<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>毒親育ちのおおはし</title>
<link>https://ameblo.jp/itsokaytobediff/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/itsokaytobediff/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>毒親の家庭で育った人たちの「なぜかわからない、だけど生きているだけで辛い思いをすることが多い・・・」そんな人生。その理由がわかったら、辛かった人生、その経験もマイナスなことばかりではなくなるはず。そんなことを思いながらこのブログを書いています。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>他人を勝手に評価する人たち</title>
<description>
<![CDATA[ <p>よく知らない人のことを、よく知らないくせに、</p><p>&nbsp;</p><p>他人のことをよく見ていないくせに、</p><p>&nbsp;</p><p>その人のことを良いとか悪いとか、断言する人がいますよね。</p><p>&nbsp;</p><p>「あの人は素晴らしい」とか、「あいつは低レベルな奴」とか。</p><p>&nbsp;</p><p>たとえこういう言葉を口にしていなくても、勝手に低い評価をして、その相手に対して差別的な態度を取るという人も。</p><p>&nbsp;</p><p>よく知らない人や物事をどう評価してそんなことを言うのかと疑問ですが、</p><p>&nbsp;</p><p>こういう人たちは、<u>「そうである」という<b>事実</b></u>と、<u>「自分の目にはそう見える」という<b>ただの主観</b></u>の区別がついていないように思います。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#8f20ff;">その人にどういう能力があって、どういうことを不得意とする人なのかという<b>「事実」は変わりません。</b></span></p><p>&nbsp;</p><p>しかし、</p><p>&nbsp;</p><p>・どういう能力を持っている人を<u>素晴らしと感じる</u>か。</p><p>&nbsp;</p><p>・相手に何か得意とすることがあっても、その人にもその能力にも<u>魅力を感じない</u>。</p><p>&nbsp;</p><p>この二つは、<b>見る側の主観（ただの好き嫌いとか）によって変わります。</b></p><p>&nbsp;</p><p>だから、</p><p>&nbsp;</p><p><u>誰かにとって価値がないと感じる人　＝　その人が低レベルな人という「事実」</u></p><p><u>ではないのです。</u></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>他人の能力についてそのレベルが高いか低いかの「事実」を評価するためには、評価するための情報（知識）が必要になるはずです。</p><p>&nbsp;</p><p>評価するために必要な情報も持ち合わせていないのに、自分の主観で勝手な評価をしては、それを事実であるかのように断言する人ほど、誰にもレベルの高さがわかるような‘肩書き’、‘学歴’、‘資格’など<b>目に見えるもの</b>を好みます。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、よく見ずにその肩書きや資格だけで判断して素晴らしいと言ったりします。</p><p>&nbsp;</p><p>逆にレベルの高さを<b>数値化して表すことのできない能力</b>（‘コミュニケーション能力’とか、‘芸術的なセンス’とか）はわかりにくいので好まず、遠ざける傾向があります。</p><p>&nbsp;</p><p>すべては、よく見て、よく考えて、正しい評価基準で評価するという能力がないからでしょうか・・・</p><p>&nbsp;</p><p>他人のことを評価する前に、自分のその能力のレベルに気付いて欲しいですね。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211108/23/itsokaytobediff/b5/11/j/o1280085315028617590.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="147" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211108/23/itsokaytobediff/b5/11/j/o1280085315028617590.jpg" width="220"></a></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/itsokaytobediff/entry-12709049464.html</link>
<pubDate>Mon, 08 Nov 2021 23:43:37 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>「毒親」と「ふつうの親」との違い</title>
<description>
<![CDATA[ <p><span style="font-weight:bold;">「いい子に育って欲しい」</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">「立派な大人になって欲しい」</span></p><p>&nbsp;</p><p>毒親と呼ばれる親も、健全なお父さんお母さんも、我が子に対して真剣にこう思っている。</p><p>&nbsp;</p><p>この点に両者に違いはないと私は思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>では、毒親と健全な親では何が違うかというと、</p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#ff0000;">毒親が思い描く<span style="font-weight:bold;">「いい子」「立派な大人」の像は、ものすごく具体的</span>なのです。</span></p><p>&nbsp;</p><p>親の言うこと（親の価値観）を理解する子、</p><p>&nbsp;</p><p>親に〇〇（親自身が子どもにしてほしいこと）してくれる優しい子、</p><p>&nbsp;</p><p>進学高校に受かった子、</p><p>&nbsp;</p><p>いい大学を出た人、</p><p>&nbsp;</p><p>いい会社に就職した人・・・など、</p><p>&nbsp;</p><p>挙げていけば、毒親の数だけ存在する具体的な「いい子」「立派な大人」の像。</p><p>&nbsp;</p><p>その具体的な像になること、なろうとする子が、毒親の言う「いい子」「立派な大人」なのです。</p><p>&nbsp;</p><p>その具体的な像というのは、基本的に<span style="text-decoration:underline;">毒親自身の志向・好みで、自分に都合よく思い描いたもの</span>です。</p><p>&nbsp;</p><p>そうなって欲しいというのだから、<font color="#ff0000">それ以外の子は、「いい子」や「立派な大人」とは言われなくなります。</font></p><p>&nbsp;</p><p>毒親の家庭で育つ子どもが、その家庭で「いい子」でいる為には、親の具体的な要求を読み取ってその要求に応え続ける以外に方法はありません。</p><p>&nbsp;</p><p>毒親の言う「いい子」「立派な大人」は、具体的。だから、<span style="font-weight:bold;">そこから外れるものは不正解</span>なわけです。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">親に認められたい普通の子ども</span>は自分の意思を差し置いて、親の顔色をうかがい、親の正解を探さなければならなくなります。</p><p>&nbsp;</p><p>こうして、「自分の意思＝親の意思」として生きなければならなくなるのです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>対して、健全な親は「いい子」「立派な大人」になって欲しいと同じように思っていても、<span style="color:#ff0000;"><span style="text-decoration:underline;">その具体例がありません。具体的な像を思い描く前に</span>、<span style="text-decoration:underline;">子どもの個性を理解し、その子考えを尊重します。</span></span></p><p>&nbsp;</p><p>「いい子」「立派な大人」の正解の具体例が存在しないので、子ども自身が考えること、選択することに不正解の例も存在しません。</p><p>&nbsp;</p><p>子どもが、親の価値観や志向を意識する必要もないので、自分で意思決定し、自分のことは自分で選ぶことができます。</p><p>&nbsp;</p><p>自分の個性を認めてもらえる環境のなかで育つ子どもは、</p><p>&nbsp;</p><p>結果として、自分を認めてくれた、尊重してくれた親に対して自然に感謝できる「いい子」になり、</p><p>&nbsp;</p><p>自分が得意とすること、自分の興味のあることに打ち込む、そんな環境で生きた結果として「立派な大人」になれるのです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>この違いを理解しない（できない）、認めない親こそが「毒親」というのですよね・・・</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://ameblo.jp/itsokaytobediff/entry-12683776900.html" rel="noopener noreferrer" target="_blank">毒親の特徴について －恩着せがましい編－</a></p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210718/18/itsokaytobediff/e2/a8/j/o0363033814973934064.jpg"><img alt="" height="338" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210718/18/itsokaytobediff/e2/a8/j/o0363033814973934064.jpg" width="363"></a></p><div class="ogpCard_root">&nbsp;</div><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/itsokaytobediff/entry-12685701140.html</link>
<pubDate>Sat, 10 Jul 2021 23:25:59 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>自己愛性パーソナリティ障害の人のターゲットにされないために</title>
<description>
<![CDATA[ <p>仕事や人間関係、何かうまくいかないことがあったときや、</p><p>&nbsp;</p><p>親や上司、パートナーに強く責められたり、否定されたり、見下されたりしたとき、</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;"><span style="color:#0080ba;">「自分がいけなかったのかな」</span></span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;"><span style="color:#0080ba;">「次はこんなことにならないようにもっと気をつけよう」</span></span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;"><span style="color:#0080ba;">「自分の我慢が足りなかった」</span></span></p><p>&nbsp;</p><p>などと、自分にばかり責任を求めてしまう人たちに、そう思ったときにもう一つ考えてみて欲しいことがあります。</p><p>&nbsp;</p><p>自らを省みるという姿勢、それをできること自体はとても素晴らしいことですが、</p><p>&nbsp;</p><p>誰かがあなたを強く責めてくるその問題、</p><p>&nbsp;</p><p>あなたが自分のことを反省して、<span style="font-weight:bold;">あなたが何かを努力することで、本当にその問題は解決するのでしょうか。</span></p><p>&nbsp;</p><p>責めてくるその相手が自己愛性パーソナリティ障害の人だった場合、そんな努力をしても問題は解決しません。</p><p>&nbsp;</p><p>解決しないどころか、否定されたり、見下されたりしたことを真に受けて、自信を失ったり、反省している姿を相手に見せることで、攻撃対象（ターゲット）に認定され、相手の攻撃はどんどん強まるだけです。</p><p>&nbsp;</p><p>自己愛性パーソナリティ障害の人は、ターゲットに選んだ相手に問題を見つけるのが大大大得意です。</p><p>&nbsp;</p><p>ふつうの人ならスルーするような些細なことでも、ターゲットを攻撃できるネタを見つけるとすぐに攻撃してきます。</p><p>&nbsp;</p><p>見つけたネタが他の誰かにもあてはまることであっても、ターゲットに選んだ人以外を攻撃することはありません。</p><p>&nbsp;</p><p>なぜなら、自分が指摘した<span style="font-weight:bold;">その</span><b><span style="font-weight:bold;">問</span>題を解決する気はないから</b>。</p><p>&nbsp;</p><p><b>ターゲットに選んだ相手を責めることが彼らの最大の目的です</b>。</p><p>&nbsp;</p><p>最大というか、<b>それ以外の目的はありません</b>。</p><p>&nbsp;</p><p>ネタを見つけては責める、貶める、の攻撃をすることが目的であって、解決したいわけではないので、<span style="color:#0000ff;">「そういうところがだめ」「お前が悪い」「いつも〇〇だな」</span>などと問題を取り上げるだけです。</p><p>&nbsp;</p><p><b>ではこの先どうすればいいかの解決策の話はありません。</b></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#ff0000;">あなたのためを思って、</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#ff0000;">あなたの成長の為に、</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#ff0000;">問題の解決や改善の為に、</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#ff0000;">こんなこと本当は言いたくない、</span></p><p>&nbsp;</p><p>などと、あらゆる枕詞で「まともな指摘」であるかのようにカモフラージュしてきたりしますが、</p><p>&nbsp;</p><p>本当にそう思っているわけではないので、責められた側が指摘されたことを改善しようと何かに取り組んでも、その相手の変化、状況の変化にも気付きません。</p><p>&nbsp;</p><p>本当に相手のことを思っている人、解決したいと思っている人はそもそも否定や指摘ばかりしませんし、そこに問題があるのなら一緒に向き合ってくれるはずです。</p><p>&nbsp;</p><p>そして改善に取り組んだことによって状況に変化が生まれればそれに気が付きます。</p><p>&nbsp;</p><p>それを喜びます。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">本当に自分のことを思ってくれている人からの必要な指摘なのか、</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">自己愛性パーソナリティ障害の人にターゲットにされているだけなのか、</span></p><p>&nbsp;</p><p>こういう意識を持って、無意味な「自らを省みる」をしたり、自信を奪われたりすることのないようにしたいですね。</p><p><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210718/18/itsokaytobediff/3d/35/j/o0556045214973934029.jpg"><img alt="" height="341" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210718/18/itsokaytobediff/3d/35/j/o0556045214973934029.jpg" width="420"></a></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/itsokaytobediff/entry-12684429791.html</link>
<pubDate>Sun, 04 Jul 2021 11:53:03 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>アドバイスをもらうときに注意しておきたいこと</title>
<description>
<![CDATA[ <p><span style="font-weight:bold;">「私はこれでうまくいったのに。なぜあなたはやらないの。」</span></p><p>&nbsp;</p><p>こういう成功体験の押し売りを受けたこと、ありませんか。</p><p>&nbsp;</p><p>成功体験の話は、話す側、聞く側の双方、‘うまくいった事例の一つ’と捉えているのなら問題ないのですが、中には「私のようにやればうまくいく」と、<span style="color:#000000;">なぜか自分がうまくいった方法が万人にとっての最善策であるかのようにそのやり方を押し付けてくる人もいます。</span></p><p>&nbsp;</p><p>自己肯定感が低い人は、こういう話を強く押し付けられると、「自分のやり方が間違っていたのではないか」といたずらに自分を責めてしまいがちです。</p><p>&nbsp;</p><p>誰かの成功体験の話を押し付けらるのではなく、‘貴重な経験談’として聞くために、</p><p>「人は人。自分は自分。」という意識を持つことはとても重要だと私は思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>まず、こういう人たちの成功体験の話、その人が取り組んだことのどの部分が、何に、どう作用したから、その「成功」という結果を生んだのか、明確に示されているでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>おそらく、成功体験を語るその本人ですらわかっていない話ではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>なぜ成功したのか、その人がしたことの何をどう真似ればいいのかを明確に示しているわけでもないのに、自分のやり方を押し付けるというのは無茶苦茶な話です。</p><p>&nbsp;</p><p>そもそも成功体験とは、ある出来事を経験した本人が、その経験のなかで「うまくいった」、「達成できた」という感覚を得たということです。</p><p>&nbsp;</p><p>何をもって「うまくいった」、「達成できた」としているのか、それもその人自身が評価したものに過ぎません。</p><p>&nbsp;</p><p>Aさんが「うまくいった」というその方法を、Bさんが真似をして同じことをしたとしても、同じ結果になるとは限らない。これは言うまでもありませんが、</p><p>&nbsp;</p><p>仮に同じことをしてAさんと同じ結果になったとしても、Aさんの「うまくいった」というその達成度合いを、同じくBさんも「成功」と評価して、Ａさんと同じ感覚を得るとも限らないということです。</p><p>&nbsp;&nbsp;</p><p>成功体験の話を押し付けてくる人たちは、自分自身が達成感とそれに対する喜びを強く感じたからこそ、誰かに自分のやり方を勧めたく（押し付けたく）なるのだろうと想像できますが、</p><p>&nbsp;</p><p>違う個性を持ち、違う経験をしながら生きてきた人は、その人とは違う価値観を持っています。</p><p>&nbsp;</p><p>価値観が違う人が選ぶ成功するための「方法」や、うまくいったとする「基準」は、他人のそれとピタリと重なることなどありません。</p><p>&nbsp;</p><p>だから、</p><p>&nbsp;</p><p>「わたしはこれでうまくいった。<u>だから、あなたも</u>そうしてみたら？」</p><p>&nbsp;</p><p>ではなく、</p><p>&nbsp;</p><p>「わたしの場合はこれでうまくいった<u>けど、あなたなら</u>・・・」</p><p>&nbsp;</p><p>が正解ですよね、</p><p>&nbsp;</p><p>他人の成功体験の話に惑わされず、<span style="color:#ff0000;">自分の個性の中で見出した方法で、自分自身の失敗体験や成功体験を積み重ねる</span>からこそ、それが自分の「経験」になるはずなのです。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210718/18/itsokaytobediff/91/8a/j/o0485044814973937475.jpg"><img alt="" height="388" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210718/18/itsokaytobediff/91/8a/j/o0485044814973937475.jpg" width="420"></a></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/itsokaytobediff/entry-12683980063.html</link>
<pubDate>Fri, 02 Jul 2021 00:23:49 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>毒親の特徴について　－恩着せがましい編－</title>
<description>
<![CDATA[ <p>&nbsp;いちいち恩着せがましい、</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">「〇〇してやった」　「誰のおかげで・・・」　</span>と感謝や見返りを求めてくる。</p><p>&nbsp;</p><p>毒親の代表的な特徴ですね。</p><p>&nbsp;</p><p>こういう人たちの話をするときにまず大前提として思うこと、</p><p>&nbsp;</p><p>それは、<span style="color:#ff0000;">他人は決して自分の思いどおりにはならない</span>ということです。</p><p>&nbsp;</p><p>私たち人間は自分自身のことですら、その外見も中身も自分の思い描くとおりになどできません。</p><p>&nbsp;</p><p>それなのに、他人の感情や行動が自分の期待どおりになるわけがないということです。</p><p>&nbsp;</p><p>「感謝される」とは、感謝される側がコントロールできることではなく、</p><p>&nbsp;</p><p>誰か（他人）のなかに「感謝する」という気持ちが生まれるということ。</p><p>&nbsp;</p><p>感謝をしろ、ありがたいと思わないのか、いったい誰のおかげで・・・</p><p>&nbsp;</p><p>こんな感情を相手にぶつけたところで、それによって相手のなかに’本当の感謝する気持ち’が生まれるはずがありませんよね。</p><p>&nbsp;</p><p>人は、誰かが<u>自分の為に</u>何かをしてくれたことには、それを喜びと感じて、自然に感謝の気持ちを持つはずなのです。</p><p>&nbsp;</p><p>感謝や見返りを求める人が、感謝されない理由は、</p><p>&nbsp;</p><p>感謝の気持ちや見返りを求めている時点で、相手にしてあげたことが、その人の為ではなく自分の為になっているからではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>・高い学費を払ってやった</p><p>（子供にいい学校に行って欲しいという親の欲）</p><p>&nbsp;</p><p>・食事をおごってやった</p><p>（相手より優位に立ち、おごられている側には意見をさせないという身勝手な意図）</p><p>&nbsp;</p><p>こういう子育ての苦労や、人に対する奉仕、カッコ内の意図はなく、本当に相手のためにしていることであれば、求めなくても相手から「ありがとう」の言葉を受け取れるはずですよね。</p><p>&nbsp;</p><p>感謝の気持ちを持つことを強要したうえで言われる「ありがとう」の言葉が、こういう人たちにとってどれほど嬉しいものなのか理解し難いところです。</p><p>&nbsp;</p><p>わたしは自然に生まれる感謝の気持ちで、本当の「ありがとう」を言いたいし、</p><p>言われたいですけどね。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210718/18/itsokaytobediff/7d/95/j/o1920133814973932751.jpg"><img alt="" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210718/18/itsokaytobediff/7d/95/j/o1920133814973932751.jpg" width="420"></a></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/itsokaytobediff/entry-12683776900.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Jul 2021 00:09:25 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>過去の出来事を引き合いに出す理由</title>
<description>
<![CDATA[ <p><strong>「過去は変えられない。そんな話をしてどうする。大切なのは今後どうするかだ。」</strong></p><p>&nbsp;</p><p>揉め事が起きて、‘’あの時も〇〇だった‘’と相手に過去の出来事を引き合いに出されたときに、こんなことを言う人がいます。</p><p>&nbsp;</p><p>そうですね、確かに過去は変えられませんね。</p><p>&nbsp;</p><p>過去の出来事を今さら消すことも不可能です。</p><p>&nbsp;</p><p>変えることができるのは、今後（未来）だけ。</p><p>&nbsp;</p><p>ただその今後を変えるためには、過去を振り返るという作業も必要だと思いませんか。</p><p>&nbsp;</p><p>問題が起きていたのにその認識がない、当然その問題が起きた理由も解らない、という人に今後また同じようなことが起こらないように努めることができるでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>過去の出来事を引き合いに出した側は、過去から解決されない問題をずっと抱えたままの状態なので、それを解消するために過去の話をしていることもあるのです。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ単に過去の出来事を引き合いに出して、<span style="text-decoration:underline;">相手を責める目的とは限りません</span>。</p><p>&nbsp;</p><p>両者が、</p><p><strong>　　　</strong>　①問題を認識して　　</p><p>　　　　　　　↓</p><p>　　　　②原因を分析して</p><p>　　　　　　　↓</p><p>　　　　③問題の再発を防ぐ（原因を取り除く）</p><p>&nbsp;</p><p>過去の話をしている側は、今後同じようなことが起こらないようしたいので、そのために①から③の作業を一緒に行なおうと働きかけているのです。</p><p>&nbsp;</p><p>ここで「過去は変えられないのだからそんな話はするな」と言われてしまうと、</p><p><span style="color:#ff007d;">自分が過去の話をした意図を理解してもらえなかったという気持ち</span>と</p><p><span style="color:#ff007d;">抱えたままの問題を解消できなかったという結果</span>が</p><p>また新たな問題となって自分のなかで積み重なってしまいます。</p><p>&nbsp;</p><p>そして過去の話をする側にとってのその話の目的は、積み重なってしまった問題が解消するまで変わることはありません。</p><p>&nbsp;</p><p>だからまた揉め事が起きたときには、どうしてもまた同じ話をしなければならなくなります。</p><p>&nbsp;</p><p>こういったことが繰り返されるなかで、「謝ったのだから、もういいだろう。」というような展開になるケースもありますが、謝罪される側（過去の話をしている側）は再発防止につながる話をしたいのです。</p><p>&nbsp;</p><p>相手に謝らせることが目的で過去の出来事を引き合いに出しているわけではないので、&nbsp;‘相手に謝罪されたこと’がゴール（解決）とは考えません。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#ffb973;"><span style="font-weight:bold;">「謝られても許せない」から同じ話を繰り返しているのではないのです。</span></span></p><p>&nbsp;</p><p>揉め事というのは、できれば双方にとって起こらないほうがいいことですよね。</p><p>&nbsp;</p><p>揉め事を繰り返して、もう揉めたくない（今後を変えたい）と思うときは双方、<span style="text-decoration:underline;">相手が話している事柄よりも、相手がなぜその話をしているのかという部分に目を向ける</span>という意識をもつと、話し合いの結果が変わってくるかも知れませんね。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210718/18/itsokaytobediff/1e/70/j/o0526049614973939165.jpg"><img alt="" height="396" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210718/18/itsokaytobediff/1e/70/j/o0526049614973939165.jpg" width="420"></a></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/itsokaytobediff/entry-12683568848.html</link>
<pubDate>Tue, 29 Jun 2021 23:20:37 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>モラハラ・精神的DV被害に遭って知った自分</title>
<description>
<![CDATA[ <p>私には数年前結婚を考えて交際していた彼がいました。</p><p>それは自己愛性パーソナリティ障害の男でした。</p><p>&nbsp;</p><p>暴言、無視、威圧的な態度、束縛といった典型的な精神的DVの被害に遭い、一度は自己愛性パーソナリティ障害の男に心をボロボロにされた私ですが、この被害に遭ったことがきっかけとなって、自分が「ふつうの大人」ではないことに気付き、いまこのブログを書くことができています。</p><p>&nbsp;</p><p>彼と付き合っていた当時、私のことをモノのように扱うモラハラ・DV加害者に対して、「本当は優しい人なのに、なぜか私はいつも彼を怒らせてしまう」とか私は本気で思っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>毎日毎日、彼の顔色をうかがって、</p><p>&nbsp;</p><p>毎日毎日、些細なことでキレる彼の機嫌を損ねないように、</p><p>&nbsp;</p><p>いつも自分の意思より、相手を優先。</p><p>&nbsp;</p><p>自分がどうであれ、彼がキレずにいる状態を「平和、幸せ」と自分に言い聞かせ、</p><p>&nbsp;</p><p>「彼の為の正解」を必死に探して生きる奴隷でした。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そんな心の底から幸せを感じられることなんかない関係だったにもかかわらず、私はそんな彼を選び、結婚まで考えていたのです。</p><p>&nbsp;</p><p>「ふつうの大人」なら、自分を苦しめる相手には距離を置くはずです。</p><p>&nbsp;</p><p>人は誰でも不快と感じる環境は避けたいものです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>当時の私はたぶん、</p><p>&nbsp;</p><p>’どんなつらい状況でも、どんな困難なことでも頑張る自分’　でいたかったのだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>‘つらいことを乗り越えればきっと幸せになれる’　</p><p>&nbsp;</p><p>言い換えれば、</p><p>&nbsp;</p><p>‘困難を乗り越えなければ幸せになれない’　です。</p><p>&nbsp;</p><p>こういう「条件付きの幸せ」が当時のわたしにとっての当たり前でした。</p><p>&nbsp;</p><p>まさに機能不全家族のなかで育ったアダルト・チルドレンです。</p><p>&nbsp;</p><p>わたしが今こうして当時の自分をふつうではないと語れるようになったのは、精神的にボロボロだった当時、自己愛性パーソナリティ障害の人からの被害に遭われた方や、その被害を克服した方々のブログをたくさん読んで勇気づけられ、更にそのなかで見つけた専門のカウンセラーとの出会いがあったからです。</p><p>&nbsp;</p><p>カウンセリング、、、大げさな、、、と、そんなものとは無縁の生活をしていたつもりだったので、最初はとても躊躇しましたし、初めてカウンセラーに相談のメールをしたときもドキドキしたのを覚えています。</p><p>&nbsp;</p><p>でもカウンセリングを受けたことで、自分で気づけなかったことに気付けたからこそ今の自分があるのです。</p><p>&nbsp;</p><p>「モラハラ」とか「自己愛性パーソナリティ障害」というワードを検索すると‘モラハラ彼氏（夫）の特徴’とか‘こんな男には要注意’といった言葉をたくさん目にします。</p><p>&nbsp;</p><p>知っておくことは重要ですが、それを知っているからといって自己愛性パーソナリティー障害の人というのは出会ったときはとても魅力的に見えるものです。</p><p>&nbsp;</p><p>本当にいい人なのか、自己愛性パーソナリティー障害の人なのか、見分けることは至難の業です。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ自己愛性パーソナリティ障害（加害者）側は違います。</p><p>出会ったときから自分の要求をすべて受け入れてくれる「俺専用の奴隷」になってくれそうな自己犠牲型の女性（アダルト・チルドレン）を、高性能な探知機を使って探り当てて近寄ってきます。</p><p>&nbsp;</p><p>彼らの探知機に見つかってしまえば、また同じ被害に遭ってしまいます。</p><p>&nbsp;</p><p>一度被害に遭った側は、次は彼らの探知機が反応しない人間に変わらなければいけないのです。</p><p>&nbsp;</p><p>自己愛性パーソナリティ障害の男に出会ってしまうこと、それは偶然なのではなく、</p><p>原因があるから彼らが近寄ってくるのです。</p><p>&nbsp;</p><p>その原因に気づけない限り、同じ問題は繰り返される可能性が高いと私は自分の経験から知ることができました。</p><p>&nbsp;</p><p>今、自己愛性パーソナリティ障害の人からの被害に遭われている方、</p><p>被害のあとの心の傷に苦しんでいる方、</p><p>&nbsp;</p><p>一刻も早くその状況から抜け出して、</p><p>そしてそれを繰り返さない為に、</p><p>&nbsp;</p><p>ひとりでも多くの方に、そこにある原因に気づいて欲しいと願います。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210718/18/itsokaytobediff/a2/17/j/o1920127114973934121.jpg"><img alt="" height="278" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210718/18/itsokaytobediff/a2/17/j/o1920127114973934121.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/itsokaytobediff/entry-12683565143.html</link>
<pubDate>Tue, 29 Jun 2021 23:00:47 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
