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<title>私の幸福論～人生を楽しく健康的に生きるヒント</title>
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<description>30代臨床心理士が「幸福論＝楽しく健康的に生きる」についてバカ真面目に書いています。一個人の幸福論です。良かったらあなたの幸福論についても教えてください。</description>
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<title>脱幸福論</title>
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<![CDATA[ 　2016年から不定期に書いているブログ。１人くらい「いいね」を押してくれているから一応ブログの体をなしているブログ。１人も押されなければもはや備忘録か日記かメモ書きに成り下がってしまうブログ。要するに何の影響力もない無害なブログである。<br><br>だからここで私が間違ったことを書いたって別に問題ナッシングなわけだけど、やっぱり気づいたからには訂正したいので書いておく。<br><br>私は常々このブログを書くに当たって幸福論というものをテーマにしてきた。でもそもそも幸福論とか考えてる時点で、幸せってなんだろう、どうすればなれるんだろうって考えてる時点で、私は幸せではないのだ。<br><br>まるで幸せの青い鳥を探しているように、幸福を探していたのだ。<br><br>幸福になれると思っていた。<br><br>幸福はなるものだと思っていた。<br><br>でも幸福はなるものではなかった。<br><br>あるものだった。<br><br>私はすでに幸福だった。<br><br>すでにある幸福に気づかずに「どこ？どこ？」と探し回っていた。両手に大事に幸せの青い鳥を抱えながら。<br><br>「メガネ！メガネ！」と探し回っていた。頭にメガネをのせながら。<br><br>なのでこれからは幸福論について考えるのも書くのも止めにして幸福を噛みしめることにした。アイムハッピー！<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/insj51/entry-12570755912.html</link>
<pubDate>Tue, 28 Jan 2020 21:48:31 +0900</pubDate>
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<title>今を生きることの難しさ</title>
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<![CDATA[ 桜がすっかり散ってしまった。新年度が2週間ほど過ぎ、慣れない環境に疲れが溜まってくる頃だろうか。<br><br>例にもれず私も疲れている。職場や家庭の環境に適応しようと色々考えすぎて。<br><br>「この人にこれを言っても大丈夫だろうか」<br>「こんなこと言ったらどう思われるだろう」<br>「今年度はこれを私がやらなくちゃいけないのかな」<br>「去年にやっとけば良かったなー」<br><br>色々と過去のことを悔やんでみたり、未来に不安を覚えてみたり、忙しい時期である。<br>そう思うと、色々考えることは、今を生きることを難しくする。<br><br>今を、この瞬間を噛み締めながら生きていたら、余計なことを考えることなんてできないのだ。<br><br>だからこの疲れる季節こそ、余計なことをくよくよ考えず、今を生きたいものだ。<br><br>そのためにも洗濯機の回ってる渦や、たきぎの炎の揺らめきなどをじっと見て、今この瞬間に集中したい。<br><br>ただいま21時15分、この瞬間！こんにちは！さようなら！<br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/insj51/entry-12456158811.html</link>
<pubDate>Mon, 22 Apr 2019 20:58:51 +0900</pubDate>
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<title>子育てのゴールについて</title>
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<![CDATA[ 子育ては赤ちゃんが産まれた時点からスタートする。<br><br>スタートしたということはいつかはゴールする。ゴールのないマラソンがないように。<br><br>ではそのいつかはいつなのか。それを見極めなければならない。<br><br>子育てをマラソンにたとえると、最初は歩けもしないから、子供をだっこかおんぶしながら保護者が走ることになる。歩けるようになり、走れるようになると、横で一緒に歩いたり併走したりすることになる。<br><br>そして子供が思春期を迎えた頃、保護者に併走されることが子供は嫌になってくる。理由はシンプルで、自分一人で走れるか試したいのだ。思春期は、文字通り自立を試みる時期である。<br><br>ここが子育てマラソンのゴールである。保護者はゴールに来たと思えば、走っていた足を徐々に止めて、まだ走り続ける子供の少し大きくなった背中を見送らなければならない。ここからどんなペースで走るかやどのコースを走るかを決めるのは保護者ではなく、一人で走り出した子供である。<br><br>このときにゴールしているのに走りつづければ色々な弊害が出てくる。子供は自分一人で走りたいと望んでいるのにしがみつくように保護者が併走してくると、言い合いの喧嘩になり関係は悪化する。いわゆる思春期の反抗である。他にも、違う道を走ろうとする子供の腕を取って保護者が望む道に引きずり込むようなことをすれば、子供は保護者を振り切るために力づくの手段に出なければならない。これがいわゆる家庭内暴力。あるいは、しつこい保護者に辟易して目を盗んでコース外に行方をくらませたりもする。これがいわゆる家出。<br><br>といった感じで、子育てマラソンをゴールしているにもかかわらず保護者が併走し続けることは子供の健全な自立を大いに妨げることになる。<br><br>産まれてから今までおむつを変えたり、ミルクをあげたり、自転車の練習に付き合ったり、音読を聞いてあげたり、好きなおかずを作ってあげたり、チョウチョ結びを教えてあげたり、そんなふうに寄り添って来た保護者にとって、ゴールした途端に併走をやめることは難しいことだと思う。ましてや自分たちの方が子供より人生が何たるかを知っていて、良いも悪いも分かっている。<br><br>でも子供は一人で走らないと、転んで痛い目に遭わないと、道を間違って不安にならないと、そこから自分で考えて地図を見たり、人に聞いたりして目的地に向かわないと、自立できないのだ。<br><br>あなたが子供の自立を望なら、子育てマラソンのゴールが来たら一緒に走ることはやめたほうがいい。もう転ばぬ先の杖はいらない。かわいい子供には旅をさせよう。虎穴にいらずんばなんちゃら。<br><br>では併走をやめた保護者は何をすればいいのか。<br><br>答えは自分のことをすればいいのである。趣味や仕事に没頭すればいい。そして思い出したようにたまに、走っている子供を沿道で応援するのである。一人で悪戦苦闘しながら、よろめきながら走る子供の、少し大きくなった姿を暖かい眼差しで見守ってあげればいい。<br><br>もし子供が沿道に立つ保護者を見つけ近づいてきて「このペースでいいかな？」や「どっか良い迂回路知ってる？」と聞いてくれば、そのときは保護者として、人生の先輩として子供にアドバイスをすればいい。ほんの数十メートル併走することを子供が許可したわけだから。<br><br>最後に子育てマラソンのゴールテープはおそらく分かりづらい。思春期を迎える時期の保護者の方は自分の腰にゴールテープが引っかかっていないか常に注意してほしい。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/insj51/entry-12236570113.html</link>
<pubDate>Mon, 09 Jan 2017 20:10:53 +0900</pubDate>
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<title>考えすぎることについて</title>
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<![CDATA[ 考えすぎると、考えている分、実際の行動に移るまでに時間がかかる。<br><br>あることをしよとしたとき、1分考えてから行動するのと、1時間考えてから行動するのと、1年間考えてから行動するのとでは、スピードがずいぶんちがう。<br><br>申し訳ないくらい当たり前のことを書いている。<br><br>考えすぎる人にとっては、すごくやっかいで当然の事実なのだ。<br><br>私も例にもれずそのタイプだ。だから私は最近は考えすぎてから行動せずに、できるだけすぐに行動するようにしている。つまり、とにかくやってみるのである。<br><br>あまり悩まないので精神衛生上も良いし、行動しているので、物事は前進するのである。<br><br>たとえば、いやな仕事が溜まってくると、「なんでこんなに仕事が多いのか？他のやつは暇そうにしてるのに、人生は不公平だ、サッカー選手にでもなってれば、こんな思いもせずにすんだのに･･･」など不毛な考えがぐるぐると頭を駆け巡りそうになるが、そういうのを意識して止めて、目の前の一個をやっていくと、案外前に進んでいくのである。<br><br>だから考えすぎる人には考えすぎるのを止めて行動に移すことをおすすめしたい。<br><br>本当に考えなくて大丈夫なのかと聞かれれば、もともと考えすぎる人はそれくらいでちょうどいいのだ。どうせ気がついたら色々と考えているのだから。<br><br>あえて言う必要もないだろうが、考えずに行動に移すタイプの人には当てはまらない話である。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/insj51/entry-12134965977.html</link>
<pubDate>Wed, 02 Mar 2016 22:16:58 +0900</pubDate>
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<title>精神的に健康な人について</title>
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<![CDATA[ 精神的に健康な人とはどういうことだろうかと考えると、「健全に悩む力がある人」と言えるように思う。<br><br>私の職場に相談に来る人たちは、不健康に悩んでいたり、悩む力がそもそも乏しかったりする。<br><br>元気な人は生活のなかで起こる問題について健全に悩んだ結果、「こうしよう」と解決策を導いたり、「まあええか」と諦めたりする。<br><br>それができなくなり、ずっと悩んだり、人に解決を依存するようになると、精神的に不健康だと言えるのではないか。<br><br>だから我々が誰かの相談に乗るときには問題を解決することも大事だが、問題に向き合うための健全に悩む力を相談者に回復してもらわなければならない。<br><br>そういう意味で、我々相談を受ける側がしないほうがいいのは、相談者の代わりに悩んで問題を解決してしまうことである。<br><br>たとえば「今こういう状態だから、こうするのがベストなの」など正論を言うのはやめたほうがいい。<br><br>我々が24時間相談者と行動を共にし、相談者の前に立ちはだかるあらゆる問題を代わりにすべてきれいになぎ倒していくなら、それでもかまわないが、相談者は実際には目の前の問題に大抵一人で立ち向かわなければならない。<br><br>対人援助の立場にある人は世話好きの人が多いので、「こうしたらいいよ」など正しすぎる答えを親切に与えがちである。その小さな親切が、相談者の悩む力を奪うという大きなお世話になっていることを意識したいところである。<br><br>なにはともあれ、悩みはあれど、自分で悩んでなんとかやってるうちは元気だということだ。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/insj51/entry-12134612879.html</link>
<pubDate>Tue, 01 Mar 2016 21:57:06 +0900</pubDate>
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<title>目標について</title>
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<![CDATA[ 目標を持って生活した方がいい。<br><br>一流のアスリートなどがよくそう言っていることを耳にする。<br><br>私の場合、小さい頃の目標は何だったろうかと振り返ると、サッカー選手になることでも、物理学者になることでも、世界征服をすることでもなく、親の期待に応えることだった。<br><br>私の親は勉強熱心で、中学生の頃には良い点数を取ると親が喜んでくれるので、よく勉強した。定期テストは1ヶ月前からテスト勉強をしていたので、中間テストと期末テストのテスト勉強を平行してやっているなんてこともあった。<br><br>とにもかくにもそれが私の目標で、生きる指針だった。だからその頃の私はテストの点数に結びつかない知識は無意識のうちに排除していた。だからアニメのドラえもんが何曜日の何時から何チャンネルでやっているのかは覚えていなかった。もしそれがテストに出るのなら繰り返し暗記しただろう。<br><br>こういうことを目標に生きると困るのが、大学生になってからだ。それまでは志望校を目指して勉強するという学生の本分がある。しかし大学生になると、その目標が曖昧になってくる。親が喜ぶ高校や大学は割合見つかりやすい。しかし親が喜ぶ大学卒業後の進路って何なのだろう。<br><br>まあそんなこと意識的には考えていないわけだけど、とにもかくにも私は大学生の頃に明確な目標を失い、生きる指針は壊れた方位磁石のようにグルグルと不安定に回転していた。<br><br>目標を持たないと人生は漫然と過ぎていく。漫然と過ぎていくことを楽しめる人は相当に精神的に落ち着いている。大学生の私はもちろんそんな状態にはなく、漫然と過ごすことで将来に対する漠然とした不安を感じ、焦燥感に駆り立てられていた。<br><br>目標がないまま、そこから10年ほどが経過した。その間は常に周りの環境に影響を受け、カメレオンのように自分を執拗に周囲に馴染ませようとしていた。<br><br>30代に入り、永平寺に行ったときに廊下の壁に「初めの一歩が大事である」というような趣旨の事が書かれていた。<br><br>要するに、どこに目標を定め最初の一歩を踏み出したかによって、その後の自分の言動もその方向に向かっていくため変わってきますよ、ということなのだ。だからしっかりと目標に向かっている人の言動は説得力や自信に満ちているのだろう。<br><br>私はその文章を見たときに、なるほどな～と感心したのと同時に、自分はどこに向かって歩いているのだろう、と不確かな足取りに不安を覚えた。<br><br>目標は無理矢理でも強く思うようにしている。自然発生的にこれが目標だと思える人は良いが、そうじゃない人もいる。私は後者だ。もっと言えば、家族で話し合って決めてもいいくらいだ。この目標に向かいますと宣言すればいい。<br><br>今精神的に苦しんだり、悩んだりしている人には健全な目標を立てることをおすすめしたい。<br><br>さっきも言ったが、目標がなくても問題ない人はそれでいいのだと思う。<br><br>目標がどうしても見つからない人は「自分のためではなく誰かのために生活する」ことを目標にしてみてほしい。<br><br>人は大抵自分に目がいきがちで、自分が損した、得した、自分嬉しい、悲しいなど言い過ぎているところがある。<br><br>自分中心に生きるのは十分に上手なので、誰かのために生活することを目標にすると、すごく自意識や自己愛から解放されることに気づくと思う。<br><br>職場で率先してゴミ捨てをしたり、家で洗濯物の山を見れば畳んだり、お母さんのごはんに「おいしいね、いつもありがとう」と言ったり。誰かのために生活すると言動は変化する。<br><br>目標のある人はそれに向かって突き進んでほしい。私もとくに目標はないので、誰かのために生活することを意識している。<br><br>かと言って自分のことを疎かにしてはいない。元々自己中心的だから、誰かのために生活するくらいで、ちょうどバランスが取れているのだ。<br><br>拡声器を持って世界平和を不特定多数に訴えるより、すぐ側にいる悲しそうな子に声をかけることの方が大事だと思っている<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/insj51/entry-12131411092.html</link>
<pubDate>Sun, 21 Feb 2016 23:26:06 +0900</pubDate>
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<title>姿勢について</title>
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<![CDATA[ 姿勢というのはその人の精神状態を如実に現している。<br><br>自信のある人は胸を張っているし、誠実に生きている人の、とくに女性の背筋はしゃんと伸びてきれいだ。<br><br>逆に、自信のない人は背中を丸め、伏し目がちだ。<br><br>そういう私も大学生の頃、背中を曲げない日はないくらい曲げていた。電車に乗るときもベンチに浅く腰掛け、誰よりも低い姿勢で電車に乗っていた。パソコンをするときもノートパソコンの横に足があるような状態でキーボードを叩いていた。<br><br>最初に書いたが、姿勢の悪さは精神状態の悪さに比例していると思う。<br><br>今でこそ、人の相談に乗るときも視線を自然に合わせながら乗っているが、大学院の頃はほとんど相談者の目を見ることもできなかった。<br><br>では精神状態を良くしなければ姿勢は治らないかというと、そうではないと思う。<br><br>むしろ姿勢が変われば内面、心の持ちようが変わると思っている。<br><br>日本人はみんな自分のことが嫌いで、自信がなく、猫背の人が多い。だから肩こりになる。日本の文化は堂々と自己アピールすることを美徳とせず、奥ゆかしさや恐縮する態度に美徳がある。繊細な文化で素晴らしい部分も多く否定はしないが、欧米人の根拠のない自信ある態度は見習うべきところがあるように思う。日本にいる外国人旅行者を見ると、みんな堂々としている、ように私は感じる。そして欧米に肩こりという言葉はない！彼らは肩こりではなく、不眠になる。この話はまた別の機会に。<br><br>欧米人はみんな堂々と胸を張っているから肩を凝ることがないし自信があるのではないかと私は勝手に考えている。<br><br>とにもかくにも私も数年前から自分で自分に整体をして、ある程度、姿勢には気をつけている。やはり肩こりもマシだし、呼吸も深くなっている。何より自分が嫌いではなくなったし、大抵思考が前向きだ。<br><br>もう電車に浅く腰掛けることは今後ないと思う。今から思えば、身長が人より高い自分が、座ると誰よりも頭の位置が低かった。異様な姿勢だった。きっと目立ちたくなくて、周りの風景に埋もれてしまいたくて、とても周りが怖くて、自分が嫌いで、自信がなかったのだろう。だから当時の私は色々な物の見方や精神状態もそれに比例し異様だった。<br><br>だから背中を丸めた相談者を見ていると、大学生の自分を思い出す。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/insj51/entry-12131157734.html</link>
<pubDate>Sun, 21 Feb 2016 11:43:20 +0900</pubDate>
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<title>夜更かしすることについて</title>
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<![CDATA[ 夜起きているとわくわくする。でも年を重ねると夜更かししなくなる。<br><br>だから今日は月に1回あるかないかの夜更かし。夜更かしを一番していたのは大学生のとき。<br><br>それこそ昼夜逆転し、目覚ましテレビを見て寝るという矛盾を抱えていた時期だった。そして、夕方に起きて、すでに部屋は薄暗く、１日が終わりかけていた。ときおり白昼夢のような状態になり、夜が明ける前なのかと勘違いするときもあった。<br><br>時間に追われることもなく、時間はたっぷりあり、完全に持て余していた。持て余しているくせに先の予定や約束も極力取らなかったので、それがまた時間の在庫を増やしていた。<br><br>とにかく規則正しい生活とは真逆の、正しくない生活を送っていた。<br><br>その頃はすごく体調が悪かった。精神的にも身体的にも。なんとなく人に会うのも億劫だったし、妙に不安だったし、風邪を月単位でこじらせていた。<br><br>年齢的にも体力的にも充実していそうな20歳前後のときが、今までの人生でいちばん脆く弱かった気がする。<br><br>夜更かしは最初に書いた通り、なんだかワクワクするし、楽しげだ。<br><br>でもやはり我々人間は夜更かしに向いていない。要は夜行性の動物ではないのだろう。うんと昔から太陽が昇れば活動し、太陽が沈めば活動を停止し、夜の帳のもと寝ていたのだ。そのリズムで生きてきた我々が、ここ最近の文明の進歩で電気が発明されたために起きていることが物理的にできるようになっただけだ。<br><br>最近、相談者のなかに昼夜逆転している中学生が多い。私もそうだったから、なんとなくそういう時期があってもいいんだとは思う。<br><br>だけど断言するが、夜更かしは我々には向いていない。太陽の光を浴びないと身体に悪いのだ。そういう風に我々の身体はできている。身体が悪くなると、しょうもないことを考える精神状態になる。大学生の私も上記に書いたとおり心身の不調をきたしていた。<br><br>ただ今は夜更かしするのに困らない。こうやって夜中にブログを打ったりできる。<br><br>自分自身で夜更かしをコントロールできているうちはいいが、夜更かしが我々をコントロールしてくると、昼夜逆転してしまう。<br><br>ときどき思うが、精神障害に対する対策なんかするより、政府主導で夜8時にすべての電源を落とせばいいのだ。経済は縮小するかもしれないが、良質な睡眠が促進され、我々は心身が充実するだろう。大体の精神的不調の兆しは不眠なのだ。<br><br>24時間のコンビニが本当にいるだろうか。私は言う。いらんと思う、と。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/insj51/entry-12131056940.html</link>
<pubDate>Sun, 21 Feb 2016 01:16:15 +0900</pubDate>
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<title>初投稿</title>
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<![CDATA[ これからテーマを決めて、そのテーマについて自分の思うことを書こうと思う。<br><br>児童相談所で子供や家庭の色々な相談に乗っているので、そういった背景も踏まえながら書くことになると思う。<br><br>総じて書きたいことは、きっと私が思う幸福論なのだ。<br>
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<link>https://ameblo.jp/insj51/entry-12131050588.html</link>
<pubDate>Sun, 21 Feb 2016 01:13:25 +0900</pubDate>
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