<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>Hero Menのブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/jesuishiroki/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/jesuishiroki/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>大航海時代</title>
<description>
<![CDATA[ <div class="detailMain" style="margin: 0px; padding: 10px 0px 0px; border-width: 1px 0px 0px; border-top-style: dotted; border-top-color: rgb(204, 204, 204); word-break: break-all; overflow: hidden; background-position: 0px 0px;"><div id="diary_body" class="" data-widget-namespace="jp.mixi.diary.embed.touch.renderer" style="margin: 0px; padding: 0px; border: 0px; word-break: break-all; background-position: 0px 0px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">大航海時代、スペインに南米の国が次々と侵略されて行く。&nbsp;<br><br>コロンブスのアメリカ大陸から始まって、スペインとポルトガルで世界中の大陸への侵略競争を繰り広げていた。&nbsp;<br>競争の激化の中、当時スペインとポルトガルの共通の王であるローマ教皇へのスペインの申し入れもあって、地球の西側をスペイン、東側をポルトガルの領地として開拓することが決められた。（トリジャス条約）&nbsp;<br></span><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);"><br>そんな中、1531年スペインのコンキスタドール（探検家）フランシスコ・ピサロがペルーを侵入を開始した。&nbsp;<br>当時ヨーロッパ人がペルー人に対して抱いていたイメージが、スペインの南米博物館に絵として残ってる。&nbsp;<br><br>その絵は、羽根を背負いパラシュートを頭に付けて飛んでる人や、頭が無く、胸に顔がある巨人など。&nbsp;<br>そこには、まだ見ぬ先住民を恐れてる様子が画かれてる。&nbsp;<br><br>逆にペルーの先住民はスペイン人をどう見ていたか。&nbsp;<br><br>白人を見たのも初めて。&nbsp;<br>馬を見たのも初めて。&nbsp;<br>さぞかし、驚いただろうと想像がつく。&nbsp;<br><br>それに加え、色が白く馬に乗った姿が、南米の神話に出て来る神の姿に似ていたことから、神が現れたと勘違いした人もいたと言われてる。&nbsp;<br><br><br><br>これを聞く限りでは、お互いの相手に対しての感覚の中に物凄く差異があったんだなと、感じる。&nbsp;<br><br>一方は、相手に人間と思ってない、どこか不思議な生き物の様に思ってたとも捉えられる。&nbsp;<br><br>そして、一方はどこか崇高な存在と思ってしまう人がいる。&nbsp;<br><br>これでは、ペルーは侵略されるなと感じずにいられない。&nbsp;<br><br>その頃、ペルーはインカ帝国を築いて南米の広範囲に勢力を伸ばしていた。&nbsp;<br>現在のボリビア、エクアドル、アルゼンチン、コロンビア、チリまで拡大していた。&nbsp;<br><br>しかし、インカ帝国はスペインのコンキスタドールにあっさり滅ぼされる。&nbsp;<br><br>それだけ、ヨーロッパの文明は進んでいたのか。&nbsp;<br><br><br><br>スペイン人が南米に到達した後、天然痘などの疫病を持ち込み先住民達が激減した。&nbsp;<br>そこでアフリカから、原住民を連れて来て現地先住民と共に奴隷として、過酷な労働をさせた。&nbsp;<br><br>金山、銀山の発掘、サトウキビ農業。&nbsp;<br>採掘された物は全てスペイン本国へと運ばれていく。&nbsp;<br>奴隷は、品物の様に売買されていた。&nbsp;<br><br><br>これまで、スペインとポルトガル植民地化を進めていたが、オランダ、フランス、イギリスなども植民地支配を進めて行く様になり、先住民やアフリカ人の奴隷の虐待が酷くなる一方であった。&nbsp;<br><br>大航海の影にこういった負の遺産があったことも、忘れてはならない歴史であると言えるだろう。&nbsp;<br><br><br>大航海を経てスペインに富みをもたらした、ピサロはスペイン国内で今でも英雄視されてる。&nbsp;<br>帰国後、出身地トルヒージョに像が建っていて、ピサロの娘が征服者宮殿が建て、今でも子孫がそこに暮らしている。&nbsp;<br><br><br>＊この時代日本も奴隷の犠牲者がいた。&nbsp;<br><br>1543年日本の種子島鉄砲伝来から始まり、火薬を買う代わりに、数十万人の農民がポルトガルへ奴隷として売られた。&nbsp;<br>16世紀後半には、ポルトガル本国だけで無く、アルゼンチンにも労働力として運ばれて行った。&nbsp;<br><br><br><br><br><br><br></span><br style="letter-spacing: 0px;"></div></div><div id="feedback" class="lSubFunctions pFeedbackFuncs01 JS_subFunctions" style="margin: 0px; padding: 20px 0px 0px; border: 0px; word-break: break-all; color: rgb(51, 51, 51); font-family: sans-serif; font-size: 14px; background-position: 0px 0px;"></div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/jesuishiroki/entry-12132051355.html</link>
<pubDate>Tue, 23 Feb 2016 20:33:15 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>バレンタインデー</title>
<description>
<![CDATA[ 2月に入り世界中で同時に、人によっては重要なイベントが待っている。<br>そう、その名もバレンタインデー。<br><br>学生時代はを振り返ってみると、この日になると男子は皆ソワソワして、誰からチョコレートが届くことを期待してみる。<br>大抵は、モテる一部の男子に集中して、大体はソワソワ損に終わる。<br>仲の良い女子どころか、女子と話す事も少ないのに、自分を秘かに好きでその時を機会に告白してくれるなどという奇跡が起こるワケもないだろう。<div><br></div><div><br>大人になって働きだすと、義理チョコとして同じ職場の女性からもれなく幾つか配られるようになる。<br>男性としてはそれでも嬉しいものだが、女性は大量のチョコを一度に用意しなければいけないので、大変だと聞くことがある。<br><br><br><br>日本のバレンタインデーの始まりは、諸説あるが、戦後の昭和30年代まだまだ女性から男性に愛の告白をするのは“はしたない”とされてた時代に、その日だけはチョコを持って女性から男性に愛の告白をする日にしようと言う事だったらしい。<br>義理チョコが広まったのは、何時の何がきっかけかは知らないが、非常に日本人らしい発想だと思う。<br>職場の雰囲気を円滑にする為に、編み出されたやり方なのではないだろうか。<br><br>海外のバレンタインデー事情は？<br><br>欧米では、男女共にプレゼントを贈り合う事もあるが、男性から女性へと花束やカードを贈るのがほとんど。義理チョコ的な観点はない。<br><br>アメリカでは、男性から女性に花束とカードが一般的。ジュエリーなどの高価な物をあげる場合もある。<br>好きなひとに告白と言うのではなく、恋人や夫婦、家族に感謝の思いを届ける日としてる。<br><br>学校では、男女とわす仲の良い子達にカードとお菓子を配りあう。<br><br>イギリスは、19世紀にお菓子メーカーが増えて、チョコを贈る様になった。<br><br>現在は、花束やカードを男性から恋人に贈るのも一般的だが、愛の告白の日としている。<br>男性が、好きな女性に匿名で愛のメッセージカードを贈るのだ。<br><br>イタリアは、食べ物や花束など形が消えてしう物は贈らない。<br>一緒に旅行をしたり、食事をしたり、男性から女性に形の残るプレゼント贈る。<br><br><br>フランスは、一緒に食事をしたり、とにかく恋人同士一緒に過ごす日としてる。<br>赤いバラの花束やカードを男性が女性にプレゼントしたりする。<br><br><br>さて、元々のバレンタインデーの起源とは？<br><br>ローマ帝国時代まで遡る。<br>皇帝クラウディウス2世は、戦場へ向かう若い兵士の結婚を禁じていた。<br>残された妻を思い、兵士の志気が下がるという理由だった。<br><br>しかし、大司教St.バレンタインは、戦場へ向かう兵士とその愛する女性との結婚を秘密裏に行っていた。<br>それが、クラウディウス皇帝の耳に入り、激怒して大司教を処刑してしまった。<br><br>処刑された日、2月14日を大司教を偲び、恋人達の日として大司教の名を取ってバレンタインズデイ（valentine's day）と名づけて国民が祝う事を決めた。<br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/jesuishiroki/entry-12128324690.html</link>
<pubDate>Sat, 13 Feb 2016 17:24:24 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
