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<title>ほろほろ草子</title>
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<title>さらば　あぶない刑事</title>
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<![CDATA[ 観に行きました！<br>家のと二人、一緒に観たのですが、楽しくそして、やはり寂しさも感じながら拝見致しました。<br><br>そして、何より、今回の「さらば」は、「もっともあぶない刑事」以降のフラストレーションを一掃してくれました。<br><br>ファンの方へは、必要ない事ですが、一応書くと、<br>「あぶない刑事」は、1986年に放送されたTVドラマがスタートです。<br>舘ひろしさん演ずる「鷹山敏樹(タカ)」と、柴田恭兵さん演ずる「大下勇次(ユージ)」のコンビが、横浜を舞台にオシャレにウイットにハードボイルドに駆け抜ける、そんな刑事ドラマです。<br><br>以降、TVドラマ二期目「もっとあぶない刑事」があり、映画も製作されました。<br><br>劇場版は、７作。<br>「あぶない刑事」<br>「またまたあぶない刑事」<br>「もっともあぶない刑事」<br>ここまでで、TVシリーズとの連動する作品としては、一旦区切りとなります。<br><br>その後、<br>８年後に「あぶない刑事リターンズ」、その２年後に「あぶない刑事フォーエバー」※TVスペシャルと連動、更に、７年後の2005年に「まだまだあぶない刑事」が製作されました。<br><br>そして、１１年の時を経て、「さらばあぶない刑事」封切り。<br>実に、30年です。<br><br>とは言え、「もっともあぶない刑事」以降の映画では、下拙個人としては、フラストレーションもありました。<br><br>まず、オリジナルキャスト以外の参入、そして、事件が世相を追いすぎてしまい且つオーバーデフォルメを感じた事。<br>やはり、ファンが観たいのは、オリジナルキャストによる、変わらないお祭り騒ぎ。<br>それが、ストレートに時間が流れ、公開の時々に合わせた「時代」になっても、どこかしっくり来ない感じがしたのです。<br><br>しかし、今回の「さらば」は、完結として、よい意味でオリジナル以外の雑音を除去し、かつ、オマージュされていて、楽しめました。<br>同時に、「ああ、これで、本当に最後なんだなぁ…」と、泣けても来る。<br><br>また、リターンズ以降、主役の二人の生死が不明瞭なエンディングが続き、下拙としては「歯切れの悪さ」を感じていました。<br>内容とエンディングの事があり、劇場では「一回観れば良いや」となっていたのですが、「さらば」は、それを引き継ぎつつも、しっかり「その後どうなったのか」が描かれており、安心して、観終えることが出来ました。<br>そして、また大スクリーンで観たい！と思いました。<br><br>「今回で最後です。ですがもし、アンコールの声が大きければ…(笑)。…夢で逢いましょう。」<br>舞台挨拶での、柴田恭兵さんの言葉です。<br><br>下拙の青春だった、タカとユージ。<br>お疲れ様でした！<br>有り難う！<br><br>DVD は、勿論買いますが、それまでに、もう何回か劇場でお別れをしたいですね。<br><br>
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<pubDate>Fri, 12 Feb 2016 13:13:56 +0900</pubDate>
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<title>下げ緒の事</title>
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<![CDATA[ 年末の話です。<br><br>警護を職務にしている友人と会った。彼は、下拙と同様に神道流系の流儀宗家三代目でもある。<br><br>そんな彼が、刀の「下げ緒のとりまわし」の話を聞いてきた。<br><br>刀の下げ緒とは、ひらたく言うと刀の外装(拵)に付いている「紐」の事。<br>元々、刀は帯に差して携帯する物ではなく、「太刀」という形でこの下げ緒を使い、文字通り腰に下げていた。<br>その、名残とも言える。<br><br>残れば(もしくは、残る理由があれば)、ただの飾り以外にそれなりの使用方法も出てくる。<br>時代劇などを観ると、戦いの前に下げ緒を外し、襷紐として用いたり、捕縛の際の捕縛縄代わりに用いたりした様子が描かれる。<br><br>で、この下げ緒。<br>現代に於て、刀を帯刀(腰に差した)時の扱いに関して、「どう処理するか？」といった内容に、結構多種多様な意見をお持ちの方がおり、それこそネットで検索すれば、色々な意見が挙げられている。<br><br>そんな中で、彼は「神道流系のやり方」と言う事に興味をもったようだ。<br>そこで、下拙なりに改めて考えてみた。<br><br>みたが、<br><br>「色々な要素があり過ぎて、一概には言えない」<br>「学ぶ流儀の教えに従い、その様式がどの様に成り立ったのか意味を知っていれば、それで良いのではないか」<br><br>となってしまった。<br>まあ、そんなものだろう(笑)<br><br>先に、述べておくが、上記が今回の結論。<br>これ以後は、そのとりまとめとなる。<br><br>さて、いつも思うが、これに限らず、日本の文化民俗の類を「これが唯一正解！」と言い切れる事は余り無いと、下拙は考える。<br><br>まして、日本の刀剣文化は、飛鳥期以前から明治期の廃刀令、そしてそれ以降現代にまで、様々な変遷を経て続いてきた文化である。<br>その長い歴史を考えたら、この下げ緒の話も、そう簡単には決めつけられないだろう。<br><br>ならば、下拙は言いたい。<br><br>『日本刀の刀身の姿も、時代の変化と要求で形を変えているのに、下げ緒のとりまわしのみを不変唯一として議論、可否を問うのは、あまりに難しくないか』<br><br>刀身の変遷同様に、その時代時代の在り方でやり方が有るのではないか、と。<br><br>今回の主となる、「下げ緒」をつけ、帯に差して携帯する仕様の日本刀の外装である、「打刀拵」だけで考えたとしても、様々な変遷を促す要素がある。<br><br>そして後述するが、打刀拵だけでも、その長短等によって、更に細分化される要素もある。<br><br>だが、それだけに、大袈裟に言えば流儀の業のみならず、<br><br>『流儀の古伝作法も、時代や流祖の思想を映す鏡』<br><br>とも、言えるのではないだろうか。<br><br>もし、そうならば、尚更、現代に於いて、一括りにする事には、「それぞれの、時代や流祖の思想を物語る特徴の抹消」という、危惧が発生するのではなかろうか。それは、刀が身近でなくなった現代の人間が、歴史を冒涜する浅慮・エゴではないか。<br><br>そう、下拙は私見する。<br><br>その私見を踏まえた上で、話の流れを戻す。<br><br>刀や刀装具の変遷は、当たり前だが時代時々の文化に追従する。<br><br>元和偃武（げんなえんぶ）等は、その前後で世の中の変わり方が、大きい分、その変遷も同様と推測出来る。<br><br>それは、細分化すれば、身分や地域でも異なる。ならば「武士」と「侍」でも、また、諸藩様々に己を取り巻く環境が異なり、様相も違うのではないか。<br><br>ましてや、戦国大名や藩主を主君と仰がぬ、武芸者、兵法者なども含めたら、大変である。<br><br>これらを総括すべく、江戸幕府は、「武家諸法度」等の触をだし、幕府および諸藩に仕える者の諸々取り決めを定めた。<br>幕府の法定として、全国諸藩はそれに従う。その内容は、服装の規定にも及ぶものであった様だ。ならばそれは、「腰の物(刀)」にも適用される。<br>事実、「刀の定寸」や「登城の際の拵」「大小刀を二刀帯刀する」等が、細かく定められた。<br><br>そう考えると、<br>「下げ緒のとりまわし方」&lt;「腰の物の規定」&lt;「服装規定」<br>となり、より広範囲の調査が必要となると、下拙は考える。<br><br>一例として、今も残る参勤交代の図等の当時を垣間見られる資料があるが、参勤交代の絵図で、行列の人間の拵や下げ緒の「とりまわし」が一様なのは、それら法定に拠るものと考えられる。図が正しいとすれば、これは、「参勤交代の際の服装規定」としての「幕府の公式な下げ緒のとりまわし」である。<br><br>確かにこれは、下げ緒のとりまわしにおける、「答えの一つ」が見える形ではある。<br>そう、大枠で仮定すると、<br><br>・「江戸期の『幕府法定に従う』武家」<br>の法定に則った所作を旨とする、江戸期に興った流儀<br><br>に対しては、「答えの一つ」となる可能性はあると思う。<br><br>しかし、である。<br>上記を「公式」と捉えたとするならば、そこには「私的」が存在するのではないだろうか？<br>そして、そこにこそ「流祖の色(考えや嗜好)」があるのではないだろうか？<br><br>いや、それ以前に、室町期に興った流儀では、「公式」という捉え方や意味合い自体、上記と異なるのではないだろうか？<br><br>室町期には、現代まで連面と続く「古流」が興り始めたとされる。<br><br>これらは、その興流の時期や世相等の要求に合致するであろう、理論体系を形成し興ったと考えられる。<br>それを、興流より後代の江戸期における、幕府の規定のみでくくって良いのだろうか？<br>先述の様に、江戸期に仮に幕府の意向があったとしても、それは「後付け」であり、それまでの「仕様」を全く抹消するとは、考えにくい。<br>ならば、「古式」や「新式」の様に区別化して扱い、共に伝えるのではないか。<br>そう私見する。<br><br>更に基本として、その様な「幕府」の意向に添う事柄を教えるのは、流儀が主にする事なのだろうか？<br>それは、各「藩」単位や、「家」という単位が主になるのが、自然ではないか。<br><br>そこから、藩校などでは「下命」という形で、指示があったかも知れないが、あくまでそれは、従である。<br><br>しかし、現代に於ては何故か、興流時期を勘案せず、また、その主従を考慮なく、「古流＝江戸期の法定が正しい、そして、それを流儀が継承していなくてはならない」かの様な論法も中にはある。<br><br>以前、下拙が教えを受けた古武術流儀もで経験した事だが、広義で類似の事柄があった。<br>ただし、これには、確かな理由付けもあっての事であるのだが、下記してみる。<br>その流儀は、江戸期以前に興流した流儀を学んだ流祖が、江戸期に入って後に宗家より許可され、独立した流儀だった。<br><br>その為、江戸幕府の定める公式の場や、公人としての立ち位置で武を用いる事が想定されていた。<br>それをうけ、先述の「幕府法定」を遵守した「大小二刀差」の身拵えでの稽古を専らとした。<br>とはいえ、無論、元の流儀自体は、江戸期以前に成立している訳である。<br><br>しかし、それの独立時期が明確故の弊害があった。たまに、まだその辺りの思慮が出来ていない弟子の中から、「これが本物、他の流儀のやり方(一刀差しでの稽古等を含む)は誤り」と言うような、理を知るものが聞けば、決して道理ではない「外見重視」な排他的かつ侮蔑意識を持つ者が出てきて辟易した。<br><br>その様な、極端な外見重視は「武術流儀の本分」ではない。<br><br>他にも「笠を被って邪魔にならない剣術が出来るか？」「旅装のままでの剣術が出来るか？」と問われ、実際にそれらを身に付けて稽古した。<br>客観的に見て、現代に於ては、往時を知る為に、その様な経験をしておくに越したことはないだろう。<br><br>しかし、そんな事に充足を感じ、武術流儀の優越感をもってよいのか？<br><br>それ以前に、「斬りはしっかりしているか？」「身体の捌きは雑味がないか？」と武術そのものの進み具合を問われて、「是」と応えられる者がどれ程いようか。<br><br>いや、何より「古流」ならば「鎧兜」を着用することが、大前提で有る筈だ。<br>鎧をまとい、兜を被った状態を想定した、「身体操法」であるなるば、別段に笠を被り、旅装をまとって稽古する必要は、「体験」や「確認」以外、本来はどこにも無い筈である。<br><br>それを、笠や旅装を持ち出して、うちは凄い！というのは、本末転倒であり、自分で自流の底の浅さを露呈させているようなものだ。<br><br>本来は、粛々と稽古に励み重ね、その様な折りには、「こうか？」と、事も無げに動ける事が、「きちんとした流儀」の「修業」における真っ当な成果であると下拙は思う。<br><br>話が逸れた感があるが、そうではない。<br>つまり、この手の議論は、「枝葉を気にするあまり、根幹を忘れた」、主旨を外れた論争になってしまうのではないか、そういう危機感を感じるのだ。<br><br>根や幹を育てなければ、満足に枝葉は育たない。<br>逆に、根幹が申し分無く育てば、枝葉の拡がりは広大となり、葉数は四方八方に申し分無く、枝は様々な景色をもって泰然と張る。<br><br>それを、まだ小樹の身で、枝葉の張り方を語る様な事はすべきではない。それ以前に、本質を大樹足らしめるべきだと、下拙は思う。<br><br>「下げ緒のとりまわし」と言う、ともすれば、葉の一枚を論ずる事に終始するあまり、枝も根幹も蔑ろにされる懸念である。<br><br>それは、極めて危険な事だと、下拙は思う。<br><br>それを承知の上で論を行うならば、参勤交代図や、江戸期の市中図等に有るような、短めの下げ緒を栗形(鞘に付いている、下げ緒を通す部品)に通し、栗形より掌程度の巾下で、一結びして鞘に掛けて後ろに流すやり方は、「一つの時代のやり方」である。<br><br>そして恐らく、これが「見た目にも、扱いの統一性上も、邪魔にならず、多人数の中でも『簡便』で『共有・一律化』しやすい方法」であろうと、推測出来る。<br><br>しかし、「唯一無二」ではない。<br><br>「公式仕様」のポイントは、「集団でも、統一感を共有出来る事」である。<br>多人数が、一子乱れぬ姿を造るには、共通となる「形」を造らなくてはならない。<br>それは、「学べば誰もが出来る簡便な範疇」で「様式美に敵う」方法での統一性創出を意味する。<br>※今回の内容上、「動作の統一」に関しては、割愛。<br><br>言わば、学校の制服だ。<br>学校では、これを着用する事で、集団の統一感が生まれる。<br>そして、制服には、バッグ等の「持ち物」も含まれる。<br><br>しかし、一旦私生活になれば、個々にバラバラな私服となる。<br>こう捉えると、「公式」と「私的」は、江戸幕府体制下でも、あり得ると考えられる。<br><br>現に、幕末期の写真となると、顕著にわかる。<br>残る写真には、拵も様々に、長めの下げ緒をそれぞれ、束ねて結んでいる様子が見てとれる。<br>これは、「公式」な方法の影響力の低下等もあり、「私的」な扱い範囲が拡大した為とも言えよう。<br><br>これも、時代の変化だ。<br><br>では、神道流を見てみると。<br><br>江戸幕府の開府より興流の早い流儀であっても、仮に江戸期以降、幕府の意向に沿うとしても、神道流が「神域」にあるならば、幕府の武家法定に必ずしも縛られるものではない。<br>神社や寺は、武家諸法度ではなく、「諸社禰宜神主法度」であり、「寺院諸法度」や「諸宗寺院法度」で統制されたからだ。<br><br>その点で、先ず、論旨の視るべき裾野が拡大する。<br><br>神道流の原初を考えると、天真正伝香取神道流様の名前がやはり思い浮かぶ。香取神道流様のやり方を拝見すると、「鞘にかけて、後ろへ流す」となる。<br><br>なるほど、これだけで見ると、先述の江戸初期に制定された法定と流し方は似ている。<br><br>何故、似かよるのか。<br>二つ考えられる。<br><br>一つは、単純に「江戸幕府法定」に従っている為。<br>もう一つは、「江戸幕府の法定が『手本』とした、とりまわしの原形」の可能性である為。<br><br>厳密に語るのであれば、香取神道流の御宗家様や師範様にお伺いしなくてはならない為、ここでは、客観的に視た情報から話を進める。<br><br>香取神道流様の下げ緒のとりまわしが、前者の理由であるならば、下げ緒は短くなくてはならない。<br>しかし、香取神道流の皆様がお使いの下げ緒は、特に短くはなく一般的な長さを用いておられる様だ。<br>だが、これは、重箱の隅をつつけば、「厳密には、短いのを使うところを、現代は普及品で間に合わせているのでは？」と言い出す人間も居るだろう。<br><br>しかし、香取神道流様は更に、帯への差し方も実は、独特なのだがそちらは余り注目されない。<br><br>だが、これが神道流が神道流たるを雄弁に語っているのではないか。そして、刀の扱いが服装を主とする「従」であろうと気付く。<br><br>今回は、そちらの詳細は割愛するが、「下げ緒」で是非を問うと言うのであれば、それ以外の周囲にも目を向けなければ、片手落ちだろう。<br>その上で、まだ必要があると思えば、改めて普及品かどうかは、問えば良い。<br><br>ともあれ、下拙は後者の可能性を大と考える。<br>香取、鹿島を問わず、「しんとうりゅう」は、この扱いが多い。<br>しかし、では、鞘に掛けて後ろへ流すのが神道流のみの事かと言われると、これがそうでもない。<br><br>下拙が知りうる程度でも、かなり著名なご流儀も多くこのとりまわしをなさっている。<br>付け加えるならば、歴史の長い流儀程、この方法を用いておられる事もある様だ。<br><br>と考えれば、自然、<br><br>この形が、一番シンプルであり、自然と、この形がとられたのではないか。<br><br>と考えられる。<br><br>では、当流はどうかとなると、平素(鎧着用以外、装束や着物等の場合)の大刀のとりまわしは、基本、香取神道流様と同様である。<br>ただ、異なる面も一つある。それは、下げ緒を一巻き、鞘に巻き付けてから鞘に掛けて垂らす。<br>これは、栗型のみに下げ緒を通して垂らすと、不意の衝撃で栗型が鞘から外れてしまうのを防ぐためだ。<br><br>そして、普段の稽古では、「鞘に掛けず腰前に垂らし、左腰の袴紐にはさむ形」と「鞘に掛けて後ろへ流す」二つのやり方がある。<br><br>何故か。<br><br>当流に於いて、居合とは小具足の内であるとされている。<br>その為、当流の居合は想定として、前差しや脇差しとしての業と、太刀や大刀としての業が、それぞれ存在する。<br><br>稽古では、太刀は別にして、打刀を一刀のみを用い、その両方の想定業を行う。その為、どちらを想定しているかによって、厳密には下げ緒のとりまわしも変わるのだ。<br><br>まあ、業自体は、稽古を積んで業が進めば、そんな区別なく遣えるようになるのだろうが、教導要項としては区別されている。<br><br>これは私論だが、このような事の積み重ねで「自流の業や体捌きに適した」、前差や大刀、そして太刀や腰回り物の取り扱い方や据え方が習得出来る為、というのもあるのではないかと推測する。<br><br>勿論、鎧を着用する際も同様だ。<br>平素と同じく太刀を下げ緒を使い腰にはき、帯(緒)には、打刀拵の大刀や前差を腰刀としてたばさむ。<br><br>前差の下げ緒は極力短く、それを帯(緒)の左腹から左腰前に差し挟み、脱落防止とする。その為、鞘にはかけない。<br><br>大刀では、平素と一つだけ異なる扱いがある。<br>それは、大刀をたばさむ際、下げ緒の先を帯(緒)に挟む事だ。<br>大刀は、平素も含み、時には腰回りが邪魔にならないように、後ろ腰に回したりする事がある。<br>その為、ある程度の下げ緒の長さ(自由度)がある上で、脱落防止をする必要がある。<br>そこで、鞘に掛けた下げ緒を前に回して、左腹から左腰前の帯(緒)に挟む。<br><br>あくまで、当流のではあるが、「平素のとりまわし」と「鎧着用時のとりまわし」は、上記の様になる。<br><br>先述の様に、当流では、稽古を打刀一刀で行う場合、二尺以上で身体にあった長さの物を使用する。<br>その為、充分に手繰れる様に、下げ緒も長い物を付ける。それ故、前差を想定した場合は、余裕分が腰前に垂れている。<br>無論、大刀の想定であれば、鞘に掛けて後ろへ流すには充分な長さがある。<br><br>最近、神道流の師にお会いしたら、下げ緒のとりまわしを、大刀の様に鞘に掛けて後ろに長し、鞘下より前に回して、左腰の袴紐にはさんでおられた。<br>これは、鎧着用時の下げ緒のとりまわしである。<br><br>確かに、こうすると、下げ緒の先が固定されているので、稽古の時に下げ緒の乱れを極力抑えられる。<br><br>稽古に費やす時間を、一分一秒でも無駄にされない為に、師はそうされたのだろう。<br><br>これは、「工夫」である。<br>基本と理念を知っていれば、稽古の際はそれで良いのであろう。<br><br>とすれば、現代の居合道や抜刀道の取り扱いが、古式のそれと差違があったとしたら。それも、そこには「稽古の為の工夫」があるのではないだろうか？<br><br>そして、それは、「否定されるべき扱い」ではなく、「何故、そうなったのか」と思案する事で、その流儀の先人先達の方々の「思い」を勘案する糸口となるのではないだろうか？<br><br>極論を言ってしまえば、下げ緒の所作やら扱いやらが分かっていれば、稽古の際は「下げ緒を付けなくても」良いと下拙は思う。<br><br>これも、「武術本分の追求」が故である。<br>そこに、「何を観る」のかで、世界は全く変わるはずである。<br><br>なにより、剣を以て生死を懸けて斬り合った事がない人間が、先人先達が血と命を流して作り上げられたものを、安易に否定して良い訳がない。<br><br>それは、「無礼」であり、古流を学ぶ資格すらない、そう下拙は思う。<br><br>繰り返すが、そんな「些末」な事を声高に叫ぶ暇があったら、素振りが何回出来ようか？<br>その時間を、稽古に充てたとしても、現代では質量ともに足りないのだから、それを自ら稽古時間を間引く様な事は、一利無しだと下拙は思う。<br><br>さて、話を戻して、友人の流儀である。<br>友人の流儀は、幕末期に興流しており、下げ緒は「本結び」等の結んだまま帯刀する形だ。<br><br>そして、彼の流儀の居合は、「大刀で行うもの」と明言する。<br>で、あるならば、これは、前述の様に幕末期の写真等をみても、大刀を下げ緒を結んだままの帯刀が多くみられる。その時代に準じるこれもまた、「一つの真っ当な伝承」なのだと分かる。<br><br>この様に見てくると、確かに、「鞘にかけて後ろへ流す」と言うのは、「一つの基本の形」であるとは考えられるが、これが絶対でもない事が見えてきた。<br><br>また、改めて、「何故、『幻の正解』に固執する方々」がいるのかと、疑問は膨らんだ。<br><br>下拙が知る限り、現代に於いて、無理矢理「共通化」する必要は感じないし、したがる感覚がわからない。<br><br>己の学ぶ流儀に誇りがあれば、他を強要される事に、義憤するだろう。<br>されば、もし、仮に逆の立場であれば、自分がやられて憤る事を、強要する必要もないと感じる至るだろう。<br><br>ではなぜ、この様な議論が出るのか。<br><br>下拙は、二つ私見をする。<br>「観る目」と「変に外観に拘りすぎる」、この二つだ。<br><br>共に「観」の字が含まれる。<br>つまり、「本質を観る」事が出来ないと言う事を指摘したい。<br><br>一つ目の「観る目」は、そのままだ。<br>現代において、業の優劣を「批評」を以て行う「古武術者」もおられる。<br>判りづらいかも知れないが、「批評」と「感想」は異なる。<br><br>下拙の知る、偉大なご先達の方々は、一様に笑顔が素敵であり、一旦剣を執れば、迅精無比の業を振るわれる。<br>そして、他流を貶さない。<br><br>感想を求められれば、自流と異なる良い所等を挙げられる。<br>それは、「感想」である。<br><br>そこに、己の物差しで勘案した主観や自己満足を交えたら「批評」である。<br><br>この差は、大変大きい。<br>世が世ならば、生死を懸ける場面になりかねない。<br>しかし、現代において、その危機感も薄れ、自流を誇るに他流を貶めるを以て行う者がいるのも事実だ。<br><br>「やれば判る」そう言う意識を、本当に持つ人間程、「やらなくても判る」観る目をもっている。<br><br>だが昨今、ある程度の「結果」を見せられないと(もしくは、『見せて貰えないと』)、推し量る事が出来ない人間が増えた気がする。<br><br>本来、何気無い一挙手一投足で、「内側」を観られなければ命が無くなる世界であるはずだ。<br>それを、表面上の「用意された結果」を鵜呑みにしては、やはり危うい。<br><br>しかし、その様な「表面に浮かんだ事」しか見てとらずに、批評する輩が現代は多い。<br><br>何故か。<br>そこで、二つ目の理由だ。<br>やはり、「外観に拘りすぎている」のではないだろうか。<br><br>一つ目と同様に、昨今、内側の本質を大切にするのではなく、外面ばかりを大切にする人間性を多々感じる。<br><br>勿論、演武なども含め、キチンとした身なりは、大切である。<br>以前に論じたが、演武の場等で、道のご先達の方が、ピシッとした身なりで、威風堂々と、背筋が凍るような峻烈な御業前を演武されるのを拝見すれば、自然と続く者は、背筋が伸び姿勢を正すものだ。<br><br>そのような方が、仮に、下げ緒を付けずに演武をされても、それがどれ程の意味があろうか。<br>よしんば、それに対して「下げ緒を付けていない」等と批評する者が居たとしたら。<br>その者は、武術の道を真っ当には歩んでいないと断じて良いと下拙は思う。<br><br>それは、自分が外観を飾ることに終始するだけで、中身を伴っていない事を露呈している事なのだから。<br><br>日本古武術を学ぶものにとって、披露の場での、紋付や装束は「コスプレ」ではない。<br>「晴れ着」である。<br>晴れ着なのだから、着物だろうが、装束だろうが、キチンと着られて当然。着られていなければ「無礼」なのだ。<br><br>しかし、己の恥を晒すようだが、現代に生きてきて初めて、着物を着て刀をたばさむと、非日常的な高揚感を感じないとは言わない。<br>それだけ、「着物」や「日本刀」と言った日本文化が、日常から遠退いたとも言える訳で、物悲しさを感じる。<br>だが、それは、抑えるべきものであって、それが主であっては、決してならない。<br><br>そして、現代において細くなっていようと、過去から連面と継承されている「道」があるのも、また事実だ。<br>そして、幸運にもその道が、在る事を知り、その道に足を踏み入れる事が、下拙は出来た。<br><br>ならば、その道の真ん中を只真っ直ぐに歩むだけだ。<br>端に寄り、道端の草を見て、都度歩みを止めるより、たまに振り返って、見ればそれらも目にはいる。<br>それで良いのではないか。<br><br>正に観るべきは、道端の草ではなく道の先である。<br>正に学ぶべきは、末端の枝葉ではなく、本質の幹である。<br><br>せっかく、日本の文化を学べるのだ、日本人らしく、真っ直ぐ真っ当に学びたいものです。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Tue, 09 Feb 2016 11:45:29 +0900</pubDate>
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<title>謹賀新年</title>
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<![CDATA[ 新年、明けましておめでとうございます。<br><br>本年も、皆様にとって、御躍進、御活躍、御多幸の年となります事を、御祈り申し上げます。<br><br>本年も、何卒宜しくお願い申し上げます。<br><br>祐定
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<link>https://ameblo.jp/iwashirokokukanesada/entry-12112547008.html</link>
<pubDate>Fri, 01 Jan 2016 07:30:37 +0900</pubDate>
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<title>年末ご挨拶</title>
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<![CDATA[ 平成27年も、大晦日となりました。<br>今年も様々な事がありました。<br><br>色々なご縁や変化、そして変わらず傍らに在り続ける武。<br><br>多くの方に支えられて、今年も歳末を迎えられましたことを、全ての方々と神佛に感謝申し上げます。<br><br>例年通り、年越しは八幡宮様に伺っておりますれば、少々早きものかと存じますが、この場にてご挨拶申し上げます。<br><br>本年も、大変お世話になりました。<br>来る年も何卒宜しくお願い申し上げます。<br><br>皆様、良い年を御迎えくださいませ。
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<pubDate>Thu, 31 Dec 2015 09:25:36 +0900</pubDate>
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<title>人</title>
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<![CDATA[ 結局、この世の事は、すべからく「人」である。<br><br>そう、教えを授けて頂いた。<br>当流宗家の言葉である。<br><br>少し前になるが、市谷亀岡八幡宮様の摂社である、茶ノ木稲荷神社様では眼病平癒を祈願するご祭事が執行された。<br><br>その直会で、<br>「眼の病とは、『見えるべきものが見えない』事。目の病を除く事は、『物事の本質を見抜く』事が出来るようになる、その様な意味もある。」<br>そう、お言葉を頂いた。<br><br>人間、先入観や、偏見、自尊心等で、なかなかに本質を「観る」事が難しいもの。<br><br>昨今の世間を見ていると、そう思う。<br>そして、更に言えば「先を見ない、意見を持たない『不満』」に終始する方々が、多いとも感じる。<br><br>例えをあげると、以前の松戸の「犬射殺」に関する事をあげてみる。<br><br>人を襲った紀州犬を、警官が、13発もの弾丸を使用して射殺したという出来事。<br><br>そもそも、このケースは、「『紀州犬を制圧する』と言う目的を果たすために取られる手段は、何をどうしても非難が出るケース」だと思う。<br><br>これに対し、松戸署に意見の連絡が絶えないという報道で、近隣住民のインタビューを聞いた。<br><br>「何で、13発も撃ったのか。人に当たったらどうするのか」<br><br>「他に、何か出来なかったのか。例えば、警棒で叩くとか」<br><br>「他に、方法があるだろうに」<br><br>というもの。<br>報道内容では、警官の行為を正当と見なす意見もあったというが、相変わらず、インタビュー等の印象を決める手法では、こちらの意見は出してこない。<br><br>しかし、意見の中の「何故13発か」「警棒で叩く」というのは、非常に興味深い。<br>このケースは、動物が絡むだけに、「なにをしても非難が出る」ケースだと思う。<br>その中で、代替え案の「警棒で叩く」は、最初に警官がこれをやっていたならば、これが非難の対象になる事案だろう。<br>つまり、「拳銃発砲」があればこその、「それより低程度」の代替え案である。<br><br>しかし、元は、猟犬の犬種で、躾がなされていない犬が、それでおとなしくなるだろうか。<br>たぶん、ならない。<br>攻撃により負傷すれば、その対象を敵と認識し、反撃してくるだろう。<br><br>叩いておとなしくなるならば、発砲音を聞けば、おとなしくなる事もあろう。しかし、今回はそうではなかった様だ。<br><br>そして、発砲発数だが、命中の発数は定かではないが、複数発が命中して、やっと目的を達したと言う。<br><br>日本には、誤解があるようだが、なかなか拳銃一発で、何事も死に至らしめるのは、困難だ。<br><br>理由は、<br>①拳銃弾の威力<br>②警官の拳銃射撃の技量<br>である。<br><br>拳銃は、火薬発射の発射口を持つ武器のなかでは、あくまで個人の単位の「副装備」の扱いだ。武器そのもののサイズが小さく、ライフルよりも携帯性が高くなっているが、その分「威力」と「命中精度」は低下する。<br>その分、目的を達するのに、複数発が必要だった、そう下拙は理解する。<br>勿論、逆に一発で全てが決する事もある。その為に、特定の部位に命中させる必要がある。<br><br>勘違いしてはならないのは、<br>「拳銃やライフルは、道具として可能な範囲で『当てられる』様には作られているが、必ず、『当たる』訳ではない」のである。<br><br>その「命中率を上げる」のは、個人の技量だ。つまり、訓練度合いである。<br>そして、経験である。<br>そもそも、日本の警察官の場合、訓練は年一回程度、発射弾数40～50発位の様だ。<br><br>最近は、訓練内容も、ただ撃って当てるのではなく、より実際の拳銃使用状況に近い、「近接戦闘」の想定がなされた形に変化して、25m をシングルアクションで当てるのではなく、5mをダブルアクションで当てる訓練になった様子ではある。<br><br>とは言え、それで百発百中になるのか？<br>自分の身に置き換えて考えると、それは「否」だろう。<br><br>仮に、自分が、年一回、40～50球の投球練習をする程度の経験で、不意に投球をお披露目しなくてはならなくなったとき、周囲から「何で全部ストライクにならないの？おかしいだろ‼」と責められたらどう思うか？<br><br>それを、もっともっと緊迫した場合で、警察官の方々は求められている。　<br><br>そして、たぶん、今の日本には、「武器は禁忌」という、腫れ物に触る様な風潮がある。<br>それこそ、臭いものには蓋、の感覚で見せない触らせない、理解しない。<br><br>その環境で、確かな知識を持たず、現実ではない「フィクション」や「身勝手な願望や希望」を、さも現実の様に語りミスリードされる、それが今の日本である。<br><br>分かりやすい所で、「拳銃は誰でも狙って撃てば必ず当たる」「一発当たれば確実に死に至る」等々。<br><br>そんなものではない。<br>それならば、誰でもゴルゴ13だ。<br>そんな間違った視線で、現実の場を語られてはならない。<br><br>そう考えれば、「無力化」の最も効率の良い判断を、現場レベルで臨機に行い、目的を達した事は、評価されるべきである。<br><br>臨機の現場を、安全且つ長考出来る立ち位置で批評するのは、誰でも出来る。<br><br>その場に臨んで、瞬間瞬間の判断を迫られる現場の人間を、安全な場で批評し、さも、自分の方が上手くやれるという様なコメントを耳にすることもあるが、下拙はなかなか素直に耳に入らない。<br><br>何故か。<br>「本質が抜け落ちているからだ」と下拙は思うからである。<br><br>そして、本質を掴まぬまま、誤解や曲解にはしり、不幸が起きる場合がある。<br><br>それの、源は何か？<br>「人」である。<br>「ひととなり」である。<br><br>当たり前だが、我々は社会で生きている。<br>そのコミュニティーの中で、自己を確立するのは、良い。<br>しかし、そこには共存の意識、つまりは「礼儀」であったり、「公共マナー」であったり、人と円滑に意志疎通をはかる「術」がなくてはならない。<br>それを、無視したものは、「コミュニティーにおける、自己確立」ではなく、「ただの我が儘」だ。<br><br>いま、それを誤解し、さも当然の様に「個の自由」を叫び、コミュニティー不適合な事を平然となせる人間が増えている。<br><br>これの源は何か？<br>「人」である。<br><br>総ては、人に帰結する。<br>コミュニティーの円滑性は、文化的レベル、民度の現れである。<br>それが、低下することは、則ち「人の品位の低下」である。<br><br>例え、いくら時代が進んでも、便利になっても、民度が下がれば、それは、文化レベルは後退していると言える。<br>いや、逆に、便利になりすぎてしまい、人との協力が希薄化する為に、そうなるのか。<br><br>「人は、一人では生きていけない」と、よく言われる。<br>これを、<br>「人と人」ととるか、「人とそれ以外総て」ととるかで、意味が異なる。<br>極論、前者だと「自分は一人で生きていける」と言う者も出るだろう。<br>しかし、後者に思い至れば、そんな事は考えられない。<br><br>大袈裟に言えば、「生かされている」事に気付かないと、上記の様な考え違いがおきてしまう。<br><br>そして、自分本意な考え、「主観のみの行動」が罷り通ると平気で考えてしまう。<br>それは、恐いことだ。<br><br>別の面でも、それを感じた。<br><br>以前も触れたが、世には、パワースポット関連の本が数々ある。<br><br>その中で、最近の傾向として、神社や仏寺でも、「パワーを頂く」事ありきの参拝に片寄っている気がするものが多いように感じる。<br><br>確かに、参道の歩き方や、鳥居のくぐり方、手水の使い方等を紹介する意味では、この手の「目に触れやすい本」は、良いのだが、いざ神前での参拝になると、各々筆者の主観が首をもたげる。<br><br>一般的な参拝作法の「二礼二拍手一礼」自体は変えないのだが、それぞれの動作に主観的意味を説くのだ。<br>曰く、「こうすれば、気(パワー)を頂きやすい」等だ。<br><br>しかし、どうだろうか。<br>これは、すがり信心ではないか。<br><br>当流宗家より、下拙は、神仏の前に立つと言うことは、感謝を申し上げ、己の決意をお聞きいただく事であり、<br>「いつも、お見守り頂き、有り難う御座います。私は、〇〇を頑張りますので、何卒お見守り下さい。」<br>等と申し上げる事だと、御教示頂いた。<br><br>その姿勢を、神仏が御照覧下さり、後押しして下さるのだ、と。<br><br>例えば、分かりやすいところで、受験だとすると、「受験に合格する様に、日々努力致します。何卒お見守り下さい」と拝礼するのと、「どうか、合格させて下さい」では、やはり違うと言うことだ。<br><br>少し前、その類いの話をしたことがある。<br>その際、受験生の親が「成る程、そう言う『言い方』で、お願いしなくちゃいけないのか！」と返してきて、辟易した。<br><br>違う。<br>何故、そこに「自らの強い意思」と「謙虚な気持ち」を込めようとしない。<br>何故、軽々しく現世利益に走る。<br>しかも、その様な「人」ほど、願い事があるときだけ、神仏にすがる。<br><br>別に、熱心に神仏を参拝しろと、人に強要する気は下拙にはない。しかし、普段から、仏壇やお墓にお参りすれば、そんな自分勝手な事は言えないと思う。<br><br>やはり、ここでも、「人」なのだ。<br><br>いや、本質は只一つであり、そこから発生した事象が様々在るだけ、なのだろう。<br><br>すべからく、人。<br>そう捉えると、人の世の結構な範疇に、答えが出てしまう。<br><br>しかし、それが、納得出来るかどうかは、また別ではあるのが、生きることの悩ましい所でもある。<br><br>それでも、少しでも「本質を見抜く」事が出来れば、それまでとは、また違った生き方が出来る様になり、そして、また更にそれを積み重ねれば、違った価値観が生まれてくるのだろう。<br><br>それが、本当の「人の成長」なのだろう。<br>最近は、とみにそう思います。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/iwashirokokukanesada/entry-12074017596.html</link>
<pubDate>Mon, 16 Nov 2015 17:12:05 +0900</pubDate>
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<title>かく観閲せり</title>
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<![CDATA[ 先週の日曜日、市谷亀岡八幡宮様の関連で頂きましたご縁より、<br><br>陸上自衛隊東部方面隊<br>創立56周年記念行事<br>観閲式<br><br>を陸上自衛隊朝霞駐屯地　朝霞訓練場にて、拝見させて頂きました。<br><br>とても、楽しく、そして何より、大変感動致しました。<br>自衛官の方々の精悍さ、そして優しさ、礼儀正しさ。<br><br>整列して、微動だにしない隊員の方々の姿や動作、国旗の掲揚の仕方に至るまで、「形」がしっかりあり、様式美がある。<br><br>もう、隅から隅まで意識が行き届いていて、隙がない。しかし、少しでも言葉を交わし触れあうと、優しさと礼儀正しさがある。<br>何とも、素晴らしい。<br>深く、感動致しました。<br><br>あらためて、隊員お一人お一人の誇り高きお姿に、「日本人は、かくあるべき」と、背筋が伸びました。<br><br>本日の感動は、私の稚拙な筆舌には、尽くしがたく、それを、どうお伝えし感謝すれば良いのか、語りきれる言葉が見つかりません。<br><br>この様な、隊員方々に接する機会を頂いた、総ての方々に心より感謝致します。<br><br>有り難うございます。
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<link>https://ameblo.jp/iwashirokokukanesada/entry-12092962895.html</link>
<pubDate>Sat, 07 Nov 2015 19:11:48 +0900</pubDate>
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<title>放生会</title>
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<![CDATA[ 昨日、市谷亀岡八幡宮様でご執行された神事、放生会～四魂の祭～にて、演武奉納させて頂きました。<br><br>放生会（ほうじょうえ）とは<br><br>人間がその生命を養い寿命を得ているのは、他の様々な動植物の命のお陰であるという事、神々の恵である諸々の命に八幡宮の大神様のご神徳を通じて感謝し、先祖の御霊に功徳を積む重要な御神事です。<br><br>四魂（しこん）の祭りとは<br><br>神々が示される大いなる力、大威稜の顕現を四つの方向性に分類した表現です。<br><br>『荒魂（あらみたま）』は人心の乱れる余り大御心が荒び天変地異等の大災厄を起こす神威<br><br>『奇魂（くしみたま）』は、いとも不可思議なる御神徳、俗に言う奇跡の神威<br><br>『幸魂（さきみたま）』は神気が満ち溢れ万人が幸福となれるよう導かれる神威<br><br>『和魂（にぎみたま）』人々が諍を止め其の心根に敬神崇祖、感謝と大調和をもたらす神威といえます。<br><br>荒魂を鎮め、且つ全ての四魂の神威に安寧慰撫の心を持って神事、儀式を執行いたします。<br><br>※市谷亀岡八幡宮通信より抜粋<br><br>当流は、このうち、荒魂の部にて、演武奉納させて頂きました。<br><br>荒魂の部は、荒ぶるご神威を神道流の「神武」の業にて人の世に知らしめ、人心乱れるを破邪顕正を以て打ち砕き、大御心をお鎮め奉る。<br>その様な意を持ちます。<br><br>本来、それこそ、神道流の深淵を極め「神武」を授かった者にて行われるべきものですが憚りながら、相勤めさせて頂きました。<br><br>まだまだ、至らぬ業ではありますが、今の精一杯を奉納させて頂きました。<br><br>この様な、晴れ舞台の機会を賜りました、市谷亀岡八幡宮様ご神職の皆様ならびに関係者の皆様、雅楽会の皆様、巫女舞の皆様、ご観覧に御来駕頂きました皆様、そして、市谷亀岡八幡宮大神様に心より御礼を申し上げます。<br><br>本当に、有り難う御座います。
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<link>https://ameblo.jp/iwashirokokukanesada/entry-12083625501.html</link>
<pubDate>Tue, 13 Oct 2015 07:29:35 +0900</pubDate>
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<title>一人稽古</title>
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<![CDATA[ 日曜日は、色々有り、市谷亀岡八幡宮様にて一人稽古をさせて頂いた。<br><br>いつ雨が降ってきてもおかしくない空模様のなか、久し振りに一切木刀を使わず、居合(立居合)に集中した稽古が出来た。<br><br>今までは、一人の際は稽古前に、あれやってこれやって…、となるべく満遍なく計画を立てる癖があったのだが、最近は神道流傳や大陸武術の師の影響、教えもあり、どっぷり偏った稽古も是とする心持ちになっている。<br><br>当流の居合は、「静謐」を旨とし、とにかく静かに静かに稽古を行い、極論、「衣擦れ刃の音の他此無し」とするのが教えである。<br><br>刃の音は、神道流傳では、大変重要だと下拙は常々考える。<br>何故ならば、香取神宮の御祭神である「経津主神」の御名は、剣が物を断つ音を表しているという説がある。　<br><br>であるならば、上記の衣擦れと刃の音しかない空間は、神との対話の場であると言えるのではないか。<br><br>人が、剣を振るい、刃音を以て、フツの御名を奏上し、神は御心に叶うに到る者に神武を授ける。<br><br>闘争の業で有ると共に、その様な意味も居合業には有る。だから、当流において、居合は他の武術より上位にある、そう考える。だからこそ、稽古方法も唯一不二なのだ、と。<br><br>では、居合以外の武術に於いてはどうかと言うと、「静かなる稽古」と「荒ぶる稽古」の二種の稽古方法の教えが流儀にはある。<br><br>この為、下拙は当流に於いて居合が、当流の他の業と比べ、「別格」である事を意味すると、下拙は考える。<br><br>昔は、静荒二種の稽古を重ねた稽古者が、居合の稽古に入った。<br>その頃には、既に分けなくてもその二種が身体の中に「共存」しており、敢えてそんな稽古法を分かたなくとも、型の教えから、緩急自在遅速不二の遣いを我が物と出来たのだろう。<br><br>だからこそ、神との対話が出来る嶺に居合う、と言う事だと私見する。<br><br>しかし、下拙は恥ずかしながらその様な境地には未だ到達しておらず、敢えて緩急をつける稽古をしている。<br><br>下拙の業前では、「静謐」の稽古だけでは、まだまだ覚束ない為であり、居合にも静荒二種の稽古が必要と痛感するからだ。<br><br>とは言え、やることは変わらない。<br>速かろうが、遅かろうが、身体の遣い方を変えるわけではない。<br><br>ただ、意識的に遅速をつけて業を確認する、そんな意味だ。<br>居合は、基本が一人稽古となる。<br>大袈裟に言えば、上記の様に、神との対話を余人を交えず行う為だと、下拙は私見する。<br><br>しかし、この「一人稽古」故に、ただ単に「自分にやり易い」稽古に成り易い。<br><br>これでは、意味がない。<br>神との対話云々の前に、闘争の業である武術なのだから、本来相手が居る。<br><br>間詰もり、呼吸(自分のではない)、仕掛け等々、自分にやり易いものなど何もないのだが、勘違いしやすい。<br><br>居合稽古の基本は、「中庸」を引き上げる事だと下拙は考える。<br>自分の「中庸」で稽古を重ねると、中庸そのものが「迅く」なる。<br>速くする、のではなく、迅くなる、のだ。<br><br>その結果論が、何より大切だと考える。<br>「速くしよう」と言う願望も、やはり「病」なのである。<br><br>しかし、上記の様に「勘違い」をすると、中庸以外の速度で遣えなくったり、無理矢理に遅速をつける為に、物理的な力や筋力に頼った事をし始める。<br>これでは、「中庸の引き上げ」という事など、成りはしない。<br><br>これでは、何もならない。<br><br>居合の業とは、ゆっくり行おうが、迅速に行おうが、遣うことを変えてはならない、そう下拙は学んだ。<br>例えば、速くは遣えても、ゆっくり出来ない業は、どこかに誤りがある、そういう事だ。<br>当流には、飛翔業もあるが、所謂ジャンプをしている訳ではない。<br>これが、単に「ジャンプする事」では、ゆっくりは遣えない。浮落をゆっくりは出来ないからだ。<br>当流の飛翔業は、ただ立ち、ただ折り敷く事をやっているだけで、業の理合は、稽古の遅速に関係無い。<br><br>それでも、各領域で制御出来る範囲がある。<br>それを外れると、業が業とならない。<br>よろけたり、刃筋が型の教えの位置を通らない等々、何らかの障害が出る。<br>その、制御出来る範囲を確認する為に、下拙は静荒二種、静寂疾風の稽古をする。<br><br>そして、なにがしかが分かったら、それを意識して、本来の中庸の稽古に戻り、それを重ねる。<br><br>それの繰り返しである。<br>何とも恥ずかしいが、下拙にはこれが精一杯の稽古である。<br><br>地道な積み重ねでしか、到れない道が確かに有る。<br>同時に、未だに我知らぬ道を知るには教えを請う必要がある。<br><br>それを、請う師は、「人」か「型」か。<br>いずれにしても、謙虚にして真摯に向き合わなければ、どちらも先を指し示しては頂けない。<br>学ぶ側の姿勢が問われる。<br><br>徒弟は、教わるのではなく、学ぶ。<br>その意気を感じれば。<br>師は、教えるのではなく、伝える。<br>そして、時代が継ぐ。<br><br>ある人の言葉だが、下拙は心から同意する。<br><br>教わる、と、学ぶ<br>教える、と、伝える<br>前者は時代が途切れ、後者は時代が継ぐ。<br><br>先達の「大切なもの」を頂戴するのだ、学ぶ側は、師の人生をかけた結晶を授かるに、恭しく授かるべきである。<br><br>そうして授かればこそ、自らも、継ぎの代に、正しい流儀の業と心を継ぐ事が出来るのではないでしょうか。<br><br>もし、授かる側に慢心があれば、それは既に、「流儀の形骸化」でありましょう。<br>そうはならぬと、今の世に剣の道に生きてみるのも、また良いものです。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/iwashirokokukanesada/entry-12070318534.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Sep 2015 08:00:04 +0900</pubDate>
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<title>例大祭</title>
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<![CDATA[ お盆休みも明けてしまいました。<br><br>下拙の休みは、始まると例年予定が詰まっている為、すぐに終わってしまう感じです。<br>しかも、行動の時間も、仕事時と特に変わらないので、体調もONOFFの違いもなく、淡々と明けてしまいます(笑)<br><br>下拙の家は、関東なのですが、お盆の行事を八月に行います。<br>その為、墓参、迎え火や送り火を行います。<br><br>また、日頃から大変お世話になっている、市谷亀岡八幡宮様の例大祭が、毎年八月十五日に執行される為、その簡単なお手伝いをさせて頂きます。<br><br>例大祭は、秋の放生会の様に、「武」によるご奉仕が無い為、下拙や流儀で出来るお手伝いをさせて頂いております。<br>とは言え、時間的にも内容的にも本当に、些少のお手伝いになってしまうので、お役に立てていれば良いのだが…、と毎回思ってしまいます。<br><br>それでも、ご神職の方々のご厚意で、例大祭の準備をお手伝いさせて頂きますと、作業の合間に、斎竹や注連縄を見上げて「こんな経験、現代じゃあまり出来ないよなぁ…」と、感慨深くなります。<br><br>世が世ならば、神社の例大祭。<br>氏子崇敬者が参集して、設営やら何やら、細々お手伝いをした事でしょう。<br><br>日常の神域が、お祭りという非日常となる、その間、全てが「お祭り」であり、皆が総出でお祭りを創り、そして、皆でまた日常に戻す。<br>それが、原風景であると、感じてやみません。<br><br>その原風景の、微々たる分だとしても、現代にその様なお手伝いが出来るのは、大変嬉しいものです。<br><br>本当は、事前事後全てお手伝いしたいのですが、神仏事を一日に重ねないという事で、例大祭執行日の翌日は、お盆の送り火もあり事後は中々それが出来ず、心苦しいものがあります。<br><br>ですが、「先ずは出来ることを、しっかりやる」事からやらせて頂き、しっかり日本の風習を肌で感じたいと思います。<br><br>そして、当日、正装の御装束をまとわれた御神職の方々による、荘厳な御神事が執り行われます。<br>市谷亀岡八幡宮様は、神社の雅楽会もおありなので、参進(拝殿へご入殿される列行進)から、楽士の方々が奉楽され、また、御神事でも、折々に楽の演奏があります。<br>生で奉楽される雅楽は、御神事の重厚さを何倍にも増します。<br><br>そして、更に巫女舞「浦安の舞」が奉舞されますと、例大祭でありながら、更に八月十五日という日の、日本の平和と安寧を願う総ての人々の願いを、巫女が手にする檜扇や五十鈴の舞の一手一手に乗せて、神様へお届けしている、と自然に思えます。<br><br>今年の酷暑の中、装束で御神事に臨まれる御神職の方々のお疲れは如何程かと、ただただ御慰労を申し上げるしか出来ませんが、おかげをもちまして、毎年この日は幽玄夢幻とも思える一刻を頂いております。<br><br>御神職の皆様、本当に、有り難う御座います。<br><br>夢と申せば…<br>いつか、なにかの御神事執行において、正装を纏われたご宗家はじめ、ご神職や、楽士の方々と共に、武人奉帯士として「参進供奉」出来る様になれん事を。<br><br>…武官装束なんて手も出ませんから、夢のまた夢ですけど(笑)<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/iwashirokokukanesada/entry-12062622056.html</link>
<pubDate>Mon, 17 Aug 2015 17:59:19 +0900</pubDate>
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<title>職人の誇りと武人の誇り</title>
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<![CDATA[ 愛刀の鯉口が、幾分緩くなってきた。<br>当たり前だが、稽古に使えば道具は消耗する。<br><br>このまま進行すると、鯉口が効かなくなり、一寸した事で刀が、スルリと抜けてしまう。<br>あっ！と、それを反射的にそれを押さえようとして、刃に振れて怪我をする方もおられる。<br><br>ある、古武術の先生が、「昔の侍は、少しでも早く抜けるように、鯉口を効かなくした」等とおっしゃる方がいたが、これには、下拙は疑問を持つ。<br><br>では、何故、抜刀所作に「鍔かけ、鯉口切り」という動作があるのか？<br>若気の至りで、その先生に疑問をぶつけて、嫌な顔をされた。<br><br>下拙は、多少の鯉口や柄の緩みは、自分で直す。毎回、職人に依頼するお金が無いからなのだが(笑)、これは、下拙の先生方の教えだ。<br><br>その方は、刀剣商の方と研師の方でお二人なのだが、下拙の刀目利き、いや、もっと初歩的な「見方」や「扱い方」を教えていただいている、師匠だ。<br><br>下拙が、真剣を握ってからずっと、お二人からは売買や研ぎでお世話になるのは勿論なのだが、他に様々な事を教えて下さる。<br><br>その中で、当初から教えられたのが、「自分がやる範囲」と「職人に依頼する範囲」の見極めだった。<br><br>刀剣商であるのだから、鯉口や柄の緩み修繕の依頼を受ければ、金になる。<br>また、刀身の棟(峰)は納刀で触れるため、季節によっては、錆が浮きやすい。その小さい錆びでも研げばやはり、金になる。<br>しかし、師匠方は、状況に因って「これくらい、自分でやれ」と、きり返してこられる。<br><br>無論、ただ突っ返してくるのではなく、鞘や柄の修繕に必要な道具や材料を貸し与えてくれる。また、「これ研いで、勉強してみろ」と、錆び身の短刀を貸し与えてくださった。<br>その上で、やり方を教えて下さるのだ。<br><br>お陰で、鯉口周りや柄中の緩み、小さい錆びならば、自分で対処できるようになった。<br>ついでに、プラモデル等を作るのが好きな延長で、鞘の塗りが剥がれた際のリタッチもやる。※ただし、あくまで傷隠しのペイント<br><br>しかし、全ては対処措置であって、正確には「真っ当な修繕」ではない。<br>それは、「職人の範疇」だからだ。<br><br>鞘にしても、柄にしても、対処措置で延命は出来ても、痛みは進行している。<br>また、研ぎに関しては、ただ「錆びを取る」程度で、所謂「刀身研磨」の「磨」等出来よう筈がない。ただ、錆びを取り進行させないようにするだけだ。<br><br>これでは、やはり、どこかで「対処措置の限界」を超える。それは、不意の破損であったり、砥ぎで真っ当な姿に戻せない状態となる。<br><br>人それぞれ、考えがあるので、どれが「正解」かは議論しない。<br>ただ、下拙と師匠方の間柄での合意は、「自分がやる範囲」と「職人に依頼する範囲」を判るようになる事だった。<br>「専門の職人が居る分野は、やはり、餅は餅屋には敵わない」と言う、事だ。<br><br>では、どこまでが範囲か。<br>それは、話し合いだろう。<br><br>下拙は、居合業の稽古はしても、試斬道を学ばれる方々程、日常的に据え物斬りはしない。<br>日常的に稽古で斬られる方々は、ご自身で寝刃を合わせたり、刀が曲がってしまったら修正されるだろう。<br><br>更に、武術の道を進む方の中には、理想を追求し、ご自分で刀を打ち、鞘を拵え、柄を巻く方もおられよう。<br><br>確かに、全て自分でやれば、理想の道具を手に入れる近道になると下拙も思う。<br><br>しかし、下拙の師匠達は、行き過ぎると「それは、こっちの領分だ、お前は素振りの一つでもしろ」と言ってくる。<br><br>確かに、全て自分でやる事も、ひとつの方法だが、向こうは向こうの誇りがある。<br><br>「お前さんが、何十年稽古して身に付いた業、俺が何十年修業して身に付けた業、そんな簡単に門外漢が同じ高さに立てるような薄っぺらいものかねぇ」<br><br>そう言われたことがある。<br>下拙もそう思う。<br><br>とは言え、丸投げされるのも、職人は嫌がる。自分の「仕事の価値」を分かってくれる人間の方がよい仕事が出来る。<br>そう言う気持ちもあるのだろう。<br>それは、同時に「誇りの一線を越えない」事だ。<br><br>だから、互いに良い立ち位置が判ると、至極小気味良く物事が運ぶ。<br>その際、互いの境界線が少し重なる、その部分が、下拙は「自分でやる範囲」だと理解した。<br>また、それが出来ると、より明確に希望を伝えられるようになる。それは、職人にとっても、やり易いとの事だ。<br><br>細かい注文は信頼の証<br>細かすぎる注文は信頼されていない証<br><br>そう教えてくださった。<br>人には、それぞれご縁がある。<br>そのご縁にそぐう立ち位置を見つければ良い、そう下拙は思う。<br><br>下拙にとっては、この、師匠達との立ち位置がしっくり来ている。<br>師匠達にとっても、そうであって頂ければ幸せだ。<br><br>少し前、刀屋に行き、「これ見せて」と師匠にお願いした。<br>鎌倉期の太刀なので、気を使うと、「自分で出して見て良いよ」と言われた(笑)<br><br>暫く鑑賞させて頂いていると、袋に入った白鞘を突き出された。<br>「それ、買い手が決まった奴だから仕舞おうと思ってな。悪いが油ひいて納めといてくれ。」と頼まれた。<br>緊張しながらも、受け取り、自身の刀に塗るより、幾分薄めに油をひいて白鞘に納め、袋にしまいお渡しした。<br><br>受け取られる際に、「まあまあ、かな」と言われた。<br>袋はキチンと畳むか、作業の場の整え方はどうか、刀の扱い、油の引き方、皆見られていたらしい。<br><br>多分、駄目だったら、その場その場で駄目だしされ、以降は師匠の手でやり直され、それを下拙は見ている事になったのだろう。<br><br>合点がいった。<br><br>その前に、下拙は師匠に相談していた事がある。<br>奉納された太刀の定期的な手入れを依頼された際、何に注意すべきか。<br><br>他人の刀を扱う、と言うことは、自身のそれと異なる気を使う。<br>ましてや、宝剣ともなれば、尚更だ。<br><br>そんな話をしたからだろう。<br>信頼されてなければ、やらせては貰えないだろう実践。涙が出るほど、嬉しかった。<br><br>そんな師匠達に見守られ、武術の道に邁進出来る人生。<br><br>幸せです。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/iwashirokokukanesada/entry-12055736736.html</link>
<pubDate>Thu, 30 Jul 2015 15:33:56 +0900</pubDate>
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