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<title>ビジュアル系が日本を救う</title>
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<description>世界中で根強いファンを持つビジュアル系。今後の日本はビジュアル系を見習い、世界で戦っていく必要があります。</description>
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<title>日本の産業はビジュアル系をお手本に世界で戦っていく</title>
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<![CDATA[ <p><a name="_olk_signature">ビジュアル系は世界中でコアなファンがいて、日本のビジュアル系アーティストも世界ツアーを行ったりするバンドが後を絶ちません。</a></p><p>&nbsp;</p><p>ビジュアル系と言えば、やはり「ビジュアル系」という言葉を生み出したとされるX Japanが先ず始めに思い浮かぶ人が多いのではないでしょうか。</p><p>X Japanは、1992年に米タイム・ワーナーと世界進出のために契約をしますが、その後、海外市場に向けた作品を発信することなく1997年に解散しています。</p><p>2007年には再結成、2008年には「I.V.」のiTunes Storeなどにおける全世界23ヶ国同時発売、2009年にはアジア2010-11年には、北米やヨーロッパを含むワールドツアーを成功させ、2014年には米ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで講演をおこなうなど世界で活躍しています。</p><p>&nbsp;</p><p>その間、X Japanよりも下の世代のビジュアル系アーティストが続々と世界進出していきます。</p><p>その代表格がDIR EN GREYでしょう。</p><p>1999年にメジャーデビューして以来、2002年にアルバム「鬼葬」を発表し、アジアツアーを行い、初の海外進出。2005年のアルバム「Withering to death.」は欧州のチャートにランクインし、この頃から海外のロックフェスにも積極的に出演するようになります。また、2006年のKoЯn主宰の北米ツアー「THE FAMILY VALUES TOUR」に参加したことで世界のメタルリスナーに日本のメタルバンドとして認知されることとなります。</p><p>その後もthe Gazette、MUCC、MIYAVIなど複数のビジュアル系アーティストが世界ツアーを行うようになりました。</p><p>&nbsp;</p><p>海外で活躍されているとされているビジュアル系バンドでも海外ではキャパが数百人の中規模のライブハウスなどで講演を行う事が少なくないので、メインストリームとは言えないですが、現地のビジュアル系ファン、オルタナティブロックファン、日本の音楽ファンなどの間で根強い人気があります。</p><p>筆者は海外在住歴が長いのですが、ビジュアル系バンドのライブに行くとけっこう毎回同じ顔ぶれに遭遇します。特定のバンドのファンももちろんいますが、海外のファンは「ビジュアル系」とか「JRock」とか大きなカテゴリが全体的に好きなファンが多いと感じます。なので、DIR EN GREYとOne ok rockとBABY METALのライブに同じ層の人達が毎回足を運んでいるようなイメージです。日本の音楽を聴いて、アニメを見てるような人達が最近の客層としては多いように思います。</p><p>&nbsp;</p><p>ハードロック、パンク、プログレ、ニューウェイブ、ゴシックなど欧米の音楽・文化の影響を受けて生まれたといわれる日本のビジュアル系が日本で独自に成長を遂げ、今度は逆に欧米に進出し、ファンを獲得しているという、かつて日本の製造業を中心とした産業がたどった道を今ビジュアル系がたどっているようにも見えます。</p><p>&nbsp;</p><p>例えば、トヨタは米自動車フォードやGMを目指して開発を行い、独自に改善を行い、安価で高品質の自動車を製造し、今や世界に輸出するグローバル企業となりました。自動車、エレクトロニクスに関しては日本企業が世界のメインストリームで通用する（或いは、過去に通用した）と言えるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、コンテンツ（音楽や映像）産業などは人種や文化の壁もあり、メインストリームになるというのは非常に難しいです。欧米でアジア人のアーティストが局所的にチャートに登場するといったことは稀にありますが、メインストリームとして売れ続けているというような事例は今までないと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>もちろん、グローバルでのメインストリームになれればそれに越したことはありませんが、昔は強かった日本のエレクトロニクスも今や世界でのプレゼンスは落ちてきています。経営戦略として、ニッチな分野でトップになる「ニッチトップ」、「グローバルニッチ」といった戦略がこれからの日本には適しているのではとささやかれてきましたが、その通りかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>これからの日本はビジュアル系をお手本に、ニッチな分野で世界で戦っていくのです</p>
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<link>https://ameblo.jp/ivyleaguekazuki/entry-12562738101.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Dec 2019 06:30:39 +0900</pubDate>
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<title>幸福ってなんだろう</title>
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<![CDATA[ <p>幸福、幸せってなんだろう？</p><p>みんなが1度は考えた事があるトピックではないでしょうか。</p><br><p>唐突ですが、私も街を歩いているとふと頭に浮かんだので備忘録的に書いてみます。</p><p>1つの答えとしては、</p><br><p>幸福とは</p><br><p><strong>「相対的な格差に対する羨望・嫉妬の対象となる事」</strong></p><br><p>ではないでしょうか。</p><br><p>そしてその羨望・嫉妬には2種類あり、</p><p><strong>1. 「本来備えているもの」</strong>と<strong>2. 「後から得たもの」</strong>への羨望・嫉妬があると思います。</p><br><br><p>例えば、原始時代、地球上に2人しか人間が存在せず、その人間たちがまったく同じスペック（身長、体重、見た目等々）だったとして、</p><br><p>1. 片方（Aと呼ぶ）が早く走る事ができ、高く飛べる事ができ、他方（Bと呼ぶ）がそうでない場合、BはAが自身より高い能力を備えているので、Aを羨ましいと思い、また妬ましく思う事もあるでしょう。　</p><p>これは<strong>「本来備えているもの」</strong>への羨望・嫉妬という事になります。</p><p>（本来備えているものは身体的な特徴といった自身の努力ではどうにもならないものから、経験や知識といった自身の努力でなんとかなりそうなものを含むことにします）</p><br><p>2. そして、Aは早く走る事で獲物を捕らえることができますし、高く飛ぶ事で木に実っている果実を採る事ができます。　Aさんが獲物や果実を持っていることで、BさんはAさんを羨ましく思うし、嫉妬します。</p><p>これは<strong>「後から得たもの」</strong>への羨望・嫉妬という事になります。</p><br><p>AさんはBさんよりも能力が高く、良いものをもっている事で、Bさんの羨望・嫉妬の対象となっており、AさんはBさんよりも<strong>「相対的に幸福である」</strong>といえます。</p><br><br><p>この仮説が正しいとすると、幸福になるには他の人よりも高い能力（容姿や知識も含め）を持っており、</p><p>他の人よりもより良いモノ（家、車、お金等々）を持っていなければいけない事になります。</p><br><p>全世界の人と比べる訳にはいきませんから、<strong>「比べる人」</strong>を選ぶ必要があります。　</p><p>多くの場合、学校や会社の中で自身と他人とを比較するでしょうから、ここでは会社を例に取りましょう。</p><br><p>従業員5千人の大企業に新卒で入社したとしましょう。</p><p>入社した当初は5千人のうち、本来備えているものはもしかしたら上位になる可能性もありますが、後から得られるもの（給料、家庭、役職等）は最下層となるでしょうから、これでは幸せになれません。　</p><p>従業員50人の中小企業でも、5人のベンチャー企業でも同じでしょう。　</p><br><p>ですが、従業員が2人以上で、自身が最上位の場合は幸せになれるのかもしれません。</p><p>（従業員が自身1人の場合は相対的に比較できないので幸福とはいえません）</p><br><p>上記のように、組織、コミュニティーの中で自身の相対的な能力、あるいは所有物の価値を高くするには2通りの方法があることがわかります。　</p><br><p>1. 自身が所属している組織・コミュニティーの中で自身の相対的地位を高める</p><p>2. 自身が新しい組織・コミュニティーを創り（或いは別の組織・コミュニティーに移り）、自身を頂点として、自身より下に人を置く</p><br><br><p>しかしながら、これは一過性のものではなく、継続的にやらなければいけません。</p><p>つまり、自身がサボっていれば努力した下の人間に追い抜かされ、自身の立場を失ってしまうからです。　</p><p>幸せになるには常に努力しなければいけません。</p><p>努力は多くの時間を要します。</p><br><br><p>ただの正論になってしまうかもしれませんが、</p><p>これらから導かれる結論は、</p><br><p><strong>自身の時間の多くを捧げて、努力する事ができる事を見つけて、没頭し、その分野で1番になる事</strong></p><br><p>が幸福になるという事であると言えます。　</p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/ivyleaguekazuki/entry-12053111422.html</link>
<pubDate>Tue, 21 Jul 2015 22:16:06 +0900</pubDate>
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<title>第二期オバマの財政、雇用政策について</title>
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<![CDATA[ なんか、今まで映画の感想しか書いてなかったので、一応経営コンサルタントやってるし経済とかなんかそれっぽいこと書こうと思います。<br><br>という訳で、オバマの主に経済に関する政策についてなんか書こうと思います。<br><br>まず、財政政策なんですが、２０１２年の年末にニュースとかやってて非常に話題になっていた財政の崖(fiscal cliff)についてですが、説明すると<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130228/17/ivyleaguekazuki/bd/56/p/o0800049812438037482.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130228/17/ivyleaguekazuki/bd/56/p/t02200137_0800049812438037482.png" alt="カズキのブログ-青＝歳入　赤＝歳出" border="0"></a><br><br><br>これ、アメリカの財政収支の推移を示したグラフなんですが、まあ、赤が青を上回ったら赤字な訳です。簡単にいうと。　で、ざっくりいくと８０年代と最近の財政収支が赤字になってますね。<br>８０年代の赤字はレーガン政権で、レーガン大統領がレーガノミクスという経済政策をやって、赤字になっちゃいました。　<br><br>レーガノミクスについても説明しておくと、減税によって歳入が減り、防衛費などを拡大することによって歳出が膨れ上がりました。<br><br>最近は、歳入が増えないのに社会保障費などの歳出が右肩上がりなので大きな赤字になってるわけです。<br><br><br>で、ちょっと逸れましたが、財政の崖っていうのは要するに、「増税」と「歳出削減」が、年末年始に集中するために景気が失速するっていう事象のことです。<br><br>アメリカはブッシュ減税っていうのをブッシュジュニアが導入して、簡単にいうとこれは高所得者を優遇した累進課税とかお金持ちを優遇した減税のことです。で、減税が期限切れなので実質増税になるっていう話です。<br>で、２０１２ねんの年末にこのブッシュ減税の期間が期限切れになるっていうことと、切り詰めた財政がダブルできて<br><br><br>＼(^o^)／ｵﾜﾀ<br><br>って感じになるんですね。　まあ何が問題かちょっと具体的にいえば、アメリカが債務上限を超えれば国債償還資金が調達できず、米国史上初のデフォルトが現実味を帯びる。ってことです。<br><br>でまあなんとか年収４５万ドル未満の減税延長とかして財政の崖を回避できたんですけど、未だに議論になってます。借金返せなくなったら破綻しちゃうので、借金の上限を上げましょうとか偉い人達はいってます。<br><br>で、オバマさんの財政政策はざっくりいうと、<br><br>＊大企業やヘッジファンドなど高額所得企業の税の抜け穴をなくすとか、<br><br>＊年収100万ドル以上の市民には税率30％を課す「バフェット・ルール」の適用とか、<br><br>＊年収25万ドル超世帯を優遇するブッシュ減税を撤廃とか<br><br>＊中間所得層への減税<br><br>とかです。つまり、お金持ちからお金とって、貧乏な人には優しくしましょうというのがオバマさんの政策ですね。<br><br><br>次に雇用問題、雇用政策の話しをします。<br>オバマさんはアメリカの製造業を復活させるとかなんとか言ってます。<br>それはなんでか説明します。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130228/17/ivyleaguekazuki/ff/d3/p/o0800050012438071880.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130228/17/ivyleaguekazuki/ff/d3/p/t02200138_0800050012438071880.png" alt="カズキのブログ" border="0"></a><br><br><br>この図は、アメリカの金融業界と製造業界がGDPにしめる割合を示したグラフです。青が製造、赤が金融です。<br>１９８５年くらいに２本の線がクロスして、金融業界の占める割合の方が上回っています。<br>まあ、アメリカは金融が盛んですから、当然のことですね。<br><br>次のデータを観てください。<br><br>アメリカのGDP=1,172.62兆円<br><br>金融セクターのGDP=246.25兆円<br>雇用者数＝７７０万人<br><br>製造業のGDP=140.71兆円<br>雇用者数＝１１５０万人<br><br><br>これから何が分かるかというと、<br><br>金融業界の１人あたりGDP=3200万円<br><br>製造業の１人あたりGDP=1200万円<br><br>です。<br><br>で、まあ更に何を言いたいのか言うと<br><br><br>仮に、金融、製造業のGDPが両方２５０兆円だとすると、<br><br><br>金融業界は７８０万人雇える<br><br>製造業界は２０００万人雇える<br><br><br>ということです。<br><br>つまり、金融業界は少数の人がお金を稼ぎまくっていて、雇用があまり生まれません。<br>一方で、同じお金で製造業はたくさんの人が雇えますので、オバマさんはアメリカの失業率を下げる為に製造業を復活させようと言っている訳です。<br><br>具体的には、自動車産業など国内製造業と国内雇用の回復のため、税制優遇策、公的資金投入をすると言っています。<br><br>例えば、業績の悪い大きな会社にお金をあげたり、中国とかの工場でモノを創っている会社はアメリカに帰ってきてくださいと言っているんです。帰ってきてくれたら、税金を少なくしますよっていってます。<br><br>そろそろ疲れたので寝ます。<br>
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<pubDate>Thu, 28 Feb 2013 16:54:42 +0900</pubDate>
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<title>”桐島、部活やめるってよ“を観て</title>
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<![CDATA[ 朝井リョウ原作、吉田大八監督の桐島、部活やめるってよを観ました。<br>劇作家サミュエル・ベケットによる戯曲、ゴドーを待ちながらのオマージュという側面と普遍的なスクールカーストという２つの側面がある映画ですが、前者に関してはメタフォリカルすぎて深堀りしようと思えばいくらでもできるのであえて横においておきましょう。<br><br><br>後者の見方でいうと、やっぱり学校の中でいろいろな人種が混在していて、それらがフィーチャーされるっていう作りなので、どれかのキャラクターに自己を投影させて楽しむっていう見方でいいんですかね。<br>まず、スクールカーストって世界各国遍的なもののはずなんですよね。<br>だからハリウッドよ、これが日本映画だ！っていうキャッチコピーもすごく違和感ありましたよね。この映画、日本的な精神論とか価値観みたいなのまったく入ってないと思うので。<br><br>カーストの最上位には桐島がいて最下層に映画部がいて、でもブルジョアとプロレタリアートっていう構図とかルサンチマンにはなっていないんですね。<br>なぜかっていうと、映画部は相対的な幸福の価値観を持っていないんですよね。絶対的な幸福感を持って学校に通ってるわけなので、やりたいことやってる映画部が１番幸福みたいな感じに描かれてますよね。カーストの上層部の人達は桐島の不在で翻弄されてるだけになってるので。<br>だからゾンビに食い殺される最後の方のシーンとかけっこう謎なんですよね。想像上の復讐っていう構図がなりたたない訳なんで、たぶん純粋に映画部の前田は映像作品を撮りたかっただけなんじゃないかと。そもそも彼らにはスクールカーストっていう価値観すら存在してないので、あの終盤のシーンも前田はああいうカットが純粋に撮りたかったってことじゃないのかなー、そうすると自分自身の幸福感に基づいて思考してる、あるいは行動してる一貫性がでますから。<br><br><br>まあ、中森明夫氏の評論の青春映画に対する決別みたいな意味合いでいうと、やっぱり９０年代的な青春映画って主人公主体で描かれてるのに対してこの作品はもう社会の精巧なジオラマみたいなキャラクターの描き方なので決定的に従来の青春映画ではないですよね。<br><br>実質的な主人公っぽい宏樹ですら終始ニヒリズムとか厭世感みたいな青春期特有の雰囲気を漂わせているにも関わらずそれで終わっちゃうみたいな。<br>半径１メートルの悩みを撮れっていわれて恋愛映画じゃなくてゾンビ映画撮っちゃうみたいな。<br><br><br>この手の映画ってそれぞれのキャラクターに焦点を当てて、それぞれの視点から論じるのがデフォだと思うんですが、面倒なのでそれはしません。<br>だから、映画部だけにスポットを当てると、彼らってたぶん自己承認欲求はあると思うんですよね。　彼らが映画撮るときに引き合いにだすDawn of the Deadって映画もジョージ　ロメロを一躍有名にした映画ですし。そもそも、学校以外の世界、社会から承認されてるのって映画部だけですよね、つまり学校外の人達から表彰って形で承認された訳ですけど、でも最後に将来は映画監督ですか？とか聞かれてそんなん無理みたいなこと言ってるんですよね。それって、学校が社会の縮図になってる生徒達の視野で観たときに映画監督とかプロ野球選手っていう選択肢とかあるわけなくて監督と浅井リョウさん、その辺すごく理解しててすげーっすねみたいなことですよね。<br><br><br>またも、ただの雑な文章になりました。　しかしこの作品はいくら語ったところで結論なんかでないですよ、さすがです
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<link>https://ameblo.jp/ivyleaguekazuki/entry-11471743917.html</link>
<pubDate>Sat, 16 Feb 2013 10:31:12 +0900</pubDate>
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<title>映画”ヒミズ”を観た感想</title>
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<![CDATA[ 園子温監督のヒミズを観ました。<br>原作は何年か前に読んだことがあるんですが、なんか原作と違ってすごく感情的な作品っていうか全然別物になってましたね。<br>原作にとらわれないで逸脱した作品を創るのはマンガ原作に限っては賛成ですね、個人的には。<br><br><br>これ震災復興がんばろう映画ってことでいいんですかね、原作はおいといて、とりあえず、復興がんばろう映画っていう定で感想を書きます。<br><br><br>conの側の意見って不謹慎だとか、被災した人達はすでにみんな頑張ってるし今更頑張ってとか言われなくていいですみたいな意見が多いような気がしますが、個人的には園監督はアーティストとしてやるべきことをやってて、まあ当然かなとか思いますね。<br>戦争とか災害のモニュメントとか作るのってアーティストの仕事ですよね。震災復興をテーマとして扱うのもアーティストとしては当然なのかなと。原作の世界観を映画で表現する表現者としては間違ってますけど。<br><br>原作を映画化する話が来てて、震災があったから復興テーマにしよっていうもうそのままの作品ですよね。それぞれのキャラクターが震災の事象のメタファーになってるってだけの映画じゃないんですか。もう１回観るほど好きじゃないんで正直それ以上深読みしたくないですww<br><br><br>主人公の親は無慈悲で不条理な災害のような存在として描かれています。　<br>主人公の周りの人達、（特に渡辺哲とか二階堂ふみ）は無償で主人公を助けるボランティアみたいな人達ですね。ヤクザの人もそのカテゴリに入るんですかね、車で主人公を家まで送ってあげたり見せかけの慈悲を与えて自殺用の銃を与える、心無い人達ですよね、ボランティアの中にたまにいる。<br>でまあ、ボロボロの家をみんなで協力してリフォームしたりみたいな、<br>終いには頑張れとか言って家（過去）を背にして道走ったりしてるし<br><br><br><br>もう自分の浅読み具合が恥ずかしくなってきたので寝ます
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<link>https://ameblo.jp/ivyleaguekazuki/entry-11471283846.html</link>
<pubDate>Fri, 15 Feb 2013 18:27:54 +0900</pubDate>
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<title>映画”告白”の批評</title>
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<![CDATA[ 今更ですが、２０１０年公開の中島哲也監督作品の告白をやっと観ました。原作は読んでいませんので映画だけの感想を書きたいと思います。<br><br>結論からいえばここ２、３年の洋画を含む映画の中で１番の秀作だと思います。<br>全体を通して、プロモーションビデオを見ているような感じで飽きずに観ることができました。後で中島監督のwikipedia拝見して知ったんですが、PVとかCM撮ってる人だったんですね。<br><br>PVっぽいっていうのは観ている時の印象として、メタフィクショナルな世界観を演出したいんだろーなというふうに私の眼には映ったんですね（生徒が全員美形だったり、冒頭の教室でのダンスだったり、CGのような空の描写などからみられるように）。<br><br><br>では内容に移りましょう。<br><br><br>まず、殺されたのはなぜ先生の娘なのか<br><br>これに関しては、この手の作品にはありふれているというか、この被害者をランダム化することで（もちろん主人公に関わる誰かという必然性はありますが）視聴者も、もし私の家族だったら、大切な人だったら、、と感情移入させることができます。しかもそれはこの手の作品においては成功していて、非常に効果的であるように思います。<br><br>そして、少年法の問題点（保護更生を目的として設計されていること）について疑問を問いかける点においては他作品と共通してるのですが、決定的な違いは、この作品においては実質上、主人公による報復が成されてしまうということです。<br><br>例えば、少年法の問題点を扱う他作品、東野圭吾のさまよう刃において、最後、被害者の父親が殺され、加害者である少年は生き延びるという報われない被害者の父を描いています。<br><br><br>一方で、“告白”においては、復讐が成されてしまう。<br><br>序盤、牛乳に主人公松たか子の夫の血液を混入したというブラフによって、下村 直樹（少年B）の精神は崩壊し、早くも少年Bに対する復讐が成されてしまう。<br>この手の作品によく描かれるのは加害者の少年の親の心理描写である。　”告白”においても木村佳乃演じる少年Bの母親の自分の子供に責任は無いといった旨の利己的な発言、あるいは子供を守ろうとする母親の本能みたいなものが描かれる。　松たか子に対して謝罪するどころか、自分の子供が事件に巻き込まれて「可愛そう」と言い放つのだ。<br>少年Bの母親は加害者の少年を生み出したという意味で２次的な加害者である。　そう言った意味で、少年Bの母親に対する復讐すらできてしまうというのがこの作品の爽快なところである。<br><br>また、渡辺 修哉（少年A）に関しては、終盤、少年Aの母親を爆殺することによって復讐を完結させている。　少年Aは母親に自己を承認して欲しい、その為に生きているという設定なので、その母親を自らの手で殺める事はこれ以上ない絶望である。　<br><br>という訳で、松たか子の復讐劇という観方をすれば非常に爽快な映画な訳です。<br><br><br>もうひとつ、重要な主題が絡んできます。　それは、「命の重さ」です。<br><br>「命の重さ」というセリフが劇中の随所に登場します。<br>この作品においては、命の重さとは人それぞれの相対的な価値観というよりも、個々の持つ、個に対しての命の重さが違っているというような感じですね。<br><br>少年Bが松たか子の娘をプールに投げ入れるシーンがありますが、子供があんなに軽々と持ちあげられないだろというような意見がありますが、命の重さを正に表現しているのでしょう。　つまり、少年Bにとって、娘の命は非常に軽い。<br>また、少年Aに関しても、終盤に爆殺を計画することから他人の命、そして自分の命すらも軽いものとして扱っています。　<br>しかしながら、少年Aの母親の命は非常に重いものだったはずです。　爆発の描写（スローモーションや逆再生など作中で１番インパクトを与える表現になっている）。<br>そして爆発後、少年Aが崩壊した建物の前に立ち尽くしており、少年Aの絶望感を演出しています。<br><br><br>終始違和感があったのは、主人公の松たか子が、少年達の純粋な悪に鉄槌を下す“正義”として描かれていないことです。<br>しかし、その違和感も映画の最後のセリフで吹き飛びました。<br>あの最後のセリフで、松たか子を加害者側に落とし込む事で、私は、逆にしっかりと枠にはまったなと感じました。<br><br>つまり、これがあなた達を更生する為の第一歩です的なセリフで終わっていたのであれば、それは少年法にたいするクリティシズムで終わっていたと思います。つまりやり方が間違っているのであるということです。純粋な悪（悪気がないということと、他人に対して命の重みを感じないということ）に近い少年たちを正しい形で教育するべきだというような。　大切なものを奪われる苦しみや悲しみは、失って始めて理解させるという更生法の提唱のようなことです。<br><br>そうではなく、１番最後のセリフで枠にはまったというのは、正に、少年法と現代社会の現実を描写した作品に落ち着いたということです。復讐する側も加害者と同じく狂気であり、軽蔑の対象としたということではないかと思います。<br><br><br><br>前篇を通してメタフィクショナルな世界と思っていたら、その実、まぎれもないリアルを描いた作品だったんじゃないかということです。<br><br>終盤雑過ぎてすみません
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<link>https://ameblo.jp/ivyleaguekazuki/entry-11468942782.html</link>
<pubDate>Tue, 12 Feb 2013 11:26:06 +0900</pubDate>
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