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<title>表裏無し</title>
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<description>思ったことを正直に書いていきたい</description>
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<title>窓か</title>
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<![CDATA[ <p>まどかマギカの3DRPGを作成中、4月頃から構想している。</p><p>こうやって書いておけば先に似たようなゲームが作られていたとしても、模倣だとか便乗だとかいう非難が緩和されることが期待できる。これは所謂保険用の記事だ。</p><p>確実なことはC++で作ること。それ以外は自分のゲームではない。</p><br><p>特別がない限りは独りで作ることになるのでモデリングもプログラムなどもほぼ一から勉強する。</p><p>二次創作としての商用利用も考えるため他人をなかなかあてにはできない。（生活と将来の関係）</p><p>作り続ける以上は確実に年単位で制作することになるので、その間にいくつものゲームが出てくるだろう。</p><p>今確実に言えることは構想中のゲームは主人公が「ほむら」でやることも大まかに予測しやすく、オリジナル要素も加える必要がなければ極端に削る方向で考えている（設定に支障があまりなければサプライズな展開も考えてある）。</p><p>なので、さわりの部分に関しては被ってしまう危険性が高いが、最終的には自分がプレイして面白ければいいと思っている。失敗したなら潔く散る。</p><br><p>作ることが力の証明に繋がるので、何かしらの形で世には出すと思う、無駄にはしないだろう。</p><p>ネットにも作品としての形になるまでは制作の状況は書かない予定。</p><p>もしも、ほんの少しでも興味が湧いた方が居ても今後このブログを見る必要は一切ない。</p><br><p>それでも現状を書くと4月から仕事しながらちまちまC++の勉強をし始め、今の時点では当たり判定のあるフィールドを動き回って他の仮モデルデータも好きな座標へ簡単に出せるようにし、NPCの行動パターンも複数できるようにして、現状は仮でrandを使っているが、ジャンプしたりの特定のランダム行動を実装している。</p><p>というように形になりつつあって、キリがいいので記事に書いた。</p><p>プログラム経験者は分かると思うが、独学だとここまでが非常に長い…</p><p>今はライブラリが充実しているが、ハードウェアレベルで画面に映すという仕組みを理解するのにどれだけかかることやら。</p><p>逆に言うとここまでできれば、時間はかかるが覚えることは減って楽になる？かも。</p><p>さぁ次は地獄のモデリングの時間だ！これでも小学生の時に六角大王でマリオのモデリングしたことあるから！俺経験者！一時間後→orz</p><p>現状はblenderをメインウェポンにする予定。フリーであれってすごいよね。初心者は日本語の参考サイトが多いソフトとかにするべきだろうけどパフォーマンスを生かしたいタイプなので荊を歩きます。（お金があればMayaとか使うんだろうけど）</p><p>完成している頃にはパソコンもすごいことになってるだろうからローポリとかに拘らなくていいと判断、それでも画面更新のfpsは可変にする予定だけど。</p><br><p>まぁもし大きくパクリゲー認定されても恥ずかしいので余程のことがない限りはこれを使うこともあるまい。</p><p>そなえあれば、嬉しいなって。</p>
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<link>https://ameblo.jp/iris32/entry-10990625775.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Aug 2011 03:11:04 +0900</pubDate>
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<title>唯の声が出た</title>
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<![CDATA[ <p>歌を録音するつもりではなかったけど「けいおん！！」の「go!go!maniac」で最初の辺で唯が「ハッ！」と言う箇所で思い出したように遅らせて自分も「ハッ！」と叫んだら、思いのほか似ていて聞き分けられないぐらいのレベルだった。</p><p>録音していたので何度確認しても自分の声が唯の声そのものだった。ｌ</p><p>今まで「<font color="#0000ff">似てる</font>」というレベルのものは数多くあったが「<font color="#ff0000">聞き分けられない</font>」ぐらい似てる声まねはできたことがないので正直驚いた。</p><p>自分の声の可能性を再認識。</p>
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<link>https://ameblo.jp/iris32/entry-10592187908.html</link>
<pubDate>Fri, 16 Jul 2010 15:08:22 +0900</pubDate>
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<title>あきらめ</title>
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<![CDATA[ <p>人が普段から死を意識しなくなるのはどういった条件だろうか。</p><p>発展途上国等の難民は常に死と隣り合わせで否応なしに意識せざるを得ないだろう。</p><br><p>日本人はどうか。</p><p>子供に死を匂わすようなことを親に言われることはほとんどないと思う。</p><p>環境にもよりけりだが大多数は平和ボケした生活を送っているだろう。</p><p>ただ他人のことを考えるのは所詮推測でしかない。</p><p>そもそも人間は色々いるのに「大多数が」という見解で語るのはあまりしたくない、でも大多数とひとくくりにして考えようとするのは楽な上に説得力を持たせやすいからやはり頼ってしまうだろう。</p><br><p>自分の場合はどうか。</p><p>生まれたときから死ぬことの怖さについて何故か敏感だった。</p><p>テレビなどで死ぬことは怖いといったことを吹き込まれるからというのもあるだろうが、幼少のころの自分の場合は「死ぬ＝痛い」ということだった。</p><p>「死ぬのは嫌＝痛いから」という単純な考えは５歳～１１歳前後まで続いた。</p><p>痛くなくて天国にいけるのなら喜んでとまではわからないが、死を受け入れただろう。</p><p>いつしか「死ぬのは嫌」の大きな理由が「存在がなくなるから」にかわっていた。</p><p>子供のころに誰もが思うことだろうが、「こいつはいなくなったほうがいい」と考えたことがあると思う。</p><p>この「いなくなる」という子供の考えは、その時点では大した事だと考えなかったかもしれない。</p><p>実際のところ人間には「同じ動物である人間を殺してはいけない」というプログラムが本能でなされているわけではないと思う、あるとしてもそこまで大きく働きかけるものではない。</p><p>人が人を殺そうとするときに躊躇するのはルールを吹き込まれるからという理由が大きいと思う。</p><p>蚊を殺すのは血を吸って痒くなるという害があるからだ、精神が安定している人間が華麗に舞う蝶々を握りつぶしたりはしない。</p><p>生まれたときから人を簡単に殺せて、尚且つ責任を課せられることが無ければ小学校を卒業するまでには千人以上は殺しているだろう、だがこれも推測でしかなく２０人程度しか殺さないかもしれない。</p><p>では愛する人を殺すか。</p><p>子供のときに愛する人を殺す可能性があるﾊﾟﾀｰﾝは、失望だろう。</p><p>衝動で簡単に殺せる力があるなら茶飯事起こりそうなところであるが子供には力が無い。</p><p>未熟児が愛する人を殺したとき、後に残るのは後悔。</p><p>逆に嫌な人間を殺したとき、清清しい気持ちになるだろう。</p><p>存在について少なくとも自分は考えないだろう。</p><p>存在というものがそもそも曖昧だが大きなものとして「魂」。</p><p>もっと具体的に言うならば頭脳に大きくかかわるものとして自分は考える。</p><p>存在がなくなることについて平和ボケした日本人がまず実感するのは身内の死去だろう。</p><p>自分はそういった理由ではない、自分を通して存在の重さを捕らえだした。</p><p>日々をなんとなく生きているのではなく、人間としてなんとなく大きなものを背負おうとした時、自分がとても大切なものになる。</p><p>黎明期であり、他者より優れていると考えたときは尚更だろう。そのときの自分は他人から見てどうあれ、一番輝いていたと思う。かなうものならその時の気持ちを確かめたいし戻りたいという気持ちもある。</p><br><p>さて本題だが。</p><p>基本的にずっといつも死を意識していたのは２０歳までだ。本当はもっと以前からだったかもしれない。</p><p>正直自分の今まで生きてきて落ちぶれたと思ったのは１６歳前後だったが、挽回可能だという希望からまだまだ人生を極力捨てないようにする意思があった。</p><p>２０歳前後になったときにはすでにその希望も紙のように薄くなっていたのかもしれない。</p><p>少しずつ薄くなり、無意識で制御ができなくなった。</p><p>なんとなくいつでも死んでいいかなという気になってしまっていた。</p><p>ただこれも自分の憶測でしかなく、意識できない領域で何を考えているか、ある程度正しい答えを導き出したいと思う。</p><br><p>ブログは初めてだが自分を確かめるというのを大きな目的としてはじめた、拙いながら書きたいことを意のままに書くつもり。</p><p>おかしいこと書いていると自分で思ってもほとんど書き直さない方向で行きます。</p><p>まだこのテーマは書きたいこと沢山あるけど書くのに時間がかかって寝ないといけないので、筆をおきます。</p><p>今現在リアルの生活が忙しい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/iris32/entry-10585520996.html</link>
<pubDate>Thu, 08 Jul 2010 22:06:22 +0900</pubDate>
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