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<title>伊藤ニコラス</title>
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<title>依存と拘束</title>
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<![CDATA[ 依存と拘束<br><br><br>依存と拘束は常に共存します。<br><br><br>　一番身近な例は携帯電話だと思っています。町を散歩していても、電車に乗っていえても、みんな携帯を見ています。暇つぶしのtwitterとか、道に迷ったときのGoogleマップのようにたくさんの機能を兼ね備えた、スマホは確かに超便利です。ほとんどの人がもう携帯無しでは、生活的にも、精神的にも生きて行けません。でもこれだけ依存しているってことは、その分拘束も受けるってことなんです。<br><br>　携帯をなくしてしまったり、充電が切れたりすると、私たちの行動は一気に制限されます。こういった際に拘束の力学が働くのです。依存している人は「携帯」というスーパーマシーンが突然なくなると、思考停止しちゃいます。携帯の充電が切れている中で道に迷ったら、「人に聞こう！」より、「ソフトバンクショップ見つけなきゃ！」と先に考える人はたくさんいます。「人に聞く」っていう安易な方法があるにも関わらず、携帯救出が第一になってしまっているのです。<br><br>　携帯がなくなっただけで、無意識の内に自分の行動を制限しています。自分の思考が拘束を受けているのです。<br>　<br><br><br>　恋愛でいうとこれはいわゆる“重い”人達にあてはまります。こういう人達は相手のことが好きであればある程、相手に依存していくからです。<br><br>　好きだから、自分以外の異性と遊んでほしくない、みたいな相手をコントロールしようとする欲求は、パートナーへの依存故に自らが拘束されている例です。「あなたのためを思って、、、」みたいな、わけのわからない極めて自己中心的な考えで自分が嫌なことを相手にやらせない。それでもうまくいかないと、暴走する嫉妬心を抑えきれずに噴火しちゃう。<br><br>　パートナーに依存しすぎてしまって、結局自分が相手から精神的に拘束を受けてしまっているのです。相手を拘束すること（そんなつもりない、っていうかもしれませんが）が最終的に自分自身の拘束に繋がるなんて、皮肉すぎる。。<br><br>　<br>　ではではー<br>
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<pubDate>Wed, 03 Jul 2013 17:53:11 +0900</pubDate>
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<title>”ほぼ”なんでもつくる</title>
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<![CDATA[ 今コレ↓読んでます<br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=24161956" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">FabLife ―デジタルファブリケーションから生まれる「つくりかたの未来」 (Make: J.../オライリージャパン<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51JockvyFEL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥2,310<br>Amazon.co.jp<br><br>以前鎌倉ファブラボに行った時にもブログを書きましたが、現在、「ものづくり」というものの概念が新たなものに生まれ変わりつつあります。<br><br>今までは何か欲しいものがあっても、それはお店で販売されていなければ他に手に入れるすべがなかったですよね？<br><br>例えば、<br>毎朝起きられなくてもうヤバい！！！<br>みたいな人が、確実に起きられるように、毎朝時間になったら部屋の中で自分からひたすら逃げ回る目覚まし時計を作りたい！<br>とか思ってもそんなのまず手に入れる事が出来なかったわけです。<br><br>それに対して、「欲しいものあんなら作っちゃえば？！」みたいな考えが最近すこーーーーーしずつ広がってきています。販売されていないから手に入れられない、みたいな障害を乗り越えて、自分で、自分のためだけに欲しいと思ったものを作ってしまおう！みたいな流れが生まれてきているのです。このことをパーソナルファブリケーションと言います。<br><br>そしてこの流れの根底にあるのが『”ほぼ”なんでもつくる』という思想。<br><br>この”ほぼ”っていうのが重要です。<br><br>もちろんパーソナルファブリケーションを支える３Dプリンターやレーザーカッターを始めとした技術も完璧なわけではないので、限界があるが故に、”ほぼ”って意味もあります。<br><br><br>でも本当は、この”ほぼ”というものの中に我々に対する問いが含まれている。とこの本には書かれています。<br><br>まず人を傷つけてしまうようなモノは作ってはならないということ。武器などは「なんでも」という範囲から除外されています。最近ニュースで３Dプリンターで作れる銃のデータがインターネット上で公開され、話題となりましたが、こういったことはあってはならないのです。<br><br>ほぼなんでもつくれるからこそ、なにをつくるのか、そしてなんのためにつくるのか、を考えなければいけません。<br><br><em><strong>「どうつくるか （How）」とともにあるのは、そうした「なぜつくるのか(Why)」の議論なのです。</strong></em>（本文より）<br><br>ものづくりというものの限界が”ほぼ”なくなり、限りなく自由になったからこそ、その自由さをどう活用するかが私たちに問いかけられているのです。<br><br><br>ではではー<br><br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=24161956" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">FabLife ―デジタルファブリケーションから生まれる「つくりかたの未来」 (Make: J.../オライリージャパン<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51JockvyFEL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥2,310<br>Amazon.co.jp
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<link>https://ameblo.jp/itoonicholas/entry-11546947657.html</link>
<pubDate>Fri, 07 Jun 2013 16:33:17 +0900</pubDate>
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<title>ウィニングイレブン2010におけるヤヤトゥーレの類い稀なる安定感</title>
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<![CDATA[ おはようございます。<br><br>今朝のチャンピオンズリーグみんなみましたか？いい試合でしたね。<br>あんな大場面に弱いロッベンが最後に決めるなんて、<br><br>そこで、昨日の夜、「ああ、今晩チャンピオンズリーグ決勝じゃん」とか一人で考えていたら、なーーんかウィイレがやりたくなったので、４試合ぐらいプレイしました。<br><br>僕はバルサが好きなので、バルサでプレーしてたんですが、バルサのミッドフィルダーで起用するのは基本的に、セスク、イニエスタ、シャビ、ブスケツとかそこらへん、でもたまたま僕がプレーした二試合目、イニエスタが不調で、シャビとブスケツは絶不調。<br><br>はあぁ～～？？？💢💢<br><br>とか思いながら仕方なく、ヤヤトゥーレを起用。<br><br><br>所詮ヤヤトゥーレ、、、とか思って使っていると、、、あれ？あれ？<br><br>...あれ？<br><br>と徐々に俺の中でヤヤトゥーレに対する思いが変化<br><br><br>こいつめっっっちゃ使えるじゃん！！！！！！！！<br><br>みたいな。いやこいつマジですごい。<br><br>チェルシーに攻め込まれた１５回くらいのうちの１０回くらいをこいつが防いだ上に、１ゴール２アシスト。<br><br>それに身長が191cmもあるからとにかくあたり負けしない...<br><br>守備においては、プジョル先輩より使えるんでは？とか思えるレベル。<br><br>抜群の安定感。<br><br><br>なんだか楽しくなってきたぞ、とヤヤトゥーレをwikiで検索してみると、<br><br>2007年7月1日、スペインのFCバルセロナに移籍金900万ユーロで移籍し、登録名をヤヤ・トゥーレ (Yaya Touré) からトゥーレ・ヤヤ (Touré Yaya) に変更した。<br><br>とのこと、、、<br><br>なんで？笑<br>いろいろ意味不明だけどなんだか面白い。<br><br>もっと調べると、ウェストハム戦でめちゃくちゃ豪快なシュートも決めてる。<br><iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/IWFZuWLXeOM" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br><br>奥が深いぞ、トゥーレヤヤ。<br><br>使ってるチームのサブにいたら無理してでも使うべし。<br><br><br>以上ヤヤトゥーレについてでした～～<br><br><br>じゃ！<br><br>
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<pubDate>Sun, 26 May 2013 03:12:41 +0900</pubDate>
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<title>これからのものづくり＠ファブラボ</title>
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<![CDATA[ 先週の日曜日、ファブラボ鎌倉に行ってきました。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130521/16/itoonicholas/9f/02/j/o0800060012547160063.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130521/16/itoonicholas/9f/02/j/t02200165_0800060012547160063.jpg" alt="$伊藤ニコラス" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>僕のtwitterをフォローしてくれてる人は知ってるかもしれませんが、僕は３Dプリンターなどを筆頭に、これからのものづくりの在り方とそれをサポートしていく技術に興味を持っています。<br><br>クリスアンダーソンが書いた本「MAKERS」が大ヒットしたりして、今世界でも認知度があがってきてかなりアツくなってきている分野でもあります。それで僕もその興味を持ったうちの一人ってわけです。<br><br>ファブラボ鎌倉には３Dプリンターやレーザーカッター、３Dスキャンなどこれからのものづくりを引っ張っていくであろう機械が実際に置かれていてます。<br><br>３Dプリンター<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130521/17/itoonicholas/bf/82/j/o0800060012547177325.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130521/17/itoonicholas/bf/82/j/t02200165_0800060012547177325.jpg" alt="$伊藤ニコラス-３Dプリンター" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>レーザーカッター<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130521/17/itoonicholas/5c/c3/j/o0800060012547177319.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130521/17/itoonicholas/5c/c3/j/t02200165_0800060012547177319.jpg" alt="$伊藤ニコラス" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>３Dスキャン<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130521/17/itoonicholas/35/1d/j/o0800060012547177318.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130521/17/itoonicholas/35/1d/j/t02200165_0800060012547177318.jpg" alt="$伊藤ニコラス" width="220" height="165" border="0"></a><br><br><br>こんな感じです。<br><br>３Dプリンターは実際稼働しているところを見たのですが一般家庭に置けるような３Dプリンターはまだおもちゃレベルのものしか作れないし、時間もかなりかかる。<br><br>レーザーカッターは物体を熱で焼き切る時の臭いがかなりきつく、鎌倉って土地ということもあり、多用できないので、実際動いているところを見る事は出来なかったです。でもこういうものが作れたりする。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130521/17/itoonicholas/af/20/j/o0800060012547187749.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130521/17/itoonicholas/af/20/j/t02200165_0800060012547187749.jpg" alt="$伊藤ニコラス" border="0"></a><br><br><br><br>糸ノコギリって使った事あります？<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130521/17/itoonicholas/a4/c7/j/o0200016012547190802.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130521/17/itoonicholas/a4/c7/j/t02000160_0200016012547190802.jpg" alt="$伊藤ニコラス" border="0"></a><br>これって使って上にあげたような形のものを作ろうとするととかなり疲れるし、うまくきれなかったりして、イライラするんですけど、これからはレーザーカッターにその仕事を任せることが出来るようになっていきます。ホント助かりますよね。。。<br><br>３Dスキャンの課題はまだものをスキャンするのにかなりの時間を必要としてしまうという所にあります。精確さはかなり高いんですけど。だからファブラボでも「これをスキャンしましたー！」みたいなものとそのデータしか見せてもらえなかったです。<br><br><br>まあいろいろと課題のあるわけですが、この機械たちが秘めている可能性ったらすごいもんです。<br><br>今までは何かものを作ろうとなった時に、そのための方法の主流は大量生産でした。だからみんなが同じようなものを持っていて、ちょっとその物に変化を加えたくても、それは難しいことだったのです。<br><br>ただ、一般家庭に高性能の３Dプリンターが普及するようになったらどうでしょう？<br><br>ネットで、欲しい！と思ったものの３Dデータをダウンロードして自分の家でそれを３Dプリンターに作ってもらえるようになります。<br><br>自分なりのアレンジを加えたいな、と思ったら、それも可能です。自分が欲しいと思っているものはデータとして保存されているので、その物のデータを自分の気に入るように編集すればいい。編集し終えたデータを３Dプリンターにおくれば、自分のためだけの気に入ったものを創り出せるってわけ。<br><br>遊び心があるなら、トウモロコシの表面の質感をスキャンして３Dデータを取る。取ったデータをソフトウェア上で加工して、コップの周り取り付けられるようにして、３Dプリンターでデータをプリント。出来た物をコップの周りに取り付けて、そのコップでコーンポタージュを飲む。<br><br>みたいなことも出来るようになってくる。<br><br>すごくない？！笑<br><br>こういうこともできます。<br><iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/eXMJr-aB4qw" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br><br><br><br>あと、今どきわざわざCDを買わなくてもほとんどの音源はyoutubeにあがってけど、それに似たような感じで「ガンダムをつくりたい」って思ったら、わざわざお店に行ってガンダムのセットを買わなくても、ネット上に欲しいガンダムのパーツのデータが載ってて、それをダウンロードしてガンダムを作る。みたいなこともできるようになっていきます。<br><br>すごいすごい笑<br><br>夢がありますよね。<br><br>まだいろんな面で課題は山積みだけど、これからものすごいスピードで性能は向上していくはずです。今の人達が２０年前のパソコンとか見て、性能の低さにびっくりするみたいに、今の３Dプリンターも10年、20年の歳月をかけて必ず進歩していきます。<br><br>ああ、待ち遠しい<br><br><br><br><br>ではではー<br><br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=23993548" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">MAKERS―21世紀の産業革命が始まる/クリス・アンダーソン<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F514L3hWq-eL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥1,995<br>Amazon.co.jp<br><br>
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<pubDate>Tue, 21 May 2013 18:16:32 +0900</pubDate>
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<title>アーキテクチャ！</title>
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<![CDATA[ 昨日、田端信太郎の「MEDIA MAKERS」を読み終えました。<br><br>メディアが予言を自己実現する能力を持っている事。<br><br>例えば、日経新聞などの権威のある新聞の一面に「〇〇株式会社、経営破綻へ」とかかれとします。すると、その会社は本来経営破綻するかどうかは五分五分みたいな状況でも、信頼された大手メディアによるこういった報道が及ぼす絶大な影響によって、五分五分だった状況が一転して、一気に経営破綻に向かっていってしまう。みたいなものが、メディアが予言を自己実現する能力を持っている一例です。<br><br>そんな事を始めとした、メディアが私たちに及ぼす影響や、メディアのブランド化など、おもしろいことがたくさん書かれていて、久しぶりに”アタり”を引いたような気がします。<br><br>そこでなんですが、僕は本書に書かれている、「アーキテクチャによる支配」という概念に惹かれました。<br><br>そもそも、アーキテクチャは「建築」を意味する言葉ですが、本来的には日本語で言うと、「環境設定」みたいな言葉までも含むそうです。<br><br>あなたが飲食店を経営してるとします。お客さんの回転率を上げていきたいけど、近所の大学生が何時間も同じ場所でくっちゃべってて、他のお客さんがお店の中で席を確保できないような状況。<br><br>こういう時、あなたならどうします？「食事を終えたら、速やかにお帰りください」という張り紙を貼りますか？カラオケボックスみたいに時間制限制にして、超過した場合には延長料金をとりますか？<br><br>実はこういう時に、最も簡単に回転率をあげる方法は、「椅子を高くする」事だそうです。チェーン牛丼店なんかまさにそうですよね。<br><br>お客さんに何も言わずとも、彼らの「無意識」に働きかけて、うまく誘導する。素敵ですよね！<br><br><br>で、なんでこんな事に注目したかというわけなんですが...<br><br>これ実は僕もやった事あるんです笑<br><br>「アーキテクチャによる支配」なんてものを知る前から、身近でちょこちょこやってたんです笑<br><br><br><br>掃除用のロッカーありますよね？あの中のほうきなんですが、、、<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130514/11/itoonicholas/63/09/j/o0300030012538332006.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130514/11/itoonicholas/63/09/j/t02200220_0300030012538332006.jpg" alt="$伊藤ニコラス" border="0"></a><br>これです！<br><br>これってゴミを掃く部分を下にしてしまうと、すぐ形が崩れてダメになっちゃうし、ロッカーのなかが埃だらけになるスピードも速いんです。<br><br>そこで元美化委員長として、どうやったらみんなに”自然に”掃く部分を上にしてもらえるかなー、と高３の時考えていました。<br><br>そこでいろいろ試してみたんですが、一番うまくいったのは、<br><br>ロッカーの中心にバケツを置き、それにあらかじめバケツの中に掃く部分を上にして入れておくことです。<br><br>するとどうでしょう！！！！！<br><br>みんな掃除し終わった後もちゃーーーんと掃く部分を上にして、バケツの中に入れてくれたのです！！<br><br>いやー嬉しかったですね。「そうしてね！」なんか言ってないのにみんなが狙った通りのことをしてくれたわけですから笑　「アーキテクチャによる支配」なんてものを知る前から自分でアーキテクチャによる支配を行っていたんですねー。嬉しい、嬉しい。<br><br><br><font size="2"><font size="1">最終的にメディア全く関係なくなってる</font></font><br><br><br>ではではー<br><br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=23927470" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体/宣伝会議<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F41hJ1R0OpXL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥1,680<br>Amazon.co.jp<br><br>
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<pubDate>Tue, 14 May 2013 10:56:08 +0900</pubDate>
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<title>何かに依存すること、しないこと</title>
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<![CDATA[ 僕は一人でいる時間がとっても好きなのですが、これはあくまで「一人でいる時間の割合が多い方が好き」なのであって、ずううーっと一人でいたい！ってわけじゃありません。そんなのつらいです。<br><br>一人でいる時間が多い方が好きなので、どちらかというと友達とかにはあまり依存していない方なのですが、それでも日々、誰かしら、何かしらに依存せざるを得ない状況に自分がいると思っています。<br><br>大学の授業が始まって、「あーー。授業つまんないなー。勉強つまらないなー」とか思うのも他人への依存です。そもそも好奇心なんて内在的にあるものだし、もう大学生なんだから一人でその勉強をして、「おもしろいじゃん！」って思う事も出きます。それなのに、授業がつまらない＝勉強がつまらない、となってしまうということは、勉強を面白くしてもらう事を大学教授に求めています。<br><br>僕はこのタイプです。今やってる勉強を一人でおもしろいと思う事ができないから教授に依存してる。黒板に向かって90分喋り続ける教授とか本当に腹が立ちます。<br><br>てか大学自体もそうだと思っています。大学に入ってみて思うんですが、大学で勉強したい！って思ってる人ってかなり少ないです。だから受験を通して『〇〇大学出ました』みたいなパスポートを得て、それを他人に自分に対する判断基準として使ってもらう。てかほとんどの人がそのパスポートのために大学に入ってますよね。<br><br>評価なんかもそうです。他人にいいね！と言われるために、他人に喜ばれるようなものを狙って作る場合と、誰からもすごいと言われなくても、これいいじゃん！って自分で思えて満足できる場合があります。<br><br>ものを売りたい時なんかは前者を優先的に考える必要が出てきます。もちろんそれは売り手が買い手に依存してるからです。<br><br>でも僕がブログを書くのは、今現在、ブログを書くことが楽しいからだし、これでいいや！って自分が思ったものをポストしてます。これは後者の方です。プロブロガーなんて目指してるわけでもないし、自己満足で書いてるからアクセス数が少ないとか全く気にならない。これに関しては全く他人に依存してません。<br><br>それに加えて僕は路地を見つけては入っていく事が好きなのですが、これも誰にも依存していません。この路地めちゃ雰囲気いいわーとか思いながら散策を楽しんでるだけです。<br><br><br>誰かに依存してるってことは、時として嫌でもなにかしらの拘束を受ける事へと繋がります。それに対して誰にも依存してないものは完全に自由。<br><br>このバランスがとっても大事だと思っています。生きてて何にも依存しないって不可能だけど何個か誰にも依存しないで自分がハッピーでいれるものを作っておくこと。<br><br>依存ばっかしちゃって、その依存していた対象が突然なくなってしまったとき、他に何もないと一気に自分が崩れていっちゃいますからね。<br><br><br>ではでは
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<pubDate>Sat, 11 May 2013 18:03:53 +0900</pubDate>
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<title>ニコラスって多様性重視だよね！といわれて...</title>
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<![CDATA[ この前斉木さんと堀とご飯に行った時に、二人から「ニコラスは多様性重視だよね」と言われました。いままであまり意識した事なかったのですが、言われてみればそんな気がします。確かに答辞なんかでも多様性重視的な事を言ってたしブログでも前に書きました。<br><a href="http://ameblo.jp/itoonicholas/entry-11511260668.html" target="_blank"></a><br><br>僕がなんで多様性重視的な性格になったのかは、僕が小学生低学年の時、日本の小学校で見た目上の理由から少しいじめられていたからだと思います。<br><br>日本で育ってきて、文化や言葉なんかも周りと一緒の日本で育ってきたから、中身は同じはずなのに外面的な理由から周りからいやーな言葉を浴びさせられてきたわけです。<br><br>あの「おいガイジン！」と言われた時の悔しさったらすんごいんですから！味方より敵の方が多いような状況で一人になることが怖かったのが理由に、なにも言い返せなかった自分の不甲斐なさとか。みんな小学生なのにすげー嫌な顔で言ってくるんですよ笑<br><br>今となっちゃ笑えますが、当時は結構キツかったのを覚えてます。<br><br>で、、、<br>自分の中身は普通なはずなのに、外見を理由に周りから不当な扱いをされたためか、「オレは人それぞれの違いを受け入れよう！」とか、「みんな違って当たり前！」みたいな考えが僕の中に深く根付きました。<br><br>しかし、これは「違い」を持った人達に優しくしよう！みたいな事ではないです。どんな人にも敬意を持って接しよう！みたいな感じ。<br><br>同じ「ガイジン」を言われるにしても、敬意を、というか普通に接してくれる人が僕に言う「ガイジン？」と小学生の時に言われていた「ガイジン？」では、文字は同じでも、言葉として発せられる時に全く違う意味を持ってくるのです。そして後者として発せられた時には、もう無視できるような年齢になったとはいえ、決して気持ちは良くないものです。<br><br>「違い」を持った人達に優しく接しよう、という意味ではないと言ったのにはもう一つ理由があります。<br><br>それは「違い」をもった人達に対して「お前うざいよ」という権利も当たり前のようにあると僕が考えているからです。<br><br>乙武さんは著書「五体不満足」で<br><em>障害者と初めて出会った時に壁を感じてしまうのはしょうがないが、時間が経っても、つまり「慣れてない」と言う言葉が通じなくなっても、なお、その障害者に壁を感じてしまうようであればそれは障害者側の責任であると、ボクは思っている。そこで重要なのが、人柄・相性と言った問題であるのは、健常者同士のつきあいとなんら、変わりはない。<br>しばらく接していても、その人と付き合いづらいと感じたら「障害者だから」と変な同情を寄せて、無理につきあう必要はない。その時、その障害者が「差別だ」などと寝言を言ったら、きちんと教えてあげてほしい。「アンタの性格が悪いんだよ」と。<br></em><br><br>これを初めて読んだ時はちょっとびっくりしたんですけど、全くその通りなんですよね。敬意を持つ事と優しくしてあげる事はちがう。こいつやだなー、と思ったらイヤミったらしくみんなの前で言うんじゃなくて、１対１のときにハッキリと「お前うざいよ」と言えばいいんです。これも敬意を持って接することに含まれると僕は思っています。<br><br>また、違いをもった人達に「お前うざいよ」と言ったりすると、「そんな事言うのはヒドい」みたいな事を言い始める正義感に満ちあふれている人がたまにいますが、僕からしたらそう言う奴こそ全く彼らに敬意を持ってない。<br><br>そう言う人って最初から違いを持った人達を下に見てる感じがしちゃってあまり好きになれないんです。守ってあげなきゃ！みたいな発想が完全に相手を見下してる。<br><br>転校生とか留学生もそうです。「転校生だから話してあげないと可愛そう」っていう考えが好きじゃない。転校生だからとか関係なくフツーに話す事が一番だと思っています。いい奴だと思ったら仲良くすればいいし、転校してきて何ヶ月もたってるのに、こいつ嫌な奴だなー、って思ったら付き合うのをやめればいい。それだけ。<br><br><br>人から「多様性重視だね！」と言われてみて。確かに今まで自分が会ったことがないような新しいタイプの人達と会うことって僕はすごく刺激があって楽しい。それと同時に最初から自分と違う人に壁を作ってそのまま終わってしまう人とか、もったいなーっておもう。<br><br>自分と全く違う世界に住んでる人達の面白さったらすごいものがあるからね。<br><br><br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=23830347" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">五体不満足 完全版 (講談社文庫)/講談社<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F513X1RNT5DL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥540<br>Amazon.co.jp<br><br>
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<pubDate>Fri, 03 May 2013 22:08:01 +0900</pubDate>
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<title>自分の中の「普通」をハッキリさせよう。</title>
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<![CDATA[ 僕は今、東京理科大学に通っています。The 理系な学校です。それに対して、僕は今まで国際高校に通っていて、こっちはこっちで The 文系の学校でした。<br><br>大学に通い始めてもうすぐ一ヶ月が経ちますが、高校で感じていた「普通」と大学から感じる「普通」のギャップみたいなものがとてもおおきいと感じています。<br><br>別にこれは良い悪いとかいう問題じゃなくて、ただ単に、ちがうなあー、って思うんです。<br><br>それぞれの学問の能力だったり、考え方だったり、雰囲気だったりです。全く別のジャンルの人達がいると思うし、それはそれで結構楽しい。学べる事が多かったりするし、一人で考え事をしてる時の幅も広がったように感じています。<br><br>そこでなんですが、僕は人生で、覚えのある限り二回、「普通」なるものの落とし穴にはまっています。一回目は僕が小４の時日本からオーストラリアに引っ越した時、そして２回目は中１の三学期にオーストラリアから日本に帰ってきた時です。<br>　<br>まず日本からオーストラリアに行ったとき。<br><br>日本では九九を始めとする算数の基本的なものは小２くらいには教え終わっていたようなきがします。そこからは１００マス計算をやってみたり、といろいろ。しかし僕が小４でオーストラリアに行った時、僕が通った小学校ではまだ九九の六の段とかをやっていました。それに小４なのにも関わらず、自分の指を使って２桁の足し算を行っている人がクラスにちらほら。これぞ僕の初めてのカルチャーショックです。<br><br>当然九九なんて一瞬で出来てしまう僕は、完全に天才扱い（笑）クラスで九九スピード対決みたいなものをしてもいつも圧勝だったので、クラスメイトから「日本人やっぱやべえんだな」とか言われて天狗になっていました。<br><br>第一の落とし穴はここです。<br><br>僕は日本の「普通」の教育に従って育ってきたのが突然、オーストラリアの教育環境に放り込まれたため、オーストラリアの「普通」に合わせてしまったのです。最初は天才扱いされていたのが小６の頃には僕より算数の出来る子が数名出てきたのです。その事実をなかなか認めたくなかった自分を今でもよく覚えています。<br><br>いくら最初は天才扱いされても、その場の普通に合わせてしまって努力を怠った場合にはどんどん自分より頭のいい子に抜かされていきます。その環境の「普通」合わせる恐ろしさってこういう事なんです。<br><br>それにも関わらず、中１でオーストラリアから帰ってきたとき僕は同じ過ちを繰り返しています。今回は算数ではなくて英語です。<br><br>これが二つ目の落とし穴だったのですが...<br>日本の中学校の英語なんて僕からしたら本当に簡単だったし、転校してきてすぐに英検２級をとりました。これも勉強なんて１秒もしてないのに楽勝で合格。ちょろいなー！とか完全に調子にのっていたなか、（これは恥ずかしすぎてほとんど人に言ってないんですが）僕は中３のとき、英検準１級の試験で不合格をくらっています。これはかなりショック！<br><br>そして国際に入学して周りの帰国子女のレベルの高さにまたまたショック！<br><br>自分の能力より低い環境の「普通」に合わせてしまった時の能力の低下の速さには驚きます。本当に一瞬です。<br><br>大学に通っている国際生と久しぶりに会って話すと「私国際通ってたときは英語カスだったのに、大学の英語レベル低すぎて私でも楽勝」みたいなことをたまに聞きます。こういうところに落とし穴が潜んでるのです。<br><br>別にこれは英語勉強しろー！みたいなことを言いたいわけではなくて、もし将来英語を使いたい場合、その環境の「普通」に合わせたら、英語の使い方を忘れる近道をしてるだけだよ、ってことです。<br><br>そう意味で、自分の中で残しておきたい能力は、「普通」のレベルを意識的に保っていかなければいけないと思います。そうしないと、、、<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/itoonicholas/entry-11523144315.html</link>
<pubDate>Fri, 03 May 2013 13:56:23 +0900</pubDate>
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<title>時間と感覚</title>
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<![CDATA[ この前読んだ　"The Economist" 誌による記事<br><br>http://www.economist.com/blogs/babbage/2013/04/psychology-time<br>(なんかうまく貼れないから良かったらコピーして飛んでください)<br><br>ここでは...<br><br><strong>時間が過ぎるペース自体は一定だが、「精神的」、つまり感覚的には一定でではない</strong>と言っています。<br>時間にも感覚的な意味ではドップラー効果が応用できるというのです。<br><br>ドップラー効果の代表的な例は、救急車のサイレンが、自分に向かってきている時に高く聞こえるのに、自分から離れていってる時は低く聞こえる、あの現象です。<br><br>そこで、ここではドップラーの効果の意味まで気にしなくていいんですが、この記事で何が面白かったかというと、<br><br>例えば、一週間後に何かのイベントがあるとします。そのイベントが迫ってくる時の一週間と、イベントが終わってからの一週間では、前者の方が速く感じるというのです。<br><br>もう過ぎ去ってしまった時間より、迫ってくる時間のほうが「感覚的」には速く感じる、と。<br><br>確かにいーーー！！！とか思っちゃいました。<br><br>思えば、高校の時も迫ってくる体育祭、桜陽祭までの時間は本当に一瞬でした。気がついたら全て終わってて虚無感に浸ってる。<br><br>でも体育祭が終わってから一ヶ月後には、あれ？まだ終わってから一ヶ月しかたってない？！みたいな不思議な感覚に囚われています。<br><br>これに関して僕は「それはその時間が楽しかったから速く過ぎるように感じた」とかは全く関係ないと思っています。<br><br>確かに体育祭、桜陽祭の準備期間はめちゃくちゃ楽しかったけど、嫌で怖くて仕方がなかった受験も一瞬でやってきたように感じていたな、と思ったからです。<br><br>でも今振り返ってみると「あれ？まだあれから２ヶ月しかたってないの？！」って思う。<br><br>こんな感覚に陥った事ないですか？！<br><br>たしかに後退していく時間より前進していく時間の方が圧倒的に速く感じているのです。<br><br><br>それに加えて書いてあったのは、未来より過去の方が身近に感じてしまうような人は、鬱になりやすいと。過去の失態、つまり精神的に落ち込んでしまうような事象に囚われる時間が通常の人より長く感じてしまうからです。<br><br>政治家や経営者も、過去の栄光を永遠と自慢しているよりは、未来の計画を話した方がいいとも書いてありました。今まで自分たちが何をやってきたか、より、これから何をするかの方が人は知りたいからです。<br><br><br>ではではー
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<link>https://ameblo.jp/itoonicholas/entry-11519893951.html</link>
<pubDate>Sun, 28 Apr 2013 12:33:50 +0900</pubDate>
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<title>「境界」が生み出すタブー</title>
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<![CDATA[ <br>今の日本には、「敷居を踏むな」とか「夕方にかくれんぼをするな」（これに関しては最近知った笑）とかみたいなタブーがありますが、これらには「境界」というものがタブーを生み出している事が顕著に現れています。<br><br><br>敷居はもともと、家の内と外を区別するためにあるのですが、この「敷居」という空間は、内でもなく外でもない、また、内でもあり外でもある、とっても微妙な空間になっているのです。<br><br>家の内と外を切断するという意味では秩序を作り出しながら、敷居自体は秩序の境目にあるというその微妙な位置づけのため、混沌が宿るとされています。<br><br>それゆえ、敷居を枕にして寝ると幽霊が出ると言われていたわけです。<br><br>また「夕方にかくれんぼをするな」についてですが、「夕方」とはまぎれもなく昼と夜の「境界」です。<br><br>だから、時間の裂け目にあたるこの時間には天狗や鬼が現れるとされて、子供たちを攫っていくとされていて恐れられていたのです。<br><br>考えてみれば映画「千と千尋」でもそうですよね。ハクが千尋に「帰れ！！」（これであってるっけ？笑）って言ったのは夕方、まさに昼と夜の境目を千尋がまたごうとしていた時なのです。そして昼から夜になったとたん様々な妖怪が千尋の目の前に姿を現します。<br><br>「境界」の概念はあの有名映画でも使われてたんですね。<br><br>あーこわいこわい<br>
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<link>https://ameblo.jp/itoonicholas/entry-11519204556.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Apr 2013 10:42:03 +0900</pubDate>
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