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<title>農業の新たな価値を創造する筑紫のブログ</title>
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<description>哲学的思考を目指します。</description>
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<title>方言、読み方</title>
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<![CDATA[ <p>先日、某テレビ局から電話で、ある地域では生産されているが、あまり全国的に作られていないカンキツの読み方のイントネーションを聞かれました。(具体的には、上げて読むのか、どこにアクセントがあるのか、といった趣旨だったと思う)。</p><p>&nbsp;私は「それは、その地域で作っている地域で聞いた方が良いのでは」と答えました。</p><p>すると「地方の訛りがあるので、関東の呼び方でどういうか」を聞かれました。そもそも関東であまり馴染みがない呼び方を聞いてどうするのか、と思いましたがとりあえず「わからない」と答えて終わりました。</p><p>&nbsp;</p><p>それ思い出した例がいくつか。</p><p>静岡県の新幹線の駅に「掛川」がありますが、掛川市民はかけがわ⤵️と呼びますが、新幹線のアナウンスはかけがわ➡️と言っているので、どうしたもんか、と常日ごろ思っています。</p><p>また、長野県の人は自分の県を「ながのけん→→」と呼びますが、他県の人は「長野県⤴️⤵️」と言います(わたしもこちらです)。すると住んでいる人の言ってる方に合わせた方が良いのでは？と思ってしまいます。</p><p>&nbsp;</p><p>本人たちはB’z⤵️といっているが、まわりはB’z➡️といっている。</p><p>英語読みはLINE⤵️なのに、楽だからLINE➡️になっている。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Thu, 07 Feb 2019 10:28:59 +0900</pubDate>
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<title>農家の課題を哲学する。</title>
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<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20190127/23/ittetsu5/3f/4a/j/o2048153614346236919.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190127/23/ittetsu5/3f/4a/j/o2048153614346236919.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>今年から新しくコーナーをいただき執筆させていただきます。</p><p>ここでは、老若男女問わず、生産者が日々抱えている課題、悩みをこれまで生きてきた世界の賢人がどのような見解を示すか、著者が勝手に想像して書かせていただく誠に自由なコーナーです。</p><p>古代から人間の思想はあまり変わっていないようで、エジプトの遺跡には「最近の若いもんは～」と書いてあるとかないとか、、。</p><p>私も日本の人口構成からみるとまだまだ若輩者ですが、皆さまが気分転換できる時間を少しでもつくれるよう心がけていきたいと考えています。</p><p>さて、人間の悩みは、乱暴な言い方ですが、「健康、お金、人間関係」のどこかに集約されるのではないでしょうか。そこで毎月ひとつずつテーマを取り上げていきたいと思います。早速ですが今月のテーマは若年層、新規就農者、青年農業者が抱える悩み</p><p>「自分のやりたいことを親(または生産法人の上司)が理解してくれない。たびたび親と対立する。」です。</p><p>&nbsp;</p><p>具体例をあげますと、「自分は有機農法や草生栽培を目指していて、下草を生やしているが父や祖父がみっともないといって除草してしまう」とか「もう少し経営を見直したいので、施肥も一発肥料にしたいのだが、ちゃんと通年で施肥しないと駄目だと聞いてもらえず、、あえなく断念」とか。結構小さなことから色々あると思いますが。論理的に責めるなら、種々のデータを見せるのも手ですが、生理的に受け付けない事項も多々あるようですね。</p><p>&nbsp;</p><p>ちなみに、ここでは技術的な解決を模索するわけではないので悪しからず(笑)。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;親がいなかったら自分が存在しないわけで、その辺は間違いなく感謝するとこなんですが、「あんたなんか産むんじゃなかった！」「産んでなんて頼んでない！」といった親子喧嘩が何十年も繰り広げられている世の中ですから、やはり親子の数だけいざこざがあり、まして経営をともにする家族となれば尚更です。</p><p>そこで参考にしたい一人が汎神論で有名なスピノザ、もう一人がブッダです。</p><p>&nbsp;</p><p>スピノザは「人を恨んだりするのは 、自分を含めた人間が自由意志 を持っていると考えてしまうから」と言っています。自由意志は、自分や他人、世界を自分の力で変えられるという意思と言ったら良いでしょうか。しかし本当はそんなものは持ち合わせておらず、他人どころか自分さえも自由に変えることはできないのです。目の前にいる人を出生からずっと観察してきたのなら別ですが、その人の生い立ちは、自分とはほぼ関係なく確立されています。その人の性格は自分の力では変えられませんし、何なら自分の心臓だって自分で止めることはできません。変えることができないと分かるとその状況が楽になりますし、相手を理解することに注力することもできるかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>また、『ブッダの真理のことば（ダンマパダ）』の中には、以下のことが書いてあります。</p><p>&nbsp;</p><p>「他人の過失を見てはならない。他人のしたこととしなかったことを見てはならない。ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ。」</p><p>&nbsp;</p><p>先程スピノザの項でも述べましたが、よく言う「過去と他人は変えられない、自分と未来は変えられる」というものと近いかもしれません。自分が生きた半生と親の生きた半生、それぞれの時代で考え、見えているもの、善悪の判断、信念、勘違い、が少しずつ違います。まずは少し前の時代がどんな時代だったのかを知ることが大事でしょう。相手の間違いを指摘するのが正義ではなく、目的に近づくために自分は何をすべきなのかを塾考する。人との対立では、ついつい相手の意見を打ち負かすことだけに気持ちが入ってしまいますが、そんなことをしても両者とも損をするだけですね。人生の中で、欠点を指摘した相手が「まあ、それは気づかなかった！あなたが完全に正しい。間違いを指摘してくれてありがとう！」と本気で感謝してくれたことがあるでしょうか？</p><p>&nbsp;</p><p>相手に腹がたつのは相手のことを期待しているから。。自分の言動にフォーカスしてそれが正しいかどうか、もっとより良い言葉、方法、行動がないかを検討する。これが意見の違う相手のことで頭がいっぱいにならずにやり切れる方法の一つ一つとして考えてみてはいかがでしょうか。</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sun, 27 Jan 2019 23:14:01 +0900</pubDate>
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<title>音符のような</title>
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<![CDATA[ <p><img alt="爆　　笑" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/001.png" width="24"></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p></p><p>&nbsp;</p><p>このミカンは五線譜のlなかの音符のような並び方です。</p><p>&nbsp;</p><p>ミカンの花は、葉と花が一緒についてる「有葉花(ゆうようか)」と</p><p>&nbsp;</p><p>葉のついていない「直花(じかばな)」に分かれます。これは有葉花が身になったもので、</p><p>&nbsp;</p><p>けっこうでかくなるんですね。</p><p>&nbsp;</p><p>これには枝の配置が影響しています。</p><p>&nbsp;</p><p>主枝の角度を寝かせると、樹勢が弱くなって花がつきやすく、その反面弱い花が多くできます。</p><p>&nbsp;</p><p>枝を立たせると花がつきにくくなります。この枝はその中間の角度ですね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20190127/23/ittetsu5/b3/bf/j/o2048153614346239563.jpg@@2048@1536" target="_blank">https://stat.ameba.jp/user_images/20190127</a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/ittetsu5/entry-12434763197.html</link>
<pubDate>Tue, 22 Jan 2019 16:58:08 +0900</pubDate>
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<title>妻からのバレンタイン</title>
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<![CDATA[ もらいました。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180214/22/ittetsu5/a3/82/j/o3264184014131738210.jpg"><img width="400" border="0" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180214/22/ittetsu5/a3/82/j/o3264184014131738210.jpg"></a><br>
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<pubDate>Wed, 14 Feb 2018 22:00:55 +0900</pubDate>
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<title>ばあば</title>
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<![CDATA[ 私の義母は苦労の人生を楽しく歩んできました。今でも私とは共通の痛みを分かち合っており、帰ってきてバアバの疲れ切った表情を見ると胸が痛みますが、元気に暮らしております。<br>子供が生まれてすぐ、妻が精神混乱状態に陥った時、こどもを見てくれていたのはばあばでした。妻の体調が優れない日がときどきある私たちにとって、ばあば抜きには私たち家族はここまで無事これなかったことでしょう。<br>私は妻をかばうことに精一杯で、ばあばの心情を理解せず、時に冷たくあたってしまったこともありました。本当はかけたい言葉がたくさんありました。<br>そんな私たち(妻、息子)ですが、ばあばと離れて、すぐ近くの新居で新しい生活が始まります。妻にとっては真の自立の時期がきたのではないでしょうか。それでもまだまだ未熟な私たちにとってばあばの支えは何ものにも代え難いものです。<br><br>お陰で息子はすくすくと成長しております。もちろん妻のがんばりもあって。<br>日々、大変多くの人たちに支えられて生きていられることに感謝します。
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<pubDate>Fri, 25 Dec 2015 21:27:04 +0900</pubDate>
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<title>この愛</title>
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<![CDATA[ 最近は子育ての時間を優先しているため、音楽創作の時間は一息ついています。<br><br>まえにバンドで作った音源をアップしています。<br><br>これは過去に傷を負った彼女とともに歩いていこうとするある人の気持ちです。<br><br>https://m.youtube.com/watch?v=z18V0VxOVnA<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ittetsu5/entry-12083126156.html</link>
<pubDate>Sun, 11 Oct 2015 21:38:59 +0900</pubDate>
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<title>戦後を支えた祖父</title>
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<![CDATA[ 今、祖父は介護施設にいます。<br><br>８９歳<br><br>私ははじめて介護施設にいきました。<br><br>職員さんの親切さに感心しました。<br><br>地元を離れてくらす私。<br><br>申し訳ない気持ちもありますが、<br><br>離れた場所で私たちが　どのように支えるか<br><br>戦後の豊かさは、彼らとともにありました。平和を享受できる<br><br>喜びは、彼らが支えてくれました。<br><br>未来に悲観せず、私たちが支えます。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150922/21/ittetsu5/c9/24/j/o0640048013432579492.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150922/21/ittetsu5/c9/24/j/t02200165_0640048013432579492.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br>
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<pubDate>Tue, 22 Sep 2015 21:52:15 +0900</pubDate>
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<title>村上龍を初体験</title>
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<![CDATA[ 最近、3歳の息子とよく図書館に行きます。行く時は「忍法シーの術やで」といって静かにさせてから入りますがあまり効果はありません。いつも子供用の本を2冊、そして自分の借りたいものを数冊借ります。こないだ息子が、たまたま本を手にとって「パパ、はい」と渡してきた本が村上龍の本でした。子供にとってただ単に届きやすいところあっただけなのですが、これまで村上龍の小説を恥ずかしながら読んだことがなかったので、それじゃあと読んで見ることにしました。タイトルは「最後の家族」引きこもりの兄(長男)をはじめとして、父、母、兄、妹がそれぞれ家族間の問題と葛藤を抱えながら、あることをきっかけに兄が自立していき・・という話。思いの外読後感もよく、たまたま渡してくれた息子に感謝しています。というのも私の妻はつきあっているとき、軽い引きこもりの状態(ま、仕事はしていないが買い物には出かけ、友達とも遊べるくらい)でした。そしてうつ症状もあり、理不尽な言葉を投げかけたり、暴れたりといったこともたまにありました。しかし結婚、出産、子育てを通して、引きこもりやうつ症状もが改善されていきました。そんなこともあり、その意味でも私と妻の人生を変えてくれたわが息子には感謝しているのですが、その息子がたまたま持ってきた本がそんな内容であったため、なぜか偶然には思えませんでした。その本にはこんな表現がありました。「自分が自立することは誰かを幸せにすることだ」とその他にも感慨深い言葉があり、素直に読んでよかったと思いました。<br>村上龍ありがとう！
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<link>https://ameblo.jp/ittetsu5/entry-12053812633.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Jul 2015 21:53:54 +0900</pubDate>
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<title>耳が聞こえなくなった</title>
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<![CDATA[ 先週から耳が聞こえにくくなって、耳かきでグリグリやったら余計に聞こえなくなった。一週間我慢したら治るだろうと思ってたら、余計にひどくなり耳鳴りがするので医者に行きました。するとお恥ずかしいことにただ耳が詰まってただけ。そうじすると聞こえるようになりました。水道の蛇口をひねる音、くるまのドアを閉める音、子供の泣き声、すべてが新鮮に聞こえました。特に高音域が。ただ、この耳が聞こえにくかった一週間、不思議な体験をしました。聞こえにくいせいもあり、妻や子供のキンキンした声に対してあまりストレスを感じなかったり、普段だと会議の時に緊張性頭痛になっていたところが、あまり緊張しなかったりと、自分本来の過敏な性格が少し緩和されたような感じになりました。それは気のせいといわれればそれまでですが、なんとなくそんな感じがするのです。そしてお年寄りの耳の遠い感覚も少しわかったような気がします。聴覚は衰えたわけではないですが。世の中には聞きたくないことが山ほどあります。そんなときは聞かなくてもよいのかもと少し思いました。義母に耳のことを話すと「それは聞きたくないことがあるからだよ。」とからかわれましたが。<br><br>聞こえないときは水の底にいるような感覚でした。<br>今、認知症が社会問題となってますが、誰かがいってました。認知症は死の恐怖を軽減させるための脳内の適応手段かもしれないと。ちょっと違いますが感覚が鈍感になることは悪いことばかりではないのかもしれないとこの体験を通じて思った次第です。
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<link>https://ameblo.jp/ittetsu5/entry-12053800193.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Jul 2015 21:32:06 +0900</pubDate>
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