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<title>小さなアイデアをかたちにする奮闘記</title>
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<description>いろいろクリエーターのスカイビーンです。日常で小さなアイデアをよくヒラメキます。　こんな○○あったらいいな。このブログは技術なしのこのぼくがアイデアをゼロからかたちにする奮闘記です。</description>
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<title>社会のグズは人間のグズ？</title>
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<![CDATA[ 社会は人を学歴やスキルや実績で判断しすぎている。<br><br>とぼくは思う。<br><br>何だかとても人を判断する材料が無機質で機械的だ。<br><br>別にそんなことわかってる。　<br><br>今さらあえて言うことでもない。会社だってある程度機械的に判断しないと、いちいち１人１人性格や人間性なんてみてられない。　学歴やスキル、実績で判断するのは当たり前だ。<br><br>ちなみにぼくにはこれと言ったスキルや実績もなく、学歴も低いため就活とかになるとあまりにも会社へアピールする材料が乏しくて、自分の存在価値や存在意義を否定したい気持ちになる。<br><br>ぼくは社会から必要とされてない。そんな感じ。<br><br>そして履歴書を会社に提出して書類選考で落とされての繰り返し。<br><br>こんな紙きれ一枚でいったいこのぼくの何がわかるというのだろう。って卑屈になる。<br><br><br>自分のことだけではなく、世の中にはぼくみたいなたくさんいるのではないかと思う。<br><br><br>そこで思うんだけど、人って色々な要素から成り立っている。<br><br>色々な気質、性格、特質、また血統、メンタルの強さ、弱さ。環境適応能力や自覚力、持続力や涙もろさ、粘り強さ。何か本当にいろいろ。挙げればきりがない。<br><br>人間はこんなにたくさんの要素から成り立っているのに世の中が注目するのは学歴やスキルや実績って少なすぎじゃないか。<br><br>例えば、冷静沈着で物事を客観的にみる力に長けている性格の人がいたとして、それは会社でもポジションによっては重宝する能力だったりする。だけど"冷静沈着で物事を客観的にみる力"なんてどうやってアピールしていけばよいのだろう。<br><br><br>そんな名前のスキル聞いたことないし、実績の出し方すらわからない。<br>だけど紛れもなくこの力はこの人の能力であり長所だ。<br><br>世の中には目に見えない、表に上がらない、計りにかけることのできない能力がたくさんある。<br><br>ちなみに世の中変わった判断基準で採用を行う会社もある。<br><br>面白法人カヤックという会社は以前、変わった人にもキラリと光る才能があるのでは？ということで変人採用という採用方式をとっていたし、卒論を頑張りすぎて就活をおろそかにした人のために卒論を判断基準にする採用方式もとっているらしい。<br><br>ぼくは今後、かたちある能力のみならず目に見えない能力を人々が尊重し合い、もっと人間くさい社会にシフトしていくべきだと思う。特に企業は機械のように効率化ばかりを追いかけるのではなく、非生産的なことこそが、実は生産的である場合もあることを知るべきだ。<br><br>なぜならばぼくたちはどこまでいっても人間だからだ。<br><br><br><br>【社会のグズは人間の最先端。多様性がプラスになる社会がおもしろい】<br><br><br><br>［※この記事は本ブログタイトル通り、のちに書籍として出版します］<br>
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<link>https://ameblo.jp/iroirocreater/entry-11364954128.html</link>
<pubDate>Thu, 27 Sep 2012 01:15:00 +0900</pubDate>
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<title>何でレディーファーストなの？</title>
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<![CDATA[ 「いや、当たり前だろ」<br><br><br><br>そこはぼくも男として異論なしで流したい。<br><br>世の中の女性に嫌われたくないし、レディーファーストな男は無条件でかっこいい。<br><br><br>だけど当たり前とか当然の観念にあえて"ちょっと待った、一回考えてみよ"っていうのがぼくの書きたい本だから今回はレディーファーストについて考えてみる。<br><br><br>まず、一般的にレディーファーストとってどんなことだろう。<br>直訳すると"レディーが先"ってことだけど、まあ男はレディーに親切にしましょうって感じかな。　<br>ちなみにぼくの思う一般的なレディーファースト一覧。<br><br>・店に入るときドアを開ける<br>・荷物をもつ<br>・車道側を歩く<br>・夜道は駅まで送っていく<br>・車から降りる時ドアを開ける<br>・サラダとか取り分けてあげる<br><br>まだまだあるけど、オーソドックスなのはこの辺だと思う。<br><br><br>ちなみにここで少し恥ずかしい告白をしたいと思う。<br><br><br>実はぼくはレディーファーストがあんましできません(+｡+)ｱﾁｬｰ<br><br><br><br>たぶん上であげたレディーファースト一覧の荷物と夜道以外は基本しない。サラダはたまーに。<br><br>そしてこれでも以前に比べてするようになった感じ。<br><br><br>とりあえず、何だかわからないんだけど特にレディーファースト初級である"店に入るときドアを開ける"ってのは何か凄い抵抗があってできない。<br>逆に何だかわざとらしくない？って感じで恥ずかしい。だってドアぐらい自分で開ければいいじゃん、軽いし。<br><br><br>以前友達の女の子にドア開けるのって何かレディーファーストを無理やりアピールしてる見たいで逆にわざとらしくない？って聞いたら「うんまぁ、でも嬉しい」って言ってた。<br><br><br>その時は「へぇー。」とか思っただけだったけど、今思うと、「いやそりゃ誰でも嬉しいわ！」ってツッコミたい。だってその"嬉しい"はレディーだから親切にされているとかレディーとして扱われてるから嬉しいのではなく、"プレゼントもらったから何か嬉しい"の嬉しいだ。<br><br><br><br><br>ぼくは過去に彼女に怒られたことがある。<br>何かぼくがレディーファーストをあんましやらないやつだから、「何でもっと私に親切にしてくれないの」的なことを言われた。<br><br><br>自分が悪いのかな？確かにドアは開けてあげなかったし、車道側も意識して歩かなかったし、小さな荷物の時はそんなに神経質に気は使わなかった。<br>でも基本、性別が理由でフェアじゃないことは大体カバーしてきたけどな。<br><br><br>何かその時感じた違和感はレディーファーストは当たり前かもしれないけど強要するのもおかしくない？ってこと。<br><br><br>何だかバスの中で年寄りに「あんたら若者なんじゃからワシらにはよ席譲って立っとかんかいバカ者が」って言われるのと同じなんじゃないかなって思う。<br><br><br><br><br>男は女に、若者は年寄りに、強者は弱者に親切にすることは無条件で善だし、美しいと思う。<br>強者は弱者を助けるべきだ。だけど弱者はそれを当たり前だと思うスタンスや空気感はおかしいと思う。むしろ弱者は自分でできることはできるだけ自分ですべきだ。その姿を見て強者は尚更助けたい、親切にしたいと思う。<br><br><br>だからよく、「外国人の男はレディーファーストができて、日本人の男はできない」からどうのこうのと言ってる日本人女性がいるけど、それは何か違うんじゃないかなって思う。<br><br><br>ただ、国によってはレディーファーストが一種のマナーや礼儀とて考えられてる国もあるかもね。ぼくらが"食べる時に音をたてることは無条件で失礼だ"と思うように"レディーファーストができないやつは男として無条件で悪だ"みたいな。<br>そうなると理屈ではなくなってくるのかもしれない。<br><br><br><br><br>結論【レディーファーストを当然だと思う女はクソ。レディーファーストできない男はもっとクソ】<br><br><br><br><br><br><br>［※この記事は本ブログタイトル通り、のちに書籍として出版します］<br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/iroirocreater/entry-11363415713.html</link>
<pubDate>Tue, 25 Sep 2012 01:30:00 +0900</pubDate>
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<title>結婚と婚姻届</title>
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<![CDATA[ ぼくの周りの友達も最近どんどん結婚しだした。<br><br>結婚式にもたまに呼ばれたりして、そこで行われる催しものにみんなで盛り上がったり、ドキュメンタリームービーとか流れて感動したりする。<br>そして最後は新郎・新婦の親の言葉でうるうるきてハッピーエンドな感じだ。<br><br>ぼくもいつか結婚したいと思ってる。<br>正確にいうと"最愛のパートナーと人生を一緒に歩みたい"と思っている。<br><br>「うん、まあそれって結婚ってことでしょ？」って言われたらまあ否定はしないんだけど、そこで思うことは婚姻届の意義って何なんだろうってことだ。<br><br>そんなこと考える人なんてそもそもあんまりいないと思うんだけど、結婚するから婚姻届を提出するっていう当たり前のことを今回は深く考えてみたいと思う。<br><br>ちなみにぼくは結婚式もあげたくないし、婚姻届もだしたくない。<br><br>結婚式をあげたくない理由は単なる個人的な理由で、何というか..めんどくさいから...(笑)<br>まあめんどくさいって思ってるってことは重要性を感じていないからであって正確にはどっちでもいい感じだ。　<br><br>だけど婚姻届をだすことには少し反対派だ。<br><br>なぜならば結婚をするということはぼくにとって "最愛のパートナーと人生を一緒に歩みたい"という気持ちであり、そこに婚姻届をだす意味がないからだ。<br><br>「まぁ、そうひねくれてないで婚姻届くらいだしとけよ。紙きれ一枚出すだけじゃん」って言われるかもしれないけど、紙きれ一枚出すだけだからこそむしろ出すべきではないと思うのだ。<br><br>その紙きれ一枚の提出によって、何か"私たちお互いに結ばれている感"がでてしまう。「絆」みたいな。<br><br>そして何だか安心してしまう。少しくらいのことではこの絆は壊れないとタカをくくってしまう。<br><br>少しくらい相手にウソついたって、少しくらい相手を思いやらなくたって、少しくらい相手を裏切ったって、結婚してるんだ、レッドカード一発退場はありえないと。<br><br><br>だけど婚姻届をだしていない状態、夫婦というか彼氏・彼女のような状態であればそうはいかない。<br>何かのきっかけでいつ別れてもおかしくない。<br>どちらかが「他に好きな人できた」と言って明日には別れてしまうことだってありえるし、少しのウソや思いやりの欠落で別れに発展する可能性は十分にある。<br><br>でも、そんないつ壊れてもおかしくない状態だからこそ逆に、お互いに甘えずに、お互いを思いやり、いつでも魅力的な自分でいようと努力するのではないだろうか。<br><br>そしてその積み重ねがいつか本当の「絆」になるんじゃないかと思う。<br><br><br><br><br>結論【結婚しても婚姻届はださない"つり橋スタイル"の方が本当の堅い絆で結ばれる】<br><br><br><br><br><br><br>［※この記事は本ブログタイトル通り、のちに書籍として出版します］<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/iroirocreater/entry-11362597408.html</link>
<pubDate>Mon, 24 Sep 2012 00:39:00 +0900</pubDate>
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<title>敬語って必要？</title>
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<![CDATA[ まえがき<br>「～ですか？」「～して頂けますでしょうか？」「マジッスか？」<br><br>ぼくたちは一日の何％を敬語で話しているのだろうか？<br>人によっては一日のほとんど敬語でしゃべっている人も少なくないと思う。<br>だから別に普段から敬語をつかうことに違和感を感じることはない。<br>社会にでれば当たり前のことだし、学生の時だって先輩には敬語で話すのが普通だった。<br><br>そもそも振り返ればいつから敬語を使いはじめたっけ？<br><br>ぼくの場合は小学校の3年生くらいの時には既に先生に対しては敬語をつかってたと思う。（あんまり覚えてないけど）<br>そして中学生になってから本格的に先輩・後輩の区別がはっきりとしてきたので、間違いなく敬語をつかう頻度が増えた気がする。<br><br><br>実はぼくは敬語をつかうということに違和感を抱いている。<br><br><br>違和感を抱きはじめたのは高校の頃だった。<br>部活でサッカーをやっていたんだけど、仲のいい先輩がいた。<br><br>一応しゃべっている時は先輩なので敬語なんだけど、たまに会話が弾むとタメ口の時もあった。<br><br>でも結局は先輩と後輩。<br>そして敬語という存在がぼくと先輩の距離を邪魔した一つの大きな要因だったと思う。<br><br><br>何というか、敬語がぼくと先輩の上下関係を無意識に意識させてしまう。<br>たかだか一年早く生まれたか遅く生まれたかの違いしかないハズなのに、敬語をつかうと何かフラットでいられない。<br><br>敬語なんかつかわず、もしお互いに年齢なんか意識しないでコミュニケーションがとれていたなら、その先輩に関わらずどれだけの人と仲良くなれただろう。<br>そしてどれだけ多くの人とこれから仲良くなりやすいことか。<br><br><br>以前一年間オーストラリアにいたことがある。<br><br><br>英語は日本語にくらべて敬語があまりない。<br>あるんだけど、日本みたいに複雑ではないし、色んな人種の人が第二言語として英語をつかうので敬語をつかわないから失礼なヤツだ。とかいちいち言ってらんない。<br><br>だからはじめて会う明らかに年上の人と話す時でも、敬語とかつかわないから何か気持ち的にフラットでいれた。そして仲良くもなりやすかった気がする。<br>全部が全部敬語の影響ではなく文化的な影響もあるんだと思うけど。<br><br><br>〈まとめ〉<br>敬語はなぜ生まれたかとか調べいく必要はない。<br>もしかしたら昔はいろいろ事情があって必要だったかもしれない。<br>ただ今の世の中にフォーカスをあて、"敬語という概念がそもそもない世の中"と比較した場合、正直敬語をつかう利点が見あたらない。<br>相手を敬っていようがいまいが敬語をつかうのがタダの常識であるのなら、ぼくは敬語の存在意義はないと思う。あるのは目上の人には敬語をつかうという単なる"流れ"や"空気"だけだと思う。<br><br>結論<br>【敬語を使うのはやめよう。みんながやめたらおれもやめれる】<br><br><br><br><br><br>［※この記事は本ブログタイトル通り、のちに書籍として出版します］<br>
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<link>https://ameblo.jp/iroirocreater/entry-11362030074.html</link>
<pubDate>Sun, 23 Sep 2012 14:49:00 +0900</pubDate>
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<title>何で草とりしないといけないの？</title>
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<![CDATA[ 「何で草とりしないといけないの？」<br><br>小・中・高と掃除の時間に必ずさせられた草とり。<br>今でも時々親に頼まれることがある庭の草とり。<br>地域や自治体でたまに行われる公共の場の草とり。<br><br>まぁ草はのびたら草とりをするのが世の中の当たり前。これが世論だ。<br><br><br><br><br>ではそんな当たり前に一言反論させて欲しい。<br><br><br><br><br>「草とりって環境破壊じゃないの？てかほっといたほうがエコじゃん」<br><br><br><br><br>正直ぼくは環境活動家でない。ただ草とりをやりたくなさすぎて以前親にこのセリフを言ってみた。<br>世間的には完全に苦し紛れの屁理屈である。<br><br>ちなみに親の返事はこうだった。<br><br>「草とりしないと虫がわくし見た目が汚い。それと雑草は大してCO2削減に貢献してないんじゃない？だからいいんだよ」<br><br><br><br>〈親の回答を分析〉<br><br>◆草とりしないと虫がわく件<br><br>これは理解できる。草がのびれば虫が住みやすいし、エサとかも増えそう。<br><br>◆見た目が汚い件<br><br>これはどうだろう。まあ理解できなくもないけど、個人的には草とりにかける労力を考えた場合、見た目は目をつぶるべきだと思う。<br><br>◆雑草のCO2削減に対する貢献について<br><br>これは全然理解できない。理科の授業で植物は光合成をするために二酸化炭素を吸収し酸素を排出すると習った。仮に雑草はその吸収・排出量がわずかだとしても、全国の、いや世界中の小・中・高校生や自治体のおばちゃん、おじちゃんが毎回草とりをすれば環境破壊に繋がるのではないだろうか。<br><br><br><br>〈倫理的な角度からみて〉<br>そもそも何で雑草だけ抜かれるんだろう。雑草だって生きているんだ、花壇のチューリップやパンジーと何が違う？雑草も時期がくれば目立たないけど花も咲かす。<br><br><br>〈まとめ〉<br>草とりは本来しなくてもよいと思う。ていうか人間以外の生き物にとっては草はむしろあった方がいい。さらに微量であると思うが地球環境の破壊につながっていることは間違いない。しかし人間は傲慢な生き物で、自分たちの生活に支障をもたらす可能性のある虫の発生を排除したがり、また見た目を気にしすぎていると思う。<br><br>特に見た目の件は目をつぶるべきだと思う。そんなに苦労して毎回毎回どうせすぐに伸びる草とまるでいたちごっこ。草とりにかける労力や時間をもっと他に使うべきだ。<br><br>ちょっと校庭の草がボサボサでもいいじゃないか。ちょっと道路に草がはみ出していてもいいじゃないか。ちょっと庭の草が伸びっぱなしで近所の人に奇妙悪がられてもいいじゃないか。<br><br>もしそれでも草とりをするのであれば「人間は己の欲望、そして見た目の美しさのために植物を殺し、生物の住処をうばうのだ」と自覚し、潔く悪者になろう。後ろめたい気持ちで草とりをする。それが雑草に対するせめてもの罪滅ぼしだと思う。<br><br>ぼくは金輪際草とりをもうしない。むしろ伸ばすことを地球のために勧めようと思う。<br><br><br><br>結論【草とりは人間の傲慢 SAVE THE EARTH】<br><br><br><br><br><br><br><br>［※この記事は本ブログタイトル通り、のちに書籍として出版します］
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<link>https://ameblo.jp/iroirocreater/entry-11361722213.html</link>
<pubDate>Sun, 23 Sep 2012 01:57:00 +0900</pubDate>
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<title>小さなアイデアをかたちにする mission① 出版</title>
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<![CDATA[ "小さなアイデアをかたちにする"をテーマに第一歩目は「出版」に挑戦します。<br><br>前から自分で書いた本を出版してみたいなと思っていたのと、現在は電子書籍というものが存在するので、書きたい題材とやる気さえあれば何とかかたちにできそうな気がしたからです。（とりあえず売れる売れないは別として）<br><br>さて、今回の出版のタイトルは、<br>「何で人を殺してはいけないの？～子どもに聞かせたい哲学の話～」（仮）<br><br>世の中の常識、というかそれ以前に疑問すら抱かないような"当たり前"なこと。<br>でも聞かれたらはっきりと説明できない「あれ、そういえば何でだろ..」「まぁとにかく昔からそういうもんだから」みたいなことをあえて深く、浮き彫りに追求していくユニークな哲学書をコンセプトに書いていこうと思います。<br><br>この本では世の中にたくさんある当たり前のことを各項目ずつ自分なりに考えて書いてみようと思います。<br><br>そして次回からできるだけ1日一項目ブログで書いていこうと思います。<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/iroirocreater/entry-11361721624.html</link>
<pubDate>Sun, 23 Sep 2012 01:21:00 +0900</pubDate>
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<title>ブログはじめました。</title>
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<![CDATA[ ぼくは日常でよく"こんなのあったらいいな"と思うことがあります。<br><br>こんなのあったらいいなと思うiPhoneアプリ、Webサービス、アイデア商品、本やYouTube動画、おもしろ企画など。<br><br>そして最近"実際にそれをかたちにしてみたい"と強く思うようになりました。<br><br>なぜなら、もしかしたらお金になるアイデアもかもしれないし、社会にインパクトを与えるアイデアかもしれません。<br><br>実際にぼくだけではないハズです。みんな"こんなのあったらいいな"と思う瞬間が日常でたくさんあると思います。<br><br>でも現実はいつも"あったらいいな"で終わってしまいます。なぜならば、あったらいいなと思うのは簡単ですがそれをかたちにするのはもの凄く馬力がいることだからです。<br><br>例えばおもしろいiPhoneアプリのアイデアを思いついたとしても、実際にアプリをつくるためには自分にプログラミングスキルがないとかたちにできません。自分にプログラミングのスキルがないのであればスキルを習得するか、誰かにつくって貰わなければなりません。つくってもらうとすれば誰に頼めばよいでしょう。業者に頼めば凄く高くつきます。また、知り合いにつくってくれる人はいるのかどうか。いないのであれば誰か個人にお金を払って協力してもらわなければなりません。そんな誰かをインターネットや知り合いを通じて見つけだして、その人が理解し易いように簡潔な企画書をつくって...<br><br>「ふぅ...＿|￣|○」<br><br><br>これがアイデアが生まれてから死ぬまでの"アイデアの一生です"<br><br>そして、今のはiPhoneアプリの一例でしたけど、それが少し複雑なWebサービスやアイデア商品となるともっと「ふぅ...」ってなります。<br>もちろん個人でかたちにできる方もたくさんいると思います。<br>iPhoneアプリの例で言うとプログラミングスキルのある方は自分でつくれちゃいますよね。<br><br><br>ちなみにぼくはノースキルです。でも何とかかたちにしたい。<br>アイデアを具現化することは1つの収入源にもなりますし、自己表現にもなります。<br><br>これから何とか1つでもかたちにしていきたいと思います。<br>そんなブログです。よろしくお願いします(･∀･)<br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/iroirocreater/entry-11361334989.html</link>
<pubDate>Sat, 22 Sep 2012 18:54:00 +0900</pubDate>
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