年齢だから。</p><br><p>この相反する自分の状態をどうやったら統合できるのだろう？自分を支えるのに必死で、他人に時間を割くことができない自分はどうなってしまうのだろう？</p><br><p>私は悩み、しっぽを噛んでぐるぐると回る犬のような気持ちで、日常は「常に」綱渡りだったわけだ。（今でもちょっとそうだけど。）</p><br><p>今、辛かった思い出はどんどん忘れていっていることに気がついた。地獄の釜のふちにいる自分を思い描いて眠れなかった夜。自分はこのままおかしくなるのではないか、と息が詰まった夜。何を投げ入れても埋まらない裂け目を心に感じて絶望した事。・・・幸せになっていくというのはそういうことだ。</p><br><p>対話というのは、私がとても好きな言葉だ。私は過去の自分と対話をし、リフレーミングし、自分を癒すことができる。過去の自分と対話し、事実と感情の間に架けられた偽りの橋を架け替える作業。</p><br><p>幸せになって、辛かった時期を忘れていくのはいいことだ。でも、幸せな今に満足して、過去との対話を怠ると、いつか来る新しい嵐のときに足をすくわれるのかもしれない。だから、私は先生の進めにしたがってこのブログを書いている。</p><br><p>何度もこのブログを読み返して、自分と対話をするためのツールである。あくまで私的なツールであることをお詫びしておく。そして、何度も心のかたち、ありようが変化していくことを許して欲しい。かたちは容とも書き、それは受け容れることを内包したことばだから。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/innisfree/entry-10120824432.html</link>
<pubDate>Mon, 28 Jul 2008 00:00:28 +0900</pubDate>
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<title>踏み絵を踏んでから</title>
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<![CDATA[ <p>それから。</p><br><p>しばらくは、何でも「憑いてる！？」と自問する日々が訪れた。ちょっとした高揚感と、罪悪感と、それでいて奇妙に自由な感覚。誰にも言えないけれど、黄門様の印籠を持った気分だった。</p><br><p>その期間、私は自分が信頼する人に「こんな事があったんだよ。」と話してみた。精神世界への関心があるタイプには「見えるの～！アタシには何かいる？」と聞かれて「見えません。」と答えたし、「それって宗教？」と聞くリアリストには「壷も印鑑も買ってないよ。」と答えた。</p><br><p>それって宗教？と聞いた友達は、「宗教とは世の中の見方のことだから、それは宗教なのでは？」という意見で、思わず納得してしまった。彼女としては、別に私がおかしくなった、とかは思わなかったようだ。それは、例えば私が道ならぬ恋をする人と、そのことを避けて会話をするような、礼儀正しい無関心だったりする。</p><br><p>友人で練習をした後、私は親にその話をした。結論から言うと、「この子にはそれもアリかな。」という雰囲気だった。むしろ、「私も見る・・・っているか感じるタイプだから。」という母と「お父さんは、昔お寺で暮らしてたんや。だからそういうことはいくらでも経験しとる。」という父に「そうだよね～。」という私。</p><br><p>父方の親類はお寺さんが多い。本家の人は教会の聖職者になっている。宗教的な環境としてはかなり濃い。母は、「私は送る人なのよ。」とサバサバと言う人で、「昔お父さん（私の祖父）を見取ったときには、おばあちゃんが来たと思うわ。」なんて聞いていたし。</p><br><p>ただ、どのくらい、私の状況を理解してくれたのかは謎。カミングアウトした後と前では、「この子は本当に本番に強くて、男みたいで、上がったりしなくて」という評価から「この子はガラスみたいにもろいところがあって」という評価に変わっていたから、少しは前進したのかもしれない。</p><br><p>踏み絵を踏んでみて一番変わったことは、自己主張できるようになったことかもしれない。</p><br><p>精神世界に足を踏み入れなければ自己主張ができなかったのかと思うと「やれやれ。」だ。つまり、そこまで追い詰められて初めて自己主張できるようになったわけだ。この一線を守れなかったら、どうなっていたんだろう。</p><br><p>理屈で考えると自己主張ができない「いい子ちゃん」が、「理屈ぬきなのよ！」と開き直った記念すべき出来事だ。世の中には、理屈で考えると自分を守れないことがどれほど多いことか。自分を切り売りして、自分がなくなってしまう。他人のコメントを寄せ集めてようやく自分の影を知ることができるような危うい世界だ。</p><br><p>何を達成しても浮き草のような気持ちが拭えずにいたけれど、私の世界の感じ方を「それもあり。」と言ってもらえて初めて自分自身と手を握った気がした。こういう感覚を、魂の飢え、というのではないか。</p>
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<link>https://ameblo.jp/innisfree/entry-10120803917.html</link>
<pubDate>Sun, 27 Jul 2008 23:20:12 +0900</pubDate>
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<title>踏み絵を踏むまで２</title>
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<![CDATA[ <p><font size="2">先生に最初に会った日のことはあまり覚えていない。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">何となく、これまで苦しんできたのですね、という意味のことを言ってもらい、ぐっときた覚えがある。「自分は異常なんじゃないか！？」と思っていたことがあったので、その事だったらいいな、と思った。でも、確認する勇気は無かった。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">何度目かの時、初めて「憑いている」という言い方をされた気がする。私自身も、</font><font size="2">「私の中に何かが居る！」そして切実な「出て行ってくれ！」という気持ちに襲われた。その猛烈な実感を得てしまっては、先生の言葉を否定することは、私を否定することだった。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">私がこれまで感じてきた、根拠やいわれの無い痛みや不快感、不安感は、理由があったのだ。「私はきっと異常なのだ」という自己否定から、そうでない、と言ってくれるものを見つけてしまったのだ。</font><font size="2">初めて、私は自分の感覚を信じてもいい、というレイヤーに出会ったのだ。例えそれが「非科学」という括りに入れられ、胡散臭いといわれるレイヤーでも、その安心感は常に自分を否定し、律してきた自分を確実に癒すものだった。</font></p><br><p>しかし、その安心感、目に見えないものを受け入れる覚悟は、簡単にできたものではない。自分の実感を否定するのは、自分を否定することにつながり、受け入れることは・・・大人としてのエチケットに反するような気がした。科学や理性、そういったものに立脚する仕事をしていた当時、まるで二重生活を送っているような気分だった。</p><br><p>最終的には、私は生きていくために、自分の実感を信じることにした。精神的に自分が生き残れるのなら、肉体に影響が及ばないように世間に対して上手く距離をとるくらい何でもないのではないか？むしろ、現状に耐えかねて、肉体を傷つけるよりも、よほど周りの人の幸福を奪わないだろう。</p><br><p>そう思った私は、大人としての理性とかたしなみ、エチケットのようなものを密かに踏みしめた。</p><br><p>心が生きていけるなら、自分の実感を信じてあげたかった。例え親であっても、私の実感を経験することはできない。私だからこそ実感できることだ。それを否定しては、私はまた毎日自分の異常を疑いながら生きていくことになるのだ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/innisfree/entry-10114295253.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Jul 2008 23:05:38 +0900</pubDate>
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