<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>スリーライフ ～読んで、祈って、働いて～</title>
<link>https://ameblo.jp/ioanyn/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/ioanyn/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>日本正教会信徒。現在は未だ療養中にてtwitterに収まらない日記雑感など書いてます。Written by Ioann Nakamura (HN: masa, yn etc.)</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>挙栄祭Exaltation</title>
<description>
<![CDATA[ <div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20170927/08/ioanyn/17/9e/j/o0480064014036217405.jpg"><img alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170927/08/ioanyn/17/9e/j/t02200293_0480064014036217405.jpg" border="0"></a></div><br>今日は挙栄祭ですね。家にはキッチン用の十字架しかないですが、<br>榊を下敷きに秋の花で象ってみました。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/ioanyn/entry-12314357196.html</link>
<pubDate>Wed, 27 Sep 2017 08:10:05 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>桜の花びらたち</title>
<description>
<![CDATA[ <div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160714/14/ioanyn/70/ee/j/o0480064013697099721.jpg"><img alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160714/14/ioanyn/70/ee/j/t02200293_0480064013697099721.jpg" border="0"></a></div><br>写真は夜桜。久しぶりに街灯の角度と全景がピッタリときた（4月5日、好天の夜）。<br><br>桜の花びらたちに、今年は人の生き死にを見ていた。<br><br>外見が美しくても不細工でもみな同じ桜の花びらにしか見えない。いつ開花し、いつ散るのか厳密にわからない。<br>最後まで木にはりつき、最期がくるとはなれ散る。<br><br>落ちた花びらははじめは美しく記憶されても、色あせ、変色し、すぐにチリになっていく。木は葉になり過ぎ去っていく。過去になる。<br><br>人も死んだあと誰が正確な意味で覚えているだろう。祈ってくれるだろう。チリになってから、実はここにこんなにも美しい花びらが生きていて、ついていて、落ちていたのですよといえども、写真や動画があろうと、誰も気にしないだろう。万が一気にしてもすぐ忘れるだろう。<br><br>それだけではそれだけの話である。意味はない。<br>ただ私たちは生きた花びらだ。しかしそれではまだ動物と同じだ。<br><br>花びらと違うのは考えることだ。パスカル流に考える花びらか。さらに感謝できることだ。つまりこの大自然に、自分を育ててくれた木に感謝することができる花びらなのだ。さらに（私たち神様を信じる身としてはこうである！）、その全体を宇宙をこえて、つくられたかたに、造物主に感謝をささげることができるということだ。<br><br>さらに賛美をささげることをした人たちがいる。さらにそれをささげ尽くした聖人たちがいる。さらにそれと一体の生を保った聖人たちもいる。<br><br><br>だからこそ、生きているうちにそれを行う必要がある。私もみな、多くの人が桜の花びらのように散るのだ。一体誰が救われるのだろう。いま、いま行うのだ。死んでチリになる前に。<br><br>こんなにいろいろなことができる花びらはないのだから。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/ioanyn/entry-12180497522.html</link>
<pubDate>Thu, 14 Jul 2016 14:24:31 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>夢が叶う日、夢が赦される日</title>
<description>
<![CDATA[ <div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160430/18/ioanyn/ad/e0/j/o0480064013633093498.jpg"><img alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160430/18/ioanyn/ad/e0/j/t02200293_0480064013633093498.jpg" border="0"></a></div><br>かなり身内向けになりますが我が教会も無事に素晴らしい聖大スボタ（聖大土曜日）の祈りを今年も迎えることができました。<br><br>夕食は毎年、『大斎の意味』に書いてある、古代のクリスチャンが少量のぶどう酒と乾燥果物を食べて力をつけパスハにのぞんでいたというのをまねしたくなり、まねています。<br><br>写真の濃いブドウジュースに乾燥果物に麦に近いパンに木の実です。<br><br>食べる量は普通に大人一人前ですが。しかし古代のいま天国で宴を喜び楽しんでいる同士たちとともに、同じ食卓を囲み、いまから真夜中の復活祭に臨む気分さえも共有できるかのようで。<br><br>しかも基本的な食事のゆえ、聖大金曜日が明け、まず最低限の栄養と消化のよい必要なものしかとるだけの胃に、土曜日も昼間断食ですし、しっかり体と祈りの生活になじむ気もしています。<br><br>復活祭直前でただでさえ楽しい補正か、<br>なぜかこれが一年で一番楽みな食事だ。夏休み前の終業式のあとの食事を楽しみにしている子どもみたいな気分だ。<br><br><br>普段は妄想乙と自分に突っ込みたいところですが、今日はもう祝いのなかの祝い、祭りのなかの祭りと言われた日に入る日ですから、<br>まあ夢がかなったという自己満も赦される日ということで。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/ioanyn/entry-12155539441.html</link>
<pubDate>Sat, 30 Apr 2016 18:54:10 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>この国のかたち、は</title>
<description>
<![CDATA[ いずれ滅びゆくかもしれない。いずれ未来に、22、23世紀にはこういったような話になるのかもしれない。<br><br>日本人が築き上げて来た伝統的文化は、日本人から取り上げられそれにふさわしい実を結ぶ異邦人たちに与えられるのかもしれない。つまり移民が増え、生活が安定したら、コミュニティが確立したら、<br>そしてその二世三世が私たちより、古来の日本人らしい武士や職人精神を身に付け、彼らの子孫が日本文学や未だに取り残されている中世と江戸の深層文化を解き明かし、大和魂を継承し、二度（明治、戦後）にわたり失った精神性の接続に成功したらどうなるか。<br><br><br>そしてこういう末路にはなりたくないものだ。<br><br>-ああ、なぜ日本という国は歴史をみるにこれほどの高い精神性や高度な文化を生み、奇跡的な文明開花や高度成長をなしたと歴史で学ぶのに、いまの荒廃した姿になったのでしょうか？<br><br>-それは日本人たちが私たちの先祖から与えられた掟をすて、その道に正しく歩まず、心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くして歩もうとしなかったからである。<br><br><br>せめてそれが24世紀に旧約聖書のような言い回しにあてはまらないよう、今の私たちが、社会を変えるとは言わないが、せめて後世から見て恥ずかしくない道を歩み、一矢を報いたいものだ。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/ioanyn/entry-12141611509.html</link>
<pubDate>Mon, 21 Mar 2016 18:15:52 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>エグザイル</title>
<description>
<![CDATA[ 以下は帰国数日後、何とかメンタルが落ち着いてからの所感である。また改めてしっかり書きたい思いはあるが、教会はおろかネットすら適当に出せない今や書くのは難しいだろう。<br><br><br>しかし今見ても新鮮なのであげてみようと思い立った。<br><br><br><br>——————<br><br>11月24日<br><br>3ヶ月弱の修道院生活を無事に終えて帰国し、三連休を終えた。まず第一にシャバになれるのに時間がかかりそうだが、日本という国、日本人たち、日本語という言語にも異常な新鮮味がある。毎日がお正月な非日常にいる気分。海外旅行で海外が新鮮で非日常に興奮するのに似ている。<br><br><br>羽田空港上空から、ありふれた道路にクリスマスイルミネーションが確認できた。こんなことをするのは日本人しかいないと思いうれしくなり涙が出てきた。空港ではまるで外人になったようにオモテナシの広告が目にいってしまう。日本語より英語に目がいく一方で三種類の文字をもつ日本語が次々に目に飛び込んでくる。電車ではすみませんの一言がなかなか口から出てこない。周りじゅうに中国人みたいな人たちがいるがみな日本人な安心感。かわいいこどもたちや美少女やイケメンな大学生がいてもまず「日本人」として見てしまう。品川や渋谷ではサムライにならないと人をよけるのが難しいのはこのことかと思う。高い人気をほこるスシ、ラーメン、カレーが簡単に食べられる。<br><br>——————<br><br><br>結局、海外旅行で新鮮さを感じると、戻ってきたら国内にも新鮮さを感じ、ありがたみもわかるのに似ていた。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/ioanyn/entry-12136640428.html</link>
<pubDate>Mon, 07 Mar 2016 15:59:35 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>のび太のたとえ</title>
<description>
<![CDATA[ 国際情勢をたとえるならば、<br><br>のび太＝日本、ドラえもん＝アメリカ、しずか＝ヨーロッパ、スネ夫＝韓国、ジャイアン＝中国<br><br>に見えてきてならない。<br><br>漫画を読んでいると、のび太に必要なのは、<br><br>・しずかとドラえもんばかりでつるんでないで、実はスネ夫とジャイアンと同じカテゴリーに属することに意識的になること。<br><br>・彼ら同級生とは仲良しか対立するかでなく、ほどほどでよいこと。器用さ。もし出来杉がのび太のポジションならうまくやれるだろう。何が違うのか。また自分は「いい子」をやめること。根拠なしによいわるいを決めつけてドラえもんへ向かわないこと。<br><br><br><br>・ドラえもんばかり頼らないこと。そして、そもそもドラえもんなしののび太とは何者なのか、どういう人間なのかいまいち見えてこないこと。アイデンティティーの形成。<br><br>というのははっきりしている。子どもでさえかんづくかもしれない。<br><br>まあ5人で巨大な悪に立ち向かうときは一致するのだが。<br><br>確かにほかのキャラにもそれぞれの課題がある。<br><br>ドラえもんは道具を（ひいては物語全体をも）支配し自分と同一視していることに、<br>しずかちゃんは自分の高尚な趣味が絶対でないことに、<br>スネ夫は自慢話をはじめ、自分が問題を誘発し生きていることに、マイナスイメージをもたれていることに<br>ジャイアンはもちろん正義感に、力や好きなこと（歌）による支配と一方的な現状変更に、<br><br>それぞれが意識的にならなければならない。<br><br>しかし、やはりのび太はしっかりしなければならないのは課題なのだ。<br>というのも、のび太が不平不満ばかり言い出したらどうなるか「スネ夫とジャイアンはろくでもないやつらでいなくなればいい。しずかちゃんは気まぐれで、ドラえもんも秘密道具がなければ役にたたない。」などと。<br><br>それこそわざわいである。ドラえもんをいいように使うだけにして、のび太だけの素晴らしい王国を築いたらどうなるか、末路が見えるいつものパターンである。現にそんな失敗があったような気がする。<br><br><br>理想の仲良しの5人は長編映画のスペシャルでしかみられない。また普通の漫画で目にする特別な話題であの姿（毎回みんな仲良しな訳ない）なら「普段」の日常生活はどれほどだろうか。しかしあの5人も何気ない日常生活でなんとかうまくやっていかねばなるまい。理想は、日常生活にこそある。そこそこ悪くなければよい関係なのではと思い、よい部分も見ていきたい。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/ioanyn/entry-12130763798.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Feb 2016 10:36:56 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>夢の対決～高校野球と大学野球の精鋭～</title>
<description>
<![CDATA[ 高校野球U18ワールドカップの壮行試合。<br>夢を見ているのではないかと思う戦いだった。<br>こうしたバーチャルゲームでしか見られなかったような戦いを望んでいるファンもいると思う。需要が望めないのは確かだが、ぜひこういう壮行試合などの機会にドリームマッチを開催してほしいものだ。<br><br>一回の表裏が圧巻の夢の対決だった。<br><br>いきなり甲子園優勝左腕の小笠原（東海大相模高）と世界を制した高レベルな大学代表打線との対決が見られる。悪い球でなくとも簡単に単打の連打を浴び、そして横尾（日大三高→慶大）があっさりと犠牲フライ。谷田（慶応高→慶大）のタイムリー。次回も含めると高山（日大三高→明大）がヒットを放ち、４年前の、高校最強クラス（当時アジアAAAにも出場）の先輩の貫禄か。<br><br>簡単に小笠原から二点を取る。<br><br>一方の大学ナンバーワン田中正義（創価大）は初回は全球ストレート。オコエ（関東一高）も驚いて三球三振（のち二打席目のヒットはさすが）。そして、高１とは思えぬ清宮（早稲田実高）の体格と風貌と・・・あのプロも打てなかった田中の速球をセンター前にはじき返す。それは果たして真の実力か偶然かたまたまかまぐれか・・・。（ただのちの２四球と選球眼と貫禄は何者なのか・・・）＊。ゲームではない夢の対決である。<br><br><br>大学を代表する投手陣が何人も毎回のように次々と表れる。<br>変化球のキレや落差、伸びのあるとても打てないような直球、力強い球は当たり前・・・。<br>高校時代に好投手とマスコミに騒がれる人たちが集まり、訓練され、時に挫折し、競い合い、もまれてきたわけだから。<br><br>甲子園の投手と大学の打線も面白い。<br>中盤の上野（中京大中京高）は低めにうまく球が集まり、制球もよかった。それでもコースをずれると対応し、強打もくる大学の選手は、まるで日本とメジャーのプロの違いのようだった。<br><br><br>高校時代から大きく成長した下石（広陵→東海大）と上原（広陵→明治大）をも確認できる。<br><br>まるで、新旧の甲子園の名優がそろった感もあり楽しめる。ふつうに試合するだけでもファンは十分嬉しいだろう。<br><br>数年前なら、妄想にされることが、普通に実戦で見られるとは思わなかった。<br><br><br>＊清宮関係に意見を一言。現段階でプロ二軍を見ているようだった。その素材と能力は確かに別格である。ただ２点。あくまで入ったばかりの高校生であるわけで、せめて３年になるまではマスコミは異常に騒がないでほしい。また本人だけの問題でなく、真の実力や真価が見る側もわからないかもしれない。<br>当たり前のことで、長い目も忘れてはならない。歴代の名選手を見ても高校生、そしてそれ以降も１，２年は見ないとはっきりした「判断」などできたろうか。具体例はあげないが、逸材と呼ばれた逸材が逸材のまま維持するだけでもどれだけの闘いだろう。まして成長させるというのは。<br>（いまの現代社会は瞬間瞬間の成績とある期間の成果だけが、華々しいもの、「結果」を出したものとして評価される傾向にある。長年プロの成績を保つ選手よりも。それに注意する必要がある。）<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/ioanyn/entry-12066169013.html</link>
<pubDate>Wed, 26 Aug 2015 22:24:16 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ケーキ作り</title>
<description>
<![CDATA[ <div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150214/20/ioanyn/1f/0d/j/o0640048013218106934.jpg"><img alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150214/20/ioanyn/1f/0d/j/t02200165_0640048013218106934.jpg" border="0"></a></div><br>とあるお世話になっている団体で、串揚げ作りとケーキ作りを楽しんだ懇談会。<br>ゆっくりのんびり料理を下準備しながら食べて、食事会懇談会になって。土日の都心オフィス街で、オフィスビルで、揚げ物するという、<br>…こういうまったりさが久しぶりだったからか感動的でした。少しずつでもまだまだ都会に広めていかねばならないペースですね。<br><br>昼間と違う事務所に、過去の記憶がよみがえる。高校生の時は何度夜の学校で飲み会、いえ食事会をしたか、体育館で遊んだか。今の子は難しいのだろうな。こういう裏返しな、ハレとケな、トリッキーな悪く言えば倒錯的空間も大事な気もします。<br><br>さて、ケーキ作りといえど、誰でもできる簡単なお仕事な、クリームとチョコレートとフルーツ盛り付け。<br>そこで、また深層心理が頭をよぎり、ケーキが自我をクリームが無意識を液体チョコレートが情念をフルーツが心や愛を示しているように見えてきた。<br><br>こういう作業も小さな創造ですから。無意識のイメージが現れることでしょう。<br>対照的なシンメトリー構造になり、「中村さん、性格が出てますね」と言われる。<br><br>心理療法は遊びであるというウィニコットの名言。本当に仕事ができる人は遊ぶ能力が高い。今からでもコツコツみがいていきたい。世が称賛する創造性もつまりは遊びだ。現に機械人間はマシンに代わられ、暗記人間はコンピューターに座を追われている。実は人生はかなりが「遊び」なのかもしれない。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/ioanyn/entry-11989897731.html</link>
<pubDate>Sat, 14 Feb 2015 20:58:20 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>首都圏在住で図書館好きの方へ</title>
<description>
<![CDATA[ ひょんなことから図書館の蔵書数を調べました。<br>都内の公共図書館と近郊エリアです。<br><br>開架図書の数も公表されているものは含めました。<br>興味のある方は参考にどうぞ。<br><br><a href="http://libinfo.web.fc2.com/" target="_blank">http://libinfo.web.fc2.com/</a><br><br>とりあえずデータのみあげていて、<br>時間があればページは整備するか、このままかもしれません。<br>元資料の一部転載のため、クレジットは考えていません。よってサイト名とURLとしっかり注記を含めることさえ守っていただけたらすべて流用していただいてもけっこうです。<br><br><br>-------<br><br>学術書を読まれる方、J堂が好きな方･･･<br><br>ある特定分野の周囲の書籍を参照したい…とはよくあることだと思います。＊<br>しかし膨大なキーワード検索は可能な情報社会とはいえ、<br>巨大本屋のような棚で自由に中身を見ながら判断できるわけではない。<br>（当然本屋は本来的に立ち読みさえ禁止のため、メモもご法度）。<br><br>それで、開架図書を回ろうとおもいつきました。が、<br><br>「都内で開架図書の豊富な図書館を５館ほど・・・」<br>「私の近所の図書館で大きな図書館を５つほど・・・？」<br><br>といっても簡単に挙がらないことに気づきました。<br>それは蔵書数でさえそうで。ネット検索かけても、自治体全体で何冊とかで、館ごとにどうこうではない。<br>というのも地区の中央図書館と分館もあくまで館単位ではなく各自治体ごとの運営で、<br>さらに地区間の横同士の関係が密なわけでもない。<br><br>東京ほど公共図書館が密集・充実しているのはどちらも世界一でしょう。<br>このネットワーク、金鉱をもっと活用しない手はありません。<br>閲覧と書庫図書の閲覧ならすべての図書館で可能なはずです。<br><br><br><br>＊たとえば高校の歴史の勉強をしていたような若者が網野善彦や阿部謹也の本に触れて、こういった庶民を描いた歴史をもっと学びたいと思ったとする。それで他の著書の著作や、論文、また「社会史」というキーワードで拾えるもの、また某通販サイトのように「この本を買った人は・・・」な周囲の本も探せる、しかし、漠然と社会史に興味を持ち、似た本が読みたいといっても、それは「検索」はできない。ネットが発達して社会史で有名なキーワードや著者は拾えるかもしれないが、結局、開架図書を回るのが手っ取り早い。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/ioanyn/entry-11982256266.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Jan 2015 14:39:27 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>フリーペーパーで、できる。</title>
<description>
<![CDATA[ <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20141128/15/ioanyn/84/ef/j/o0640048013142953779.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20141128/15/ioanyn/84/ef/j/t02200165_0640048013142953779.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>簡単にコラージュができる。無料でできるのは本当にありがたい。しかも数冊集めなくても、某無料求人誌T一冊でも写真のようにB5サイズなら足りた。<br><br>ひたすらこれだと思うイメージを適当に切り取る。終わったら切り取ったイメージをすきな部位に切り取り、配置を考え、貼り付けていく。ただこれだけだ。<br><br>芸術療法のうち、素人で絵がド下手でも簡単につくれるのは「風景構成法」のほかにこのコラージュしか見当たらない。<br><br>繁華街でもメディアでも多大なイメージが飛び交う現代。シュルレアリスムや現代芸術にもそう抵抗を感じない現代だ。個人的には好きではないが、まさにそれがコンプレックスであって、案外コラージュは合っているところがあるのかも。<br><br>今日から、初めて全体を統一したタイトル（テーマ）と物語を作ってみた。鉛筆で軽く風景も添える。なんだか風景構成法と混じっている。コラージュ構成法といったところか。<br><br>タイトルは「年末に働く人びと」だ（そのまま・・・）。<br><br><br>【物語】<br>ついに某定食屋Oの巨大ビルが表参道に立った。そこで毎日ランチするお姉さんが、買い物帰りで帰路についている。日常である。しかしその日常から（労働者たちから）非日常の年末イベントも生まれるのだ。その中央に円形の広間がありお菓子のツリーがそびえている。この動物と郵便のお姉さんはお菓子と食べ物を想像している。そしてお姉さんは「クリスマスだけでなく年賀状も忘れてはダメよ」と動物にわざわざ報告しに郵便局から出てきた。その左で、さらに妙なケーキ好きの妖精がいる。こいつは人間界と動物界の想像の産物を見ることができる獏のようなやつだ。（しかし概観するだけで何かをする権能はほとんどない）。下のお兄さんは「ウチはこのようなケーキの配達もできる」と説明している。左上の整体は、人気があるが、それも毎日勤勉な清掃員がいるからである。そしてこの郵便局も、円形広場もツリーもすべて上のガテン系の男前2人が中心となって作り上げたのであった。<br><br><br>・・・なんか見た夢を説明しているようです。夢そっくりのシュールさです。意識に入ってこない部分が活性化される気が。しかし話も構成が無茶苦茶な物語ながらなにかしら全体におさまっている。これは不思議なことでまさに人間の心の不思議のようです。<br><br>おさめることが大事。混沌としているけど何かしらの統一があるということ。それが破綻すると心が病むのだろうか。<br><br>さて、みなさまもお仕事でお忙しかったり、追われていたり、特に過剰意識や囚われ、頭でこりかたまってしまうタイプの方は息抜きにいかがでしょうか。ただ夜は避けたほうがいいとは私は思います。<br><br>（写真は、完全に権利関係は逸脱しています。無料で配られるフリーペーパーなら多少許されるだろうかという甘い思いがあり、――しかしクレジットも切り取っており、よろしくない行い承知であげておりますが、これを最後にしたいと思っています・・・）<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/ioanyn/entry-11957999849.html</link>
<pubDate>Fri, 28 Nov 2014 15:45:48 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
