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<title>tonntokotonnのブログ</title>
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<title>ブラック</title>
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<![CDATA[ 　ブラック、つまり黒というのは、厳密には色でないとされている。それは明暗を表わすもので、色彩のことではないと。自分はそのことを、高校生の頃に美術の時間で知った覚えがある。それ以降変わらず色の一つとして挙げるけれど、それは世間的な見方によるところが大きい。<br><br>　自分が通っていた専門学校（便宜上そう呼ぶ）では講師が外部から招かれ授業が進められていた。またそういったことを触れ込みの一つともしていた。さらには企業の案件に学生が、制作現場を学校に置きながらも携わったりする。そういう外部との関係の中進められる教育を、産学連携のように考えることもあった。そして授業の中でも、アパレル業の業態を教える講師が話していた。表に映る華やかな部分とは別の、リアリティのある部分を教えているつもりだと。またそういうことを抜きにファッションやアパレルという業界は成り立たないと。それから業界の裏の方はドロドロだとも言っていた。けれど自分には世間知のおさらいのようにも聞こえる。言ってしまえばゴシップのように。クラスメイトの女の子は漏らしていた。勤めるアルバイト先のアパレルショップを「ブラックやしよ～」と。それには残業代の下りないことを例に挙げていた。それから社長がゲイで、勤め先の男性（イケメン）店長をお目当てに足しげく通いに来ていたと。授業中とは言え暇になるとそういうことが言いたくなるのか、否定的に幾度も聞くことになる。<br><br><br><br>　「こんな経験は初めてです」といつか一人の女性から聞くことになった。職場の上司から言い寄られ、それに困る姿があった。上司からのアプローチは幾度も繰り返され、もはや言葉のある姿もない姿も、受け入れられずにいた。そしてその表情や仕種を「堪らない」と言い、自分は聞いていて、綺麗な人なので無理もないなと思ったりしていた。自分とて惹かれるものはあり、なんとはなしにその上司と自身を重ねたりすることもあった。<br><br><br><br>　彼女の話をどれだけの思いで聞いていたのかはわからない。この記事はその話を元に書かれているけれど、書きながら自分は傍にコーヒーを置いていた。当時は珍しくと言うべきか、ブラックで飲んでいたことを覚えている。いつもならミルクを入れて飲んでいるはずのところを。それはこの記事が書かれる三日前も同様だった。そしてその三日の間に胸が気持ち良くない形で満たされることがあり、彼女が脳裏にイメージとなって現れた。自分はそのイメージに何も手につかず、ただ彼女の姿に呑み込まれていくばかりだった。彼女は男に言い寄られ、その男を毒のある口で嘲り、羞恥を煽り、手にかけさせる。その顔を嫌悪とおぞましさで満たしながら。その毒牙にかかった男は居ても立ってもいられず彼女の体を汚す。その体を貪る中、屈辱にまみれる。彼女はそれを嘲笑い続ける。男の耳にその笑い声がこだまする。胸を蝕むものとして、消えないものとして。そして彼女の美しさは一際意味を持つ。<br><br><br><br>　彼女はこんなことを言っていた。「表情や仕種の見えてこない、文章だからじゃないかなぁ」と。「頭を使っているようにしか見えないのよ」とも言いながら。それはもちろん自分に向けられていた。自分も読み返しては、抽象的な言葉を多く感じたり、行動している人の言葉じゃないなと思うことになった。アダムとイブは、知恵の実を食べることで天界を追われる。自分にはもはや天上で彼女と戯れていられるような言葉はなかったのかもしれない。浅薄な付き合いとでも言えばいいのか、顔を合わせることはないままだった。そして並べた自分の言葉を思っては、自分は彼女に一体どのように映るのだろうと考えることがある。言葉のある姿も、ない姿も、彼女の顔にただおぞましさだけを浮かべることになるのだろうかと。<br><br><br><br>　自分の知り合いにやたらと女遊びの上手い男がいる。手練手管と言えばいいのか、その腕に堕ちた女は数知れないと言えそうだった。それを聞きながら自分はこう言う。「まあ自分は、～～さんに裏社会のこと教わってるんで」と。とは言え、彼からはこんなことも聞く。「好きな人とだけは上手く行かなかったんで」と。何と言うか、聞いていて納得してしまうと言うか、リアリティがあると言うか。彼女はその上司のことを話しながら、嫌な気持ちになるとも言っていた。つまりはそういうことを、たしなみのようには考えていなかったのだろうと。その上司と話し合う姿もあったようだけれど、ストレスの溜まるもので、ドロドロとした感情に呑み込まれていくのを危惧していた。<br><br><br><br>　その写真を見ると、多くが黒いものをまとっているデザイナーが、コム・デ・ギャルソンの川久保玲だった。そして「ビジネス・ウーマン」と自称していた。今風に言えば「ビジネス・パーソン」だろうか。上司に言い寄られるその女性も、黒いスーツを着て店舗に立つ姿があった。言葉を交わしながら「後継を育てる必要がある」と、職場を去る意志とともに残していた。その言葉の真偽を知る機会が自分に訪れることはなかった。今どこでどうしているのかは知らない。<br><br><br><br>　いつ頃からかわからないが、言葉の意味が一人歩きしては、自身に降りかかっているような覚えがある。たとえばその一つが、「ドロドロとした」胸の内だったのか。そして一人歩きすることの現れか。まみれたはずの屈辱やその光景が悪くはないなと思うことになる。ドロドロしている故か、同時に温かくもあるかのように。何と言ってもその代償に、女の体を汚しているのだから。言い換えれば、何を自身は綺麗なままで、と考えてもみる。そんな時には、正義すらも茶番に取って代わる。そして去ってしまった彼女には思うことがある。どこへ行っても同じではないだろうかと。彼女は行く先々で同じような目に遭い、同じような毒を吐き、同じようなおぞましさをその顔に浮かべているのかもしれないと。あるいはそれこそが彼女を包む温かさであり、それは同時に変わらぬ代償なのかもしれない。その代償と引き換えになるものがあるなら、それはやはり美貌、と自分は言うことになる。<br><br><br><br>　冒頭で書いたようにアパレルの教育機関に通っていたわけだけれど、服を選びながら、いつしか黒い物に落ち着こうとする自分がいる。そしてそれを良しともしない自分もいる。抗うかのように、落ち着けないかのように。父親がいつか言っていた。「今は大人がガキばっかりやんけ」と。コム・デ・ギャルソンとは「少年のように」を意味するが、度々思うのが「少年」そのものではないのだなと。彼女はこちらが関心としたことを、好奇心という言葉に置き換えた。手にかけるには、それで十分なのかもしれない。お金と男の話を一切しない人だった。そして時には自らの暗部が光に晒されては、自身の姿を思い知らされることにもなった。彼女は白くも黒くも、変わらず美しい人だった。まるで何を羞恥とするのかも知れないままに。記憶にあるのはただ、その女の姿ばかりだった。
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<link>https://ameblo.jp/intastellaburst/entry-12129242575.html</link>
<pubDate>Mon, 15 Feb 2016 23:16:37 +0900</pubDate>
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<title>You Suit Me</title>
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<![CDATA[ <br><br>　「スーツは着ないんですか」と以前通っていたショップの店長に尋ねたことがある。当時30を回っていて、歳柄か自分にも必要なものに思えてのことだった。現在私服制服ともにスーツを着用することはなく、三つ四つ下だったその店長も、まだ遠慮するといった様子で必要とせず、後に仕事をしばらく変えては着用していたけれど、その期間が済めば再び他の物を着ているようだった。そしてスタイリストを目指していたため、スーツを着ることは少なそうだった。制服のように着用する人は多くとも、アパレル業では一端に過ぎないと考えている。<br><br>　かつて勤め先に居た人が言っていた。スーツが苦手だと。多分に窮屈に感じているように。自分も歳柄一着は用意しておくべきかと考えるものの、着やすいものかと問われると同様の感想を述べてしまいそうになる。少なくとも毎日着たいものではないだろうと。と同時に、段々とTシャツとジーンズといった格好も、馴染めない思いを強くするようになっていた。手足が細くもあり、いつまでも幼い子供のままでいるような居心地の悪さを覚えていた。そういう時にはピカソの描いた、犬を連れた子供の絵を思い出すことになる。その幼く痩せこけた、貧しい顔をした男の子を。<br><br><br><br>　去年の春までファッション関連の教育機関に通っていて、クラスメイトの一人（女の子）が異性のタイプにスーツの人を挙げていた。自分も歳柄必要に思ったりするように、同感することになった。それは同時に雇用形態で言えば、制服と書くように、正社員（あるいは正職員）を現わしていることが連想された。そこには収入の意味も含まれる。以前会計事務所に転がり込んでいたためか、社会保険の加入なども付け加えて思うことになる。要するに自分より出世している人と考えては。<br><br><br><br>　遡れば十年ほど前にはまだ学生をしていて、就職活動期のまっ只中にいた。けれど自分はその就職活動を放り出して、卒業に足りなさそうな単位を取得するため、活動の始まっていない頃と同じペースで通学を続けていた。とは言えもはや就職活動を放棄したように、その頃にはもう大した当てのない日々を送りもしていた。学内の図書館で雑誌を捲ったりしながら、無為とも言える時間を過ごしていた。そして用事がないものだから、図書館の利用も簡単に留まるばかりだった。<br><br>　そんなことをしていると、三階の視聴覚資料室で一人の女性を見かけることになった。置いてあるCDを見せてもらおうと思い立ち寄ってみたのだけれど、外に置いてあった棚に目ぼしいものはなく、室内を窺った時のことだった。受付に座っていて、よくは知らないものの、場所柄まずは司書と考えることになった。しかしその視聴覚資料室も利用することはなく、すぐにその場を後にして、あとはいつものようにまた当てのない時間を過ごしていた。<br><br>　以後何度か、当然とも言える形でその人を館内で見かけることになった。ある時は蔵書を書架に戻している姿や、別の時には貸出しカウンターに座っている姿などを。それから一度だけ、三階から二階に下りて来るところ、隣にスーツを着ている大学職員（と思われる男の人）を連れていた。階段のなかんずくで立ち止まっては、自分と少し目が合ってから、その隣の人を表情もなく眺めていた。意図がよく分からず、不可思議な光景のように記憶している。二人して言葉を交わすこともなかった。そしてまた階段を下りては階下に消えていった。そのスーツを着た男の人の方は、キャンパスの別のところでもう一度見かけることになったが、やはり意味のようなものはなくすれ違う程度だった。ちなみにその司書と考える女性の方は、古風とも言えそうな長いスカートを穿いて、それは当時他に見かけることのないものだった。それは不可思議な記憶を殊更強くしている理由のようでもあった。もう一人はスーツを着ていたわけだけれど、その頃の自分にとってスーツは、就職活動による決まりの範疇を出ないものだった。<br><br><br><br>　歳柄必要かと思うのは、けして仕事を指してのことではなかった。どちらかと言えばそれはフォーマルな装いという認識とともにある。簡単に言えば冠婚葬祭のような場のドレスコードと考えて。二十代はTシャツを着てチューハイやビールをその辺りで引っかけていたところでそれほど咎められることもないだろうし、何と言ってもそれが若さだと思ったりする。言葉を借りてもう少し言えば、何をしていても背中に翼が生えているようなものだと。あるいはスーツは背中に翼の生えている奴にはまだ早いのかもしれない。<br><br><br><br>　母校の大学がクリスチャンで、履修が必須とされる講義にはキリスト教の教えを交えたものがあった。宗教的なことを念頭において選択した学校ではなかったので、受講する理由も卒業に欠かせないことぐらいしかない。その内容もほとんど覚えていない。とは言え旧約聖書か新約聖書か、アダムとイブの話は時折思い出すことになる。知恵の実を食べて下界に追放された（あるいは堕落した）くだりを。そして知恵の実を食べて追放されたと聞いて、簡単に人が知恵を身に付けることを思っては、それについて愚かさを説いているのだろうと思うことになった。つまりそれは知ったと言うより、知ってしまったと言うべきなのだろうと。下界に追放されたアダムとイブは、おそらくは衣服を身にまとう以後だったと記憶している。もはや無垢でもなく裸でもなく。さらにスーツに思うことがあるなら、人を最も包み隠してしまう装いとなるだろうか。そしてフォーマルな見方が強いように、公的な場での着用が必要とされもする。もちろんその場で私人の姿や言動は控えられることになる。それは慎ましやかに、翼を畳むことを意味しているのかもしれない。小学校の頃に勇気一つで空へと向かうイカロスの歌を授業で合唱したりしたけれど、彼が背中に付けた翼は蝋で固めた作り物だった。天使のように生まれながらにして具わっているものではなかった。蝋の翼では天に届かず墜落したように、作り物で天に近づくなど以ての外といった見方がある。それはバベルの塔がその完成を間近にして神の裁きに遭ったことと似ている。人間が知恵を以て何を作り上げたところで、それは天に届かないと諭すかのように。イカロスが地上に落ちた後どのような末路を辿ったのかは覚えていない。あるいは二度と翼を広げることなく地平をとぼとぼと歩き続けたのか。<br><br><br><br>　軽やかに空を舞うためのものではないように、慎ましやかに、非礼のない姿とともにスーツはあると考え、それは相手に障らないことを意味する。振り返ると二十代はまだ翼を有していることになるけれど、暖冬のためか春物商戦の前倒しなんかを思ってしまう今日この頃とともに、新卒社会人のスーツも間もなくだなと一人思うことになる。そして自分もそろそろ仕事で着ているダウン・ジャケットともおさらばかと、やっぱり一人思うことになる。<br><br>　<br><br>　
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<link>https://ameblo.jp/intastellaburst/entry-12124062845.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Feb 2016 00:41:50 +0900</pubDate>
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<title>華麗なるギャツビー</title>
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<![CDATA[ 　先日『華麗なるギャツビー』を観賞し、それは原作を大学の頃に読んで以来のことだった。主演はレオナルド・ディカプリオで、作者はスコット・フィッツジェラルド。消えない過去とも言える女性デイジーをめぐる、ギャツビーの年月をかけた壮大な計画が物語の大部を占めていた。観賞し終わって、ひとまずこれはギャツビーが主人公の物語なのだと認識しつつ、それは振り返る時も変わらない。<br><br>　若きギャツビーはデイジーとめくるめく恋に堕ちるものの、出征とともに彼女の元から離れ、終戦の後も彼自身の立身出世をパートナーの条件と考え、姿をくらましたまま歳月を送る。そして物語の舞台であるロングアイランドに戻ると、そこで大邸宅を建て、豪奢な宴を開き、デイジーを招待しては在りし日の恋の続きを確かなものへと変えていこうとする。これを女性が考えると、『君に届け』における桐谷美玲演じる、胡桃沢梅のようになるのだろうかと思ったりする。<br><br>　ギャツビーのこのような人柄を一言で言えば見栄っ張りとなり、スコット・フィッツジェラルドの描く作品は金にまつわる悲運不運に強く彩られている。作者当人もジャズ・エイジの華と呼ばれ、執筆動機もただ、金の呪縛とも言えるものから逃れられなかったに過ぎないように語られもしている。<br><br>　ギャツビーは作中、デイジーをその豪奢な宴に招くも彼女の反応に納得できないでいる。そして彼女も在りし日の恋をすぐにでも再開できるものでもなかった。終戦の後ギャツビーから一通の手紙が届き、そこにはまだ帰れない理由が記されたが、彼と再会した時には既に夫トムを有している身だった。ギャツビーは彼女とトムの関係を認めず、彼女の愛が常に彼とともにあることを信じて疑わなかった。そして語り手であるニックはそんな彼に、望み過ぎの姿を思っては話すことになる。<br><br>　彼女の反応に納得のいかないギャツビーはひとえに理想（富を得ていることも）に縛られ、それはデイジーに夫トムの前で、彼女達二人の結婚生活が本物ではなかったと宣言させようとするところまで発展する。望み過ぎを思うニックの言葉に耳を貸さず、トムを愛していなかったとはとても言えないデイジーの心情ももはや届かず、彼はそれを引き裂いてしまう。ギャツビーはただ彼が必要とすることだけを追究し、デイジーがどうあるかを見ることは最後までないままに、一人の女を事故に巻き込んでは死なせ、その亭主に恨みから射殺されるというあっけない最後を遂げる。それでもギャツビーは最後まで希望や熱意を失わず、夢を追いかける姿を以て、ニックの心だけは傍に置き続けることになる。ロングアイランドの邸宅から対岸のあるかなきか緑の灯を眺める彼の目は、アメリカ新大陸の方を向いたヨーロッパ人や、アメリカン・ドリームを夢見る者達が、その瞳に輝かせたと同じ光を宿していたのかもしれない。<br><br><br><br>　デイジーの反応やありようを思うがままにしようとしたように、ギャツビーは最後まで彼自身を愛しては信じ止まなかったのであり、この物語を観たあとではそれが盲目の正体に思えることがある。今では自分も語り手であるニックの言い分が尤もだとは思うものの、盲目というものを描いたなら何はともあれ、それはやはりこの物語においてギャツビーが変わらず主人公であり続ける故になるだろうと思う。賭博問題にも関わっていたように、壮大な富とともに裏稼業の偽りを彼は秘めるけれど、彼はただただ下手な嘘と言うより壮大な嘘を描き続けたんだろうと。そしてそれが唯一、ニックの心だけは傍に置き続けた理由だろうと考えている。
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<link>https://ameblo.jp/intastellaburst/entry-12121828452.html</link>
<pubDate>Tue, 26 Jan 2016 21:29:36 +0900</pubDate>
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<title>美味しいコーヒーの淹れ方</title>
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<![CDATA[ <div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160123/18/intastellaburst/35/b7/j/o0640048013548122555.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160123/18/intastellaburst/35/b7/j/t02200165_0640048013548122555.jpg" alt="" border="0"></a></div><br><br><br><br>　一昨日、過去に通所していた施設でコーヒーを購入してきた。今ではもう勤め先の近辺にある輸入食料品店で購入することが多くなっているけれど、今でも時折、その施設を訪ねては購入している。もう施設は卒業してしまった身なので、なんとはなしに元気ですよと顔を見せに訪ねているのかもしれない。扱っている種類もその輸入食料品店に比べて少なく、通所している人達への軽作業の提供というのが本当の名目だった。少しコーヒーのことを調べては、最近ではマンデリンやトラジャを購入することが念頭にあるけれど、その施設ではマンデリンが扱いこそあるものの、訪ねても置いていることは少ない。手作業によるところも多く、何よりも軽作業の提供が目的のため、数量はどうしても乏しくなる。<br><br>　というわけで今日は別に購入してきたコロンビアSUPでコーヒーを淹れることにする。勧めようを見ると牛乳とも合うというのが触れ込みだった。でも今回は牛乳は使用しない。コーヒーだけをシンプルに淹れる。自分が使用しているのはHARIOの一人前用ドリッパーで、ペーパー・フィルターを使用せずに済む物。最初にコーヒーカップを給湯器のお湯（98℃）で温める。それから薬缶に給湯器のお湯（約200ml）を汲み、ガスレンジで沸騰させる。沸騰するまでにドリッパーに一杯分の挽いた豆を入れ、薬缶のお湯が沸騰したらカップに入れておいたお湯を給湯器に戻し、ドリッパーをセットする。沸騰したお湯を最初は豆を湿らせる程度に注いで蒸らす。20秒程経過したら、続いて薬缶のお湯を並々（少量ずつだと濃く淹れることが出来るが、時間がかかるため出来立て熱々にはならない。後で電子レンジが必要になる）と注いでいく。お好みでミルクと砂糖を入れて賞味する。<br><br><br><br>　以上が自分の作り方なんだけど、飲み方は今ではまずブラック。大したミルクと砂糖を使っているわけでもないから（ブライトかクレマトップと、グラニュー糖）、今ではただ濁りの元とばかり思ったりする。砂糖の後口がべったり口の中に残ることを思うと気は進まない。<br><br><br><br>　日本で初めてコーヒーを口にしたのが遊女とされ、初めてコーヒーのことを記述したのは江戸幕府の大田南畝であったとされている。先日公共図書館でその記述のある『瓊浦又綴』を館内端末からコピーさせてもらい、該当箇所を読んでみた。とても短い記述で、引用すると次のようになる。<br><br>　「紅毛船にて『カウヒイ』というものを勸む、豆を黒く炒りて粉にし、白糖を和したるものなり、焦げくさくして味ふるに堪ず」<br><br>　ざっと読んでみたところこの箇所だけのようだった。原文の他の部分は難解でほとんど読めず、感想からも多くの言葉を割くには至らなかったのかもしれない。要するに焦げ臭くてとても飲めた物ではないという描写がされており、コーヒーのまともな味わい方だった。砂糖と思われるものが混ぜられたようだけれど、甘みについての記述はない。カウヒイはコーヒーのことで、これは英語のcoffeeではなく、もとは日本に紹介したとされるオランダの言葉。大田南畝がコーヒーを口にしてから、輸入の対象になるまでおよそ半世紀の時間が必要とされている。<br><br>　マンデリンやトラジャというのはインドネシアのもので、そこはオランダがコーヒーの栽培に着手した土地だった。元はエチオピアから取り入れたものらしく、その当時の貿易港の名を取ったのがあのモカで、マンデリンやトラジャの前、自分はモカを購入したりしていた。そして後に日蘭貿易によってコーヒーは日本にもたらされることになったが、記述が少ないように大田南畝やあるいはその遊女が口にしたコーヒーがどこのものだったかは不明及び未調査。<br><br><br><br>　それからコーヒーを別の面から見てみると、眠れなくなるとか、刺激物なのでニキビの元になるといった、科学的あるいは医学的追究が行われている。その成分であるカフェインの過剰摂取は良くないとされ、同時に中毒性もあると言われている。でも日本では輸入食料品店でコーヒーが扱われ、カフェで見るなら、ドトール、タリーズ、スターバックスといった店が代表的に上がってくる。あるいは不況も何のそのの経営をしているのかもしれない。自分もとりわけドトールには、200円台で飲める意外さに初めて利用した時は打たれた（と言うのはもちろん誇張だけれど）。そしてコーヒーはいつも苦みと酸味を旨味としつつ、その魅力を謳う文句は数知れない。いつだってファッションの大きな位置を占めてきた飲み物だった。大田南畝がもう簡単に不味いとし、輸入の対象になるまで半世紀を必要としながらも、一方で遊女の口にしたものであったともされている。<br><br>　それでも歴史を遡れば日本では二、三百年そこそこらしく、なんだかアメリカの歴史を重ねてしまいそうにもなる。産地を言えばコーヒーの栽培地は赤道付近に限定されるから北米で栽培されることはなく、アメリカには移民が入植とともに持ち込んだんだろうなと思っている。飲料としての歴史的起源も太古という程ではなく、十一、二世紀の代物で、宗教的な秘薬であることをその始まりとしている。つまりはマリファナやハッシシみたいなもので、祭事における麻薬だったんだろうなと。秘薬とあるけど、メディシンではなくドラッグだったんだろうと。<br><br><br><br>　というわけで薬の多くは苦いもののように、大田南畝はコーヒーを不味いとし、それでもドラッグがそうであるように中毒性を多かれ少なかれ持ち、なんとはなしに止められない（早い話が商売の秘訣みたいなもの）。歴史的に見てもどこかの時点で絶えるわけでなく、今では世界的取引を成す産物にもなっている。癖になる人は日に二杯も三杯も飲んだりする。刺激物とかカフェインとか聞くことは多いけれど、麻薬やドラッグと聞くことはないなと思って、冷めたコーヒーを電子レンジでもう一度温めている。そして歯科学的見地から言っても、（煙草に次いで、と言うべきなんだろう）やっぱり歯に色のつきやすいものとのことだった。
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<link>https://ameblo.jp/intastellaburst/entry-12120702621.html</link>
<pubDate>Sat, 23 Jan 2016 18:41:52 +0900</pubDate>
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<title>司書</title>
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<![CDATA[ <br><br>　来年の3月まで待つことになるものの、図書館の利用を考えている。母校の付属図書館で、学生を初め研究がその主たる利用目的に相当するため、申請を経ての利用許可が必要になり、その申請期間が3月に当たる。一般的な読み物の利用は認めておらず、学術書や専門書のみが利用を認められ、申請に際しても目的が問われる。<br><br>　そう聞いては、図書の利用において自分に読み物以上の目的があるだろうかと考えてしまうことが最近の常になっている。調べたいことはあるけれど許可が下りるほどなのかどうか。実際に利用している姿を想像しても、図書館そのものを利用すると言うより、図書を借りてはそれを自宅で読みながら調べ物をするというのが得られる行いになりそうだった。元来自室以外で書を読むことはどうにも集中力を欠く行いで、図書館もその範疇の場所と言えそうな状況が変わらずある。また図書館で読めることを望んでいるかと問われても、貸出しで十分と答えられそうな自分もいる。つまりは調べる環境は自室で十分といったような。そして考えてもその想像なり予想なりはそれ以上の展開を見ず堂々巡りとも言えそうだった。あとは時期が来るなり、申請するなりして、許可の是非を待つその流れに委ねるしかないなと思ったりもする。<br><br>　利用の許可やあるいはその有無と考えると話はそれぐらいで、何を調べるかというのがもう一つの念頭事項になっている。追求すると何でもかんでもとなりそうで、そのあたりの加減は図書館の利用未だの身でも測らされている。さしあたって日蘭貿易の歴史が追究の対象で、それにどれぐらい世界史がついて回るかといった体を帯びている。例を挙げれば日本に初めてコーヒーをもたらしたのがオランダとされ、1804年に大田南畝が口にしたのはどの産地のものかに興味を持っている。さらにそのことから、1600年の東インド会社設立後、ジャワ島でオランダがコーヒーの栽培に着手する1699年まで、インドにおいてオランダはコーヒーの栽培に着手したかということも追究の種になっている。インターネットなどで簡単に検索して調べてはみるものの未だ辿り着けていない。ちなみに大田南畝は口にしたコーヒーを気に入ることはなかったようで、以後コーヒーが日蘭で輸出入の対象になるまでおよそ半世紀の時間を必要としていた。大田南畝をその人物で調べてみると幕府の高官のようだった。高校の頃の世界史の授業を振り返っても大田南畝やその役職については覚えがない。あるいは日本史を振り返っても。そしてもとよりアパレルから見る日蘭貿易というのが調べ物の最たる趣旨になる。つまり大航海当時から、現アパレル業界における製造・流通・販売の礎のようなものを見出せないかといったことがそれに相当する。ちなみに所有するパンツの一本がブランドの拠点をオランダとしていて、製造地がインドネシアであり、そのモルッカ諸島が大航海時代日蘭貿易の中継地点とされていた。そしてそれを自分は当然と言うべきか日本で購入している。三ヶ国のありようが自然と日蘭貿易や大航海時代を振り返る端緒になっている。<br><br>　それからもうひとつ。小売店鋪の清掃員が自分の仕事であり、店内の掃除が業務の主な目的である。それから掃除をする一方で物を担いでは運ぶことに、何とはなしに楽しさのようなものを覚えている。いつの間にか、あるいはいつしかといったように。つぶさに振り返ってみると、現在の清掃の仕事以前から、物を運ぶことには考察を繰り返すようなところがあった。手持ちの英語の辞書を引いてみると、porterという言葉の意味に「清掃人」や「運搬人」が載せられていた。アパレルブランドの一つにやはりPORTERがある。外に出かけてはそのブランドのバッグを背負う人を見かけると、必ず目に留まったりしていた。それは遡ると十年にも及ぶように思えるし、自分もまた先日そのブランドのリュックを購入することになった。物を運ぶことや運搬人という意味に、日蘭貿易やその先駆けとなる航海史をまた一つ連想することになっていた。。<br><br>　振り返れば二十代の半ばを父親の会計事務所で費やし、壁に掲示してあった大阪府の賃金体系のようなものが幾度か目に留まっていた。会計事務所だからなんとはなしに貼ってあったのか、父親（自分の上司にも当たる）がそれを必要に応じて目にするというところも見られなかった。その体系に船員労働者の枠があり、している事務職の枠とは別に一際といった様子で目に留めることもあった。賃金と書くがその額に特に高低を思うことはなかったように記憶している。航海史を振り返りながら、同時に船員労働に従事する人たちのことを考えては、アパレルという見方から着用していたものにも追求があったりする。海を相手に船に乗る人たちはどんな物を着るのかといったふうに。二、三日前にGジャンを買っては通勤に着ているが、水夫の着ていたものでもあるようだった。それまでGジャンを着るという考えはまずなかった。購入する際に念頭にあったのは作業着であることをその始まりとしていることだった。航海、船舶、運搬、あるいは自分の仕事柄か甲板掃除など、関連語句のように並べていくことになる。世界史がついて回るように、海や船舶から、時には海軍や艦隊も、調べるうちに舞い込んでくる事柄になっていたりする。知らず知らず始まっていたことと、調べては知ることを結びつけていくような行動を自らに思うようになる。オランダはジャワ島でコーヒー栽培を行ったということで、同じインドネシアのトラジャを購入して飲んだりもしている。<br><br>　要するに、そういうことをしながら触れる記事なり文書なりが利用の目的に相当するかどうか、それが図書館について思うことになっている。在学中はやはり自室でしか物が読めなかったため、館内は大した当てのない利用に終始していた。書架はほとんど眺めるのみで、雑誌を時々パラパラと捲っていた姿しか思い出せない。調べ物になると図書や文献への触れ方がどうなるのかと考えては、司書業務やそれに携わる人にも初めてお世話になるような思いもある。
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<link>https://ameblo.jp/intastellaburst/entry-12101629464.html</link>
<pubDate>Tue, 01 Dec 2015 19:10:22 +0900</pubDate>
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<title>プレス</title>
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<![CDATA[ <br><br>　ファッション関連の教育機関に通いながら、講義前の準備をするため、配布されたカリキュラムを見ることが何度もあった。そこには日付と時間と講義テーマだけが簡単に載せられていた。言い換えれば、内容はその講義を受けるなか判然としてくる。そして半年の学習期間の終盤の方に、「プレス」がテーマに挙げられた講義があった。<br><br><br><br>　率直に言ってしまえば、その講義を受けるまで、自分はプレスのことを報道陣だと考えていた。あるいは報道そのものとも、記者会見が開かれて、そこに記者や催し物の関係者が現れ、席に着いては質疑応答に臨む。そういった光景やそこで起こることを指しているのだと。それはおそらく報道機関と幅広く言うよりは、「プレスセンター」という言葉にもう少しその意味が限定されていた部分もあったように思う。そして講義では宣伝や広報の意味も挙がる中、二つの意味が大事とされては聞くことになった。「PR」と「4P」というのがそうだった。正確に言えば後者の4Pは、place、price、promotion、productに分かれる。そしてPRはpublic relationの略と教わることになった。<br><br><br>　先日、チケットぴあで公演チケットを購入していた。公演内容はアーティストによる演奏で、場所はチケットぴあからのメールで地図まで知ることができる。大阪難波にあるライブハウスだった。それから価格が指定席で税込8000円、別途ドリンク代が必要とある。自分はこの公演を、そのアーティストが開設しているtwitterのアカウントで知ることになった。つまりはツイートされていたと言うことになる。それはチケット一般発売の二、三日前のツイートだった。そのツイートをプロモーションと考え、それで一応は4Pが成り立つ。<br><br><br><br>　それからpublic relation。直訳してしまえば、「公的関係」ということになる。公的の意味は人によってそれぞれとも言えそうだけれど、ここで大事なのはrelationの訳である「関係」と呼ばれそうな方にある。もっとざっくばらんに言ってしまえば、その催しをする意味のようなものだろうか。公演ということで言うなら、それが一時の祭事で終わっていては、この意味はあまり果たせなくなる。講義で説明を聞いていると、そこにはサステイナブルであること、その意味が持続的なものであることが望ましいようだった。実例に、その講義を担当した講師は、自身のプレス活動で、クリエーターたちの結びつきや繋がり、協力関係を築くことを、PRと考え紹介していた。このブログを書きながら、他SNSでもアーティストの活動をもとにコミュニティやネットワークなどが構築され、運営されていたりする。自分がそのチケットを購入することになったアーティストも、ジュビリー2000など慈善団体の活動に寄与する名目の公演や、作品発表があったように記憶している。自分はそれらのことをあくまで事例と受け取っていて、それがプレスに必要とされる4PやPRに基づくことだとは、知らなかったと言うことになる。<br><br><br><br>　実を言えば、この公演を観るために仕事の方で休みを取っている。無事に取れたと言うか、理由や説明はほとんど必要なかった。時節柄、お盆休みのようなものとも言えそうだった。休みを取ったように、通常のシフトでは時間的に強行日程のような感もありそうだった。その公演の主催団体とともに、HOSTESS CLUB ALL NIGHTER（ホステス・クラブ・オール・ナイター）とあった。まさか……といった心持ちで夜通しの公演かと思ったりした。発表されている公演日程やチケットを眺めても、終演時間は予定でさえも一切載せられていなかった。時間に関しては公演日と開場時間と開演時間までが載せられているのみだった。何ヶ月も前となりそうだけれど、仕事をしながら4Pのことを思い出しては、そう言えば日程や時間のことがなかったなと思ったりしている。もちろんそれは英語にすると、単純にdayやtimeになりそうだけれど。<br><br>　
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<pubDate>Thu, 16 Jul 2015 21:19:24 +0900</pubDate>
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<title>オピニオン・リーダー</title>
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<![CDATA[ <div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150705/02/intastellaburst/c0/aa/j/o0800106713356707615.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150705/02/intastellaburst/c0/aa/j/t02200293_0800106713356707615.jpg" alt="" border="0"></a></div><br><br><br><br><br><br><br>　もうずいぶん前のことと言っても過言ではなさそうで、この春までファッション関連の教育機関に通っていた。そこでもちろん、ファッションやあるいはアパレルを勉強していた。実際的なことに関しては、どう口慎ましやかに言っても、「教育機関で学ぶこと」になるし、プロ同然のことをするというのも、教わる方や教える方としても無茶な部分はあっただろうと振り返ったりもする。自身聞いても（あるいはしても）わからないことが多かっただろうなと。<br><br>　講義の内容が学識的なことに及んでいる回も少なくはなかったし、それでファッションあるいはアパレル業界のアウトラインと言うか、だいたいの仕組みなどを教わったりすることもあった。もちろんそのすべてを身につけて帰ってきたということでもなく、どんなに聞きはしても、現時点ではその理解が学識の域を超えない部分はたくさんあった。と言うより正直に言うと、朝が早くて眠りこけてしまう場面も少なからずあった。いくつかの言葉が頭に残っては、いくつかの言葉は理解のないまま右から左に流れて行くことも。。。<br><br>　その講義内容が学識的な中で、意外と言うか予想外と言うか、「そんな意味で使われているのか」と思った言葉があって、今回のブログの趣旨になる。「イノベーター」と、「オピニオン・リーダー」がそうだった。もう少し言うと、イノベーターはそんな呼び方があるとは知らなかったことで、オピニオン・リーダーはそんな意味があるとは知らなかったこと、と言えそうだった。<br><br><br><br>　今日雨が降る中、勤め先があるショッピングモールに足を伸ばして（距離を言えば近い）、輸入食品店でワインを購入してきた。自分がもしワインを学んだと言えることがあるなら、それは漫画『ソムリエ』からのみと言うことになる。雑誌も手に取ったことはない。高校時分のことなので、漫画の方が親しみやすかったのかもしれない。実際にワインを知っていると言うほど飲むには、高校生の小遣いでは無理があるだろうし、習慣的に飲み始めたのもごく最近のことだった。というわけで、「飲めりゃ何でもいいや」という思いで購入するか、その『ソムリエ』でかじった、かつ実用できそうな知識をもとに今日はワインを選んでいた。「二番目に安い物を」と。作中ではレストランでワインを選ぶ時の、選び方の一つのようだった。ちなみに一般的に、料理の値段の半額というのがワイン選びの基準になっていて、コース料理のワインはまずその額に収まっているという話だった。<br><br>　写真にあるのがモンテベッロ/トレッビアーノ・デル・ルビコーネで、やや辛口とプライスに併記されていた（試飲のサービスはない）。値段は750㎖税込930円。正確には二番目に安くはないかもしれないが、一番安いと思われるセール品を除くと、これぐらいの額の物が並んでいた。生産年は2013年で、イタリアワイン。何となくではあるけれど、大々的に陳列されているという感もない。自分は聞いたことがないし、前評判もよくわからない。一つだけ確かなことと言えそうなのが、やっぱりリーズナブルで、財布に優しいということだった。そしてそれを購入しては帰りの車中に、そのイノベーターなり、オピニオン・リーダーなりといった言葉を思い出していた。それぞれ説明を与えると、イノベーターは、世間の利益度外視でとにかく先駆的な消費を推し進めていく人。受け入れられる受け入れられないはあくまで結果のみの話。もちろんと言うべきか、こういう人にロマネ・コンティとかシャトー・ラトゥールとか、白ならモンラッシェとかはまずアウト。とにかく目新しい、まだどんな評価にも染まっていない物、それがこのイノベーターのターゲットになる。それからもう少し目線を丸くして、世間にも受け入れられることを考慮に入れつつ、商品に目を付けていくのがオピニオン・リーダー。それは旧来の物でも、その価値を世の中に再認識させていくということも含むのかもしれない。ただし基本的にリーダーなので、既存価値の上塗りはこの手の人の役を果たさないことになる。それはただの追従ということになる。<br><br>　と、そんなことを考えながら助手席に置いたワインを振動で落下させたりしないように気をつけて、帰って冷蔵庫にしまっては程よく冷やす（適正温度14～18℃、温いワインはイノベーターとかオピニオン・リーダーとか追従とか以前の問題）。それからつらつらと頭に言葉を並べては、二番目に安いワイン、つまりは購入しやすいという点を踏まえて、イノベーターではやっぱりないなと。ちなみにオピニオン・リーダーでも発信力に欠けるとは思うけれど。。。それからお世話になった人のブログのアドレスにあった「innovativ」を思い出しては、そんなところもあったかなと思ったりしている。アパレルのショップ店長からスタイリストを目指していた。ワインは別にアパレルではないし、自分はオピニオン・リーダーを何よりもまず政治的な見解の意味で聞くことばかりだったけれど。<br><br><br><br>　最後にそのやや辛口の白を飲んでは美味しいなと思って、あるグランプリで金賞を受賞したワイン（こちらも安く買える）を、飲みやすくはあるけれど甘口だろうなと考えたりしている。その輸入食品店には置いていない。それからモンテベッロが実は有名なワインだったら、もちろんこのブログは何の意味も持たなくなる。
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<pubDate>Sun, 05 Jul 2015 02:24:14 +0900</pubDate>
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<title>海</title>
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<![CDATA[ <br><br><br>　４月に入ってからか、いくつかの事柄から何度か海を思い浮かべることになった。普段あまりそういう意識はないが、日本という島国に住んでいることも、考え始めると何かしらの影響があるのかと思うことになる。最初は着ているジャケットからか、襟の形や、ジッパーの位置などに、海賊のような出で立ちを連想することになった。なんとなくフック船長のようだと。ちなみにそのジャケットを着ながら、頭には黒いハットを被ったりしている。数字の７を書けば、鉤針のような筆跡が、ペンを走らせる（と言うほど速くもないけれど）に容易いことがある。それは癖字と考えても特徴があり過ぎるように思う。ついでに、船長は英語でやはりキャプテンとなるのだろうか、あるいはボスともなるのだろうかと思ったりする。<br><br><br>　去年、１本の黒いパンツを購入しては、ブランドの本拠がオランダであることを知る。そしてブランドの興りこそオランダだが、製造国を見るとインドネシアとあった。自分がそれを見たとき、製造国が東南アジアや中国であることは、もう慣れっこになっていたと言っていいだろうか。あるいはそれは、そのことを人と話したりしたことも理由になるかもしれない。それは相変わらず他のこととは違う機微を以て目に留めることではあるが、買えない物でもないようであり、自分が手にしている衣服の多くも、そのような製造国によるものだった。ただ同時に、そのことを話せば、話の多くは衣服を離れ、経済や生活水準に取って代わっていた。なぜならそれらの多くは安価という事実があり、その説明に人件費のかからないことを聞くばかりだったからだ。<br><br><br><br>　そういう事情がたくさんある中、それを必ずしも良しと考え受け入れるばかりでなく、おそらくは反比例するように少なくなっていった日本製を、再興させようという気運もある。もちろんそこには東南アジア製や中国製に負けないという自負が込められているのだろう。そして先日オープンしたばかりの一軒のショップを訪ねては、ジャパンメイドを掲げるその商品のうちから、Tシャツを一枚購入してきた。ベンガラ染めによるもので、日本でも古くから用いられてきた染料だそうだ。そしてただジャパンメイドと言うばかりでなく、そのコンセプトには歴史的な観点が盛り込まれていた。そのことから影響を受けたのか、そのTシャツ購入時に穿いていた前述のパンツを思っては、日蘭貿易の始まりがいつだったか、インターネットを開いては簡単に調べることになった。1598年がその年だったが、もう一つのことを歴史的経緯から知ることになる。大航海時代とされるその年代に、オランダがアジアへ進出するため取られた海路では、インドネシアのモルッカ諸島が中継地点となっていた。歴史の授業で学んだか、あるいは初めて知ることなのか覚えはないが、それを知っては自分の中で、製造国やあるいはその価格が、経済や生活水準とは別のことを語り始めているように思えた。と言うよりは、そう考えたくなる自分がいるとも言えそうだ。<br><br><br><br>　もうずいぶん前から、ある串カツ料理店で、持ち帰りの定食を買っては食べることが続いているが、初めメニューを一見して注文することの多かった定食がある。材料に海の物が使われ、エビやイカやタコ、ホタテや鮭などが具材となる。焼き魚を普段そんなに好んでいるようには思わないが、ステーキなども食べたいものに挙がってくることは少ない。もう一つ野菜や肉を具材にしている定食があるが、注文することは稀だった。漫画『美味しんぼ』（連載は再開されたのだろうかと思ったりする）などによると、日本人が好んで摂取する旨味の主成分はアミノ酸やグルタミン酸であるらしく、それは魚介類に多く含まれるとのことだった。そして肉類の旨味の主成分はイノシン酸とされていた。日本人を漁業民族と考えるなら、簡単に自分にもそういう血が流れているのだろうかと考えたりする。刺身はもちろんと言っていいのか好んで食べるし、調味料も塩が筆頭に挙がるものになりそうで、それが海水から得られることも一つの状況を説明しているように思う。<br><br><br><br>　勤め先が小売店でカーテンを取り扱っているが、やはり漫画である『ワンピース』のデザインされたものが一時その商品の一つにあった。主人公たちは海賊で、もうあまり記憶にないけれど、世界のどこかにある秘宝のようなものを探して旅をする話だった。それはこの記事を書けば思い出すことで、あくまで余談と言えそうだ。今はそのカーテンも取り扱いから消えている。<br><br><br><br>　フック船長と書いたけれど、ヨーロッパで海賊はヴァイキングとされ、カリブ海ではそれはパイレーツと呼ばれたりするんだろうと考える。同じように海で起こる自然現象の台風が、大西洋ではハリケーン、インド洋ではサイクロンと呼ばれたりするように。でも自分の格好からそれらの別まではつかない。あるいは同じだったり、ディズニーの世界に過ぎないとも。それでも海やあるいは船にまつわることではあると思ったりする。住んでいる場所からそう遠くないところに港もあり、そこに船が漂着することももちろんあるだろうと。<br><br><br><br>　製造拠点が中国であることも多い現状で、そのカーテンがどこで作られていたんだろうと思っては、同時に日蘭貿易のように、輸送経路に海を思い浮かべたりする。海賊はあくまで海を、狩猟経済の場にしていただけだろうと思うけれど。今は閉鎖してしまった大阪市立美術館で、フェルメールの展覧会が、おそらくは日蘭貿易400周年記念事業のため催されていた。1998年のことで、当時15歳の自分はそれを観ているが、この画家が生を送った時代も大航海時代に等しかったと記憶している。絵の輸送に空路が使われたのか海路が使われたのか、それは知らないところだけれど、貿易やあるいは交易と、その歴史を思っては、身に着けるものを初め、製造国に対する考え方が少しお金を離れたように思いもする。と同時に、何を考えながら物事に触れているのだろうと改めて自分を見るような思いがある。それはきっと考えると言うよりは、感覚的なことなのだろうと思ったりするけれど。あるいは、他のこととは違う機微を以て目に留めることになると書くように。<br><br><br><br>　
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<pubDate>Thu, 30 Apr 2015 18:30:00 +0900</pubDate>
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<title>COUNTRY FEEDBACK 番外編</title>
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<![CDATA[ <br>　連記ではあるものの、他に書くこともないのでといった内容です。だから何度か書いている余談ということになります。あるいは番外編と。<br><br><br><br>　前回記した、住んでいる街の現状とその考察の続きになります。前回書いたように海手の衰退してしまったエリア（と言うより駅界隈）ですが、唯一なのかどうか知りませんが、数多く出店されているのがヘアサロンです。あるいは美容室とも。<br><br><br><br>　何年前からそういう動向がそのエリアにあったのか定かではありませんが、やはり自分がまだ幼い頃にはそんなにヘアサロンが建っていたことはなく、やはり書きました山手（こちらも駅界隈）の方も今ほど発展していませんでした。実は市の名前が文学史を遡れば、ある女流作家の名前でもあります。ヒントは紫式部、と書いてしまうともう答えは判明したも同然ですね。<br><br><br><br>　そこで話は少し変わりまして、最近言葉を並べながら、あるいは普通に話しながら、言葉が意味化けすることがあります。言葉が意味化けするとはどういうことか。例えば「天敵」と言ったつもりが（あるいは呟いても）、「点滴」と言ったような気分になるということです。他にもいくつかあったと思うのですが、要するに同音異義語に変わってしまうということです。そしてそういうことは、市の名前と、その女流作家の名前でも同じことが言えるんじゃないかと考えた次第です。そう考えることに何の意味があるかと言うと、一方は女流作家、つまり女の人だということです。<br><br><br><br>　今は衰退してしまったその海手の駅界隈ですが、ヘアサロンやあるいは美容室と書くように、床屋ではないわけです。あるいは理美容室ではないと。どうひいき目に見ても、ユニセックスのヘアサロンばかりです。それから片や発展した山手の方では、ららぽーとが建ち、その中にはアパレルショップがたくさん入っています。ヘアサロンと並べると、髪型や服装の世界です。そしてアパレルの売上というのは、実は8割が女性客によります。つまりウィメンズやレディースですね。<br><br><br><br>　市の名前が女流作家の名前と同じ。海手の駅界隈に床屋ではなくヘアサロン。そして山手に大々的な、そして売上の8割が女性客による、アパレルショップのたくさん入ったららぽーと。つまりこうして並べてみると、なんとなくまあ……女性的な街と言うか、あるいは女性向けの街と言うか。まあそれを偶然と考えるところが、余談たる所以ですが。観光立国とか言ったりしますけど、市がそういう女性向けの街作りを進めているというのも聞いたことがないので。<br><br><br><br>　それから髪型とか服装とか、そういうめかしこむことの次に来るのは何だろうなと考えると、女の人はやっぱり美味しい食事に目が無いようで、料理店とかレストランとかが思い浮かびます。そしてそういう店がたくさんという印象はまだない街です。と言うより、駅界隈とか、ららぽーとのような大型集客施設のように、集中的には建ち並んでいないなと思ったりします。大阪市内に出れば「～番街」といった、通りすべてが料理屋さんやレストランというところもあります。ファッション関連の教育機関に通っていたのですが、クラスメイトの女の子が肥後橋あたりを散策と言うか訪ねることが多いようで、食事をする店が多いということでした。自分は外食をあまりせず、先日勤め先の向かいにあるサイゼリヤに入った程度で、こだわりというのもほとんどありません。けれどうちの姉などは、服こそ大阪市内で探したり買ったり（ユニクロもありますけど）していますが、住んでいる泉州地域の情報誌を買って来たりして、料理店を調べては予約をして、食事に出かけるといった……まあ行動と言うか何と言うか、そういうことが食事情にはあります。泉大津港とか岸和田港なども近くにあるので、海産物も揃いやすいと思ったりします。<br><br><br><br>　ららぽーとがオープンの知らせと同時に建設を知ったようなもので、建てられた経緯をまるで知りませんし、行政の計画や立案がどれほどあったのかもさっぱりです。主導は三井住友不動産だったと聞いていますが、女流作家のことが念頭にあったとはとても思えません。ただなんとなく昨今の市の成り立ちに関してこんなことを考えた次第です。自分は今日国民年金保険料の未納分のことで堺西保険事務所に電話した（使用期限と納付期限を誤解していた）のですが、納付先って厚生労働省（あるいは日本年金機構）？　なんて思ったりしてます。市役所にも年金課があったように記憶していて、国民健康保険は保険者が市なんですけどね。保険証の記号は「和国」ですが、最初日本のことだと思いました。「和を以て尊しと為す国」なので。あるいは「倭国」とかね。<br><br><br><br>　港や海産物のことを書きましたが、次はひょっとしたら海のことを書くかもしれません。少し歴史的になりそうだなと。
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<link>https://ameblo.jp/intastellaburst/entry-12017868175.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Apr 2015 16:34:25 +0900</pubDate>
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<title>COUNTRY FEEDBACK 2</title>
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<![CDATA[ <br>　実は、と言うほどでもないのだろうけど、大阪府の南部、I市に住んでいる。実家を離れたことはなく、30年以上その街で暮らしてきた。その間に発展した山手と衰退してしまった海手があるけれど、現在ではその発展した方に足を運ぶことが多く、衰退してしまった方へは必要な用事だけに終始しているような毎日がある。免許を取得しては車を運転するようになり、移動手段が変わって移動範囲が変わったことも、大きく影響しているように思う。先行きや将来というものは、行政や企業ともに考えにあるだろうし、実際に計画が立てられてはその実行も進んでいるとは思うけれど、詳しくは聞いていない。それはその街に住みながら浅薄な態度なのかもしれないけど。<br><br><br><br>　大阪府の南部と書くように、大阪市内や、あるいは堺市などに比べて、郊外という見方は自分にもある。と言うより実際もそうだろうと。郊外には郊外の利点もあるようには考えるけれど、大阪の中心地とはやはり誰も考えないだろうと。そして自分の住むところはI市でもベッドタウンの様相を強くしているように思うし、片田舎という見方さえも簡単にある。それは郊外の利点とは別に、ある点で比較した場合のことになる。<br><br><br><br>　去年の夏から服を買うことが習慣になり、それは11月の、あるショップが畳まれる時まで続いたと考えている。と言うより、そのショップで購入することばかりだった（アパレル業界では男性客にそういう傾向がある）。それまで習慣がなかったように、衣服に大して興味がなかった。そしてそのショップで購入することが習慣になった理由で大きく挙げられるのが、勤め先の近くということだった。通勤では近所とも言えそうな距離にある小売店に勤務しているが、その3軒隣に構えられていた。つまりは通いやすかったと言うことになる。それから店長やスタッフにいろいろ質問をし、それはそれまで服を選んでは買いながらもずっとなかったことだった。そういうことを馴染みや、あるいは付き合いのように感じたりすることもあった。<br><br><br><br>　郊外と書くけれど、中心地である大阪市内と比べて物が豊富ではないと考えることもあるし、片田舎と言うのもその点による比較のためだった。店を訪ねても、品揃えに少なさを感じていたように思うし（そもそも店が少ないとも言える）、自分が外へ出ては買い物をするという行為からも、遠ざかっていた一因のように思える。もちろんそういう状況が長く続けば、それはそれなりにツケのような形で舞い戻って来ることもあるし、自分はそれを小売店で勤務しながら感じたりしている。と同時に、どうして人が物を買わなくなるのかということも、一つの経験のように覚えたりしている。<br><br><br><br>　その夏にそのショップで服を買い始めて、一週間と経たずして、自分は店の奥の方に並んでいた一本のジーンズと、出会ったと言っていいのだろうか。スウェーデンを拠点とするヌーディー・ジーンズが生産する、THIN FINNというものだった。試着してみて惚れ込むような思いがあり（もちろんそういうことを大げさと考える人もいるだろう）、今日も穿いては、１本約2万円という価格ながら、その価値を知るような思いがある。そして後悔は今もないと言うことになる。それから初めて見ては、当然ながら穿くのも初めてなのだが、何かしら自分がジーンズにずっと求めていたことが、特にシルエットの点で叶えられていたように思う。そしてもちろんと言っていいのか、この街でずっと知ることのなかったジーンズで、そのことがこの記事の趣旨にもなる。言い換えれば、どうしてこの街にこんなジーンズがあるのだろうともなる。セレクトショップで、アメカジ（アメリカン・カジュアル）というのがそのコンセプトだったと記憶している。並ぶ商品にスコッチ＆ソーダやフランクリン＆マーシャルもあり、二人の、店長やスタッフと話しながら、その店の自慢でもあったように思う。自分もフランクリン＆マーシャルのスウェットを、買いそびれたと知人に話したりしている。<br><br><br><br>　今では近くにららぽーと和泉が建ち、もうすぐ半年が経とうとしている。実はオープンの知らせとともに建設を知ったようなものだった。中には聞き覚えのあるブランドから、初めて見るようなブランドまで、アパレルを中心にショップがたくさん入っている。ハイブランドならヴィトンのバッグを見かけることにもなった。他にもユナイテッドアローズやアーバンリサーチドアーズ、ZARAやGAPも。ファッション関連の教育機関にこの春まで通学していて、クラスメイトの一人はWEGOに勤め、もう一人はショッパーにEMODAを手にしていたように記憶しているけれど、どちらもそのららぽーと和泉にある。建設さえ知らなかったように、企業誘致が進んでいた土地とは言え、建てられた経緯を詳しくは知らない。<br><br><br><br>　そのヌーディー・ジーンズを購入したショップが畳まれ、服を見るならどこにしようか、あるいはどこになるのだろうと思ったことがあるけれど、そのららぽーとに通うというような姿はまだない。ちなみにそのショップが畳まれる前、ヌーディー・ジーンズを探すなら大阪ではどこで見つかるのか訊いてみると、難波パークスを挙げていた。それからそのショップの別支店がどこにあるのかを訊いてみると、枚方にあるとのことだった。それを聞いては、自分の他に買い物に来ていた人たちからも、遠いと言う声が漏れていた。残念と言うようにも。もう畳まれてしまったので挙げたところで意味はないかもしれないけれど、NO WALLというのが店名だった。それからなんとなくではあるけれど、上新庄や堺から、付近や大阪市内に比べてアパレルの少ないこの街に通勤していた二人にも、どうしてだろうなと思ったりする。そのスタッフの方は既にブランドを興しては運営し、店長の方はスタイリストを目指すとのことだった。その店長が服を買い始めたのもNO WALLが始まりで、それは単純に習慣となった自分も同じと言えそうだった。そして初めて書くことで、二人が知っているのかどうかは知らないけれど（その店長はこの記事を読むこともある）、自分はそのショップでの購入のほとんどを、この店長が店に立っている時にしている。そういう事実に、やっぱりそのNO WALLの経営はその店長によるところが大きかったんだろうと思ったりする。悪く言うつもりはないけれど、もう一人はブランドを興したように、そのショップとは別にこだわりを持っていたと考えることにもなる。先日そのブランドが構えたばかりのショップを訪ねては、早速Tシャツを一枚、その人からとも言えそうな運びで購入している。NO WALLでは商品の多くをその店長から買っていた事実とともに、そのショップではやっぱりその人から買うことになるんだろうと考えたりしている。もう一人デザイナーがいて、顔を合わせることにはなったけれど、馴染みと言うほどのものはまだない。<br><br><br><br>　そのファッション関連の教育機関で、簡単に業界での共通の方法やルールを学び、今ここに書くように、実際にショップで見られる光景なり人なりその買い物なりは、その方法やルールに則って物を売る、あるいは買うことの、事例の一つ一つなんだろうと認識している。と同時に三ヶ月ながら、そのNO WALLで自分は物を買う側になるわけだが、その側でしてもらえること、あるいはすることとでも言うか、それは一通り済んでいたようにも思う。サイズのことを言えば、服を試着する時に、肩の収まりようを選び方の一つにしているように思うけれど、そのことを、そのTシャツを買いながらもう1点迷うものがあった時に、試着しては聞くことになった。影響なのか知らず知らず教わったのか、買う側と売る側で同じ選び方があることになる。馴染みや付き合いと考えたように、垣根と言ったものもあまりなかったのかもしれない。自分の父親ぐらいの頃は、仕事は盗んで覚えるものだったそうだけれど、今では「訊けば教えたるよ」と言ったりもしている。それもやっぱり事例の一つ一つなんだろうかと考えたりする。自分でもうちの店にやって来るお客様に物を売ることがあるけれど、どれぐらいの人が自分のお客様なんだろうと、そのショップで店長ばかりから服を購入していた姿と重ねて思うことになる。あるいは根拠も何もないけれど、自分が買わないものは人も買わないだろうなんてことを、目の前にするお客様に思うこともある。あるいは自分の物の選び方や買い方が、お客様の物の選び方や買い方になることもあるようだと。父親は会計事務所を運営しているが、自分が得することばかり考えては駄目だと誰かのことを言っていた。その人の会社なり企業なりがどういう経営状況にあったのかは聞いていない。<br><br><br><br>　最後に思い当たるのは、そのNO WALLというショップでは、商品の仕入をするのは二人とは別のようだった。あと見かけたのは、店を畳む時に解体や片付けに来ていた人たちの姿ぐらいだろうか。もちろんその時はもう前を通るだけだったけれど、全国に6店舗あるショップと聞いた覚えがある。
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<pubDate>Sat, 18 Apr 2015 14:05:02 +0900</pubDate>
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