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<title>石垣勇輔の雑学ブログ</title>
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<description>石垣勇輔の雑学ブログ</description>
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<title>石垣勇輔　石垣島の雑学</title>
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<![CDATA[ 石垣勇輔ですこんばんわ。今回は苗字にちなんだ石垣島についてトリビアです。<br>八重山諸島の場所<br><br>地理的なことについては下記の地図をご覧になれば一目瞭然で、日本の中心地東京から石垣島までなんと1,952㎞も離れています。むしろ台湾に近く、与那国島からは天気のいい日は 台湾が見えることもあります。八重山諸島は正に日本の南西の果てにあり３２の島々が点在していて、それらを総称して八重山といっています。 その中でも有人島は石垣島・竹富島・西表島・鳩間島・由布島・小浜島・嘉弥真島・新城島（上地）・新城島（下地）・波照間島・与那国島の１２の島があります。 無人島は尖閣諸島など２０島あります。行政区は石垣島が石垣市、与那国島が与那国町で残りの島々は竹富町に属します。八重山全体でで１市２町ということになります。<br><br>八重山の気候<br><br>八重山の気候は亜熱帯海洋性気候に属し、八重山群島周辺を流れる黒潮の影響で、年間を通して気温の変化は小さく、平均気温は石垣島で24.5℃、西表島は23.7℃、与那国島は23.5℃と非常に温暖な所です。<br>八重山の文化<br><br>八重山諸島はかつて北の民と南の民が交差した場所であるとされています。最初は北と南の違いにより大きな軋轢もあったが、段々融合して独特な文化を形成してきました。その中の代表的なものがユンタやジラバ　アヨウなどの歌謡の誕生です。これらの特長は伴奏はなく男女が掛け合いで謡う言わばコーラスですが、独特のハーモニーを奏でます。そしてそれらに三線で節がつけられ節歌ができました。更にそれに所作が加えられ舞踊が誕生したのです。今や、ありとあらゆる場所で極自然にさらりと八重山の音楽と踊にふれることができます。これがまさに八重山は「詩の邦歌の邦」といわれる所以でしょう。音楽や芸能を愛する若者も多くあり、伝統は今でも脈々と生き続けています。<br>以上石垣勇輔でした。
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<link>https://ameblo.jp/isigakiyuusuke/entry-12134195551.html</link>
<pubDate>Mon, 29 Feb 2016 20:42:32 +0900</pubDate>
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<title>石垣勇輔　石垣の歴史、世界編</title>
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<![CDATA[ こんにちは、石垣勇輔です。前回は日本の石垣の歴史でしたが今回は世界の石垣の歴史です。石垣は古来からあらゆる文明で見ることができる。その手法も、自然の石をそのまま積み上げるものや、割った石や切った石を美しく組み上げて見栄えを良くしたもの、さまざまな種類の石を組み合わせて力を分散させ排水を良くして堅固にしたものなどがある。<br>石垣が築かれる目的は「土地の境界線」、「国境」、「防御施設」、「土地の補強」などである。また城砦、城の建物自体の基礎として石垣が用いられることも多かった。欧米では更に城下に造られた民家の壁も、石を積み上げ漆喰などを塗って造ることがあり、町の名も"Stonewall"と呼ぶ例がある。あるいは、特定の建物をそう呼んだり、たとえば、"Stone Inn"といった例もみられる。<br>スコットランドなどでは、羊の牧草地を石の柵で囲ったり、あるいはアラン島では風の強い土地の耕作地を、わずかな土が風で飛ばないように石の柵で囲むといった例もある。日本などにある棚田のあぜは石垣によって崩れないように補強されている。<br>珍しい例では、陸繋島の水軍城である甘崎城があり、満潮時には見えないが、潮が引くと石垣が見える仕組みで、つまり、潮で陸路ができた時のみ防御の役割を担う石垣になっており、海中縄張り（海に没した石垣）という珍しい光景から、元禄4年（1691年）にこの沖を航行したドイツ人医師ケンペルが、帰国後、『日本誌』において、「水中よりそびゆる保塁あり」と記述を残している。<br>琉球諸島など日本の南方の島々の伝統的な村落では、屋根の上に石を積み、家屋の周りに石垣を積むことで台風などの強風を防いでいる。例えば石垣島や竹富島など八重山諸島には、琉球石灰岩の石垣に囲まれた家々が建ち並ぶ景観が残っている。また、首里城や中城城などのグスクでも、石灰岩を切石にして構造物のように積み上げた石垣を見ることがでるそうです。<br><br>以上石垣勇輔でした。
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<link>https://ameblo.jp/isigakiyuusuke/entry-12129456169.html</link>
<pubDate>Tue, 16 Feb 2016 17:43:03 +0900</pubDate>
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<title>石垣勇輔　石垣の歴史</title>
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<![CDATA[ おはようございます。石垣勇輔です。初めてブログをやります。よろしくお願いします。名字の石垣に因んで城にある石垣の歴史です。<br><br>飛鳥時代の末期、７世紀後半に百済から伝えられた平らな石を垂直に積み上げたのが始まりとされ、１３世紀末には元寇に備えて石造の堤防が築かれたといわれていますが、近世(桃山・江戸時代)の城の石垣とは大きく異なるもののようです。<br><br>中世(鎌倉・室町時代)の城にもまだ石垣はほとんどなく、土を高く盛り上げた土塁で城をかためていました。土塁はもともと土砂を積み上げたもので雨水などに弱く、戦乱が激しくなり土塁の強化のため土塁の表面に石を張り付ける張石(はりいし)や、石を粘土で接着し積み上げていく練積(ねりづみ)などが行われましたが上手くいかず普及はしなかったようです。練積では内部に水がたまり壊れやすい欠点があり、１６世紀後半になって粘土を使わず、石だけで積み上げていく空積(からづみ)が出現し、これが城郭の石垣に発展していきます。<br>で、ふと「石垣と石を積んだもの違いは何？」とちょっと気になりましが、その答えが『 戦国の城 』にありました。<br>では、石積と石垣はどこで線引きされるのだろうか。私は、石垣の場合は、裏込石、すなわち栗石が使われているのに対し、石積はただ石を積みあげただけで、そのちがいを指標にしていたが、中井均氏によると、素人でも積めるのが石積で、石垣ともなると専門の石工、すなわちプロでなければ積めないので、そこで区別するという。たしかに、石垣の場合は「石垣を積む」とはいわず、「石垣」を築くといっているので、その可能性はある。<br>とありました。<br>そして、やっぱりというか本格的な石垣の城は 安土城 のようですが、戦国時代後半になるとそれに先駆けて石垣を使った城も出現したきました。よく例示されるのが信長が参考にしたであろうといわれる戦国大名六角氏の 観音寺城 です。観音寺城は寺院の造営技術を導入したものといわれ、金剛輪寺に残された古文書に天文５年(１５３６年)に「御屋形様の石垣」、つまり守護の城の石垣普請について寺側と守護側が打ち合わせを行ったことが記されているそうです。ちなみに安土城と観音寺城は地図上の測定では直線距離で２．４ｋｍほどです。やはり石垣は戦国時代です。
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<link>https://ameblo.jp/isigakiyuusuke/entry-12127850507.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Feb 2016 11:20:56 +0900</pubDate>
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