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<title>津久井日記</title>
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<description>夫の定年退職を機に津久井に転居し、子供たちは独立、夫婦二人の新しい暮らしが始まった。通勤は少し大変だが、刻々と表情を変える山々、鳥の声、気持ちよい空気に囲まれた里山暮らし。自分のやりたいこと、老いても続けられる自分なりの仕事とは何かと考え続ける日々。</description>
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<title>突然のプチ介護生活</title>
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<![CDATA[ <p>　昨年の震災を契機に、80代の夫の両親を自宅に迎えた。いつかはそんな日が来るとは思っていたが、頑固な人たちのこと、夫婦そろっているうちの同居はまずないだろうと考えていた。 </p><p>　一緒に住んでみると、今までどうやって暮らしていたのだろう？と思うような状況。三食を配膳まですべて済ませて、「ご飯ですよ」と出してあげる生活。家から出るのは月に一度程度の通院のときだけ。雑誌でも買ってきましょうか？と尋ねても、「疲れるからいらない」という返事。どうも食べることだけが楽しみなので、三食のほかにおやつの心配もしなければならない。私たちが夫婦で外出するときには、弁当を買っておくなり、食事の心配をしてから出かけなければならない。 </p><p>　日曜の朝は、老夫婦の寝室（居室）の掃除とシーツ交換をする。入浴は義父は介助なしではできないので、週に一度夫が手伝って入浴する。我が家に来るまでは2年くらい入浴してなかったそうだ。 </p><p>　退屈でないのだろうか？とかもったいないなー、何かやればいいのに、と思うが、とりあえず私は必要な家事を提供しているだけだ。 実は脳トレドリルなんかどうだろう？とか好きだった手芸をやってみては？と思ったこともあったが、老人特有の頑固さと、義父母特有の自尊心が混交しているものだから、不肖の嫁などは口を出す余地がない。 </p><p>　同居することになったとき、それまではどちらかというと、当たらず触らずの付き合いだったのだが、家族としてやっていこう、温かい関係を築きたい、と夢見たものだったが、その夢は完全に潰えてしまった。たとえば義父母がお皿を割ってしまったとき、別にそれは大したことではないのに、何も言わずにベッドの下などに割れたお皿を隠してしまう。そんなこんなでどうしても越えられない壁を感じている。 </p><p>　老後はやがて自分にもやってくる。そのとき、若い世代に迷惑をかけないよう、今の自分の気持ちを記憶しておこうと思うのだが、そんなことも忘れてしまうものなのかもしれない。 </p><p>とりあえずは、フランクな関係を息子夫婦、娘夫婦を築いていきたいと思う。</p>
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<pubDate>Fri, 27 Jul 2012 12:30:25 +0900</pubDate>
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<title>辻原登の「許されざる者」</title>
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<![CDATA[ <p>　小説を読む楽しみは、自分もその作品世界の中を生きているように感じ、自分の生活が重層的に感じられることではないかと思う。この小説はその楽しみを大いに味わえる作品だった。</p><p>　ただ結末が何かあっけないような、えっ、それだけ？みたいな感じだった。作者はもしかすると男女の情愛に関して青年のようにロマンチックな、うぶな感覚を持った人なのかもしれない。あのような経緯で結ばれたドクトル槇と永野夫人が、単純に幸福な結婚生活が送れるとは私には思えない。永野中佐が姦通した妻に「すべてを許す」という心境に至る経緯などは描かれていなかったが、私はそちらのほうに興味があった。単に妻が献身的に看病してくれたから、ではないだろう。</p><p>　それと巻末に参考文献一覧があるものと思っていたので、ないことが意外だった。森鴎外など実名で出てきた人の何らかの記録が一部ヒントになっているのではないかと推察している。</p><p>　いずれにしても、すごい大河小説だ。多くの人物がその時々で語り手となり、固定的な視点人物はいない。最初は千春がヒロインかと思ったが、そんなことはなかった。その時代を生きたさまざまな人物を描く群像劇なのだろうが、ドクトル槇を永野夫人があまりに理想的に、そして警察署長とかがあまりに情けない人物に造形されているようにも感じた。作品世界を大いに楽しませてもらった後でこんなことを言うのもなんだけれども。つまりドロドロした事を描いても、いっこうにドロドロしていないのが、作者自身の魂の清潔さなのかな～と思う。</p><p>　ちなみに私は図書館で予約をして数ヶ月待ってこの本を手にしました。毎日新聞を購読しているのですが、新聞連載中は読んでませんでした。</p><dl><dt><a href="http://www.amazon.co.jp/%E8%A8%B1%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%96%E3%82%8B%E8%80%85-%E4%B8%8A-%E8%BE%BB%E5%8E%9F-%E7%99%BB/dp/4620107352%3FSubscriptionId%3D175BC0N2BCT0X4DAZG82%26tag%3Damebablog-a522283-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4620107352" target="alt0='AmebaAffiliate' alt1='許されざる者 上/辻原 登' alt2='Amazon.co.jp' alt3='http://ecx.images-amazon.com/images/I/51TW2yL71LL._SL160_.jpg' alt4='1'">許されざる者 上/辻原 登<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51TW2yL71LL._SL160_.jpg" border="0"></a></dt><dd style="MARGIN: 0px">￥1,785</dd><dd style="MARGIN: 0px">Amazon.co.jp</dd></dl><br><dl><dt><a href="http://www.amazon.co.jp/%E8%A8%B1%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%96%E3%82%8B%E8%80%85-%E4%B8%8B-%E8%BE%BB%E5%8E%9F-%E7%99%BB/dp/4620107360%3FSubscriptionId%3D175BC0N2BCT0X4DAZG82%26tag%3Damebablog-a522283-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4620107360" target="alt0='AmebaAffiliate' alt1='許されざる者 下/辻原 登' alt2='Amazon.co.jp' alt3='http://ecx.images-amazon.com/images/I/51iEILjTA5L._SL160_.jpg' alt4='1'">許されざる者 下/辻原 登<br></a></dt><dd style="MARGIN: 0px">￥1,785</dd><dd style="MARGIN: 0px">Amazon.co.jp</dd></dl><img height="160" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51iEILjTA5L._SL160_.jpg" width="110" border="0"><br>
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<link>https://ameblo.jp/itsumokokoroni/entry-10512400921.html</link>
<pubDate>Mon, 19 Apr 2010 12:23:58 +0900</pubDate>
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<title>大江健三郎の「水死」</title>
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<![CDATA[ <dl><dt><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=9472960" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">水死 (100周年書き下ろし)/大江 健三郎<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F41y2OA9wB4L._SL160_.jpg" border="0"></a></dt><dd style="MARGIN: 0px">￥2,100</dd><dd style="MARGIN: 0px">Amazon.co.jp</dd></dl><p><br>　各種書評では、大江作品の集大成という見方、大作家も耄碌したか？という見方の賛否両論あったようだ。大江作品はそんなに沢山は読んでいないのだが、この作家の生きることに対する真面目な姿勢にはいつも敬意を感じてきた。数十年後には、彼と同時代に生きたことを誇りに思うだろうという確かな予感がしている。　何かで彼が言っていた「この世の中を自分なりのやり方で丸ごとつかみたい」という希望、それは私自身がいつも心の中でもやもやと思っていたことをピタリと言い当ててくれている、と感じた。勿論全然彼とはレベルが違うのだけれども。</p><p>　さてこの作品は久しぶりに読んだ大江作品だった（前作の「臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」は読んでいない）。まず長年大江を読み続けていた読者だったら、もっとよく理解できたろうに、、、という気がした。次に、ここまで本当のことを書いていいんだろうか？と感じた。家族はさぞしんどいことだろう。この作中に、夫人がある時点で夫の作品を読むのをやめたと書いてあったが、むべなるかな、と思った。そして、読むうちにひどく憂鬱な気分にとらわれた。作者のうつ病？が伝染したんだろうか？それでもなぜか読むことをやめる気にはなれない。惹きつけられて最後まで読んだ。そしてあっという結末。これはフィクションだと直感させられる出来事が描かれていた。</p><p>　いつもこの人は生きるために書いている。よりよく生きるために書いている人だ。そのためだけに書いて、しかもそれが海外の読者にも受け入れられるというのは本当にすごい。単に文学的教養に裏打ちされた、とか、言葉の感覚の鋭敏さなどと言っても足りない何かがあるのだろう。もっとこの作家の本を読もうと思った。もっとよい読者になるために。</p>
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<link>https://ameblo.jp/itsumokokoroni/entry-10508200048.html</link>
<pubDate>Wed, 14 Apr 2010 12:45:56 +0900</pubDate>
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<title>官僚たちの夏</title>
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<![CDATA[ <a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=6675337" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">官僚たちの夏 (新潮文庫)/城山 三郎<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F61B7Z9TFPEL._SL160_.jpg" border="0" width="109"></a><br>￥580<br>Amazon.co.jp<br><br>ふだんドラマをあまり見ないのだが、最近このドラマを楽しみにしている。<br>安定を求めて東大に入り官僚になり、天下りして生涯甘い汁を吸う、というイメージがあったが、<br>官僚たちがこんなに天下国家のことを案じ、全力で仕事した時代があったんだーという驚き。<br>私が生後間もない高度成長時代のことだ。<br>それで原作本を手に取ることになった。<br><br>人物造形がけっこう原作とドラマでは違っていると感じた。<br>ドラマのほうは風越をヒーローとしてやや理想化してあり、原作にある破天荒な骨太さが薄められているように感じた。<br>また、片山という登場人物の個性が、原作では風越との対比の中で結構重要であると思うのだが、<br>ドラマでは単なる嫌味なヤツになっていた気がする。<br>風越は旧来の猪突猛進型、片山はスマートな現代派だが、国のために働く点では同じで、働き方が違うだけだ。その点がドラマではわかりやすく保身、出世にまい進する嫌味な男に類型化されている感じだった。<br><br>原作では、小規模経営者である父の苦労を見て育った庭野（風越の腹心）が、自分は「多くの父親たちの不安やおびえをとりのぞくために働く」というくだり、そのために官僚として奔走し、父の死に目にも会えない、という場面で涙が出そうになった。<br>自分の栄達のためでなく、社会のために働こうとして官僚になった多くの有能な人々、それらに支えられて<br>日本は驚異の復興を遂げたのだろうが、今の日本はどうだろう？？<br>こういう時代にこの作品をドラマ化する、というのも深くうなずける。<br><br>それと権力を握るのは、自己満足や金のためではなく、自分のやりたい仕事をするためだ、という<br>当時の官僚たちの発想、なるほどなーと思わされた。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/itsumokokoroni/entry-10319231744.html</link>
<pubDate>Wed, 12 Aug 2009 12:28:33 +0900</pubDate>
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<title>なぜ読む？</title>
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<![CDATA[ <p>本を読むのは勿論一番は面白いからだろう。</p><br><p>そして私の場合は、そのほかに、自分の人生に何かを付け加えてくれる、自分自身を拡げてくれるものだから、と</p><p>答えたい。</p><p>その本を読んだことで、読む前とは自分自身のものの感じ方が変わるとか、考え方が変わる、という本を読みたい。逆に言うと、単に暇つぶしのような本は読みたくない。よほど疲れているときは別にしても。</p><br><p>長編小説を読んでいる期間に、朝まだ寝床の中で寝ぼけている時など、本の世界と自分の日常と、どちらが自分にとっての現実だったか一瞬判然としなくなることがある。そういうときは、小説世界をも自分は生き、仮想体験しているわけで、それは読書の醍醐味の一つだろうと思う。自分の人生が重層的になる気がする。</p><p>これまでそういう体験をさせてくれた本は、住井すゑの「橋のない川」、加賀乙彦の「永遠の都」、トルストイの「戦争と平和」、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」等だった。</p><br><p>さらに、言葉自体を味わう楽しみというのがある。よく速読のためには心の中で音読してはいけないと言うけれど、</p><p>どうも私は心の中で音読しながら読んでしまう。だから言葉を読む楽しさのある文章でないと、読みたくない。</p><p>言葉への感性、配慮がある文章、一言でいえば味わいのある文章だ。例えば赤川次郎や宮部みゆきの本は</p><p>確かにストーリーが面白いけれども、この「言葉を読む楽しみ」は与えてくれないように私は思う。</p><br><p>味わいのある文章を楽しみながら、自分が耕されていくような本、それを読んでいくことが人生の大きな楽しみの一つだ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/itsumokokoroni/entry-10313837848.html</link>
<pubDate>Tue, 04 Aug 2009 12:42:55 +0900</pubDate>
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<title>成長した子供たちとのほどよい距離</title>
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<![CDATA[ <p>最近まで会社員の息子と大学院生の娘、そして私たち夫婦の4人家族だった。</p><p>自分でもほっとけばよいのにと思う場面も多々ありながら、これまでの惰性でなのか、</p><p>世話を焼きたいという母親根性なのか、つい面倒をみてしまう。</p><p>その割には感謝などはされず、返事もろくろくしないことさえある。</p><p>子供というのはある程度の年齢に到達したら、独立させるのが一番なんだろうな～と思いつつ、</p><p>双方お金のかかることゆえ、現状に甘んじていた。</p><p>息子が毎月家に入れてくれるお金も合わせて、かろうじて家計を維持していたのだから。</p><br><p>そんな私たちが夫の定年を機に田舎での夫婦二人暮らしを決意したとき、息子は予想外に悲壮な反応を示した。</p><p>「なんで事前に相談がないわけ？これまでの2倍の金額を家に入れるから、このままの</p><p>暮らしを続けられないの？」</p><p>一人暮らしがしたいとぼやいていたはずの息子だが、彼が口にした「一家離散」という単語は私の胸に迫った。</p><p>確かに、たまに4人で食卓を囲む時間が、私にとっては一番大事な時間だった。</p><br><p>それでも定年後にこれまでの家賃を払い続けることは無理で、やむを得ない選択だった。</p><p>息子も娘も、たまに来ようと思えば来られる距離、というのが救いだった。</p><br><p>新しい生活が始まって数ヶ月、たまに会う子供たちに成長を感じて、私たちは老夫婦のように目を細める。</p><p>子供の側はかつてのように親の愛情に甘えながらもそれに苛立つということがなく、</p><p>親の側は子供の無愛想、無頓着に傷つくということもない。</p><p>動物の親子のように、人間の親子も、ある程度成長したならば独立することが自然の理に</p><p>かなっているのかもしれないと思う。</p>
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<pubDate>Mon, 03 Aug 2009 12:19:02 +0900</pubDate>
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<title>朝の楽しみ</title>
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<![CDATA[ <p>朝の出勤時、夫の運転で山を下りながら眺める景色が、朝の一番の楽しみだ。</p><p>雨上がりの空気は澄んでいて、山々の緑、とは言ってもそれぞれに異なる色彩が鮮やかだ。</p><p>雨の日は雨の日で、山のところどころに霧のような靄のような雲がかかっていて、何か浮世離れした雰囲気を</p><p>醸し出している。</p><p>そして津久井湖の深緑。</p><p>周辺に立ち並ぶ建物の集合は、昔ながらの「町」のイメージにぴったりくる。</p><br><p>視界が開けて、土地の起伏があることが、なんともいえず気持ちがいい。</p><p>もっと都会に住んでいたときには、週末になると「広々としたところに行きたい」とか「山を眺めたい」と</p><p>思ったものだった。夫も「以前は出かけたがりだった自分が全然そうじゃなくなった」と言っている。</p><br><p>そういう土地柄は人の気持ちのありようにも影響するのだろう。</p><p>都会暮らしではなんとなく近隣の人々に対して、自分の生活を脅かされるのではないか？という</p><p>被害妄想が皆にある気がする。</p><p>そして一方では、他人に迷惑をかけてしまうのではないか？という心配がいつもあって、</p><p>互いに緊張を強いられていた。</p><p>津久井に住むようになって、そういう緊張からいつの間にか解放されていることに気づいた。</p><p>それに通りを歩いていて、すれ違う人に投げられる視線が全く警戒的でない。</p><br><p>引越しの日に近所のお宅に挨拶した際に「皆仲間ですから」という言葉をかけられて、</p><p>少しびっくりすると同時に感激したものだった。</p><p>確かにこの景観を愛するという点で、ここの住人はみな仲間かもしれない。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/itsumokokoroni/entry-10311057631.html</link>
<pubDate>Fri, 31 Jul 2009 12:31:23 +0900</pubDate>
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<title>慣れるを戒める</title>
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<![CDATA[ <p>夫の定年退職を機に生活が大きく変った。</p><p>遅い家族の帰宅を待ちながら、夕飯の支度をしたり趣味の語学をやったりする生活から、</p><p>夫が夕飯の下ごしらえをして私の帰宅を待っていてくれる生活に。</p><br><p>住まいも隣家と軒を接する窮屈な街住まいから、家の中も外も広々とした郊外の暮らしに。</p><p>そして日々、違う表情を見せる山々に感激する日々。</p><br><p>定年後になんの準備もなかった私たちに訪れた、偶然の僥倖のような暮らし。</p><p>それを毎日夫と「よかったね、ほんとラッキーだったね」と言い合いつつ生活しているのだが、</p><p>そんな生活にも「馴れ合い」の停滞した気分は押し寄せてくるものらしい。</p><br><p>ご飯を出してもらうことが当たり前になったり、広々とした空間を楽しむことが当たり前に</p><p>なったりしないように、と自分を戒める。</p><p>たまには一人の時間が持ちたいと贅沢を言わないようにと自分を戒める。</p><p>夫が失業中だとか、老後の蓄えがないとか気を揉むよりも、今の暮らしを「有り難く頂く」</p><p>姿勢を忘れないようにと自分を戒める。</p><br><p>そうしてその上で、自分自身の精神生活を、ポジティヴに育ててていきたいのだ。</p><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/itsumokokoroni/entry-10310367168.html</link>
<pubDate>Thu, 30 Jul 2009 12:35:40 +0900</pubDate>
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<title>17年間共に暮らした犬をおくる</title>
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<![CDATA[ <p>　息子が７歳、娘が５歳のときに、生後１ヶ月で我が家にもらわれてきたゴンはいつも家族の輪の中にいた。</p><p>２０才くらいまで生きてくれるのではないかと思っていたのだが、今年の３月頃から急に衰えを見せ始めた。</p><p>まず、後ろ足に力が入らない様子で、足をひきづるようになった。それでも元気に散歩に行きたがるし、</p><p>お出かけにはついてこようとする。食欲もある。後ろ足は前足につられて動いているみたいだった。</p><p>　次には、家の中でよくおもらしをするようになった。朝と晩の散歩のときにまとめて排泄する、ということが</p><p>難しくなったのだ。それを私たちが理解するのに、少し時間がかかった。夫は「年取って気ままになったんだ。</p><p>お前がなめられてるのだから、少し厳しく怒らないと」などと言っていた。</p><p>　そうこうしてるうちに、こちらもゴンの状況をようやく理解してオムツを買ってきた。最初は夜だけだったのが、</p><p>やがて常にオムツをするようになり、交換する回数も多くなっていった。</p><p>　そして朝まで眠る、ということも難しくなってきて、まだ暗いうちに必ず１－２回起こされるようになった。</p><p>私のベッドの足元で寝ているのだが、明け方に何かそわそわして動き回るのだ。これが話にはきく</p><p>老犬介護の生活なのかな？と思いつつ、それでもこんな生活があと１－２年は続くと思っていた。</p><p>　それが先々週の中ごろ、急に食欲がなくなってしまったのだ。</p><p>　でもゴンには生きる意欲の減退は全くなく、よろけながらも台所をのぞきに来たりする。</p><p>　なんとかもう一度元気になってもらいたいと、獣医さんに往診してもらい栄養剤や強心剤を注射した。</p><p>それも連日になると経済的な負担も馬鹿にならない。獣医さんから注射器で栄養剤を経口摂取させる</p><p>方法を教わったりした。</p><p>　　いったんは食欲が戻りかけたけれども、徐々に、ゴンの命が時間の問題だということが感じられてきた。</p><p>もう一度起き上がることができなくても、とにかく生きていてほしい、と家族全員が願っていた。</p><p>信頼と愛情と快活さを湛えたゴンの眼差しは、いつも家族一人一人を励ましていたと思う。</p><p>　亡くなる前の晩は、時々悲しそうな声を一声出して呼ぶので、そのたびに側に行って、体をトントンとして</p><p>やると落ち着く、ということを繰り返した。朝まで持たないのでは？と心配したけれど、朝が来てみれば、</p><p>少し落ち着いたようだった。</p><p>　午後になると、ときどき大きな声を出して体をよじるので、頭を抱いてやって、やはり体をトントンしてやると</p><p>少し落ち着く、という繰り返しだった。呼吸も荒い。夕方早めの帰宅をした夫にゴンを託して、私は</p><p>夕食の支度を始めた。台所が一段落してゴンの様子を見に行くと、夫が「ずっと撫でてやっていて、</p><p>今やっと落ち着いたところだ」と言う。でも私はひと目見て、異状を感じた。</p><p>　「ゴン息してないんじゃないの？」</p><p>　結局もう息を引き取った後だった。苦しい呼吸をしながら夫に優しく撫でられ、夫に鼻先を寄せてきたり、</p><p>足を伸ばしてきたりしたので、少し元気が出たのかな？と夫は思ったそうだ。やがて呼吸も落ち着いたので</p><p>ほっとしていたと言う。落ち着いたのではなく、そのとき呼吸が止まってしまったものらしい。</p><p>　最期のときに私も撫でていてやりたかった！これまで３人目の子供のように思って暮らしてきたのだから。</p><p>けれども一人で死んだのではないことがせめてもの救いだ。夫をボスと思っていただろうから、犬としては</p><p>幸せな死であったかもしれない。</p><p>　夏に車で帰省したのが老犬には無理だったのでは？とか、獣医さんに診せたことで、自然な衰弱死を</p><p>遅らせたのは私たちのエゴで、ゴンにはかえって苦痛を与えたのではないか？とか心の中であれこれ悔やんでみる。</p><p>そしてゴンのいつも居た場所のどうしようもない空虚さ。</p><p>　でも本当の寂しさはこれからだと思う。</p><p>　１７年間本当にありがとう。</p><p>　私の生活を本当に照らしてくれたお前の存在。。。　</p>
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<link>https://ameblo.jp/itsumokokoroni/entry-10016575077.html</link>
<pubDate>Sun, 03 Sep 2006 10:04:36 +0900</pubDate>
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<title>雨が長続きするでしょう？</title>
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<![CDATA[ <p>先週は台風到来だった。</p><p>天気予報がテレビで繰り返し放送されたけれども、その中ですごく気になる表現があった。</p><p>「雨が長続きするでしょう」</p><p>？？？</p><p>この表現に強い違和感を感じるを私だけ？</p><p>｢雨が長びくでしょう」が正しい表現なのでは？</p><br><p>｢長続き」は、本来長く続いてほしいものが、</p><p>続かない時に、｢長続きしない」というフレーズで使う言葉じゃないだろうか？</p><p>文字通りの意味のほかに、その言葉が背負っている微妙なニュアンスの伝承が、</p><p>どこかで途切れてしまっているような気がする。</p><br><p>言葉は洪水のように溢れているけれど、本当に自分の心を盛っている言葉、</p><p>そうしてそれをなるべく正確に人に発信できる言葉は、一体どれくらいあるだろう？</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/itsumokokoroni/entry-10003860552.html</link>
<pubDate>Mon, 29 Aug 2005 21:16:02 +0900</pubDate>
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