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<title>寝たきり宣告から歩けるまで。会計士の私が妻と挑んだ脳梗塞リハビリとお金のリアル</title>
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<description>2021年9月23日に妻が脳梗塞を発症。時間がたち過去の出来事として振り返れるようになりました。その日を境に人生が急展開しました。2021年9月23日から激しく動き始めた妻との日々を振り返った記録とこれからの記録です。</description>
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<title>【実録】2度の脳梗塞と繰り返す絶望。深夜の車椅子散歩と「覚悟してください」と言われた夜(第3回)</title>
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<![CDATA[ <p data-path-to-node="7">前回の記事では、1回目の脳梗塞で入院し、完全に別人のようになってしまった妻との地獄のような急性期病棟での生活をお話ししました。</p><p data-path-to-node="8">入院して1週間ほどで点滴は外れたものの、そこからの生活もまた、壮絶なものでした。</p><p data-path-to-node="9">毎日のスケジュールは短時間のリハビリだけで、あとはベッドに横になる時間。 元々アクティブだった妻は、脳の損傷による「高次脳機能障害」の症状が出始めていました。集中力が1分も持たず、とにかくじっとしていられないのです。「病気で精神がおかしくなってしまった」と、妻のメンタルは完全に落ち込んでいました。</p><p data-path-to-node="10">「飲んだら本当におかしくなる！」と睡眠導入剤を頑なに拒否する妻。 30分も経たないうちに「ベッドに横になれない」とパニックになり、車椅子への移動を求められます。私は深夜まで、何回も何回も車椅子を押して病院内を散歩し続けました。（そのおかげで、私の身体もずいぶん引き締まったほどです……）</p><h3 data-path-to-node="12">急性期からの転院、そして「1日での脱出」</h3><p data-path-to-node="13">入院して2週間が過ぎた頃、回復期病院への転院話が出ました。「家に帰る！」と叫ぶ妻をなんとか説得し、転院することに。この時初めて知ったのですが、日本の公的保険のルール上、「一度家に帰ってから転院する」ということはできず、急性期病院から直接移動しなければならない仕組みでした。(一回家に帰してあげて回復期への転院をさせてあげたかったのですが無理でした）</p><p data-path-to-node="14">しかし、ある程度予想はしていたものの……妻は転院した回復期病院を、なんと<b data-index-in-node="36" data-path-to-node="14">わずか1日で脱出</b>してしまいました。</p><p data-path-to-node="15">「なんとしてでも、もう一度歩かせる」 そう心に誓っていた私は、通院で通える近隣のリハビリ施設を必死で探しました。しかし、手の動きや言語のリハビリをやってくれる場所は皆無。私は専門書を買い込み、自宅で妻と一緒に必死のリハビリを続けました。</p><p data-path-to-node="16">ところが、ここで予想外の展開が起こります。 あれだけ「家に帰る」と叫んでいた妻が、いざ家に帰ると「身体の調子が悪い！病院に行く！」と毎日叫び出すようになったのです。不安からパニックになり、救急車の３つのボタン（119）を押してしまいそうになることも何度もありました。夜間外来に何度も連れていきましたが、診断はいつも「異常なし」。</p><p data-path-to-node="17">強い降圧剤のせいか、病気によるメンタル悪化か、高次脳機能障害のせいか……原因は分かりませんでしたが、叫び続ける妻を前に、自宅リハビリどころではない日々が続きました。</p><h3 data-path-to-node="19">駐車場での異変。2回目の脳梗塞と「覚悟の宣告」</h3><p data-path-to-node="20">悲劇は、退院から1ヶ月も経たないうちに訪れました。 リハビリ施設からの帰り道、駐車場の車に乗ろうとした瞬間、妻の足から完全に力が抜け、崩れ落ちたのです。</p><p data-path-to-node="21"><b data-index-in-node="0" data-path-to-node="21">2回目の脳梗塞でした。</b></p><p data-path-to-node="22">夜間、救急車に飛び乗り病院へ。妻は意識がなく、昏睡のような状態でした。救命病棟のベッドで横たわる妻の顔は、腫れ上がり、まるで別人のようになっていました。毎日お見舞いに行きましたが、その姿を見るのが本当に辛かったです。</p><p data-path-to-node="23">病棟に移動してからは、1回目と同様に私も付き添い入院を開始。しかし、2回目の脳梗塞のダメージは深く、妻の手足はほとんど動かなくなり、排尿も管（導尿バルーン）を通さなければできなくなっていました。</p><p data-path-to-node="24">さらに追い打ちをかけるように、入院期間中に尿路感染症を起こし、40度近い高熱と熱痙攣（けいれん）を発症。その姿はひどい脳梗塞の再発と同じ症状で、主治医から「脳梗塞が発症している可能性があるから覚悟してください」と告げられました。</p><p data-path-to-node="25">あの時の恐怖と絶望は、今思い出しても身体が震えます。 幸い、画像検査では脳の新たな梗塞は見つからず、翌日には熱も下がりましたが、この2回目の入院で妻は叫ぶ元気がなくなり、今度は睡眠導入剤と抗うつ薬の手放せない日々が始まりました。処方された薬を調べて「うつ病の薬」だと分かった時のショックは、言葉になりませんでした。</p><h3 data-path-to-node="27">最悪の病院への転院、そして……</h3><p data-path-to-node="28">1ヶ月以上の入院を経て、尿の管（バルーン）が取れないまま、私たちは次の回復期病院へと転院することになりました。2回目ということもあり、妻は大人しく入院したのですが……。</p><p data-path-to-node="29"><b data-index-in-node="0" data-path-to-node="29">この転院先の回復期病院が、私たちの心をさらにへし折る「最悪の病院」だったのです。</b></p><p data-path-to-node="30">絶望のどん底で、光に出会ったのか。 次回、その軌跡をお話しします。</p>
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<link>https://ameblo.jp/isajia/entry-12973043806.html</link>
<pubDate>Sat, 18 Jul 2026 09:54:39 +0900</pubDate>
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<title>【実録】「できる看護師」だった妻が、脳梗塞で別人に変わってしまった日（第2回）</title>
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<![CDATA[ <p data-path-to-node="7">&nbsp;</p><p data-path-to-node="7">前回の記事では、2021年9月18日、妻が突然「小脳梗塞」と診断されたところまでをお話ししました。</p><p data-path-to-node="8">看護師なのに大の病院嫌いだった妻。 入院を拒否する妻をなんとか説得し、翌日、ようやく病院へ連れて行き入院させることができました。</p><p data-path-to-node="9">しかし、そこから私たちの本当の「地獄」が始まったのです。</p><h3 data-path-to-node="11">かつては「1,000人以上を看取った」優秀な看護師だった妻</h3><p data-path-to-node="12">ここで少し、病気前の妻の話をさせてください。 妻は東京の大学病院で5年間勤務したあと、有料老人ホームで5年、大学の保健室で3年働いていた「プロの看護師」でした。</p><p data-path-to-node="13">大学病院時代の勤務は超ハード。夜勤に入ればほぼ毎回2〜3人の看取りがあり、事務手続きを終えて帰宅するのは翌日の15時。彼女は大学病院時代だけで、1,000人以上の看取りを経験していました。</p><p data-path-to-node="14">その後、新規老人ホームの立ち上げ責任者を任されるなど、毎日終電近くまでバリバリ働く「できる女」だったのです。家ではなーんにもしない妻でしたが（笑）、外では本当に頼りになる存在でした。(同僚やドクター等か聞きますが信じられません。。私が知る妻はグータラです・・)</p><p data-path-to-node="15">そんな医療のプロであり、誰よりも病院の裏表を知っている妻が、脳梗塞で入院した途端、完全に豹変してしまったのです。</p><h3 data-path-to-node="17">点滴を引っこ抜き、暴れる妻。「私の知らない人」がそこにいた</h3><p data-path-to-node="18">非常にリスクが高い状態でした(この後短期間で2回脳梗塞を発症)。 なんとか入院手続きを終え、私が一度自宅に帰った直後、病院から着信が入りました。</p><p data-path-to-node="19"><b data-index-in-node="0" data-path-to-node="19">「上原さん、すぐ戻ってください！奥様が暴れています！」</b></p><p data-path-to-node="20">急いで病室に戻ると、そこには私の知らない妻がいました。 点滴を自力で引っこ抜こうとし、止めに入る看護師さんを叩き、大声で叫んでいる。脳の病気の恐ろしさは、ある日を境に、大切な家族が「全くの別人」に変わってしまうことです。それまで出来ていたことが出来なくなり、テレビすら見られない。その現実を脳が受け入れられず、パニックを起こしていたのだと思います。</p><p data-path-to-node="21">入院して2日経っても、妻の興奮状態は収まりませんでした。 当時はコロナ禍で面会謝絶の時期でしたが、私が行くと唯一落ち着くため、個室で私も一緒に24時間体制で付き添い入院をすることになりました。</p><h3 data-path-to-node="23">心を鬼にして、妻の手をぶっ叩いた</h3><p data-path-to-node="24">そこからは、終わりのない夜が続きました。 ベッドに横になることすらできない妻のために、深夜も30分おきに私が車椅子を押して、病院内を散歩し続けました。妻は睡眠薬を飲むことも頑なに拒否したため、私は一睡もできません。</p><p data-path-to-node="25">「家に帰りたい！帰りたい！」と叫び、狂ったように点滴を引っこ抜こうとする妻。</p><p data-path-to-node="26"><b data-index-in-node="0" data-path-to-node="26">「これを抜いたら、本当に死んでしまう」</b></p><p data-path-to-node="27">私は命を繋ぐため、妻が点滴に手をかけるたびに、その手をぶっ叩いて引きちぎりを止めました。愛する妻の手をぶっ叩くのは、本当に心が引き裂かれる思いでした。でも、そうでもしなければ止められなかった。それほど、脳が破壊されるということは恐ろしいことだったのです。</p><h3 data-path-to-node="29">「他人事だから、看護師ができていた」</h3><p data-path-to-node="30">ずっと後になって、体調が落ち着いた妻がぽつりと言った言葉が、今でも忘れられません。</p><p data-path-to-node="31"><b data-index-in-node="0" data-path-to-node="31">「看護師はね、病気の本当の苦しみがわからないから、仕事としてできるの。自分が病気になって初めて患者の気持ちがわかった。他人事だからできていたんだね。今の私には、昔の看護師の仕事はもうできないな」</b></p><p data-path-to-node="32">医療を提供する側だった妻が、絶望する側に回った瞬間でした。 毎日医師や看護師に暴言を吐き、家に帰ると泣き叫ぶ妻。命は助かったものの、元の妻にはもう二度と戻れないのではないか。急性期病棟の白い天井を見上げながら、私はただ絶望していました。</p><p data-path-to-node="33">（第3回へつづく）</p>
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<pubDate>Wed, 08 Jul 2026 08:52:31 +0900</pubDate>
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<title>【実録】いつもと変わらないあの日、私の妻が脳梗塞で倒れました</title>
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<![CDATA[ <p data-path-to-node="8">公認会計士の上原です。 今日から、私と妻の、そして私たちの人生を大きく変えた「あるセラピスト」との歩みをつづっていこうと思います。</p><p data-path-to-node="9">今、家族の突然の病気で暗闇の中にいる方に、届くことを願って。</p><h3 data-path-to-node="11">東京でのキャリア、そして福岡での「二人三脚」のスタート</h3><p data-path-to-node="12">私は会計士試験に合格後、監査法人に勤務し、40歳の時に独立しました。 妻は東京で看護師として10年働いていましたが、私の独立を機に仕事を辞め、私を支えてくれることになりました。</p><p data-path-to-node="13">独立当初は、当然ながらお客さんが全くいない状態。 東京の家賃は高いため、私たちは妻の実家がある福岡に移住することを決意しました。</p><p data-path-to-node="14">妻の実家の一部屋を借りての、ゼロからのスタート。 妻に私の仕事を手伝ってもらいながら、がむしゃらに顧問先を増やしていきました。</p><p data-path-to-node="15">仕事は徐々に順調となり、3年目にはクライアントも30社近くまで増えました。その頃には実家の近くのマンションに事務所を構えられるようになり、朝、二人で実家から事務所へ行き、仕事が終わったら一緒に実家に帰る。それが私たちの幸せな「ルーティン」でした。</p><h3 data-path-to-node="17">2021年9月23日。突然、地獄の幕が開いた</h3><p data-path-to-node="18">その日は、いつもと変わらない、普通の、本当に普通の日でした。</p><p data-path-to-node="19">異変に気づいたのは、事務所から実家へ帰る道中でした。 妻の歩行が、どこか安定しないのです。</p><p data-path-to-node="20">実家に着いても、いつもなら普通に上がれる2階への階段が、どうしても上手くいかない。</p><p data-path-to-node="21">「おかしい――」</p><p data-path-to-node="22">胸騒ぎがして、必死にネットで救急病院を検索しました。 画面に出てきたのは、福岡東医療センター。 しかし、私は東京生活が長かったため、車の免許を持っていませんでした。普段の運転はすべて、妻に任せきりだったのです。</p><p data-path-to-node="23">足がなかった私は、必死の思いでタクシーを呼び、妻を乗せて病院へ急行しました。</p><h3 data-path-to-node="25">「小脳梗塞です。かなり大きい」</h3><p data-path-to-node="26">病院での診察結果は、無情なものでした。</p><p data-path-to-node="27"><b data-index-in-node="0" data-path-to-node="27">「小脳梗塞。梗塞はかなり大きいです。即、入院してください」</b></p><p data-path-to-node="28">目の前が真っ暗になりました。 しかし、当の妻は看護師のくせに大の病院嫌い。「入院なんてしない！」と病院で騒ぎ始めてしまいました。説得も虚しく、その日はとりあえず帰宅することに。</p><p data-path-to-node="29">今振り返れば、その瞬間から、私たちの「地獄の日々」が始まったのです。</p><p data-path-to-node="30">（つづく）<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260703/21/isajia/88/25/j/o3024403215799033413.jpg"><img alt="" height="560" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260703/21/isajia/88/25/j/o3024403215799033413.jpg" width="420"></a></p>
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<pubDate>Fri, 03 Jul 2026 21:27:18 +0900</pubDate>
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