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<title>janganmarah1970のブログ</title>
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<description>tergeted indivisualの一人としてマインドコントロールされていく過程をこのブログに書いています。</description>
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<title>HAL</title>
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<![CDATA[ <p>2014年の4月になってガードマンの仕事はやめて新規開校される学習塾のチラシをポスティングするアルバイトを始めた。最初のうちは２０００部だけだったが、反響が多かったらしくて、塾のエリアを統括する人（役職名は忘れたので以下エリアマネージャーとする）からもっと配ってほしい、できれば土日もと言われ並行してやっていた土日の不動産のティッシュ配りは仕事を入れずにこちらにしばらくは重きをおいた。とは言っても月にして３５万円くらいの収入になったのでそのお金で原付バイクの免許を取り直して中古のカブを買うことができた。</p><p>&nbsp;</p><p>ある時テレビを見ていたら筑波大の教授が開発したというHALという装着型のロボットについて特集していた。HALは人がたとえば足を動かそうとするときに、そのわずかな生体電位信号を読み取って意志に従って人と一体化して動くというものだそうです。それが脳卒中などで片麻痺になった人などにもリハビリの現場で使われているということだったので母にも使えないかとHALを採用している病院を探したら意外にも家から車で１０分くらいの距離の病院にあった。</p><p>&nbsp;</p><p>母は退院して家に戻ってからは現状維持のままだったので、少しでも良くなる希望があるのならと母を連れて８月から週１回そこに通うことになった。</p><p>&nbsp;</p><p>塾のポスティングの仕事は開校して夏期講習が終わるまでの短期のアルバイトだったが、その後もエリアにある11校を週４回回ってほしいとエリアマネージャーから言われ続けることになった。僕は相変わらず自分の心の声が誰かに聞かれているのではないかと怯えながら、頭の中に聞こえる”彼女たち”の声にイラつきながら日々を過ごしていた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/janganmalah1970/entry-12673577284.html</link>
<pubDate>Mon, 10 May 2021 02:37:58 +0900</pubDate>
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<title>違い？</title>
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<![CDATA[ <p>兄が死んでからも、僕は相変わらずガードマンの仕事を続けていた。仕事の話は重複になるので割愛するが、ガードマンでも、タクシードライバーでも不動産屋でも長く同じ仕事を続けている人はガードマンはガードマンの顔に、タクシードライバーはタクシードライバーの顔に、不動産屋は不動産屋の顔になっているような気がした。僕は時々自分の顔を鏡で見てみたが何者にもなっていないような気がした。その人たちにあるような年輪が僕の顔には刻まれていなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>２０１３年の冬だったと思う。僕と同じように思考伝播で苦しむ人のブログを見つけた。プログラマーの仕事をしていた女性で随分と仕事をこなしていたみたいだったが、ある時から自分の心の声が外に漏れている気がして仕事を辞める羽目になったとそのブログには書かれていた。文章を読む限りどこにも支離滅裂なところはなく、とても精神を病んでいるようには思えなかった。もちろん、思考伝播で悩む僕が読んだからということもあるだろうけど。</p><p>&nbsp;</p><p>僕はその女性のブログのコメント欄に長いメールを送った（コメント欄だったかブログ上にあったメールアドレス宛に書いたかは忘れた）。ブログは長いこと更新されておらず同じ当事者がどう向き合って生きているのかが知りたかった。</p><p>&nbsp;</p><p>数日後、彼女から返信があった。彼女は精神病院に措置入院した後、自然豊かな土地で精神疾患の人たちが共同生活をするグループホームで今はのんびり暮らしているとのことだった。大丈夫、ジャガさんの心の声は誰にも聞かれていませんよ。薬を適切に飲めば治ります。とも書かれていた。</p><p>&nbsp;</p><p>僕はあなたのブログを読んであなたが精神疾患であるとは思えなかった、薬を飲んで治るのであれば僕も診察を受けてみたい、でも僕の頭の中で聞こえる声（女たちの声）と僕の心の声のやりとりを兄も聞いた、僕が一言も発していないにも関わらず。そして兄はもう死んでしまっていてこのことについて尋ねることはできないけれどと返信した。</p><p>&nbsp;</p><p>それにも長い彼女からの返信があった。中身はほとんど覚えていない。ただ、お兄様のお話ふしぎですねと書かれていたのは覚えている。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/janganmalah1970/entry-12672364288.html</link>
<pubDate>Tue, 04 May 2021 03:12:06 +0900</pubDate>
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<title>兄の死</title>
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<![CDATA[ <p>父が亡くなる少し前だったか、亡くなった少し後のことだったか兄と喧嘩をしてしまった事があった。喧嘩といっても口で言い争う喧嘩ではなくて僕が兄に殴りかかったのである。原因は覚えていないが些細な事だったと思う。同じ家にいながら僕とは口も聞かず母の世話も一切しない兄に苛立っていたし兄に自分の頭の中の”声”を聞かれている不安もあったのだと思う。でも言い訳をするわけではないが殴る拳に力は入っていなく（力が入らなかった）、また殴り返してきた兄にも力が入っていなかった。でもこの事があってからますます兄との関係は険悪になった。</p><p>&nbsp;</p><p>8月（2012年）になって駅のエレベーター設置のための工事のガードマンの仕事にありついた。工事のために狭くなったホームに立ってメガホンを持って「ホーム内狭くなっております。気をつけてご通行ください」と朝の８時から夜の８時まで延々と言い続ける仕事。この仕事をする前にも土日に不動産屋のティッシュ配りや単発のポスティングのアルバイトもしたが週に３回か４回しか仕事がなく給料も安いのでそろそろフルタイムの仕事をしないとと思って始めた仕事だったが、退屈すぎて、また退屈だと色々頭に”言葉”が浮かんでしまうので、それを通行人に読まれまいと必死に”言葉”を消そうとしていた。上下線の電車が来るたびにメモ帳にその時間を書いたり自分の”言葉”が浮かばないように声に出さずに歌ったり、「南無妙法蓮華経」とひたすら頭の中で唱えたりして終業時間が来るのを待った。その間も頭の中に聞こえてくる声は止まず、電車が通り過ぎる轟音に紛れて（声に出して）「うるせーゴギブリ女！死ね！」などと怒鳴ることもしばしばあった。何度も電車が来るたびに飛び込もうかと思った。死ぬことを考えると”みんな揃ったらみんなで謝りに行こう”とか”じゃがちゃん絶対呪われてるよ。お祓いしてもらったほうがいい”とか”彼女”の叔母の声が聞こえたがいつになっても謝りに来ることはなかった。死にたいと思ったときにその”声”がテープを流しているみたいに聞こえてくるだけだった。</p><p>&nbsp;</p><p>へとへとになって家に戻ると真っ先に母の顔を見に行った。母の顔を見ると少しだけ落ちつく事ができた。ヘルパーノートをチェックして今日はこんなことを話してくれましたとか、トイレでスムーズにつかまり立ちができましたなどと書いてあると嬉しくなった。脳出血で倒れる前の母には友人が多く一人終わったと思うとまた一人とひっきりなしに電話がかかってきて楽しそうに相手をしていた。倒れて、退院して家に戻ってきてからもしばらくは以前の友人から電話がかかってくる事があったが、母を電話口に出しても黙っていたり、反応が遅かったりするので、この頃には電話がかかってくることもめっきり減ってしまっていた。出来ることなら以前の母に戻してあげたかった。僕はヘルパーさん達になるべく一人で使える左手で食べるのを見守ってくださいとか、反応がなくてもなるべく話しかけてあげてくださいとか注文が多かったので、そのことで姉とは揉めて姉は一切母のことで手伝いに来てくれる事がなくなっていた。僕が死んだら姉が介護事業所やケアマネージャーなどと介護の方針を決めることになるのだが、姉に任せたら事業所の言いなりで母が少しでも良くなる可能性は薄いと当時は考えていた。生きる理由を見つけたかったわけではないのだが死にたい気持ちからかろうじて逃れられたのは母の存在があったからだと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>10月頃だったと思う。帰宅した僕に兄が突然何の脈絡もなく怒ったようにこんなことを言い出した。「俺はお前よりたくさん音楽を聴いてきたし知っている」</p><p>「だから何？」と聞き返したが兄は黙っていた。僕は自分の心が兄に読まれているといつも不安だったが兄に対して自分の方が音楽を知っているなんて思ったことは一度もないしそんなことはどうでもよかった。中学生の頃は兄の部屋にあったレコードコレクションをこっそり聴いてレコードの扱いでよく怒られたのだ。音楽を好きになったきっかけは兄だった。どうせ酔っ払っているんだろうと聞き流したがしばらく気分が悪かった。この頃から兄の様子が少しおかしいと気づいた。酒の量がめっきり減ってぐったりしている事が多くなったのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>兄から話があると言われて僕と姉が呼び出されたのは年が明けて３月（2013年）になってから。</p><p>「実は昨日検査を受けて、肝臓癌だっていうことがわかった。酒は飲みたくなくなるし、この１年で10キロも痩せたから変だとは思ってたんだけど、やっぱりそうだった。それも末期らしい」と言って兄は苦笑いをした。「これからどうするの？」と姉が訊くと</p><p>「とりあえず三日間は残った仕事をしてそのあとは名古屋に帰ろうと思う」（兄の子供や奥さんは名古屋にいた。）でも翌日兄は具合が悪く仕事には行けず僕が病院に連れて行った。食事もろくに摂っていなかったみたいなので点滴でもうけてみればと僕が言ったのだ。それで楽になるかどうかはわからなかったが兄は点滴を受けた後「少し楽になったよ」と言ってくれた。心配した僕の気持ちを汲んでそう言ってくれたんだと思う。実際家から５分くらいの距離の病院から歩いて帰ろうとしたが辛そうなのでタクシーを呼んだのだ。兄は翌日、翌々日と仕事に出かけ、その後名古屋に戻り、その何日か後に病院に入院した。</p><p>&nbsp;</p><p>僕は何度か見舞いに行くつもりで５枚綴の青春１８きっぷを買った。一度見舞いに行ったら兄は僕を見つけると睨みつけた。ベッドに横になっていた兄はおむつを履いていて何とも情けない格好だった。「どうよ具合は？」と訊いても何も答えずむすっとしている。結局面会中一言も兄は口をきかなかった。怒っていて口をきかないのか具合が悪くて口がきけないのかさっぱりわからなかったが表情からは辛いと言うより怒っているようにしか見えなかった。帰り際廊下で看護師とすれ違ったので「兄はどんな治療を受けているのですか？」と訊いた。看護師は「治療？」と言って首を振った。「子供や奥さんは見舞いに来ましたか？」と訊いても看護師は首を振った。</p><p>&nbsp;</p><p>兄の見舞いにいった数日後、兄の奥さんが泣きながら僕に電話をしてきた。兄には結構な額の借金があるらしく、それをずっと隠していたらしいが借金取りからこないだ電話があって発覚したとのことだった。その借金も何処かの飲み屋で知り合った人の連帯保証人になってできたものだということだった。これからZ(兄夫婦の長女）もX(兄夫婦の長男）も大学、高校に進学なのにうちに借金払っていく余裕なんかない、言い方は悪いけど死ぬのを待っている状態なんだと兄の奥さんは僕に話した。聞くに耐えない話だった。どうしてこの人は弟の僕にわざわざ死ぬのを待っているなんていう話を聞かせるんだろう？僕が兄の借金を返せるわけでもないのに。なんて僕が返答したかは忘れてしまったけれど、いくら酔っていたとはいえ兄が見知らぬ誰かの連帯保証人になるなんてことはちょっと考えにくかった。兄は大酒飲みだったがそこまで自分がわからなくなるということはなかった。借金はしていたのかもしれないが借金を作った理由は話せずに奥さんに嘘をついたのではないかと今では思っている。</p><p>&nbsp;</p><p>兄の奥さんからの電話を切った後、兄が病室で僕と口をきかなかった理由がわかった気がした。兄が名古屋に戻ってから「〇〇（兄の名前）さんはいらっしゃいますか」と知らない名前の男から自宅に電話があった事があった。僕は兄の友人かと思って兄の名古屋の自宅の電話番号を教えてしまったのだ。あの時の電話が借金取りだったんじゃないだろうか？兄が怒って口をきかなかったんだとしたらそれが原因なのではないかと。結局兄に会ったのはその無言での病室でのやり取りが最後になった。兄は２０１３年の３月末に亡くなった。兄は５２歳、僕は４２歳だった。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/janganmalah1970/entry-12664398006.html</link>
<pubDate>Thu, 25 Mar 2021 00:48:15 +0900</pubDate>
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<title>父の死</title>
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<![CDATA[ <p>埼玉県の施設に入所してからも父は早食いが治らず何度も腸閉塞を起こして入退院を繰り返していた。相変わらず週に一度か二週に一度僕は父に会いに行っていたが入所当初から半年も経つ頃には体重も激減して背中は丸まり体も一回り小さくなっていた。何か言葉を発しても何を言っているのかわからなかった。一度だけ兄弟３人で母を連れて施設を訪ねて行ったことがあったがこの時だけは父もうれしそうにしていた。まだ父が家にいて認知症ながらに母の世話をしようとしていた頃、家に来たヘルパーさんに「私はね、この人（母のこと）と一緒になれて本当によかったと思ってるんですよ。こんな素晴らしい人はいない！」と話していたことがあって、突然何をいいん出すんだろうと思ったことがあったが、あの時の言葉は父の本当の気持ちを母に伝えたんだろうなとその時思った。</p><p>&nbsp;</p><p>父が危篤になったと姉から電話があったのは２０１２年の６月。急いで母を連れて埼玉に向かったが死に際には間に合わなかった。施設に到着したときには父の顔には白い布がかけられていてそれを捲ると死化粧がされていた。僕は声に出して泣いた。父の膝に座って時代劇を一緒に見たり、将棋を教えてもらったりした可愛がってもらった子供の頃を思い出したわけでもないし、家中に鍵をつけて父の認知症の進行を早めてしまった自責の念からでもない。何故あんなに涙が出たのか今でもわからないがしばらく涙が止まらなかった。父が埼玉の施設に入所してから１年も経っていなかった。　</p><p>&nbsp;</p><p>遺体をどうしようかと話に兄弟でなって、ズボラで大雑把な性格の姉が車でこのまま運ぼうと言い出した。業者に頼むと結構な額になるからということだった。途中で父を駐車場に残したままファミリーレストランにも寄ったのでなんとも奇妙な気分だった。母は「お父さん死んじゃった」と一言口にしたが悲しんでいるのかどうかは表情からはわからなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/janganmalah1970/entry-12662419733.html</link>
<pubDate>Mon, 15 Mar 2021 02:21:14 +0900</pubDate>
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<title>迷走３</title>
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<![CDATA[ <p>部屋に戻ると”彼女”が「また素直になれなかった。」と言った。「もう、殴ってもらいな。ほんとどうしょもないね」と”彼女”の従姉妹。僕は腑が煮え繰り返っていた。なんとか証拠が取れないものかとインターネットで検索してみたが出てくるのは前述したテクノロジー犯罪と集団ストーカーという記事ばかり。聞こえる”声”の録音も試みたが自分の呼吸する音しか入っていなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>翌朝向かいの家から彼女の母親の声が聞こえた。急いで窓を少し開けて様子を見ていると向かいの家の玄関先に彼女の母親がいてその家の奥さんと話している声が聞</p><p>こえた。「あのことは黙っていてね」「わかってるよ！」「これ、昨夜の残り物だけど食べて」</p><p>&nbsp;</p><p>”あのこと”とは僕が彼女に過去に告白した翌日、彼女と彼女の母親がこの家を訪れて僕の近所の評判やらを訊きにきたことだろうと思った。僕が警察に行った場合、盗撮盗聴の動機としては考えられなくもないと思ったからだろうと。向かいの家もグルになっていると当時は思っってしまった。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>２４時間”声”が聞こえるようになってから一体”彼女”はいつ寝ているんだろうと思うようになった。他の聞こえる</p><p>”声”は昼と夜で交代があったが彼女だけは昼夜関係なく朝起きた時から夜寝るまでずっと聞こえていたからだ。</p><p>僕は頭の中で「覚醒剤でもやってんじゃねーの？」と言ってみた。本気でそう思っていたわけではない。悪態をついただけ。</p><p>でもすぐに”彼女”の母親がそれに反応した。「なんでわかった？もう時効だよ！」と。</p><p>&nbsp;</p><p>耳を疑ったが彼女の付き合っている連中をfacebookで見ていたのでそれもあり得ると当時は思ってしまった。僕は頭の中で「〇〇〇〇（彼女のフルネーム）は覚醒剤やってますよ！彼女の母親が白状しましたよ」と言ってから、タイマーズの「覚醒剤音頭」という歌の『覚醒剤を追放しましょう」の部分を「〇〇（”彼女”の）一家を追放しましょう」と替えてよく歌うようになった。どうせ頭の中の声が外に漏れるなら近所中に彼女の評判を下げるようなことを言ってやろうと思った。覚醒剤をやっていようがいまいが３６５日一睡もしないなんて不可能だし、僕が寝ている間に”彼女”も睡眠はとっているのだろうと思っていた。僕のベッドには僕に気づかれないようにセンサーか何かが取り付けられていて僕が起きるとわかるようになっているのとも・・・。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/janganmalah1970/entry-12660837795.html</link>
<pubDate>Sun, 07 Mar 2021 07:23:25 +0900</pubDate>
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<title>迷走２</title>
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<![CDATA[ <p>”彼女”の父親が「後でゆっくり話聞かせてくれる？」と言って電話を切ってから２時間後僕の家のチャイムが鳴った。時刻は夜の0時。チャイムがなる前に外で「じゃがさんのお宅はここですか？」と誰かに聞いている”彼女”の父親の声が聞こえた。しらじらしい、知らないわけがないと僕は思っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>玄関を開けると彼女と彼女の両親、弟が立っていた。彼女の父親はパンチパーマをかけた長身で風貌はヤクザみたいだった。ヘルパーさんが来る時間だったので外に出てもらった。「いい加減にしろよ！ってうちの女房に言ったでしょ？何がいい加減にしろなの？」と彼女の父親は訊いてきた。「何って、わかってんだろ？」と僕は返した。「てめーいい加減にしろよ！」とさっき僕が彼女の母親に言った言葉を彼女がおうむ返しに甲高い声で怒鳴った。よくもそんなことが言えたものだと僕は彼女の方を向いて睨んだが、彼女の弟がそれに反応してファイティングポーズをとる。それを彼女の父親が制止して「本当にわかんないんだよ、教えてくれないかな？」と言う。「盗撮してんだろ・・」僕は声が小さくなった。そんな事真夜中に大きな声で言えない。「盗撮！男の俺が男のあなたを？」と言って彼女の父親は大きな声で笑った。「あんたじゃないよ、こいつらがだよ」と僕は彼女と彼女の母親を指さして言った。「お前らそんなことしてるのか？」と父親が訊き彼女達は首を振る。「こいつらの声が聞こえるんだよ！」と僕が言うと「それはあなたの心の病気だよ」と彼女の父親は言う。「違う！とぼけてんじゃねーよ、警察行けよ！じゃあなんで俺はじゃがとしか名乗ってないのにここが俺の家だってわかったのよ？じゃがって名前はいくらでもあるじゃん。俺の声を知ってるからわかったんだろ？」「俺は知らない、こいつらは知ってる」と父親。「やっぱり知ってんじゃねーかよ」「わかった、じゃあ今から一緒に警察行こう、警察行ってはっきりさせよう」「いや、今は行かない。証拠がないから」「じゃあいいのね、はっきりさせた方がいいと思ったんだけど」悔しかったが、本当に何も証拠がなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>このやりとりの最中に兄が帰ってきたが兄はこちらを一瞥して訝しげな表情をしただけで家に入っていった。家に戻るとヘルパーさんもまだいて、やりとりが聞こえたのか困った表情で僕を見ている。兄は僕に何も訊かなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/janganmalah1970/entry-12659609486.html</link>
<pubDate>Mon, 01 Mar 2021 03:04:14 +0900</pubDate>
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<title>迷走</title>
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<![CDATA[ <div>話は前後する。頭の中に聞こえる“声”が24時間になってどこにいても聞こえるようになり、頭の中で考えていること、”聞こえてくる声”まで筒抜けになってしまってから僕は“聞こえる声の彼女”のフェイスブックをチェックするようになった。何かしら手がかりがあるかもしれないと思ったからだ。彼女のフェイスブックの友達は悪そうな男達と派手なギャルファッションの女の子達ばかりだった。またこの頃、聞こえてくる“声”のメンバーチェンジもあった。昼間は“彼女”と彼女のおばあさんとたまに母親、夜は”彼女“と彼女のいとこと母親の”声“が聞こえていたのだが、昼間は”彼女”と彼女の叔母（彼女の母親のことをお姉ちゃんと言っているのが一度聞こえたからで”彼女”と彼女達の関係は今でもよくわからない)、夜は”彼女“と別のいとこらしき人に入れ替わった。話し声の感じから昼の人は50代半ば、夜の人は40代半ばの声に聞こえた。朝、ゴミ捨てに行くときに彼女の家の方をみると、この二人が実際に入れ替わるところも見えた。彼女はこの二人をどちらとも“お姉ちゃん”と呼んだ。</div><div>&nbsp;</div><div>この二人は初めはものすごく攻撃的に僕を罵った。”彼女”の母親のことを僕が”ババア”と呼ぶのが気に入らないとのことだった。でも僕が母のオムツ交換などをしているところを”見て”からは態度が変わり「聞いてた人と全然違う。うちが悪いよ！」などと”彼女”の母親と喧嘩をするようになった。「こんなの安請け合いするんじゃなかった」ともいう声も聞こえた。</div><div>&nbsp;</div><div>「悪いと思ってるんならすぐにやめて自首しろよ！」と僕が強い調子で言うと仕事辞めなきゃいけないとかなんとか勝手な応えが返ってきた。</div><div>&nbsp;</div><div>ある日”彼女”の母親が僕の帰り道にある、あるお宅に入っていくのが僕の部屋の窓から見えた。そのお宅には”彼女”と同じ姓の表札がかかっていて以前から気になっていたのだ。”彼女”の姓は珍しいものだったし、こんなに近所に同じ”姓”の人が住んでいるなんてもしかしたら親戚ではないかと思っていたのだ。またその頃は聞こえてくる”声”の方角もそのお宅の方から聞こえてくるような気がしていた。鉄筋コンクリートの家の屋上には小屋のようなものもあり、そこから盗撮しているのではないかと勘ぐり、”彼女”の母親が出入りするのを見てからはそれが確信に変わってしまった。近所だから親戚でもなんでもなくても付き合いがあっただけなのではないかと当時は考えることが出来なかった。</div><div>&nbsp;</div><div>僕は仕事帰りなどにこの家の門から吸い殻入れに入ったタバコの吸い殻をばら撒くようになった。夜中の３時頃に”彼女”の家とこのお宅に泊まっていた車のタイヤに画鋲を刺しに行った事もあった。”彼女”の親戚と思しきこのお宅は防犯カメラが何台も設置され吸い殻をばら撒くのも２週間ほどでやめた。でも灯油でも撒いて火をつけてやりたいと本気で思っていた。それを思いとどまったのは”彼女”の子供の”声”は聞こえていなかったし、子供を巻き込むのには抵抗があったのと自分の母親を殺人者の母にはしたくなかったから。</div><div>&nbsp;</div><div>年が明けて２０１２年の１月ごろだったと思う。意を決しって僕は”彼女”の家に電話をかけた。僕は”彼女”の携帯の番号すら聞いていなかった。彼女の母親が電話に出た。</div><div>「どちら様ですか？」「じゃがだけど。てめーいい加減にしろよ！」</div><div>「は？なんのことですか？」「すっとぼけてんじゃねーよババア！」</div><div>「主人に替わりますね」</div><div>&nbsp;</div><div>彼女の父親はひどくドスの効いた声で何か怒鳴ったが最初に何を言われたか覚えていないが「後でゆっくり話聞かせてくれる？」と言って電話を切った。</div><div>&nbsp;</div><div>続く</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div>
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<link>https://ameblo.jp/janganmalah1970/entry-12658795943.html</link>
<pubDate>Sun, 21 Feb 2021 21:22:02 +0900</pubDate>
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<title>驕り</title>
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<![CDATA[ 父は地方公務員で朝は5時に起きて6時には家を出て、職場の近くの喫茶店でコーヒーを飲んでから職場に向かい、仕事が終わるとどこにも寄らずに家に帰ってくるということを40年以上繰り返した。夜間高校卒の最終役職は都市整備課の次長だった。認知症になってからも仕事だと言って設計図をみていることもあった。<div><br></div><div>僕はそんな父を尊敬はしていなかった。寧ろ軽蔑していたかもしれない。真面目に働いて家に帰ってテレビ観て寝るだけの毎日。何が楽しいんたろうと思っていたが、自分が働いてみると父のように同じ仕事を一筋に何十年も続けるなんてことはしたことがないけれど、仕事が終わったら酒飲んで寝るみたいな生活はテレビ観て寝る父と変わりないじゃないかとも思った。生活のために働くわけだがその生活が全く楽しくなかった。いつまでも定職に就かない僕を父は快く思っていたはずがないが、そのことを口にすることはなかった。父も母も（特に母は)僕が元気で生きていてくれれば良いという態度で接してくれた。</div><div><br></div><div>この介護施設の職員に父は最初「次長」と呼ばれた。周囲から馬鹿にされている人が「先生」とか「社長」と呼ばれることがあるがそのニュアンスだった。次に父は下の名前にちゃん付けで呼ばれた。徘徊に職員が同行してくれるなど他の施設ではやってくれないこともこの施設ではしてくれていたが、父の人格を否定されているような気持ちになった。どうして介護する側は介護される側を下にみるのだろう？自分が認知症になって父と同じように接しられたらどんな気持ちになるか考えたことはあるのだろうか？認知症だからわからない、わからないから良いと思っているのだろうか？この施設に限らずヘルパーや看護師の多くは”してあげてる“という驕りがあるような気がする。でも僕はこの施設にそのことでクレームをいれることはしなかった。母のことでもケアマネジャーやサービス提供責任者にうるさく注文していて疲れていたというのもあった。また思考伝播で言わなくても伝わっているとこの頃は思っていたので直接言っても変わらないと思っていたのだ。</div><div><br></div><div>続く</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/janganmalah1970/entry-12657777766.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Feb 2021 00:17:10 +0900</pubDate>
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<title>兄にも聞こえる？の続き</title>
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<![CDATA[ 「なんて聞こえるの？」と僕は訊き返した。<div><br></div><div>「いや、何を言ってるのかは聞き取れないけど、お前の声と若い女の子とおばさんの声が聞こえる。」</div><div><br></div><div>血の気が引いていくのがわかった。兄にも自分の頭の中に聞こえる声とやりとりしている自分の声も聞こえていたのだ。僕は咄嗟に「ヘルパーさんと喋ってる声じゃないかな？」と誤魔化した。ヘルパーさんは夜中でも母のオムツ交換と体位交換に来ていたが来るのは一人だけだ。兄は納得がいかないという顔をしていたが、それ以上突っ込んで訊いてくることはなかった。</div><div><br></div><div>僕はそれ以降家にくるヘルパーさんに時々「女の声が聞こえませんか？」と訊ねるようになった。”女の声“とだけ言ったのは“僕の声と女の声が”と訊けば頭がおかしいと思われかねないからだ。なので、もし「聞こえます」と応えた場合でも自分の頭の中の声も聞こえるとヘルパーさんが言わなくても僕の”声”も聞こえていると判断出来ると思ったからだ。ヘルパーさんは「聞こえません」と応えるか、「こわーい、この家（お化けが)出るんですか？」という反応だった。でも僕はヘルパーさん達の言葉を信じることが出来なかった。”何か”を知っているのに僕には黙っていると当時は思っていた。例えばヘルパーさんがいるときに僕がこの人、気が利かないなぁなんて口に出さずに思っていると僕がして欲しい通りの動きをしたりしたからだ。たまたま勘の良いヘルパーさんが多かったのかもしれないとも言えるけど。　　</div><div><br></div><div>年明け兄を家の近くの創作ダイニングの店に誘ってもう一度こう訊ねてみた。「前に俺の声と女の声が聞こえるって言ってたけど今でも聞こえる？聞こえるなら病院に行かなきゃいけないからさ」と。</div><div><br></div><div>兄は<br></div><div><br></div><div>「お前の声は聞こえる。女の声は聞こえなくなった。ヘルパーさんだったのかもしれん」と応えた。</div><div><br></div><div>兄はこの後僕とは口をきいてくれなくなった。それがどうしてなのかはわからない。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/janganmalah1970/entry-12656755465.html</link>
<pubDate>Sun, 14 Feb 2021 23:49:30 +0900</pubDate>
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<title>兄にも聞こえる？</title>
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<![CDATA[ 僕は聞こえる“声“の彼女に出会う2ヶ月くらい前に心療内科を受診していた。小学校1、2年の時に担任が1週間で忘れ物をした生徒の上位3人を貼り出すということをやっていて僕はいつも3位にランクインしていた。そこからはじまって小学校5、6年の頃になると、テストなどでも100点が取れるものでもつまらないミスをして、いつも通信簿にはケアレスミスが多い、情緒不安定などと書かれていた。<div><br></div><div>その頃ADD（注意欠陥障害)とかADHD（注意欠陥多動障害)というのがマスコミなどでよく取り上げられていた。通常は成長するにつれそうした症状？は改善するらしいが、大人になっても症状が残る人が増えているとのことだった。振り返ると多動には当たらなくても不注意は年を増すごとに増えていってるように思えADDを自分で疑い受診したのだ。</div><div><br></div><div>脳波を調べられたりIQテストやカウンセリングもした。診断はADDやADHDではなく広汎性自閉症スペクトラムの可能性ということだった。また脳波の結果から短時間集中してすぐに疲れる疲れやすい脳だとも言われた。セロトニンなど（他は覚えていない)いろいろな薬を通院するたびに違う薬を処方されたがどれも効果はなく、半年ほどで通院も服薬もやめた。</div><div><br></div><div>前記事の職場では、このことをよく噂された。「じゃが君、実力を発揮出来ない人なんだね。わかってあげたいけどさ」などと。もちろん、そのことは誰にも話していなかった。面接で話せば不採用になっていたと思う。“聞こえる声の彼女の母親”が探偵に調べさせて職場に漏らしたのだと当時は思っていた。でもどちらにしろ何かしら仕事をして収入を得なければならなかった。</div><div><br></div><div>僕はこの職場でもよくミスをしたのでメインのピッキングの仕事をはずされてかご代車にたまった段ボールを片付けたり、フロアの掃除などの補助的な仕事にまわされた。最初は屈辱的に感じたがやっているうちにこれはこれで誰かがやらなければならない仕事だし、メインの仕事をしている人達の仕事の負担を減らせて職場での自分のポジションを得たようにも思えた。</div><div><br></div><div>僕はこの職場に最初は電車で通っていたが、電車に乗ると自分の頭の中の声を聞かれ、それに反応する人達がいたので車通勤に切り替えた。車には母親が半身不随で歩行困難者だったので駐禁除外標章があって職場の近くに路駐しても切符を切られることはなかった。</div><div><br></div><div>“聞こえる声の彼女”には一度は自分を全て受け入れてくれているような気がして恋が再燃したが、思えば本当に好きでいてくれるなら盗撮や盗聴など出来るはずがなかった。“好き“と彼女に頭の中で言ってそれが伝わってから2週間もしないうちに僕はすっかり冷めて“彼女”のことを“ゴキブリ女”と呼ぶようになっていた。まるでフェイトスピーチをする人達が使うような言葉だと思ったが“彼女やその家族には何を言ってもいいと思った。僕の部屋の壁には“聞こえる声”への苛立ちから蹴飛ばして空いた大きな穴ができてしまっていた。</div><div><br></div><div>車通勤に変えても“彼女達”の声はうるさかったのである時職場の近くで大声で「うるせーよゴキブリ女！」と叫んでしまった。「いいじゃねーかよ、かわいい子なんだからよ！」とこれまた大きな声がした。職場の人の声だった。</div><div><br></div><div>カップルで職場に来ていた女の子もこれを聞いたのか「〇〇ちゃん、すごいかわいい子なんだよ。ゴキブリなんてひどすぎる」みたいなことをいっているのが聞こえた。まるでお前には似つかわしくない、仕事が出来ないんだから盗撮されても当たり前と言われてるような気がした。でも僕はこの女の子とテレパシー？でよく会話した。彼女が一番僕の頭の中の言葉をキャッチして反応したからだ。僕は職場では仕事が出来ないので小さくなっていて誰とも話をしなかったが、僕の頭の中のおしゃべりに彼女はよく笑ってくれて、「じゃがちゃん、本当は面白い人なんだね」と誰かに話しているのも聞こえた。「じゃがちゃん、実力を発揮出来ない人なんだよ。誰かじゃがちゃんのお兄さんになってあげて」とも。この職場にいる男性は僕以外は20代にしか見えない若い人ばかりだったのでお兄さんになってあげてはないんじゃないかと思ったが、もう馬鹿にされるのにも慣れていた。この彼女が一番僕の頭の中のおしゃべりに反応するので自然と彼女とばかり”話して“いたが（実際の言葉は交わしていない)周りからは「じゃが君、普段若い女の子と話さないから話したいんだよ」などと言われた。</div><div><br></div><div>ある日仕事が終わってロッカールームに向かっているとその彼女が僕の前方を歩いていた。僕はまた思ってもいないのに（彼女が僕を)“意識してる“と頭の中に言葉が浮かんでしまった。彼女が何を言ったかは覚えていないがぷんぷんに怒らせてしまい、そのままこの職場も辞めることにした。　</div><div><br></div><div>家に帰って、これからこのサトラレの状態でどうやって生きていけば良いのかあてもなく考えていた。インターネットで同じような境遇になった人はいないか検索すると思考伝播とか統合失調症というキーワードがヒットする。薬で治ったという人もいた。薬で治るものなら治したかったが副作用で廃人にされるのではないかとも思った。中には量子のもつれで思考伝播が起こるというものもあったが内容が難しくて僕には理解出来なかった。でもその量子のもつれとやらが自分に起きているのではないかとも当時は真剣に考えていた。</div><div><br></div><div>兄が深夜に帰ってきた。兄とはよく兄がBSなどで録画した音楽のビデオを一緒にみた。その日もビデオを見終わってから兄が突然切り出した。</div><div><br></div><div>「お前一体誰と喋ってるんだ？お前の声と女の声が夜中に聞こえるんだけど」</div><div><br></div><div>続く</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/janganmalah1970/entry-12656341410.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Feb 2021 04:37:26 +0900</pubDate>
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