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<title>イエスキリストの言葉</title>
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<description>イエスキリストの言葉や聖書の記述を紹介していきます。</description>
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<title>地の塩、世の光</title>
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<![CDATA[ マタイの福音書　5章13節～16節<br><br><br><font color="#0000FF">5:13 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。<br><br> 5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。<br><br> 5:15 また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。<br><br> 5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。<strong><font size="2"></font></strong></font><br><br><br>少し間が空いてしまいました。まあ無理しないで自分の勉強のつもりで少しずつでも書いて行こうと思っていますので、よろしく。<br><br>さて今日の言葉は結構有名です。<br><br>イエス様は私達に対して「地の塩」「世の光」であるとおっしゃいました。<br><br>「塩」とはなんでしょうか。もちろん塩味をつける調味料。あとは腐敗を防ぐための道具（塩漬け）。<br>体にも必ず必要な物質。<br>とても色々なところで役に立っているものです。<br><br>「光」はわかりますね。16節にあるように私達の行いを通して人々がイエスキリストの素晴らしさを知るように輝くということです。<br><br>果たして人類史上クリスチャンは輝いていたでしょうか。十字軍、宗教戦争、カトリックの堕落など様々な問題がありました。クリスチャン国といわれているアメリカだって戦争大好きです。<br><br>しかしこれはあくまで人間がやっていることで、神様には関係ありません。神様の命令を人間は守ることができないのです。聖書の教えどおりに人間が生きれれば、戦争も犯罪もなくなり、平和な世界が訪れます。でもできないのが現実。それが原罪だと思います。<br><br>しかしクリスチャンの中にはまさに地の塩、世の光になっている人もたくさんいると思います。<br><br>クリスチャンと聞くと多くの人は清い人だと思うかもしれません。しかしそれは間違いで、自分の罪に早く気付いた人だということだけです。教会は清い人の集まるところだから自分は関係ないし、行けないという話しもきいたことがありますが、教会も罪人の集まりであることは間違いありません。しかし、教会の人は皆自分の罪に気付いて、悔い改めた人です。<br><br>だから皆さん気にせず教会にどんどん行きましょう。そして罪を悔い改めてみましょう。違った世界が訪れること間違いなしですよ。<br>
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<link>https://ameblo.jp/jesussaiko/entry-10778190490.html</link>
<pubDate>Mon, 24 Jan 2011 12:52:41 +0900</pubDate>
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<title>山上の垂訓（１）</title>
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<![CDATA[ マタイの福音書　5章1節～12節<br><br><br><font color="#00BFFF">5:1 この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。<br><br> 5:2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。<br><br> 5:3 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。<br><br> 5:4 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。<br><br> 5:5 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。<br><br> 5:6 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。<br><br> 5:7 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。<br><br> 5:8 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。<br><br> 5:9 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。<br><br> 5:10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。<br><br> 5:11 わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。<br><br> 5:12 喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。<font size="2"></font></font><br><br><br>逆説的は言葉並んでしますね。<br>マタイ5章からはいわゆる「山上の垂訓」といわれる部分で、イエス様が群集に向って語りかける場面です。<br>イエス様は現在の状況がどうであろうと、それをしのび、神様に従っていけば、将来天において報いは大きいということをおっしゃっています。<br><br>私達のこの地上での生活は仮住まいにすぎません。この地上での生活を終えた後は永遠の生活が待っています。天において素晴らしい生活をおくるか、それともゲヘナ（地獄）で永遠の火に苦しむか。<br>それは自分の選択です。<br>永遠という時と比べれば、この地上での生活は一瞬に過ぎません。<br><br>地上での生活は特に義を追及しようとすれば壁がたくさんあります。しかし、私達はあくまでイエス様から目を離さず、この世の中と妥協せず、義を通し、平和を作って生きたいと、そう考えます。<br><br><br>使途パウロはローマ人への手紙の中に強い確信に満ちて以下のように書いています。<br><br><br>8:33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。<br><br> 8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。<br><br> 8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。<br><br> 8:36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。<br><br> 8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。<br><br> 8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、<br><br> 8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。<br><br><br>まさにその通りですね。アーメン。
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<link>https://ameblo.jp/jesussaiko/entry-10771113069.html</link>
<pubDate>Mon, 17 Jan 2011 12:42:16 +0900</pubDate>
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<title>弟子達を任命</title>
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<![CDATA[ マタイの福音書　4章19節～22節<br><br><font color="#0000FF">4:18 イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。<br><br> 4:19 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」<br><br> 4:20 彼らはすぐに網を捨てて従った。<br><br> 4:21 そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。<br><br> 4:22 彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。<strong><font size="2"></font></strong></font><br><br><br>イエス様は宣教を開始してすぐに、弟子達を集めました。十二弟子とか十二使徒とか言われていて結構有名なのでどこかで聞いたことがあるかもしれません。<br><br>最初に声をかけたのは漁師たちだったようです。当時の漁師たちは現代とは違って決して地位の高い、豊かな人たちではありませんでした。学問もありませんでした。しかしそのような人たちをイエス様はあえてお選びになりました。<br><br>「人間をとる漁師にしてあげよう」と語りかけたイエス様。そしてすぐに従った弟子達。<br>今もイエス様は私達に語りかけておられるような気がします。<br><br>私達は世の中の様々なしがらみや自分の考えなどですぐにイエス様に従うことができません。<br>弟子達のようにただイエスを信じ、しがらみや自分の考えなどはすべて放棄してすぐに従っていく自分でありたいものだといつも思います。
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<link>https://ameblo.jp/jesussaiko/entry-10768427018.html</link>
<pubDate>Fri, 14 Jan 2011 21:45:56 +0900</pubDate>
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<title>イエス様の宣教開始</title>
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<![CDATA[ マタイの福音書　4章　12節～17節<br> <br><br><font size="2">4:12 ヨハネが捕えられたと聞いてイエスは、ガリラヤへ立ちのかれた。<br><br> 4:13 そしてナザレを去って、カペナウムに来て住まわれた。ゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりの町である。<br><br> 4:14 これは、預言者イザヤを通して言われた事が、成就するためであった。すなわち、<br><br> 4:15 「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。<br><br> 4:16 暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」<br><br> 4:17 この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」<br><font color="#0000FF"><strong></strong></font></font><br><br><br><br>イエスが洗礼を受けた後、バプテスマのヨハネは捕らえられます。<br>イエスはガリラヤ湖畔を拠点として宣教を開始します。<br><br>今日の聖書箇所でも旧約聖書の引用がありますね（4章15節～16節）。以前書いたようにこのマタイの福音書は「ユダヤ人」に向けて、イエス様のメシア性を強調するために書かれた書物です。ですから繰り返し旧約聖書からの引用がでてきます。<br><br>この時代はマタイの福音書などが載っている新約聖書はまだ編纂されていませんので、聖書といえば<br>今で言う「旧約聖書」です。そしてユダヤ人にとってはこの聖書が人生のすべての基準になっていたものです。<br><br>4:16のことばはいいですね。イエス様はまさにこの時代の光として登場されました。<br>この時代のユダヤはローマ帝国に統治されており、ユダヤ人にとっては屈辱的な時期でした。それだけに人々は聖書で書かれている救世主（メシア）がいつ現れるか心待ちにしていました。<br><br>そしていよいよイエス様の宣教開始。最初の言葉は<br><br>「悔い改めなさい」<br><br>でした。<br><br>バプテスマのヨハネの言葉と同じです（マタイの福音書3章2節参照）。<br>神様が私達にまず何を求めているかがよくわかります。<br><br>それは<br><br>「罪を悔い改める」<br><br>ということだと思います。罪とは何かを書き始めると長くなるので、ここでは簡単に。<br>聖書で言う「罪」とは殺人とか盗みとかというたぐいの罪ではありません。<br><br>神に造られた人間が、神から離れて自分勝手に歩むことを聖書では「罪」といいます。<br>ですから自分は法律を犯していないといったところでそれは神様の前では通用しません。<br><br>そして自分勝手に歩んできた人々に神様はいつでも問いかけておられます。<br>「罪を悔い改めて、私のもとに来なさい」<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/jesussaiko/entry-10764415662.html</link>
<pubDate>Mon, 10 Jan 2011 20:52:33 +0900</pubDate>
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<title>荒野での誘惑</title>
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<![CDATA[ マタイの福音書　４章１節～11節<br><br><br><font color="#0000FF"> 4:1 さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。<br><br> 4:2 そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。<br><br> 4:3 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」<br><br> 4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」<br><br> 4:5 すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、<br><br> 4:6 言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」<br><br> 4:7 イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」<br><br> 4:8 今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、<br><br> 4:9 言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」<br><br> 4:10 イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」<br><br> 4:11 すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。<strong><font size="2"></font></strong></font><br><br><br>バプテスマを受けたイエス様は荒野に行き、断食をされ、神に祈りました。40日ということですので、すごいですね。ある偉い先生はこれを実践されています。ただし水分はとっていますが。<br><br>さて断食を終えられたイエス様に悪魔が忍び寄ります。これから宣教活動を開始されるイエス様をなんとか失脚させようと誘惑をします。<br><br>まずはおなかが空いているということで「食べることの誘惑」<br><br>その後は「自殺の誘惑」<br><br>そして「世界支配、悪魔信仰の誘惑」<br><br>悪魔は巧妙です。弱いところをついてきます。しかも今回2つ目の誘惑では聖書の言葉を引用して誘惑しています。<br><br>イエス様はしかしこの悪魔の誘惑に対して、聖書の言葉で対抗しています。悪魔は結局かなわないと思い立ち去りました。<br><br>悪魔の目的は明白です。なんとか私達を神様から引き離そうとすることです。そのためには様々な巧妙に様々な手段を講じてきます。<br><br>皆さんも悪魔からの誘惑を受けているのではないでしょうか。気をつけてくださいね。<br><br>悪魔に抵抗するには今回のイエス様のように「聖書」を基準にして考えて判断することが大切です。<br>道徳、倫理、様々な宗教…。どれも基準になるようで実はあいまいであり、時代とともに変わる、非常に不安定なものです。<br><br>また今回の悪魔のように、聖書の一部分だけを抜き出して非常識なことを強要される場合もありますから注意してください。。異端と呼ばれる新興宗教に多いパターンです。しかし、私達は聖書全体に照らし合わせて、しっかりと判断する必要があります。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/jesussaiko/entry-10763472203.html</link>
<pubDate>Sun, 09 Jan 2011 22:41:57 +0900</pubDate>
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<title>イエス様の洗礼</title>
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<![CDATA[ マタイの福音書　3章11節～<font color="#0000FF"><font size="2"><em></em></font></font>17節<br><br>3:11 私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。<br><br> 3:12 手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」<br><br> 3:13 さて、イエスは、ヨハネからバプテスマを受けるために、ガリラヤからヨルダンにお着きになり、ヨハネのところに来られた。<br><br> 3:14 しかし、ヨハネはイエスにそうさせまいとして、言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでになるのですか。」<br><br> 3:15 ところが、イエスは答えて言われた。「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」そこで、ヨハネは承知した。<br><br> 3:16 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。<br><br> 3:17 また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」<br><br><br>いよいよイエス様登場。パチパチ。<br>11節はバプテスマのヨハネの言葉です。<br>「あとから来られる方」というのがイエス様のことです。ヨハネは相当すごい人で、皆から尊敬を受けていましたが、そのヨハネが履物を脱がせてあげる値打ちもないというくらいすごい方がイエス様。<br><br>ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、イエス様は聖霊と火のバプテスマを授けます。<br>イメージがわかないかもしれませんが、なんだかすごいですね。聖書を読んでいるとわかってきます。<br><br>そのようなイエス様ですが、ちゃんとヨハネから水のバプテスマを受けるところがへりくだっていてすごいなあと思います。<br><br>天の神様もイエス様がバプテスマを受けたことをとてもお喜びになりました。<br><br>いよいよイエス様の宣教が始まります。30歳で洗礼を受けて、33歳で十字架上で亡くなりました。<br>その公生涯はたったの3年間といわれています。
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<link>https://ameblo.jp/jesussaiko/entry-10761017307.html</link>
<pubDate>Fri, 07 Jan 2011 12:36:27 +0900</pubDate>
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<title>バプテスマのヨハネ</title>
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<![CDATA[ マタイの福音書　3章1節～6節<br><br><font size="2"><br><font size="2"> 3:1 そのころ、バプテスマのヨハネが現われ、ユダヤの荒野で教えを宣べて、言った。<br><br> 3:2 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」<br><br> 3:3 この人は預言者イザヤによって、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」と言われたその人である。<br><br> 3:4 このヨハネは、らくだの毛の着物を着、腰には皮の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。<br><br> 3:5 さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところへ出て行き、<br><br> 3:6 自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。<font color="#0000FF"><strong></strong></font></font><font color="#0000FF"><strong></strong></font></font><br><br><br><br>今日はバプテスマのヨハネのお話し。バプテスマとは「洗礼」のことです。現在でもキリスト教徒になるとその証として洗礼を受けることが多いです<br><br>このヨハネはイエスの従兄弟にあたります。荒野に住み、人々に悔い改めを説きました。風貌、いでたち、食べるものなどただ者ではなかったようですね。<br><br>ヨハネの説教により多くの人が自分の悔い改めて、ヨルダン川で洗礼（バプテスマ）を受けました。<br>このことはやはり旧約聖書に書かれていました。以前触れたように今日の聖書箇所にも<br>旧約聖書の引用がありますね（3:3）。<br><br>バプテスマのヨハネは主（イエス様）のみちぞなえをするために現れ、前もって悔い改めのバプテスマを人々に授けました。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/jesussaiko/entry-10758320583.html</link>
<pubDate>Tue, 04 Jan 2011 22:41:56 +0900</pubDate>
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<title>マタイの福音書2章</title>
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<![CDATA[ マタイの福音書2章　13節～23節<br><strong><br><font color="#0000FF"><font size="2"> 2:13 彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」<br><br> 2:14 そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、<br><br> 2:15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した。」と言われた事が成就するためであった。<br><br> 2:16 その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年令は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。<br><br> 2:17 そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。<br><br> 2:18 「ラマで声がする。泣き、そして嘆き叫ぶ声。ラケルがその子らのために泣いている。ラケルは慰められることを拒んだ。子らがもういないからだ。」<br><br> 2:19 ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが、夢でエジプトにいるヨセフに現われて、言った。<br><br> 2:20 「立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちをつけねらっていた人たちは死にました。」<br><br> 2:21 そこで、彼は立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地にはいった。<br><br> 2:22 しかし、アケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行ってとどまることを恐れた。そして、夢で戒めを受けたので、ガリラヤ地方に立ちのいた。<br><br> 2:23 そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「この方はナザレ人と呼ばれる。」と言われた事が成就するためであった。<strong><font color="#0000FF"></font></strong></font><br></font></strong><br>ちょっと長くてすみません。<br>マタイの福音書2章では「東方の博士たち」が登場します。子供の頃クリスマスのお話しで聞いたこともあるかもしれません。博士たちは占星術の先生方のようなイメージのようです。新しい星が出現し、その星を調べると新しい王が誕生する予見と知った博士たちはその星を追いかけてやってきました。<br>そしてイエス様のいる家にたどり着き、黄金、乳香、もつやく（没薬）を贈ります。<br><br>その後の話が今日の聖書箇所です。当時の王様は東方の博士たちが新しい王がどこで生まれたかを尋ねたため、恐れました。そして、居場所をつきとめて殺そうと思いました。しかし、博士たちは神の導きによりヘロデ王に会わずに自分の国に帰りました。<br><br>今日の聖書箇所には「預言者の言葉が成就するため」と言う言葉が繰り返し出てきます。これはマタイの福音書に特徴的なことで、前回も書いたように「旧約聖書」をよく知っているユダヤ人に対して書かれた福音書だからです。旧約聖書をずっと読むと、メシアがどのように現れるかということがたくさん記述されています。その旧約聖書の記述がイエスキリストとぴたりと当てはまるということを著者は強調しています。
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<link>https://ameblo.jp/jesussaiko/entry-10756702480.html</link>
<pubDate>Mon, 03 Jan 2011 10:19:26 +0900</pubDate>
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<title>イエスキリストの系図</title>
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<![CDATA[ マタイの福音書　1章1節～17節<br><font size="2"><font color="#0000FF"><strong></strong></font></font><br><br>1:1 アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。<br><br> 1:2 アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ、<br><br> 1:3 ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ、パレスにエスロンが生まれ、エスロンにアラムが生まれ、<br><br> 1:4 アラムにアミナダブが生まれ、アミナダブにナアソンが生まれ、ナアソンにサルモンが生まれ、<br><br> 1:5 サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが 生まれ、オベデにエッサイが生まれ、<br><br> 1:6 エッサイにダビデ王が生まれた。ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ、<br><br> 1:7 ソロモンにレハベアムが生まれ、レハベアムにアビヤが生まれ、アビヤにアサが生まれ、<br><br> 1:8 アサにヨサパテが生まれ、ヨサパテにヨラムが生まれ、ヨラムにウジヤが生まれ、<br><br> 1:9 ウジヤにヨタムが生まれ、ヨタムにアハズが生まれ、アハズにヒゼキヤが生まれ、<br><br> 1:10 ヒゼキヤにマナセが生まれ、マナセにアモンが生まれ、アモンにヨシヤが生まれ、<br><br> 1:11 ヨシヤに、バビロン移住のころエコニヤとその兄弟たちが生まれた。<br><br> 1:12 バビロン移住の後、エコニヤにサラテルが生まれ、サラテルにゾロバベルが生まれ、<br><br> 1:13 ゾロバベルにアビウデが生まれ、アビウデにエリヤキムが生まれ、エリヤキムにアゾルが生まれ、<br><br> 1:14 アゾルにサドクが生まれ、サドクにアキムが生まれ、アキムにエリウデが生まれ、<br><br> 1:15 エリウデにエレアザルが生まれ、エレアザルにマタンが生まれ、マタンにヤコブが生まれ、<br><br> 1:16 ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。<br><br> 1:17 それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる。<br><br>あけましておめでとうございます。<br>私は聖書を1年に1回通読するようにしていますが、今日からまた開始です。<br>旧約聖書3章、新約聖書を1章ずつ読むとだいたい1年で1回読める計算です。<br><br>本日の聖書ことばはかなりきついですよね。今日の人物の羅列をみて、いやにならない日本人は少ないと思います。<br>「聖書を読んでみようかなあ」と決心してもしょっぱながこの文章ですから、ほとんど人はいやになってしまい、1章も読めないでやめてしまうことも十分に考えられます。<br><br>マタイの福音書はマタイというイエス様の弟子が、イスラエル人に向けて書いた文章です。<br>ですからこの系図が大切なのです。この名前を見るとイスラエル人はみんな理解できます。どのような系図からイエス様が生まれてきたのか、旧約聖書をたどると脈々と書かれている流れを一度で理解可能なのです。<br><br>ですから旧約聖書を一通り読むと、この系図が理解でき、楽しくなります。<br>まず聖書を読んでみようかなあという方はまずはマタイの福音書の次のマルコの福音書を読まれることをお勧めいたします。<br>
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<pubDate>Sat, 01 Jan 2011 12:35:51 +0900</pubDate>
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<title>異邦人を照らす啓示の光</title>
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<![CDATA[ ルカの福音書　2章28節～33節<br><br><font color="#0000FF"><font size="2">すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。<br><br>「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。<br><br>私の目があなたの御救いを見たからです。<br><br>御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、<br><br>異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」<br><br>父と母は、幼子についていろいろ語られる事に驚いた。<font color="#0000FF"><strong></strong></font></font><strong><font size="2"></font></strong></font><br><br>初子はエルサレムの神殿で清めてもらうという風習が旧約聖書時代からあったようで、イエス様も同じように時期が来た時に両親が神殿に連れて行き、清めの儀式をされました。<br>そのときエルサレムに住むシメオンという人がいて、その人は神の霊（聖霊）に「あなたは救い主を見る前死なない」と言われていました。<br><br>今回イエスが神殿にいたとき、シメオンは聖霊によりこの子どもがメシアだとはっきりと確信しました。<br><br>シメオンの言葉に「異邦人を照らす啓示の光」という言葉があります。イスラエルの人たちは、自分たちは神様から選ばれた特別な民族であるという自負が強いため、異邦人を非常に低く考えていました。<br>このような時代になって「異邦人を照らす」ということは驚くべき言葉です。<br><br>まさに神様はイスラエル民族だけではなく、世界全体の救い主としてお生まれになったのです。<br><br>
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<pubDate>Tue, 28 Dec 2010 12:51:38 +0900</pubDate>
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