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<title>ベニヤミンのブログ</title>
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<description>アニメや政治などの関心事について、思い立ったときに書いていこうと思います。</description>
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<title>よくわかる「女性宮家」問題（＋僕の考えた現代における皇室のあり方）</title>
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<![CDATA[ <p>「よるバズ」を観て思い立ったので。</p><p>&nbsp;</p><p>まず前提として言っておく。</p><p>僕はゴリゴリの「女性宮家」賛成派だ。</p><p>もちろん「女系天皇」も賛成。</p><p>このエントリーもその立場で書きますよ。</p><p>&nbsp;</p><p>ネット世論を見ると、やっぱりどこを見ても</p><p>「女性宮家・女系天皇は朝鮮の血を入れたい反日左翼の主張」</p><p>だとか</p><p>「女性宮家・女系天皇はどこの馬の骨かも分からない男の王朝を作る危険思想」</p><p>だとかいう意見が主流だ。</p><p>僕にとっては非常に肩身が狭い。</p><p>&nbsp;</p><p>この思想は、明治憲法下で初めて正式に採用された「万世一系」という言葉に由来する。</p><p>一説によれば、その言葉は山縣有朋の文章が初出だとか。</p><p>&nbsp;</p><p>「万世一系」とは、男系をたどれば、すなわち父親をたどれば神武天皇に行き着く、という思想だ。</p><p>つまり、今の天皇陛下は、女性の皇族と一般人との間にできた子の子孫ではない、という考え方である。（そもそも神話をたどれば、神武天皇の祖先の天照大御神は女性の神やんけ！と突っ込んではいけない！）</p><p>今までずっと男系で来たんだから、これからも男系を続けなければならない、という話。</p><p>なるほど分かりやすいね。</p><p>&nbsp;</p><p>まあ、実際のところ男系が続いたとされている説もあれば、「ここで途切れてるんじゃないの？」という疑義を挟む説もあるらしい。</p><p>そもそも、神武天皇は紀元前660年に即位したとも言われている、神話上でしか語られていない人物だ。</p><p>そんな時代、文献すらないわけで。</p><p>おかげさまで、専門家の意見も割れまくっている。</p><p>当たり前だけど僕も分からん！そもそも皇統について詳しくすらない！（と言うより、そんな重箱の隅を突くような話、皇室の根幹には関わらないので大して興味もない）</p><p>なのでこの際、本当に男系が続いていたの？などの皇室の歴史についてはここでは省くことにする。</p><p>&nbsp;</p><p>今問題となっているのは、この「男系」というシステムを続けることによって、皇室が断絶してしまうのではないか、というものだ。</p><p>普通の家庭に置き換えて考えてみると、男系を存続させることがいかに難しいかが分かると思う。</p><p>例えば、僕の家系を例に挙げると、父方は3人兄弟で、女1人、男2人だ。</p><p>そして、兄の方からは男性の僕が産まれ、弟の方からは女性が2人生まれている。</p><p>つまり、僕が結婚して男子ができなければ、男系は断絶する。</p><p>こんなに短期間で見ても、断絶の危機が迫ってきてしまうのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>では、少なくとも分かっている範囲では、どうやって男系を存続させてきたのか。</p><p>かつては側室、すなわち一夫多妻制を取っていた。</p><p>つまり、複数人の妻のうち、1人でも男子を産むことができれば、男系は存続したのである。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし！そのシステムは現状の倫理観からするともう不可能！</p><p>いや、僕個人としては、天皇陛下がそれをお望みならばあるいは、とも思っている。</p><p>だが、もし側室を復活させたら、国内、ひいては世界のひんしゅくを買うことは間違いない。</p><p>ならば、側室復活は、皇室の権威の安定性という観点から事実上不可能と言えるだろう。</p><p>殆どの保守派の論客も、その点は一致している。</p><p>&nbsp;</p><p>では、この問題を解決するために、どういった方策が講じられているか。</p><p>現状、出ている案としては</p><p>（１）男系継承の原則を撤廃し、「女性宮家」を創設して、「女系天皇」を容認すること</p><p>（２）GHQ統治下によって廃止された旧宮家を皇族復帰させること</p><p>と、大きく分けて2つがある。</p><p>&nbsp;</p><p>では、1つ目の「女性宮家」から解説していく。</p><p>現在の皇室典範の制度上、女性の皇族は結婚したら民間に降ることになっている。</p><p>つまり、結婚した瞬間に、皇族ではなくなってしまう。</p><p>それを、結婚しても民間に降らず、皇室として残ってもらい、他の男性の皇族と同様に「宮家」を作ってもらう。</p><p>これが「女性宮家」だ。</p><p>&nbsp;</p><p>「宮家」のイメージがわかない人は、まずは、「秋篠宮家」を思い浮かべてみてほしい。</p><p>おそらく、一般人が一番耳になじみのある宮家だろう。</p><p>「秋篠宮」とは、白髪に髭を蓄えたハンサムな顔立ちで、ニュースでもよく目にする文仁親王に対して贈られた「宮号」だ。</p><p>その文仁親王の奥さんが紀子さま。</p><p>この夫婦2人から産まれた子供は3人。</p><p>先日婚約が報道された眞子さまと、美人すぎると雑誌やネットで大人気の佳子さま。</p><p>そして、現在唯一の男系男子の「若君」である、悠仁さまだ。</p><p>「秋篠宮家」とは、この5人の皇族のことを指す。</p><p>&nbsp;</p><p>ちなみに、今の皇太子殿下の宮号は「浩宮家」だけど、徳仁親王のことを「皇太子殿下」と呼称するし、家族も「雅子さま」「愛子さま」とそれぞれ名前で呼ぶから、あまりニュースで聞くことはないね。</p><p>もちろん「浩宮家」と言えば、この3人を指すことになる。</p><p>&nbsp;</p><p>話を戻すと、要するに「女性宮家」とは、例えば眞子さまがそのままご結婚された場合に、「〇〇宮」という宮号を贈り、そのまま「〇〇宮」の当主として皇室に残ってもらう、ということである。</p><p>もちろん、産まれてくる子供は「女系」であるが、その子に対しても皇位継承の権利を与える。</p><p>こうすることによって、皇室の安定を図ろうというものだ。</p><p>&nbsp;</p><p>この案のデメリットは、言うまでもなく「万世一系」が崩れてしまう、ということだ。</p><p>女系を認めてしまうと、かつての藤原氏のような「皇室乗っ取り」といった事件も想定される。</p><p>&nbsp;</p><p>では、次の「旧宮家の皇族復帰」とはどのようなものか。</p><p>これも単純明快で、GHQ統治下において民間に降った11の宮家を活用することによって、皇統の断絶を防ごう、というものである。</p><p>活用の方法としては、3つほどが考えられる。</p><p>①旧宮家のうち同意を得られるものを、一斉に皇室として認めるというもの。</p><p>②旧宮家の男系男子を、皇族の誰かの養子として入れるというもの。</p><p>③旧宮家の男系男子が誰か女性の皇族と結婚することで、男系の途絶えない「女性宮家」を作るという、いわば女性宮家との折衷案。</p><p>&nbsp;</p><p>では、これらのデメリットをそれぞれ述べていく。</p><p>&nbsp;</p><p>①のデメリットは、70年も昔に皇族でなくなった人々について「今日からこの人たちが皇族です！」といきなり言われても、我々国民は納得して象徴と思うことができるか？という問題がある。</p><p>彼らは、現在においてはもはや民間人と変わらない。</p><p>中には、事件を起こして前科のある人までいるほどだ。</p><p>&nbsp;</p><p>②のデメリットとしては、旧宮家の人に養子を差し出すこと・皇族の誰かに養子を取ることをそれぞれ強制する形になってしまうという倫理的側面と、①と同様の「そもそも70年も前に皇族じゃなくなった人の子」である、という心理的側面の2つが存在する。</p><p>&nbsp;</p><p>③のデメリットは、誰か女性の皇族・旧宮家の男系男子に対して、それぞれに恋愛を経ない望まぬ結婚を強いることになりかねない、ということである。</p><p>&nbsp;</p><p>そして（２）「旧宮家の皇族復帰」論すべてに言えるデメリットが、仮に宮家を増やしたところで、側室が居なければ最終的に男系男子が途絶えてしまう可能性を否定することができない、ということだ。</p><p>仮に宮家すべての男系男子が「男系の血を絶やしてはなるまい」と、（奥さんの母体に鞭打って）男子を増やすことに専念すればともかく、普通に過ごしていたら、いずれ途絶えてしまう可能性を否定することはできない。</p><p>結局は「女性宮家」創設を先送りしただけではないか？ということだ。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、大体お分かりいただけただろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>以下は僕の結論となるのだが、やはり僕は「女性宮家」を創設すべきだと思う。</p><p>もちろん、この結論に至った理由として（２）のデメリットは大きい。</p><p>特に②、③に至っては、ただでさえ制約されている皇室の人権を、さらに抑制する形となっている。</p><p>もしそうなってしまえば、一日本国民として本当に心苦しい。</p><p>また、現状において皇室に婿として入った人物がそのまま天皇に即位するわけでもないのに、「皇室乗っ取り」が起こるということが想定し辛いということもある。</p><p>異国人との結婚も、こんなことは言いたくないが宮内庁が認めないだろうから、一考に値しない。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、理由はそれだけではない。</p><p>こちらの理由は、僕独自の考えであって、客観性を欠き、イデオロギーの強いものとなってしまうかもしれないが、あえて書かせてもらう。</p><p>天皇、ひいては皇室は、日本国民の「象徴」である。</p><p>これは、日本国憲法で定められているだけでなく、明治憲法以前からも変わらぬ皇室のあり方である。</p><p>ならば、「女性の社会進出」が「好ましい」とされている現代日本において、男性と同様に女性が宮家を作ること・男系と同様に女系の天皇を認めることというのは、「天皇」のあり方として正しいものなのではないか。</p><p>&nbsp;</p><p>石器時代から昭和中期に至るまで、「男が働き、女は家庭を守る」というのがベーシックな日本のあり方であった。</p><p>しかし、客観的に見て、そのシステムは完全に転換期へと至っている。</p><p>保守的と言われる現政権でさえ「女性の活躍」を打ち出している。</p><p>右から左まで、これについて真っ向から否定しようと思う人は、もはや殆ど居ないだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、現在においても、日本は他国と比べて女性の社会進出が遅れているとされる。</p><p>各種の統計を見ても、それは明らかだ。</p><p>この原因の一つとして僕は、日本人の潜在意識として、天皇が「万世一系」であり「男性が務める」ということについて、何となく「当たり前」と思っていることがあるのではないか、と考えている。</p><p>&nbsp;</p><p>皇室は、日本人・日本国の象徴である。</p><p>それはすなわち、日本人・日本国を映す鏡であり、また、日本人・日本国のあるべき姿を示す指針でもある。</p><p>現状として、天皇制がある側面において日本の針路に対してブレーキとなっているとするならば、それがアクセルと変化することは、自然の流れなのではないだろうか。</p><p>すなわち、「女性宮家」「女系天皇」は、現代の皇室のあるべき姿なのではないか。</p><p>僕は、そう思えてならない。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、長くなってしまったが、僕の思いとしては「女性宮家」問題について「賛成している奴は反日」「反対している奴は愛国」などという短絡的な考え方に、「保守派」こそ陥ってほしくない、ということである。</p><p>&nbsp;</p><p>僕は、皇室が可能な限り続いてくれることを願っている。</p><p>それは、今も、昔も、これからも、日本人が心底において分断されることのないように見守り、祈っていてほしいということや、それこそ日本人の象徴としてあるべき姿を示してほしいということなど、様々な思いから出てくる願いだ。</p><p>もし、これが「保守」の考えではないとするなら、ぜひ反論を賜りたいものである。</p>
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<link>https://ameblo.jp/irouru02/entry-12280584562.html</link>
<pubDate>Sun, 04 Jun 2017 01:26:19 +0900</pubDate>
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<title>日本共産党批判</title>
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<![CDATA[ <p>フジテレビでやってたバラエティで若手議員が集まってワイワイやる奴があったんだけども、日本共産党の池内さおりが、元日本のこころの和田政宗に「日本共産党の矛盾」をまくし立てられていた。</p><p>言っておくけど、これらは全部的を射ていない。</p><p>恐らく、10分間「1対1」で議論をしたら、完全に論破される。共産党の矛盾は、そこにはない。</p><p>&nbsp;</p><p>和田政宗の突いた矛盾は「自衛隊は違憲と言ってる奴は護憲ではない」というものと「天皇制を廃止したいと言ってる奴は護憲ではない」というもの。</p><p>そして「止めたいというならはっきり言え」と言う。</p><p>まあ、テンプレートです。</p><p>&nbsp;</p><p>これに対する共産党の主張は、2000年代は一貫して</p><p>「憲法の条項を守るので、天皇制も守る。自衛隊については違憲だが、自民党がそれを放置してきたのですぐに解消することはできない。政権をとったら段階を以って、自衛隊を持つ必要がなくなったときに、国民の合意の上で解消する」</p><p>というもの。</p><p>&nbsp;</p><p>正直、ここに矛盾を見出すのは難しい。</p><p>だって、完全な矛盾はしていないのだから。</p><p>せいぜい一つの主張として、十分聞き入れることはできるレベル。「俺は反対」と言って反論はできるが、論に目だった矛盾はない。</p><p>もちろん、細かいところをあげつらって「矛盾だ！」と突くことはできるが、それは本質ではないし、頭が悪い。</p><p>&nbsp;</p><p>では、本当の「日本共産党の矛盾」って何？ という話だ。</p><p>僕が「これは矛盾している」と言える最大のものは、共産党綱領における、2段階革命論だ。</p><p>&nbsp;</p><p>まず、前提条件として、日本共産党綱領においては、議会制民主主義においてまず、志を同じくする政党と連立で「民主主義革命」を起こし、その後、機が熟したら平和的に「社会主義革命」を起こすことで、共産主義社会を実現すると言っている。</p><p>この場合の民主主義革命とは、すなわち「政権交代」だ。</p><p>つまり、まず左派政党で政権交代を起こして、憲法の全条項に沿った社会保障などを実現することで、格差を解消していく。</p><p>これは資本主義社会で実現可能なので、社会主義革命ではないということだ。</p><p>そして、日本社会が成熟して、世論の後押しを得たとき、初めて社会主義革命によって、共産主義を実現する。</p><p>これが、2段階革命論だ。</p><p>&nbsp;</p><p>社会主義について少し勉強した人なら常識だが、社会主義の世界においては、まず「生産手段の社会化」が大前提となる。</p><p>生産手段の代表としては、工場などが挙げられる。</p><p>そういった、資本家たちが独占しているものを、国や労働者たちの労組など、社会的なものの手に移すことが生産手段の社会化だ。</p><p align="left">&nbsp;</p><p align="left">多分、疑問が湧くだろう。</p><p align="left">「あれ？どうやって社会化するんだろう？」と。</p><p align="left">僕も思った。</p><p align="left">なので、何人かの共産党員に聞いてみた。&nbsp;</p><p align="left">「どうやって社会化するんですか」</p><p align="left">&nbsp;「たぶん、立法によって行うだろうね」</p><p align="left">つまり、立法によって、強制的に資本家たちから生産手段を奪うときが来るという主張だ。</p><p align="left">&nbsp;</p><p align="left">そして、こんな例もあった。</p><p align="left">マルクスの主張した、革命においては「管制高地」すなわち、金融の要の銀行など、優位に立てる場所を握る(国有化する)、という論のもとに動く。</p><p align="left">そうして資本家たちの優位に立って勝負をする、というものだ。</p><p align="left">&nbsp;</p><p align="left">要は、金の流れを抑えて、資本家の息の根を止めると。</p><p align="left">それを聞いて、たしかにできそうな気はした。</p><p align="left">まあ、暴力がなくても革命はできるのか、と思いはした。</p><p align="left">でも、おそらく資本家たちは黙っていられないだろう。</p><p align="left">完全な収奪だ。</p><p align="left">そこで、資本家たちが暴力に打って出たとき、共産党は反撃をする可能性を否定していない。それが「敵の出方論」だ。</p><p align="left">共産党が未だに「暴力」の可能性を捨てきれないのはそこにある。</p><p align="left">&nbsp;</p><p align="left">まあ、実際にどうやって社会主義革命を行うかについては議論が尽きてないらしいので、今のはあくまで一例だけどね。</p><p align="left">と言うわけで、とりあえず「敵の出方論」は置いとこう。</p><p align="left">&nbsp;</p><p align="left">この社会主義革命に何の矛盾があるだろうか。</p><p align="left">答えは簡単で、民主主義社会において、資本主義社会を前提に格差を解消した場合、現状で平和な人々から「共産主義にしようぜ！」なんて意見は、天地がひっくり返っても起きるはずがない、ということである。</p><p align="left">共産主義というものは、その前提として、現状の資本家と労働者の格差の矛盾に対してのルサンチマンから引き起こされる。</p><p align="left">「万国のプロレタリアートが団結」しないといけない。</p><p align="left">すなわち、格差の縮小した資本主義社会で国民合意が形成されるはずがないので、共産党の言う「社会主義革命」は、起きるはずがないのだ。</p><p align="left">もし、共産党が資本主義を前提とした民主主義社会で革命を起こすには、まさしく「強行採決」を以って無理やり通すしかない。</p><p align="left">資本家たちを敵に回して、自由主義社会を望む人を敵に回して、イデオロギーを成立させるしかない。</p><p align="left">なので、共産党の考えは全くもって成り立たないのだ。</p><p align="left">&nbsp;</p><p align="left">もしも、資本主義を前提とした民主主義社会で社会主義革命を起こしたいのなら方法は一つだ。</p><p align="left">まず、格差をめちゃくちゃに拡大させる。</p><p align="left">その後、労働者たちの堪忍袋の尾が切れて「共産主義を実現させてくれ！」という意見が紛糾する。</p><p align="left">そして、共産党一強の政権が誕生する。</p><p align="left">これしかない。</p><p align="left">&nbsp;</p><p align="left">でも、共産党は今、社会民主主義的政策を取っており、「安倍政権を倒してより格差のない社会を実現したい」と言っている。</p><p align="left">おまけに、民主主義革命は、連立政権で行うとまで言っている。</p><p align="left">共産党に言っておくけど、それが実現したら多分、共産主義は実現しませんぜ。</p><p align="left">&nbsp;</p><p align="left">以上、共産党最大の矛盾でした。</p><p align="left">共産党を「論破」したい保守のみなさんは、そこを突いてみてください。</p><p align="left">もうちょいまともな議論ができるはずでっせ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/irouru02/entry-12277365065.html</link>
<pubDate>Tue, 23 May 2017 23:32:21 +0900</pubDate>
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<title>「大長編」とは何かー『ドラえもん　のび太の南極カチコチ大冒険』の失敗ー</title>
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<![CDATA[ <p>はい、もう観てから大分経ってしまいましたが、やはり、15年を超える『ドラえもん』ファンとしては、この作品を語らないわけには参りませんね。</p><p>今回は、『ドラえもん　のび太の南極カチコチ大冒険』についてです。</p><p>&nbsp;</p><p>実を言うと、僕は所謂「新ドラ映画」が苦手でした。</p><p>こう言うと「大山原理主義か！」「この懐古厨め！」なんて言われそうですが、別に「声」に違和感があるわけではないんです。</p><p>まず何より嫌だったのは旧版映画に対する「原作レイプ」です。</p><p>これの最たる例は、言わずもがな『新　のび太の大魔境』ですが、実は『新　のび太と鉄人兵団』も、僕は良い目で見ておりません。</p><p>それぞれ簡単に解説を交えて意見を言っていきましょう。</p><p>&nbsp;</p><p>まず、前者については、初っ端のファーストシーンから違和感を覚えました。</p><p>「あれ、このスタッフは原作を理解してないんじゃないの？」と。</p><p>『大魔境』を観た人ならだれでも印象に残っているでしょう。</p><p>野良犬がペコに威嚇をしますが、ペコはたしなめるような目でその犬を見つめます。すると野良犬は、ペコに何かを感じて逃げる、このシーンです。</p><p>これが新版では、吠える野良犬をペコが見つめると、野良犬は怯え、雷が鳴るととともに逃げていく、という非常にコミカルというか、派手な演出がされていました。</p><p>これでは、ペコの神聖性が「恐怖」という側面のみで片づけられてしまいます。</p><p>確かに、原作の野良犬も「恐怖」は感じていると思います。</p><p>ですが、ペコの正体はクンタックというバウワンコ王国の王子です。</p><p>はたして、それを「恐怖」だけで済ませていいのか？</p><p>直後の「心の中♪いつもいつも♪描いてる～♪」という陽気な曲の最中、僕の心の中ではそういった思いや、スタッフへの猜疑心を描いていました。</p><p>&nbsp;</p><p>残念ながら、その予想は的中します。</p><p>お笑い芸人のCOWCOWの違和感が凄いとか、言いたいことは山ほどありますが、その中でも取り分け、一番文句を言いたいことがあります。</p><p>途中、急に原作に出てこない新キャラが登場します。</p><p>ペコを剣で打ち負かし、崖から突き落とした敵の兵士、サベール隊長。</p><p>俳優の小栗旬さんが演じています。</p><p>最初はなるほど、と思いました。</p><p>確かに、原作版ではラストで隊長の犬と闘ってはいたけど、それに至るまでのストーリーは無い。となると、「ペコの戦い」という側面が、映画全体を通して見ると薄くなる。だから、ペコの物語を付け加えたのか、と。</p><p>そうすれば、ラストバトル、歯車の上での戦いもカタルシスが増します。これは理にかなってます。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、スタッフはトチ狂います。</p><p>サベールとのラストバトル！</p><p>その相手は……</p><p>のび太です。</p><p>手には名刀電光丸。</p><p>「あれ？なんで？ペコと闘うんじゃないん？ペコの因縁の相手やん？」</p><p>意味が分かりませんでした。</p><p>名刀電光丸の電池が切れたとき、祈りました。</p><p>「ペコ、のび太を助けに来てくれ！お前のライバルだろ！頼む！この映画を助けてくれ！」</p><p>ですが、現実は非情です。</p><p>ペコは助けには来ませんでした。</p><p>のび太「あきらめるな！最後まで戦うんだ！」</p><p>このセリフ、ペコが言ってほしかった……。</p><p>そして、みんなの協力で巨神像が動き出し、その衝撃でよろめいたサベールの頭をのび太が打ちます。</p><p>サベール「見事だ」</p><p>相手がペコだったら、感動できていたはずなのに……。</p><p>&nbsp;</p><p>正直、まったく意味が分かりませんでした。</p><p>原作ではこのシーン、ペコと隊長が戦っていました。</p><p>だから、僕も隊長とペコの因縁が描かれたときに、ラストバトルのカタルシスを増大させるためのものと信じて疑いませんでした。</p><p>でも、相手はのび太。なぜか、不必要な改変をします。</p><p>確かに、『のび太の大魔境』なので、そりゃあのび太の成長が必要です。</p><p>とはいえ、やり方を考えろって話ですよね。</p><p>例えば、ジャイアンが巨神像の心を押すときに言うセリフ「みんなの力を合わせるんだ」、これをのび太に言わせるという形で描いてもよかったのでは？</p><p>そこで、ペコとオーバーラップさせる。</p><p>そっちの方が感動的なような気もしますがね。</p><p>なぜ、スタッフがこんな愚策を打ったのかは分かりませんが、全く以て納得いきません。</p><p>&nbsp;</p><p>ちなみに、良いと思ったところもありました。</p><p>テーマ曲が流れながら、戦火の中ジャイアンがペコのもとに向かっていく名シーン。</p><p>あれなんかはきちんと原作をリスペクトして作られていましたね。</p><p>いや、まあ映画を観る前から「ここが再現されてなかったらカスだなぁ」なんて思ってたんで、再現されていることは当然なんですがね。</p><p>いわばこのシーンは、この映画の絶対条件というか、必要十分条件です。</p><p>まあ、そこらへんは押さえてるよね、ってレベルの話ですが、一応。</p><p>&nbsp;</p><p>ちなみに、監督の八鍬さん、次のリメイク作『新　のび太の日本誕生』のパンフレットで、このようなことを仰ってます。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-style:italic;">『のび太の日本誕生』は、僕が小学生の時に観た作品です。</span></p><p><span style="font-style:italic;">2年前に監督した『新・のび太の大魔境』は、子どものときに1982年公開の作品を観ていませんでした。</span></p><p><span style="font-style:italic;">だから、ここを変えればいいかなと気軽にアイデアが浮かんだのですが、『日本誕生』は子どもの頃に観ていたぶん思い入れが強く、どこを変えたらいいんだろうとずいぶん悩みました。</span></p><p><span style="font-style:italic;">藤子・F・不二雄先生の描かれた原作まんがを何度も読み返しましたが、ストーリーはしっかり構成されており、穴がない。</span></p><p><span style="font-style:italic;">それでもやるからには、今回の『新・のび太の日本誕生』で1989年の『日本誕生』を超えたいという目標がありました。</span></p><p>&nbsp;</p><p>オイオイ、オイオイオイオイ。</p><p>お前、『大魔境』に思い入れ無かったんかいな。</p><p>だから気軽に改変できたんかいな。</p><p>僕は唖然としました。</p><p>2年前の謎が、完全に解けた。</p><p>まあ、その時は『新・日本誕生』が素晴らしかったので許しましたが、やはり『新・大魔境』はとんでもない駄作であると言わざるを得なかった。</p><p>紛れもない「原作レイプ」。</p><p>何なら、自分の作った設定もレイプしてるので、「自傷行為」とまで言って良いでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>では『新・鉄人兵団』はどうか。</p><p>全体的な完成度は非常に高かったです。</p><p>描きたいことも、『新・大魔境』より理解できました。</p><p>いや、「理解しやすすぎた」と言った方が適切でしょうか。</p><p>すなわち、『鉄人兵団』において描かれた骨太なテーマ「人間とロボットと戦争」。</p><p>これを分かりやすく噛み砕いてしまったことで、感動は増しても、そのテーマが矮小化されてしまった印象は否めませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>例えば、最も大きな改変と言える「ザンダクロス（ジュドー）の脳の改造」。</p><p>新版ではヒヨコのような姿の「ビッポ」というキャラクターへと外見が変えられますが、旧作においては、ドラえもんがドリルなどの工具を使って、改造を施します。脳に対しての改造なので、「洗脳」と呼んだ方が良いかもしれません。</p><p>旧作のこのシーン、コミカルに描かれていますが、残酷だと思った方も多いのではないでしょうか。</p><p>実際、明るく描かれているシーンなのにやってることはとんでもなくえげつないです。</p><p>リメイクで改変されたことも已む無し、とも思えなくもない。</p><p>ですが、このシーンは、人間対ロボットの「戦争」という状況となれば、ドラえもんでもこのような残酷な行動をとってしまい、周りもそれに違和感を持たない、ということが読み取れる、非常に象徴的なシーンです。</p><p>戦争に対する何とも言えない恐怖を感じさせる、名シーンだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>新版では、ビッポを登場させることで、「ロボットと人間の絆・共存」に対してのアプローチを強めている、と言えます。さらに、「子供向けアニメ映画」としての要素も強まります。</p><p>英断、と、言えないこともないでしょう。</p><p>確かに、そのほうが「お利巧」な作品にはなるでしょう。</p><p>実際、旧版以上に新版は、希望に満ちた作品となってますし、分かりやすく感動できます。</p><p>でも、旧版の何とも言えない薄暗さ、他にない恐怖は消えてしまっています。</p><p>&nbsp;</p><p>恐怖が消えた、と言えばこんな例もあります。</p><p>新版では、始まって2分ほどでメカトピア軍の</p><p>「地球人共を捕獲し、我々の奴隷とするのだ！」</p><p>「メカトピアの全兵士よ、地球人捕獲作戦、開始！！」</p><p>という宣言シーンが入ります。</p><p>&nbsp;</p><p>旧版では、リルルの行動を調査し、盗聴して初めてのび太たち、すなわち視聴者は「地球人捕獲計画」を知ります。</p><p>それまで、リルルの正体は不明で、謎に包まれています。</p><p>あの無表情な微笑みの無機質さ、どことなく無邪気に見える振る舞い、独善的にも聞こえる言葉。</p><p>最初から鉄人兵団の行動原理が明らかになっている新版では、こういった、何度見返しても「次の瞬間、のび太が殺されているんじゃないのか」とまで理由なく思える「分からないことによる怖さ」が消えてしまっています。</p><p>次の展開を安心して観続けられてしまうんです。</p><p>さらに言うと、旧版では、メカトピアそのものさえ最後まで描かれません。徹底して「謎の敵」でした。</p><p>例えるなら、エヴァで言う使徒みたいなものでしょうか。</p><p>やはり旧版ファンとして、これは残念でなりませんでしたね。</p><p>&nbsp;</p><p>あっ、残念だったと言えばもう一点。</p><p>何なら、一番楽しみにして行ったと行っても過言ではないですな。</p><p>一行が鏡面世界のスーパーで食料を買うときの、ご存じドラえもんの名ゼリフ。</p><p>「全部タダでございま～す」</p><p>これのカットはないやろ！！</p><p>……まあ、そんだけなんですけどね。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、リメイク作品については多少文句が出やすくなるのも当然でしょう。</p><p>幼稚園に入る前から観ている作品です。思い入れは半端なものではありません。</p><p>&nbsp;</p><p>ですが、僕は新版オリジナル映画についても多少の苦手意識を持っていました。</p><p>と、言っても、これまでに作られた5作品のうち、1作品しか観ていないのですが。</p><p>観たのは『のび太のひみつ道具ミュージアム』です。</p><p>ちなみに、劇場版『とある魔術の禁書目録』のついでに見に行きました。</p><p>そちらのおまけフィルムでは、音楽を聴いてる佐天さんと美琴が当たった記憶があります。</p><p>&nbsp;</p><p>この作品、実を言うと決して悪くはないのです。</p><p>ドラえもんの軸ともいえる「ひみつ道具」にフォーカスする作りは、今まで有るようで無かった。</p><p>内容も無難に面白い。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、何か足りない。</p><p>そこそこ楽しんで、観終わった後の僕の感想がこれでした。</p><p>「いや、冒険せえや！」</p><p>&nbsp;</p><p>やっぱり大長編ドラえもんって、冒険してナンボなんですよ。</p><p>この場合の冒険は、文字通り海へ、ジャングルへ、宇宙へ、といった大冒険のことを指します。</p><p>やはり「博物館」というくくりでやってしまったせいで、どうも作品全体に閉塞感が漂っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>いや、面白いんですよ？</p><p>でもね、「それ、映画館でやること？」と問いかけたくなってしまうんですよ。</p><p>&nbsp;</p><p>いわゆる「未来世界への憧憬」みたいなもの、「ドラえもんの生まれた時代を探検しよう！」みたいな試みは、テレビスペシャルで何度もされているわけです。</p><p>映画において「ひみつ道具」をテーマにその背景を改めて描いていくとなると、従来のテレビスペシャルを大きく超えるものを要求されます。</p><p>ですが、やはりテレビスペシャルの域を出ない。</p><p>むしろ、ドラえもんテレビスペシャル伝説の名作『走れ！のび太ロボット裁判所』の方が、よっぽど大長編をやっていた気もします。</p><p>&nbsp;</p><p>あと、大長編の醍醐味であるところの「ゲストキャラクターとの一期一会」が、全くもって活かされていないのも気になりました。</p><p>出会いと別れあってこその大長編な気がするんですよね。</p><p>この映画、博物館ガイドの少年であるクルトとはともかく、ペプラー博士とその孫ジンジャーに至っては、メインキャラたちとの接点が薄すぎません？</p><p>数年前に1度観たきりなのであやふやですが、記憶が正しければジンジャーとはまともに会話すらしていなかったような。</p><p>そういう意味でも、『映画ドラえもん』の名を冠するには相応しくないなぁ、というのが率直な印象でした。</p><p>&nbsp;</p><p>一方で、去年の『新　のび太の日本誕生』は、本当に素晴らしい作品でした。</p><p>去年観たアニメ映画では『この世界の片隅に』に次いで素晴らしかったと思います。（ちなみに、さらにその次は『聲の形』）</p><p>これについては、原作を完全に超えていた、と言っても過言ではないでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>そもそも、旧作『のび太の日本誕生』という作品、僕は決して優れた作品とは言えないと思っています。</p><p>いえ、面白いことは面白いんですよ？</p><p>そもそも、「現代には遊べる土地がないから7万年前の日本に行こう！」なんて題材、面白くないわけがないんです。</p><p>そんでもって、ダイコンを割ったらカツ丼が出てきたり、動物のアンプルを混ぜてペガサスとかを作ったりと。</p><p>挙句、日本人の始祖を日本に送り届けるなんてストーリー、そりゃワクワクしますよ。</p><p>「もったいない、ラーメンのおつゆ！」</p><p>このセリフのせいで、一時期ラーメンのスープを毎回飲み干してましたね。おかげで太った太った。</p><p>&nbsp;</p><p>でも多分、多くのファンが疑問に思ってたんじゃないですか？</p><p>「あのラストはないやろ！」って。</p><p>&nbsp;</p><p>マンモスに化けてたタイムパトロールがのび太を見つけて、ブザーを持たせる。</p><p>→万事休すののび太が洞窟の中でブザーを押す</p><p>　→タイムパトロール出動！</p><p>　　→解決！</p><p>&nbsp;</p><p>なんやこれ！</p><p>もう、映画『ドラえもん』じゃなくて映画『タイムパトロール』やんけ！ってくらいにタイムパトロールが万能すぎたんです。</p><p>ちなみにこれ、作中で10分足らずの出来事です。</p><p>ギガゾンビの基地を見つけてから数えても、ほんの15分程度でエンディングです。早すぎ！</p><p>まあ、尺が無かったから仕方ない、という部分もあったのでしょう。にしても突貫工事すぎる気はしますが。</p><p>そこを本作、完全に昇華しています。</p><p>&nbsp;</p><p>本作でのタイムパトロールの役割は、最後の最後、ギガゾンビ逮捕程度です。</p><p>じゃあ、だれがギガゾンビの野望を打ち砕いたか。それは原始人たちの活躍です。</p><p>ギガゾンビ・クラヤミ族たちに対して、きちんとヒカリ族が反乱を起こすのはもちろん、ククルが自らの手で亜空間破壊装置を止めます。</p><p>いやはや、涙が出ましたよ。</p><p>もちろん、シーン自体が感動的だったというのもあります。</p><p>23世紀の技術に対して、日本の祖先たちの底力が上回った！っていうね。</p><p>ですが、それと同時に、無意識におこった、前述した『新・大魔境』との対比が僕の涙を誘ったのは言うまでもないでしょう。</p><p>ゲストキャラクターが、作劇上間違いなく果たすべき、与えられた役割を、きちんと果たしてくれている！！これだよ！！</p><p>いやぁ、『新・大魔境』があまりにもひどかった分、旧作の難点を完全に補った『新・日本誕生』をより存分に楽しむことができた、とも言えるでしょう。ありがとう、『新・大魔境』！</p><p>&nbsp;</p><p>そして、エンドロールにも感動の仕掛けがされています。</p><p>まずは『日本誕生』の根本を考えてみましょう。</p><p>この話って、一体なんで過去に行くことになったんでしたっけ。</p><p>そう、「家出」なんです。</p><p>正確にいうと、「両親との不和」が原因です。</p><p>のび太はもちろん、ジャイアン、スネ夫、しずかちゃん。</p><p>みんな、両親と仲たがいしたことによって、家出を決意しているんです。</p><p>でも、旧作では、その後どうなったかは全く描かれていません。仄めかされてすらない。</p><p>何なら、エンドロールのラストまで現代に戻らず、「さようならー！」と言わんばかりに、伝説動物たちを乗せたタイムパトロールを見送っています。（やっぱり劇場版『タイムパトロール』じゃないか！）</p><p>つまり、問題の根本は何も解決されないままに、エンディングを迎えてしまっているんです。</p><p>&nbsp;</p><p>そこを今作！</p><p>やはり最後まで魅せてくれました！</p><p>のび太が猛勉強をして眠ってしまったところを、ママが頭を撫で「お帰り、のび太」と一言。</p><p>そこでエンドロールに入ります。</p><p>エンドロールでは一枚絵で、母ちゃんのお使いをするジャイアン、ママの期待に応えるために色んな習い事に励むスネ夫、発表会でママの見つめる中ピアノを弾くしずかちゃんが描かれます。</p><p>それだけではありません。空想動物サファリパークで楽しく暮らすペガ・グリ・ドラコのその後はもちろんのこと、なんと、族長になった後のククルまで描いてくれました！</p><p>ククルの奥さんが子どもを産み、今の日本が作られる過程を仄めかす一枚絵……。</p><p>もうね、「分かってるぅ！！」と心の中で叫びました。</p><p>正直、後半は涙で画面がマトモに見られなかった。</p><p>「スゲェ！八鍬さんスゲェ！ありがとう！」この気持ちでいっぱいでした。</p><p>&nbsp;</p><p>大名作でしたよ『新・日本誕生』。ええ、何度でも言いますとも。</p><p>文句のつけどころ、一つしかなかったですもん。</p><p>え？何かって？</p><p>ヒカリ族がドラえもん一行を歓迎する宴で歌ったあの名曲が割愛されていたではありませんか！</p><p>「ドラゾンビ様に～導かれ～　東のほとりへ来てみれば～　こ～こは日の国めでたやな～　めでたやめでたやな～♪」</p><p>……え？要らない？　あ、そうですか。</p><p>&nbsp;</p><p>んで、僕は思ったわけですよ。</p><p>「シンエイ動画、やるやんけ！」</p><p>こりゃ、僕も考えを改めなきゃならん。</p><p>よっしゃ、いっちょオリジナル映画も観てみましょうか。</p><p>ですので、今回の『ドラえもん　のび太の南極カチコチ大冒険』は、非常に期待を持って観に行きました。</p><p>&nbsp;</p><p>実際、CMを観た限りは悪くなかったです。</p><p>平井堅の曲が素晴らしいのもありますが、「<span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">10万年を超えた友情</span>」というキャッチフレーズには心惹かれました。</p><p>「ああ、そういえばこういうテーマは今まであるようで無かったぞ」と。</p><p>大長編では何度も過去に行っていますが、「みんなで過去に置き去りにされた」ことはあっても、「過去と未来で離ればなれになった」ことは無かったのでは。</p><p>他にも、「偽ドラえもん」の存在、「2つの星のうち、1つしか助からない」という設定。</p><p>これは名作の予感！</p><p>&nbsp;</p><p>と、言うわけで観た感想を一言で申し上げますと……</p><p><span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">駄作of駄作</span></span></p><p><span style="font-size:1em;">上映中に携帯をつけて、時間を確認した映画は久しぶりです。</span></p><p><span style="font-size:1em;">しかも、その時に50分くらいしか経ってなくて「まだ半分！？」と驚きました。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1em;">この映画について、つまらないと感じた要素を、とりあえず思いついた順に3つに纏めます。</span></p><p><span style="font-size:1em;">1つ目に、退屈であること。</span></p><p><span style="font-size:1em;">2つ目に、肩すかしであること。</span></p><p><span style="font-size:1em;">3つ目に、薄っぺらいこと。</span></p><p>この3つに基づいて感想を書いていきます。</p><p>&nbsp;</p><p>まず、1つ目の「退屈」について。</p><p>この映画の序盤・中盤は非常に冗長です。</p><p>特に南極探検のシーンなんか酷い。</p><p>ただただ氷の中、秘密道具を使うだけ。</p><p>背景は真っ白だから、代わり映えがしない。</p><p>それをひたすら続けられる。眠かったです。</p><p><br></p><p>また、「薄っぺらい」にも関わるかもしれませんが、あまりにも展開が読めすぎる。</p><p>で、それをこっちにワクワクさせるギミックもなしに淡々と描くものだから、異様に退屈です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;2つ目の「肩すかし」。</p><p>想像との落差という意味では、これが一番僕にとっては効いたかもしれませんね。</p><p><br></p><p>肩すかしの例を挙げましょう。</p><p>例えば、前述の「<span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">10万年を超えた友情」。</span></p><p><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">この要素は、何度も言いますが</span><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">予告を見たときから楽しみでした。何なら、これを観て泣くために行ったようなものですよね。</span></p><p><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">さらに言うと、これを思いついた時点で、作者の「勝ち」だとも思っていました。</span></p><p><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">こんなもん描きゃ絶対おもろいやん、と。</span></p><p><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">でも、この作品は期待を大きく裏切ることになります。</span></p><p><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);"><br></span></p><p>みなさん、普通に考えてみてくださいね。</p><p>「時を超えた友情」</p><p>これを描くにはどうしますか？</p><p>……そうです。「分断の辛さ」を描きます。</p><p>作劇上、そりゃ当たり前です。</p><p>離れ離れになって、お互いの大切さを改めて思い知る。</p><p>何なら「自分たちを守るために離れ離れになった」なんて要素があれば、なお最高ですよね。</p><p><br></p><p>分断を描く作劇の例を適当に作ってみましょうか。</p><p>例えば、強大な敵が来たとします。</p><p>今の装備じゃとても勝てない。皆殺しになる。</p><p>そんな時にドラえもんがのび太たちを、命からがら10万年後に送り届けます。</p><p>「助かった！やった！」と喜ぶスネ夫。</p><p>スネ夫に対し一喝し「助けに行こう」と前のめりになるジャイアン。</p><p>でも、自分たちが戻ったところで勝てっこない。</p><p>おまけに、タイムマシンもない。</p><p>ドラえもんの意思を汲むためにも、自分たちは現代に残ることにする。</p><p>それでもやはり、友達を置いて行ったことに引け目を感じるのび太。</p><p>何かの手がかりはないか、必死で探すと、10万年を超えて、ドラえもんが倒すヒントを残していてくれた。</p><p>そして、ジャイアン、スネ夫、しずかちゃんを連れて、タイム電話でドラミを呼ぶなり、スペアポケット等に残された道具を使うなりで、何とか10万年前に戻る。(そのとき、「二度と帰れないかもしれない」とかの要素を付与するとベターですね)</p><p>そして、ドラえもんの下へとたどり着く。</p><p><br></p><p>これくらいすれば、多分感動できるでしょう。</p><p>要は、「分断」された中での試行錯誤や、お互いを必要としていたという気付き、別れたくないという感情の爆発等を、多少なりとも尺を割いて描くことがマストなのです。</p><p><br></p><p>では、この映画はどうしたか。</p><p>「ヤバい！あいつは倒せない！」という敵(ブリザーガ)が現れます。</p><p>「よし！逃げよう！」と、タイムベルトの準備をしますが、ドラえもんとパオパオだけ吹き飛ばされてしまいました。</p><p>「どうしよう！」とパニックになる一行。「お前が地球に来なければ！」とゲストキャラを責めるジャイアン。</p><p>しかし、のび太はタイムベルトの中の電池を見て、どこかで見たことがあるのに気づきます。</p><p>そうです。冬眠していたパオパオの持つバッグの中にあったものは、タイムベルトの電池でした！10万年前のドラえもんが残してくれていたのです！</p><p>よし！戻ろう！</p><p><br></p><p>この間、10分もなかったんじゃないですかね。</p><p>とんでもない肩すかしですよ。</p><p>「えっ、これで10万年を超えた友情を描いたつもりなの？」</p><p>監督のご意見が聞きたいところです。</p><p><br></p><p>他にも「偽ドラえもん」についてなんかも、非常に肩すかしでしたね。</p><p>まず、「本物でも偽物でも、友達は壊せない！」というのび太の結論に対して「見分けろや！『千と千尋』を見習え！」という思いが一つ。</p><p>まあ、その後に本物がのび太を攻撃して、偽物がのび太を庇うわけがない！ということで見分けたので、まあ、それはいいです。</p><p>それ以上に問題なのは、このシーンが「大して重要じゃなかった」ということです。</p><p>予告では「偽ドラえもん登場！！」と煽りまくっていました。</p><p>それ見たら「なるほど、これが一つの山場なんだな」と誰でも思いますわ。</p><p>見ればわかります。めちゃくちゃアッサリしてます。</p><p>何というか、1つのタスクを役人仕事でソツなくこなしたような感じで、「どっちが本物なんだ！」「ドラえもんの特徴を思い出せ！」「友達だろ！」というようなパッションが見られない。</p><p>「か、か、か、感動させてくれぃ！！！」と頼み込みたくなる気分でした。</p><p><br></p><p>では、最後の3つめ、「薄っぺらい」について。</p><p>これも例示した方が分かりやすいでしょうね。</p><p>「ヒョーガヒョーガ星が氷に覆われて、住民が避難した。みんな大変な思いをしていて、ゲストキャラたちは星の氷を溶かすために旅をしている」という設定と「リングで救えるのは1つの星だけ」という設定がありますね。</p><p>そんで、その旅をしているゲストキャラが、カーラとヒャッコイ博士です。</p><p>この時点でもう薄っぺらいんです。</p><p>ヒョーガヒョーガ星の住民として出てくるのが、カーラとヒャッコイしかいないんですよ！</p><p>「それがどうした」と思う人もいるかもしれませんわな。</p><p>でも、これって結構重要だと思いますよ。</p><p>だって、2人しか描かれないとヒョーガヒョーガ星の住民が困ってる実情が、さっぱり分かりません。</p><p>回想で画として描かれでもしたら、まだ分かりやすかったかもしれませんが、それもない。</p><p>そうなってしまうと、「地球をとっとと救ってくれ！」ってなりますよ。そりゃジャイアンも憤るよ、と。</p><p>もっと葛藤させてよ！地球を救ったせいで助からないヒョーガヒョーガ星とその住民に思いを馳せさせてよ！</p><p><br></p><p>例えば、マクロスとかガンダムみたいに、船団で何世帯もの住民が一斉に移動していたら、多くの人間の体温が感じられたでしょう。</p><p>そういう意味では、『宇宙漂流記』とかの方が多くの人間の共同生活っていう、人の体温が感じられる作りでした。</p><p>今作では、そういった感覚がゼロです。あるのはジジイと少女の共同生活のみ。</p><p>彼らに血縁関係あったんだっけ？他人だっけ？もう忘れましたけども、せめてカーラの親くらい出そうよ。ねぇ。</p><p><br></p><p><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">まだ挙げようと思えばあるかも知れませんが、とりあえずこのくらいです。</span><br></p><p><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">とりあえず、簡単にまとめます。</span></p><p>『ひみつ道具ミュージアム』でもそうでしたが、オリジナル映画はゲストキャラを軽く扱いすぎです。</p><p>彼らは自分たちと違った人生を生きてきて、背景には家族がいる。</p><p>そういう今まで出会うことのなかった世界とのび太たちが出会う。</p><p>そういった「日常(金曜アニメ)から飛び出す」のが「大長編」なんです。</p><p>だから、人と人との触れ合い、異世界との接触を特に大事にしなけりゃならない。</p><p><br></p><p>『ひみつ道具ミュージアム』のときは「大長編なんだから冒険しろよ！」と言いました。</p><p>今回は、一応は「冒険モノ」でしたが、こんな出来でした。</p><p>いや、申し訳なかった。制作者には、1から冒険モノを作るキャパシティがなかったのです！</p><p>じゃあ、もう冒険モノは1から作らなくていいですよ。</p><p>リメイクだけで冒険してなさいな。</p><p>プロットとしては悪くないし、着目点だけで見れば間違いなく成功だと確信していただけに、本当にがっかりです。</p><p>見てる最中に、何度「一回脚本を俺のところに持ってきて、伺いを立てに来い！」と思ったか。</p><p><br></p><p>こんなものを作るなら、『映画ドラえもん』というフォーマットに終止符を打ってもいいのではないか？</p><p><br></p><p>本作は、長い『ドラえもん』ファンの僕に、そこまで思わせるものでした。</p><p>次回作は『南海大冒険』のリメイクでしたか。</p><p>まあ、観に行きます。</p><p>次は、こんながっかりするような作品になっていませんように。</p>
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<link>https://ameblo.jp/irouru02/entry-12256786809.html</link>
<pubDate>Wed, 03 May 2017 19:55:12 +0900</pubDate>
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<title>『君の名は。』ヒットの理由について（ツイートへの付け足し・備忘録）</title>
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<![CDATA[ <p>『君の名は。』の爆発的大ヒットってのは、今までのジブリ作品とかのヒットとは、方向性が全く違うんだよね。</p><p>&nbsp;</p><p>僕含めて近年の、特に若いアニメファンは、一般向けアニメを忌避する傾向にあったように思う。ジブリとか、ワンピースとかね。</p><p>「実は俺、ジブリとかほとんど観ないんだよね」っていうアニメオタク、意外と多いと思う。実際、僕も2010年くらいまで『千と千尋の神隠し』すら観たことなかった。</p><p>むしろ、ただのドラマ好きとか、「流行った映画を1年に2,3回観ますよ」「金ローはたまに観るよ」くらいの一般層のほうが「ジブリ大好き！全作品観てる！」って人が多いように思う。僕の体感で、統計なんてないけども。</p><p>まあ、これはオタクが斜に構えているのもあるだろうけど、ここ20年で確立された「アニメオタク的な文法」で描かれていないから、というのが大きいように思う。これについては後述します。</p><p>&nbsp;</p><p>一方で、オタク向けのアニメってのは、どこをどう逆立ちしても、オタクにしか観られることはなかった。</p><p>夕方にやっていた『コードギアス』の視聴率やら、劇場版『ハルヒ』『灼眼のシャナ』辺りの興行収入を見れば、一目瞭然だろう。（まあ、「オタクを増やす」という効果はあっただろうけど）</p><p>&nbsp;</p><p>そこを打開し始めたのが、多分、細田守だよね。オタク向けの文法を、一般人が受け取れるレベルにまで薄めて供給した。</p><p>あとは、『あの花』『ここさけ』の長井龍雪とかもそうかな。所謂「ノイタミナ」のアニメね。</p><p>&nbsp;</p><p>そうしてできた下地に、新海誠が乗り込んできた(実は、一部サブカル女子の中に口コミで「新海ブランド」ができていた、という背景もあるけど、細かい説明は省く)。</p><p>そんで、細田守の「弱み」（後述）を全て改善した作品を突きつけた。</p><p>そしたら、オタクも一般層も狂喜乱舞の社会現象が出来上がった。というのが流れ。</p><p>&nbsp;</p><p>細田守の「弱み」は2つあると思う。1つは作画。ジブリレベルの作画や背景を作るリソースがないこと。もう1つはオタク向け・一般向けの塩梅が、『君の名は。』と比べて悪かったこと。</p><p>&nbsp;</p><p>作画に関しては言わずもがなだろうけども、大きい出来事として「ジブリ解体」があった。おかげで、ジブリ出身の有力なアニメーターがアニメ界に一気に流出し、高クオリティの作画が可能となった。</p><p>『君の名は。』キャラデザ・作監の安藤雅司さんなんか、『千と千尋』の作監もされていたほどの大御所。そして、その他作画監督もほとんどジブリ出身者。</p><p>そりゃあクオリティも高くなるわ！と思います。</p><p>&nbsp;</p><p>次に塩梅について。まず、前述した「オタク向け文法」の僕的な解釈だけども、「萌え」と「燃え」、そして「インテリ」っていう3つの要素が挙げられると思う。</p><p>「萌え」はもちろん、可愛いヒロインと、そのヒロインによる、画面の向こうの人の心をつかむ可愛らしい（あざとい？）仕草やシチュエーションのことで、「燃え」は、血がたぎり、手に汗握るシーン。</p><p>「インテリ」ってのは、SFを思い浮かべれば分かりやすいと思うけども、そこはかとない「小難しさ」による「カッコよさ」みたいなものね。</p><p>たとえば、『グレンラガン』なんて、小難しい要素ゼロの熱血バカ作品のように思うけども、「アンチスパイラル」だの「多次元宇宙空間」だの、小難しい単語が並んでる。そもそも、設定からしてSFだしね。</p><p>&nbsp;</p><p>細田作品のキャラデザはエヴァの貞本によるものだけども、非常に没個性というか、一般向けに書かれている。</p><p>ネットでは「女性の魅力に乏しい」とよく批判されるが、さもありなん。一目見た印象から「萌え」を可能な限り排除している。</p><p>絵だけじゃなく、作品内での描かれ方も、「萌え」から一線を画した描き方だったしね。</p><p>まあ、単純に、どの作品もヒロインあんま可愛くないやん！って話。</p><p>おかげで、萌えオタは手を出さなかったのでは？とも思う。</p><p>&nbsp;</p><p>一方で、作劇は「インテリ」寄り。『時かけ』『サマウォ』とお手本のようなソフトSF、そして『おおかみこども』でも、田舎と都会の違い、狼と人間の違いといった、作品のテーマの中にある小難しさを、きちんと「説明」した。</p><p>&nbsp;</p><p>ここで重要なのは「説明」したってことね。</p><p>『君の名は。』においては、テーマ性やストーリーについて無駄に解説するシーンを完全に排除している。</p><p>それは作品作りとしては良し悪しで、一方で軽薄になりかねないが、展開はスピーディになる。</p><p>そんで、アニメオタクの源流はSFとかファンタジーとかの世界観に浸ることにある。</p><p>異世界モノが今ブームだけど、別に今に始まったわけじゃない。『スレイヤーズ』だって、『ゼロ使』だってそうだわな。</p><p>『攻殻機動隊』なんて、設定メチャクチャ難しいけど、「良く分からんけどこの近未来の雰囲気がカッコいいから好き！」なんて人はごまんといる。聞いてるだけで、自分も頭が良くなった感じになるしね。</p><p>基本的に、オタクは世界観についての「説明」が好きなんだね。</p><p>「この世界はこうなってる」</p><p>「登場人物の人間関係はこんな複雑さがある」</p><p>「こういう仕組みでこの技は発動する」</p><p>こういうのを聞いて「アツい！」「カッコいい！」ってなる。重厚なほど、ワクワクする。</p><p>そう考えてみると、『とある魔術の禁書目録』って、これ以上ない「オタク向け」アニメだよなぁ(笑)。</p><p>&nbsp;</p><p>閑話休題、その「説明」は、基本的にシーンの付け足しによって行われるので、世界観や設定のボリュームを求めるオタク層以外には、どうしても冗長な印象を拭えなくなる。</p><p>それが細田のストーリーにおける「弱み」。</p><p>新海は(東宝は)そこを分かっていたから、内容は完全にソフトSFの流れを汲んでいるけども、そういった要素はガッツリ削り、完全なデートムービーとして一般層に確立させた。</p><p>&nbsp;</p><p>このように、作品作りは「オタクに寄りすぎ」デザインは「一般層に寄りすぎ」となっていたのが細田アニメで、そのバランスを矯正したのが『君の名は。』じゃないかな、と思う。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、デザインについては『君の名は。』的なものがいきなり出てきて一般層が受け入れられたかは分からない。</p><p>&nbsp;</p><p>というのも、「一般寄りデザイン」の細田アニメ、「オタク寄りデザイン」の『あの花』『ここさけ』(長井アニメ)等による、双方向の一般層へのアプローチがあったからこそ、『君の名は。』のデザインがすんなりと受け入れられた、とも取れるからね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>以上の『君の名は。』大ヒットの社会的背景をとりあえずまとめると、</p><p>&nbsp;①ジブリ解体による有力アニメーターの流出</p><p>&nbsp;②ジブリなどによる、一般層が劇場アニメを観る文化の成熟</p><p>&nbsp;③細田守などによる、オタク層・一般層の双方に向けた市場の下地作り</p><p>&nbsp;④新海アニメの文学的イメージに惹かれた一部サブカル好きの拡大</p><p>ってとこですかね。</p><p>&nbsp;</p><p>書いてて付け足したくなったこともいろいろあったけど、（そういやオタクも日常系の跋扈とかで「説明」が嫌いになってきてるよな、とか）とりあえず今回はこんな感じで締めます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/irouru02/entry-12237255838.html</link>
<pubDate>Thu, 12 Jan 2017 00:13:52 +0900</pubDate>
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<title>『ユーリ!!! on ICE』感想（Twitter書き直し・備忘録）</title>
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<![CDATA[ <p>『ユーリ!!! on ICE』すげぇよなぁ。</p><p>このアニメ、「面白い」よりも先に「すげぇ」って感想が出てくる。</p><p>&nbsp;</p><p>まず何がすげぇって、ストーリーもののアニメなのに、ドラマなんてどうでもいいっていうこと。</p><p>「スポ根」ってのは総じて、障害があって、それを努力で乗り越える、っていう構図があるんだけど、このアニメの障害って、全部精神的なものなんだよね。</p><p>だから、「努力」っていう努力ができない。</p><p>&nbsp;</p><p>このアニメは、その精神的な障害を、全部「愛」っていう漠然としたもので解決してる。</p><p>だから、努力やら敗北やらケガやら、そういう汗臭いものが無い。</p><p>スポ根なのに、ノンストレスで観れる。</p><p>&nbsp;</p><p>しかも、その成果を発揮する場所は、圧倒的な作画による演技シーン。</p><p>誰も文句が言えない、というより、演技の映像とモノローグに持ってかれて、ほかのストーリーがどうでもよくなっちゃうんだよね。</p><p>あと、演技シーンの回想（というより新事実）ダイジェストを消化してるうちに、そっちの面白さに取りつかれちゃう、というのもある。</p><p>&nbsp;</p><p>この作品の成長やら点数やらって、何一つ説得力なんてないわけよ。</p><p>「ユーリとヴィクトルの愛」、そして、曖昧かつ大胆な心理描写で全部カタがついちゃう。というより、考えても仕方ないんだよね。</p><p>直感で楽しむアニメだから。</p><p>&nbsp;</p><p>莫大な量のキャラクターに対して、最低限中の最低限のキャラ説明。「後は君たちで補完してね」という適当さ。</p><p>だからファンは楽しめるんですね。</p><p>所謂「腐女子」層は、自分たちの中で物語を広げたり、コミュニティ内の仲間たちと語り合う。</p><p>彼女たちからしたら、これ以上ないんでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>この作品の小ネタ以外、本筋のストーリー展開は、超超超ベタ。</p><p>3話前から次の展開が読める、というより、想定内の話を続けてくる。（だから安心して観られる）。</p><p>制作側も、そんな展開に深く突っ込んでも誰も楽しめないと分かってるから、別要素をマシマシにする。</p><p>それが演技シーンであり、各キャラの莫大な設定であり、ユーリとヴィクトルの「恋愛」（というより「エロス」？）なんだ。</p><p>総括すると、「ズルい」。</p><p>作画という意味でもそうだし、前述のストーリーもそう。</p><p>&nbsp;</p><p>何より、スケート中に回想するキャラの背景、あれは「ドラマ」ではない。</p><p>ドラマはネタ振りがあって、オチをつけるけど、この作品ではオチだけをぶつけてる。</p><p>しかも「それ一本で作品作れるやろ！」っていうオチを。</p><p>&nbsp;</p><p>僕はこの作品を「スゲェ」と思うのはもちろん、面白いと思うし、好きだ。</p><p>ただ、以上の理由から傑作ではあるが、名作とはなり得ないと思う。</p><p>でも、それは褒め言葉。</p><p>今までに観たことない作り方をしてたのは事実だし、それを心の底から楽しんでいたからね。</p>
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<link>https://ameblo.jp/irouru02/entry-12231501415.html</link>
<pubDate>Sat, 24 Dec 2016 14:06:05 +0900</pubDate>
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<title>なぜ私は久海菜々美が好きか。そして『BtB』の彼女に涙してしまうのか。（『WUG』）</title>
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<![CDATA[ <p>ものすごく衝動的に『WUG』熱が高まってきたので、発散したいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>あー、これが『ラブライブ』とかなら、コンテンツの供給が止まらなくて、こっちは追いかけるだけで精いっぱい。語ってる暇なんてないよー、という状況なんでしょうね。羨ましい！</p><p>&nbsp;</p><p>こっちは白木の「I-1 ClubはWake Up, Girls!を吸収合併します」発言から時計の針が止まってるのが辛い辛い。</p><p>再び進み始める気がしないのも相まってね。</p><p>&nbsp;</p><p>そういや「WI7ers」なんてグループの結成が7月ごろに発表されてたっけか。</p><p>ありゃどうなったんだ？　年末のイベントで進展するのか？</p><p>色々と、不安が絶えません。</p><p>&nbsp;</p><p>じゃあ、本題に入りましょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>私は一応、基本的にWUGは箱推しを標榜しています。作品において好きじゃないキャラ・声優は居ません。</p><p>ただ、グッズを全キャラ分集めることもできないので、一応は推しを決めております。</p><p>これがまた2013年のお披露目から変わることもなく、2次では久海菜々美、3次では青山吉能と。</p><p>私もまあ一途なもんです。</p><p>&nbsp;</p><p>菜々美については、設定画と説明文、そしてお披露目会での声を聞き「この娘だ！」となりました。</p><p>まさに一目惚れですね。</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160921/01/irouru02/b9/6a/p/o0760058813753566240.png"><img width="420" height="325" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160921/01/irouru02/b9/6a/p/o0760058813753566240.png"></a></p><p>いやあ、今見ても懐かしい。</p><p>「嫌いなもの　納豆」なのも、私と気が合う。</p><p>その後劇場版、TV版と観ていくと、ファーストインプレッションが間違いでなかったことが分かりました。詳細は後述します。</p><p>ただし、始めに言っておきますが、私のこの気持ちは「俺の嫁」などという下卑たものではありません。つまり、「萌え」とはなんか違う。</p><p>かといって、アイドルを見る目線とも違います。</p><p>敢えて言葉にするなら、「1キャラクターとしての魅力」ですかね。</p><p>それも、アニメキャラクターを見ていて、今までに感じたことのない魅力です。</p><p>&nbsp;</p><p>では、その菜々美の魅力を徹底的に語っていきましょう。</p><p>&nbsp;</p><p>菜々美のキャラクター性として、私が真っ先に挙げたいのは「中二病性」です。</p><p>ここで意味する「中二病」とは、小鳥遊六花、神崎蘭子、津島善子といったような「邪気眼」とは一線を画した、まさしく「特に中学二年生頃に起こる、自意識過剰となったり、自分の世界観に閉じこもってしまう現象」という、現実においても良く見られる、いわば「リアルな」中二病のことを指します。</p><p>&nbsp;</p><p>ですが、菜々美のキャラクターは「中二病」というよりも「ツンデレ」と称されることが多いです（公式でもそうかも）。広義では確かにツンデレに含まれるでしょうが、私はあまりこの言葉に括りたくないですね。</p><p>彼女の「ツン」は、中二病的な価値観から生まれる付随的なものだと思っています。いわば、「中二病」に「ツン」が内包されているような。</p><p>&nbsp;</p><p>つまりはどういうことか。</p><p>彼女は「光塚が大好きなお嬢様」という自己意識による「イタい」高飛車さ、それを自分のアイデンティティーとしてふるまっています。</p><p>ですから、その自分の決めたことを否定できず、本心ではどうすべきか迷っていても、客観的にみて「こうあるべき」という自分の虚像、「私の取るべき道」を無理に単純化して決めてしまい、周りにそれをさも当たり前のことのように主張してしまいます。</p><p>7人のアイドル～BtBまでの菜々美の物語は、全てその葛藤に収斂すると言えましょう。</p><p>&nbsp;</p><p>ここを理解していないと、9話の「光塚やめた」宣言を非常に唐突なものと感じてしまうでしょうね。</p><p>8話の菜々美の表情をただそのまま感情として見ると、非常に冷徹に見えるんです。</p><p>「WUG辞めます」と松田へ言った後に光塚の曲を聞きながら笑顔を浮かべ、周りが志保と真夢の会話に気を取られている中、一人すまし顔で紅茶を飲んでる。</p><p>過去の文脈を踏まえて考えないと、行動の自分勝手さに「こいつ何なの」となるのは自明です。</p><p>さらに、アニメの流れとしては真夢と佳乃のケンカがフィーチャーされている。</p><p>つまり、直接描かれている流れとしては、頑張る藍里を見て心が動かされ、その後、何やかんやあって熱く語り合い仲直りする真夢と佳乃を見て、急に絆されて「やっぱりWUG続ける！」となったように見えてしまうんです。</p><p>正直、私も最初は違和感を覚えました。「あれ、ちょっと雑じゃない？」と。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、今思い返すと、読解力がなかったですね。</p><p>8話の段階で、菜々美においてのWUGのウエイトがそこまで低いわけがないんです。</p><p>3話の時点でも、その兆候はみられました。実波がおばあちゃんの元からライブ会場へ向かった際、一番最初に「こっちに来て大丈夫なの？」と実波を気遣ったセリフをかけたのは菜々美です。食レポの一件以降、実波との友情が深まっている証拠でしょう。</p><p>さらには、7話における藍里脱退騒動の時の「藍里！藍里！」コールなど、もう周りの友情に絆されているのは明らかです。</p><p>&nbsp;</p><p>では、なぜ菜々美は8話であのような行動を取ったか。</p><p>答えは少し考えれば分かるでしょう。</p><p>「私の行動は正しい。だって、今までだってこうして自分の思いを貫いてきたじゃないか。私は自分の信念を曲げない」</p><p>こう、自分自身に言い聞かせているんです。</p><p>そして、9話。前述のきっかけから「WUGに専念する」ことを宣言し、光塚の募集要項を破り捨てます。</p><p>&nbsp;</p><p>ですが、これは「自分自身に向き合った」ことによるものではありません。</p><p>「真夢と佳乃を見てたら、中途半端は駄目だと思った」だけです。</p><p>そのため、菜々美は決して「光塚を諦めた」わけではなく、「今回の受験を見送った」という決心に留まっています。</p><p>もちろん、それ以前に起こったイベントも、菜々美の心変わりを誘発しています。</p><p>ですが、決して、「自分自身」と真剣に向き合ったことから決心したわけではありません。</p><p>ある程度、衝動的なものでありました。</p><p>&nbsp;</p><p>菜々美が真に自分と向き合ったのは、言うまでもなく続劇場版『Beyond the Bottom』でのことです。</p><p>「このチャンスを逃したら、光塚には入れないだろう」</p><p>そんな切羽詰まった思いが、菜々美を駆け巡ります。</p><p>そんな中、父親からも「道を絞るべきだ」という助言を受けます。</p><p>（これは裏設定ですが、菜々美はかなりのパパっ子で、今までかなり父親の言う通りに動いていた節がありました。）</p><p>&nbsp;</p><p>菜々美は藍里との相談、そして、メンバーとの相談を経て最終的に「光塚を受験する」ことを決めます。「ごめんなさい」と涙を流しながら。</p><p>ですが、心の中にはWUGが残っている。</p><p>「果たして、自分の選択は正しいのだろうか？」</p><p>実波に貰ったお守りを見つめ、WUGでの生活を振り返り、空港で一人、菜々美は泣きます。</p><p>&nbsp;</p><p>これが、初めて菜々美が菜々美としての考えを決めた瞬間だったと思います。</p><p>踵を返し、I-1アリーナでWUGのメンバーを待ちます。</p><p>そして、皆と合流し、一言。</p><p>「やっぱ来ちゃった」</p><p>自分が、自分の意思で決めた進路です。</p><p>私にとってこのシーンは、ものすごくアツい！！</p><p>いつ見ても来るものがあります。</p><p>&nbsp;</p><p>ですが、このシーン、結構賛否分かれます。</p><p>「菜々美は、光塚に受験をすべきだった。小さいころからの夢だった。諦めるのは、彼女らしくない」</p><p>こういう意見ですね。</p><p>でも、私はこう言いたいんです。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;"><span style="font-weight:bold;">「ななみんの決めたことに、ゴチャゴチャ言うんじゃねぇ！！！」</span></span></p><p>&nbsp;</p><p>更衣室での佳乃の質問、</p><p>「でも菜々美、本当に後悔してない？」</p><p>これに対しての菜々美の返答が、全てを物語っているじゃないですか。</p><p>「うん。自分で決めたことだから。私、WUG一本で頑張るって決めたから」</p><p>&nbsp;</p><p>私は、菜々美の選択は「どっちでも良かった」と思っています。</p><p>作品内においては、菜々美が「光塚を取る」「WUGを取る」という2つの選択肢、これらのどちらを取るにしても足るだけの描写がされています。</p><p>&nbsp;</p><p>もう一度、見返してみてください。</p><p>多分、納得できるのではないでしょうか？</p><p>&nbsp;</p><p>アニメ『WUG』の良さって、こういうところにもあると思います。</p><p>行間の感情、言葉の含蓄。</p><p>観れば観るほど、いろいろな感情が生まれます。</p><p>&nbsp;</p><p>特に、続劇場版はこういった要素の宝庫です。</p><p>今回語った菜々美についての物語だけじゃない。</p><p>ネクストストームに流された志保、丹下社長と佐藤勝子、白木の真意。</p><p>一つ一つに心震えさせられ、観返すたびに別の味が出ます。</p><p>&nbsp;</p><p>ところで、私は最近よくアニメの感想に「キャラが死んでる」もしくは「人間が居ない」という言葉を使います。</p><p>私がそう言うアニメには、基本的に今回語ったような観点が抜け落ちている、と、少なくとも私は思っています。</p><p>「人間の感情は、一筋縄ではいかない」</p><p>「そこから目を背けずに、真摯に描いている作品は尊い」</p><p>そう『WUG』に叩き込まれたからこそ、そういう気持ちが出てしまうんですね。</p><p>『WUG』が、私の価値観に与えた影響は大きいです。</p><p>&nbsp;</p><p>ああ、やっぱり『WUG』は良いなぁ。</p><p>白木の過去、萌歌の敗北、まだまだ描かれていないテーマは山のようにある。</p><p>続きが観たいなぁ。</p><p>作ってくれないかなぁ。</p><p>うん。</p><p>……。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/irouru02/entry-12202002540.html</link>
<pubDate>Wed, 21 Sep 2016 15:36:11 +0900</pubDate>
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<title>新海誠『君の名は。』観てきました。傑作ですが……。（ネタバレあり）</title>
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<![CDATA[ <p>ほんの1か月前まで「『君の名は』アニメ映画公開！」というポップを見て、</p><p>「戦後すぐのラジオドラマを今になってアニメ化するとは、これはまた東宝も勝負に出たな。また現代でストールの真知子巻きが流行ったりするのかしら」</p><p>なんてことを思っていましたが、新海誠さんの新作品とつい最近知りました。</p><p>&nbsp;</p><p>新海監督の作品は、実を言うと『秒速5センチメートル』と『ほしのこえ』しか観たことがなく、前者の作品がまた絶望的に肌に合わず、どうも敬遠して来たのですが、まあいい機会と思い、公開初日に観てきました。</p><p>&nbsp;</p><p>一言で言うと、傑作です。</p><p>映像は、新海作品ということで、これはもう言うに及ばないでしょう。</p><p>徹頭徹尾、流麗かつ独創的、そして印象深いものでした。</p><p>彗星の美しさ、そして、それによって引き立つ壊される町の残酷さ。</p><p>「泣ける！」とまではいかないにしても、軽く震えましたね。</p><p>そこにRADWIMPSというバンド？の曲が合わさって相乗効果を演出すると。</p><p>個人的には、歌詞付の楽曲をああいう風に使うことは逆に作品にノイズを生むような気がしなくもないのですが、まあそこは好き好きでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>ストーリーも「入れ替わりモノ」の定石を抑えた基本に忠実な作りから始まった「起」、</p><p>民間伝承など、後の伏線にもなる内容が続々と出てきて視聴者のワクワクを強める「承」、</p><p>入れ替わりの全容、隕石墜落の悲劇が明らかになり、予想を超えた驚きを与える「転」、</p><p>悲劇の結末を変えるために奮闘する、疾走感あふれる「結」、</p><p>そして、（大体鑑賞者の予想通りの（むしろ秒速5センチメートル見てた人からすると予想外の？））エピローグと。</p><p>&nbsp;</p><p>完璧です。非の打ち所がない！！傑作！！拍手！！</p><p>&nbsp;</p><p>理屈としてはホントに傑作！！……のはずなんですが……。</p><p>個人的には、どうも釈然としないんですよね。</p><p>キャラクターの動き一つ一つがどうにもシステム的というか、感情の機微が感じられないというか。</p><p>&nbsp;</p><p>いや、多くの場面において、心理描写はかなり細かく作られているんです。</p><p>間のとり方や独白（モノローグ）の使い方は、『秒速～』の時以上に上手かった。</p><p>ただ、やはり前述のような違和感を拭い去ることはできない。鑑賞中も首を捻ったり、頭を抱えたり、ということが多々ありましたし、場合によっては、「どうしてこう作る？」という、やり場のない怒りを覚えもしました。 (ただ、そういったことを踏まえてもなお、「面白い」と感じさせるだけの力を持つ作品なのは事実ですし、だからこそ、怒りも倍増しました。)</p><p><br></p><p>体系として批判することが私の力量では難しいので、ちょっと気になった例を抜き出してみることにします。</p><p>&nbsp;</p><p>まず、「主人公がバイト先の先輩に片思いをしている」という設定で、「その恋が新たな恋で打ち消される」という、一見重要に見えるファクターがあるのですが、「本当に恋をしているんですか？」と問いかけたくなるくらいに、彼がバイト先の先輩を思っていたように見えない。</p><p>主人公におけるこの女性との過去のエピソードが一つもない。</p><p>ヒロインが主人公のスマホの中にある先輩の写真を見つけただけ。</p><p>この恋愛描写って必要？と上映後に真っ先に思いました。</p><p>おかげさまで、最後の方で先輩が薬指にリングを着けて、結婚することをほのめかすカットがあるんですけど、そのシーンで何にも印象がない。</p><p>だって、主人公が彼女をもともと好いているように見えなかったのだから。</p><p>もしも、この「バイト先の先輩との恋」が序盤のみのカリソメのもので、「真の恋」はヒロインとのものだ、ということにしたいのなら、リングを着けている描写なんて、これっぽちも必要ないと私は思うのですが、何如？</p><p><br></p><p>まあ、「その後こうなりましたよ」的な軽いノリなのかもしれないですけど、それにしては印象的に描かれていましたし、だとすれば</p><p>「私結婚したんだ」</p><p>「良かったじゃないですか！」</p><p>といった類の一言を言わせれば、よかったのではないか。</p><p>「失恋」を強調させるものでは無かったよね？と思ってしまいます。</p><p>何となくシリアスな「雰囲気づくり」をする役割はあったかもしれないですが、いやはや。</p><p>&nbsp;</p><p>では、ヒロインとの恋愛描写はどうだったか？と問われると、これもまた納得できるものとは思えなかったような……。</p><p>「過程」がどうにもあっさりとし過ぎているんです。</p><p>こういった作品において恋愛をはぐくむ場合、</p><p>「一体、入れ替わっている相手はどういう人なんだろうか」</p><p>という自問があり、そこから思いをはせ、恋愛へと発展する、というのが定石です。</p><p>しかし、今作品ではそれが大胆にもほぼ完全に省かれており、</p><p>『ほしのこえ』来の、新海誠御大お得意「携帯電話で連絡を取り合う」という必殺技で代用されております。</p><p>正直、そのやりとりは本当に面白い。</p><p>お互いのメッセージを交互にテンポよく交わし、会話のように見せる（現実にはそれぞれのメッセージの間隔は1日以上離れている）演出は、掛け合い漫才のように本当に軽快で、しかも、その一つ一つが秀逸です。</p><p>例えば、「男子の視線、スカート注意、人生の基本でしょう！？」</p><p>というヒロインの送ったメッセージには、私は少し噴き出すとともに、そのセリフに含まれる男女の価値観の違いを端的にまとめたイメージに唸りました。</p><p>だからこそ、その2人が恋愛感情に発展する過程はもっと描いてほしかった。</p><p>それこそ、前述の僕からしたら「不要」な恋愛描写を省いてでも。</p><p>今作のようなやり方だと、どうにも恋愛感情の形成を「予定調和」として軽視しているようにも見えてしまう。</p><p>私としては、非常に残念に思えました。</p><p>&nbsp;</p><p>さらに、人間関係の希薄さも挙げられます。</p><p>1つ目に、ヒロインの親との関係。</p><p>こういった人間ドラマにおいて、もっとも大切なファクターの一つは「親」の存在だと僕は思っています。</p><p>今作でも、政治家（町長）の父とヒロインの確執という側面が存在しています。</p><p>しかし、大きく風呂敷を広げた割には、そこにはあまり足を突っ込みませんでした。</p><p>おそらく、ヒロインから訴えられる隕石からの避難の要請を町長である父が受け入れた、ということを和解とニアイコールに捉えさせようとしているのですが、雑です。</p><p>簡単な流れを示します。</p><p>&nbsp;</p><p>ヒロインと入れ替わった主人公「隕石が落ちるから住民を避難させて」</p><p>ヒロイン父「ダメ。ってかお前娘じゃねーだろ」</p><p>↓</p><p>主人公「あとは任せた」</p><p>ヒロイン「あいよ！」</p><p>↓</p><p>(父親に対して)</p><p>ヒロイン「住民を早く非難させて！」(と、言ったかどうかすらもわからないけど、父親と対峙してそう言ってそうなシーン)</p><p>＜その場ではここで場面が終わり結末描かず＞</p><p>→未来、非難が成功していたことを雑誌記事で描写。</p><p>&nbsp;</p><p>とにかく雑なんです。ヒロインと父との確執描写が。</p><p>せめて、せめてラストの説得シーンにもっと力を入れてほしかった。</p><p>ここまで正面から問答を描くことを避けてしまうと、親を町長に設定していること自体が「隕石から住民を避難させる舞台装置の一つ」という無機質なものに私には見えてしまいます。</p><p>非常に残念に思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>2つ目に主人公の親です。</p><p>ここについては尺の都合や、本筋に関係ないということもあるでしょうが、それにしても触れなさすぎでは？</p><p>冒頭、4カットくらいしか登場していません。</p><p>「入れ替わりモノ」の目玉でもあるのが、親に対しての対処ということもあります。</p><p>まあ、「都会の親のドライさ」ということを示したかったのかもしれません。</p><p>仕事で忙しくて、顔を合わせる機会がない。そういう田舎との対比として。</p><p>しかし、それならばそうとヒロインに感じさせてほしい。</p><p>また、ヒロインの父親は政治家です。非常に特殊な境遇です。</p><p>ならば、そちらを対比させるのも悪くないはず。</p><p>もしも、ドライさにおいて共通項を覚えたなら</p><p>「タキくんも、私と一緒なんだ」</p><p>その一言があるだけで、私の心はどれだけ救われたことか！！</p><p>恋愛感情を抱くに足るファクターの一つとして、大きく機能した。</p><p>なんで、なんで、これを描いてくれなかったのか……。</p><p>いっそのこと、親を出してくれない方がよかったとまで思えてきます。</p><p>&nbsp;</p><p>考え始めると、他にもいろいろあります。</p><p>おばあちゃんの使い方、雑過ぎない？とか。（細田守のサマーウォーズのカッコ良さを見習ってほしい……）</p><p>勅使河原が三葉のあんなムチャなお願いを聞いた理由は？とか。（恋愛感情があったのも一つだろうけど、だとしたら描写軽すぎない？）</p><p>主人公がおっぱいを揉むシーン、くどすぎない？とか。（あれだけシリアスな場面から3回目を持ってこられても笑えねぇ（笑））</p><p>まあ、ここで書くとキリがないんで、この辺で。</p><p>&nbsp;</p><p>今回、批判点をたくさん挙げさせていただきました。</p><p>これら全てに、共通点があることがお分りでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>すべて、キャラクターに対しての批判です。</p><p>&nbsp;</p><p>そう、キャラが生きてないんです。</p><p>&nbsp;</p><p>小説版のあとがきで、新海監督は、こんなことを仰っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>「本書を書いたことで刷新されたイメージもある。三葉はけっこう能天気な子だったんだなあとか、瀧は女性に対して本当に駄目な男子だなあとか。映画のアフレコにも影響してきそうである」</p><p>&nbsp;</p><p>キャラクターイメージの「再確認」ではありません。「刷新」です。</p><p>彼の言葉を（非常に悪意がある形で）言い換えれば、「小説版を書くまで、キャラクターの概念が固まっていなかった」とも言えます。</p><p>小説版の完成は、映画完成の3か月前の段階です。</p><p>となると、映画版の脚本はもちろん、絵コンテ、作画に至るまで、ほぼ完成状態でしょう。</p><p>ここまでキャライメージが固まっていなかったということか？</p><p>&nbsp;</p><p>意地悪な言い方をしました。</p><p>おそらく、「刷新」も、事実上「再確認」という意味で使っているのでしょうし、こんな文章、あとがきを書く上での方便です。それは重々承知しています。</p><p>ですが、こうも言いたくなるほどキャラクターのセリフ、行動原理が「死んで」いたように思えてならないのです。</p><p>こういった形でキャラクターが死ねば、描かれるべきテーマも揺らぎ、作品全体に支障をきたすことになりかねない。</p><p>&nbsp;</p><p>「小説版で補完されているかもしれない」</p><p>そう思って小説版も買いました。読みました。</p><p>ほとんど、映画版をなぞっただけです。</p><p>視点が違うので、「ああ、そういう思考があったのか」と思うシーンはなかったわけではありません。</p><p>ただ、期待とは裏腹に、あまりにも同じでした。</p><p>ＡＲ台本をそのまま読んでいるかのようです。</p><p>&nbsp;</p><p>しかも、地の文がケータイ小説レベルなのも、個人的には痛い。</p><p>例を挙げましょう。</p><p>ヒロインと妹の神楽のシーンです。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-style:italic;">とはいえ、嫌なのはこの舞ではないのだ。</span></p><p><span style="font-style:italic;">これはこれでちょっと恥ずかしくはあるけれど、子どもの頃からのことなのでまあすっかり慣れている。</span></p><p><span style="font-style:italic;">これじゃなくて、大人になるほど恥ずかしさがつのるあの儀式。</span></p><p><span style="font-style:italic;">この後しなければならないアレ。</span></p><p><span style="font-style:italic;">女子に対する辱めとしか思えないアレ。</span></p><p><span style="font-style:italic;">あーもー、</span></p><p><span style="font-style:italic;">やーだーよー！</span></p><p><span style="font-style:italic;">とか思いつつ体を動かしていたら、すとんと舞いは終わってしまった。</span></p><p><span style="font-style:italic;">ああ。ついに。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-style:italic;">もぐもぐもぐ。</span></p><p><span style="font-style:italic;">もぐ。</span></p><p><span style="font-style:italic;">もぐもぐもぐもぐ。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-style:italic;">私はひたすら米を噛む。</span></p><p>&nbsp;</p><p>（中略）</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-style:italic;">私はあきらめて、目の前の升を取る。口元まで持ってきて、せめてもと千早の裾で口元を隠す。</span></p><p><span style="font-style:italic;">そして。ああ。</span></p><p><span style="font-style:italic;">私は口をすぼめて、今まで噛んでいた米を升の中に吐き出す。</span></p><p><span style="font-style:italic;">それは唾液と混じって、どろりとした白い液体となって口から垂れる。</span></p><p><span style="font-style:italic;">ざわざわざわと、聴衆がどよめいたような気がする。</span></p><p><span style="font-style:italic;">ええええん。私は心の中で泣く。お願い、みんな見ないでー。</span></p><p>&nbsp;</p><p>まあ、その時の感情をつぶさになぞっていく、という意味では、面白かったです。</p><p>ですが、</p><p>「ええええん。私は心の中で泣く。お願い、みんな見ないでー」</p><p>とこられては、私も黙っては居られません。</p><p>「ええええん」要りますか？</p><p>むしろウソ泣きに見える。</p><p>というより、この神楽舞と口噛み酒のシーンは、私個人としては、神秘性とフェティシズムの合わさった、作中でも有数の印象に残った場面でありました。</p><p>もうちょっと、もうちょっとでいいから変えられないですか。</p><p>まあ、「それだけ嫌だった」とヒロインが感じていたシーンなので、1人称小説である以上、神秘性などを踏まえたポジティブな語り口をすることは難しかったのでしょう。</p><p>それでも、</p><p>「私は心の中で泣いた。皆の視線が痛い。今すぐにでも逃げ出したい」</p><p>この程度の表現で納めてほしかったです。</p><p>「ええええん」を「うわああああ」にするだけでも違ったはずです。</p><p>揚げ足取りに思われるかもしれません。</p><p>ですが、個人的には、本当に、惜しい。</p><p>&nbsp;</p><p>最後になります。</p><p>ここまでdisっといてお前何を言うか、と自分でも思います。</p><p>でも、見ていた瞬間は「面白かった」気がしてならないのです。</p><p>圧倒的な画面作り、「入れ替わりモノ」のワクワクさ、神秘的な民間伝承。</p><p>魅力はたっぷり備わっています。</p><p>それが、こんなしょうもないことで崩れては、勿体ないじゃないですか。</p><p><br></p><p>また、この作品を「批判する」ことがタブーとなっている空気感についても非常に疑問を覚えます。この作品は、とてつもないパワーを持った作品であるのは事実です。映像の美しさなどは、ジブリなどとは別ベクトルで完成されたもので、アニメ史にも名を残すものでしょう。</p><p>しかし、ストーリー面においては、上記のように、書ききれないほどの難点を感じてしまうのも事実です。(少なくとも私には)</p><p>そんな中で、難点が議論の俎上にあげられることもなく「絶賛大会」のみが行われるというのは、これはもうただのファシズムです。気持ち悪い。</p><p>「この作品を批判するなんて信じられない！」といった感想をTwitterで見ましたが、おそらく、ここまで極端ではないにしろ、そういった雰囲気が蔓延している感覚は事実としてあります。</p><p>だからこそ、敢えて批判の強い論調で書かせていただきましたが、繰り返しますが、この作品の魅力については、Twitter上で「絶賛大会」をされている方々以上に感じている自信はあります。</p><p>まあ、だからこそ「悔しさ」も感じているわけですが（笑）。</p><p><br></p><p>以上を踏まえまして、</p><p><br></p><p>次回作は、もっと素晴らしい作品ができていることを期待します。</p><p><br></p><p>という、少し強がった言葉で、この記事を締めさせていただきます。&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/irouru02/entry-12194045442.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Aug 2016 00:19:18 +0900</pubDate>
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<title>『ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った？』視聴後感想</title>
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<![CDATA[ <p>ようやく期末試験が終わりました。</p><p>正直、今期もあまりアニメを観られていません。</p><p>とはいえ、受験に追われていたころよりは、意識してみるようにはしております。</p><p><br>今回は表題どおり『ネトゲ嫁』についての感想です。正直、前クールは『リゼロ』の一人勝ちのような気もしますが、その次に楽しめた作品はこれでした。<br>まず、ストーリーをWikipediaから引用します。</p><p><br>県立前ヶ崎高校に通うネトゲ好きな男子高校生の西村英騎は、MMORPGの「レジェンダリー・エイジ」内で女性キャラへと告白したものの、相手からネカマだと教えられ、激しいショックを受ける。そのトラウマから「リアルとゲームは別物」だと区別しながらも、現在は自分が所属するギルド「アレイキャッツ」の面々とゲームを楽しんでいた。<br>そんなある日、仲間の一人であるアコから告白をされ、成り行きで彼女とゲームの中で結婚することになる。さらに英騎は、ギルドマスターから初のオフ会の開催を告げられる。そしてオフ会で他のギルドメンバーが同じ高校の女生徒であり、アコは引きこもり気味の玉置亜子、シュヴァインはクラスメイトの瀬川茜、アプリコットは生徒会長の御聖院杏だと知ることになる。<br>だが、亜子は現実とゲームの区別が付かない残念な娘であった。メンバー内の相談の末、杏は生徒会長の権限を乱用して現代通信電子遊戯部（ネトゲ部）を新たに設立し、亜子の更生という目的のため、放課後に部室でネトゲを出来るようにする。その後、決まっていなかった顧問も英騎のクラスの担任の斉藤結衣を迎えることで解決し、ネトゲ部の活動が本格的にスタートするのだった。</p><p>&nbsp;</p><p>これを読んで分かるように、絵にかいたようなラノベアニメですね。</p><p>内容も、大体想像した通りに、良く言えば期待を裏切らず、悪く言えば凡百に進んでいきます。</p><p>&nbsp;</p><p>こういった「オタクの妄想を具現化する」系のアニメは、ゼロ年代中盤あたりには結構多かったように思いますが、最近あんまり見なくなりましたね。</p><p>例えばパッと頭に思いつくのが、『乃木坂春香の秘密』であったり、『これが私のご主人様』であったり。</p><p>数年前までは、「乃木坂」といえば『乃木坂春香の秘密』でしたが、ここ最近は完全に「乃木坂46」を指すようになってしまったあたり、時代の流れを感じます。</p><p>&nbsp;</p><p>閑話休題。内容の話を語っていくと……と、言いたいところなんですが、語ろうにも何とも言葉が出てこない。</p><p>というのも、このアニメ、前述の作品と同様、感想が「アコ可愛い」とかそういうのに収斂してしまいます。</p><p>まあ、それを狙った作品なんで、当然と言えば当然なんですが。</p><p>設定をそのまま追うように、取って付けたようなストーリー展開。</p><p>所々織り込まれる2ちゃんネタも、何というか「ダメなオタク」的な痛々しさを持った寒さで、身悶えしそうになりました。</p><p>&nbsp;</p><p>……なんで僕はこのアニメを楽しめたのか？</p><p>&nbsp;</p><p>と、書いていて疑問に思ってきました。</p><p>おそらく、「糞アニメ」として観ていたからでしょうね。</p><p>僕が好きな「糞アニメ」の特徴として「ゲロ甘」に特化して、中身のないストーリーを至極真面目に描く、というのがあります。</p><p>作り方はこうです。</p><p>まず、登場人物における「人間性」を完全排除して、「キャラクター」としての個性を、ラーメン二郎のトッピングのように載せまくります。</p><p>次に、そのキャラクターたちの間で事件を起こしたり、目標を設定したりします。そこから導き出されるストーリーは、つまらなければつまらないほどいいです。その方が、キャラクターの可愛さなどが引き立ちます。</p><p>&nbsp;</p><p>と、まあ、こんな感じです。</p><p>こういったジャンクフードを夜中に食べるような背徳的な感覚。</p><p>「気持ち悪ぃ（笑）」と思いながらも、浴びるように観る。</p><p>これが「オタクアニメ」なんじゃないかなぁ、と再確認しました。</p><p>そういや昔、『けんぷファー』とか好きだったなぁ、と思ってこないだ観返してみたら、まさにこの作り方でした。</p><p>紅音ちゃん可愛いですよね。僕はあのキャラから堀江由衣さんのファンになりました。</p><p>&nbsp;</p><p>あと、付け加えるなら、ここ最近の作品で「オタク向け」とされるものの大半は所謂「日常系」で、「何も起こらない」作品です。</p><p>この作品では「何か」が起こります。</p><p>いくらしょうもない内容でも、作品の本筋として、一応は何か事件が起こり、それを数話に渡って解決する、という過程を踏みます。</p><p>そして、途中に「日常回」を挟みます。ここがポイントです。</p><p>「日常回」は、1話完結の「日常系アニメ」にはできないんです。</p><p>一応はストーリーアニメの中に、「内容の無い話」を挟むことによって、それが映えてくるというか、何というか。</p><p>あっ、ポイントとしては、作品が「内容が有る」という衣を着ていては駄目なんです。</p><p>だから、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』であったり、『ラブライブ！』であったりは、ここにカテゴライズされません。</p><p>至極個人的な分類ですが、悪しからず。</p><p>&nbsp;</p><p>まあ、面白いか面白くないかで言うと、断言しますが、全くもって面白くはありません。</p><p>何度も言いますが、つまらないから良い。つまらなくてはいけないんです。</p><p>&nbsp;</p><p>貶しているのか褒めているのか分からなくなってきましたが、「良いキモオタ向けアニメであった」と総括して、話を結びたいと思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/irouru02/entry-12180825463.html</link>
<pubDate>Thu, 04 Aug 2016 23:02:36 +0900</pubDate>
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<title>何年ぶりか</title>
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<![CDATA[ 短文ツイートばかりでは白痴化が進む一方なので、この期にブログを作ることにする。長文ツイートなどをしたときに思考整理のためにまとめる、といったことにも活用をする予定。
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<link>https://ameblo.jp/irouru02/entry-12164011774.html</link>
<pubDate>Wed, 25 May 2016 18:32:00 +0900</pubDate>
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