<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>親父がガンでシニマシタ。</title>
<link>https://ameblo.jp/iqonowisdom/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/iqonowisdom/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>親父が肺ガンの診断と共に余命三ヶ月の宣告を受けてからこの世を去るまで、残された時間を息子として家族としてどう過ごしたか。また、何故親父はガンになり、何故この世を去ったのか。残された時間の中で気づいた事、学んだ事。時々スピリチュアル。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>信じる</title>
<description>
<![CDATA[ 池田医師と姉貴はFacebookのメッセンジャーでやり取りを重ねていた。彼は姉貴に「私の言う通りにすればお父さんは必ず治ります。」と言った。<div><br></div><div>現代医学に見放された者にとっては、この言葉を信じてやるしかなかった。</div><div><br></div><div>彼はとにかく、いかに腸内細菌を増やすことが大切であり、それに関する研究内容をノートにまとめてそれをFacebook上に公開していた。Facebookの友達の中には医師らも多く存在していて、その研究内容についても医師らも皆口を揃えて賛称していた。</div><div><br></div><div>また、腸内細菌を増やすために、調味料から食材まで、無添加無農薬の物にこだわっているだけではなく、1日1食生活を実践していた。</div><div><br></div><div>1日1食生活と言うのは、基本的に食事をすると言うこと自体が体に負担をかけることであり、特に現代のような食品添加物や農薬、放射能が溢れている社会で、何を食べるかよりも、何を食べないかが重要という視点も大切にしている。実は自分自身、その半年前に仕事に行き詰まった時に気分転換のために実践していたこともあった。</div><div><br></div><div>実践して分かったことは、1日1食で全然生きていけるし、身体が軽くなり、精神が安定し、集中力が上がった。夜は好きなものを好きなだけ食ってぐっすり眠れた。小遣いも減らなくなった。ディメリットと言えば家族、友達、同僚と昼飯が食えなくなること。特に昼に好きなラーメンが食えないこと。気を抜くと痩せすぎる。まあ、自分的にはメリットの方が圧倒的に多かった。それと同時に、世の中にはいかに物が溢れているかを実感した。</div><div><br></div><div>それを池田医師も実践していて、池田医師がノートで公開している内容も、医者の研究みたいなもんなんで難しい事を並べて書いているのだが、自分なりに信憑性も感じていた。</div><div><br></div><div>ただし、１人オーリングテストを遠隔で行うという事についてはどうしても信用できない。</div><div><br></div><div>「今、あなたのお父さんの腸内細菌叢は1000です。いいですね、この調子で頑張りましょう！」</div><div><br></div><div>と青森からメッセンジャーで姉貴に送ってくる。普通は信じれない。だけど、追い込まれた家族はオカルトでも信じたい。そんの変な感じだった。</div><div><br></div><div>最初は調味料の選び方とかだけ教えてくれていたのが、徐々に自分が作ったという腸内細菌叢を増やす高額なサプリを勧めてきた。1ヶ月分で1本13万とか、そんな金額だったと思う。</div><div><br></div><div>姉貴は高いけどそれで本当に癌が治ったら安いもんよと言っておかんに購入を勧めた。藁にもすがる思いのおかんは、まあ、こういう時のためにと思って少しだけ貯めたお金があるからと言って、まず1本購入した。</div><div><br></div><div>俺は、怪しいと言いながらも買うなとは言い切れなかった。俺もそれでも信じたいって思っていた。</div><div><br></div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/iqonowisdom/entry-12421300026.html</link>
<pubDate>Sat, 24 Nov 2018 18:38:57 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>O-リングテスト</title>
<description>
<![CDATA[ <p>バーベキューが終わり、親戚一同もそれぞれの帰路につく中、親父に改めて話をした。</p><p>&nbsp;</p><p>「うちの近所にマンション借りるけぇ。そこに来んさい。何かあったときは俺が近くにおるし病院もすぐ近くにある。」</p><p>&nbsp;</p><p>「そうじゃのぉ。そこに住みに行く気で行きゃーええのう。そうするわ。」</p><p>&nbsp;</p><p>その夏には俺の友達も親父に会いに来てくれた。手土産に湧き水が体に良いとからと行ってペットボトルに湧き水を汲んできたよって親父に差し出したんだけど、そのペットボトルにはサランラップで５千円札を巻いてあった。</p><p>&nbsp;</p><p>「おっちゃん、これエエ水じゃけー。元気になるよ！」</p><p>&nbsp;</p><p>「おお！これが一番効くわぁ！」</p><p>&nbsp;</p><p style="text-align: left;">って大笑いして、「おおきによ」って何度も涙を拭いてた。</p><p style="text-align: left;"><br></p><p style="text-align: left;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181120/18/iqonowisdom/c8/bc/j/o3264244814306668779.jpg"><img alt="" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181120/18/iqonowisdom/c8/bc/j/o3264244814306668779.jpg" width="220"></a></p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">姉貴が言ってた青森の池田さんっていう医師が言うには、ガンのみならず、万病の原因ってのはまず食べ物にある。化学調味料や食品添加物、農薬、放射能の影響を極力さけること。それを避けることで腸内細菌叢が育つ。腸は人間の臓器の中で一番大きく、腸のコンディションが病気に一番影響を及ぼす。まず腸内環境、腸内細菌叢を整えること。そんな話だった。</p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">さらに池田医師はこういうこと言う。O−リングテスト（オーリングテスト）というキネシオロジーを筋肉の反応を診断する手法を用いて、本人の体に良いもの、悪いものを診断する。本来のやり方は、被験者が人差し指と親指で輪っかを作る。反対の手で、その人の体にあっているかどうか調べたいものに触れる。その状態で、第三者が人差し指と親指で作った輪っかを外そうとする。被験者は輪っかが開かないように力を込める。その時に、反対の手で触れているものが体に合っているものであればリングは開かない。合ってなければ力が入りにくいからリングが開く。</p><p style="text-align: left;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181120/18/iqonowisdom/0a/57/j/o0442014614306685105.jpg"><img alt="" height="146" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181120/18/iqonowisdom/0a/57/j/o0442014614306685105.jpg" width="442"></a></p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">これは代替医療の診断方法ではあるが、医療現場でも用いられることもあったり、信憑性が高い診断方法とされている。</p><p style="text-align: left;"><br></p><p style="text-align: left;">ただ、池田医師が行なっているのは「ひとりO-リングテスト」なるもの。それはかなりオカルトチックと言わざるを得ないもので、文字通り、1人でO-リングテストを行う。</p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">現在の〇〇さんの腸内細菌叢数はいくらですかと、池田氏が自問自答する。「100以上ですか？、200以上ですか？」そんな感じで自問自答するらしい。それで池田医師が対象者の腸内細菌の状態を測って、あなたの腸内細菌叢数は100です。改善の必要があります。数値を上げるためには、食事を改める必要がありますが、まず調味料を改めることからしてください。無添加をうたっていて体に悪いものはあります。塩、醤油、みりん、酒、スーパーで売っているものはだいたい腸内細菌叢を殺してしまうので、私が紹介するものに変えてください。</p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">というような話。ここだけ切り取って話せば明らかに詐欺じゃないかと思うんだけど、病院でも直せないと言われた状況の中だと、それでも試してみる価値があると、信じたいと、そういう心理が働く。さらに、池田氏がFacebookなどで発信している情報は非常に専門的で信憑性も感じられるような話だったのと、実際に末期癌が治ったと言う人がFacebook上に何人かいて、皆池田氏の方法を推奨し紹介していた。癌を克服した本人だけじゃなく、Facebook上で著名な人からも指示を受けていた。</p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">怪しいのは確かなんだけど、食事を正すってところには間違いはないし、池田氏が紹介している調味料の食品表示を調べると、確かに無添加で体に害が少ないものだった。悪いものを紹介している訳じゃないのも確かなことだったので、言われる通り調味料から正していった。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/iqonowisdom/entry-12420403975.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Nov 2018 00:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>最後の夏</title>
<description>
<![CDATA[ <p>俺は夏には特別な思い入れがある。子供の頃からずっと夏が大好きで、夏が待ち遠しくて。</p><p><br></p><p>お盆が近づくと広島から大好きな従兄弟のサトシがやってくるからだった。毎年サトシが家にやってくるのが楽しみで、楽しみで。毎年が特別な夏だった。</p><p>&nbsp;</p><p>サトシと俺と、俺の友達を連れて、よく普段行けないような遠くの川に連れて行ってくれた。親父は俺が大切にしているものをとても大切にしてくれた。サトシのことも、友達のことも俺を可愛がるのと同じように可愛がってくれていた。面白くて、なんの気兼ねのないおっさんだったので、みんなと仲が良かった。その関係は大人になってからも変わらなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>サトシが前乗りでやってきて、サトシの妹とお母さん、他の従兄弟たちも、毎年８月１５日の花火大会に合わせて我が家に集まるのが毎年の恒例行事だった。子供の頃から、大人になった今でも、夏にうちの実家に親戚が集まる。</p><p>俺が育った家は家賃3,000円くらい６畳二間とかの町営住宅で、親父が勝手に継ぎ足した４畳半の部屋があったがとにかく狭くて古い家だった。子供の頃にはその家にウチの４人家族＋従兄弟２家族６、７人＋婆ちゃんがやってきて、最大で１２人がすし詰め状態。寝るときは雑魚寝。もうごった返していた。</p><p>&nbsp;</p><p>大人になった今では、その町営住宅はすでに取り壊され、別の町営住宅が実家となったが、流石に大人が１２人は厳しいので、家の裏にあたる山の頂上キャンプ場があって、そこの管理棟を貸し切ってバーベキューして過ごして花火大会を待つのが恒例行事となっている。</p><p>&nbsp;</p><p>親父は神経質なんでキャンプ場に寝泊まりはできないといって家で過ごしているが、その夏もいつもと同じように皆が集まり、バーベキューをして花火大会を見て、神楽を見た。</p><p>&nbsp;</p><p>みんなにも親父の癌のことは知らせていた。８月１６日にキャンプ場を片付けて、みんな一旦実家の前に集合。また来年もみんなでやろうねと言いながら、どこかで親父がいる夏はこれで最後かもしれないと、誰も口には出さなかったけど、みんなそう思っていた</p><p>だろう。でも、親父のためにこんなに県外から親戚が集まってくれて記念撮影できたことは忘れられない夏の思い出になった。</p><p>この頃はすでに食事療法を開始しはじめていた頃で、顔の肌艶も良く、秋には命が尽きる、年を越すのは難しいと言われた人には見えないほどピンピンしていた。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181120/14/iqonowisdom/a9/ed/j/o1280096014306559020.jpg"><img alt="" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181120/14/iqonowisdom/a9/ed/j/o1280096014306559020.jpg" width="220"></a></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/iqonowisdom/entry-12420352902.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Nov 2018 00:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>決意</title>
<description>
<![CDATA[ <p>主治医から余命と今後の治療方針の流れを聞いてから、その後血液検査をして家に帰った。それから１時間半車で走って家に帰るまでに、さてこれからどうしたらいいのか考えた。</p><p>&nbsp;</p><p>俺は自分が勤めていた総合病院のすぐ横の借家だ。子供が４人いるのし、両親を迎えるほどの部屋はないので、家に帰ったその足ですぐに不動産屋に足を運んだ。近くにアパート借りてそこから通院させるのがいいだろうと。</p><p>&nbsp;</p><p>うちから徒歩２分くらいのところに１Kの賃貸マンションに空きがあった。不動産屋さんに案内されて早速部屋を見に言った。</p><p>部屋の間取りと中をすぐに写メールで実家にいる姉貴に送った。すぐにでも契約して治療の備えようとしたが、姉貴がこんなことを言い出した。</p><p>&nbsp;</p><p>「放射線治療と抗がん剤治療したらもう後には引き返せん。もう絶対治らん。まだできる事がある。」</p><p>&nbsp;</p><p>姉貴はいわゆる自然志向が強い人で、無添加、無農薬、非ワクチン、脱原発の人。俺も姉ほどではないけどもともとそう言う志向の人間だけど、姉の方は徹底していた。旦那の職業も無農薬の野菜売り。周りの人たちも同じような感じだったし、Facebookでもそういう系の人と情報交換して、癌の治療についても、一般的には常識と言われている抗がん剤治療、放射線治療などはそれをしてしまったら人間が本来持つ回復力を失ってしまうという。</p><p>&nbsp;</p><p>そういう類の話でいうと「内海聡」という医師がFacebookでは有名で、その人の書く記事や本も読んだ事はある。読む限り頷ける話ばかりで筋が通っていて、感覚的にこの人たちが言うことの方が正しそうだなと思っていた。でも、いざ自分の親父が癌になったと言う事実を目の前にすると、まっさきに今までの常識の壁がそびえ立っていて、全部嘘でそれ以外の治療の選択をするためにはその壁を乗り越えなければそこに至らない。俺は、それを乗り越えることはできないと思ったけど、姉貴は違った。</p><p>&nbsp;</p><p>「Facebookの友達で池田先生っていう青森の医者がいるんだけど、その人が食事療法で必ず直せるって言ってる。それを試して見る価値があると思う。」</p><p>&nbsp;</p><p>真剣にそう言った。</p><p>&nbsp;</p><p>そのFacebookで繋がっているという池田先生の素性は俺は分からないけど、どうせ抗がん剤と放射線あてたとしてもあと３ヶ月ほどって言われてるのなら、試して見る価値はあるのかもしれないと思った。おかんも、親父の性格からして抗がん剤治療とかは耐えることができないと思うし、もし助かる見込みがあるならと少しの希望を抱いた。親父は。。。あまり状況を理解していなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>俺から親父に電話で伝えた。</p><p>&nbsp;</p><p>「父ちゃん、日赤の先生がね言うには父ちゃんは肺がんのステージ４で、治療が難しい状況。放射線治療と抗がん剤治療を勧められたけど、それやってもなかなか厳しいんだって。それでね、姉貴が食事療法の先生を知り合いでね、とりあえずその先生の言う通りに食事療法を頑張ってやって見たほうがええと思う。食べるものに色々制限があるけど、頑張ってやったら癌も治るらしいけー、母ちゃんと姉貴の言うことを腹を立てんこー聞いて頑張ろうや。」</p><p>&nbsp;</p><p>と説明しながら俺は自然と泣いていた。</p><p>&nbsp;</p><p>「そうか。分かったよ。おおきによ。」</p><p>&nbsp;</p><p>と優しい声で答えた。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/iqonowisdom/entry-12420329550.html</link>
<pubDate>Wed, 21 Nov 2018 00:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>余命</title>
<description>
<![CDATA[ <p>PET CTから２週間後。日赤に検査結果を聞きに行った。</p><p>&nbsp;</p><p>夏休みだったから俺の奥さんと４人のこどもらもいた。姉貴も姉貴の子供ら２人もいた。みんなで日赤に行った。</p><p>&nbsp;</p><p>親父とおかんと姉貴と俺の４人で診察室に入った。初めて会った主治医。６０代で品がある白髪。特別いい感じな訳でもないけど悪い感じもない。</p><p>&nbsp;</p><p>「肺がんですね。ステージⅣです。ここで治療するより息子さんが勤めていた病院に通院できるなら、そこの方がいいでしょう。紹介状は書きますので。年齢のこともありますし、いまから手術は難しいかな。そこでしっかり抗がん剤治療と放射線治療して直しましょう。」</p><p>&nbsp;</p><p>と説明された。親父とおかんは「はい。ありがとうございます。」といって診察室を後にした。俺らも一緒に診察室出て行ったけど、まてまて、ステージ４って末期じゃん。「しっかり直しましょう」って言うたけど治るんかいと思って、俺一人診察室に戻って主治医に聞いた。</p><p>&nbsp;</p><p>「先生、しっかり直しましょうって言ったけど治るんですか？ステージⅣですよね？」</p><p>&nbsp;</p><p>と聞くと</p><p>&nbsp;</p><p>「そーですね。自分が知る限り、今のお父さんの状態だったら、秋くらいまでか。自分の患者さんでは２年生きた人はこれまでいません。もっても年を越せるかどうかです。これから癌がどんどん進行していって放っておくと凄く痛くなってくると思います。それは針で刺されるような痛みで耐えられなくなると思います。でも、早めに放射線をあてることでその痛みを和らげる事ができます。それはなるべき早い方が効果がありますので、早めに放射線治療を受けてください。」</p><p>&nbsp;</p><p>今７月なんですが、早くて秋に死ぬんかい。マジか。噂に聞いたとおりの突然じゃん。って思いつつ、そんな同様を見せないように</p><p>&nbsp;</p><p>「そうですか。分かりました。ありがとうございました。」</p><p>&nbsp;</p><p>と言って診察室を出た。</p><p>&nbsp;</p><p>おかんがどうだった？先生なんて言った？みたいな感じで俺のところに歩み寄ってきた。</p><p>&nbsp;</p><p>俺は先生から言われた通りのことを、小声だけどオブラートに包んだ利せずにおかんに告げた。その瞬間、おかんの唇がプルプルと震えて</p><p>&nbsp;</p><p>「秋っちゃー後少しじゃないかね」</p><p>&nbsp;</p><p>と言って、親父に悟られぬよう、堪えて堪えて、堪えたけど、堪えきれない涙を流した。</p><p>&nbsp;</p><p>親父は主治医から「肺がんのステージⅣ」って言われても、いつもどおり自分の病状を把握できておらず、待合ロビーで孫らに囲まれて楽しそうに過ごしていた。</p><p>&nbsp;</p><p>早ければ秋って。あと３ヶ月くらい？余命３ヶ月か。そうか。あと３ヶ月か。後３ヶ月で俺に何ができるだろうか。何をするべきだろうか。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/iqonowisdom/entry-12420234250.html</link>
<pubDate>Tue, 20 Nov 2018 06:53:08 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>二度と来たくない</title>
<description>
<![CDATA[ がんセンターまでは車で１時間ちょい。親父は車の運転はできるけど、身体がおぼつかないし、車で知らないところを走るのが苦手な人なんで仕事を休んで連れていく事にした。<div><div><br></div><div>本人はまだガンという事を知らない。というか「多分ガンじゃろうて。」って言ってた。１年前の心臓発作の入院以来、軽い認知みたいな状態だったらしい。あまり自分の病気の状態を正確に把握していない。PET CTが何のための検査なのかも理解していなかった。</div><div><br></div><div>親父は戦前生まれで貧しい家で生まれ育ったせいか、「食べる」事に並々ならぬ思いがあった。肉体労働者でもあったせいもあると思うが、俺が子供の頃の親父の食事といえば、白飯3杯と茶がゆを2、3杯。毎晩食ってた。糖尿病になってからの食事制限が親父的には厳しかったようだ。</div><div><br></div><div>「医者の言う通りにしとったら栄養失調になって死んでまうわ」</div><div><br></div><div>と言って好きなように食っていた。といっても外食は殆どしない。ご飯と焼き魚と漬物をこよなく愛していた。魚は特に秋刀魚や鯖を好んでいた。</div><div><br></div><div>この日は検査があるので朝から何も口にしていなかった。加えて<span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">知らない場所で知らない人の指示に従って謎の検査を受けることは、親父にとってかなりの不安とストレスを伴うことだったのだろう。</span>おかんは我慢が苦手な親父の性格を分かっているので、その「労」をねぎらうよに声をかけていた。</div><div><br></div><div>検査時間は2、3時間。親父が検査室に入ってからおかんとコーヒー飲んで近くのデパートに買い物にいったりした。</div><div><br></div><div>おかんが俺に言って目に涙を浮かべた。</div><div><br></div><div>「もう二度とここへ来たくない」</div><div><br></div><div>おかんも、長年連れ添った夫の病気の事を思い、不安で一杯だったに違いない。それでも親父の前ではそんなところは微塵も見せずに、常に前向きな言葉をかけながら親父に添い続けていた。</div><div><br></div><div>おかんは検査室から出てきた親父の調子を心配していたが 開口一番</div><div><br></div><div>「腹減ったのー」</div><div><br></div><div>その言葉を聞いておかんも笑っていた。</div><div><br></div></div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/iqonowisdom/entry-12419971485.html</link>
<pubDate>Mon, 19 Nov 2018 10:25:44 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>診断</title>
<description>
<![CDATA[ <p>おかんから電話があった。</p><p>&nbsp;</p><p>「父ちゃんね、肺に影があって癌かもしれんって言われたけぇ。一応言うとく。」</p><p>&nbsp;</p><p>「ふーん。」</p><p>&nbsp;</p><p>「今度日赤で肺の組織とって調べてはっきり分かる」</p><p>&nbsp;</p><p>「そうか。分かった。」</p><p>&nbsp;</p><p>自分としてはそんな大きな驚きはなかった。ヘビースモーカーだったし、家にこもってケーブルテレビで昔の時代劇を一日中見ている不健康な生活。「いつ死んでもええんじゃ」ってよく言ってた。年齢も７６だし、今や日本ではガン患者が溢れかえっていて、誰かが死んだって話は大概は癌がつきもの。病院で働いていた時もたくさんそう言う人たちを見てきた。親父もそのうちの一人になるのかと、そんな感情だった。</p><p><br></p><p>物心ついた頃から考えていた。『親は先に死ぬんだ。』って。その時が近づいてきた改めて感じたと同時に、電話越しのおかんに「自分はそんなことでは動揺しない」っていう自分を演じていたのかもしれない。</p><p><br></p><p>１週間後の夕方17時前に姉貴から電話があった。</p><p><br></p><p>「父ちゃんね、やっぱり癌だったわ。」</p><p>&nbsp;</p><p>癌かもしれないっておかんから聞いた時には感情が揺さぶられることはなかったけど、姉貴から癌だったと聞いた時に、心が凍るような、ガクッと膝をつくような感覚があったけど、姉貴に返した言葉は</p><p><br></p><p>「そうか。分かった。」</p><p><br></p><p>それくらいのトーンで返した。</p><p><br></p><p>２週間後に国立がんセンターに行ってPET CTを受ける事になった。PETは身体にブドウ糖注入してからCTを撮る。ブドウ糖はがんがある場所に集積する性質があるため、がんの位置や広がりを確認する為に行う検査。</p><p><br></p><p>親父とおかんをがんセンターまで俺が連れて行く事にした。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/iqonowisdom/entry-12419782220.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Nov 2018 08:48:07 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>退院前後</title>
<description>
<![CDATA[ <p>朝６時頃だったか。</p><p>&nbsp;</p><p>「あれ何か。コトーン、コトーンうるさいのー。」</p><p>&nbsp;</p><p>と言って親父が目を覚ました。朝食の準備やら薬を運んだり、病院の1日が始まった音が気になったらしい。親父は昔から神経質で、特に音に敏感な人だった。誰も気にしていないだろう「ちょとした音」が気になる人だった。</p><p>&nbsp;</p><p>「寝れたか？」と俺の心配をしていた。そのままふらふらと立ち上がってトイレに向かったが、そのおぼつかない足取りに、親父の背中を見ながら思い返していた昔の親父との差を感じた。山師だった親父は筋骨隆々だった。力自慢でよく昔の喧嘩の話を聞いたり。世界で一番強い人って小さい頃は本気で思ってた。</p><p>&nbsp;</p><p>この日は退院のだった。隣のベッドの９０過ぎの爺さんと何かしらの友情が芽生えていて、別れ際に「頑張りんさいよ！」と別れを惜しんで退室した。そんな感じで誰とでもすぐ友達になる親父だった。</p><p>&nbsp;</p><p>救急車で搬送された時には「心臓はほとんど死んでました」って言われたけど、こうやって無事退院できたことに感謝して、生まれ変わったつもりで生きようと、おかんからそんなことを言われていて、タバコもやめようと親父も少しその気になっていたけど、やはり染み付いた生活習慣はなかなか変えることができず。退院からしばらくしてからおかんから電話があった。</p><p>&nbsp;</p><p>「父さんまたタバコ吸いよるんよ。まだ懲りてない。もう何言うても無駄なんよ。」</p><p>&nbsp;</p><p>「まー、昔からそう言う人じゃん。」</p><p>&nbsp;</p><p>昔から誰の言うことにも従うことなく気の向くままに生きてきた親父だった。ただ、唯一、俺の言うことには少し耳を傾けることがあった。それは俺が親父に対して普段から何も言わない息子だったからかもしれない。何も言わない息子が何か言うことの意味に頑固親父なりに考えていたのかもしれな。</p><p>&nbsp;</p><p>タバコのことについては俺は何も言わなかった。同じ男として、自分がどういう生き方をするべきかは親父自身が考えていることだろうという思いがあった。それは多分、男同士だからこそ感じることだったと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>いつも通りの生活をとりもどした親父たちだったが、「１年後に肺に影がある。おそらく肺がんだろう」と診断を受けることになった。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/iqonowisdom/entry-12419744903.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Nov 2018 21:08:06 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>give &amp; take</title>
<description>
<![CDATA[ 日赤に緊急入院してステント留置術を受け一命を取り留めた親父。<span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">週末になって孫達を連れて面会にいったらとても喜んだが、まだ鼻から酸素吸ってる状態で少ししんどそうだった。</span><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>数日後、少し元気になって酸素が外れた頃には、眠剤のせいか何なのか、点滴を外そうとしたり、家に帰ると言ってベッドの上に立ったり、看護師に吠えたり、病院も困っているとオカンから電話があった。<div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>姉貴も付き添いのために県外から実家に帰省。親父の様子を見に行くと</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>「お前らオレをどうする気か！オラァもう帰るけーのー。」</div><div><br></div><div><br></div><div>と言って、尿瓶とボストンバッグを手に暴言を吐きまくっていたと。尿瓶が必要な状態という事を理解した上での行動なのか、尿瓶の取っ手の握り具合が良かったからなのか定かではないが、通常の親父の行動ではないのは定かであった。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>主治医の説明では眠剤の影響によるせん妄状態だと。</div><div><br></div><div><br></div><div>&nbsp;</div><div>その１週間後にはおかんに代わって一晩付き添いをする事にしたことが、親父としては嬉しかったのか、その晩は暴れたりする事なく、普通に会話しながら一晩落ち着いて眠っていた。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>俺は簡易ベッドでうたた寝しながら親父の背中をみながら、昔の事を思い返していた。家族で過ごした時間。旅行とかはほとんど行った事なかったけど、パチンコ屋には頻繁に連れて行ってもらった。昔は緩かったから、子供がいてもとやかく言われる事はなかった。俺はホールに転がっているパチンコ玉をかき集めて親父の隣でパチンコ打ったりしてた。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>親父が勝った時には姉貴には言うなよといって小遣いをくれた。パチンコをする金がない時は俺から借りていた。親父の葬式の前日にたまたま出てきた小学校４年の時の俺の日記にこんな事が書いてあった。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>『明日は絶対父ちゃんにお金を返してもらう。返してくれなかったら警察に言うてやる！』</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>親父が金を返してくれる時は、必ず2、3千円多く返してくれていた。今思えばあれは小遣いというより、俺を銀行代わりにして遊びたい時に引き出していただけなんじゃないか。まあでも、そこで利子を知った。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>「利子つけたるけー小遣いかしてくれ。」</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>親父がよく言いよったな。</div><div><br></div><div><br></div></div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/iqonowisdom/entry-12419480837.html</link>
<pubDate>Fri, 16 Nov 2018 21:00:06 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>布石</title>
<description>
<![CDATA[ 映画「火垂るの墓」は駅の構内で横たわる主人公の死体から物語が始まりましたが、こちらは既にタイトルが結末を語ってしまっているという親父の死ありきの物語というか、実話になります。<div><br></div><div><br></div><div>今から2年と7ヶ月前、2016年4月7日。親父が肺ガンで死にました。肺ガンと診断されたのは2015年7月。ステージ４で早ければ「秋くらいかな」と主治医から宣告されました。というより、息子である俺が主治医に「余命はどれくらいですか？」と尋ねた結果でしたが。</div><div><br></div><div><br></div><div>っと、少し話したところで親父と我々家族のスペックを。</div><div><br></div><div><br></div><div>親父：76歳で没。生まれ故郷は和歌山県の熊野本宮大社の辺り。中学校卒業後から山師。喫煙歴60年くらい。甘いもの大好き。酒は飲めない。性格は異常に短気。50歳過ぎた頃に頃腸閉塞で腸の一部を切除。その数年後から糖尿病発病。半年くらいインシュリン打ってたが、投薬のみでコントロールできていた。若い頃から睡眠導入剤を飲んでいたらしい。</div><div><br></div><div><br></div><div>おかん：親父の9コ下。短気な親父に連れ添ってきた忍強い女。子供の頃に家庭が貧しく、父親がアル中だったなど、苦労が多かったことが忍耐力を育んだ昭和の女。優しい母親。</div><div><br></div><div><br></div><div>姉貴：二つ上。二児の母。子供頃は異常に俺と仲が悪く、数々の喧嘩が俺のトラウマとなり、俺の方が一方的に仲の悪さを引きずっている。旦那が無農薬野菜売りをしていたり、とにかく健康オタクというか、無農薬無添加、非ワクチン、NO NUKE、とかいう割に子供に隠れてグルタミン酸ナトリウム入りのせんべいをかじったりしているらしい。</div><div><br></div><div><br></div><div>俺：現在44歳思春期真っ只中4児の父。まるで尾崎だが尾崎の歌は卒業とアイラブユーとオーマイリトルガールくらいしか知らない。どんな好きなアーティストでもアルバム１枚通しでし聞く忍耐がなくなったおっさん。宗教の勧誘を受けやすい。子供のサッカーに首ったけ。総合病院で医療事務の経験14年。診療情報管理士の資格目指すも卒業試験目前に面倒くなってリタイアするという半端者。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>そんな感じの家族です。親父は昔からクソが付くほどの短気な男で、ちゃぶ台ひっくり返し系の頑固親父。休日は家族そっちのけでパチンコにいくし、パチンコで負ければ機嫌が悪く家族にあたったりとにかく恐ろしい親父だった。いつも親父の顔色を伺っていたが、姉貴は親父の顔色なんてのは伺う事もなかったので、いつも姉貴がしばかれていた。そんな姉貴を見ながら「アホだなー」って思いながら静観していた。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>恐ろしい親父だったけど、普段は面白くて、俺の友達を大切にしてくれて、笑わせてくれて、友達からは羨ましがられていた。実際、俺としても自慢の父ちゃんだった。時折見せる優しさが大好きだった。だから、どんなに不条理に怒られてもしばかれても、親父の事は大好きなままで、大人になってもそれは変わらなかった。幸せな家族だった。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>姉も俺も高校卒業と同時に就職のため実家を出て行った。親父は俺が出て行ってから程なくして山師の仕事もやめて、新聞屋の集金とか細々したバイトみたいなことしたりしてた。でも余りにも気が短いために直ぐに喧嘩したり我慢できなくなって仕事辞めたり。そんな感じで、いつのまにか仕事はしなくなって家にこもってはケーブルテレビでやってる昔の時代劇ばかり見て毎日を過ごしていた。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>色々体調崩したりとかあったけど、そこまで大きな病気って訳でもなくやり過ごしていたけど、ある日おかんから携帯に連絡があった。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>「父ちゃんが救急車で運ばれて今日赤に入院になったんよ。今日から治療室におるけー。命に別状はないみたいじゃけど、もう少し遅れたら危なかったみたい。」</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>「ふーん。そうなんか。土日に行くわー。」</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>心臓の発作みたいなことで、心臓カテーテルしてステント留置とか、そんな感じで一命を取り留めたらしい。自分は総合病院で長いこと事務やってきた事もあって、救急車で運ばれてとか、集中治療室に入院とか、そういう自体にも慣れてたし、親父の年齢とか普段の生活からして、いつそうなってもおかしくないと思っていたけど、タバコをやめろとか、食べ物に気を配れって言ったところで、耳を傾けるどころか腹を立てる親父だったので、やっぱりそうなったかと、そんな冷静な感情だった。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>今思えば、あの時の俺は冷たい息子だったかなって、あんな反応だった息子だったから、親の気持ちを思うと少し切なくなる。</div><div><br></div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/iqonowisdom/entry-12419253953.html</link>
<pubDate>Thu, 15 Nov 2018 22:33:38 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
