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<title>anachamaのブログ</title>
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<description>ブログの説明を入力します。</description>
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<title>【自己分析2】女性として</title>
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<![CDATA[ <br>就活のために自己分析しなきゃ・・・という下心とは裏腹に、自己分析をしていると完全に自分の世界に入ってしまう。（笑）<br>今回は自分を一人の女として分析してみた。とにかく辛かった。<br><br>私はとにかく男っぽいと言われる。実際私もそのような振る舞いをしている。男気のある女性がモテない事はわかっているのに、どうしてもやめられない。おかげで彼氏はいないが男友達は多い。気軽に話せる対象としてみてくれる。飲みに誘ってくれたり食事に誘ってくれたりする男友達もいる。(というか女友達よりも男友達の方がそれらの機会は多い。) だから、やめられない。だって、やっぱり嬉しいじゃない、そうやって誘ってくれるのって。いつも可愛い服着てきゃぴきゃぴな女の子と一緒にいる人より、きっと男友達に誘われたり飲みに行ったりする機会は多いと思う。ただし、ある特定の彼氏というものができない。今までは「いなくてもいいし」と言い続けてきた。しかし、誰かに聞いて欲しい、誰かを頼りたい、という思いが常にある。最近それに気づき、実はかなりの寂しがり屋なのだと思った。「群れている女より、一人で凛としている女であれ。」という言葉をTwitter上で見たことがある。「私は一人でもやっていける」と思っていた。そんな自分がかっこいいとさえ思っていた。<br>私の心の奥の弱さや脆さに気づいてくれていた人が一人だけいる。きっと色々な人を見てきたのだろう。随分前から私の殻を破ろうとしていたようである。というのも、前から飲みに誘ってくれていて、ようやく最近飲む機会があり、そのことを教えてくれた。初めてだった。私は人に、特に男性に自分の弱さを見せることをひどく嫌う。どうでもいいプライドがそう思わせてしまう。だから、いつも気丈に振る舞っているし、暗い面をなるべく見せまいとしてきた。そんな中、自分の心の奥を見透かされていたと知って、驚くと同時に安心感を覚えた。「私の事を興味を持って見てくれる人がいるんだ」という安堵感は初めて抱いたかもしれない。<br>「強い自分」を見せることに必死になって、少し自分を見失っていた。そして、自分の悪い所を直すことや、理想だと思う人間像に近づくために努力することを怠っていた気がする。<br><br>私が思う理想の人間像。それは、<br>1.喜怒哀楽を、感じたままに出せる人。<br>2.人を心から思える人。人のために何かできる人。<br>3.人の悪口を言ったり、人を疑ったりしない人。<br>である。<br>「完璧じゃなくてもいい。万人から愛されなくてもいい。一人でも理解してくれる人がいればいい。」ずっとそう思ってきたし、多くの人もそう思っているだろう。<br>確かに私の言う理想の人間像になるのは難しい。悪口を言わないという事は、何かに昇華するか、自分の中で抱え込むしかない。人を思いやってとった行動だって、結局は自分のためだったりする。誰だって一番自分が大切だ。私だって例外ではない。しかし、自分が大切だからこそ、「いい人になろう」と思えるのではないか。人間の複雑な感情の中には、周りから大切にされたいと思う気持ちがある。それを、諦めてはいけない。というか、諦めてはもったいない。理想像に近づこうと努力するチャンスだ。<br>最近、私もそのチャンスを自ら放棄していることに気づいた。口で言うのは簡単。実行に移すのが困難。でも、いつも素でいて、悪口も言わなくて、それでいて明るい人になれたら、とっても素敵じゃない？だから、努力はしなきゃいけない。自分を勝手に廃らせてはいけない。<br><br>「私は努力できる人間だ」という気持ちを持ち続けたい。<br>自分の悪い所に気づけたのは、きっと大きなチャンスなのだろう。<br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/jes2/entry-11556940459.html</link>
<pubDate>Thu, 20 Jun 2013 23:15:01 +0900</pubDate>
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<title>【自己分析1】他者の見方</title>
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<![CDATA[ <br>あと半年もすれば就活がスタートしてしまう。「怖いものはない」と言いたいところであるが、やはり未知の世界には不安がつきまとう。<br>就活で一番大切だと言われるのが自己分析だ。別に自分がどの業種・業界に向いているかを見極める必要はない。ただ、自分自身に嘘をついていると、面接官にも伝わってしまうほど緊張と不安でガチガチになるらしい。それを回避するため、誰よりも自分を知る必要がある。<br>他人から見た自分と自分が思う自分にはかなりの相違がある。私は、他人から見た自分を考えるのが趣味(？)である。これは小学生の時から無意識的に行ってしまう。一方、自分が認識する自分についてはとても浅い見解しかない。つまり、悪く言えば他人の目を気にしながら生きてきた、ということである。例えば、私がある相手対し何らかのアクションを起こすとする。それは行動であっても発言であってもいい。それに対して相手がどのように感じ、どのように反応してくるかを一瞬で予想してそれに備える。次の手、次の手、を頭をフルに使って(といってもほぼ無意識)考えていく。私は普段からあえて稚拙な行動や失言をすることがある。もちろん本当に誤って言ってしまったり行動してしまったりすることもある。しかしそれは極度に精神的圧力を感じている時か、相当スピーディーな反応を求められた時くらいである。(特に怒りに任せて感情的になっている時はかなり危険である。（笑）) つまり、私の言動には必ずと言っていいほど意味がある、ということである。この発言は他人からすれば呆れるものであろう。嘲笑も歓迎する。大変自意識過剰な発言をしているように思えるだろうが、私なりに自己分析し、事実だと思っていることをここに記している。<br>まぁそんなことはともかく、他人から見た自分について詳しい私が、自分自身から自分を見つめ直すということは困難である。他人の視点という、ある程度の客観性が入り混じってしまう。自己分析には主観性も大切だ。一番良いのは、「この人は私をこう思っているだろう」という考えが覆されることである。全くの見当違い、という事は今までに経験がない。しかし、「何を考えているのかが非常にわかりにくい」といった人は何人か出会ったことがある。約20年間しか生きていない私は、「世の中にはこんな人がいるのか」と驚かされることが多い。いい意味で特殊な人もいれば悪い意味で特殊な人もいる。さすがに大学生ともなれば、相手への接し方は一応心得ているので、そこに対して何かの不満を陰で言ったり、排他的な態度をとったりすることはめったにない。私は、そのような自分の中である意味での刺激になる人の存在こそ、私の自己分析にはもってこいだと思う。<br>友人のうちの一人に、私を本当に理解してくれているのかいないのかはっきりしない人がいる。きっと理解してくれているからなのだろうが、すぐに私の欠点や弱点を見つけては抉ってくる。そのような人に出会ったのは大学に来て初めてであった。しかも同性ではなく異性ということもあり、私が珍しくライバル心を剥き出しにできる。（笑）<br>自分が人の心情を考えるのは好きだが、逆に人から読まれることは、私にとってはちょっとした屈辱である、ちなみにこんなちっぽけな事を「屈辱だ」と感じてしまう自分の稚拙さをなんとかしたいというのが直近の悩みである。なんとかしたいと思っても、周囲の環境がそれと同様またはそれ以下(とても失礼な言い方で申し訳ないが。)であるため、さらに稚拙さが増していく。<br>いい人になろう。大人な考えを持とう。凛として生きよう。と意気込んできた。しかし、本当に素直で性格の良い子を見ると、自分は聖人になどなれないなぁと思ってしまう。大人な考えでいようとすれば、周りに対して少し見下したような見方になる。仕方のない事かもしれないが、偉人でも何でもない私からしたら是が非でも回避したことである。凛として生きようとすれば、「ひとり」でいることへの恐怖と孤独感が知らず知らずのうちに広がっていく。<br>変に飾ろうとせず、プライドや過剰な自信を捨て去ることで、一皮剥けた人間になれると思う。私にも言えることだ。<br><br>もっと書きたかったが、かなりの眠気に襲われているため、何を書き出すかがわからない状態にある。<br>ということで意識のあるうちに終えておく。<br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/jes2/entry-11556171815.html</link>
<pubDate>Wed, 19 Jun 2013 22:38:00 +0900</pubDate>
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<title>【問題2】所属団体</title>
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<![CDATA[ <br>では、再び所属団体について自分なりの考えを書きたいと思う。<br><br>2.ゼミナール<br>大学には大抵、「ゼミ」というものがある。大学によっては強制参加ではないところもあるようだが、私の大学では必修となっている。私の大学でのシステムとしては、2年生の初めに説明会が行われ、夏休みの前には全員がゼミに所属することになる。教授や学習内容によっては定員オーバー(私はまずこの定員を設けること自体が気に食わない。)になるゼミもある。その場合は面接等を行って選考される。<br>落ちてしまった場合は、2次募集によって、定員割れしたうちのどれかのゼミを選んで再び面接等で選考される。<br>私は1次募集においてかなり人気のゼミに応募し、奇しくも選考に漏れてしまった。そして今所属しているゼミは2次選考で受かったところである。<br><br>さて、この「ゼミ」とやらがどうにもこうにも問題だらけなのである。しかしサークル内の問題とは違い、解決が困難なものばかりではない。努力次第では解決できるものもある。<br>一番の問題点は、やはり人間関係である。と言っても、非常に厄介な人がいるわけでもなければ、いじめがあるわけでもない。メンバーがあまりにもお互いに興味を持たないのである。もちろん、気が合った者同士で飲みに行ったり語り合ったりすることもある。しかし、わがままかもしれないが、私は全員が全員を理解し、全員が積極的に考えてくれるようなゼミにしたい。私のゼミは2次募集で集まった人が多く、人気はあまりない。きっと一部の者は「来たくもないところに来てしまった。」と思っているだろう。私だって最初はそうだった。でもだからと言って、所属が決まったところにそのような個人的事情を持ち込むのはおかしいと思う。だから私はたとえ気が進まないことでも積極的に参加しようとしている。<br>上からものを言うようで申し訳ないが、もっと他人のことを考えるべきではないかと思う。例えば、自分が1次募集で選んで頑張ろうと意気込んでいるとして、2次で入ってきた者がやる気なく消極的であったら、率直に「邪魔だなぁ」と感じるだろう。それくらい、誰にでもわかる。さらに言えば、2次で入ってきた者は、自分は1次選考で漏れた者であることをしっかりと受け止めるべきだ。自分の望む環境でなきゃ力を発揮できないような者など、社会に出ても必要とはされないだろう。<br>しかし、そういう者にこのような事を言うと、さらに塞ぎ込んで距離が遠くなるのがオチである。非常に面倒だが、誰しもが大人ではない。そのような者が私に興味を持ってくれなくても、私は興味を持ち続けたい。なぜ興味を持ってくれないのか、なぜこのように考えるのか、ということを追究し続けたい。<br>その上で、より他人を理解する寛容な心が必要である。メンバーの一人に「そこは理解してあげないと」と諭された。あまり言いたくはないが、私は洞察力には自信がある。そのため人が何を意図して何を行っているかを把握することは容易である。各人の性格は理解しているつもりだ。しかし実際にその理解した部分にとらわれて気を遣い続けてしか接することができないという状況は、今後のためにも回避すべきことだと思う。そして、こちらが気を遣って相手を甘えさせるだけでは、その相手が自分自身の問題点を見い出すことができなくなってしまう。<br>傷つけたいわけじゃない。ただ私は全員が「楽しい」と少しでも思ってくれるような団体にしたいだけだ。<br>周りは見えている。しかし、どのようなアクションを起こせばいいかわからない。もしかしたら人の心の琴線に触れてしまうかもしれない。私がタフであるだけに、繊細な人を面倒だと思ってしまうことも事実である。<br><br>はて、どうすれば。<br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/jes2/entry-11555422398.html</link>
<pubDate>Tue, 18 Jun 2013 22:35:36 +0900</pubDate>
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<title>(ちょっとブレイク)</title>
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<![CDATA[ <br>【問題2】について書く前に、ちょっと近況について書いてみる。前記事とはうってかわってだいぶフランクな内容であるし、いかにも「学生」が悩みそうなミーハーな内容であるので、読む価値はゼロと言っていいだろう。<br><br>最近、周りにいわゆる「リア充」が増えてきている。なぜだろう、ここ3ヶ月のうちに10組近くのカップルが身近にできている。正直言ってしまうと、私が気になっていた人にも相手ができてしまい、大変複雑な気持ちで過ごしている。<br>驚くのが、予期せぬカップルが多いことだ。というのも、みんな「いきなり」出会い、大変スピーディーに交際をスタートさせている。<br>私からしたら絶対にあり得ない事である。(あくまで個人的な意見である。)<br>相手は誰でも良かったのか、それとも真剣なのか、私にはわからないし、別にどちらでもいい。<br>最近では某恋愛ドラマが大変好評である。ストーリー的には日本人が好みそうな少しドロドロしていて、かつ、性的な表現が含まれるようなものである。主人公の女性は2人の男性に翻弄されながら展開していくのだが、現実において考えればそれは許されるのだろうか。本当に憧れの恋愛なのだろうか。どちらともわからない恋愛など、浅はかであるし不純である。<br>確かに人はより多くの人に愛されたいと願う。特に女性は、何人もの男性から愛され、選択するというプロセスに憧れを持つ。<br>しかし、そこで選んだ相手は、他者と比較した時に最も適していると思っただけで、単独で見た場合はもっと自分に相応しい相手がいるのではないだろうか。そうは思っても、なかなか出会うことはないし、キリがない。選択肢から選択するほかない。それに対して不快感を抱いてしまうのは、きっと「愛されるより愛したい」という側の人間だからなのかもしれない。だから、気になっていた人に相手ができても、自分が愛されないことより、その人を愛する気持ちが薄れてしまうことの方がよっぽど辛く感じる。<br>私は「リア充」になった友人のうちの一人に、本当に相手が好きかと尋ねてみた。即答でイエスが返ってくるかと思っていたが、少し言葉を濁していた。以外にも自分の気持ちに自信がないのかな、と思った。<br>もちろん、「好きすぎて辛い」などと言う人もいるだろう。(某歌手が歌うものはそのようなことばかり言っているし(笑)。) 別に私は「リア充」に敵対心などない。むしろ羨望の眼差しで見ている。友人たちにはぜひとも幸せになってもらいたい。だからこそ、自分の相手に対する気持ちを明確化して、自信を持ってその相手も幸せにして欲しいのだ。<br>私にも相手ができたならば、そうなれるよう最大限努力する。でも、「愛される」ことよりも「愛する」ことを忘れずにいたいと強く思う。<br><br>はて、大変どうでもよい内容になってしまった。(笑)<br>一度くらいこのことについて所信表明してみたかったので、まぁ良しとしようではないか。<br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/jes2/entry-11554289468.html</link>
<pubDate>Mon, 17 Jun 2013 13:10:51 +0900</pubDate>
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<title>【問題1】所属団体</title>
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<![CDATA[ <br>ここでは私が所属するサークルについて書きたいと思う。<br><br>1.サークル<br>私は一つのサークルに入っている。入学当初は三つ入っていたが、自宅通いということもあり、一つにせざるを得なかった。<br>率直に言うと、今のサークルに入ったことを後悔している。理由は大きく分けて二つある。一つはサークル全体を客観的に見た時に明らかに組織としては問題ではないかと思う部分である。もう一つは私個人の主観的視点によるかなり稚拙な(笑)不満である。<br>客観的に見た時の問題としては<br>a.個々人の個性が強すぎること<br>b.学年間に大きな溝があること<br>c.各々が一つの概念だけを信じ切っていること<br>d.常に自分を最優先させること<br>e.dゆえに周りが見られないこと<br>f.上記のような問題に嫌気がさして活動に来なくなる、または辞めるといった問題逃避行動を起こす者がいること<br><br>そして私個人の問題としては、同じチーム内での先輩と後輩に常に腹立たしさを感じる事がある。先輩も後輩もとても稚拙な思考を持っていて、人との関わり方に重大な欠陥を抱えているように思う。(あくまで私的な意見である)<br>私が考えつく問題は以上である。<br>書いてみると予想以上に多く、予想以上に深刻な問題ばかりで少々驚いてしまった(笑)<br><br>では、一つ一つに焦点を当ててみたいと思う。<br>aについては、スキル的な個人差も含むが、主に性格の違いを指す。もちろん人それぞれ性格は異なり、それがいい意味で機能することもある。ただ、悪い意味で機能した時の影響は甚大である。一番言えるのが、サークルに所属するメンバーにはいわゆる「コミュ障」が多い事である。よく笑い話として、茶化すネタとして「コミュ障」という言葉が使われるが、実際このような人がいると悪影響ばかりで、笑い話では終えられなくなる。「コミュ障」であることによって組織内のメンバーとの連携が難しくなる。そして当然であるが、協力すべき外部との連携にも支障をきたす。<br>私の学年では、よく他の学年についての批判を言う事がある。実際私も先輩後輩に対しては不満だらけで、それを理解してくれるのが同期のメンバーであるためそこをはけ口としてしまう。しかし、時々嫌気が刺す。他の学年よりも、自分たちに問題があるのではないか、と気づかされる。とある先輩に「お前たちの学年は組織としては最悪だ」と言われたことがある。それに対しては今でも憤りを感じる。そんなことを決していいとは言えない先輩の代に言われる筋合いはない。だがしかし事実である。全員がそれに気づいている。それでも誰も曲げようとはしない。ここに大きな問題があり、私一人の力ではどうにもできない。<br><br>bについては、aの所でも少し書いたように、各学年が他学年に対して色々と悪く言い過ぎる点を指す。私も含め、自分の学年が一番いいと勝手に思い違いをしている。(ただし私の一つ下の学年を除く。)それゆえ、他学年のスタンスや考え方を理解しようとしない。私は一つ上の学年に一番不満を持っている。彼らこそ自分の学年がスキル的にも組織的にも一番優れていると思っている学年と言える。彼らは私たちの学年に対していちいち文句を言ってくる。私たちは言われないと気づかないほどバカではない。(とりあえず私は気づいている。) 組織を良くしたいと思って私たちに改善を求めて来るのだろうが、それは逆効果だという事に気づいていない。誰だって批判されるのは嫌である。私たちの学年は元々悪く言えば卑屈な面があるため、批判に対しては「売り言葉に買い言葉」のような反応しかできない。私たちは「こうなりたい」という目標的な先輩が必要であり、押し潰してくるような先輩は必要ない。このようなスタンスゆえ、上の学年は私たち以外の学年を可愛がるようになった。率直な気持ちとしては「勝手にしろ」と言いたい。(きっとこのように思ってしまうこと自体いけないのだろう...)<br><br>cについては、学年に関係なく、個々人の組織に対する関わり方についての考え方の違いを指す。私個人としては、組織内での人間関係を大切にしたい。一方で、人間関係よりもスキル的格差を重視する人もいる。こればかりはどうすることもできない。他のサークルを見ても、活動に力を入れる人もいれば友達作りに尽力する人もいるため、スタンスを統一するのは不可能だろう。初めから全員が極一的なスタンスに統一されていればいいのになぁ、、、笑<br><br>dについては、私たちの学年内に一番言えることだろう。他学年から嫌われるには理由がある。また、大きな問題を抱えがちなのも私たちの学年である。それは、一人ひとりが自分のスキルや私的な事情を最優先させる点である。私たちの学年に一番言えるのが、人の話を聞かないということである。私はよく人の話を流してばかりだと言われるが、そういう意味ではない。cと同様だが、自分の考えだけを貫こうとする。他人の性格や考え方を積極的に理解しようとする努力はしない。しかし、どっちつかずの立場をとっていると必ず「お前はどうなんだ」と問い詰められる。同期にそのような人が一人いるが、その人はすぐに嫌気が刺して自分一人で抱え込んで後々いきなり爆発させてくる。こっちとしては意味不明である。自分の意見を求められたときくらいはハッキリと言うべきだ。人に流され、周りに気を遣ったことしか言えないようでは結局組織陳腐化の原因となり得る。(今、自分で書いていて思ったが、私にもまったく同じようなことが言える。思わずハッとした。同様の事で批判されることが最近あり、批判者に対して「人の性格をもっと考えろよ」と反発していた。批判者側からすれば、ただのガキの強がりのように見えるんだなぁ...)<br>余談はさておき、自己主張の強い者も、自己主張の弱い者も、組織においては悪影響だということだ。<br><br>fについては文字通りの意味である。サークルを辞めていく人、顔を出さなくなる人、ツイッターなどでしか不満を漏らさない人、少人数の内輪だけでこそこそと解決しようとする人(これが一番多くて大変不愉快である。)、など、とにかく逃げたがる人間が多すぎる。<br><br>はぁ、書くの疲れてきた。<br>しかも、先ほどまで個人的な不満についてつらつら書いていたのに、少し手を離した隙に画面が戻り、消えてしまった。<br>だからもう、この辺で終わりにしたいと思う。笑<br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/jes2/entry-11553556379.html</link>
<pubDate>Sun, 16 Jun 2013 11:09:23 +0900</pubDate>
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<title>The first contribution</title>
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<![CDATA[ <br><br>今まではcrooz blogを使ってきたが、そちらは好きなモデルのブログを見る用にして、自分自身はameba blogを使ってみようと思う。<br><br>正直に言うと、非常に書きづらい(笑)<br><br>やっぱりガラケーの方が長文を打つ時にはやり易いのかもしれない。<br>iPhoneだと誤字もひどいしね。<br><br>そして、なぜ、このブログを始めたのか、ということについて言及したい。<br>私はいち大学生であり、社会のことも無知、話すこと・書くことにおける表現力は皆無である。<br>とある友人も同じような問題を抱え、それを克服するべくブログを書き始めたそうだ。<br>たまたまその友人のブログを見つけたが、書き方としては構成も語彙も表現力も十分だと思うが、まぁ書いている内容のひどいことひどいこと(笑)<br>私やその他友人に対する悪口というか批判というか、、、<br>とにかくかなり近い存在であるはずの友人に悪く思われ、見えない所で書かれているのは非常に気に食わない。<br>しかし、私はそこに関してどうこういうつもりはない。そのブログを見つけた時こそ不愉快に感じたが、考え方や思想は人それぞれであるし、ストレスのはけ口としてブログに書き綴るのは個人の自由である。<br>確かにしていることは呪いの藁人形のようだが(笑)、書かれている私さえ気にしなければ、特に問題はないように思える。もちろん、今までと同様に接することはできなくなってしまったが、、、笑<br><br>私だってこのブログでは直感的に思ったこと、またはずっと温めていた考えを披露するつもりでいるから、友人知人、所属団体、血縁関係にある者、学業のこと、アルバイトのことなど、とても身近な出来事に対する批判が含まれてしまうかもしれない。(というかそればかりになってしまいそうで不安である)<br>つい先日まで続けていた飲食店の夜勤では、一人営業ということもあり、作業をしながらもいろいろなことについて熟考することができた。約1年も夜勤をやっていたから、考えていたことを全て思い出して書き綴るのは不可能だろうが、自分なりに考えたことを随時書いていこうと思う。<br><br>このブログを書いていく上で、自分の中で表現力や考え方にいい意味での変化があれば幸いである。<br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/jes2/entry-11553203869.html</link>
<pubDate>Sun, 16 Jun 2013 00:17:47 +0900</pubDate>
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